日本の批評・哲学総合スレat PHILO日本の批評・哲学総合スレ - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト250:考える名無しさん 19/01/14 23:37:16.50 0.net 清水高志@omnivalence 梅原猛-吉本隆明-中沢新一という、縄文アニミズムと仏教と現代思想を全部背負って思索しないといけないという系譜は、偉大だと思っているのでこれは悲しい。。 9:10 - 2019年1月13日 251:考える名無しさん 19/01/14 23:38:14.92 0.net 梅原の西田論 “結局デカルト批判が彼の哲学の中心だと思いますけどね。 デカルトだと二元論になる。 自我と物質が対立するという二元的な構造にならざるを得ない。(略) それを、世界というものは自我と物質が対立するものではない、主客合一であると言った。” ― 『日本人は思想したか』 吉本隆明、中沢新一、梅原猛 (1995) 252:考える名無しさん 19/01/14 23:39:12.53 0.net デカルト直系で身体性と実在を分けるメイヤスーなどが注目されるのと同時に、 西田や京都学派が読み返されているのはこういうところだろう。 253:考える名無しさん 19/01/14 23:53:13.52 0.net 『「太陽の哲学」を求めて:エジプト文明から人類の未来を考える』 (2008) 梅原猛、吉村作治 この本では、 日本哲学→西洋哲学→ギリシャ哲学→古代エジプト、 また、一神教→太陽信仰へと遡る。 プラトンの「イデア」は古代エジプトの「カー(精霊)」の翻訳であるとするのは吉村の説。 古代エジプトでは、人間を「カー(精霊)」と「バー(魂)」と「アク(肉体)」に分けた。 人が死ぬと「バー」は「アク」から離れるが、「カー」は「アク」の傍にいて「アク」を守る。 「カー」は思考・判定し行動を支配する。 「バー」を思考によってのみ得られる存在、「アク」を現実の存在、「カー」をイデアと考えたのではないかという。(第4章) 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch