【イスラム哲学】井筒俊彦を読むat PHILO
【イスラム哲学】井筒俊彦を読む - 暇つぶし2ch506:考える名無しさん
18/07/18 21:04:53.40 0.net
井筒ではない今の井筒に詳しい学者の
論文というか論文誌の書き物
イスラム思想を語学的手法を用いて
新しく解釈して、それがイスラム圏や欧米の
学者にインパクトを与えたみたいな書き方だったよ
だからイスラム思想にアラビア語を古典注釈を
駆使して斬新に解釈したと思ってた
俺が知りたいのはそのアプローチ法の中身
井筒後はどういう読みになったのか

507:考える名無しさん
18/07/18 21:14:22.93 0.net
>>506
> 井筒ではない今の井筒に詳しい学者の
> 論文というか論文誌の書き物
タイトルを挙げれば他の人も確認できるし
話が早いだろ

508:考える名無しさん
18/07/18 21:15:46.12 0.net
思い出せないけど
後でちょっと探してみるよ

509:考える名無しさん
18/07/18 21:20:05.47 0.net
人にものを尋ねる前に、自分の根拠を示す。
当たり前の話。

510:考える名無しさん
18/07/18 21:22:48.34 0.net
いや詳しい人なら
井筒がアラビア語の言語学的な古典注釈で
大きな仕事をしたかどうかは判断できるだろ
そんな話聞かないとかそれは評価されているらしいとか

511:考える名無しさん
18/07/18 21:31:26.75 0.net
いつまでもその辺をうろついていればいい

512:考える名無しさん
18/07/18 21:33:24.48 0.net
なんだやっぱり世界的業績が
パッと出てこないのか
みんな同じか

513:考える名無しさん
18/07/18 21:36:13.21 0.net
伝聞と推量

514:考える名無しさん
18/07/18 21:36:55.14 0.net
アラビア語の宗教的訓詁学はアラブ世界
にもあるだろうし
キリスト教の文献学も応用しやすいだろう
そこで井筒が語学的に鮮やかな意味分析を施して
一里塚を築いたとしたら世界的と言っていいのだが...

515:考える名無しさん
18/07/18 22:00:15.28 O.net
>>387
ロシアは専制的。アジア的ヨーロッパ
日本は共和的。ヨーロッパ的アジア
おもろいね

516:考える名無しさん
18/07/21 11:01:51.94 0.net
不寛容な人に対して寛容であってはならない。もしオリヴァー・ウェンドル・ホームズの
言うように、自由な表現は、もしそれが明らかな目の前の危険だという証明がつく場合に
かぎり制約されるべきだ、と考えたならばリンカーンの主張は不可能になっていただろう
すなわちリンカーンは、平等の原理にはいかなる妥協もありえないこと、この原理は人々
の選択や選挙に基づくものではないのであって、そもそも人々が選挙をおこなう条件で
あること、黒人奴隷問題に関する大衆支配は、たとえ血まみれた内乱という明らかな目の
前の危険を回避できるとしても許されないことを主張したのである。
-アメリカンマインドの終焉-アラン・ブルームより一部抜粋
我々文明人は不寛容たる野蛮なムスリム達に対して決して妥協的であってはならないのだ

517:考える名無しさん
18/07/21 11:12:52.20 0.net
>>516
> 我々文明人は
何という差別。何という不寛容。

518:考える名無しさん
18/07/21 13:08:53.72 0.net
>>516
誰だ?関係ない政治的主張を宣うのは!

519:考える名無しさん
18/07/22 15:14:39.77 0.net
存在認識の道 解説Ⅵ pp.268-269
「存在という偶有を受け容れる以前の本質、すなわちまだ無の状態にある本質をモッラー・サドラーはアヴィセンナに従って可能的存在者と呼ぶ」
「可能的存在者は存在論的には実に妙な、中途半端なものとなってしまうのである。だが、アヴィセンナをこのように解釈するのは、通俗的解釈に過ぎない。
これはアヴィセンナ自身が理解していた存在可能性の概念からは程遠い。……存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質が可能的存在者に他ならないからである。」
「・・・・・・本質が先ず最初に、どこかわけのわからない所に、わけのわからない仕方で、可能的存在者として存立して、次に存在というリアリティが原因によってその中に注入され……というようなことが実在的に起こるわけではない。そういではなく・・・・・・」

520:考える名無しさん
18/07/22 15:34:24.92 0.net
>>519
これらの井筒(またはモッラー・サドラー)とイブン・スィーナーの本質理解はズレがあるように感じる。
確かにイブン・スィーナーは本質を可能的存在と呼んだけれども、必然的存在としての観点とセットであり、それら存在ということが本質に偶有・属性として対している。
「存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質」「可能的存在者」はともにイブン・スィーナーの言うところであるが、前者が後者であること「他ならない」ということはないであろう。
正確に言えば、イブン・スィーナーは本質が存在と結合しえる状態、または関係を「可能的存在」と呼んでいるのであって、「存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質が可能的存在者」というのとはズレがある。
本質が可能的存在者そのもの、つまり本質を実体的な存在のようにと想定するからこそ、井筒は「本質が先ず最初に、どこかわけのわからない所に、わけのわからない仕方」という批判を想定してしまう。
「次に存在というリアリティが原因によってその中に注入され……というようなことが実在的に起こるわけではない」というが、イブン・スィーナーの創造論(流出論)を考えれば、まさに事態はそのようなものとしか言いようがない。
必然的存在者・一者・神が存在を与えることによって、それらは存在する。この存在性はまさに本質とは区別され、その存在性が本質をリアリティ化(必然的存在化)する。
ここにおいて、本質ということそれ自体は存在と(可能的であろうとも、必然的であろうとも)別である。
これがイブン・スィーナーの説であって、本質を可能的存在そのものと見做したり、「存在というリアリティが原因によってその中に注入され」のではない、というのはモッラー・サドラー流の存在一性論的な解釈でありイブン・スィーナーの言うところから離れて行っている。
モッラー・サドラーによれば、存在自体が本質と不可分、むしろ存在(の強度)が本質というものがある由来としている。
イブン・スィーナーによれば、存在ということはあくまでも本質の結果であり、偶有である。
結局のところ、「アヴィセンナの真意」と井筒の言うところは、現代イラン・イスラーム哲学によるイブン・スィーナー解釈であって、イブン・スィーナー自身に即したものではないと言えよう。

521:考える名無しさん
18/08/02 20:03:38.27 0.net
井筒俊彦の生涯・思想・業績を紹介するドキュメンタリー映画
『シャルギー(東洋人)』
URLリンク(www.youtube.com)
“昔、東洋と西洋は衝突していが、井筒俊彦における東洋と西洋は響きあう”
東京イラン映画祭 8/7(火)~8/9(木)チラシ
URLリンク(pbs.twimg.com)
URLリンク(pbs.twimg.com)
東京イラン映画祭開催のお知らせ
イラン外交関係樹立90周年を迎えるにあたって8月7日~9日、
港区の赤坂区民センターにて東京イラン映画祭を開催いたします。
今回の映画祭ではイランの有名監督7人の作品を一挙公開する予定です。
詳しくは東京イラン映画祭2018のチラシをご覧ください。
主催:イラン文化センター(イラン・イスラム共和国大使館付属)
協力:港区、港区国際交流協会
日程:8月7日(10:00~21:00)、8月8日(10:00~21:00)、8月9日(10:00~17:00)
オープニングセレモニーは8月7日(火)15:00~15:30
会場:赤坂区民センター区民ホール(3F)
ペルシャ語音声・英語字幕(シャルギー(東洋人)は日本語字幕)
鑑賞料無料・予約不要

522:考える名無しさん
18/08/02 20:05:06.35 0.net
>>521
慶應義塾大学出版会@KEIOUP
日本の著名なイスラム学者で、コーランを日本語に翻訳した
故・井筒俊彦氏の生涯と思想を描いたたドキュメンタリー映画「シャルギー(東洋人)」が
8月7日、9日と東京イラン映画祭内(赤坂区民センター区民ホール)で上映されます。
3:57 - 2018年7月27日

niconicoffee@252coffee
今日の井筒俊彦ドキュメンタリー映画上映会は、
イラン文化指導省大臣顧問とかの挨拶があり、出演者も10人くらいきてて壇上で挨拶し、
上映後には監督本人と出演者代表によるティーチインもあり、
さらに会場外で飲み物とお菓子があって監督や出演者と歓談もできるという、
途方もない豪華上映会でした、、
8:12 - 2018年7月24日

523:考える名無しさん
18/08/03 01:54:57.23 0.net
>>521
東洋人(シャルギー)- wiki
URLリンク(ja.wikipedia.org)
日本のイスラム学者、井筒俊彦氏の生涯を描いた映画、制作終了
URLリンク(parstoday.com)
日本で、井筒俊彦氏関連のドキュメンタリー映画「東洋人」(シャルギー)が公開
URLリンク(parstoday.com)
> この映画の制作にあたっては、12カ国以上の著名な思想家102人とのインタビューが行われています。
映画「シャルギー(東洋人)」の日本公開式典でイランのイスラム文化指導省代表が演説
URLリンク(parstoday.com)

524:考える名無しさん
18/08/07 23:58:36.76 0.net
『シャルギー(東洋人)』は、単なる回顧録ではなく、哲学的にも充実した内容。
井筒の扱った主要な話題(言語学、意味論、宗教哲学、東洋、西洋、
イスラム、キリスト教、ロシア、インド、中国、仏教、神道など)
をバランスよく見渡し、世界的視点から今日的に読み直そうとしている。
シャルギーとは、「東洋の~」という意味らしく、
「東洋人」だけでなく、井筒のいう「東洋哲学」も追う形となっている。

525:考える名無しさん
18/08/07 23:59:15.55 0.net
井筒の評価
・言語テクストに向き合い、多様な宗教性を超えるメタ宗教哲学であったこと
・ムスリムにとっても、コーランを読み直す新しい視点を提供した
・井筒の解説する「東洋」は西洋人にも理解しやすく、西洋的分析哲学と東洋的神秘主義の乖離を越える
一神教でいう「神」を、「(形而上的)絶対者」あるいはその根源に横たわる「無」や「真如」として整理したことは、
イスラム圏の人にも西洋人にもよく理解されているようで、評価が高かった。

526:考える名無しさん
18/08/07 23:59:45.04 0.net
井筒は、政治性を匂わせることがなかったが、
どうもエラノス会議が、戦後にもかかわらず、二次大戦について政治的関心を寄せる雰囲気がない、
そういう性格のものであったらしい。

527:考える名無しさん
18/08/27 10:01:50.52 0.net
イスラム教徒に我慢ならないのは人権上の問題を指摘しても
人種差別と話をすりかえ議論にならないこと
根拠ある批判をおこなっているのに正面から対応する気が全くない
自由な社会においては宗教テキストは全て精査されるのだ
それに耐えられないのなら自分の国に帰るべきなのだ。

528:考える名無しさん
18/08/27 14:30:36.47 0.net
英文著作翻訳コレクションの刊行が止まってますね。
楽しみに待っているのですが。
原著の再版もストップしている様子ですし商業的な理由からなんでしょうかね?

529:考える名無しさん
18/08/27 14:34:21.59 0.net
英文著作翻訳コレクションの刊行が止まってますね。
楽しみに待っているのですが。
原著の再版もストップしている様子ですし商業的な理由からなんでしょうかね?

530:考える名無しさん
18/08/27 19:10:59.03 0.net
ガザ―リ「哲学者の自己矛盾」を読んでるけど、かなりいい感じだよ。
みんな、読んでみてよ。

531:考える名無しさん
18/08/28 10:33:44.70 0.net
 あまり日本で読んでいる人は少ないので、ガザ―リの「哲学者の自己矛盾」という本の内容を紹介する。
 ガザ―リによれば、世界(実存)の始まりより先に創造主(本質)があったはずである。
「世界の中に創造主はいない」という実存主義と考えられる主張が語られる。
ガザ―リはサルトルとは異なる主張を展開する。
 例えば、ガザ―リは「世界を創造する前に、創造主が存在した」という主張をとり、
「世界は始まりもなく、終わりもない。永遠の意志によって世界は存在する」という主張と対立する。
 さらには、イヴン・スィーナーの主張をガザ―リは紹介していて、かなり興味深い神学が語られる。
それは、こういうものである。神は原因であり、世界は結果である。
原因より結果は優れているはずなので、創造主たる神より。結果であるこの世界は優れていて幸せに満ちているはずである。
つまり、神は、この世界より醜く不幸でさげすまれているはずだ。
だから、この世界は我々が神として想像している概念よりももっと美しく幸せで誇り高き高貴な世界であるはずだ。
ガザ―リも「神よ、どうか実体より偉大な存在であってくれ」と力説してしまうが、
神はこの世界の素晴らしさより醜いものであろう。この世界の喜びは、神の優しさの現れであろう。
 キルケゴール「おそれとおののき」を読んだらまた加筆する。

532:考える名無しさん
18/08/28 19:07:17.57 0.net
せんでよい

533:考える名無しさん
18/08/28 19:55:36.97 0.net
連投君は誤読ばかりだから辛いわ

534:考える名無しさん
18/08/29 15:34:12.00 0.net
ガザーリーはオレは興味あるな。新実在論系のハーマンが取り上げてなかったか?

