ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義at PHILO
ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義 - 暇つぶし2ch583:考える名無しさん
17/04/16 01:05:11.13 0.net
近所の本屋に行ったが
『ゲンロン0 観光客の哲学』 →取り扱い無し
『中動態の世界 - 意志と責任の考古学』→ 在庫無し
『勉強の哲学 - 来たるべきバカのために』 →自己啓発本みたいなのでやめた
『再起動する批評 - ゲンロン批評再生塾第一期全記録』→未発売
で何も買えず
最新を生み出すには最新のを読むのがいいような気がするんだよね。
哲学の本は読むていうか書いてある文字列見て勝手に
空想するのがメインだから

584:考える名無しさん
17/04/16 09:17:40.05 0.net
>>558
>>532の鼎談はリンク先で読める
>>523>>534の『現代思想の転換2017: 知のエッジをめぐる五つの対話』(余裕があれば>>537
>>381の『いま世界の哲学者が考えていること』

585:考える名無しさん
17/04/16 18:34:46.21 0.net
九鬼周造 『偶然性の問題』 (1935)
“偶然性とは…否定を含んだ存在、無いことのできる存在…
 有と無との接触面に介在する極限的存在…
 有が無に根差している状態、無が有を侵している形象である”
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
URLリンク(www016.upp.so-net.ne.jp)
千葉も言及していた九鬼の「偶然性~」。
『いきの構造』だけでなく、こういう本も読んでみると
日本の哲学に対するイメージも変わってくるだろう。

586:考える名無しさん
17/04/16 18:36:20.84 0.net
『思想の中の数学的構造』 山下正男 (2006)
文学部哲学科卒業。専攻は論理と数理の比較思想史的研究。
・存在と生成
・ライプニッツと華厳
・解析学とヘーゲル
・宗教と算術
・イデア数、易、アラビア式記数法
・カントールの数学的原子論
ほか

587:考える名無しさん
17/04/20 16:35:47.31 0.net
URLリンク(webronza.asahi.com)
書評も目を通す必要があるかないかを判断するのには役立つな。
この要約を読んで、本を読む必要があると思うかどうかは、人それぞれ
としかコメントのしようがないけど。

588:考える名無しさん
17/04/20 17:56:38.44 0.net
感受性も人それぞれ。私にはとても黒く見える。

589:考える名無しさん
17/04/22 09:14:32.61 0.net
音と意味についての六章【新装版】 単行本 – 2017/5/19
ロマーン・ヤーコブソン (著), クロード・レヴィ=ストロース(序文) (その他), & 1 その他
¥ 3,024
大学の授業の基本文献になるような本なのに馬鹿高いよ。

590:考える名無しさん
17/04/25 21:53:12.18 0.net
フランスでは、ド・ゴールが大統領の権限を強めた1958年の「第五共和制」以来、
左右の二大政党が交代で政権を担ってきていたが、今回の選挙では、
二大政党の候補が敗れ、無所属と極右政党の候補が決選に残った。

政策や支持層の一部が左右逆転した先の米大統領選挙と同様、
既存の体制に対してNOが突きつけられた格好だ。

戦後を形作ってきたシステムの再考が、世界的に求められているのではないかと思う。

591:考える名無しさん
17/04/25 21:57:27.98 0.net
パリ五月革命や学生運動に代表される1968年が、大いなる切断の時代だったとすると、
ゼロ年代・10年代は、再接続が模索された時代ではなかったか。

592:考える名無しさん
17/04/25 22:55:49.17 0.net
マクロンなんて体制そのものだろ
ル・ペンはその引き立て役

593:考える名無しさん
17/04/30 08:43:26.22 0.net
最近、翻訳されたブランショの「終わりなき対話」、ガリマール社から発行
されたのが1969年だよね。フランス思想系の本はいままでに随分沢山
翻訳されてきているけど、既刊の翻訳本で「終わりなき対話」に言及してい
る著作を教えてください。

594:考える名無しさん
17/04/30 09:20:10.77 0.net
ドゥルーズ

595:考える名無しさん
17/04/30 14:08:11.73 0.net
デリダ

596:考える名無しさん
17/05/03 06:49:42.97 0.net
ガッタリ

597:考える名無しさん
17/05/03 21:29:50.51 0.net
理論じゃ食えないという認識のため京大あたりでも外国語の文献を扱える院生はめっきり減ってしまった。

598:考える名無しさん
17/05/04 09:05:47.18 0.net
Koji Hirose‏ @parergon2 20 時間20 時間前
>「可視性」とはいうが「可触性」とは言わない。「不可視」や「不可触」や「われに触れるな」はあるのに
URLリンク(www.merriam-webster.com)
tangible
1 a : capable of being perceived especially by the sense of touch
palpable
1: capable of being touched or felt : tangible palpable lymph nodes

599:考える名無しさん
17/05/04 09:06:41.62 0.net
言いたければ、言えばいだけの話でわ?

600:考える名無しさん
17/05/04 09:23:15.69 0.net
理論じゃ食えないなら、いったい何をすれば食えるんだろう?

601:考える名無しさん
17/05/04 09:31:14.55 0.net
奴隷

602:考える名無しさん
17/05/04 11:52:48.03 0.net


603:かわいそうな院生
17/05/04 15:31:42.34 0.net
URLリンク(ja.wikipedia.org)かわいそうなぞう
ゾウに毒の入った餌を与えるが、ゾウたちは餌を吐き出してしまい、
その後は毒餌を食べないために殺すことができない。毒を注射しようにも、
象の硬い皮膚に針が折れてしまうため、餌や水を与えるのを止めて餓死する
のを待つことにする。ゾウたちは餌をもらうために必死に芸をしたりするが、
ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく。

604:考える名無しさん
17/05/04 15:44:23.58 0.net
2ちゃんねるで芸を披露しても無駄

605:考える名無しさん
17/05/04 15:45:08.74 0.net
>>578
それ作り話やで

606:考える名無しさん
17/05/05 08:31:28.32 0.net
院生の寓話

607:考える名無しさん
17/05/05 13:40:37.43 0.net
批判をあたかも先取りして考慮していたかのように取り込んだ
レヴィナスを礼賛するための工作にしか見えないのは、
きっと私の気のせいです。

608:考える名無しさん
17/05/07 10:11:19.92 0.net
表象11 特集:ポスト精神分析的主体の表象
(2017年4月19日発売)
人工知能の爆発的発展、ビッグデータによる管理の遍在化、アルゴリズムを介した行動予測─
人間が「内面」や「無意識」といった深みなしに捉え返されつつあるいま、「自己」や「心」はどこにあるのか? それはいかなる「主体」なのだろうか? 
本特集では、ラカンの精神分析(ミレール派)と認知科学の自然主義との交錯、自閉症の前景化といった現象に着目しながら「ポスト精神分析的主体」の光景をめぐって討議する。
特別掲載として、シェイクスピアのソネットを翻訳したツェランについてのペーター・ソンディの未邦訳批評を紹介。
◆巻頭言◆
「表象からのこの不気味な撤退は何を意味しているのだろう?」佐藤良明
◆特集◆「ポスト精神分析的主体の表象」
共同討議:「精神分析的人間の後で─脚立的超越性とイディオたちの革命」千葉雅也+松本卓也+小泉義之+柵瀨宏平
「因果的決定論から悲劇的行為へ─精神分析的主体をめぐって」柵瀨宏平
「個の認知から相互行為的認知へ─行為のマイクロ分析から」細馬宏通
「自己・再帰性・異種混交性─手帳術本の再分析を中心に」牧野智和
「無意識と語る身体」ジャック?アラン・ミレール|山﨑雅広+松山航平訳
「ただひとつの生─生物学的抵抗、政治的抵抗」カトリーヌ・マラブー|星野太訳

609:考える名無しさん
17/05/08 08:26:14.98 0.net
「〇〇よりも××の方が上」みたいなコメントは、〇〇、××に
誰の名前が入るにしても下らない。結局のところ、それがきちんと
判断できる私が優れていると言っているだけ。そんな愚にもつかない
コメントを書き込むくらいなら、自分が役に立つ、優れていると
感じた文章を一行でも引用した方がましだろうと思う。

610:考える名無しさん
17/05/13 23:57:06.49 0.net
ここは色々な話題が立て込むので、
東、千葉については、以下でも掘り下げていこうと思う。

【あずまん】東浩紀440【ゲンロン0】 [無断転載禁止]©2ch.net
スレリンク(philo板)

千葉雅也29 [無断転載禁止]©2ch.net
スレリンク(philo板)

611:考える名無しさん
17/05/13 23:58:24.81 0.net
>>583
ちょっと登ってすぐ降りられる「脚立的超越性」とか

612:考える名無しさん
17/05/14 00:02:45.75 0.net
『表象』が表象からの撤退を語り、『現代思想』がポスト現代思想を扱う時代

613:考える名無しさん
17/05/15 16:36:51.26 0.net
どっちも最初からそうだと思うけど
フーコーは表象批判で名を売ったわけで、
表象文化論は初期にフーコーシンポジウムやったりしている

614:考える名無しさん
17/05/17 20:15:29.29 0.net
【西田】京都学派・近代日本哲学総合スレ【西周】 [無断転載禁止]©2ch.net
スレリンク(philo板)

615:考える名無しさん
17/05/17 20:25:49.24 0.net
これまでの話題を整理しつつ、表象の問題も改めてやろうと思っている。

616:考える名無しさん
17/05/17 20:26:35.57 0.net
色々なものが出揃いつつあるけど、

構造主義→ポスト構造主義という変化と比べても、
ポスト構造主義→ポストポスト構造主義という変化は大きいね。

構造主義>>ポスト構造主義>>>//>>>ポストポスト構造主義

617:考える名無しさん
17/05/23 00:32:32.46 0.net
ヘーゲルとマルクス、あるいはSR(=思弁的実在論)でも、
「観念論」と「唯物論」とが対比されたが、
例えばデリダの「痕跡」というのは、丁度その「言葉」と「もの」の中間的存在だった。

痕跡は、知覚可能でも知覚不可能でもなく、意味作用でもエ


618:ネルギーでもなく、 形而上学のいかなる概念によっても記述できない論理空間の裂け目。 デリダの哲学は反西洋哲学的であるのだから、 その結果として導き出されたものが、東洋的なものに近づいてきたのは当然かもしれない。



619:考える名無しさん
17/05/23 00:32:47.15 0.net
“そのとき(宇宙始原のとき)無もなく、有もなかった。”

― リグ・ヴェーダ「宇宙開闢の歌」(10.129)

620:考える名無しさん
17/05/23 00:33:19.57 0.net
こうした東西の論理空間を比較したのが、

山内得立 『ロゴスとレンマ』 (1974)
木岡伸夫 『〈あいだ〉を開く―レンマの地平』 (2014)

621:考える名無しさん
17/05/23 00:33:44.46 0.net
デリダやドゥルーズ=ガタリの哲学はアジア的だった。

622:考える名無しさん
17/05/23 21:56:01.79 0.net
>>594
俳中律とテトラレンマ(四句分別)。
インド論理学はギリシア論理学とともに世界の論理学の二大源流。

623:考える名無しさん
17/05/23 21:57:08.41 0.net
ヨーロッパ人だって、心的なアジア・アフリカ的段階を有している。

デリダは象形文字(ヒエログリフ)を扱ったし、ドゥルーズ=ガタリの生、
ピカソの絵、ギブソンからタッチパネルに至るアフォーダンスなど。

同様に、アジア・アフリカ人もコンピュータ(ヨーロッパ的精神)を使いこなす。

624:考える名無しさん
17/05/27 13:12:01.85 0.net
ジレンマ(dilemma) - 対立する2つの間に立つこと
トリレンマ(trilemma) - 対立する3つの間に立つこと
テトラレンマ(tetralemma) - 対立する4つの間に立つこと

◇四句分別(テトラレンマ、四句否定)

1 肯定            (Aである)
2 否定            (Aではない)
3 肯定かつ否定      (Aであり且つAではない)(両是)
4 肯定でも否定でもない  (AであるのでもなくAでないのでもない)(両否)

625:考える名無しさん
17/05/27 13:12:23.81 0.net
ヨーロッパ的論理の代表である俳中律は>>598の1、2に限り、
曖昧で中間的な判断を排すことで明晰な論理空間を構築した。

パルメニデス「有るものは有る。無いものは無い」

626:考える名無しさん
17/05/27 13:12:36.46 0.net
仏教やインド哲学における真理は、テトラレンマ的に表現されることがよくある。

・空の定義「非有非無」(有るのでもなく無いのでもない)
・「不一不異」(同一でもなく差異があるのでもない)
・解脱の段階の一つ「非想非非想処」(想いがあるのでもなく、想いが無いのでもないという境地)
・「そのとき(宇宙始原のとき)無もなく、有もなかった。」(リグ・ヴェーダ「宇宙開闢の歌」(10.129))
など

627:考える名無しさん
17/05/31 02:00:03.43 0.net
『中動態の世界 - 意志と責任の考古学』 2017/3/27
國分功一郎

これ読み終わった。
何かと違ってちゃんと哲学の本でした。
前作のドルーズのやつの続編感もあるし
一つの観点をじっくり積み上げてく感じも良かった。
ただ最後が読者への投げかけで終わってるのは物足りないかな
もっと違う結論があるような

628:考える名無しさん
17/05/31 04:40:52.56 0.net
ごりらりご

629:考える名無しさん
17/06/25 11:54:32.73 0.net
“私たちに欠如しているのは、真に一般的に言えば、《東洋》の微粒子であり、《禅》の穀粒である。”
― ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ 『ディアローグ』 (2011)

630:考える名無しさん
17/06/29 00:12:24.37 0.net
かんそう【観想】
(1)[仏] 特定の対象に深く心を集中すること。観念。
(2)[哲] 〔ギリシャ theoria; ラテン contemplatio〕
(ア)感官的知覚や行為の実践を離れて、対象を直観すること。テオーリア。 → 思弁
(イ)宗教的修行や神秘主義で、超感覚的・神的本体を心に映ぜしめる霊的直観。冥想。黙想。静観。
(3)�


631:�の直観。観照。 (大辞林 第三版の解説)



632:考える名無しさん
17/07/11 23:29:12.43 0.net
ようやく思弁というところまできた

633:考える名無しさん
17/07/11 23:29:57.48 0.net
思弁といっても色々だが

634:考える名無しさん
17/07/11 23:31:47.89 0.net
“構造主義(Structuralism)勃興以来、いわゆるポスト構造主義を経て、
 今やそのポスト構造主義の彼方への乗り越えすら云々されております”
― 井筒俊彦「言語哲学としての真言」(1984年、高野山での講演)

