22/09/08 01:00:27.54 0.net
>>428続き
ベニート・ムッソリーニを信奉する「大衆右翼」を自負し、右翼団体の「国粋大衆党」を戦前の1931年(昭和6年)に結党した笹川は、
敗戦後は競艇事業を担う全国モーターボート競走会連合会(現在の日本モーターボート競走会)の収益金を元手に日本船舶振興会(現在の日本財団の前身)を創設。
「私は日本で一番金持ちのファシストだ」と1972年に米誌『タイム』で答えている。出生地の大阪府箕面市の名誉市民でもある彼は、言われなき迫害を受けたハンセン病患者の救済にも力を注ぎ、
良くも悪くも端倪(たんげい)すべからざる毀誉褒貶(きよほうへん)喧(かまびす)しき人物ではある。
その彼が「私は文鮮明の犬である」と述べていたんだから、我が家のトイ・プードルのロッタの執事を自任する僕もビックリだよ(苦笑)。
そうして1982年の合同結婚式では「天を中心とした理想と信念のもとに指導し教育しておられる文鮮明先生を私が心より尊敬する所以であります」と岸が礼賛するメッセージが読み上げられた。