535:考える名無しさん
18/08/29 16:01:43.83 0.net
>>533
確かに、ぼくの解釈で書いているけど、
ガザ―リーについて書かれた哲学史ものはまったく存在しないじゃない。
よく、西洋哲学史が三世紀から十六世紀まで間が空っぽになって書かれているけど、
つまり、そこは本来、イスラム哲学が紹介されるべきなんじゃないの。

536:考える名無しさん
18/09/19 17:12:25.03 0.net
哲学者の自己矛盾(中村廣治郎訳)第八問
『本質(mahiyyah)の否定は本性(haqiqah)の否定である。存在者の本性が否定されれば、存在は思惟されない。』
『本質の否定は本性の否定であり、本性の否定によって残るのは、存在という言葉だけとなり、それが本質と関係づけられないときには、何の実体もないのである』
この訳文だけで理解しようとすると、どうして本質(マーヒーヤ、何であるかということ)の否定が本性の否定であり、それが存在が空虚(思惟されない)となるのかは中々理解できない。
ここで本性と訳されているハキーカとは第一義としては真実、真理、事実、現実であることを意味する。次いで本性、実在、真相、本質ということを意味する。
あるものの本質ということではマーヒーヤとハキーカの意味は重なっている。
とすると、ある本質(マーヒーヤ)が否定される時、それは本性(ハキーカ)が否定されるのと同義であり、ハキーカが否定されるということは、その現実性、実在性も否定されるのと等しい。
現実、実在であることが否定されれば、「存在、存在する」ということは、ただの言葉であり、概念であり、それ以上の意味はないことになる。
このようなマーヒーヤは、『意識と本質』Ⅱで述べられているものとは意味が違うであろう。
『意識と本質』ではマーヒーヤとフウィーヤは対立する。フウィーヤは個別的本質であり、現実的なリアリティを持つ。マーヒーヤは普遍本質であり、イデアのようなものであって、このようなリアリティを持たない。
ガザ―リーの言うマーヒーヤはこのような細分化された体系での意味ではなく、ここでのマーヒーヤはむしろアリストテレスに近いものと思われる(つまりマーヒーヤの語源に近い)。
ガザ―リーにとって、本質(マーヒーヤ)こそが存在の真であって、イブン・スィーナーのいうところの純粋存在(ウジュード・マフド)のようなものは、真なるものではないということになる。

537:考える名無しさん
18/10/08 05:37:26.17 0.net
ガザーリなんてイスラム世界を暗黒時代に追いやった張本人だろ

538:考える名無しさん
18/10/08 13:40:57.66 0.net
>>537
大学者の業績を一面だけで見て切って捨ててはならない。
例えば復古神道の大成者本居宣長は古事記をそのまま史実として読むという原理主義者。
高度に発達した仏教哲学や儒教を「いとこちたき造り事」として排斥する一方で現代に至る国文学の基礎を作った。
ガザーリーも原理主義的側面を持つ一方現代哲学の思弁的実在論にその隅因論が影響を与えたりアルガゼルとして西洋哲学に決定的影響も与えてる。

539:考える名無しさん
18/10/08 14:16:22.65 0.net
ガザーリー一人にそこまで影響力あったらとんでもない超天才ってことになるが

540:考える名無しさん
18/10/08 15:09:21.61 0.net
イスラム教スンニ派では「ムハンマド以来最大のムスリム」とされる超天才がガザーリー。
それだけの大物は一面だけで割り切れない。

541:考える名無しさん
18/11/01 10:14:41.00 0.net
ガザーリによってイスラム世界は信仰が理性に勝利した。
ルネッサンスまで後一歩だったのに
こいつの登場前は信仰より真理がまさるという意見もあったのに

542:考える名無しさん
18/11/01 10:32:59.92 0.net
科学的かつ客観的真理への信仰乙

543:考える名無しさん
18/11/01 16:02:52.00 0.net
モンゴルの侵入によって荒廃したのが原因だが

544:考える名無しさん
18/11/01 17:44:59.81 O.net
イラン人やトルコ人もコーランはアラビア語で読んでいるの?

545:考える名無しさん
18/11/02 01:47:05.83 0.net
> 7世紀頃、ペルシア語に翻訳されたものをはじめとして、
> 現代に至るまでアラビア語を母語としないムスリム向けにクルアーンの翻訳がなされている。
> しかし、アラビア語以外のクルアーンが、クルアーンとして扱われることはなく、
> ムスリムは礼拝においてアラビア語でクルアーンを唱えることが義務である
> (これは日本人の葬式において、般若心経の現代語訳が唱えられないのと似ている。)。
>
> かつてトルコ共和国では政府の脱イスラム化の改革の一環として、
> クルアーンのトルコ語化がはかられるようとしたが、注釈用として以上の用途にはついに広まらなかった。

546:考える名無しさん
18/11/02 01:48:39.19 0.net
この般若心経云々の例には納得

547:考える名無しさん
18/11/02 01:58:11.86 0.net
>>543
むしろ、そこからが本番(>>422-425)

548:考える名無しさん
18/11/02 02:01:06.25 0.net
トルコ共和国で行われたのはアザーンのトルコ語化だけで礼拝そのものはアラビア語だ
アザーン自体は各国語で行うこと許されているがそれでさえ不評だったからアラビア語に戻した

549:考える名無しさん
18/11/02 06:43:53.25 0.net
>>546
般若心経に限らず
日本のお経は一般信者は意味がわからなくてもよいものとして
唱えられているからなあ

550:考える名無しさん
18/11/03 16:27:54.31 0.net
昔、仏教界でも現代語訳でお経を読もうという動きがあったが檀家に不評で止めたらしい。

551:考える名無しさん
18/11/10 00:49:34.02 0.net
意味ではなく音が大事

552:考える名無しさん
18/11/10 13:11:34.98 0.net
日本の仏教ではそういうことが言われるが音が大事なんてことは残念ながら仏典に書かれてないんだよ

553:考える名無しさん
18/11/10 16:00:12.88 0.net
> 井筒俊彦(1914-1993)スレ

554:考える名無しさん
18/11/12 00:53:47.15 0.net
お寺で読経をするような時は「意味は知らなくていい」といわれる。
それぐらいの方が無心になれるから。
哲学で扱う時は、その一字一句を原語のレベルで読む。

555:考える名無しさん
18/11/13 11:55:42.61 0.net
パキスタン人「イスラム教の国での生活は地獄である」
URLリンク(coffeehonyaku.blogspot.com)

556:考える名無しさん
18/11/17 17:28:04.26 0.net
>>542
科学は自然の無矛盾な理解が前提
イスラムは神が前提ということかな
新井白石が神という前提に有効な反論していて面白かった

557:考える名無しさん
18/11/18 14:54:30.58 0.net
アリストテレスの論理学であるオルガノン諸書は一般的にカテゴリアイ、命題論、分析論前後書、トピカ、ソフィスト駁論の6つだが、イスラーム哲学だと更に弁論学と詩学も論理学書だと見なされていた
この8つにポルピュリオスのイサゴーゲーを合わせたのが論理学の基本書

558:考える名無しさん
18/11/23 12:02:47.05 0.net
「多文化社会とは多紛争社会であり紛争の恒常的な状態を言います。」
「イスラム教原理主義者は私たちの生活様式である啓蒙主義の理想とは
何の関係もない。未来は破滅に向かっている。」
イスラム化を警告していたフランスの賞を受賞した歴史家・ジョルジュベンツサン

559:学術
18/11/23 13:56:49.94 0.net
お経ん坊さんの発言は論旨を見ると、遅れていると言わざる負えない。
救済するならそれなりの勉強、活動してほしい。

560:考える名無しさん
18/11/23 14:42:49.88 0.net
ヒンドゥーの一亜流に過ぎない釈迦の観念論が、後世平民に迎合し腐敗し、
支那を過ぎ更に歪曲して伝播された仏教なんか信仰に値しない。
尤も、ヒンドゥーの最終形態ヴェーダーンタ至高の聖典は、
平民なんかに真に理解出来ないから仕様ない。

真の宗教を理解も実践も出来ない平民は、
仏教(≠釈迦の教え)キリスト教(≠キリストの教え)等の似非宗教か新興の偽宗教を信仰するしかないからな。
抑々、何もかもがその程度だ。

釈迦が悟りとやらを開いた時、それを平民に理解させるのは無理だと諦めた。
梵天勧請から布教を始めたらしいが、やはり、平民には理解不可能。
故に、最後に法華経でお茶を濁した。

似非宗教なんか出さなくても、カルマの法則は機能している。
原因のない結果はない。
科学的に云うと、作用反作用の法則みたなものだ。

抑々、共産主義は、原始キリスト教から派生した宗教だ。
そら、仏教もキリスト教も迫害するさ。
似非宗教VS似非宗教の図式。

561:考える名無しさん
18/11/24 06:11:57.42 0.net
>>560
法華経は釈迦が説いたものでなく後世釈迦に仮託して説かれた経典だよ。

562:考える名無しさん
18/11/25 12:43:35.15 0.net
アズハルのようなイスラム教育期間では、クルアーンの最も正しいのはクルアーンを
文字通り読み字義通り解釈することであると教えられています。またイスラム法上の
最も強力な規定というのは、クルアーンとハディースの字義通りの意味から導出される
規定であるとも教えられています。これらはイスラム法の大原則であるとも教えられています
クルアーンの章句に立脚していればそこから導かれる複数の解釈は全て正しい価値を持つ、
というのがイスラム教の教義です(中略) 人間には本当のことはわからず真実は神だけがご存知、
というのがイスラム教の大原則であり、解釈が複数存在する場合に どの解釈を採用するかは
個人の選択に委ねられています。
私のクルアーンの引用が恣意的であると感じる人もいるかも知れません。
しかしクルアーンの特定箇所やハディース、 イスラム法の権威ある学説を論拠として引用し
正当化するのがイスラム法的論証の基本的なやり方なのです。
イスラム教の倫理 飯山陽 一部抜粋

563:考える名無しさん
18/12/03 08:29:39.82 0.net
愛弟子の五十嵐教授が殺されてもイスラムへの愛着は変わらなかった。
つまり「悪魔の詩」を翻訳した五十嵐は殺されて当然と考えたのだろう。
イスラム教とはそれほどまでに人間性を奪うものなのだ。

564:考える名無しさん
18/12/03 14:51:27.40 0.net
普通の知性があれば理解できるだろう。
逆のケースを想定してみよう。日本人で誰か狂信的な右翼が、イランの
大学教授に天皇について否定的なことを書かれたから、殺害してやろう
と思い立つ。で、イランに渡航したところで、イランの大学の研究室
を訪ね、他に誰もいない時間帯を狙って教授を殺害し、日本に逃げ帰る
ことに成功する、なんてシナリオよりも、現地の言葉も文字も分らず、
教授の殺害に成功するどころか、教授の研究室のある大学までたどり
着けない可能性の方が高いんじゃないかなw

565:考える名無しさん
18/12/03 15:49:52.57 0.net
当時はイランとはビザなしで渡航できたから沢山イラン人がいたんだな

566:考える名無しさん
18/12/03 16:13:27.21 0.net
そのなかで筑波みたいな田舎の大学の研究室を探し出して、殺害と逃亡を
綿密に計画できるような日本語能力のあったイラン人がどれだけいたかな?