635:考える名無しさん
17/07/19 23:45:07.52 0.net
「ポスト・トゥルース時代の現代思想」
浅田彰+東浩紀+千葉雅也
『新潮』2017年8月号
URLリンク(www.shinchosha.co.jp)
東 今日は、一九五七年に生まれた浅田彰さんの還暦を記念して、
千葉雅也さんとともに、この公開鼎談を企画しました。浅田さん、おめでとうございます。
千葉 おめでとうございます。
浅田 ありがとうございます。ぼくはアニヴァーサリーの類が嫌いで、他人の祝賀会にも出たことがない。
東さんから還暦記念イヴェントの話をもちかけられたときも、当然「ノー」という答が自動的に口をついて出そうになった。
しかし、言うまでもなく、「還暦を祝う」というのは「老醜をネタにからかう」ということ。
あくまでそれを固辞するのは、自分の老醜を認めまいとする、それ自体醜いナルシシズムの発露ではないか。
まな板の上の鯉となって屈辱を楽しむのも、老熟のための訓練として悪くないのではないか。
どこからか湧いてきたそんな気持ちに押されて、衝動的に「イエス」と答えてしまったんですね。
当然、すべての企画は東さんと、千葉さんに一任し、料理される側のぼくはいっさい口を出さないことにした。
刺激的なイヴェントを企画・開催してくださったお二人には感謝するばかりです。
 そもそも還暦というのは干支が六〇年で一巡して元に戻ることですね。
振り出しに戻って、生まれ直す。この考え方は悪くない…(略)

636:考える名無しさん
17/07/19 23:56:38.57 0.net
ゲンロン4や>>543の話の続き

637:考える名無しさん
17/07/24 04:21:46.46 0.net
郵便ポスト構造主義

638:考える名無しさん(地震なし)
17/07/30 22:09:10.54 0.net
>>608
これ読んだけど浅田が東と千葉の話を
全肯定しつつもちくりちくりと刺してないか
懐疑的保守主義てもろこの二人だろ
浅田と比べると東と千葉が横文字使って
誤魔化してる感じがするな

639:考える名無しさん
17/08/01 00:57:14.80 0.net
ポスト構造主義時代の再検証と
ポストポスト時代の見通しという辺りは、
世代の違いも踏まえつつ、綿密に擦り合されている。

生きた政治・文化・哲学という話になると、
浅田の胸を借りるというところもあるでしょ。

640:考える名無しさん
17/08/01 01:10:52.28 0.net
ポストはやはり赤だな

641:考える名無しさん
17/08/06 01:19:32.61 0.net
>>594
ロゴスとレンマ的なものについて、
井筒は西洋の二元的な「アリストテレス的論理学」に対し、東洋の「多元的な論理」としていたし、
中沢新一は「アリストテレス型論理」以前の「高次元的な無意識」的思考に注目した。

642:考える名無しさん
17/08/06 01:21:24.04 0.net
米仏の様に、二大政党制が行き詰まると"第三の勢力"が出てくる。
逆に、6月に行われた英国総選挙では、保守/労働党の得票が1979年以来となる8割を超え、
再び二大政党制に揺り戻したりもしている。

643:考える名無しさん
17/08/06 21:45:17.72 0.net
ポスト構造主義的な現代思想というのはファッション
中身は大してない
まとめたら数行で済むことをデコレーションしてるだけ
でもそれはそれで楽しい

644:考える名無しさん
17/08/06 22:04:01.92 0.net
数行で要約できるほどの明確な内容もないだろ

645:考える名無しさん
17/08/06 22:28:58.25 0.net
Twitterで話題になってんだよ

646:考える名無しさん
17/08/15 00:15:16.98 0.net
清水高志「メイヤスーと思弁的実在論」(2017-03)
URLリンク(toyo.repo.nii.ac.jp)
エリー・デューリングが、ある種のコンテンポラリー・アートに対して行った、実
質的にはポスト構造主義批判でもあった、《ロマン主義》批判を想起しよう。 「不可知なもの」と
しての剰余を強く意識し、たんなる個々の即自的なものを否定するために、むしろ主客の相関関係
のプロセスのほうを実体化して肯定するという形で、「主体」を批判するという方法、それによって
「形而上学」を批判するという言説は、 20 世紀までにすでに多く現れたが、 メイヤスーはこれら
にも公然と批判の矛先を向けている。こうした議論においては、認識の外部にあるモノは、主体と
の相関関係に取り込まれ、いずれにせよそこに回収されてしまわざるを得ない。主体をどこまでも
否定することで、《大いなる外部》へとアクセスしようとすることは、結果的には別種の主体化を次々
ともたらすだけだ、というのである。 ポスト構造主義までの「差異の哲学」は、結局のところ「主
体化されたモノ」についてしか語っておらず、《強い相関主義》を強化する役割しか果たしていない
のだ。

647:考える名無しさん
17/08/17 00:26:11.87 0.net
政治の世界では野党共闘が話題になってるね。

648:考える名無しさん
17/08/17 00:28:44.62 0.net
今年は『資本論』から150年。
『現代思想』2017年6月臨時増刊号
総特集=マルクスの思想 -『資本論』150年-

649:考える名無しさん
17/08/17 00:29:37.55 0.net
ロシア革命からも100年。

650:考える名無しさん
17/08/17 00:31:25.71 0.net
『ゲンロン6 ロシア現代思想Ⅰ』 (2017年9月22日)
『ゲンロン7 ロシア現代思想Ⅱ』 (2018年1月)

651:考える名無しさん
17/08/18 17:58:14.38 0.net
まだそんなことやってるのか

652:考える名無しさん
17/08/18 18:19:06.66 0.net
>>1

653:考える名無しさん
17/08/19 01:24:26.10 0.net
ロシアはポストポスト構造主義的でしょ

654:考える名無しさん
17/08/22 21:53:46.56 0.net
>>619
概説書?レベルで語るのもあれだけど
だって太陽は昇って沈んでるじゃないか
って言ってるだけの印象
太陽がこっちから昇ってあっちに沈む
太陽が東から昇って西に沈む
この二つは同じじゃない
太陽が昇って沈むことを批判否定しているのではなく
「こっちが東」で「あっちが西」であることを批判否定しているんだ
と言われたらまともに反論できるわけがない
ポスト構造主義はフランクフルト学派から問い直したほうがおもしろいと思う

655:考える名無しさん
17/08/22 22:14:29.67 0.net
現代思想2017年10月号 特集=ロシア革命(仮)
発売日2017年9月27日

656:考える名無しさん
17/08/23 23:50:16.51 0.net
>>619の続き
清水高志「メイヤスーと思弁的実在論」(2017-03)
こうした議論は、西洋の知的伝統からするともちろんきわめて異例であるが、東洋にはむしろ類
似したものがあり、ナーガルジュナの『中論』で繰り返される 4 段階の否定の論法(テトラレンマ)
を思い起こさせる。論点を明確化するために、その点についてもここで触れておくことにしよう。
たとえば中論の 18 章の第 8 偈に現れる典型的なテトラレンマ( 4 句分別)では、最初に①「すべ
ては真実(如)である」という命題が語られ、次に②「すべては真実でない」という命題が述べら
れる。①は素朴に現実の世界を信じる者の見方であり、②は現象はすべて一刹那の後には変化する
という洞察をもったものの見解である。そして三番目に③「すべては真実であり、かつすべては真
実でない」という命題が述べられる。①のような素朴なものにとっては真実であり、修行をして②
のような見解をもったものには真実でない、というのである。
しかしこれらは、ある刹那の次の刹那に起こることにいずれも依存したものなので、第 4 の命題
④「すべては真実であるのではなく、かつすべては真実でないのではない」が説かれなければなら
ない。仏教では何か対象を否定するとき、次の対象が浮かんでくるような否定、対象のあり方にそ
の都度左右される否定を相対否定と呼び、そうでない否定を絶対否定と呼ぶ。 「空」が理解され
るのはこの絶対否定によるとされるが、③まではいずれも否定対象の状況に依存した、相対否定に
よるものである。それゆえ④では、③そのものが否定され、何らかの対象に依存しない(無自性な)
かたちで、③の不可知論自体がさらに転倒されねばならない。④の命題は、なんらかの対象につい
て語られるわけではないが、すべての対象について真実なことを述べており、「空」の立場からこう
した否定を行う何者かも、また確かなのである。(真如の確立)

