17/10/07 23:03:34.72 0.net
86 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2016/02/11(木) 20:14:15.44 0
“この世界は、まったくの偶然で、
別様の世界に変化しうる。”(『偶然性の後で』帯)
実際に読んで思い出したのは、
9~10世紀イスラムのアシュアリー神学。
そこでは、あらゆる時間性や因果性が断ち切られている。
毎瞬間、毎瞬間、世界は新しく創造され、
その行方は「インシャー・アッラー(全ては神の思し召し)」であると。
もちろん、メイヤスーは丁寧に断っているが。。。
「けれども私たちは、安定した世界に生きていることを天の恵みとしていちいちの瞬間に祝福することはしない。」
ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義 [無断転載禁止]©2ch.net
スレリンク(philo板:86番)
×(『偶然性の後で』帯)
○(『有限性の後で』帯)
205:考える名無しさん
17/10/07 23:07:29.56 0.net
アシュアリー(873‐935)はスンニ派を代表する学派の祖で、カラーム(思弁神学)を確立した。
206:考える名無しさん
17/10/07 23:09:12.98 0.net
刹那滅は因果が連鎖する。
アシュアリー神学は因果は切断される非線形な原子論。
そういう違いがある。
207:考える名無しさん
17/10/07 23:10:46.95 0.net
井筒は、この創造不断をデリダのエクリチュール論に結び付ける。
"書く"たびにそこに世界が創出される、というように。
208:考える名無しさん
17/10/07 23:18:01.89 0.net
>>203
ハーマンは汎心論者らしいが
209:考える名無しさん
17/10/07 23:30:30.53 0.net
なるほど。
210:考える名無しさん
17/10/07 23:45:09.20 0.net
思弁的実在論はポストポスト構造主義と言われるからポスト構造主義からは多大な影響受けてる
その中のハーマンはイスラム中世哲学の機会原因論に影響受けてる
この両方から影響を受けた井筒俊彦は思弁的実在論なりハーマンをどう評価したのだろう
211:考える名無しさん
17/10/08 06:42:56.24 0.net
井筒俊彦は存在認識の道の注で神こそ実在性そのものであるとする
神とは実在であり究極的に宇宙に神以外存在しないという主張に見える
ただし事の深層的次元に置いてだが
212:考える名無しさん
17/10/08 11:35:22.22 0.net
井筒俊彦が大川周明の大川塾の講師で司馬遼太郎との対談でもイスラムに積極的に関心を持った面白い人と言ったのは有名
しかしそれだけじゃなく井筒と大川は東西思想の比較と統合とか根底にある一如の思想に共通点があるように思える
213:考える名無しさん
17/10/08 12:55:21.89 0.net
>>204
これは読んだけどそんなところには気付かなかった
214:考える名無しさん
17/10/08 23:55:07.99 0.net
一如(wiki)
一如(いちにょ)とは、絶対的に同一である真実の姿、という意味の仏教用語である。
「一」は絶対唯一、「如」は真如(tathā)・如同の意で、一異の差別なく平等であることをいう。
世間における一切の事物・現象には実相(真実の姿)があり、普遍的に不二同一であることをいう。
平たく読めば「一つの如し」となる。一でありつつそれは異なるが、異なりつつもそれはそれは一であるという、真如を弁証法的に表現した語である。
もとは老荘思想の概念であり、万物を生成し存在している真実の相、またその差別相を超越した存在義を意味する。
のちに、本来の仏教用語から派生し、剣禅一如などとも転用されるようになった。
215:考える名無しさん
17/10/08 23:55:43.67 0.net
マールブランシュの機会原因論
Cause occasionnelle chez Malebranche
URLリンク(www.furugosho.com)
216:考える名無しさん
17/10/08 23:57:15.53 0.net
>>200、>>210
ガザーリーか。
Occasionalism is the idea that God is the cause of all things.
Harman’s motif example of object-object relations is fire and cotton which comes from the the Islamic philosopher Al-Ghazali,
who repeats from the Qu’ran: “Fire does not burn cotton ? only God burns cotton”.
URLリンク(avoidingthevoid.wordpress.com)
ハーマンはハイデガーから中世スコラ学に遡って、そこでイスラムに接しているという点で、
普通に哲学史の通りなんだと思う。
217:考える名無しさん
17/10/08 23:58:07.32 0.net
>>208
この辺は、清水高志『実在への殺到』(2017)の「機会原因論的アニミズム」が詳しい。
ハーマンは、
・「ハイデガーの存在論」と
・「ジェイムズの経験論」を
・「パースの記号論」的に足してる
218:考える名無しさん
17/10/09 04:56:53.11 0.net
>>217
ありがとう。読んでみる
219:学術
17/10/09 07:09:03.13 0.net
平等を思い浮かべると逆搾取されるから平等は成立しえない。
220:考える名無しさん
17/10/09 10:35:47.45 0.net
井筒俊彦のイスラム思想史のガザ―リーの部分に偶因論(機会原因論)の解説があった。
原因と結果に必然的な結びつきはなく
例えばアリストテレス派では燃焼の原因は火であり
火は自然的必然性を持って機械的に作用するが
ガザ―リーは燃焼の真の作用因は火ではなく神だとした
彼にとり因果律は決して自然法則ではなかった
ガザ―リーの結論はアシュアリー派の因果律否定と一致する
この点においてガザ―リーは後のヒュームの哲学的先輩である
確かメイヤスーもカント批判してヒュームに回帰してなかったかな?
221:学術
17/10/09 14:18:50.57 0.net
原因と結果に結びつきがないわけないじゃない。
神に偏って酷使するのもなあ。
火は機械ではない。
222:考える名無しさん
17/10/09 15:11:43.37 0.net
ヒュームも因果律否定
223:学術
17/10/09 15:17:05.49 0.net
因果律というものは、ある事件があってあることがその結果となっているという
レベルじゃない。
224:考える名無しさん
17/10/09 15:42:51.93 0.net
ガザーリーのいう因果はなくすべては神の慣習だと言い換えても、結局世界のあり方は変わらないのだから同じことだよな
神の慣習=因果として働いてるんだから
225:学術
17/10/09 15:46:17.46 0.net
神が少数派だったらどうするね。
226:考える名無しさん
17/10/09 15:56:28.92 0.net
はたしてどうかな?
227:考える名無しさん
17/10/09 16:07:58.60 0.net
ヒュームのように経験主義を徹底さすと人間が経験する事の出来ない因果律による普遍的法則などは人間の妄想でしかない事になる
因果律を否定する徹底的経験主義は科学的法則も否定する
228:考える名無しさん
17/10/09 16:10:31.90 0.net
>>224
一億回同じ因果律があったとしても一億一回目に違いが出たらもう世界は変わり科学的法則も成り立たないことになる
229:考える名無しさん
17/10/09 18:26:14.82 0.net
量子運動のような、だいたい合ってる程度のもんでも確率的に予測可能な事態であれば科学として成立する
全ての可能性について調べる手段がない以上は、絶対的な確証などあるわきゃない
230:考える名無しさん
17/10/09 19:46:02.31 0.net
>>229
科学も厳密には蓋然的な統計問題になる。確度を上げていく事は出来るが
それ以上は今のところ哲学の問題だと思う
231:考える名無しさん
17/10/12 15:02:23.62 0.net
実在への殺到読み始めた。
自分は井筒俊彦の存在の0ポイントとジェイムの純粋経験が同じ認識領域を指すと思った
この作者はジェイムスの純粋経験とメイヤスーの(事実性)が同じ領域を指すと指摘している
232:考える名無しさん
17/10/12 19:20:47.91 0.net
井筒さんは「禅の心」を卓越した分析哲学者によって分析された「心」と結びつけていた
井筒俊彦の思い出
サイイド ホセイン ナスル
井筒俊彦全集第11巻月報第11号
233:考える名無しさん
17/10/12 20:21:29.09 0.net
分析ってなんですか?
234:考える名無しさん
17/10/12 21:10:13.32 0.net
>>233
一文があったので。恐らく心の哲学の類指してると思う。詳しくは掲載されてない
235:学術
17/10/12 22:08:21.65 0.net
あくまでしょ 神魔でしょ 堕天使でしょ。天使とランクが上がる。
236:考える名無しさん
17/10/12 23:04:38.23 0.net
>>231
> メイヤスーが《事実性》という名のもとに浮き彫りにするのは、
> 諸現象を整合し、総合するとされた主体の成立に先立つ「状態」であり、
> 主体も対象もそこではいまだ、整合や連接によって肥大していない、ある種の経験である。
p98のここかな?
真如に近いね。
237:考える名無しさん
17/10/12 23:05:34.22 0.net
【真如】しんにょ(tathatā)
・広説佛教語大辞典の解説
(1)かくあること。ありのままのすがた。あるがままなること。
(2)法がかくのごとく成立していること。法性と同義。
(3)「…真如」は、…なる法として成立していること。
(4)普遍的真理。心のあるがままの真実。あらゆる存在の真のすがた。万有の根源。
・デジタル大辞泉の解説
《〈梵〉tathatāの訳》仏語。ありのままの姿。万物の本体としての、永久不変の真理。宇宙万有にあまねく存在する根元的な実体。法性(ほっしょう)。実相。
・大辞林 第三版の解説
[仏] あるがままにあること。存在の本質、存在の究極的な姿としての真理そのものをいう。大乗仏教では、法性・実相などとほぼ同義に用いる。実性。
・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
仏教用語。あるがままにある状態のこと。
この世のすべてのもの (諸法) の根底にある唯一無二の絶対の実在界のあり方は「その如くである状態」すなわち真如としか表現のしようがない。
諸法の人法二空の本性を真如ということもあり,また,衆生の心の本来の清らかな状態である自性清浄心を真如と呼ぶこともある。
238:考える名無しさん
17/10/12 23:09:55.60 0.net
西田、井筒、真如、ハイデガー、仏教
“西田が「真実在」を「純粋経験」に求めたのは、主客未分・主客合一の〈境涯〉を披歴するためではなく、
そうした直接的経験の中に見て取られる「統一的或者」であり、
つまり意識の統一的秩序をそこに読み取ったこと、このことである”
“大乗仏教で説かれる「本体的一元論」は、例えばイスラーム学の碵学井筒俊彦氏が最晩年に『起信論』を取り上げて、
東洋的思惟の特徴として揚げる発出論的な形而上学とも異なっていることである”
“「真如」であれ、「仏性」であれ「法界」であれ、それらは「本体」であっても、
決して形而上学的な実体的根拠を意味しない。
むしろあらゆる実体性を打ち砕く「ハタラキ」なのであり、
すべての存在者が実体性の軛(くびき)から自由になって、
言い換えればいわゆる「根拠」から解き放たれて、いわば「無根拠」「没根拠」のままに、
おのずから立ち現われてくる「場所」”
“ハイデガーの所謂「存在(有)」が、あらゆる存在者(有るもの)の根拠として「神」でないように、
「本体」とは「実体」ではなく、場所的性格をもつもの”
“釈尊が掴んだリアリティはおそらくそうした場所的な性格をもつ般若智なのであって、
いわゆる「縁起」という、まことしやかな「理屈」、論理の知的理解ではなかったはずである”
― 井上克人 『〈時〉と〈鏡〉 超越的覆蔵性の哲学―道元・西田・大拙・ハイデガーの思索をめぐって』 (2015)
239:考える名無しさん
17/10/12 23:11:42.64 0.net
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』
井上 克人
URLリンク(heideggerforum.main.jp)
240:考える名無しさん
17/10/13 02:12:44.18 0.net
>>238
ジェームスと井筒俊彦はある程度分かるが西田は読まず嫌いもあってよくわからない。
井筒の存在の0ポイントは真空妙有と彼が言ってるように実体の破壊の場とあらゆる実体の根拠の場が一体になった領域だと思うが
241:考える名無しさん
17/10/13 22:18:40.35 0.net
真空妙有
“禅の説く「無」は、 意識的事実としてもまた存在的事実としても、絶対無分節と呼ばれるにふさわしい。
だが、この絶対無分節者は無ではあっても、静的な無ではない。
それは本然の内的傾向に従って不断に自己分節していく力動的、創造的な「無」である。
真空は妙有に転成する、というより、転成せざるをえない。
絶対無分節は自己分節するからこそ絶対無分節なのである。
分節に向かってダイナミックに動いていかない無分節はただの無であり、一つの死物にすぎない。
「死水、竜を蔵せず」(首山省念)。それは禅の問題にする「無」ではない。
禅の考えている「無」は宇宙に漲(みなぎ)る 生命の原点であり、世界現出の太源である。
この了解に基いて坐禅修行道としての禅は、「空」に到って「空」に堕するなとか、
「空」に眠り込むなとかいって修行者を戒める。
「一念未生以前、切に忌む者裏(その境地、すなわち空)に守住することを」(恕中無慍)”
― 井筒俊彦 『意識と本質』Ⅶ
242:考える名無しさん
17/10/13 22:19:29.15 0.net
井筒は、東洋哲学の共時的構造化といっている。
一神教文明から、神のない仏教や老荘までをも統一した理論で説明しようとする。
一神教では窮極的絶対者である神があり、仏教や老荘では絶対無分節者といった形而上学的中心を立てる。
243:考える名無しさん
17/10/13 22:22:04.98 0.net
原始仏教は、空というぐらいだから非中心的だし、もっと素朴。
244:考える名無しさん
17/10/13 22:22:51.05 0.net
井上は、真如を悟る唯一の契機は、心の止滅であり、
「世界は空」に反して事物を実体視しようとする自意識の解体にあるという、
仏教の根本原理を織り込もうとしている。
245:考える名無しさん
17/10/13 22:24:32.46 0.net