567:考える名無しさん
18/12/04 12:22:09.87 0.net
>>563
意味不明…

568:学術
18/12/04 14:11:58.23 0.net
大学校教授じゃなあ。司教とかのほうがいいのにね。

569:学術
18/12/04 14:12:41.97 0.net
教授行為も格調高いもんでしょ。レーラーリン。

570:考える名無しさん
18/12/06 14:18:17.93 0.net
言語と呪術を読むとしよう。

571:考える名無しさん
18/12/06 16:10:54.51 0.net
読経で物の怪を調伏していたのだから呪術でしょうw

572:学術4
18/12/06 17:05:32.29 0.net
呪文 呪詛 呪術 のどれかを選んで説明して?三人以上で。

573:考える名無しさん
18/12/06 17:16:17.88 0.net
>>572
どういうこと説明して?

574:考える名無しさん
18/12/07 13:44:04.66 0.net
我々はイスラム教徒に騙されてはならない。非イスラム教徒から澎湃と湧き起こる
反イスラムの動きを抑えようと嘘をついているのだ。欧州では人種差別として扱うべきと
する要求すら出している。平和の宗教と虚言をばらまき宗教が人種問題なんてありえん
確かに聖書にはヘト人やアモリ人を皆殺しにせよという残虐な神からの 命令があります。
しかし我々はヘト人でもアモリ人でもありません。 つまりユダヤ人やキリスト教徒が
殺害する対象には我々は含まれていません。 しかしイスラム教の不信仰者や多神教徒を
見つけしだい殺せという 神からの命令は今でもいきているのです。
フランスの有識者達が残虐な章句を削除するように要求した時に
それに賛同したイスラム法学者がいただろうか?少なくとも私は一人たりとも知らない。
いるなら教えて欲しい。トルコやイラン、エジプトと反対と反発ばかりなのだ。
つまり不信仰者と多神教徒殺害の神からの命令を放棄しないと言っているのだ。
人口1千万以上の人口で日本以下の殺人発生率の国は世界で一ヶ国も存在しない。
我々の社会と子孫を守る為に彼等ムスリムを一人たりとも受け入れてはならない。

575:考える名無しさん
18/12/11 13:49:52.28 0.net
古代日本語は話された言葉とその対象とのあいだに違いがなくコトという同一の語が両者に当てはめられる(言語と呪術)より。

576:考える名無しさん
18/12/11 14:23:16.98 0.net
「言語と呪術」で井筒俊彦はカルナップやチャールズ スティーブンソンみたいな分析哲学を飲用してる。

577:考える名無しさん
18/12/11 16:04:14.98 0.net
いつまで大風呂敷彦読んでるの

578:考える名無しさん
18/12/11 20:38:13.72 0.net
>>574
誰だよ?最近政治的主張する変人が出没してるけど。お前だよ!

579:考える名無しさん
18/12/11 20:44:43.28 0.net
>>577
大して井筒俊彦読んでないクセに!
「意識と本質」要約する位やってから大口叩け。

580:考える名無しさん
18/12/13 10:52:48.34 0.net
語学達人界隈のネタってフカシばっかだよね
フカシ彦

581:考える名無しさん
18/12/17 10:24:47.96 0.net
井筒俊彦って若い頃すごい美形だったんだね
嵐の櫻井君みたい
URLリンク(i.imgur.com)

582:考える名無しさん
18/12/18 09:15:24.67 0.net
何故ユダヤ教徒やキリスト教徒がムハンマドを預言者と認めないのか、
それは預言者は神の選民たるユダヤ人からしか誕生しないとしているから。
考えてみて欲しい、ムハンマド以外の預言者は全て例外なくユダヤ人である。
そのことはキリスト教徒も理解している。ムハンマドが預言者という基本的なところで
虚偽であるとして嫌われる。神の選民でもないアラブ人から生まれるものかよ、と

583:考える名無しさん
18/12/18 13:24:43.71 0.net
預言者はユダヤ人のみと言ってるのはユダヤ人だけ、という可能性もありますね

584:考える名無しさん
18/12/18 13:48:42.55 0.net
預言者が山師って可能性が一番高い

585:考える名無しさん
18/12/21 11:25:23.14 0.net
>>582
聖書の預言者はユダヤ人だけじゃないよ。

586:考える名無しさん
18/12/21 11:27:55.19 0.net
言語と呪術はラッセルや心の哲学で活躍するデネットの師ライルも引用してる。

587:考える名無しさん
18/12/22 11:36:48.40 0.net
時宜にかなった本の邦訳が出版されました。
イギリスのジャーナリスト、ダグラス・マレー氏が著した『西洋の自死』
(町田敦夫訳、東洋経済新報社)です。 欧州諸国は戦後、移民を大量に受け入れてきました。
著者のマレー氏は、その結果、欧州各国の「国のかたち」が大きく変わり、
「私たちの知る欧州という文明が自死の過程にある」と警鐘を鳴らします。
昨年出版された本書は、まず英国内でベストセラーになり、
その後、欧州諸国を中心に23か国語に翻訳され、大きな話題となっています
URLリンク(www.sankei.com)
イスラム移民がいかに社会を破壊するか理解できる正義の本が発売!

588:学術
18/12/22 11:46:03.84 0.net
戦ってみて認めてるんじゃないの?

589:考える名無しさん
18/12/23 08:20:31.30 0.net
アラブとムスリムは世界に荒れ狂うテロの直積責任を認めよ
―イラク紙編集長の主張― 著者アドナン・フセイン
小学校、中学校、高等学校そして後になると大学でも、宗教と歴史の教科で我々は選民であり、
至高且つ栄光の民であるとか、我々の宗教が真の宗教であり、(地獄の業火から)救われる
正しい民は我々であるとか、ほかの民は偽りの民で地獄に落ち業火に焼かれる不信心の民であり、
その民の殺害は許され、その民の財産と妻を我々がとっても構わないなどと教えている
我々の子供達と孫達は、他者の宗教や民族或いは国籍などに関係なく、すべての他者を敵視して、
世界聖戦をやっているのである。この環境が過激イスラム集団を生みだした。この集団は、
貧困と失業という土壌で発芽し、汎アラブ主義の名においてそして又時には宗教と宗派の名に
おいて犯される拝斥、人権強奪、個人及び集団の自由の侵害そして信義の侵害によって育っていく
我々はテロに対する我々の責任からのがれることはできない。言い訳も役に立たない。
まず我々は責任を認め、我々自身と他者に謝罪し、今から我々の生き方を改めていかなければならない。
そのためには、教育のカリキュラムを再検討し、初等教育から大学レベルまでそれを根本から
かえなければならない。それをやらないと何も前に進まない
URLリンク(memri.jp)

590:学術
18/12/23 09:03:16.72 0.net
過激派は一部だが激高することがあってもいいよ。

591:考える名無しさん
18/12/24 00:30:22.91 0.net
@岩波文庫2月。
小池昌代編『吉野弘詩集』
宇野千代『色ざんげ』
川合康三,富永一登,釜谷武志,和田英信,浅見洋二,緑川英樹訳注『文選 詩篇 五』
井筒俊彦『神秘哲学―ギリシアの部』
岡義武編『明治政治史 上』

592:考える名無しさん
18/12/24 09:39:08.90 0.net
一夫多妻制は市民権であると述べたイスラム教徒の指導者、
イタリア政府で「民主的代表」を要求
URLリンク(www.ilgiornale.it)
イタリアイスラム共同体連合(UCOII)の創設者は、イタリア人は「一夫多妻制の
人口学的効果を過小評価するべきではない」と主張して知られています
彼は今、そのイタリア政府に、イスラム教を政治体制に持ち込むよう求めています。
「政府がイタリアのイスラム教に秩序をもたらすことができる協議を組織させよう、
我々はこの無秩序にうんざりしています」

593:考える名無しさん
18/12/26 09:12:38.55 0.net
日本での「本来のイスラーム教はこうだ」という議論には、イスラーム教も日本的な
「こころ教」と「本来は」同様であると議論するものが多く、欧米でもスピリチュアリズムや
政教分離思想を普遍的と考える論者が、イスラーム教でも宗教は人間の内面に限定されるのが
本来のあり方であるという誤った説明をしているといった事情がある。
アラブ世界でも、イスラーム世界一般でも圧倒的多数は、人間の外部に神が絶対的な規範を定め、
それを人間は護持していく義務があるのだ、と信じている。日本の宗教に大きく欠けているのは
(それがいいか悪いかは別に)、律法主義的な側面だ。「あなたがどう考えるかどうかとは別に、
あなたのこころとか世俗社会の論理などの外に、絶対的な規範を示す存在がいて、
規範を示しています」ということ信じ、実践する(それぞれのあり方で)のが律法主義と言えるが、
日本ではこれを理解できない人が多い。私はどのタイプの宗教が正しくて、他は正しくない、
という立場ではない。しかし日本の外には律法主義を根幹とし、「本来」のあり方とする宗教があり、
人数から言っても、国際世論の中での支配的な地位から言っても、そちらが圧倒的に優位である。
キリスト教を固く信じているからイスラーム教を認められない、というような人はまだ、
自分がどのような規範体系を信じていて、それに対してイスラーム教の規範体系のどの部分が
認められない、ということを議論するきっかけがある。しかし「こころ教」の場合は、
世界の大多数の人が信じている律法主義的な宗教を丸ごと「宗教じゃないでしょ」と言って頭から退け、
自足してしまうのだ。当初から、イスラーム教(あるいは宗教一般)にある律法主義的な側面と
霊性主義的な側面の判別能力の有無が、日本での無理解や抵抗感の根幹にあると私は考えており、
折に触れ指摘してきたが、状況はまるで変わっていない。宗教者や宗教学者ですら気づかないのだから、
一般人は気づきようがない。----------------------------------池内恵

594:考える名無しさん
18/12/26 10:27:58.91 0.net
「薔薇の名前」でも読んだらいいんじゃね?

595:考える名無しさん
19/01/01 03:48:49.05 0.net
アルジェリアの活動家は「哲学と闘う」ことを望んでいる
政治活動家Houria Bouteldjaは、イスラム人権委員会の会議でスピーチで次のように
述べています、哲学主義と戦う "「我々は国家人種主義の同じ面である過激なイスラム恐怖症と
哲学を批判しなければならない。ハマスとヒズボラは抵抗する抵抗運動です。
私はこれら二つの運動が抵抗運動であることを大声ではっきりと述べます。」
URLリンク(www.i24news.tv)

596:考える名無しさん
19/01/01 04:02:48.73 0.net
サウジアラビアに導入される哲学 18年12.31
サウジアラビアの教育者たちは、王国の学校で哲学の研究を紹介する準備を始めました。
何人かの観察者はサウジアラビアの教室に哲学を含めることを賞賛し、彼らはデジタル教育と
STEM科目(科学、技術、工学と数学)に重点を置いているビン・サルマンの教育改革に賛辞を
示しています。しかし、他の人たちは、まさに「哲学」や「批判的思考」が何を伴うのかについて
懐疑的です。クウェートの教育者、Dhari Salmanは「哲学を自由思考プロセスではなく
悪魔の道具と見なすことは保守的な長老たちの間では一般的でした。」問題は、「神学は
サウジ国民が生まれる瞬間からの日常生活における最大の関心事である」ということです。
1960年代に始まって、シェイク・アブデル - アジズ・ビン・バズと他の高い尊敬された
サウジアラビアの宗教学者たちは学校で哲学の教えを禁止するいくつかの「ファトワ」(イスラムの判決)
を出しました。彼らは、この主題を「異端者」および「悪」と見なしました - 社会の柱に対する脅威です。
URLリンク(www.ynetnews.com)

597:考える名無しさん
19/01/01 13:19:13.33 0.net
>>595
政治的主張はよそでやってくれ。

598:考える名無しさん
19/01/01 15:21:07.39 0.net
>>596
宗教学者が危機感を抱くほど哲学が浸透してるのは喜ばしいことではないか。
何か問題でも?