657:考える名無しさん
17/08/23 23:56:01.46 0.net
>>627
論文の続きを読んでもらうと、
仏教の中論やインド論理学のテトラレンマの話が出てくる。
「俺が、俺が、俺が」に対して「他者だ、他者だ、他者だ」という場合、
そういう他者の肯定は、俺(の否定)に依存する形での相対否定だということ。
テトラレンマや、仏教の空に代表される絶対否定の段階では「俺でもなく、他者でもない」となる。

658:考える名無しさん
17/08/23 23:57:07.74 0.net
中論(梵:Mūlamadhyamaka-kārikā、ムーラマディヤマカ・カーリカー)
madhyamaとは、madhya(中の)という形容詞の最上級ともいうべき「最も中央の」を意味する。
madhyamakaは「中にもとづく」、「中を語る」、「中道」、「中の思想」というニュアンス。

659:考える名無しさん
17/08/24 01:31:41.94 0.net
>>608-609
『ゲンロン4』では、学生運動やポスト構造主義など、
戦後の左派を支えてきた68年的な思想が再検証され、
日本の批評が全体としてポスト「ポスト構造主義」に軸足を移しつつあることを感じさせた。
「ポスト・トゥルース時代の現代思想」では、もう一歩踏み込んだ話がなされている。

660:考える名無しさん
17/08/24 01:32:21.19 0.net
『マルクスの現在』(1999)
柄谷行人、浅田彰、市田良彦、小倉利丸、崎山政毅
「マルクス再入門」とある様に、
近代から現代、カント~マルクス~ネグリをやり直すのに手堅い。

661:考える名無しさん
17/08/24 22:58:05.50 0.net
ポスト・トゥルースって聞くと笑ってしまうんだよね
インターネットの登場で議論が活発化し民主化が捗って世界が変わるみたいなこと言ってた人たちは
自分がそんなこと言ってたことも大衆の知的レベルはそんな簡単に向上しないよって言ってた俺のことも忘れてるんだろうな

662:考える名無しさん
17/08/25 08:20:08.39 0.net
>>634
オードリーの春日さんおはようございます

663:考える名無しさん
17/08/25 08:21:58.02 0.net
そりゃ2ちゃんねるのただの名無しの「俺」のことなんて誰も知らんわな
自意識過剰くんか?

664:考える名無しさん
17/09/05 02:00:36.70 0.net
“九鬼周蔵の『偶然性の問題』は、その思弁的な極まりにおいて、カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』に類似する。
 すなわちそれは、「原始偶然」とも「絶対�


665:I形而上的必然」とも捉えられる、「形而上的絶対者」に関する議論である。” ― 千葉雅也「此性をもつ無 メイヤスーから九鬼周造へ」(『現代思想』2017年1月臨時増刊号 特集=九鬼周造)



666:考える名無しさん
17/09/05 02:07:47.42 0.net
千葉県千葉市の千葉神社は、
神仏習合により妙見菩薩と同一視されている
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を主祭神としている。
天之御中主神は、古事記の冒頭、天地開闢の際に最初に現れる神で、
神名は、天(高天原)の中央に座する主宰神という意味。
宇宙の始原神であり、宇宙そのものであるともいわれる。

千葉神社
URLリンク(www.chibajinja.com)
主祭神:北辰妙見尊星王(=天之御中主神)
URLリンク(www.chibajinja.com)
尊星殿
URLリンク(pbs.twimg.com)
御朱印帳
URLリンク(jinja.tokyolovers.jp)
月呼星拾
URLリンク(img.yaplog.jp)

667:考える名無しさん
17/09/05 02:08:35.87 0.net
参考
妙見菩薩(妙見信仰=星辰信仰)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
天之御中主神
URLリンク(ja.wikipedia.org)

668:考える名無しさん
17/09/05 02:09:25.20 0.net
偶然性の哲学は、世界の始まりを問うという意味で、始原神信仰と通じるものがある。

669:考える名無しさん
17/09/05 12:41:51.43 0.net
>>634
ごめん!本当に月並みな疑問なんですが。「知的レベル」の優劣は何をもって定義できるのか…

670:考える名無しさん
17/09/05 22:01:18.89 0.net
日本の始原神信仰の夜明けである

671:考える名無しさん
17/09/05 22:24:52.15 0.net
ポスト・モダニズムはユダチョンエッタ専用の偽装科学
これ以上の定義はないだろう

672:考える名無しさん
17/09/05 22:37:53.86 0.net
>>641
口喧嘩の勝率

673:考える名無しさん
17/09/06 07:44:51.83 0.net
>>641
おまえみたいにくだらない質問をしないこと

674:考える名無しさん
17/09/06 13:38:29.53 0.net
>>641
やっぱIQかな?

675:考える名無しさん
17/09/06 13:58:25.18 0.net
何のかんのいってもやっぱり学歴

676:考える名無しさん
17/09/06 14:00:49.34 0.net
>>645
下らなくは無いと思う。漠然とし過ぎてるとは思うが。

677:考える名無しさん
17/09/06 19:46:14.41 0.net
知的レベルの優劣は議論できるかどうかじゃない?

678:考える名無しさん
17/09/07 15:41:58.53 0.net
>>643
偽装すらしてないだろ

679:考える名無しさん
17/09/09 22:34:54.12 0.net
>>638
日本版カバラ
平田篤胤「古道大元顕幽分属図」(1820)
URLリンク(c.blog.xuite.net)
セフィロトの樹
URLリンク(blog-imgs-76.fc2.com)

680:考える名無しさん
17/09/10 00:10:51.78 0.net
カバラは現代哲学とどの様な関係にあるか?

681:考える名無しさん
17/09/10 00:55:24.90 0.net
これでも読めば、何か分るかもね
カント「視霊者の夢」
第三章 反カバラ。霊界との共同体をとりこわそうとする通俗哲学の断片

682:考える名無しさん
17/09/10 02:47:07.29 0.net
>>653
関係あるでしょ?

683:考える名無しさん
17/09/12 02:08:54.95 0.net
カバラはヘブライ語の動詞キッベールの名詞形で「伝承」を意味する。
世界の流出や、その構�


684:ャ要素の元型的本質を表す象徴表現。 日本人向けには井筒の『意識と本質』が詳しい。



685:考える名無しさん
17/09/12 02:09:26.57 0.net
デリダの否定神学やレヴィナスの彼方性などにも関連する話題はあったし、
その先のハイデガー、ヘーゲルから中世までを辿ってみる。
偶然性の哲学を巡っては、シェリングなども出てきたはず。

686:考える名無しさん
17/09/12 02:10:20.48 0.net
ハイデガーの哲学は「存在の哲学」でありながら、同時にそれを支える「無の哲学」でもあった。
ヘーゲルは『論理の学』において、
「存在」と「無」は同じであり、これらが同一性と差異性を孕みながら合わさる運動を「生成」と呼んだ。
これはどの様なことを言っているのか?
シェリングやベーメのUngrund(無底、無根底)を参照してみるといい。

687:考える名無しさん
17/09/12 02:10:58.24 0.net
Grund=底、根拠

688:考える名無しさん
17/09/12 02:11:45.18 0.net
“神とは(…)あらゆる根底に先立って、あらゆる現実在するものに先立って、
 したがってそもそもあらゆる二元性に先立って、自らの本質である「根源実在」なのである。
 シェリングはそれを「現根底(Urgrund)あるいはむしろ無根底(Ungrund)」と名付けている。
 すなわち、それに関してはいかなる差異も、また有[存在]の組目も、
 もともと適当な述語として述べられることのできない「絶対的無差別」のことである。”
― ハイデガー全集42『シェリング『人間的自由の本質について』』