妙なる(言いようもなくすぐれた)有(存在)も、縁起も慈悲も真如も、
空を覚知した後に結果としてついてくるものであって、
最初からそれを目的化するものではない。
246:考える名無しさん
17/10/13 22:27:23.30 0.net
トレンドからみると、
(1)井筒や西田は、形而上学的な大乗仏教の解説に優れていたが、
原始仏教(ブッダの仏教)についてはあまり触れていない。
↓
(2)最近目立つのは、大乗仏教から原始仏教への原点回帰。
↓
(3)井上>>238は、大乗仏教に軸足を置きながら、そこに原始仏教の原理を読み込もうとしている。
247:考える名無しさん
17/10/14 00:35:49.98 0.net
西田はこちらでやろうと思ってる。
【西田】京都学派・近代日本哲学総合スレ【西周】 [無断転載禁止]©2ch.net
スレリンク(philo板:334-番)
336 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/06(金) 23:55:26.34 0
しかし、西田哲学を安易に禅哲学だと理解しているようでは
読んでいる内には入らない。
337 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/06(金) 23:57:04.39 0
“併し君だからよいが普通無識の徒が私を禅などと云ふ場合 私は極力反対いたします
そんな人は禅も知らず 私の哲学も分からず
XとYとが同じいと云って居るにすぎぬ”
― 西田幾多郎 「昭和18年 2月19日 西谷啓治宛」 『西田幾多郎全集23』 (2002-2009)
248:考える名無しさん
17/10/14 02:20:58.47 0.net
イスラムとヒンズーを統合したシク教のムールマントラに
Ikk oan karr sat nam(神は一つ。その名を真理と言う)がある
Ikkは一者で永遠性の純然たる経験そのものとする
OanはAUMがなまったものでAは認識作用の範疇
Uは絶対的な範疇が崩壊していく意識下の状態
Mは完全な無の意識の状態を指す
SatはSAD(真理を意味するサンスクリット。妙法蓮華経の妙の事)がなまったもの
これをnam即ち名とする
249:考える名無しさん
17/10/14 21:13:10.62 0.net
デモクリトス、エピクロス、ヘラクレイトス、アシュアリー、デリダなどの
原子論を心理学的にうまく説明したものが思い浮かばないが、
唯識と比べるのが妥当か。
デリダの「散種」などは阿頼耶識に近いところのものだろう。
250:考える名無しさん
17/10/14 21:13:53.11 0.net
>>204のアシュアリーの説明も「創造不断」で読める。
イブヌ・ル・アラビーの例も出てくる。
251:考える名無しさん
17/10/14 21:14:57.22 0.net
“「世界は、ひと息ごとに変動する」(イブヌ・ル・アラビー)”
― 井筒俊彦 「創造不断―東洋的時間意識の元型 Ⅱ」『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
252:学術
17/10/14 21:20:19.58 0.net
ジョン・アヌルース 対 震える焔。
253:考える名無しさん
17/10/15 13:58:42.60 0.net
>>231
メイヤスーは、「必然的」に見える世界の在り方の奥に「偶然性」を見出だす。
仏教は、事物の「自性」(本質)の奥に「無自性」(本質のなさ)を見出だす。
やっていることは近い。
その際、
メイヤスーは、あらかじめ、心(言語や感覚)は取り外す。
仏教の場合、心はあるが、その内容物をゼロ(無・空)にする。
オブラート一枚分の差があるが、どちらもそうした先に「ありのままの世界」を見る。
254:考える名無しさん
17/10/15 13:59:15.70 0.net
九鬼周造 『偶然性の問題』 (1935)
“偶然は無に近い存在である”
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
“ヘラクレイトスの偶然論とパルメニデスの必然論の対立以来
くりかえし問い続けられてきた「偶然と必然」の問題”(表紙解説)
255:考える名無しさん
17/10/15 13:59:37.44 0.net
“九鬼周蔵の『偶然性の問題』は、その思弁的な極まりにおいて、カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』に類似する。
すなわちそれは、「原始偶然」とも「絶対的形而上的必然」とも捉えられる、「形而上的絶対者」に関する議論である。”
― 千葉雅也「此性をもつ無 メイヤスーから九鬼周造へ」(『現代思想』2017年1月臨時増刊号 特集=九鬼周造)
256:考える名無しさん
17/10/15 14:00:03.73 0.net
「原始偶然 Urzufall」はシェリングの術語
257:考える名無しさん
17/10/15 14:01:50.39 0.net
井筒の前の世代にあたる宗教哲学や比較思想も併せてやっておくといい。
・柳宗悦 『柳宗悦宗教選集』
・九鬼周造 『偶然性の問題』
・清沢満之 『清沢満之全集』
・波多野精一 『宗教哲学序論・宗教哲学』
・田辺元 『仏教と西欧哲学』
258:考える名無しさん
17/10/20 22:31:00.75 0.net
西田と大拙は同い年で、石川県専門学校の同窓生。
柳宗悦は学習院高等科で西田や大拙に学んだ。
259:考える名無しさん
17/10/20 22:42:58.96 0.net
・西周(1829-1897)
・福沢諭吉(1835-1901)
・中江兆民(1847-1901)
・井上哲次郎(1856-1944)
・井上円了(1858-1919)
・内村鑑三(1861-1930)
・岡倉天心(1862-1913)
・清沢満之(1863-1903)
・南方熊楠(1867-1941)
・鈴木大拙(1870-1966)
・柳田國男(1875-1962)
・折口信夫(1887-1953)
・柳宗悦(1889-1961)
・宮沢賢治(1896-1933)
・井筒俊彦(1914-1993)
京都学派
・西田幾多郎(1870-1945)
・波多野精一(1877-1950)
・田辺元(1885-1962)
・九鬼周造(1888-1941)
・和辻哲郎(1889-1960)
・久松真一(1889-1980)
・三木清(1897-1945)(京都学派左派)
・戸坂 潤(1900-1945)(京都学派左派)
・高坂正顕(1900-1969)(京都学派四天王、近代の超克)
・西谷啓治(1900-1990)(京都学派四天王、近代の超克)
・下村寅太郎(1902-1995)
・高山岩男(1905-1993)(京都学派四天王、近代の超克)
・鈴木成高(1907-1988)(京都学派四天王、近代の超克)
・梅原猛(1925-)
・上田閑照(1926-)
260:考える名無しさん
17/10/20 23:04:00.78 0.net
柳宗悦
学習院中等科時代、内村鑑三の影響でプロテスタンティズムに親しむ
↓
高等科時代、「聖フランチェスコ伝」がきっかけでキリスト教神秘主義に関心を持つ
↓
エックハルトに傾倒
↓
エックハルトの「無」や「空」から老子や禅に関心を持つ
回教詩人ハラージや、「否定道(否定神学)」などにも言及。
宗悦は「即如」という造語をつくった。
これは「二元を超えた世界を示唆する言葉」だという。
261:考える名無しさん
17/10/20 23:08:35.13 0.net
井筒に近い。おおよそ出来上がってる。
262:考える名無しさん
17/10/20 23:20:29.14 0.net
デリダ>>189にも近い。
263:考える名無しさん
17/10/20 23:50:39.64 0.net
,. -‐  ̄ ̄`  ̄ ´  ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ._,{ 、,i ! 諸行無常 諸法無我
__.. -/ ,.. / `ヽ、
, -‐ ,.´-─./ /:. . . / ..__ / ! `ヽ ヽ クゥクゥ クゥ 空
/,.-‐´ _r‐' _,ノ: : : : : : : . . . . . . . . . . .(_ `丶、ヽ、 、__,ス ,)
~~ ̄/(三,. -‐ ´ / ,.-‐ ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`丶 l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
~ ̄i l゙´  ̄ ̄ / ,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ し,j ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
. l. ! / / 自己肥大・自己拡張・存在確認のさまようかまってちゃんクレクレ君は荒らし確定
. ! | (, ,,/
! ,j 2chの鉄則(おやくそく)とは 【荒らしはスルー(無視・放置)・あぼ~ん・透明あぼ~ん】 しましょう。
ゝ、ノ
● 荒らしは放置されるのが一番の苦手苦痛です。
→ ウザイと思ったらそのまま放置!
● 放置の荒らしは焦り、煽りや自作自演、PC串スマホで多人数を装い、あなたのレスを誘う。
→ 釣られてレスしたらその時点であなたの負け、あなたが荒らしです!!
● 反撃は荒らしの滋養にして栄養であり、ヨダレを垂らして最も喜ぶことです。
→ 荒らしにはエサを投げ与えないで下さい!
●荒らしは語尾に w をつけてあおります。
→ 問いに問いで返す無頭が故の無脳で、裏の小藪に捨てましょう。
●荒らし・粘着にはスルー・あぼ~ん・透明あぼ~ん・が推奨です。
→ 考えない学ばない荒らしは外道です。
●荒らしは自立できず、もたれかかり、ストーキングする
→ 真贋が見分けられないのが荒らしの属性です。
●無いものを有ると思い、有るものを無いと思う、これが顛倒(てんどう)、妄想(もうぞう)です
→ 公案の答えは無尽蔵、己だけの答えを出せ!
●枯死するまで孤独に暴れさせておくのが一番です。
→ ミイラ化です、放置、風化させ、土に戻しましょう。
264:考える名無しさん
17/10/21 23:24:57.12 0.net
>>260
『柳宗悦宗教選集 第1巻 宗教とその真理』(1990)より
265:考える名無しさん
17/10/21 23:26:04.29 0.net
西田や九鬼は数学をやるので、少しタイプが違ってくる
266:考える名無しさん
17/10/21 23:27:17.51 0.net
“ジャック・デリダの「解体」哲学、ドルーズ=ガタリの「リゾーム」理論に代表される
現代ヨーロッパの前衛的思想フロントは、明らかにアンチコスモス的である。
コスモスへの反逆、「ロゴス中心主義」的存在秩序の解体。
西洋思想のこのアンチコスモス的動向が提起する存在論的、意識論的問題群にたいして、
東洋哲学はどのような対応を示すであろうか。”
― 井筒俊彦 「コスモスとアンチコスモス」
267:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 11:07:22.96 0.net
井筒は悪い意味で言っているのではないがね
268:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 12:01:08.85 0.net
真空妙用。
真空は妙用のために存在している。
269:考える名無しさん
17/10/22 13:13:29.93 0.net
アンチコスモスは、アンチ-コスモスなのだから、コスモスに相対するもの
としてしか姿を現しえないだろう。始源としてのアンチコスモスはあり得ないのだ。
270:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 14:28:41.21 0.net
>>269
井筒の用法だと始源のカオスはアンチコスモスのカテゴリーに入ると思うが
271:考える名無しさん
17/10/22 23:55:59.38 0.net
アンチコスモスがコスモスに相対するものとしてしか姿を現しえないことは、
コスモスの「解体」としてアンチコスモスについて語ろうとすることが、
「解体」という表現にもかかわらず、秩序としてのコスモスがどのように
現れているのかを解明しようとすることになることを意味する。
272:考える名無しさん
17/10/24 13:13:16.34 0.net
コーランを破り捨て踏みつけにしたった
URLリンク(www.youtube.com)
273:学術 ディジタル rare shinscake adanei
17/10/24 13:14:46.59 0.net
クルアーンは?
274:学術 ディジタル rare shinscake adanei
17/10/24 15:09:19.01 0.net
イスラム金融よりハイエクだよ。利子どころの騒ぎじゃねえぜ。
傷つき仆れた兵士は。対偶が。
275:考える名無しさん
17/10/27 22:32:35.51 0.net
>>247
例えばこういうところ。
276:考える名無しさん
17/10/27 22:32:55.75 0.net
“我々の有限なる意識の背後に横たわれる無意識はxに対するdxの如く考へることができないであらうか。”
“我々が或一曲線を意識するといふことは此の如き意味に於て限定せられた曲線である”
“意識するといふことは無限なる全体が己自身を限定することである。”
― 西田幾多郎 「自覚に於ける直観と反省」17 『西田幾多郎全集3』 (2004)
277:考える名無しさん
17/10/27 22:33:11.74 0.net
任意の直線を意識する時は、実在する無限な直線に対して限定をかけている。
無限な潜在性から有限な現実性が、「限定」=「自覚」として立ち現われる。
278:考える名無しさん
17/10/27 22:33:33.98 0.net
>>276は以下に繋がる。
279:考える名無しさん
17/10/27 22:33:57.21 0.net
“仏道をならふことは自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の心身、
および佗己の心身をして脱落せしむるなりと云ふ(道元)。
それは限定するものなき限定、絶対無の自己限定と云ふことでなければならない。”
― 西田幾多郎 「哲学論文 第六」 『西田幾多郎全集10』 (2004)
280:考える名無しさん
17/10/27 22:34:19.26 0.net
訳
(仏道を習うということは、自己を習うことである。
自己を習うということは、自己を忘れることである。
自己を忘れるということは、一切万物を知ることである。
一切万物を知るということは、主客を分け隔てるものをなくしてしまうことである。)
― 道元 『正法眼蔵』 「現成公案」
281:考える名無しさん
17/10/27 22:34:47.35 0.net
井筒 数学× ギリシャ語○
西田 数学○ ギリシャ語×
282:考える名無しさん
17/11/06 03:02:18.03 0.net
東大出の学者で井筒並の知の巨人って誰かいますか?