599:考える名無しさん
19/01/02 08:25:52.30 0.net
>>598
ムハンマド皇太子が改革でこれから哲学を導入するという話なんだが?
サウジは60年代から哲学を教えていない。

600:学術
19/01/02 09:01:02.93 0.net
一夫多妻というと妻が並べられるから品が悪いね。女が多いのは良いけど。

601:考える名無しさん
19/01/02 12:05:39.91 0.net
>>599
いくら極端な保守的ワッハーブ主義者が外来思想の受容を拒んでもグローバル化にさらされて受容せざるを得なくなるよ。
イスラムには豊穣な哲学的遺産があるからそれが再発見されると良いね。

602:考える名無しさん
19/01/03 14:44:42.29 0.net
哲学は全てを検証するだろう。それは神や信仰も例外としない。
批判精神にイスラムが耐えられるとは考えられない。
ザカーリーを持ち出して哲学者は再び非難されるだろうな。
過去におきたことと同様のことがおきるだろうな。

603:考える名無しさん
19/01/03 18:04:27.91 0.net
>>602
ザカーリーって誰?
聞いたことないが?
ガザーリーなら活躍して何年たったと思ってる!
古いよ。
最もガザーリーの偶因論はグレアム ハーマンの最新の哲学に取り入れられてるけどね。

604:考える名無しさん
19/01/04 19:52:04.88 0.net
偶像禁止という偶像を破壊できるか

605:考える名無しさん
19/01/05 07:46:34.29 0.net
>>603
間違えただけだろう。12世紀にイスラム社会が哲学を拒否しただけじゃない。
サウジアラビアは1960年代に哲学を教育から排除しているだろう。
2度目の拒否じゃないのか?あの社会に神を自由に批判的精神で検証することなどできるのか

606:考える名無しさん
19/01/05 16:43:01.93 0.net
中東の北朝鮮という異名を持つサウジアラビアはイスラム機構57国でもかなり特殊だろ!
石油で儲けたからそういう閉鎖的政策も出来たが8割の確率で今後は変わらざるを得ない。

607:考える名無しさん
19/02/02 15:27:58.75 0.net
イスラム文学の代表作、イスマイール一世の「英雄詩」をアゼルバイジャン語から訳してくれ。
サファヴィー朝の建国者であり、「神」「預言者」と呼ばれるのを辞退したらしい。

608:考える名無しさん
19/02/02 15:41:20.28 0.net
キリスト教に関する著述をもっと読んでみたかった

609:学術
19/02/02 18:55:45.30 0.net
ソクラテスは弁証法デカルトは批判とすると批判まで零落した哲学にイスラム教相手取って何ができるというんだい?

610:考える名無しさん
19/02/02 20:30:35.98 0.net
>>608
「読むと書く」「神秘哲学」「ロシア的人間」でキリスト教に触れてる部分はあるよ。

611:考える名無しさん
19/02/04 11:57:46.98 0.net
イスラムもの。読んで感想くれ。
井戸の所有
スレリンク(bookall板:145番)

612:考える名無しさん
19/02/04 17:58:55.49 0.net
存在と本質の関係を、非限定と限定、あるいは無限と有限の関係に置き換えてみる。

613:考える名無しさん
19/02/04 18:24:02.51 0.net
ガザーリーの「哲学者の意図」を読んでる。
340ページのところを146ページまで来た。
あまりたいした内容はない。

614:考える名無しさん
19/02/05 13:23:29.21 0.net
ブリハッドの神学的応用
スレリンク(bookall板:164番)

615:考える名無しさん
19/02/05 13:31:16.73 0.net
ここ、すごいな。インド哲学の「ブリハッド・ウパニシャッド」と似たことをいってる。
これを読むかぎりでは、「霊魂」は「無意識」のことをそう呼んでいたようだ。
ガザーリー「哲学者の意図」200ページ
そのもの自体にある性質を与えるような他の助けを必要とせず、
可能的なものをすべて所有し、
それを備えているようなもの。
これは完全(存在者)と呼ばれる。

616:考える名無しさん
19/02/05 13:50:31.00 0.net
アーリア人、アラブ人、ペルシャ人の思想的起源はゾロアスター教にあるのだから
同様の世界観が見られるのは当然だろ
ヤハウェとアッラーは似ている!と言って喜んでるようなもんだ

617:考える名無しさん
19/02/05 16:25:59.35 0.net
>>616
いや、読む前は誤解していたことでいっぱいだよ。

618:学術
19/02/05 18:15:15.82 0.net
ネーチャン オプ イスリム

619:考える名無しさん
19/02/07 10:41:03.81 0.net
>>616
ガザーリーの思考の根底にはプロティノスの新プラトン主義があるのだろう。
新プラトン主義とインド哲学は中村元以来共通性が指摘されてる。
ウィリアムジェームズが神秘主義はその宗教や地域を問わず似たものになると指摘してる。
神秘体験自体に共通性があるのだろう。

620:考える名無しさん
19/03/12 11:42:00.11 0.net
岩波文庫版の「神秘哲学」読んでるが改めて読むとこんなに面白かったのかと感動してる。

621:考える名無しさん
19/03/19 08:44:49.59 0.net
この人、ウリである共通性をたぐったジャンプが
かなり粗いよね
グダグダ書いているわりに
つなぎ目を見るといい加減
東洋とかそういう言葉に寄りかかりすぎも酷い

622:考える名無しさん
19/03/19 09:48:56.09 0.net
井筒俊彦の文庫化されたやつ、「神秘哲学」と「意味の深みへ」はどんな感じ?
興味あるんだけど。

623:考える名無しさん
19/03/19 13:46:08.37 0.net
>>621
具体的にどの著作のどの部分が粗くつなぎ目がいい加減?

624:考える名無しさん
19/03/19 13:53:51.21 0.net
「意識と本質」でいろんなタイプの思弁的な人間が
出てくるだろ
こいつのこの言葉は俺のいうこれだって論法が
いい加減

625:考える名無しさん
19/03/19 19:44:06.48 0.net
>>624
例えば?
意識と本質は思い切り単純化すると本質否定論と本質肯定論の3つのタイプが出るがどの辺が原典と照らしていい加減?

626:考える名無しさん
19/03/19 21:10:35.21 0.net
>>624
『意識と本質』より緻密で内容の濃い本とは、例えばどういうものがある?
挙げてみて?西洋のものでもいいよ。

627:考える名無しさん
19/03/19 21:18:04.76 0.net
緻密というよりもしっかりと整理されて
接続しているということが重要
グチャグチャで唐突な発想の連続じゃないということだな
たとえばコリンウィルソンの「アウトサイダー」は
きちんと整理されているし、フランス人の
「道徳を基礎づける」は明快な論旨だ
俳句だの老師だのを勝手に自分の言葉で
本質wを掴んだように性急におかしな図式に当てはめない

628:考える名無しさん
19/03/19 21:26:12.11 0.net
これは廣松もそうだな意味不明
中井正一の一部もそう
たとえば和辻はそういうものがほとんどない
大拙もな
言いたいことそのものはすぐに分かる
まあ井筒のは文体でいえば自分でも整理できていない
悪しき曲線状とも言える
どうしても入れたいから入れたんでしょっていう奴な
無論解題的な書き物は別な
以上のような意味不明さは現代日本の著作だと
まず見られない
たとえば「仏教のゼロポイント」とか
見通しがきちんと立つよ

629:考える名無しさん
19/03/19 21:39:41.90 0.net
>>627-628
その程度の本を読んでいるレベルの人に『意識と本質』は難しいかもね。

630:考える名無しさん
19/03/19 21:46:35.43 0.net
デリダは井筒俊彦を巨匠と呼び敬意を表したがデリダ的にはどこが凄いと感じたのだろう?
井筒俊彦は西洋哲学の解説に終始する書生哲学がもてはやされる日本では毀誉褒貶があるがヨーロッパやイスラム圏では日本より高く評価されるのは何故だろう?
彼の語学力を除いても評価が高い。

631:考える名無しさん
19/03/19 22:08:40.91 0.net
>>629
個々の思想/芸術への見方は別個の批評としては
読み物になり得るんだよな
ああそう感じたんですね貴方は、で済む
だがそれをあの文体で大きな構築物の部品にすると
途端におかしくなる
唐突に観念が登場してロクに整備しないで進むんだから
東洋的、が念仏みたいに響くな

632:考える名無しさん
19/03/19 22:09:46.40 0.net
まあ整理されていないのが大きいな
小林秀雄よりもさらに一段分酷い

633:考える名無しさん
19/03/19 22:12:02.08 0.net
>>631
馬鹿の耳に念仏

634:考える名無しさん
19/03/19 22:18:48.67 0.net
信者しかいないというのもヤバさの特徴だな
傷ひとつさえ指摘できないで
その程度の本を、とか言っちゃう
他人と論争になるような分野じゃないのに
かなり等閑視されてきたのは実際
理由があったんだと思うね
現実にネット上にロクなサマリーもないしね
テーマの大きさと語学神話みたいな
ハッタリでナイーブな読者を獲得しているのかもしれない

635:考える名無しさん
19/03/19 22:33:34.90 0.net
そういやこのスレ読み返してて出てきたが
九鬼も和辻型で個々の細かい穴があっても
きちんと見通しのいい論旨で唐突さはない
軽みやレトリックから生まれた俳諧表現を
謎の俺言葉でなんの前提もなく解釈したりはしない
そう考えると美学上のひとつの重大な姿勢に
ぶち当たる
それは偉大な芸術だと感じられる作品は
極めて思弁的な精神文化の分析においても偉大で
高度に整合的であるという憶測だ
これを井筒にも強く感じるな
現代アートの有名作品には必ず深い哲学が
潜んでいるという誤った発想と同じ

636:考える名無しさん
19/03/20 00:13:11.80 0.net
>>634
もうちょいマシな本出せよって気持ちは理解できる。権威主義的に上から目線もあるだろうが。

637:考える名無しさん
19/03/20 00:16:18.13 0.net
>>635
井筒俊彦が取り上げた俳句の赤冊子は原典読んだけどやはり深いと思ったけどね。

638:考える名無しさん
19/03/20 08:22:32.79 0.net
芭蕉周辺の俳論は日本の芸術思想上もっとも
目を惹く成果かもしれない
非常に洗練されて独自性がある
風姿花伝なんかとは違う
問題となるのは今流行りの俳句添削みたいな
特定の創作の営みから切り離して、
唐突に別の観念の地図に当てはめること
読み手は論旨の重要な接合部を、信者パワーを
その都度発揮してモヤモヤと乗り切るしかない
なんか深淵そうだなあって

639:考える名無しさん
19/03/20 13:39:12.94 0.net
>>638
接合部とか抽象的で分かりにくいな。
もっとも君がよくわかってないんだろうが!

640:考える名無しさん
19/03/20 15:41:43.97 0.net
>>639
昔のことで手元にないからすまんな

641:考える名無しさん
19/03/21 22:41:56.69 0.net
怖い怖いwww

642:考える名無しさん
19/04/01 17:58:37.97 0.net
井筒の本が次々と岩波文庫で出てるけど、どんな感じのことが書いてあるの?

643:考える名無しさん
19/04/01 18:39:14.61 0.net
井筒俊彦の「意味の深みへ」、アマゾンランキング1600位とかなり売れてるじゃん。
「コスモスとアンチコスモス」も四月に岩波文庫で出るらしいね。

644:考える名無しさん
19/04/02 02:03:24.46 0.net
「日本の友への手紙」 『プシュケー:他なるものの発明II』 (2019/03/27)
ジャック・デリダ
URLリンク(www.iwanami.co.jp)
“親愛なる井筒教授。
 私たちが会ったとき、私はあなたに「脱構築」という語について―図式的で予備的なものではありますが―いくつかの省察をお約束しました。
 問題になっていたのは、要するに、この語を日本語に訳すときに可能な翻訳への予備考察(プロレゴメナ)でした。(略)
 なかんずく私が望んでいたのは、ハイデガーのDestruktion[破壊]もしくはAbbau[解体]という語を私の意図へ翻訳し翻案することでした。(略)
 けれどもフランス語では「破壊[destruction]」という語は、ハイデガー的な解釈もしくは私が提案していたタイプの読みよりも、
 おそらくはむしろニーチェ的な「粉砕」に近い無化、否定的還元という含意があまりに際立っていました。
 そこで私はこの「破壊」という語をしりぞけたのです。(続く)”
※デリダの最重要概念である"脱構築"の説明を収録した『プシュケー』は、これまで邦訳されていなかった

645:考える名無しさん
19/04/02 02:03:54.67 0.net
“井筒が生涯をかけて探求したのは、万物を超越する一神教ではなく、万物に内在する一神教である。
 ユダヤ教、キリスト教の伝統に連なるとともにその伝統を刷新し、純粋化していったイスラームのさらなる東方的な展開である。(略)
 アラビア半島に生まれた森羅万象すべてに超越する神、スンナ派の神ではなく、
 イラン高原で生まれた森羅万象すべてに内在する神、シーア派の神であった。
 イラン高原では、神は「存在」と言い換えられていた。
 「存在」の根源にして、根源の「存在」である「神」、そこから森羅万象あらゆるものが産出される「神」。
 その「神」は一なる神―一神教すべての根幹となる唯一無二の神―を可能にする「無」の神、
 より正確には、「無」にして無限の神であった。”
― 安藤礼二 「「東方哲学」素描:鈴木大拙、折口信夫、井筒俊彦の仏教」 『現代思想 2018年10月臨時増刊号 仏教を考える』