689:考える名無しさん
17/09/12 02:12:31.04 0.net
このシェリングに影響を与えているのがヤーコプ・ベーメ。
ベーメは「神は無であり一切である」という。
神自身をも発現させる、神の最奥にまで遡源すると、
そこでは、いかなるものでもないことによって、一切を生成させる
「無即有」、「有即無」の根源的事態につきあたる。

690:考える名無しさん
17/09/12 02:13:49.65 0.net
“神性の本質は無底の深みのありとあらゆるところにあって、輪(ein Rad)か眼のようである。
 始まりがいつも終わりをもっているからである。
 しかも無底には場所は全く見いだされない。
 無底はそれ自身があらゆる存在者の場所であり、あらゆる物の充満であるが、
 それにもかかわらず無底は何ものにも?まえられたり見られたりしないからである。
 無底はそれ自身においてひとつの眼である。
 預言者エゼキエルは、第一章で、彼の意志の霊を神のなかへ導き入れることによって、
 そのようなもの[無底]をひとつの形体のうちに見た。”
― ヤーコプ・ベーメ『無底と根底』「六つの神智学的要点」19(1991)

“第三十年の四月五日のことである。
 わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、
 そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した。
 (略)
 わたしが生き物を見ていると、四つの顔を持つ生き物の傍らの地に一つの車輪が見えた。
 それらの車輪の有様と構造は、緑柱石のように輝いていて、四つとも同じような姿をしていた。
 その有様と構造は車輪の中にもう一つの車輪があるかのようであった。
 それらが移動するとき、四つの方向のどちらにも進むことができ、移動するとき向きを変えることはなかった。”
― 旧約「エゼキエル書」1:1-17

エゼキエルの車輪
URLリンク(www.ritmanlibrary.com)
その他ベーメのヴィジョン
URLリンク(www.esoteric.msu.edu)
URLリンク(livedoor.blogimg.jp)
URLリンク(werke.jacob-boehme.org)
URLリンク(werke.jacob-boehme.org)

691:考える名無しさん
17/09/12 02:15:51.97 0.net
その先は13世紀で、ルネサンスのルーツにも近い。
・(1260-1328)マイスター・エックハルト
・(1250-1305)モーシェ・デ・レオン
エックハルトは「神 Gott」と「神性 Gottheit」を分けた。
モーシェらカバリスト達は、人格神の深層に「エン・ソーフ(無限なるもの)」という非人格的な根源的存在リアリティを置いた。

692:考える名無しさん
17/09/12 21:19:36.27 0.net
12世紀
Hildegard von Bingen - Viridissima
URLリンク(www.youtube.com)
(Jocelyn Montgomery with David Lynch)

693:考える名無しさん
17/09/12 21:21:40.72 0.net
平凡社
中世思想原典集成 1巻 初期ギリシア教父
中世思想原典集成 2巻 盛期ギリシア教父
中世思想原典集成 3巻 後期ギリシア教父・ビザンティン思想
中世思想原典集成 4巻 初期ラテン教父
中世思想原典集成 5巻 後期ラテン教父
中世思想原典集成 6巻 カロリング・ルネサンス
中世思想原典集成 7巻 前期スコラ学
中世思想原典集成 8巻 シャルトル学派
中世思想原典集成 9巻 サン=ヴィクトル学派
中世思想原典集成 10巻 修道院神学
中世思想原典集成 11巻 イスラーム哲学
中世思想原典集成 12巻 フランシスコ会学派
中世思想原典集成 13巻 盛期スコラ学
中世思想原典集成 14巻 トマス・アクィナス
中世思想原典集成 15巻 女性の神秘家
中世思想原典集成 16巻 ドイツ神秘思想
中世思想原典集成 17巻 中世末期の神秘思想
中世思想原典集成 18巻 後期スコラ学
中世思想原典集成 19巻 中世末期の言語・自然哲学
中世思想原典集成 20巻 近世のスコラ学
中世思想原典集成 別巻 中世思想史

694:考える名無しさん
17/09/12 21:24:08.24 0.net
西洋思想史をやっていても、この段でイスラムが出てくる。

695:考える名無しさん
17/09/13 02:28:43.86 0.net
清水高志 『実在への殺到』 (2017/8/1)
ジェイムズからメイヤスー、ハーマン、ラトゥール、セール、カストロ、デスコラ、ストラザーン。
幹-形而上学、非・ホーリズム的転回、機会原因論的アニミズム、西田哲学やレンマ論など。

696:考える名無しさん
17/09/13 02:29:33.50 0.net
竹田青嗣 「現代哲学と欲望論」(『読書人の雑誌 本』2017年1-5月号)
第1回 欲望相関性
第2回 メイヤスーの思弁的実在論
第3回 本体論の解体 ニーチェとフッサール
第4回 「欲望」と世界文節
第5回 価値の哲学
この秋に出される『欲望論』のサマリー。

697:考える名無しさん
17/09/13 02:30:07.59 0.net
『四方対象: オブジェクト指向存在論入門』 - 2017/9/26
グレアム・ハーマン

698:考える名無しさん
17/09/13 14:20:12.37 0.net
いまだに構造主義云々笑えるw

699:考える名無しさん
17/09/13 17:23:29.28 0.net
>>669
悪い?

700:考える名無しさん
17/09/13 23:28:28.95 0.net
>>669
ポストポスト構造主義ね

701:考える名無しさん
17/09/14 07:09:56.69 0.net
構造主義を乗り越えられていないからしかたない
構造主義以降新たなパラダイムをきちんとした形で提示できた人はいない

702:考える名無しさん
17/09/14 08:38:49.50 0.net
いまだに構造主義云々笑えるw

703:考える名無しさん
17/09/14 09:20:24.41 0.net
構造主義はきちんとしたパラダイムとはいえないただの流行だろう

704:考える名無しさん
17/09/14 13:30:06.30 0.net
>>674
構造主義以上に重要できちんとしたパラダイムといえるものって
どういうものがあるの?

705:考える名無しさん
17/09/14 14:44:02.89 0.net
哲学でパラダイムの名前に値するのは
現象学とか分析哲学とかだろう

706:考える名無しさん
17/09/14 16:32:25.89 0.net
分析ってどういう意味ですか?

707:考える名無しさん
17/09/14 19:38:49.19 0.net
>>676
> 現象学とか分析哲学とかだろう
どちらも100年前だね。
ポストポスト構造主義はそのどちらをも乗り越えるということを言っているから、
一度読んでみるといいよ。

708:考える名無しさん
17/09/14 20:14:42.70 0.net
>>677
マウンティング

709:考える名無しさん
17/09/14 23:23:38.88 0.net
>>677
甘え

710:考える名無しさん
17/09/15 10:11:15.56 0.net
>>678
その手の仕事は
伝統的なものに「形而上学」などのレッテルを貼って
「それを乗り越えようとしている俺すごい!」と
自画自賛しているだけじゃないの

711:考える名無しさん
17/09/15 14:40:29.58 0.net
メイヤスーはむしろ形而上学への回帰じゃないの
デカルトageとか
形而上学批判批判

712:考える名無しさん
17/09/15 15:09:11.41 0.net
>>681
読んでもいない本について云々するのはFラン。
読んだとしてもその程度の理解力ならFラン。

713:学術
17/09/15 16:39:54.67 0.net
リナウンアラ4ティーンス

714:考える名無しさん
17/09/15 22:20:14.43 0.net
>>683
そして幼稚な難癖つけてるお前はアホラン

715:考える名無しさん
17/09/17 12:26:43.94 0.net
>>681
構造主義をディスるのをやめていただきたい

716:考える名無しさん
17/09/18 20:15:41.82 0.net
初邦訳
『十二世紀のルネサンス ヨーロッパの目覚め』(2017/8/10)
チャールズ・ホーマー・ハスキンズ
イタリア・ルネサンス以前、十二世紀の西欧ではすでに知的復興が行われ、活き活きと文化が華開いていた。
ローマ古典の再発見、新しい法学、アラビアの先進知識との遭遇、大学の誕生。
「封建的で陰惨な断絶された時代」という中世の理解は正しいのか
―精緻な写本研究と文献学の成果で西洋史に新たな枠組みを提示し、今も指標とされる不朽の名著。