井筒に言及したことのある東大関係者
渡辺浩、宇野重規、中島隆博、中村廣治郎、今道友信
283:考える名無しさん
17/11/06 03:35:15.84 0.net
井筒俊彦は辻直四郎に頭を下げて資料を借りてそれを一か月で読んで返して
読むのが速いと感心されたんだよ。
284:考える名無しさん
17/11/06 08:51:19.04 0.net
結局クルアーンを読まないと井筒は分からないなと思って、クルアーンの注解を買ったわ。
285:考える名無しさん
17/11/07 17:29:55.26 0.net
イスラム教が哲学?
西欧で仏教は倫理学(道徳哲学)と言われ宗教ではないと言われているのはわかる。
キリスト教やイスラム教に神学(理論的考察)はあるだろうけど哲学じゃないでしょ。
井筒俊彦は神秘主義哲学者らしいけど言語矛盾じゃなかろうか
哲学は形而上学で世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問
神秘主義は神秘的合一と呼ばれる絶対者と自己との合一体験にある
神秘主義哲学者って油性水性ペンと同じくらい奇妙に聞こえるんだが
286:考える名無しさん
17/11/07 17:40:08.01 0.net
>東大出の学者で井筒並の知の巨人って誰かいますか?
阪大出の学者で井筒並の知の阪神って誰かいますか?
287:考える名無しさん
17/11/08 08:57:46.85 0.net
東大関係者か知らないが個人的には中沢新一かとおもうけれども、
中沢さん本人は
「井筒さんには一生かかってもかなわない」
と、謙虚に語っている
288:考える名無しさん
17/11/08 09:10:27.62 0.net
「知の巨人」という称号を得るには、知識の深さや幅広さだけではなく、
知識量とか語学力とかいわば基礎体力的な部分で他を圧倒している必要がある。
日本で言えば南方熊楠とかそういうタイプの人に対して向けられる言葉。
289:考える名無しさん
17/11/08 10:37:31.58 0.net
>>285
勉強不足。神秘主義哲学は新プラトン派のプロティノスの時代からある伝統的哲学
プロティノスは神秘的合一体験を基にその哲学を展開した
井筒俊彦も「神秘哲学」で取り扱ってる
290:考える名無しさん
17/11/08 11:46:19.91 0.net
プロティノスどころかソクラテスも ダイモーンに導かれたとか言ってるじゃん
291:考える名無しさん
17/11/08 12:05:16.97 0.net
そもそも一神教圏以外では哲学と宗教は一体で分離してない
哲学の殿堂アカデメイアをキリスト教ローマが異教として閉鎖したようにギリシャ哲学は宗教と哲学が一体で分離してなかった
一神教ではギリシャ哲学を宗教とすると一教の教義に抵触するので哲学というジャンルとすることで両立を謀った側面があるのではないか?
292:考える名無しさん
17/11/08 22:21:32.87 0.net
>>285
イスラーム哲学
URLリンク(ja.wikipedia.org)
293:考える名無しさん
17/11/09 01:25:02.34 0.net
形而上学における主題の中でも最も中心的な主題に存在の概念がある
存在論の他に、神、精神、自由の概念等が伝統的な主題とされているけど
精神や物質もしくは数や神のような抽象的な事柄が存在するか、また人間という存在は
複雑に組み立てられた物質的な体系として定義できるかどうか
神学が哲学の部門視されることはあるが理性によっては演繹不可能な信仰の保持および
神の存在を前提とすることで、一切の思想的前提を立てない理性の学としての
哲学とは異なるとする見方が一般的です。
294:考える名無しさん
17/11/09 15:18:08.65 0.net
例えば自然科学の学者、科学者ですね。
科学者が実験、観察、分析、総合、仮説と実証に神を語りだしたらどうでしょう。
神秘主義科学者などと言うのでしょうか。とたんに怪しい人ですよね。
ここにいるのだから皆さんは哲学に傾倒しているのでしょう。
神秘主義哲学者などと哲学に対する侮辱ではないでしょうか。
個人的には社会科学と言う表現も不愉快極まりない。科学に対する侮辱と言っていい。
295:考える名無しさん
17/11/09 18:19:07.37 0.net
>>294
神秘主義哲学は必ずしも神なんて事は言わない。井筒俊彦読んでみろ。神なんか出てこないから
ミスティシズムとオカルティズムを混同した的外れ言うな。
296:考える名無しさん
17/11/09 20:49:07.03 0.net
>>293-294
井筒の本はどれを読んだ?
297:考える名無しさん
17/11/09 21:24:34.15 0.net
>>293
カントの『純粋理性批判』は?
298:学術
17/11/09 21:43:59.52 0.net
推理力自己批判精神ぐらいでどうだ。次代のカントは。
299:考える名無しさん
17/11/11 09:23:31.69 0.net
井筒俊彦著作集別巻面白いな
正巻より面白いかもしれん
300:考える名無しさん
17/11/11 09:56:05.46 0.net
対談は読みやすいし、具体的な話題も出てくる
301:考える名無しさん
17/11/12 20:00:25.82 0.net
298 名前:あぼ~ん[NGName:学術] 投稿日:あぼ~ん
302:考える名無しさん
17/11/19 23:01:37.22 0.net
井筒豊子の「井筒俊彦の学問遍路ー同行二人半」読みはじめた
303:考える名無しさん
17/11/20 00:41:14.58 0.net
>>302
新しい本だ。(2017/9/15)
今年亡くなったのか。
304:考える名無しさん
17/11/20 00:45:46.65 0.net
井筒豊子 『白磁盒子』 (1993)
短編小説集。
井筒と放浪のタタール人学者ムーサーのやり取りが描かれているもの。
305:考える名無しさん
17/11/20 00:46:30.01 0.net
>>3の英文著作翻訳コレクション
『2 クルアーンにおける神と人間―クルアーンの世界観の意味論』 (2017年6月)
『3 存在の概念と実在』 (2017年9月)
も出てた。
ハイデガー/サルトルとイスラムの存在論の比較とか。
306:考える名無しさん
17/11/20 20:18:49.07 0.net
井筒俊彦の学問遍路には余り知られてなかった彼のマッギルからイラン時代やそれ以降まで詳しく書かれてる。内気で人間嫌いとも言われる井筒だが内外問わずそうそうたる面子と関わりあいその才能を認められてる
307:考える名無しさん
17/11/23 13:16:51.44 0.net
道元の「現成公案」>>279-280自体も華厳的。
自己(一)を忘れる
↓
一切(多)を知る
↓
一切によって自己を知る
自己否定が自己の外部に突き抜け、自己を規定する超越的視点になる。
これ自体が、既にクラインの管的な循環モデル。
クラインの管
URLリンク(polyhedra.cocolog-nifty.com)
URLリンク(pds.exblog.jp)
308:考える名無しさん
17/11/23 13:17:07.85 0.net
一即多、一即一切の華厳的記号学モデル
A ([a]、b、c、d、e、、、)
B (a、[b]、c、d、e、、、)
C (a、b、[c]、d、e、、、)
[ ]は強調
シニフィアンA/シニフィエaという単純な一対構造ではなく、
シニフィアンがAやBやCである時にもシニフィエは常に(a、b、c、d、e、、、)であるモデル。
Aの時には、相互に浸透し照合されたa、b、c、d、e、、、の中のaが強調される。
参考:井筒俊彦 『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
309:考える名無しさん
17/11/23 13:18:13.03 0.net
デリダの「ロゴス中心主義の解体」による存在根拠解体のあと(後、跡)。
井筒俊彦氏「事事無礙・理理無礙ーー存在解体のあと」 要約
URLリンク(www.furugosho.com)
“事物を事物として成立させる相互間の境界線あるいは限界線
ーー存在の「畛」的枠組みとでもいったらいいかと思いますがーー
を取りはずして事物を見るということを、古来、東洋の哲人たちは知っていた。
それが東洋的思惟形態の一つの重要な特徴です。
「畛」的枠組みをはずして事物を見る。
ものとものとの存在論的分離を支えてきた境界線が取り去られ、あらゆる事物の間の差別が消えてしまう。
ということは、要するに、ものが一つもなくなってしまう、というのと同じことです。
限りなく細分されていた存在の差別相が、一挙にして茫々たる無差別性の空間に転成する。
この境位が真に覚知された時、禅ではそれを「無一物」とか「無」とか呼ぶ…”
310:考える名無しさん
17/11/23 14:49:47.16 0.net
マルチするなゴミが
311:考える名無しさん
17/11/23 23:05:20.12 0.net
モノたちの宇宙ー思弁的実在論とは何かーの解説に今後ハーマンと井筒俊彦の哲学、あらや識の理論や廣松渉の事的世界観の比較が重要になると書いてる
312:考える名無しさん
17/12/12 14:21:24.29 0.net
意識と本質の内容
①無本質論…禅、老子
②有本質論
1個別的本質論…本居宣長
2普遍的本質論
(1)存在の深層に本質が在る
…宋学
(2)元型的本質が在る
…シャーマニズム、密教、スーフィ、カバラなど
(3)表層意識で理知的な概念として本質を捉える
…孔子の正名論、プラトン、ニヤーヤヴァイシェーシカなど
意識の形態
1表層意識
2イマージュ世界
3言語アラヤ識
4c領域
5存在の0ポイント
313:考える名無しさん
17/12/12 19:48:42.47 0.net
存在の概念と実在性で神は存在であるというモッラーサドラーの解釈が出る
井筒俊彦の神観念でもあるだろう
こういう観念で思い出すのはシャンカラの不二一元論だ
314:考える名無しさん
17/12/14 09:11:22.08 0.net
「意識と本質」も、
後半のユダヤ教の説明は割とどうでも良く、鬱陶しい
315:考える名無しさん
17/12/14 12:18:36.51 0.net
仏教が哲学を語るのは理解できる。西欧でも倫理学とか道徳哲学言われてるから
しかし一神教ごときが哲学って・・・。
316:考える名無しさん
18/01/07 01:43:33.63 0.net
自分は井筒さん読み始めの初心者だが、禅仏教の哲学に向けてが凄過ぎて、夢中になって読みました
御本人のリアリティに裏打ちされたというか…
なかなかあそこまで書ける人はいないなあって
ただ難解なのといちいち自分の先入観が揺さぶられるから読み進むのにえらい時間がかかる(笑)
317:考える名無しさん
18/01/12 22:04:35.30 0.net
>>315
仏教が哲学的発展を遂げたのは実質的には初期段階だけだ、大乗仏教で説かれた膨大な教説は
一見して論理的に見えるのだろうが実態はそうではなく一神教と変わらぬ独断論の集積に過ぎない
318:考える名無しさん
18/01/13 02:44:05.24 0.net
>>317
何子供の戯言じみた事を(笑)
大乗中観や唯識は現代哲学や現代心理学と比肩される事もある代物
華厳の教学は現代数学の列の論理を含む
密教はホロン理論と比較されユングも注目した
禅はヴィトゲンシュタインとハイデガーという20世紀の二大哲学者と比較されそれより進んだものと言われたりする事もある
319:DJ学術
18/01/13 10:03:01.27 0.net
フランス文学の方が本質的でいいと思う。後は文字列の韻とか、関連させたり、
死や文学の技術の関係を、同族的にしないことだろう。
320:考える名無しさん
18/01/13 15:16:26.70 0.net
科学と仏教を結びつけて考えようとする試みなど、どれも強引なこじつけばかりだろう
特に、大乗経典は釈迦や如来がSFチックな異能力者で超人だからやってることが一神教と大差ない
321:DJ学術
18/01/13 15:33:39.53 0.net
宗教文学に向いてるな。小乗の体も荒らされたよ。
322:考える名無しさん
18/01/13 15:36:03.47 0.net
>>320
あなたが言ってるイメージにあるのは強引に現代物理学と東洋哲学を結合させた浅はかなニューエイジの類
井筒俊彦のもの読んでから大乗に文句言ってね。
323:考える名無しさん
18/01/13 16:02:12.56 0.net
スマナサーラっていう有名仏教徒が、仏教は心の科学とか言ってるし、
科学者が瞑想を研究したマインドフルネスってのもやたら流行ってるし、
たしかに仏教と科学を結び付けようという流れはあると思う。
現代は、科学的な枠に収まってないと信用されないんだろうな。
実際には科学ってのは限界もあるのに。
324:考える名無しさん
18/01/13 19:01:34.72 0.net
ヨーガ行唯識派なんかはヨーガ行で内観してその心の動きをチェックしつつ仏教心理学を体系化していった。
そういう側面が仏教にはある
勿論井筒俊彦も内観による内的体験がその哲学の基礎になってる
325:考える名無しさん
18/01/16 10:00:01.10 0.net
>>323
マインドフルネスは科学とは特に関係ないだろ
昔からあるヴィパッサナー冥想を上座部の人たちが英語で熱心に布教してるだけで
326:考える名無しさん
18/01/16 11:40:59.33 0.net
>>325
禅やヴィパッサナーのストレス低減効果や集中力改善効果などを科学的に検証したのがマインドフルネス
327:考える名無しさん
18/01/16 21:49:19.89 0.net
エハン塾「井筒俊彦の紹介」
URLリンク(youtu.be)
エハン塾「仏教とキリスト教のマインドフルネス」
URLリンク(www.youtube.com)