646:オーバーテクナナシー
19/04/03 03:53:01.15 0.net
☆イスラムは科学を滅ぼす?・未来予測
スレリンク(future板)

647:考える名無しさん
19/04/06 20:41:39.70 0.net
若松英輔に井筒俊彦が山崎弁栄に会っていたら井筒俊彦はイスラムに行かなかっただろうと言わせた浄土宗の高僧山崎弁栄は「超在一神教的汎在神教」をとなえた。
超越的一神に相当する彼の法身の阿弥陀如来と本覚思想の一切衆生悉有仏性の統合と現代的表現だろうけど。

648:考える名無しさん
19/04/07 02:07:51.30 0.net
若松英輔の妄想世界ビジネス炸裂

649:考える名無しさん
19/04/07 10:47:38.56 0.net
>>648
若松英輔の場合山崎弁栄の作った光明会上首で東大教授だった河波昌の影響が強い。

650:考える名無しさん
19/04/10 00:08:44.05 0.net
山崎弁栄いいね。
「超越即内在」。“内なる仏であり、なおかつ外なる仏である”。
一神教と汎神教との相克を超えた「超在一神的汎神教」という立場は、
宇宙を直感するシュライエルマッハーの宗教学を背景としている。
フッサールと同じ1859年生まれで、
インド各地の仏蹟各地を巡拝した最初の日本人。

651:考える名無しさん
19/04/19 17:51:07.46 0.net
井筒俊彦の「神秘哲学」、一行目がすごいというから読んでみたが、確かにすごいなあ。
640ページもあるから、後まわしにするかもしれないけど、
絶対に読むぜえ。

652:考える名無しさん
19/04/19 17:59:42.68 0.net
井筒俊彦「神秘哲学」は、一行目からこんなんだぜ。超面白そう。
山深きアジアの蛮神ディオニソスの狂乱が、
あたかも何者の権能を以てしても阻止しがたき悪疫の伝播するごとく、
村から村へ、都市から都市へ飛び火して、すなわちのうちに全ヘラスの美しき天地を
血腥き霊気に充たして行ったのは、人も知る如く西暦紀元前六世紀のことであった。

653:考える名無しさん
19/05/09 16:20:12.76 0.net
井筒俊彦「神秘哲学」を読み始めたぜ。
井筒俊彦の短い記事が後半にまとまっているみたいで、楽しみだ。

654:考える名無しさん
19/05/10 15:46:07.51 0.net
井筒俊彦「神秘哲学」96ページ
すごいいいわあ。
井筒俊彦がいうには、哲学者は生きて帰って来るものだと。
生きて帰ってこなければならないと。
井筒俊彦は、宇宙の究極的救済を目標とするのが神秘主義であり、
哲学者はその目標に気づくまで探索して、その後、さらに生きて帰って来なければならないという。

655:考える名無しさん
19/05/10 16:19:13.51 0.net
>>566
国家レベルで派遣したなら可能だろ

656:考える名無しさん
19/05/10 16:24:24.26 0.net
>>582
イスラエルを呪うよう要請された預言者バラム
ヨブ記のヨブはウツのアラム人かエドム人

657:考える名無しさん
19/05/10 17:32:38.15 0.net
>>615
哲学者の意図はガザーリー説じゃなくてイブン・スィーナー説な
イブン・スィーナーが仕えたアラッダウラへの知識の書をアラビア語に抄訳翻訳したもの

658:考える名無しさん
19/05/12 12:29:34.87 0.net
  19、神秘主義に寄せて
 中江兆民の著作に「三酔人経論問答」という本がある。明治の哲学書で広く読まれたものである。
 それは、古代中世の征服者を良しとする豪傑君と、啓蒙の思想家である紳士君の意見の対立を扱った哲学書である。
 紳士君がいくらギリシャ哲学を根拠に理想主義を唱えても、そんなものは、豪傑君の暴力主義に殴り倒されてしまうと書かれている。
 紳士君と豪傑君の思想には、それぞれ、現実を反映したものがあり、
両者の良いところを抽出する現実主義によって政治は動くとして終わる。
 これは、百年前の明治の思想であり、現代だとさらにちがうと思われる。
 しかし、紳士君の理想主義とはどんなものなのか。それは、
井筒俊彦の「神秘哲学」という書にある記述が最も典型であると思われる。
理想主義者の井筒俊彦は1949年の書で何をいったか、それは以下のようなことである。
 哲学者は、生きて帰って来なければならない。
 井筒俊彦によると、神秘主義とは、宇宙の究極的救済を目的とするものである。
哲学者は、哲学の散策の中でそれを発見して、さらに、生きて帰って来なければならない。
 哲学の神秘主義とは、それが宇宙の究極的救済を目指すことを発見することである。
 井筒俊彦はいう。「人が神に成り、神であること」が神秘主義であるが、神に成るとは、力強い力を得ることではなく、
人間の身に許された限り、宇宙を救済することである。
世界を救済する理想によって神に似ることが、神秘主義哲学である。
 これが、暴力主義に対しての、理想主義である。

659:考える名無しさん
19/05/12 12:29:57.55 0.net
 暴力主義で最強を目指すという哲学者もいるかもしれない。
 机上の空論と呼ばれても、理想主義を追求する哲学者もいるかもしれない。
 しかし、ぼくは、哲学者すべてが宇宙的救済を目的とすることには、不安を感じる。
哲学の目的は、もっと多様であるべきだ。そして、志だけを高く掲げるのではなく、
目的の実現のために策を練らなければならない。
 ぼくは、暴力主義でも、理想主義でもない、第三の道、現実主義を訴えたい。
 科学によって、事実の確認をくり返して積み重ねる現実主義こそ、現代における哲学だと思う。
 哲学を読んで感動したというだけではダメなのだ。あくまでも、物質的な実利を得るために作戦を練らねばならない。
 明治の哲学者である大西祝はいった。「天地の間のすべてを物質的に解釈すべきである」と。
 理想主義も良い。だが、物質的な探究の積み重ねが、暴力主義の豪傑君にも、理想主義の紳士君にも、おそらくは勝つであろう。

660:考える名無しさん
19/05/12 18:59:51.06 0.net
>>659
なんかズレてるな!

661:考える名無しさん
19/05/12 19:10:08.12 0.net
>>659
中江兆民の時代は日本が欧米に植民地化される危機が生々しく実感としてあった帝国主義全盛期。
だから兆民の答えは時宜を得たものだった。
世界の文明で最も現実主義的だったのは中国。
その功利主義的で現実主義的な態度は現代にも受け継がれる。
西洋に中国が負けたのは西洋には1+1=2に何故なるのかという問いに一生を棒にふった人間がいたのに現実主義的な中国にはそれがいなかった為。
井筒俊彦の仕事は敢えて例えるならその1+1=2に何故なるのかという仕事で別に百年や二百年現実応用出来なくても良い類いの仕事に相当する。

662:考える名無しさん
19/05/21 17:27:02.32 0.net
「みんな、救ってみせる。誰一人、見捨てやしないさ」
というのは、ストルガツキー兄弟の1972年出版の「ストーカー」のセリフだが、
同じようなことを、1949年の井筒俊彦が「神秘哲学」で述べているなあと思った。

663:考える名無しさん
19/07/01 18:25:11.96 0.net
引用しかない糞雑魚

664:考える名無しさん
19/07/02 00:00:43.99 0.net
>>652
序文を読むとこれが単なる文学的修飾でなく、バリバリ体験派の人の実際的感覚だということがわかる。
それも、神秘体験の内でも禅とか密教とかのソフィスティケートされたものだけでなく、
シャーマンのトランスや火山性ガスの吸引によるアポロンの神託など原始的で荒々しい神秘体験も哲学に必須の基盤として高く評価している。
現代ならジョン・リリーやスタニスラフ・グロフ らのLSDなど薬物によるサイケデリック神秘体験研究も高く評価したかもしれない。

665:考える名無しさん
19/07/02 20:25:01.88 0.net
「東洋哲学の構造」読んでる。
これはある意味「意識と本質」の入門書かも知れない。
重なる部分が非常に多い。

666:し
19/07/02 21:23:32.83 0.net
スーフィズムとマーフィーズム

667:考える名無しさん
19/07/16 20:30:32.57 0.net
こいつがすごいんじゃなくて、イスラムの哲学者や詩人がすごいだけでは?

668:阿吽
19/07/27 13:10:53.98 0.net
『意識と本質』を読んでいるが、著者はイスラムは勿論、プラトン、釈迦からシャンカラ、竜樹を経由して
サルトル、メルロポンティまで論じられる鋭い知性に裏打ちされた該博な教養の持主ですね。
ある意味では非常に「日本的な」知性と言える。なのに、余り日本では評価が高くない気もしますね。
一般的には岩波文庫の『コーラン』の訳者程度の認識だが、東洋古典と西洋古典哲学のどちらにも親しみを持ち得る、日本の読書人層には究極の「まとめサイト」みたいな本だよな。

669:考える名無しさん
19/08/13 01:16:38.24 0.net
ようは唯識最強!って感じだけど
理理無礙だけはよくわからん

670:107
19/08/13 20:33:21.83 0.net
こいつは正剛のパワーアップ版だろ
何でもかんでも結びつけているだけ

671:考える名無しさん
19/08/14 22:19:21.16 0.net
>>670
具体的に整合性の取れない何でもかんでも結びつけて矛盾が生じてる部分はどこ?

672:107
19/08/15 08:12:16.69 0.net
矛盾というか浅い
甘い
哲学的にどうでもいいからデリダとか持ち上げられる
馬鹿にしているから
井筒の評価の高さはそれが全て

673:考える名無しさん
19/08/15 12:43:05.20 0.net
>>672
じゃあ誰の哲学が深い?

674:考える名無しさん
19/08/16 00:24:56.56 0.net
中沢新一「創造の出発点―井筒俊彦『神秘哲学』」
中沢は、井筒のやってきたことが西欧哲学の脱構築にあたるとしながら、
その井筒哲学を更に脱構築しようとするのが中沢という構図。

675:考える名無しさん
19/08/16 00:26:11.39 0.net
>>121
> ・アフリカ(的段階)
『言語と呪術』がこれに該当するか。

676:考える名無しさん
19/08/16 19:54:11.30 0.net
>>667
そう
その人たちが超凄いから紹介した人も凄いといわれる段階にいられる

677:考える名無しさん
19/08/16 20:06:12.63 0.net
>>671
イブン・アラビーの
アハド-アハディーヤ-ワーヒディーヤ
を老荘の
無極-太極
に安易に当てはめてるように思えるな
無極と太極の関係についても儒教内で色々あるのに全く違う文化圏のイブン・アラビーを持ち出して当てはめるのは無理がある

678:考える名無しさん
19/08/19 20:24:54.92 0.net
周敦頤の「無極而太極」については陸象山の解釈と朱子の解釈しか知らないが他に色々あるのか?
中国哲学の主流になった朱子の解釈に井筒俊彦はよっているはず。
ノーベル物理学賞受賞者の量子力学者ハイゼンベルグが自分の思想と同じだと感動してハイゼンベルグ家の家紋に採用した太極図も多分朱子解釈のものじゃなかった?

679:学術
19/08/19 20:27:15.35 0.net
家具なんか健常型じゃないの欲しいよなあ。インテリアも。

680:学術
19/08/19 20:27:57.28 0.net
無敗オーラの床。家の庭園大事さ。

681:学術
19/08/19 20:28:41.36 0.net
過程が長いから中退はしなかったがな。奇形児で。

682:学術
19/08/19 20:29:17.72 0.net
無でも無の文字に何かたまってない?表彰から立体文字。

683:狂神学術
19/08/19 20:30:30.14 0.net
無でも無の文字に何かたまってない?表象から立体文字。無も酷使したり現実逃避の方便にはよくない。

684:学術
19/08/19 20:31:15.68 0.net
サッカートータルフットボールなんて昔すぎ。

685:考える名無しさん
19/09/17 10:57:22.83 0.net
おはよう

686:考える名無しさん
19/09/25 14:30:26.10 0.net
ハーマンと井筒俊彦は共通したものがあったと記憶してるがマルクス ガブリエルとは共通するものがあるのだろうか?