717:考える名無しさん
17/09/18 21:29:50.41 0.net
>>687
古いのがあった

718:考える名無しさん
17/09/18 21:40:32.54 0.net
>>686
ごめん、傷ついたのなら謝ります。

719:考える名無しさん
17/09/18 23:11:59.37 0.net
中世は、封建的で平和的な時代だった

720:考える名無しさん
17/09/19 00:33:19.80 0.net
>>690
封建的ってのは悪だろうが

721:考える名無しさん
17/09/19 03:56:15.87 0.net
乗り越えるものなのか
仏教なんて2千年以上前から現象学的

722:考える名無しさん
17/09/19 09:12:47.86 0.net
>>691
封建的な江戸時代は殺人認知件数がゼロの年があるくらい平和だった
封建制と言うものが一定の秩序を齎し有益性をもつ時代が確かにあった

723:考える名無しさん
17/09/19 09:16:21.34 0.net
>>693
個人を抑圧する社会だった

724:考える名無しさん
17/09/19 09:29:18.26 0.net
個人を開放しても抑圧しても、社会不安はというものはどの時代にも等しく存在する
時代に順応し最も適した統治形態を模索すべきだ

725:考える名無しさん
17/09/19 11:25:15.76 0.net
ポストモダンは先祖帰りする
それを地で行ってたのが21世紀の日本

726:考える名無しさん
17/09/19 12:20:37.45 0.net
ポストモダンは一言で表現すると節操がないということ
全てにとって確かなもの、価値あるものは何も存在しないとする

727:考える名無しさん
17/09/19 18:41:16.55 0.net
>>692
仏教はとっくの昔から現象学的で弁証法的で超越論的で分析哲学的で精神分析的で構造主義的でポスト構造主義的で産婆術的でスコラ的だったんですよね分かります

728:考える名無しさん
17/09/20 01:44:29.77 0.net
>>697
多文化共生や多様性の尊重という考え方はそこから出てきているとは言えないですか?

729:考える名無しさん
17/09/20 01:56:03.25 0.net
相関主義がそして芽生える→不安→一気に独裁主義、全体主義へ

730:考える名無しさん
17/09/20 02:09:17.49 0.net
>>700
確かなものなど存在しない。だったら自分が信じた生き方を
しよう。不安なんて感じる必要はないよ

731:考える名無しさん
17/09/20 08:14:59.34 0.net
>>690
魔女狩りとか平和だよね

732:考える名無しさん
17/09/20 10:10:05.88 0.net
今世紀に入ってからのイスラムのテロとかも、ポストモダンっぽいと思った
つーか、影響受けてるよね
プレモダンへの回帰への志向とか

733:考える名無しさん
17/09/20 11:35:35.37 0.net
ポストやスーパーなんて接頭語のリニアリティが既に駄目だ。

734:考える名無しさん
17/09/20 23:09:51.23 0.net
>>702
ホロコーストとか原爆とか平和だよね

735:考える名無しさん
17/09/20 23:17:04.51 0.net
>>700
フロムが指摘したことだな
人々は自由に不安を覚えるから依存に陥る、かつては宗教に
確実性を求め、宗教が権威を失い封建制が崩壊し開放された人々が
求めたのは独裁者だった

736:考える名無しさん
17/09/20 23:28:35.45 0.net
人々が自由に不安を感じなくなったらどうなるんだろうね。

737:考える名無しさん
17/09/24 01:08:55.78 0.net
ポストモダンははったりだ系以外でポストモダンを乗り越えようという動きってあるの?

738:考える名無しさん
17/09/24 07:51:05.73 0.net
メイヤスーとか知らんの?

739:考える名無しさん
17/09/24 12:14:34.84 0.net
メリヤスなら箪笥の中に

740:考える名無しさん
17/09/24 14:56:38.23 0.net
時間の止まった哲学板や文学板で、ポストも何もあったもんじゃないw

741:考える名無しさん
17/09/24 16:57:13.39 0.net
単語や固有名出して終わり
なんて簡単なんでしょう
これは感嘆文です

742:考える名無しさん
17/09/24 17:18:10.94 0.net
簡単名訳~

743:考える名無しさん
17/09/24 18:19:08.14 0.net
ポストモダン乗り越え系の先行研究を調べるの面倒だからここで聞けばいっぱい出てくるかなと思ったけどメイヤスーみたいなぐぐれば出てくるものしか出てこないか
メイヤスーとソーカルこれがお前らの限界か
悔しかったらもっと書き込め

744:考える名無しさん
17/09/29 09:46:47.95 0.net
そんな他人の受け売りだけで満足してるおまえみたいなアホは何も理解できてないに等しい

745:考える名無しさん
17/10/08 18:31:28.65 O.net
カントは物に対してそれが無限か有限かは認識できないと言って
実在論を否定した
観念論だで無限であり数学的操作主義的だ
ハイデガーは存在者は存在ではない、要するに物ではない
有限な人間の視点からは物には還元できないと言った
観念論だが操作主義には批判的だ
世界内存在、有限主義
ポスト・ポスト構造主義のメイヤスーとかは絶滅とかを語り騙り
ハイデガー的な見方を突き詰めカント的観念論に敵対する実在論
否定神学を否定しデリダカント的に実在は人間は触れられないを批判する
マルクス・ガブリエルはドイツ観念論に依拠しながら
世界は存在しないと物とは違う事実は世界の中に会うが世界という
事実の総体には出会えないとポスト・ポスト構造主義には距離を取る

746:考える名無しさん
17/10/08 18:58:50.97 O.net
・カントの批判哲学とデリダの脱構築を絡ませて仮想敵として批判する
・その為に祖先以前や絶滅を使いハイデガーの先駆的覚悟性に近づく
・でもカントとハイデガーの違いが良くわからないと思った
・ハイデガーやドゥルーズやジジェクを使うが何を今さら
デリダの問題構成の中、掌の上じゃねと思った
デリダを評価するしないは置いといても同じ土俵の中の争い

747:考える名無しさん
17/10/08 19:11:57.59 O.net
カントを批判して絶滅だ有限の先にある物だと言ったって
それはハイデガーのナチズム参加と同じで詰んだ党派的立場にしか思えない
あるいはそういう党派を主張できれば満足なんか?
先輩がうっとおしいから分会を作れれば嬉しい若造のごっこ遊びか?
詳しい人ご教示を
これこれ意義があるんだと説明できる人教えて欲しい
彼らの主張にどういう意義がありどんな射程なんだと
日本で紹介している奴も本当はドゥルーズ論ぶちたいが
いつもじゃ厭きられるから目先を変えるついでじゃないのか
本当に意義があると思っているのか
あるなら何か教えてください
お願いします

748:考える名無しさん
17/10/08 19:33:22.60 0.net
伝統的な論理哲学とは対極に位置する批判理論がナチズム批判の構造の中でしか語られずに
終焉してしまったのは人類の悲劇でしか無い

749:考える名無しさん
17/10/11 12:51:14.82 O.net
カントの批判哲学、クリティシズムとハイデガーの差異
そしてそもそもそれを目指してデリダがやってたのにそれに対して
自分達をどう位置づけてんのかわからないのが
ポスト・ポスト構造主義の駄目なところだな