328:考える名無しさん
18/01/27 12:12:29.00 0.net
北アフリカ・中東地域生まれつき知能が低い疑い
難民のIQは大卒であってもわずか93しかない
ボイス・オブ・ヨーロッパに掲載された、欧州の移民問題についての赤裸々な議論です
EUと主要メディアは、高齢化する欧州は若い労働力を補うために移民が必要だと言う。
しかし、現実はそれとはかけ離れている。たとえば、ドイツ、スイス、そしてオランダでは、
80~99パーセントの移民が、移住後1年以上を経てもなお定職に就いていない。
多くの移民は、現代の欧州で労働力として要求される技能を有していない。
心理学教授ハイナー・リンダーマンは、2015年10月に難民(移民)がドイツ人と比較して
平均的に低い知能しか持っていない。彼の研究によると、大卒の難民の数学と抽象的な
タスクにおける平均知能指数は93で、地元の高校生と同レベルしかなかった。
よく指摘される“言語の問題”はこの差異が生じている理由のほんの一部でしかなく、
根本的な問題は基礎技能の欠如だとリンダーマンは続けた。「ムスリム社会やアフリカで
見られる頻繁な血族間結婚(いとこ同士の結婚など)とそれによって引き起こされる障害が
問題を悪化させている」と、彼は付け加えた。すべての人間は能力と可能性において平等
であると左翼は信じているが、世界のIQ地図が示しているように、そんなことはありえない
違った地域から来た人たちは皆違うということを認めることは、事実上、レイシストではない。
「高い認知能力を持った人口が多い国々は、単に裕福なだけではなく、
平均的に言ってより自由で民主的であり、法の支配と平等がより確立されており、
有能な政府に統治されている。そういった社会は殺人発生率も低く、より安全だ。
そのような現代性は「認知の現代性」であり、
高い認知能力抜きでは獲得できたり促進できたりするものではない!」
URLリンク(www.newshonyaku.com)
329:考える名無しさん
18/01/27 20:56:54.40 0.net
体育会系と理科系の違いでしかないだろう。それをレイシズムにするのは間違っていると思う。
330:考える名無しさん
18/01/27 21:01:59.48 0.net
それは、欧米ではだいぶ前から、さんざんやってきた議論。
黒人の知能指数が低いのは、後天的な要因なのか、それとも、先天的な要因なのか。
これについては、盛んに議論されている。
まちがいないのは、「黒人の知能指数が低い」ということ。
こればかりは客観的事実なので、誰も否定できない。
議論されているのは、その「原因」について。
331:考える名無しさん
18/01/27 21:02:48.12 0.net
しかし、アラビア人やペルシャ人は、多くの偉大な知識人を輩出してきた歴史を持っている。
332:考える名無しさん
18/01/27 21:06:52.59 0.net
>>323
>スマナサーラっていう有名仏教徒が、仏教は心の科学とか言ってるし、
科学者が瞑想を研究したマインドフルネスってのもやたら流行ってるし、
たしかに仏教と科学を結び付けようという流れはあると思う。
それは、「科学」と言ってるだけ。
あんまり関係ないよ。
333:考える名無しさん
18/01/27 21:08:24.47 0.net
要するに、思考停止して頭の中をカラッポにすることにより、感覚を研ぎ澄ませる。
自分の身体や精神に、意識を集中する。
それがマインドフルネス瞑想。
334:考える名無しさん
18/01/27 21:12:40.17 0.net
アメリカの黒人で泳げるのは2割程度だと言われる。これは説明なしに理解できる。
イスラムのレベル低下は、毎日アザーンがあって礼拝が義務付けられてるんだからイヂメられっ子と同じだよ。当分ダメだろうね。
335:考える名無しさん
18/02/14 03:46:35.76 0.net
大川周明 『安楽の門』
私は此の書斎(松沢病院の病室)に古蘭原典と、十種に余る和漢英仏独の訳本を自宅から取寄せ、昭和二十一年十二月一日から之を読み初めた。
それは私が乱心中の白日夢で屡々マホメットと会見し、そのために古蘭に対する興味が強くよみがへったからである。
336:考える名無しさん
18/02/14 12:32:54.54 0.net
極東軍事裁判にかけられたとき大川はキチガイのふりをして死刑を免れた
イスラムに傾倒したのはその贖罪の念が拭い去れなかった所為だろう
337:考える名無しさん
18/03/02 23:34:50.59 0.net
>>328
普通の生活を送れる人間と難民とでは、そもそも学習環境に違いがあるだろ
338:考える名無しさん
18/03/02 23:39:30.54 0.net
ハッラージュ 「アナ・ル・ハック (Ana al-Haqq)」 (われは真理(=神=真実在)なり)
> Haqq is the Arabic word for truth.
> In Islamic contexts, it is also interpreted as right and reality.
> Al-Haqq, 'the truth, is one of the names of God in the Qur'an.
> It is often used to refer to God as the Ultimate Reality in Sufism.
そう言って処刑されるわけだが
339:考える名無しさん
18/03/02 23:40:31.22 0.net
アウグスティヌスと「VERITAS(真理)」の文字
URLリンク(dowym.com)
> 真理はどのように認識されるのであろうか。
> アウグスティヌスは真理(veritas)を真なるもの(verum)との関係において認識しようとする(I, 15, 27)。
> この二つは別のものとして,真理は真なるものの存在の根拠であり,
> 真なるものは真理によって存在させられる(I, 15, 27)。
> 言い換えれば,真理は神的存在で,真なるものはその被造物だということである。
340:考える名無しさん
18/03/02 23:41:26.86 0.net
アウグスティヌスはアルジェリア。
アウグスティヌスが一時期信奉していたマニ教は、ゾロアスター教、キリスト教、仏教などの流れを汲む。
341:考える名無しさん
18/03/03 01:32:15.65 0.net
井筒が指摘した、イスラムの神が仏教の真如に近いものである、
というテーゼは、別に難しい話ではなく、
>>338の様なwikiの辞書的説明にも用いられるもの。
これによって、キリスト教、イスラム、仏教のそれぞれ、
真理=真実在=真如が比較される。
その実体は、神であったり、現象であったり、あるいは偶然性であったりもする。
342:考える名無しさん
18/03/03 07:41:36.91 0.net
また真如厨か
343:考える名無しさん
18/03/05 22:40:51.20 0.net
イブン・アラビーのアッラーと無
> 宗教と信仰の言葉では「神」と呼ぶべきものを、イブン・アラビーは哲学用語の次元で「存在」(wujūd)と呼ぶ。
> これは現実にこの世に存在している「存在者」や「現実存在」(mawjūd)とは全く異なる原理存在であるとする。
> そしてその存在の究極位をプロティノスの「一者」と同じように「存在の彼方」に置くと同時に、
> それが全存在世界の太源であると考えた[5]。
> イブン・アラビーの「存在」は、無名無相、つまり一切の「…である」という述語を受け付けない。
> 「神である」とも言えない。なぜなら神以前の神は、普通の意味の神ではないからである[6]。
> 「存在」(wujūd)には、「自己顕現」(tajallī)に向かう志向性が本源的に備わっており、
> 「隠れた神」は「顕れた神」にならずにはいられない。
> 無名無相の「存在」が「アッラー」という名を持つに至るこの段階は、
> ヴェーダーンタ哲学における意味分節する以前の全体存在である「上梵」から
> 言葉によって言い表すことができる経験的世界である「名色」へと移り変わる段階にあたる、と井筒俊彦は解説する[6]。
344:考える名無しさん
18/03/05 22:41:51.53 0.net
>>343
「東洋的無」と呼ばれるもの
・神(アッラー)そのものが自己顕現する無
・ユダヤ神秘主義カバラにおける神の内なる無
・プロティノスの一者
・ヴェーダーンタ哲学における無相のブラフマン
・老荘の道
・禅の無
・大乗仏教の真空妙有
・易学の無極即太極
意識・存在・実在のゼロポイントである純粋な無、
絶対無から絶対有への展開。
345:考える名無しさん
18/03/05 22:43:30.31 0.net
井筒のいう「ゼロポイント」という言葉は何に由来するものだったか
346:考える名無しさん
18/03/05 23:59:24.41 0.net
>>328
「北アフリカ・中東地域生まれ」の人達が始めた宗教を
世界の半分以上の人達が信奉しているわけだろ
・キリスト教 22億5400万人(33.4%)
・イスラム教 15億0000万人(22.2%)
・ヒンズー教 9億1360万人(13.5%)
・仏 教 3億8400万人(5.7%)
・無宗教:7億6900万人(11.4%)
・無神論:1億4830万人(2.2%)
・心霊主義:1366万人(0.2%)
・バハーイ教:786万人(0.1%)
・中国伝統的宗教:3億8720万人(5.7%)
・儒 教:641万人(0.1%)
・道 教:337万人(0.1%)
・神 道:278万人(0.0%)
・その他:134万人(0.0%)
合計:67億4960万人 (百科事典「ブリタニカ」年鑑2009年版)
347:考える名無しさん
18/03/06 05:11:56.79 0.net
うむ。
348:考える名無しさん
18/03/07 23:49:19.19 0.net
ロシア哲学・思想史関連
『ゲンロン6・7 ロシア現代思想I・II』 東浩紀 (2017)
『20世紀ロシア思想史 : 宗教・革命・言語』 桑野隆 (2017)
『ロシアあるいは対立の亡霊 : 「第二世界」のポストモダン』 乗松亨平 (2015)
『ロシア精神史への旅 : 野口和重ロシア史論集』 野口和重 (2009)
『ロシアの源流 : 中心なき森と草原から第三のローマへ』 三浦清美 (2003)
『ロシアとヨーロッパ-ロシアにおける精神潮流の研究 1・2・3』 T.G.マサリク (2002-2005)
『ロシア学を学ぶ人のために』 藤本和貴夫 (1996)
『ロシア精神史 哲学と社会思想の流れ』 セルゲイ・レヴィーツキイ (1994)
『ロシア思想史』 森宏一 (1990)
『ロシア思想史 : メシアニズムの系譜』 高野雅之 (1989)
『ロシア精神の源 : よみがえる「聖なるロシア」』高橋保行 (1989)
『ロシア・ソヴィエト哲学史』 ルネ・ザパタ (1997)
『ロシア的人間』 井筒俊彦
349:考える名無しさん
18/03/07 23:50:06.33 0.net
混沌(カオス)といえば、ロシアもやらないといけない。
井筒は、ロシアには「原初(エレメンタール)な根源」があるという。(「ロシア的人間」)
それから、「存在の窮極の太古の源に彼等は直接つながっている」とも。(「露西亜文学」)
350:考える名無しさん
18/03/07 23:50:56.53 0.net
難しい話だが、このことはロシアをやっていく上で時折ヒントになる。
351:考える名無しさん
18/03/09 22:38:41.61 0.net
“おお夜の海よ、お前は何と美しいことか!
ここは燦々と輝き、かしこは暗く濃藍色、
月光を身に浴びて、海は生きもののように
歩み、呼吸し、きらめいている。
涯て知らぬ自由のひろがりの上に
閃々と光り、たゆたい、遠雷のごとくどよみ轟く
縹渺たる月光を全身に浴びた海よ、
人気ない夜の世界に、お前はなんと素晴らしいことか。
巨大なるうねりよ、海のうねりよ
お前はそんなにして誰の祭日を祝つているのか。
浪は轟き輝きつつ寄せて来る。
目ざとい星達が空にまたたいている。
この動揺のさなかに、この煌燿(きらめき)のさなかに、
夢みるごとく茫然と私は立ちつくす。
ああ如何に心地よいことであろうか
この魅惑の中に魂を沈め盡すことができたなら”
― チュチェフ 「無題」 1865年作 (井筒俊彦「ロシア的人間」9章)
352:考える名無しさん
18/03/10 14:16:17.36 0.net
>>351
笑いそうになった
353:考える名無しさん
18/03/10 19:21:00.66 0.net
>>351はシェリング。池沼は笑うしかないだろう
354:考える名無しさん
18/03/10 19:22:23.29 0.net
井筒は、ギリシャ語をやった延長でロシア語をやった
355:考える名無しさん
18/03/10 19:22:57.90 0.net
“ギリシャ正教の修道院における祈りは、ヘシュカズムと呼ばれる行法に則って行われる。
ヘシュカズムとは、自己の内面への沈潜、静寂(ギリシャ語でヘーシュキア)を求めて精神を集中するために、
イエスの祈りと呼ばれる短い祈り「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐み給え。」を繰り返し称える行法である。
その際、自己の内面への精神集中の一助として、座法や呼吸法をともなった精神身体技法、心身技法を援用する。
イスラームはスーフィズムのズィクル(神の名の連禱)や仏教は真言密教の三密(身、口、意)瑜伽行とほとんど変わる処はない。”
― 『ギリシャ正教 無限の神』 落合仁司 (2001)
356:考える名無しさん
18/03/10 19:28:34.77 0.net
落合は全く話にならないんで引用しないほうがいいぞ
357:考える名無しさん
18/03/10 19:43:34.49 0.net
ヘシュカズムの説明なんてこれぐらいのものでしょ
話になる話とは?