687:考える名無しさん
19/09/25 17:53:16.52 0.net
サッカーのゲームの作り方と建築設計は似ていると思うよ

688:考える名無しさん
19/09/26 21:52:32.65 0.net
 
          .| ,. '"::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ、
 失 や 精   |´::::::::::::<::::::╋::::::>:::::::::::::::::ヽ.
 せ る 神  |::::::::_,.-─‐-ァ-─-::、::::::::::::::::ヽ
 ろ か 安  |,. '"    /      `ヽ、::::::::::〉
    ら 定  | / /  i ハ ヽ 、   ヽ::/
.      剤  ノ/  /.ゝ!、ハ i  ! ,!ィ! ハ  !ハ
ヽ       i ハ   ハ'T7ヽ!ヽ! レ7'"7T'! /   i
 `''ー---‐'^ヽ!/ ヽハ .!'ト___リ     ト__,.リ レ'  /
     ほ  〈ヽ、  ! "        "/! rイ
   学 れ  ヽ. ヽ.ヽ、   r─ 、  ,.イノ ノ
   術       〉ヽ、ヽ.>.、.,,___-' ,.イハイ
          ヽ/ ´ ̄`ヽーr‐'"i´ ̄:::ヽ、
        __ rイ、__、___   iヽ--‐ヘ::::::ヽ:::ヽ.
      と__ ̄`ヽ、ニ、 ヽr」/ . 十::::`ヽ.::::::::::::>、
      ,. '", θ:..`ヽ、!,イ .   十::::::::::!、_r:、_rン
     /./7 ,.  .  !ン `   - ''^:::::::-イ、   ヽ.
     `´ / /7 ハ !ヘ       十::::::::iィ´   ノ
 

689:考える名無しさん
19/09/28 00:48:01.09 0.net
井筒についても触れられている
マルクス・ガブリエル『グローバル哲学?』
URLリンク(www.toyo.ac.jp)
西洋哲学、東洋哲学、英語圏の分析哲学、グローバル哲学

690:考える名無しさん
19/09/28 00:49:52.99 0.net
>>686
それぞれに「場」を扱っているとか。
ガブリエルは「意味の場の存在論」、
井筒は「禅的意識のフィールド構造」。
井筒のは、「無心」の境地に立った人が開示する禅的意識の記号過程。
意識と存在リアリティのフィールド構造。
読むことができるのは以下。
・「禅的意識のフィールド構造」『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
・『禅仏教の哲学に向けて』 (2014)

691:考える名無しさん
19/09/28 00:51:55.10 0.net
“フェルディナン・ド・ソシュールによって定義された
 話ないしパロールの基本的構造は、この次元ではもはや観察不可能である。
 というのも、ここでは、話者と聴者との間の区別がないからだ。
 実際に見られるものは、どこからともなく流れ出て閃光のごとく宙に光り、
 そして直ちに、永遠の闇に消え失せるような言葉の光景である。”
― 井筒俊彦 『禅仏教の哲学に向けて』 (2014) 3章

692:考える名無しさん
19/09/28 00:54:12.74 0.net
『Towards a Philosophy of Zen Buddhism』(1977)
は英語でも美文だった。
ロラン・バルトやデリダと同じ用語を用い、言語哲学として語られる
ポスト構造主義的禅哲学。
禅哲学としても、最も先鋭的な本。

693:考える名無しさん
19/09/28 01:04:54.60 0.net
>>691
“普通の言語学では意味というものを、
 辞書に載っているような、社会的慣習としてシステム化されている次元、
 つまりコトバの表層にのみ限って見て行こうとするし、またその方が容易なのである。
 これに対して、先生は、人間のコトバというものは本質上、そのような表層だけでなく、
 その奥に底知れない深層をもっていること、そしてまさに意味に関してこそ、
 この深層の領域を問題にすべきであることを主張された。”
― 牧野信也 「師としての井筒俊彦先生」 『井筒俊彦著作集4 意味の構造』

694:考える名無しさん
19/10/03 12:14:22.10 0.net
アラーのなすことは全て正しい。アラー・アクバル!アラーは偉大なり。

695:考える名無しさん
19/10/03 21:04:07.80 0.net
アッラーallahな
アラーalaじゃ全然意味が違う
俄かかな

696:考える名無しさん
19/10/04 17:14:01.96 0.net
預言者ムハンマド「カーバ神殿を手に入れようか?手に入れるまいか?」
イエス・キリストの霊「カーバ神殿は、誰のものですか?」
預言者ムハンマド「先の預言者イーサー、カーバ神殿はアラーのものです。」
イエス・キリストの霊「アラーのものは、アラーに返しなさい。」

697:考える名無しさん
19/10/04 18:08:50.32 0.net
意識と本質にアル・ガザーリとイブン・ルシュドを論じたところがある
ガザーリは事物以上の本質は認めない
ルシュドの方は事物以上の本質があるとする
これは世界は無始なのか神による創造なのか、アリストテレスに依拠する哲学と神による創造を肯定する哲学批判者の争いだが
同時に全ては物か、物以上の本質を認めるかの思想対決がある
意識と本質
意識にとって本質は存在するのか否か
個々の存在感、経験を越えた「本質」超越は存在するのか
である存在本質存在本質
がある存在事実存在実存
それは三人称客観の本質とはちがう一人称主観のこの世界の事実性を認めるか認めないかの問題

698:考える名無しさん
19/10/04 19:42:29.92 0.net
本質存在とか実存とか言ってもおどろおどろしいものじゃない
あなたは人間である
これは内的規定
さらに動物である
理性的存在である
日本人である
内的規定、本質存在をしきつめればあなたになるか
ハイデガーは存在者をつきつめても存在という事実性につきあたらない、存在論的差異と大騒ぎしたのは有名
三人称客観と主観の事実性はおなじか
ガザーリとルシュドの対立も本質を認めるルシュドらと神以外認めないガザーリの本質に関する対立がある

699:考える名無しさん
19/10/04 19:50:23.25 0.net
井筒俊彦の立場は三人称と一人称の対立を越えましょう
カザーリやルシュドみたいなイスラム哲学の対立の底を主客未分、言語によるソシュール的な分節化の前に立とう
イスラム哲学を禅仏教で止揚する

700:考える名無しさん
19/10/04 19:57:31.85 0.net
三人称と一人称は違うのか
あなたはある料理を知ることができる
その材料、そのレシピ、調理法を知ることができる
客観的に
その料理を食べる
その味、クオリアを食べたことのない人間に説明できるか
三人称客観では説明できない一人称主観の領域は実在する

701:考える名無しさん
19/10/04 20:01:37.24 0.net
統合失調症の文章って長いだけで本当に内容ないんだな

702:考える名無しさん
19/10/04 20:30:00.20 0.net
いや、主著の意識と本質の「本質」とは何か
何が問題なのか噛み砕いて説明しているんだが
これでピンとこないならあんた見込みないよ

703:考える名無しさん
19/10/04 20:40:33.04 0.net
三人称客観で全てが理解できるなら何も問題はないだろ
物を集めて線形に理解が成立するか否か
そうじゃないから哲学は対立が生ずる
ルシュドとガザーリ
哲学における根本的な対立があるから井筒もそれを取り上げる
で解決のパターンは三人称で全て解決派閥
一人称絶対派閥
井筒は三人称と一人称の対立を止揚する派閥
禅仏教持ち出し主客未分に立つのもそういうこと
井筒解釈としてはごく普通の当たり前
ここまで噛み砕かないから何か勿体づけたわけのわからない解釈かはびこる
井筒解釈としては捻りも糞もない構造的にどうやってもこうなる必然

704:考える名無しさん
19/10/04 21:01:49.97 0.net
噛み砕いて説明w
能力もないくせに説明も糞もないだろ

705:考える名無しさん
19/10/04 21:14:52.94 0.net
>>704
ガザーリとルシュドの違いも
本質存在と事実存在
物理主義とクオリアの問題もわからないの?
馬鹿なの?死ぬの?

706:考える名無しさん
19/10/04 21:19:20.21 0.net
ちゃんと哲学者の自己矛盾やクオリアに関する論争くらいは理解してからこいよ
井筒はそういうものを踏まえて、あるいは予測して書いてんだから
それがわからないなら井筒は理解できないし、ここに書いた当たり前の事も意味不明だよな
要するに馬鹿は死ね

707:考える名無しさん
19/10/04 21:20:33.13 0.net
704みたいな馬鹿には説明も何も無意味だよな
馬鹿は死ね

708:考える名無しさん
19/10/04 21:21:11.42 0.net
自分は分かってるつもりだけのタイプだな
それが通じなければ罵倒

709:考える名無しさん
19/10/04 21:23:10.71 0.net
>馬鹿は死ね
自分の言うこと受け入れな死んで欲しい幼稚園児レベルだな

710:考える名無しさん
19/10/04 21:45:43.94 0.net
いやさ、食について三人称でレシピやなんか知っても味は説明できないよね
あんだすたん?

711:考える名無しさん
19/10/04 21:48:53.21 0.net
>>710
それが馬鹿は死ねとか言うのとどういう関係があるの?

712:考える名無しさん
19/10/04 21:54:23.13 0.net
>>710
君がイラついて馬鹿は死ねと願望を述べることと客観的三人称と同列だと思ってるんw

713:考える名無しさん
19/10/04 21:55:13.97 0.net
三人称で説明できること記述できることとクオリアにはギャップがある
世界は本質、内的規定で、であるとして説明できることと
一人称として「がある」で説明できることはギャップがある
同じことをカントは観念上の貨幣は内的規定は同じだ
しかし、観念上の貨幣は使えない
事実存在と本質存在は違うと説明した
しかし、この説明は問題があって貨幣は実体的である必要はない
紙幣でも通帳上でも電子通貨でも信用あればいいし、実体的価値はいらない

714:考える名無しさん
19/10/04 22:00:06.98 0.net
ルシュドは三人称の本質、内的規定が在るとした
ガザーリはない、全ての物と物は関係ないとした
神が関係づけるから物は意味がある
一人称でしか神とは関係ない
ルシュドは認めない
世界の事実の裏には必ず本質が内的規定がある
これがイスラム哲学の本質問題

715:考える名無しさん
19/10/04 22:04:52.52 0.net
で、三人称と一人称の対立の前
ソシュールの分節化の前がある
ここでソシュールや禅が要請される
イスラムの翻訳者が仏教やソシュールらデリダを持ち出す理由
三人称と一人称
クオリアとかの基本がわからないと何故禅や脱構築が井筒に出てくるかわかるわけがない

716:考える名無しさん
19/10/04 22:26:13.44 0.net
井筒がなんでガザーリ持ち出してんのか
イスラム哲学論じてんのか考えたことないの?
ただなんとなく格好良いから?

717:考える名無しさん
19/10/05 13:05:13.04 0.net
何が正しいか、どうすればよいのか、それがわからなかった。今はわかる。全て正しく、どうしても正しいということが。
アラーは偉大なり!