750:考える名無しさん
17/10/11 21:03:20.05 O.net
カントなりヘーゲルなりの観念論は別に相対主義というわけでもないが
批判者に言わせると根無し草の相対主義に見えると
で今更ごりごりの実在から直接真理が与えられるとやるわけにはいかない
素朴実在論はできない、素朴唯物論はやれないと、
スターリニズムの唯物論をやるわけにはいかない
だから思弁的実在論だ新実在論だで実在に片足突っ込んで
根無し草の相対主義ではないと言いつつ
視点からはそれぞれ違って見える世界まで含めて実在だと
ガブリエルの世界は存在しない、世界は物のようには出会えないも
その文脈だね
まあ、どうでもいい思想だね

751:考える名無しさん
17/10/12 23:19:37.48 0.net
仏教的真実は言葉によっては説明できないと言われる。(1)
しかし、語れないのであればそれを伝えることが出来ない。
だから、「仮名」や「仮設」という仮の形をとって言語化される。(2)
(1)離言真如…真如は本来言葉にはできず、心に思うこともできない
(2)依言真如…言葉を仮設することで表される真如の相
その他、
(3)不変真如…時間・空間を超越し、変わることのない真如の実相
(4)随縁真如…本来不変である真如のあり方に対し、縁によって種々の現象として生じる真如のあり方

752:考える名無しさん
17/10/12 23:20:28.15 0.net
語りえないものを、転倒させた言葉で表すといったらいいか。

753:考える名無しさん
17/10/13 02:00:01.70 0.net
【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [無断転載禁止]©2ch.net
URLリンク(lavender.2ch.net)
231 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/12(木) 15:02:23.62 0
実在への殺到読み始めた。
自分は井筒俊彦の存在の0ポイントとジェイムの純粋経験が同じ認識領域を指すと思った
この作者はジェイムスの純粋経験とメイヤスーの(事実性)が同じ領域を指すと指摘している
236 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/12(木) 23:04:38.23 0
>>231
> メイヤスーが《事実性》という名のもとに浮き彫りにするのは、
> 諸現象を整合し、総合するとされた主体の成立に先立つ「状態」であり、
> 主体も対象もそこではいまだ、整合や連接によって肥大していない、ある種の経験である。
p98のここかな?
真如に近いね。

754:考える名無しさん
17/10/13 16:09:16.74 0.net
また真如オタか、仏教板でやれ

755:考える名無しさん
17/10/13 22:35:42.05 0.net
>>725
『実在への殺到』は読んだかな?

756:考える名無しさん
17/10/13 22:36:11.97 0.net
【真如】しんにょ(tathatā)
・広説佛教語大辞典の解説
(1)かくあること。ありのままのすがた。あるがままなること。
(2)法がかくのごとく成立していること。法性と同義。
(3)「…真如」は、…なる法として成立していること。
(4)普遍的真理。心のあるがままの真実。あらゆる存在の真のすがた。万有の根源。
・デジタル大辞泉の解説
《〈梵〉tathatāの訳》仏語。ありのままの姿。万物の本体としての、永久不変の真理。宇宙万有にあまねく存在する根元的な実体。法性(ほっしょう)。実相。
・大辞林 第三版の解説
[仏] あるがままにあること。存在の本質、存在の究極的な姿としての真理そのものをいう。大乗仏教では、法性・実相などとほぼ同義に用いる。実性。
・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
仏教用語。あるがままにある状態のこと。
この世のすべてのもの (諸法) の根底にある唯一無二の絶対の実在界のあり方は「その如くである状態」すなわち真如としか表現のしようがない。
諸法の人法二空の本性を真如ということもあり,また,衆生の心の本来の清らかな状態である自性清浄心を真如と呼ぶこともある。

757:考える名無しさん
17/10/15 01:31:04.78 0.net
《ダブルバインドの作用
 禅の修業において、師は弟子を悟りに導くために、さまざまな手口を使う。そのなかの一つ
に、こういうのがある。師が弟子の頭上に棒をかざし、厳しい口調でこう言うのだ。「この棒が
現実にここにあると言うのなら、これでお前を打つ。この棒が実在しないと言うのなら、お前を
これで打つ。何も言わなければ、これでお前を打つ。」分裂症者の人間はたえずこの弟子と
同じ状況に身を置いているという感触をわれわれは抱いている。しかし彼は「悟り」とは逆
の、「混乱」の方向へと導かれる。禅の修業僧なら、師から棒を奪い取るという策にも出られる
だろう。そしてこの対応を、師が「よし」と認めることもあるだろう。しかし分裂症者がそのよう
な選択をとることは不可能だ。相手との関係に対して大胆になることは彼は許されていないし、
彼の母親と禅師とでは、その目的も意識も大きく違っているのだ。》
(ベイトソン「精神分裂病の理論化に向けて」『精神の生態学』2000年297頁)
参考:
《…徳山 (宣鑑 ・七八〇 ―八六五 )は堂に来る時 、必ず長い棒を携えていた 。そして言う 、
「道い得るも三十棒 、道い得ざるも三十棒 」と 。これが彼の弟子達に言ったすべてであって 、
彼はこれ以外何事も言わなかった 。》
(鈴木大拙「大肯定の禅」『禅学入門』より)
臨済録勘弁
URLリンク(marihouse.biz)
師聞第二代徳山埀示云、道得也三十棒、道不得也三十棒。

758:考える名無しさん
17/10/15 13:00:29.60 0.net
今、最低限読んでおかれるべきなのは、
ハーマン>>668と清水>>666
メイヤスーはドイツ観念論に対するフランス合理主義的な乗り越え。
ハーマンは、英米の経験論やプラグマティズム的な乗り越え。
ようやく翻訳されたので、イメージの補正をしてほしい。
『実在への殺到』は、清水と千葉の担当領域をまとめ、
ポストポスト構造主義を幅広く紹介した教科書的内容。

759:考える名無しさん
17/10/15 13:01:08.06 0.net
竹田>>667も結構読み込んでいる感じ。

760:考える名無しさん
17/10/15 13:01:53.23 0.net
メイヤスーは思弁的実在論
西田哲学は現象即実在論

761:考える名無しさん
17/10/15 13:02:34.98 0.net
>>727
真如=真の実在

762:考える名無しさん
17/10/15 13:03:10.61 0.net
西田幾多郎 『善の研究』各版
(1)『善の研究』ワイド版岩波文庫〔改版〕(2012)、(解説=藤田正勝)(ルビあり、活字が新しい)
(2)『善の研究』ワイド版岩波文庫 (1991)、(解説=下村寅太郎)(ルビあり)
(3)『善の研究』岩波文庫 (1979)、(解説=下村寅太郎)(ルビあり)
(4)『善の研究』(全注釈:小坂国継)講談社学術文庫 (2006)、(ルビ多い、新字体・現代仮名遣い)
(5)『西田幾多郎全集〈第1巻〉善の研究・思索と体験』〔新版〕、岩波書店 (2003)、(ルビなし)
(6)『西田幾多郎全集〈第1巻〉善の研究・思索と体験』〔旧版〕、岩波書店 (1978)、(旧字体・旧仮名遣い)
“真の実在とは何か、善とは何か、宗教とは、神とは何か―。
 主観と客観が分かたれる前の「純粋経験」を手がかりに、人間存在に関する
 根本的な問いを考え抜いた西田幾多郎(1870-1945)。
 東洋の伝統を踏まえ、西洋的思考の枠組自体をも考察対象とした本書は、
 以後百余年、日本の哲学の座標軸であり続ける。”
新字体・現代仮名遣い 4 > 1 = 2 = 3 > 5 > 6 旧字体・旧仮名遣い
・岩波版の中で読みやすいのは1。各国語版の紹介などもある
・4は古い文献の読みにくさを解消し、現象学的観点からの解説もある
タイトルは元々『純粋経験と実在』というものだったが、出版社(弘道館)の意向から『善の研究』となった。