358:考える名無しさん
18/03/10 19:49:59.43 0.net
ヘシュカズムとは、自己の内面への沈潜、静寂(ギリシャ語でヘーシュキア)を求めて精神を集中するために、
イエスの祈りと呼ばれる短い祈り「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐み給え。」を繰り返し称える行法である。
↓
この前提から間違いだから
ヘシュカズムは何らかの行法じゃない極端にいえば呼吸法とか座法とかの方法はあってもなくてもいいようなもの
359:考える名無しさん
18/03/10 20:33:01.16 0.net
>>358
> ヘシュカズムは何らかの行法じゃない
で、何なの?観想だとでも言いたいの?
>>355には、「一助として…援用する」とあるでしょ。
複数の本、各種宗教事典で調べてもこれぐらいのもの。
360:考える名無しさん
18/03/10 23:58:39.67 0.net
>>355
ズィクルと真言密教は同根だろう。
前者は井筒、後者は小滝がそれぞれ詳しい。
『イスラーム哲学の原像』 井筒俊彦 (1980)
『密教とイスラーム 高野山修行記』 小滝透 (1987)
361:考える名無しさん
18/03/11 00:37:03.87 0.net
>>360
笑いそうになった
362:考える名無しさん
18/03/11 01:55:26.43 0.net
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
64NJK
363:考える名無しさん
18/03/11 08:35:58.15 0.net
>>352、>>361
手錠をかけられたまま笑って見せるのが政治犯
364:考える名無しさん
18/03/19 00:13:39.13 0.net
>>351は無題で正解だった
365:考える名無しさん
18/03/19 00:14:46.31 0.net
ギリシャやロシアの正教には絶対的な深さがある
366:考える名無しさん
18/03/19 00:17:08.10 0.net
>>360
神秘主義や神人合一は、世界中に例があるから、
今更どうこう言うものでもないが、
この二つの比較だけはショッキング。
367:考える名無しさん
18/03/19 00:18:50.78 0.net
井筒俊彦 『存在の概念と実在性』 (2017/10/21)(英文著作翻訳コレクション3)
は読んだだろうか?
ここへきて井筒哲学が2割増しになる。
・ハイデガー/サルトルの実存主義とイラン哲学の存在主義の比較
・ファナーとバカー論 再
・イブン・アラビーによる無からの神的顕現 再
・エッセンティアとエクステンティア
・イウティバールとイウティバーリー
ほか
368:考える名無しさん
18/03/23 21:26:39.56 0.net
井筒はゾロアスター教に対して否定的だろうか。
369:考える名無しさん
18/03/24 08:29:41.46 0.net
『宗教哲学入門』 量義治、講談社学術文庫 (2008)
井筒がやっていた様なこと。
仏教、キリスト教、イスラム教から宗教批判まで、
統一された哲学用語で相対化して通観する一冊。
370:考える名無しさん
18/03/25 13:53:06.53 0.net
井筒が表紙に写ってる雑誌あるだろ。
あれ見てオレかと思った。
やっぱな、オレって才能あるかも。
371:考える名無しさん
18/03/25 20:18:36.35 0.net
>>370
URLリンク(img-cdn.jg.jugem.jp)
372:考える名無しさん
18/03/26 06:29:29.57 0.net
>>70
講談社学術文庫の「マホメット」が良い
373:考える名無しさん
18/03/27 11:54:51.16 0.net
ムハンマドは初期のころから命をねらわれたりして
今のオウムみたいな胡散臭い存在だったらしいな。
1000年後いや500年後どうなっているやら。
374:考える名無しさん
18/04/27 19:13:18.05 0.net
井筒俊彦の哲学は原型としてはシャンカラのそれにより近いと思う。
大乗仏教より井筒俊彦は実在論的で主客未分の実在を語ったのはシャンカラだから。
375:オーバーテクナナシー
18/04/28 06:36:03.46 0.net
☆宗教的狂信(イスラム等)思考実験 [転載禁止]©2ch.net
スレリンク(future板)
376:し
18/04/29 05:38:58.13 0.net
井筒俊彦『意識と本質』によると
井筒が「本質」を2つに分けた
a、マーフィーヤ(特殊的意味での本質)
b、スーフィーヤ一般的意味での本質)だけど、
aは普遍的「本質」(マーフィーヤ)
bは個体的「本質」(スーフィーヤ)
詩人
リルケ
マラルメ
松尾芭蕉
それぞれでスーフィーヤとマーフィーヤという本質を追求する態度が違うらしいが。
詩について私が言えることはないが、
これについては、もう一度読み直してまとめてみる。『意識と本質3.4.5に論じられているので、
興味あれば読んでみ
今その次の『意識と本質6』のところ
禅やバカヴァット・ギータのところを読んでいるので、ここのところから。
あとでレジュメ書く
377:し
18/04/29 05:40:21.12 0.net
『意識と本質』チャプター6
禅ー
すべての存在者から「本質」を消去
すべての意識対象を無化。全存在世界をカオス化してしまう。
一旦カオス化しきった世界に禅は、また再び秩序を戻す。
まったく新しい形で。さまざまな事物がもう一度戻ってくる(しかしあくまで無「本質」的に
具体的には
道元禅師『坐禅箴』
「水清くして地に徹す、漁行きて魚に似たり。空闊くして天に透る、鳥飛んで鳥のごとし」
↓
本質が措定されていない。が、「本質」がないのに鳥は鳥として文節されている。
「川の中を泳いでいる漁」を見ている私が見ているものを禅は無化する。「川に魚が泳いでいることは現実だとしても、
それを映している私の意識がみているものは全て虚像に過ぎない。
「鳥飛んで鳥のごとし」。これも同じで鳥が飛んでいるということ自体、禅では虚像だという。
本来なら「川の中を泳いでいる漁」は確かに私の目に現実として映っている筈である。
何故なら私の意識は、川を泳ぐ漁を「本質」として、確かに現前していると確信しているから。
私たちの意識は「鳥が飛んでいる」景色を見て、「本質」を掴み取っている。
確かに鳥は飛んでいるのだ。何故ならありありと鳥が空を飛ぶ姿を私の意識は、掴んでいるから。
その現実を「本質」として捉える作用が、私の意識の自然な働きだからである。
↑
禅はこれらの意識の働きを無化するという。
つまり実存体験事実に至るのである。
禅は鳥が空を飛んでいることを「本質」として捉える。そしてそれは虚像であることを意識として捉える。
禅の意識はメタ的に本質を無化しているのである。本当は鳥が実際に空を飛んでいることを知っている。
知っていて無化するのだ。無化して、再び秩序を戻す。そして戻した瞬間に「本質」を無化する
では、どうしてそうする必要があるのだろうか?
378:し
18/04/29 05:41:08.81 0.net
『バカヴァット・ギータ』第18章の一節(サーンキヤ哲学)
「三徳」という考え方があり、
現実在(現質)-
純質(サットヴァ)-全世界を究極的一者として眺める
激質(ラジヤス)-現象的多者の間に動揺ただならぬ意識
闇質(タマス)-愛憎に縛られた沈重な意識
感覚器官も意識も、その対象である外界の事物も、すべてこれら三種の存在エネルギーの
さまざまな混合によって現象し、いわゆる経験界を形成する。
その「三徳」は禅の「無心」「有心」「執心」に当てはまるという。
379:し
18/04/29 05:42:00.56 0.net
禅に当てはめると
a、純質ー「無心」
b、激質ー「有心」
c、闇質ー「執心」
a、全存在界を究極的一者性において眺める。
b、経験的事物を個々別々なものとして差別し、それらを個々別々に認識する。
c、特定の事物に対する欲情的妄執的な態度。ある一つの対象をまるでそれが全てであるかのように
追い求める、根拠のない愛着の心
禅の「心を擬する」ー
意識のエネルギーをある一定の方向に向かって緊張させ、その先端に一つの対象を認知すること
「至道」への最大の障礙
現実を「本質」的に文節し、個々別々のものとしてしか見ることができない。
「有心」の段階においては、必ず分節的意識が作用するやいなや、存在の真相は無限の彼方に姿を消す
380:考える名無しさん
18/04/29 18:35:32.23 0.net
意識と本質の29ページにシャンカラとイブンアラビーの共通性を指摘し東洋哲学の一つの典型としてる。
おそらく井筒俊彦の本音が出てる。
勿論大乗仏教特に禅の本質否定論も出すがどちらかというとシャンカラ寄りではないか?
381:考える名無しさん
18/05/13 16:08:10.92 0.net
ピューリサーチセンターの調査によると
エジプトの88%、パキスタンの62%、ナイジェリアの51%のイスラム教徒が
イスラム教から棄教・改宗する者は殺されるべきだと信じている。
また似たような割合で姦淫には石打、ムハンマドを侮辱する者には厳罰
窃盗犯の腕は切り落とせと考えている。南アジアの84%、東南アジアの77%
北アフリカの74%、サブサハラの64%のイスラム教徒はシャリーアが
国法であるべきだと答えている。西欧にいるムスリムでさえ高い割合で同様の結果が出ている
イスラム教徒はバスだろうがレストランであろうがイスラエルに対する攻撃は
理にかなっていると信じている。「言論の自由」「宗教の自由」「報道の自由」「女性の権利」
「同性愛者の権利」など認めるムスリムは極めて少数派なのはハッキリしている。
ムスリムが啓蒙主義を受け入れた証拠は存在しない。イスラムはキリスト教徒やユダヤ教徒と
争うだけではなくヒンドゥー教徒や仏教徒と衝突している。
改宗の自由すらない。宗教警察なんてものまであるイスラム社会。
世俗法を人間が決めた法、シャリーアは神が決めた法
世俗法に従う義務はないと公言するような連中がいる、こんな邪悪な宗教が他にあるだろうか。
382:123師
18/05/13 18:18:21.84 0.net
377.
本質を消去、か。
無化する、か。
それは、本来無一物、であるからである。
それで、カオス化する、か。否である。それは秩序となる。
カオスではなく、それは秩序である。
それを、秩序として理解できないこと、が限界となる。
だからして、以後は、勝手な解釈となる。
383:し
18/05/13 18:30:01.63 0.net
>>382
勝手な解釈ではなくて、ちゃんと書いてある。
チャプター6読んでから言おうか!
384:123師
18/05/13 18:56:04.17 0.net
383.
勝手な解釈を信じるバカである。
385:し
18/05/13 18:58:48.94 0.net
読んでおれが作ったレジュメだけど
386:考える名無しさん
18/05/20 16:04:41.63 0.net
反ユダヤ主義とイスラムフォビアの間には同等のものではない
前者は人々の邪悪な悪魔化だったが後者は正当な批判を黙らせるために使われた
合理的で根拠のある証拠があるため、批判は正当です
恐怖症は偏見ではなく精神障害である。不合理な恐怖、
それは共感を感じる被害者を衰弱させる。精神障害には合理的な根拠はない。
イスラム世界が批判を病理に変えるということをイスラム世界が発明したのはこのためだ
それだけに留まるわけではなく時に人種差別と主張し誤魔化そうとするのです。
387:考える名無しさん
18/05/29 00:26:51.79 0.net
イスラム教徒だけは入れてはならない。
ロシアは欧米から「国家が社会を支配する国」と思われている
常に改革も上から行われる。イヴァン雷帝、ピョートル大帝、スターリンなど
それに対し欧米は「社会が国家を支配する国」で本質的に合わない
封建制の有無が違いを生んだとされている。
なお白人は日本が中国や韓国とうまくやれるとは思っていない。
それは日本が分権的で中国・韓国が専制的な社会で本質的に異なるから
梅棹教授の生態史観によればロシア・イスラム・インド・中国は政治的に専制国家文化
また一神教は本質において自己の絶対性を主張している原理的に他者を尊重するはずがない
唯一正しいと主張しているのだから相手に対して「あなたも正しい」などと言うはずがない
多神教のように多様な人格を持つ神々を認める宗教とは共通性など存在しないのだ
そして他者の権利を尊重する啓蒙主義・リベラル社会の今日、一神教に正当性など存在しない
イスラム世界は政治文化が専制的で宗教は一神教で最悪の組み合わせ
日本の分権的・多神教文化の真逆である
388:考える名無しさん
18/05/29 01:30:57.45 0.net
>>387
井筒の本は読んでるの?
389:DJgensei artchive gemmar
18/05/29 13:33:04.36 0.net
兵隊引いたアホ。
390:DJgensei artchive gemmar
18/05/29 13:33:23.35 0.net
戦死に届かないアホ。
391:DJgensei artchive gemmar
18/05/29 13:33:48.26 0.net
中二隊ぐらいのあほ。
392:DJgensei artchive gemmar
18/05/29 13:34:12.91 0.net
殆んど間違っているあほ。
393:考える名無しさん
18/05/29 23:33:12.87 0.net
>>389-392
未だに井筒も読まず、
こんな政治工作(>>386-387)をやっているのか?