718:考える名無しさん
19/10/05 19:02:17.60 0.net
ガザーリの偶然性の哲学とアヴェロイエスの因果律の実在性
井筒によればイスラムの原子論は、普遍的「本質」の実在性を認めるかどうかでこれは井筒は言ってないが
「である」内在規定の三人称だけで行くか「がある」現実存在をそれに還元できない存在論的差異を認めるかどうかに帰着する
因果律の実在を認めると神の絶対性が疎外される
因果の中では因果が絶対で神の介入は許さず神は絶対ではない
イスラムの原子論者はこう考えた
井筒「全存在界は互いに鋭い断絶によって分離された無数の個体の一大集積として表象される」
個体、無数のばらばらな個体や経験に、その個々を越えて繋がる関係が本質があるのか
本質があるのか
哲学の根本問題

719:考える名無しさん
19/10/05 19:24:39.97 0.net
ルシュドは、ガザーリに対抗した
ガザーリの因果律否定は本質批判であり理性的動物の人間の非人間化に他ならないと井筒はルシュドの見解をまとめる
アリストテレスは世界には始まりはない
・ガザーリには神による創造を否定し許しがたい
・ルシュドは無からの創造は認めない
創造は潜性態にある有が現勢態にある有になること
可能性が現実になることでしかない
本質が存在する
本質論者にすれば現実は本質が現実化したものでしかない

720:考える名無しさん
19/10/05 20:25:25.00 0.net
人間の諸行為は、アラーに対して為されるものである。
アラー・アクバル!アラーは偉大なり。

721:考える名無しさん
19/10/05 20:35:54.41 0.net
馬鹿しかいないスレになっちゃったな

722:考える名無しさん
19/10/05 22:06:35.11 0.net
我らの上に平安あれ。神のご加護を!
アッラー・アクバル!神は偉大なり。

723:考える名無しさん
19/10/05 23:57:55.56 0.net
では、絶対的一神教でない仏教、就中、不立文字の禅ではどうなるのか
道元の正法眼蔵を解説して言う
物を認識するとは何か
今、意識に山水が映る
しかし、それは山水なのか
網膜に映る光の像は山なのか、山として同一性を持つのか
ガザーリの言うとおり物には因果はない
ばらばらで、本質がないなら山が山であり水が水である根拠はどこにもない
今、眼前にする山水は経験的世界で見る山水とは同じであって同じでない。眼前の山水は一定の存在的位置を占めて全体を露見する働きを示す
眼前の山水は山と川に分節されていながら山であること川であることから超出して「本質」に束縛されずに自由自在に働いている
仏教には、事物の背後の神はいない
では山が山であることはどこから来るか
それは意識が、仮構するものだ
意識が、仮構しなければ分節は存在しない
「一」性に返る

724:考える名無しさん
19/10/06 07:45:26.46 0.net
で、難しく考えることない
存在は事象内容で、説明できる述語ではない
人間が何であるか
動物である
言葉を話せる
理性的動物である
こういった事象内容で存在者は説明できるが、存在、可能性が現実になること、「存在」することは説明できない
存在者と存在することは違う
ハイデガー=カントの存在論的差異
そして、それは三人称の客観だけで存在者だけで現実を説明しつくせるという立場と、いや、そうじゃないという論争に行き着く
ガザーリとルシュドの論争もそうだし、仏教や普遍論争もクオリアに関する論争もそれに行き着く

725:考える名無しさん
19/10/06 14:13:15.79 0.net
>>724
あなたの論理だと井筒俊彦と心の哲学が何かつながりそうだが不勉強でそこらが良く分からない。
もう少しそこらを論じてくれませんか?

726:考える名無しさん
19/10/06 18:33:14.19 0.net
猫は猫であって、その物ずばりで理解できる
そういう素朴実在論は哲学的には論外で相手にする必要はない
ある瞬間の網膜に映る光の映像としての「猫」が、次の瞬間の「猫」と同一である根拠はないから
太陽かもしれない、水たまりかも、車かもしれない
猫でなければならない本質とは何かで答えに窮する
三人称客観実在論でアリストテレス式に万人にとって、共通の理解の得られる本質はあるんだと天下り式に絶対万人に妥当する本質は実在すると説くか
そういう物を拒否して一人称のその人その人にしか真理はないとするか
一人称真理は万人には妥当しないは良さそうだが、真理は本質は存在しないで(少なくとも私と他者に共通な真理は存在しない)ニヒリズム、相対主義は避けられない
三人称客観の全体主義か一人称本質否定のアナーキズムニヒリズムになるか
この二つに帰着する

727:考える名無しさん
19/10/06 18:37:32.66 0.net
井筒俊彦自体は三人称も一人称も拒否して言語分節以前の立場を守ろうとした
その立場では本質が個人的なものか三人称客観的なものかの争いは生じない

728:考える名無しさん
19/10/06 20:38:47.48 0.net
ある時点の猫、それも意識に上った映像
テセウスの舟じゃないが毛が抜けて別な物質組成になった物の何が同一で何が同一じゃないか
素朴実在論や経験論ではどれが本質として同じ物にくくれるか、他ではないのか、
猫→猫
猫→水たまり
どちらも原子の構成が違う点は変わらない
どれを優先するか根拠はどこにあるか
可能性→現実性
質料因→形相因
作用因→目的因
物を越えた本質を前提にすれば悩まないが逆に言うとそういう誰にとっても妥当する三人称客観が個人や経験を越えて存在しない限り成立しない
アリストテレスやルシュドは三人称万人に妥当する客観性があって目的論に従う
と本質を前提に客観的真理を押し付ける
それを拒否すれば、ばらばらな原子的個人の相対性、ニヒリズムに陥る
ガザーリの原子論とかクオリアにはその問題がつきまとう

729:考える名無しさん
19/10/06 21:00:24.07 0.net
ガザーリはニヒリストではなく、すべてを神に委ねよの神秘主義者だが、実存主義でも神を前提にするキェルケゴールや無神論の実存主義があるようなもの
クオリアが大騒ぎになるのも、三人称客観の本質を押し付けるのか、一人称主観のバラバラニヒリズムかと互いに譲れないから
事物の底に本質を認めるか主観=意識の相対性に留まるか
だから井筒俊彦の著作は意識と本質

730:考える名無しさん
19/10/08 04:53:07.18 0.net
イランの女子陸上の放送
URLリンク(video.twimg.com)

731:考える名無しさん
19/10/21 22:58:50.48 0.net
>>729
チャーマーズみたいな井筒俊彦論だな。

732:考える名無しさん
19/11/02 13:21:28.91 0.net
意識と本質は難解すぎて挫折したけど、神秘哲学は結構読みやすいな

733:考える名無しさん
19/11/08 22:05:14 0.net
BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」

2019年11月8日(金) 午後11時00分(50分)
2019年11月11日(月) 午後7時00分(50分)

734:考える名無しさん
19/11/16 15:06:35 0.net
BS1スペシャルを観て井筒俊彦先生に感銘を受けました。

初心者が井筒俊彦先生の思想を学ぶには、どの書籍からがいいでしょうか?

上に『神秘哲学』『意識と本質』『コーランを読む』などの書名があがっていますが、迷っています。

735:考える名無しさん
19/11/17 02:10:36.58 0.net
井筒の著書はどれも専門性が高いので、
>>4>>410のような解説本やオムニバスから入ると、読みやすくて自分に合ったものが見つけやすいと思う。
その他、イスラム初心者の人には『イスラーム文化―その根底にあるもの』。

736:考える名無しさん
19/11/17 07:55:47 0.net
>>733
NHKオンデマンド/BS1スペシャル
「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」
URLリンク(www.nhk-ondemand.jp)

言語学者、哲学者、思想家として世界に名を響かせた井筒俊彦(1914~1993)。
子供のころ父から禅を学び、その後イスラム哲学に傾倒したが、西洋とイスラム世界の衝突を目の当たりにし、その解決の糸口として東洋哲学を確立した。
「多様性」や「他者との共生」を訴える井筒の思想は、不寛容と憎悪が増す今、再び注目を集めている。イラン出身の女優サヘル・ローズが、井筒ゆかりの土地や人を訪ね、独自の世界観を体感する。

737:考える名無しさん
19/11/17 07:57:09 0.net
(1)マンデルブロ集合
URLリンク(search.yahoo.co.jp)

(2)ペルシャ絨毯
URLリンク(cdnw.elicdn.com)
URLリンク(image.rakuten.co.jp)
URLリンク(www.mahounojutan.com)
URLリンク(www.mellibazar.com)
URLリンク(ih1.redbubble.net)
URLリンク(www.mahounojutan.com)
URLリンク(historymaniacmegan.files.wordpress.com)
URLリンク(static.minne.com)
URLリンク(www.clairen.jp)
URLリンク(www.speed-kaitori.jp)
URLリンク(image.rakuten.co.jp)
URLリンク(www.clairen.jp)

738:考える名無しさん
19/11/17 07:58:32 0.net
“アッラーは天と地の光り。
 この光りをものの譬えで説こうなら、まず御堂の壁龕(へきがん)に置いた燈明(とうみょう)か。
 燈明は玻璃(はり)に包まれ、玻璃はきらめく星とまごうばかり。

 その火を点すはいとも目出度い橄欖樹(かんらんじゅ)で、
 これは東国の産でもなく、西国の産でもなく(つまり、この世のものならぬ聖樹ということ)、
 その油は火に触れずとも自らにして燃え出さんばかり。

 (火をつければ)光りの上に光りを加えて照りまさる。
 アッラーは御心のままに人々をその光りのところまで導き給う。”

― コーラン 「24 光り」 35


壁龕=西洋建築で、彫像などを置くため壁面に設けられたくぼみ
燈明=神仏に供える灯火
玻璃=ガラス
橄欖樹=オリーブ

739:考える名無しさん
19/11/17 14:01:46 0.net
井筒訳コーランを読み始めました

740:考える名無しさん
19/11/17 16:50:58.88 0.net
>>739
井筒信者のオレだけど井筒のコーランはオレは読みにくいと思う。
いろんな訳があるけどコーランは中公の世界の名著版が初心者には理解しやすいと思う。
確認してないが中公クラシックスで出てるんじゃないかな?

741:考える名無しさん
19/11/18 16:20:23.04 0.net
ムスリムのあいだで翻訳されたものはコーランとは認められない!

742:考える名無しさん
19/11/18 17:01:11 0.net
>>741
じゃあ、誰が翻訳したらいいの?

743:考える名無しさん
19/11/23 06:30:18 0.net
習近平「ウイグル人に情け容赦は無用」、中国政府の内部リークで新事実明らかに 米報道

イスラム教徒のウイグル人にとっては、この世は地獄だろう。
毎日のように、家族が殺され、妻や娘はレイプされる。

将来、日本が中国に侵略されたら、同じような弾圧を受ける。
URLリンク(www.afpbb.com)

744:考える名無しさん
19/12/18 14:29:04.65 0.net
「スーフィズムと老荘思想」読んでる。
待望した井筒俊彦の英文主著だ。
第一部のイブン・アラビー読んでるが難解だ。

745:考える名無しさん
19/12/21 02:45:53.89 0.net
井筒の「英文著作翻訳コレクション>>3」も一通り読むと、
井筒哲学の理解がガラッと変わってくる。
日本語では開陳してこなかった決定的な考察が多い。
特に重要なのは『スーフィズムと老荘思想』。
『意識と本質』から入って『スーフィズムと老荘思想』へと抜け出るように読む。
>>645に関する話もこの本。

746:考える名無しさん
19/12/21 10:20:58.00 0.net
>>745若松英輔が井筒俊彦が山崎弁栄と出会ってたら井筒はイスラムに行かなかったろうと評価した山崎弁栄は「超在一神的汎在神教」を唱えたが井筒の内在する神と共通するものがあるのだろうか?

747:考える名無しさん
19/12/21 10:26:41.81 0.net
全てうまくいく。なぜなら、それが神(アッラー)の御心であるからだ。インシャッラー(神の御心のままに)。

748:考える名無しさん
19/12/21 15:24:41.66 0.net
これまで通りこれからも全てうまくいく。インシャッラー(神の御心のままに)

749:考える名無しさん
19/12/21 15:44:08.61 0.net
中国共産党によるウイグル族(イスラム教徒)への宗教弾圧や大量殺戮も、アッラーの御心なのかな?

