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“神性の本質は無底の深みのありとあらゆるところにあって、輪(ein Rad)か眼のようである。
始まりがいつも終わりをもっているからである。
しかも無底には場所は全く見いだされない。
無底はそれ自身があらゆる存在者の場所であり、あらゆる物の充満であるが、
それにもかかわらず無底は何ものにも?まえられたり見られたりしないからである。
無底はそれ自身においてひとつの眼である。
預言者エゼキエルは、第一章で、彼の意志の霊を神のなかへ導き入れることによって、
そのようなもの[無底]をひとつの形体のうちに見た。”
― ヤーコプ・ベーメ『無底と根底』「六つの神智学的要点」19(1991)
“第三十年の四月五日のことである。
わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、
そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した。
(略)
わたしが生き物を見ていると、四つの顔を持つ生き物の傍らの地に一つの車輪が見えた。
それらの車輪の有様と構造は、緑柱石のように輝いていて、四つとも同じような姿をしていた。
その有様と構造は車輪の中にもう一つの車輪があるかのようであった。
それらが移動するとき、四つの方向のどちらにも進むことができ、移動するとき向きを変えることはなかった。”
― 旧約「エゼキエル書」1:1-17
エゼキエルの車輪
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その他ベーメのヴィジョン
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