394:考える名無しさん
18/06/04 14:56:35.96 0.net
>>376
スーフィーヤって何だよw
そんなもんはないw
395:考える名無しさん
18/06/04 20:29:13.45 0.net
フウィーヤ
396:考える名無しさん
18/06/04 20:46:29.09 0.net
>>394
揚げ足とってんなよ。
内容について批判しろよw
397:考える名無しさん
18/06/04 20:59:20.92 0.net
スーフィーヤwww
398:し
18/06/04 21:03:08.47 0.net
>>397
ああ、それな。正確な言語ではないが、そんなちっさいことに笑ってるジュン吉の方がな。
399:考える名無しさん
18/06/04 21:18:14.45 0.net
間違ってたくせに逆ギレかよw
400:し
18/06/04 21:23:09.50 0.net
おまえは本質的な発音わかって言ってるのか?
説明よろ
401:考える名無しさん
18/06/06 23:28:16.44 0.net
聖クルアーン - Islamic Books Japan
URLリンク(islaam.ninja-x.jp)
アラビア語・日本語・英語 対訳
日本語:日本ムスリム協会 日亜対訳注解聖クルアーン
402:考える名無しさん
18/06/06 23:28:58.30 0.net
コーラン各種
(1)『コーラン(全3冊)』 井筒俊彦、岩波文庫 (1957)
(2)『聖クルアーン ― 日亜対訳・注解 』 三田了一、日本ムスリム協会 (1982)
(3)『コーラン(全2巻)』 藤本勝次、池田修、伴康哉、中公クラシックス (2002)
(4)『日亜対訳 クルアーン ―「付」訳解と正統十読誦注解』 中田考、作品社 (2014)
予備知識がなくても一気に読めてしまうのは井筒訳。
原語の持つ生き生きとした感じが日本語でも再現されている。
注釈が詳しく、落ち着いて読みたい向きには日亜対訳のムスリム協会版。
その他も読みやすい。
403:考える名無しさん
18/06/06 23:29:17.32 0.net
コーランの構成(井筒訳)
・上 10章(1~10章)後期
・中 23章(11~33章)中期
・下 81章(34~114章)中期、初期、最初期
コーラン各章の配列は成立年代をほぼ逆さまにした形で収録されている。
初めの方は一章ずつが長く、だんだん各章が短くなっていく。
ムハンマドが受けた最初の啓示の瞬間に向けて、本を読み進めていくことになる。
404:考える名無しさん
18/06/06 23:31:41.84 0.net
110章は最後期だが
405:考える名無しさん
18/06/06 23:51:55.63 0.net
一部例外もあるけれど、おおまかな構成という話
406:考える名無しさん
18/06/07 20:52:50.96 0.net
610年頃、メッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想していたムハンマドは突如金縛りに襲われた。
そのとき天から大天使ジブリールが現れ、「誦め(よめ)」と言った。
ムハンマドが「何を誦めと言うのですか」と尋ねたところ、ジブリールはフッと消えていった。
この時よりクルアーンの啓示が始まる。
それから二十三年の間、ジブリールはムハンマドの元を度々訪れては
クルアーンの各章を啓示していった(クルアーン96章など)。
407:考える名無しさん
18/06/08 21:40:12.25 0.net
コーラン理解のための副読本
・『イスラーム文化 ―その根柢にあるもの』 井筒俊彦 (1991)
イスラム導入。スンニ派は「外面的」、シーア派は「内面的」
・『「コーラン」を読む』 井筒俊彦 (2013)
コーランのテクスト論、エクリチュール論。コーランの言葉は根源語
・『アラブ的思考様式』 牧野信也 (1979)
コーランとアラビア語の仕組み、言語文化論
408:DJgensei artchive gemmar
18/06/08 23:01:32.88 0.net
啓示というか戦術指南でしょうね。そういう言葉で戦っていた静かな闘志でしょう。
409:考える名無しさん
18/06/09 01:19:26.17 0.net
>>343
イブン・アラビーによる「アッラーの神的な自己顕現(タッジャーリ)」
「私は隠れた宝物であった。突然私のなかにそういう自分を知られたいという欲求が起こった。知られんがために私は世界を創造した。」
URLリンク(www.sufismus-online.de)
"Kuntu kanzan makhfiyyan fa ahbabtuhu an u`rafa fa khalaqtuhu ‘l-khalq"
I was a hidden treasure, I wanted to be known, so I created Creation.
A Hidden Treasure - wiki
URLリンク(en.wikipedia.org)
410:考える名無しさん
18/06/09 12:48:05.47 0.net
『「東洋」哲学の根本問題 あるいは井筒俊彦』 斎藤慶典 (2018/2/11)
序 章 井筒「東洋」哲学
「東洋」哲学/井筒「東洋」哲学は何を目指しているのか
第1章 表層/深層
a)表層から深層へ
コトバ/深層における分節化/分節化されたものから分節以前のものへ/事事無礙
b)深層から表層へ
理理無礙/分節(1)―「無」―分節(2)/挙体性起/存在の階層性/基付け関係/有力・無力
c)大地と理性―ロシア的人間
ロシアの一九世紀/原始的自然/『コサック』/ドストエフスキー
第2章 空/無
a)「空」の徹底
理理無礙/神の彼方/〈無分節な「ある」〉への反転/「存在」の破れ
b)空と無
『大乗起信論』におけるアラヤ識/ユダヤ教カッバーラー/バスターミーの「欺瞞」論/思考の無能力
c)砂漠と死―ジャック・デリダ
ユダヤとギリシアの狭間で/砂漠における彷徨/墓場、あるいは死
第3章 〈いま・ここで=現に〉
a)「本質(マーヒーヤ)と「存在(フウィーヤ)」
「存在は本質の偶有である」/有「本質」か、無「本質」か/フウィーヤ・マーヒーヤ・タビーア/有「本質」論の三つの型/
イスラーム「原子論」/無「本質」的存在分節/元型とイマージュ/意識と存在の構造モデル/「概念実在論」
b)〈いま・ここで=現に〉
「存在」の「独一性」/創造不断/吾有時/「純粋な可能性」としての「無」/証言
c)「入てん垂手」
聖諦と俗諦/俗、あるいは町という共同体/「無」の共同体
411:考える名無しさん
18/06/09 12:48:32.24 0.net
>>410
井筒哲学の要約と、著作へのインデックスになっている
412:考える名無しさん
18/06/09 19:19:25.69 0.net
イスラーム神学における信の構造を読んでるがイスラム過激派にも影響与えたイブンタイミーヤが出てくる。
413:考える名無しさん
18/06/09 23:05:56.34 0.net
>タイミーヤ
サラフィー主義の祖ね(サラフは「敬虔なる先人たち」を意味)
13世紀モンゴル軍侵攻の結果
414:考える名無しさん
18/06/09 23:08:29.27 0.net
ハンバリーの系統は正統と認めるべきではなかったな
415:考える名無しさん
18/06/10 13:07:52.44 0.net
イブンタイミーヤはイマーン(信)をイスラムより高次の概念としてるんだな。初めて知った。
416:考える名無しさん
18/06/10 13:23:36.32 0.net
イマーン(信)をイスラムより高次の概念
↑
どういう意味?
417:考える名無しさん
18/06/12 00:16:09.01 0.net
>>413の様な背景があるから、原理主義だテロだというのも他人事ではないね。
418:考える名無しさん
18/06/12 00:17:06.10 0.net
イスラムのイスラムらしさは、本来、アラブ的でセム的なもの。
419:考える名無しさん
18/06/12 01:03:53.12 0.net
ユダヤ教もセム的ですが
420:考える名無しさん
18/06/12 01:14:27.13 0.net
で?
421:考える名無しさん
18/06/12 21:09:06.73 0.net
スンニ派とシーア派で、人口比はおよそ9:1。
(1)スンニ派を代表するアラブ人は、アラビア語を話すセム語系。
(2)シーア派を代表するイラン人は、ペルシャ語を話すインド=ヨーロッパ語系。
その他の要素として、
(3)シリアのアラウィー派やサウジのワッハーブ派、トルコ民族やトルコ語といった固有の性質がある。
422:考える名無しさん
18/06/12 21:11:13.78 0.net
井筒と司馬による「二十世紀末の闇と光」という対談は、
イスラムとモンゴルの話。
・『井筒俊彦全集 第10巻 意識の形而上学』
・『井筒俊彦著作集 別巻 対談鼎談集・著作目録』
・『司馬遼太郎 歴史歓談』などに収録
423:考える名無しさん
18/06/12 21:12:18.85 0.net
1258年にモンゴル軍がバグダードに侵攻して、東西の文明が衝突した。
トマス・アクィナスやエックハルト、ゾーハルのモーシェ・デ・レオンの時代。
チベット仏教を信奉していたフレグ(チンギス・ハンの孫)家はイスラムに改宗し、後に国教にもする。
424:考える名無しさん
18/06/12 21:13:45.85 0.net
その過程で、仏教とイスラムは相互に影響し合ったという。
大乗仏教は、真如というメタフィジカルな実在原理を中心に据えるものだったが、
大日如来という宇宙の絶対者を持つようになる。
イスラムは、元は生きた神の宗教であったものが、
この時期より、アッラーが真如のような理念「真理(ハック)」として、
あるいは華厳的な光のイマージュとして捉えられるようにもなった。
425:考える名無しさん
18/06/12 21:27:18.85 0.net
シャイフ・ルトゥフッラー・モスク(イラン、エスファハーン)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
岩のドーム(イスラエル、エルサレム)
URLリンク(st3.depositphotos.com)
シャーヒ・ズィンダ廟群(ウズベキスタン、サマルカンド)
URLリンク(c12.incisozluk.com.tr)
オルジェイトゥ廟(イラン、ソルターニーイェ)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
イルハン朝第8代君主。青色タイルで覆われた世界最古のモスク
陶器にコバルトで青を染め付ける技術は、中東で開発された。
モンゴルの支配時代以降、青色タイルで覆われた建造物が、中央アジアやイラン、トルコで盛んに建設された。
(参考『イスラーム不思議曼荼羅』後藤明、野町和嘉)
426:考える名無しさん
18/06/12 21:58:03.78 0.net
井筒俊彦は
ジャック・デリダから
「マエストロ(巨匠)」って呼ばれていたんだよな
日本ではなく
欧米で生まれていれば
「間違いなく世界思想史に残る存在になったはず」ともデリダは言っていた
427:考える名無しさん
18/06/12 22:00:29.55 0.net
>>421
スンニーとシーアで人口比っていうならスンニーの代表はアラブ人じゃなくてインドネシア人でしょ
428:考える名無しさん
18/06/12 23:23:34.26 0.net
モンゴル人は仏教をやってもイスラムをやっても超一流
429:考える名無しさん
18/06/12 23:31:04.72 0.net
スンニー人口の半分を占めるのはインドネシアとインド系(パキスタン、インド、バングラディッシュ)
430:考える名無しさん
18/06/13 06:58:19.14 0.net
>>428
相撲やってイカサマやってもな(笑)
431:考える名無しさん
18/06/13 10:55:29.38 0.net
相撲のいかさまは日本人も一流だが
432:考える名無しさん
18/06/13 19:50:15.80 0.net
神事としての格闘技といえば、天使とヤコブの格闘(創世記 32:25-29)
433:考える名無しさん
18/06/13 19:51:10.33 0.net
>>424
“五大にみな響きあり。(地・水・火・風・空の五大からなる森羅万象が声として響き)
十界に言語を具す。(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・緑覚・菩薩・仏の十界すべてが言語を具え)
六塵ことごとく文字なり。(色・声・香・味・触・法の六塵といった知覚世界の諸差異が文字を生じ)
法身はこれ実相なり。”(宇宙の本源たる大日如来は、この世界のあるがままの姿に他ならない)
― 空海 「声字実相義」
434:考える名無しさん
18/06/13 19:51:45.31 0.net
宇宙の姿は、大日如来の言語活動そのものであると
435:考える名無しさん
18/06/13 19:52:25.38 0.net
空海は言語哲学的な仏教の代表
436:考える名無しさん
18/06/13 19:52:59.86 0.net
『空海 (KAWADE 道の手帖)』 河出書房新社 (2006)
世界的な思想家として空海を捉え直す。
インタビュー・中沢新一、前田英樹、竹内信夫、落合仁司、井筒俊彦、中村元、司馬遼太郎×福永光司、五来重、松岡正剛、幸田露伴など。
437:考える名無しさん
18/06/13 20:50:20.30 0.net
“文は全体であり,世界であり,ブラフマン(宇宙の根本原理)である”
― バルトリハリ(5世紀インドの文法学者)
438:考える名無しさん
18/06/14 21:20:50.12 0.net
・旧約聖書、新約聖書
・コーラン、ハディース
・タルムード
・アヴェスター
・仏典(原始仏典、大乗仏典)
・リグ・ヴェーダ、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター、ヨーガ・スートラ
