千葉雅也29at PHILO
千葉雅也29 - 暇つぶし2ch633:考える名無しさん
17/10/12 09:31:33.33 0.net
例えば、日本語で「やる」と言う場合や、英語の宣誓で「I do」と言えば、当然、
それは意志の表明と解釈される。でも、「やる」や「I do」が意志を表明する
表現になるのは、それが能動態だからではないことは、これらの表現の過去形
や完了形を考えてみればすぐに分る。「やった」や「I did it」という表現は、無論、
意志に関係するものの、そこで強調されるのは意志ではなく、思い/意志
どおりに「なった」ことである。だからこそ、「やった!今夜は焼肉パーティーだ!」
とか、「I did it! I won!」という表現になる。いくら強調的に「やったのは私だ」
とか、「It's me who did it」と言ってみたところで、強調されることになるのは、
「結果の責任が帰せられるべきなのは私である」ということであり、その結果
が自分の意志に適ったものであるかどうかは別の話である。さらに、「あ~あ
やっちゃった」になると、結果が自分の思い/意志にそぐわないものであり
ながら、自分の行為によって生じたものであることを意味する。それでも、
過失の責任が帰せられるべきが行為者であることを表現するのが、
「やっちゃった」だ。そうした意味論を適切に扱うことができる枠組みを提供
しているのかどうか、ここまで読んだ限りでは、疑問が生じる。


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