750:考える名無しさん
19/12/22 21:43:11.61 0.net
「インシャッラー(神の御心のままに)」に近いのはメイヤスーの「偶然性」の哲学

751:考える名無しさん
19/12/22 21:44:30.71 0.net
その心は原子論的非理由律

752:考える名無しさん
19/12/29 12:21:43.81 0.net
過去に全き帰依者(ムスリム)であったとしても、今現在全き帰依者でないのならば、全き帰依者とは言えない。
未来に全き帰依者になるとしても、今現在全き帰依者でないのならば、全き帰依者とは言えない。

753:考える名無しさん
19/12/30 15:59:08 0.net
禅の不立文字
ヘーゲルは今ここは絶対的な事実と見えて貧しい物に過ぎないと言った
林の中で今、目の前にある木の知覚、これこそ、この感性的確信こそが真実、真理に見えるがちょっと右を向けば別な木が絶対的なこのものになってしまう
夜中に今は夜だと感覚的確信をどんなに強固に得たとしてもその確信をノートに書き付ける、「今は夜である」と
しかし、時間が立ち昼間みたらそれは間抜けだ

イブン・ルシュドは世界は永遠で始まりも終わりもないし、その個々の物や自然法則は永遠だとして、アリストテレスを支持した
ガザーリは世界は神の創造物であり時間的始まり(天地創造)も終わり(最後の審判)もある
神も立ち入れない絶対的な法則はない
全てはバラバラで原子論的にある
因果法則はヒュームのいう通りにない
神の創造によって神が意味付けたもの以外には

それ以外には真理も絶対的な法則もない
これがガザーリも棹さしたイスラムスーフィズム

754:考える名無しさん
19/12/30 17:23:21 0.net
仏教では禅定を重んじる、戒定慧が根本
戒は心や体や生活を乱す物を慎重に排除する、禅寺での厳しい修行とかイメージすればわかる
残りは心を定め知恵、般若で解脱する
大乗佛教では止観と言う、心を定め(止)周りを観察し(観)解脱する、上座部佛教では同じことをサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想と言う
サマタを訳したものが止でありヴィパッサナーを訳したものが観であり、合わせて止観、同じこと
ミャンマーの上座部の偉いお坊さんがいて、上座部の中でも、世界的にも評価されているそのお坊さんが若い頃に修行した
師匠について本格的な座禅を勉強する、その人は頭の良い人でいろいろ仏教の教義を勉強し高いレベルで理解できる人だった、また、小説を書くことが好きだった、本も沢山持っていた
師匠は言った、今まで知ってたことは全て忘れなさい、本は修行場に持ち込むのは許しません、修行場の外に置いておき、期間中は持ち込んだり読んだりすることのないように、ただ座りなさい
悩みができたら相談に乗ります、何でも話なさい、修行法や心の不安などや人生の悩みでも何でも、本を読んだり研究するのは修行が終わった後にいくらでもできます、この修行場で修行している間は全て忘れなさい、ただ座りなさい
座り始めると様々な雑念が頭に入ってくる、頭からわいてくる、次々と想念が渦巻く、小説を構想する
人間は心を落ち着かせる定めるとかなかなかできない
いろいろな雑念から逃れられないが心はだんだん、そういうものに惑わされること自体が馬鹿らしくなる
修行を続ける、座り続けると徐々に落ち着いていく
呼吸を観ている、吸ってる息、吐いている息、それは誰が行っているのか
最初は私や何らかの体がやっているかに見える
また、この息自体が同じものだと、しかし、どの吸う息、吐く息も同じではない、違うが続いている
私もいない
全宇宙が繋がっていて、それが呼吸させていて、そこには意志や主観は必要ない
世界は繋がって分節されず分節する必要がなくただそこにある、これが気付き(念)である
サティと言われ、大乗では念と言われるが、世界の相互関連、相互作用に気づくことだね
固定した客観的な物は存在しない
それを認識する分節化する主体も主観も存在しない

755:考える名無しさん
19/12/30 17:43:32 0.net
気づきはマインドフルネスと訳され大騒ぎになっているものだ
釈迦はあまり気付きの気もちよさに神秘主義に取り込まれるな、三昧に囚われるな、縁起の法を分析せよと言ったがまずは、世界の未分化な相互作用相互移入連続性に気づかないと
ヴィパッサナーだけでいいか、サマタが必要か論争はあったりするが
「どうでもよい」
また、細かくマニュアル化されている上座部か、大乗かとか論争あるが
「どうでもよい」
中身はどうでもよく、捨てないといけない、マニュアルが邪魔になる

ヘーゲルの弁証法も気づいた後の関係主義的縁起の法だ
仏教、実在論否定、無我論
ヘーゲル、唯物論否定、カント式主観主義哲学否定
両者とも三人称否定、一人称否定、関係主義的な共同主観論
唯物論ではなく視点から見た認識が全てだが個人的な囚われた我を否定する
細かい主観や物はいらない、囚われるな、間違っている、分節できない現実が根底にあり、主観主義や客観主義、一人称や三人称は間違いだ

井筒の「スーフィズムと老荘思想」はじめ言っていること
ルシュド=アリストテレスの三人称客観実在論の否定
一人称主観主義、バラバラの原子論のアナーキズム、ニヒリズム否定

禅の不立文字
老荘の万物斉同
仏教の念、サティ
イスラム、スーフィズムは同じ地点だ
以上、井筒思想の概観にして全てな

756:考える名無しさん
19/12/31 00:39:54 0.net
筑紫 「中沢さんはチベットへ行っちゃったり、ものすごいオールド・デイズにはまり込んでいるでしょう。(略)」

中沢 「ぼく、ああいうの全然オールド・デイズだって感じないの。(略)
    どんなにジル・ドゥルーズが現代的哲学者の中でとびぬけているといったって、
    イスラム教のスーフィの書いたテキストであるとか、タントラ密教のテキストとかのグローバルさとくらべてみると、
    やっぱり劣るなという感じがするのね。(略)」

― 『若者たちの神々:筑紫哲也対論集3』 (1987)

757:考える名無しさん
19/12/31 00:40:34 0.net
「器官なき身体」のようなものは、チベット仏教にもある。

URLリンク(samten.seesaa.net)
チベット仏教の「幻身」あるいは「虹の身体」

『智慧金剛集』という書物には
「幻身は、風と心のみから出来ていて、どこにでもあまねく存在し、
肉と骨を離れ、刹那に動き、陽炎のような、蜃気楼のような、
一つなのに多くの現れをもち、空の状態から忽然と出現し、
虹のごとく物質的存在に汚されず混じり合わないで現れる」とある。

758:考える名無しさん
19/12/31 04:20:57.95 0.net
イスラム教も瞑想修行をして解脱をする教えなのですか?

759:考える名無しさん
19/12/31 07:06:59.89 0.net
法華経無内容論というのがある
法華経はこのお経は凄いとコマーシャルは凄いが、何がどう凄いか中身はないと言うのだ、教理が無いと言うのだ
宣伝文、効能書きでどんや効能があるか、それはずらずら書いてあるが肝心の薬が入っていない
ミャンマーの高僧の修行時代と同じ、只管打坐、ただ座れを全ての合言葉にした日本の僧侶に道元がいる
道元は若い頃に宋に渡った
その時の有名な話が二つある
・留学先の年取った坊さんが暑い日に必死に食材の準備の為に汗をだらだら流しながら働いている
そんな仕事はもうあなたほどの人はやらないでいいではないですか、教理問答や勉強してた方がいいではないですか
これが修行だ
せめて今日みたいな日は若い僧侶に任して休んでたらいいではないですか
彼は私ではない
・日本が還る前後に別の老僧が見送りに来てくれた、今日はこのまま、泊まっていったらいいのではないですか、かわりの人はいるでしよう
いや、それは私の仕事であり私の修行だ
それを私以外がやっても意味はない
その道元が最後にひたすら帰依し唱え辞世に残したのは法華経

760:考える名無しさん
19/12/31 07:32:52 0.net
道元が宋に渡った時に師匠に質問して、その問答を書き起こした 道元宝慶記
問答の一つに人は仏性があって救われるはずたが、なら修行したり戒を守る必要はないのではないということになるがそれはおかしいのではないか
プラトンの知者のパラドックスを彷彿させる
知らない人間は知るべきことや知る方法がわからないなら知ることが、できない
知っている人間は既に知っているからわざわざ苦労して知る必要はない
禅の有名な公案に犬には仏性があるか問われて無!と答えたというものがある
犬にしろ、人間にしろ、仏性があるからと安易に思って修行しなければ救われない

しかし、安易にそう答えたら
・儒教や道教は間違っていますが正しいこともあります、仏教はそれを取り込むべきでしょうか、取り込まないべきでしょうか
・普通の仏教と禅宗、どちらが正しいのか、どっちも正しいのなら何故禅宗の修行するのかいらないのではないな
普通の仏教が正しくないなら排斥しないといけないのではないか
・臨済禅はじめ師匠が弟子を殴り恫喝するがそれは正しいのか正しくないのか
宝慶記に書かれている問答の一部だが果てしない問題に巻き込まれる

761:考える名無しさん
19/12/31 07:45:24 0.net
法華経には確かに中身はない
般若経典や、華厳経みたいな空に関する教理や、諸法実相に関する説明がない
哲学がない、哲学を放棄している
仏の妙なる境地は説明ができないと説明している、説明を放棄している
これが法華経

だからいい
気づける
言葉や煩瑣な教理はいらない
邪魔になる
仏の境地は言葉では説明できないということを説明できている
体感できる
だからこそ道元は法華経に深く帰依した

気づいてしまえば何でもないが気づかなければどうしようもないし、それに気づかせることもできない
道元のパラドックスも知者のパラドックスもこういう説明できないという説明しかない

井筒俊彦の言語分節化以前の境地もそういうことだ
祖師達磨は、何故中国にインドから来たのか
答えられるかバカヤロー
それが禅の答えであり、説明できないものは説明する必要はないというのが正しい説明だ

762:考える名無しさん
20/01/01 21:26:09.69 0.net
言語分節化が三人称、一人称の分割を促し、客観主義と主観主義を生み、それぞれの要素還元主義を作り出す
物から直線的に単純に答えが出る物理主義
閉じた主観から一元的に答えが出る観念論
しかし、一つの実験からも様々の理論解釈が成立し、閉じた主観の独我論は他者の理解で困難が生ずる
ヘーゲルや仏教は唯物論及び私の実在論を否定する
井筒の出発点も仏教や老荘、イスラム神秘主義には、実在論を否定し言語分節化を越える
終着点もそこ

763:考える名無しさん
20/01/01 22:07:57.37 0.net
日常的には我々は物が固定的に実在したり、私が強固に実在すると考える
しかし、仏教にしろ神秘主義にしろ、修行すればはじめはそれらに拘束された日常の意識だが、
それを抜け出せる、それらがどうでも良くなる瞬間、物の分節が、私の存在が消える、
主客の分裂が消える神秘体験があるし、それなしにはそれらの思想は意味をなさない
井筒思想はそれに還元される

764:考える名無しさん
20/01/02 11:20:40 0.net
イスラム教も仏教みたいな瞑想や座禅を行うの?

765:考える名無しさん
20/01/02 16:08:32.47 0.net
>>758>>764
解脱ではないが、よく比較されるのが>>463>>338の「アナ・ル・ハック」。
身体的な瞑想として有名なのは、メヴレヴィー教団の旋回舞踊。
URLリンク(www.youtube.com)
宇宙の運行を表す回転によって、神との一体化(神の中への消滅)を図るという。
その他にはズィクルという唱念や観想もあって、
ダルヴィーシュとはスーフィーの修道僧のこと。

766:考える名無しさん
20/01/02 16:09:19.67 0.net
>>765
このメヴレヴィー教団を開基したのが、ジャラール・ウッディーン・ルーミー。
イブン・アラビーと並ぶイスラム神秘主義(スーフィズム)の重要人物。
『ルーミー語録』は井筒が手掛けているが、
ペルシア語のコーランとも呼ばれる『精神的マスナヴィー』は断片的にしか翻訳されていない。

767:考える名無しさん
20/01/02 16:09:49.26 0.net
> ルーミーとはローマの人のことで、後年に住んだアナトリアが以前東ローマ帝国(アラビア語ではルーム)の領土だったことによる

768:考える名無しさん
20/01/02 16:11:17.32 0.net
レファレンス協同データベース
ジャラール・ウッディーン・ルーミー(13世紀の詩人)の詩集が見たい。
URLリンク(crd.ndl.go.jp)

769:考える名無しさん
20/01/02 16:13:24.45 0.net
ルーミーは、こういう「1/fゆらぎ」CDまで買って聴いた。
朗読CD【ただひとつの息吹】より「沈黙の満月」
URLリンク(www.youtube.com)

770:考える名無しさん
20/01/02 16:14:12.00 0.net
>>769の説明にある映画『アースピルグリム』の監督・主演がエハン・デラヴィ>>327なのか。
狭い世界だ。

771:考える名無しさん
20/01/02 16:14:45.17 0.net
隣人みなスーフィー

772:考える名無しさん
20/01/02 16:17:14.89 0.net
『精神的マスナヴィー』の英訳はR・A・ニコルソン>>463
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 1, 3, 5, Persian Text (set)
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 2, 4, 6, English Translation (set)
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 7 and 8, Commentary 2 vol set
Jalalu'ddin Rumi (Author); Reynold A. Nicholson (Author)
Published by : Gibb Memorial Trust

773:考える名無しさん
20/01/02 16:18:07.13 0.net
The Mathnawi Of Jalaluddin Rumi
by Reynold A. Nicholson
URLリンク(archive.org)


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