・孔子、老子、荘子、易経、淮南子
・日本の古典
ぐらいは目を通しておくのがいい。
439:考える名無しさん
18/06/15 13:37:28.04 0.net
すげぇ
タルムードってすげー分量あるのに目を通しているのか……
日本語訳も一部しかないし、英訳でもあれだけのものを目を通すのは無理だわ
440:考える名無しさん
18/06/15 13:50:07.95 0.net
>>438で日本語訳だけど目を通したっていえるのは
旧約聖書
新約聖書
コーラン
ハディース(ムスリム)
アヴェスター(ガーサーと、ウィーデーウダート、ヤスナの抄訳)
仏典(ダンマパダ、スッタニパータ、パリニッバーナ経、法華経、大日経住心本、理趣経)
リグヴェーダ(抄訳)、チャードーギヤ・ウパニシャッド、アールニヤカ・ウパニシャッド、カタ・ウパニシャッド、バカヴァットギーター
論語、老子、荘子、易経(概略)
くらいだわ
タルムードまではとても無理
アヴェスターやリグ・ヴェーダとか少なくても英訳に頼らないといけない相当分量あるものはとても目を通す気力がわかないから、438はすごいわ…
441:考える名無しさん
18/06/17 20:22:31.94 0.net
興味が持てて、手に取れる範囲から、サクサク読んでいけばいい。
442:考える名無しさん
18/06/17 20:24:23.79 0.net
井筒のカバラとセフィロト(参考:『意識と本質』 10章)
(1)「ケテル Kether」
意味は「王冠」。存在流出の究極的始源。
『旧約』(出エジプト記 3:14)の神言「在りて在るもの」に当たる純粋「有」の絶対的「一」。
仏教でいう「空」すなわち「真空妙有」の「妙有」的側面に当たり、一切の「多」を無文節的に内蔵する。
(2)「ホクマー Hokmah」
「叡智」。仏教の「般若」に相当するが、カッバーラーではこれを神の意識とする。
神が自らを観想するところに現成する知で、絶対無文節的覚知。
イマージュとしては、際涯ない空間の拡がりの中に、独り燦然と輝く巨大な太陽。
この太陽から不断に発生する光線の一つ一つが、もっと下の存在段階で結晶して経験的事物の「元型」となる。
(3)「ビーナー Binah」
「分別知」。神が自らをそこに映して、自らの内面をあるがままに眺める鏡に例えられる。
神は自らの一者性の内に潜む多者を見る。
あたかもプリズムを通った光のように、「神の顔」は無数に分かれ、ここに最初の存在文節が起こる。
密教でいう「種子(ビージャ)」。
(4)「ヘセド Hesed」
「慈悲」。神の創造性の肯定的側面を表し、全てのものに存在を与える。
・
・
・
(10)「マルクート Malkut」
「王国」。先行するすべての「セフィーロート」のエネルギーが一つになってここに流れ込んでくる。
神的実在の世界は「元型」構造的にここで終端に達し、その下には被造界が展開する。
セフィロトの樹:URLリンク(blog-imgs-76.fc2.com)
443:考える名無しさん
18/06/17 23:44:43.73 0.net
コピペばかりしてメモ帳代わりにしてるハゲは一体何がしたいんだ
444:考える名無しさん
18/06/18 11:39:14.65 0.net
>>443
自己愛性パーソナリティ障害だと思うわ
「俺はこんなすげーこと書いたんだぞ」と、どうしても読ませたくて複数スレにコピペ荒らし
445:考える名無しさん
18/06/18 23:24:03.81 0.net
井筒俊彦の『意味の深みへ』がかなり面白い
446:考える名無しさん
18/06/21 01:48:40.60 0.net
>>445
デリダのエクリチュール論や、ソシュール記号学の先という話ね。
447:考える名無しさん
18/06/21 01:50:27.10 0.net
>>424
こういうことは、まだこれから、検証していかなければならない。
確かに、モンゴル人は、早い時期から、正教やネストリウス派などのキリスト教とも接していたし、
チベット仏教は、顕教と密教があって、高度に形而上学化されてもいるから、あながちでもない。
聖書が書かれたアラム文字はヘブライ文字とアラビア文字の原型となり、
東伝して、イラン系ソグド文字、ウイグル文字、モンゴル文字などになった。
448:考える名無しさん
18/06/21 01:53:05.98 0.net
>>425
“おもしろいのは、モンゴル人が天の神を拝むとき《青き天》と呼んでいることである。”
― 『シャマニズム:アルタイ系諸民族の世界像 1』 ウノ・ハルヴァ、田中克彦 (2013) 5章 p149
天の神=テングリのこと。この本の中では、極東からスカンジナビアまで、
ツングース、モンゴル、タタール、テュルク、インド、イラン、シリアから、
ロシア、フィンランド、アイスランドまでの神話が一並びに比較されている。
449:考える名無しさん
18/06/27 17:24:41.51 0.net
>>400
アラビア語の「本質」
jawhar……原義は宝石。中世ペルシャ語からの借用語。転じて、本質、精髄を意味する。哲学用語として、ギリシャ語ウースィアー(実体)の訳語に採用される。
maahiyyat……上記、アリストテレスの実体の第二定義「何かであること」が訳されてアラビア語maa hiya(それは何)に女性名詞化iyyatが付いた形。
スフラワルディーの照明哲学で、一番最初に創造されたものである「本質」とはこのmaahiyyatのこと。
huwiyyat……huwa(それ、これ)にiyyatが付いた形。「これであること」「これ性」の意味。イブン・シーナーを通してドゥンス・スコトゥスがhaecceitasと翻訳。西洋哲学に導入される。
一般的意味では「自己証明、アイデンティティ」の意味。例 ghayb huwiyyatは哲学・神学的には「(アッラーの深奥である)不可視の本質」だが、一般的には「身元不明」を意味する。
dhaat……dhu(~所有する)の女性名詞。「(それが)もっているもの(つまり本質)」を意味する。
haqiiqat……一般的には「真理」の意味。また「真相」。後者の意味で「本質」。実際に存在しているもの(実在)というニュアンスが強い。
450:考える名無しさん
18/07/03 20:04:02.61 0.net
斎藤慶典の「東洋」哲学の根本問題読んでるが175ページに無本質論-典型的には老荘思想と大乗仏教(密教と禅)とあるが井筒俊彦は密教は有本質論に分類してなかったか?
451:考える名無しさん
18/07/06 14:51:40.81 0.net
本当に
>無本質論-典型的には老荘思想と大乗仏教(密教と禅)
と書いてあるなら間違いだな
禅の無本質論に対して、有本質論第二型の「元型」的「本質」論にあるものとして密教を取り扱っている。(意識と本質Ⅹ)
452:考える名無しさん
18/07/07 14:56:29.36 0.net
>>451
やっぱりそうか!
意識と本質読み返したがやはり間違いだった。
ありがとう
453:考える名無しさん
18/07/07 20:11:46.87 0.net
「東洋哲学の根本問題ーあるいは井筒俊彦」の帯に(哲学者井筒俊彦がインド、中国、日本に加えイスラーム、ユダヤ、東南アジアを含む全東洋思想を総覧し…)とあるが東南アジアなんか全然出なかった。井筒俊彦自体が東南アジアは扱ってなかったし。
ピーみたいな古代からの精霊信仰か上座部仏教が東南アジアの思想だろうが…
454:考える名無しさん
18/07/07 20:27:38.55 0.net
東南アジアはイスラーム圏だぞ
455:考える名無しさん
18/07/07 20:37:47.71 0.net
うるさい
456:考える名無しさん
18/07/07 21:46:56.49 0.net
>>454
それならマレーシアやインドネシア独自のイスラムの思想形態が出ても良いのだが出てくるのは中東の思想家だけだ。
457:考える名無しさん
18/07/08 09:04:40.40 0.net
過大評価代表みたいな人だから
特に語学強い学者はそう
ゾンダンとか
458:考える名無しさん
18/07/08 21:25:26.49 0.net
関口存男ね
459:考える名無しさん
18/07/08 21:33:57.66 0.net
語学の天才井筒俊彦の勉強法と教え方は常軌を逸していた
URLリンク(kotoyumin.com)
井筒俊彦の語学勉強法の由来は?司馬遼太郎に本の丸暗記法を語る
URLリンク(kotoyumin.com)
460:考える名無しさん
18/07/08 21:36:00.89 0.net
聖典を丸ごと暗記するのは、脳の古い使い方だと言っていたが、
暗記とか暗算は、特殊な回路が出来てくるのでは
461:考える名無しさん
18/07/12 02:06:08.89 0.net
ジャン=リュック・ゴダール会見全文載録
「E・サイードに導かれて」
(at第71回カンヌ国際映画祭)
URLリンク(dokushojin.com)
今回新設された「スペシャル・パルムドール」には、
ジャン=リュック・ゴダール監督『イメージの本』(原題:Le Livre D'image)が選ばれた。
― 最近のアラブ世界の何が、着想を与えたのでしょうか。
462:考える名無しさん
18/07/12 02:06:45.01 0.net
サイード『オリエンタリズム』はルイ・マシニョンについても書かれていた。
463:考える名無しさん
18/07/12 02:08:01.49 0.net
ハッラージュを論じる時のマッスィニョン。
あれはもう我々が常識的に考える「学問」などというものではない。
全人間的「変融」体験の極において「アナ・ル・ハック」(我こそは神)と、
己れの死を賭して叫んだ、あるいは叫ばざるをえなかった西暦十世紀のスーフィーと、
二十世紀の真只中でそれを"じか"に受けとめる、マッスィニョンという
魁奇な一精神との実存的邂逅の生きた記録、でそれはある。
それが尽きせぬ興味を惹き起し、たんなる学問を遥かに越えた不思議な世界に我々を誘う。
(R・A・ニコルソン 『イスラーム神秘主義におけるペルソナの理念』 への序詞) 「井筒俊彦入門」より
464:考える名無しさん
18/07/12 02:09:12.97 0.net
現代の「イラン的イスラム」哲学における
コルバンと井筒の役割に関する導入的比較研究:
ハイデガーからマシニョンまで (2016-02-19)
URLリンク(toyo.repo.nii.ac.jp)
エフサン・シャリーアティー
翻訳:景山 洋平
465:考える名無しさん
18/07/12 07:21:31.44 0.net
アナルファック
466:学術
18/07/12 12:43:37.32 0.net
博士中退はスレ中止。
467:学術
18/07/12 12:44:13.53 0.net
博士中退はスレ中止。
468:考える名無しさん
18/07/13 08:20:31.98 0.net
大川周明が東京裁判で東條英機の後頭部を叩いて入院させられた松沢病院も研究に参加している。
大川周明が松沢病院の書斎で預言者ムハンマドと対話したことはよく知られている。
統合失調症、初期に手厚いケアで症状安定 研究で判明:朝日新聞デジタル
URLリンク(www.asahi.com)
2018年7月13日05時31分
統合失調症などの精神疾患にかかった初期の段階で、治療に加えて手厚い生活支援をすることで、
症状が落ち着いたまま過ごせる確率を大幅に高められることが、東京都医学総合研究所などの研究でわかった。
英国などで取り組みが進む手法で、日本でも今後、広がる可能性がある。
この手法は「初期包括支援サービス」と呼ばれ、治療にあたる医師とは別に、
看護師や精神保健福祉士といったスタッフが「ケースマネジャー」となって患者や家族のケアを担当。
家庭を訪問して患者の困っていることを聞いたり、学校や職場を一緒に訪問して復学や復職を支援したりする。
研究には都立松沢病院や東京大病院などが参加。
統合失調症や双極性障害を発症した77人(15~35歳)のうち40人にこの手法を、
37人には外来受診を中心とした通常の治療を受けてもらい、1年半後の様子を比べた。
すると、目立った症状がなく落ち着いた状態が半年以上続く「寛解」
と判断できた患者は支援サービスを受けた側で23人、通常の治療を受けた側では10人。
初期の病状なども踏まえて解析すると、症状が落ち着く割合はサービスを受けた側が6・3倍高かった。
薬を使う量が少なくてすむ傾向もあったという。
こうしたサービスによる効果は、海外の研究でも報告されている。同研究所の西田淳志・プロジェクトリーダーは
「患者にとって信頼できるスタッフと、発病後の早期から社会復帰に向けてともに歩めたことが回復への希望を生み、
症状の安定につながったのではないか」と話す。
結果は、精神医学研究の専門誌に掲載された。
469:学術
18/07/13 09:03:44.87 0.net
統合 より 東郷 東条 の方が神がかっている。
470:考える名無しさん
18/07/13 20:10:04.36 0.net
神がかり的学歴コンプが甘えるな
471:考える名無しさん
18/07/13 20:15:47.13 0.net
どっかのスレで昔
井筒の業績を説明してくれと投げたが
スゲ~と言ってた相手は結局説明できなかった
ネットで探してもやっぱり説明しているやつはいないので
白川静並みに胡散臭い
472:考える名無しさん
18/07/13 21:58:29.86 0.net
>>471
漢字辞典でも読んでろ
473:考える名無しさん
18/07/13 22:04:07.84 0.net
>>472
やっぱ君も説明できないだろ
名誉と天才エピしかないからね
474:考える名無しさん
18/07/13 22:22:39.44 0.net
>>471、>>473
自分で本も読めない池沼の戯言など知ったことではない
475:考える名無しさん
18/07/13 22:25:04.89 0.net
初のアラビア語からのクルアーン翻訳
はい論破
476:考える名無しさん
18/07/13 22:25:49.93 0.net
あら逃げた
ちなみに本を読んでも
堅固な学問的評価は素人には判断できない
白川もそうだろ?
正しさや新しさなんてそうそう評価できないから
477:考える名無しさん
18/07/13 22:31:27.35 0.net
>>475
それはいいけど
初訳出ってそんな学問的に権威あること?
478:考える名無しさん
18/07/13 22:38:00.07 0.net
宇宙的学問コンプ
479:考える名無しさん
18/07/14 14:01:54.04 0.net
>>477
それを含めて当時日本にとって未開分野であったイスラーム哲学思想を日本に齎したってことかな
480:考える名無しさん
18/07/14 14:08:54.79 0.net
じゃあそれまであまり知られていなかった
イスラム思想を日本に紹介して論じたことが業績ね
了解
これは文献の数や内容である程度は判定できる
ことだな
481:考える名無しさん
18/07/15 07:40:12.49 0.net
十字架のヨハネ(無の博士)
“無、無、無、無、無、無、山中においても無”
(nada, nada, nada, nada, nada, nada, y aún en el monte nada)
― 『十字架のヨハネ研究』 鶴岡賀雄 (2000) 1部序論 p20
カルメル山図(完徳の山 Monte de perfección)
URLリンク(www.mercaba.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
URLリンク(i.pinimg.com)
URLリンク(cdn-images-1.medium.com)
図には、「カルメル山」の頂上を指して三つの登攀(はん)路が示されている。
・右の道は「地上の不完全さによる霊的道」
・左の道は「天上の不完全さによる霊的道」
・真ん中の道には「nada, nada, nada, nada, nada, nada, y aún en el monte nada」
登攀の先に、神との一致を目指す。
482:考える名無しさん
18/07/15 07:41:22.59 0.net
『テオーシス 東方・西方教会における人間神化思想の伝統』 田島照久、阿部善彦 編 (2018/2/8)
東方キリスト教における神化思想
第1章 プラトン主義と神化思想の萌芽─東方教父思想における「神に似ること」概念の変容
第2章 ニュッサのグレゴリウスにおける神化思想─人間本性の開化・成就と神化への道
第3章 証聖者マクシモスにおける神化思想─神化の道行の動的かつ全一的かたち
第4章 デュオニュシオスの神化思想─ヒエラルキアと不知の暗黒
第5章 ディオニュシオス『神秘神学』におけるヒュムネイン(讃えること)─「彼方」の招きと拒絶
第6章 パラマスにおける神化思想─東方的伝統と独創
女性神秘思想における神化思想
第7章 ハーデウィヒの神化思想
第8章 マルグリット・ポレートの神化思想─源流と波紋、火と水の比喩を中心に
ドイツ・ドミニコ会学派における神化思想
第9章 フライベルクのディートリヒの神化思想─「神の像」としての人間知性の観点から
第10章 モースブルクのベルトルトにおける神化思想─神的人間論の観点から
エックハルトにおける神化思想
第11章 エックハルトの「魂における神の子の誕生」教説と「神性への突破」教説
第12章 エックハルトにおける人間神化と関係的存在論
第13章 エックハルトの神化思想と異端断罪
エックハルト以降の神化思想
第14章 タウラーの神化思想─エックハルト断罪以後という観点から
第15章 ゾイゼの神化思想─西方キリスト教におけるキリスト中心的霊性
第16章 リュースブルクの神化思想
近世・近代の神化思想
第17章 クザーヌスの神化思想─神と被造物を隔てる二分法的限界と人間の完全性
第18章 イグナチオ・デ・ロヨラの神化思想─自己無化の下降的動性による一致と涙
第19章 スペイン神秘主義における神化思想─十字架のヨハネとアビラのテレサ
483:考える名無しさん
18/07/15 18:25:51.30 0.net
今日も今日とてコピペ馬鹿
484:考える名無しさん
18/07/16 23:48:43.77 0.net
存在認識の道pp.264-265
解説Ⅳより
「確かにアヴィセンナは、存在は本質の偶有であると明言した。
・・・・・・白さは花という実体がなくては現成し得ないけれども、花は白さがそれに偶有しなくても現成する。存在もまた本質に対して、白さ花に対するのと同じような意味での偶有だというのである。」
「もし存在がこのようなものとすると、どんなことになるか。今言ったように、白さは花を必要とするが、花は白さを必要としない。
ということはつまり、白さが偶有しなくとも、白さが偶有してくる前に、花はすでに自分で存在しているということである。
白さと花のこの関係を存在と本質の関係に移してみると、本質は存在が偶有する以前にすでに何らかの意味で、あるいは何らかの形で存在していなければならない、という奇妙なことになってしまう。」
「存在を本質の偶有と見るアヴィセンナの立場が、こんなに簡単にアポリアに追い込まれてしまうのは、もともとこの立場が正しく理解されていないからである。
アヴィセンナ哲学の伝統を始めて真にそのあるべき姿において確立したと称される・・・・・・トゥースィーは、この点を継のように明快に説明している」
『この誤解は、元来本質なるものが、まだ存在しないうちから外界に何らかの形で存立していて、そこへ存在がやって来て宿るのだという考えに基づいている。
だが、この考え自体が間違っているのだ。なぜなら本質が(何らかの形で)存立していると考えるのは、すなわち本質が存在しているということに他ならないから
・・・・・・本質にとっては、それがあるということが、すなわちそれの存在なのである』
485:考える名無しさん
18/07/17 15:59:51.58 0.net
井筒俊彦の業績は日本で未知だったイスラム哲学の翻訳と紹介。
東洋哲学の共時的構造化という名の元儒教、道教、大乗仏教、ヒンドゥー教、イスラム、ユダヤ教神秘主義に至るまでを統一的なパースペクティブで視た事。
ギリシャ哲学への独自の視点や独特のロシア文学論まである。
486:考える名無しさん
18/07/17 20:44:45.47 0.net
語学まかせの大風呂敷の訓詁学ね
487:考える名無しさん
18/07/17 20:57:21.50 0.net
英語も喋れないザコにそれを言う資格はない
488:考える名無しさん
18/07/17 21:00:00.60 0.net
そういう意味では翻訳の業績は
翻訳者として立派な業績だしきちんと分かる
語学エピはゴミ箱へ
489:考える名無しさん
18/07/17 21:00:37.49 0.net
>>486
井筒以上の哲学者ってどんな人がいる?
490:考える名無しさん
18/07/17 21:02:07.23 0.net
>>489
その哲学の中身はどこがすごいん?
説明してみな
できるならな
491:考える名無しさん
18/07/17 21:04:05.24 0.net
>>486
答えられないの?
492:考える名無しさん
18/07/17 21:10:34.23 0.net
まぁ、気に食わない研究者は俺にもいるからな。子供が拗ねてダダをこねてるようなもんだ(笑)
493:考える名無しさん
18/07/17 21:11:32.91 0.net
>>489
さあ興味ないので
494:考える名無しさん
18/07/17 21:17:32.72 0.net
ネット上で一人もいないんだよね
井筒の業績の具体的な解説って
で世界的とか言ってるw
例えば大拙はzenという言葉が
英語語彙のなかに残ったから分かりやすい
仏教の西欧への紹介者としては飛び抜けている
これはOEDの見出し語zenを見れば極めて明瞭
495:考える名無しさん
18/07/17 21:19:33.72 0.net
おまえみたいな何者でもないクソザコが何を言ってもノーダメだよ
496:考える名無しさん
18/07/17 21:25:23.14 0.net
>>494
その程度で喜んでいる奴に井筒は難しい
497:考える名無しさん
18/07/17 21:28:31.04 0.net
以前に褒めているやつが業績について
触れている論文持ってきてくれたけど
それにも書いてなかったな
訓詁ならどの解釈が重要で今日の学問の
礎になったのか書いていない
観念的な大風呂敷感がウケているんだろう
498:考える名無しさん
18/07/17 21:29:06.84 0.net
>>496
難しいと偉いの?
ゲラゲラw
499:考える名無しさん
18/07/18 00:25:57.50 0.net
>>468
最初の「」の次にこれ追加
「このような解釈がアヴィセンナ思想の根本的誤解であることが今日では、少なくともイスラーム学会では、明白になっているが、昔はイスラーム内部でもこれが有力な解釈だった」
井筒もアッ・トゥースィーもこのようなイブン・スィーナー説の解釈は誤解だと述べているが、直接イブン・スィーナーの言うところを当たれば誤解でもなんでもないと思われる
それは正当な解釈であって、むしろアッ・トゥースィーの言うところはイブン・スィーナーの言うところと正確に合致していない。
井筒はイブン・スィーナーの本質と存在に関しての説を取り上げて、その問題を「奇妙なことになってしまう」「アポリア」と呼んでいるが、それに対する回答にアッ・トゥースィーの説を持ち出したことは正当だとは言えない。
イブン・スィーナーの説ならば、イブン・スィーナーにこそ答えを求めるべきであって、アッ・トゥースィーを出すべきではなかった。
p268にもイブン・スィーナーの可能的存在についても井筒は語っているが、それはあくまでもイブン・スィーナー後のイブン・スィーナー解釈であり、それをイブン・スィーナーの真意とするのは正しいとは思えない。
あくまでもそれは後代の解釈であるだけなのだから
イブン・スィーナーの存在と本質の説は、自身のそれより大きな体系の一部であり、それから切り離して考えれば、もはや別物と言えよう。
アンリ・コルバンは「イスラーム哲学史」でスフラワルディーこそがイブン・スィーナーの後継者のようなことを語っているが、そちらの方が正しいように思える。
500:考える名無しさん
18/07/18 00:28:47.06 0.net
>>484
レス間違い
501:考える名無しさん
18/07/18 14:35:24.90 0.net
>>490
入り口として井筒俊彦の意識モデルとかどうだ?
表層意識の下に深層イマージュ意識がありそれを生み出す元型的な言語アラヤ識と言うべきものがある。更にその底に存在のゼロポイントという純粋経験的な「無」意識がある。
このモデルにほとんどの東洋哲学は放り込める。
井筒俊彦は「あくまで仮のモデル」と断ってるが。
502:考える名無しさん
18/07/18 15:25:29.41 0.net
なるほど東洋のさまざまな思想を
統一感のあるモデルに仕立てると
しかしそのこしらえた多層構造に
思想の言葉を当てはめて整理しても
説得力ある繋がりが見えてこないと意味がない
つまりそのモデルによってはじめて
明らかになった成果を具体的に教えて欲しいのだ
503:考える名無しさん
18/07/18 18:23:13.15 0.net
>>502
本質という視点から禅や道家の究極的本質は無いとする無本質論と究極的本質リアリティを想定するシャンカラ哲学を据えるが二つの鋭い対立を説きつつ無分節という点で共通すると説く。
またイブンアラビーの存在一性論もシャンカラと同じタイプに分類する。
両者とも究極的一者を想定してる。両者とも存在のゼロポイントを語っていると示唆してる。
少し省いて普遍的本質実在論が3タイプ。
第一のタイプが宋学。
中庸の已発(既に分節された意識)と未発(意識と存在の未展開状態。存在のゼロポイント)について語る。未発の性質は無極而太極(無の究極即有の究極)とする。
第二のタイプが元型を普遍的本質と認めるタイプ。
神秘主義、密教、シャーマニズム、ユダヤカバラ主義など。
詳述は避けるが元型から昇るイマージュ的無意識を手がかりにそれを利用し存在=意識のゼロポイント体験たる神人合一を目指す潮流。
第三のタイプは普遍的本質を概念として表層意識で理解するタイプ。
プラトンのイデア論や孔子の正名論(名と実を一致させようという論)
ニヤーヤヴァイシェーシカの存在範疇論など。
こういう分類をしてる。
こうした壮大な試みの根底には存在主義とも言うべきただ「在る」という事の深みを示唆してくれていると自分は思う。
504:考える名無しさん
18/07/18 18:55:20.00 0.net
そうか、説明はありがたいが
分類の妥当性と、分類から判明した
新しい知見というのが不明瞭だな
特に分類が抽象的で壮大なのが気になる
全体像じゃなくて
君が詳しいとか、特に名高い2つの比較を取り上げて
絞って凄さを語ってくれないか
俺が読んだ論文での評価では
比較思想じゃなくて
イスラム思想内だけの訓詁で革新的な解釈アプローチ
があったという感じだったが
505:考える名無しさん
18/07/18 20:50:49.35 0.net
>>504
> 俺が読んだ論文
何を読んだのか?
506:考える名無しさん
18/07/18 21:04:53.40 0.net
井筒ではない今の井筒に詳しい学者の
論文というか論文誌の書き物
イスラム思想を語学的手法を用いて
新しく解釈して、それがイスラム圏や欧米の
学者にインパクトを与えたみたいな書き方だったよ
だからイスラム思想にアラビア語を古典注釈を
駆使して斬新に解釈したと思ってた
俺が知りたいのはそのアプローチ法の中身
井筒後はどういう読みになったのか