763:考える名無しさん
17/10/15 13:03:39.72 0.net
“経験するというのは事実そのままに知るの意である。まったく自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。
 純粋というのは、普通に経験といっているものもその実はなんらかの思想を交えているから、
 毫も思慮分別を加えない、真に経験そのままの状態をいうのである。
 例えば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、
 我がこれを感じているとかいうような考えのないのみならず、
 この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。
 自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。
 これが経験の最醇(=最もまじりけがなく純粋なこと)なるものである。”
 
― 西田幾多郎 『善の研究』 第一編 第一章 (小坂版)

764:考える名無しさん
17/10/15 13:15:32.57 0.net
メイヤスーは、「必然的」に見える世界の在り方の奥に「偶然性」を見出だす。
仏教は、事物の「自性」(本質)の奥に「無自性」(本質のなさ)を見出だす。
やっていることは近い。
その際、
メイヤスーは、あらかじめ、心(言語や感覚)は取り外す。
仏教の場合、心はあるが、その内容物をゼロ(無・空)にする。
オブラート一枚分の差があるが、どちらもそうした先に「ありのままの世界」を見る。

765:考える名無しさん
17/10/15 13:16:26.61 0.net
意識や言語によって作られた「必然性や本質」以前を指向すること。

766:考える名無しさん
17/10/15 13:19:21.43 0.net
>>560
“偶然は無に近い存在である”
― 九鬼周造 『偶然性の問題』 (1935)

767:考える名無しさん
17/10/15 13:19:56.32 0.net
>>637
> 此性をもつ無
ある種の無

768:考える名無しさん
17/10/15 13:20:32.60 0.net
メイヤスーは人類史禅

769:考える名無しさん
17/10/15 13:22:22.08 0.net
>>637>>656-660
「原始偶然 Urzufall」はシェリングの術語

770:学術
17/10/15 16:42:35.56 0.net
ポストホスト表象主義。

771:考える名無しさん
17/10/15 16:43:36.27 0.net
735.
その見る主体が問題となる。
それが人間であれば、それは人間学である。
宗教は人間学ではない。

772:考える名無しさん
17/10/15 19:18:57.23 0.net
仏教はただの宗教とは違って、一神教ほど教条的ではなく体験知から演繹して
真理に到達しようとする論証的な学問という側面がある

773:考える名無しさん
17/10/21 00:23:35.09 0.net
“東西の文化形態を形而上学的立場から見て、如何に区別するか。
 私はそれを有を実在の根底と考へるものと無を実在の根底と考へるものとに分かつことができるかと思ふ。”
“西洋文化の源となつたギリシャ文化は有の思想を基としたもの”



774:インド宗教は前の二者に反し最も深い無の思想を以て根底となすもの” ― 西田幾多郎 「哲学の根本問題 続編」 『西田幾多郎全集6』 (2003)



775:考える名無しさん
17/10/21 06:15:50.01 0.net
フランス系のポストモダン思想、英米ではウィトゲンシュタイン由来の日常言語学派。
この二つの流れが、決定的に哲学を不毛でダメにしたね。
哲学という学問を2流のものにしてしまった。
本当は偉大な学問なのに・・・・

776:考える名無しさん
17/10/21 07:16:58.83 0.net
哲学が、「馬鹿の作文」になってしまった元凶だね。

777:考える名無しさん
17/10/21 10:12:47.76 0.net
ポストモダン思想は馬鹿にしてもよいが、日常言語学派は馬鹿にできない

778:考える名無しさん
17/10/21 12:11:20.69 0.net
>>747
50歩100歩だと思う。
ウィトゲンシュタインって過大評価されてる最たる人。

779:考える名無しさん
17/10/21 12:19:35.12 0.net
そもそも日常言語学派はウィトゲンシュタインとは別の流れだし

780:考える名無しさん
17/10/21 12:27:50.84 0.net
ウィトゲンシュタインがいなかったら、まず間違いなく成立しなかったと思うよ。
むしろラッセルの論理主義の方向で大方は進んでいただろう。
オースティンなんかも後発組で影響は無視できない。

781:考える名無しさん
17/10/21 12:38:23.13 0.net
21世紀に入ってから、形而上学の復権が見られるのは、哲学本流への復帰現象かな。

782:考える名無しさん
17/10/21 13:52:35.41 0.net
様々な“ポストモダニスト”
URLリンク(ja.wikipedia.org)
<哲学・思想>
・デリダ、ラクー=ラバルト、ナンシー等を中心とする、脱構築を主とするデリディアン。
・ランシエール、バディウ、バリバール等を中心とする、アルチュセールに強く影響を受けたアルチュセリアン。
・フーコー、アガンベン、バトラー等の、生政治の歴史的展開の研究や、クィア理論、ジェンダーから現代批判を行なうフカルディアン。
・ドゥルーズ、ガタリ、ネグリ等の近代的社会=経済システムに最も強い批判を投げかけるドゥルージアン。
・他にロラン・バルトやバフチンらを経由しているクリステヴァ、
ラカンの影響下にあるジジェク、ネオプラグマティズムのローティ、メディアに対する鋭い批判をなげかけるボードリヤール等がいる。
<社会学>
・代表的には、「アクターネットワーク理論」のブルーノ・ラトゥール、「移動と場所の社会学」のジョン・アーリ、
「非表象論」のナイジェル・スリフト、そして、レジス・ドブレに始まるメディオロジーを挙げることができる。
この人々のなかで自らの概念として「ポストモダン」を引き受けたのはリオタールだけである。
フーコーやドゥルーズなどは、この言葉に強い嫌悪を表明した。

783:考える名無しさん
17/10/21 13:53:48.61 0.net
>>722
(1)は物自体、否定神学、語りえぬもの、言挙げをしない的
(2)は仏教、リゾーム的
語るか、語らぬかという二元論ではなく、
離言真如はメタ言語だということ。

784:考える名無しさん
17/10/21 13:54:32.75 0.net
ドゥルーズ・デリダの哲学は多分にアジア・アフリカ的要素を含んでいたが、
それが西洋形而上学の中心へと回帰していった感はある。
その分、アジア・アフリカ的要素は、人類学が担っている。

785:考える名無しさん
17/10/21 13:57:20.52 0.net
デリダの後続のポストコロニアル系はあまり話題に上らなくなったが、
ドゥルーズの後続が、人類学の分野などで活躍して元気がいいという感じ。

786:考える名無しさん
17/10/21 15:02:49.26 0.net
>>748
ウィトゲンシュタイン自身は胡散臭いようなところもあるけれど
その哲学的影響はまっとうなものだろう。そこらへんはハイデガー
に通じるところがある。

787:考える名無しさん
17/10/21 15:22:54.22 0.net
>>754
こうした問題は、
『現代思想』2009年7月号「特集:人間/動物の分割線」でも読める。
デリダ「ドゥルーズにおける人間の超越論的「愚かさ」と動物への生成変化」
(西山雄二+千葉雅也 訳)ほか

788:考える名無しさん
17/10/21 15:23:34.53 0.net
もっと言えば、ドゥルーズは生を扱った分、そのままアフリカ的であるし、
デリダはヒエログリフ(象形文字)なども扱ったが、後期の動物論などは獣論でもあり、
アニミズムのある世界とは違いがある。

789:考える名無しさん
17/10/21 15:24:13.41 0.net
アジア的といっても、
ユダヤやイスラムなど西アジアの文化と、
インド以東の東アジアの文化の違いなども読まれていくべきだろう。

790:考える名無しさん
17/10/21 15:50:25.76 0.net
“ジャック・デリダの「解体」哲学、ドルーズ=ガタリの「リゾーム」理論に代表される
 現代ヨーロッパの前衛的思想フロントは、明らかにアンチコスモス的である。
 コスモスへの反逆、「ロゴス中心主義」的存在秩序の解体。
 西洋思想のこのアンチコスモス的動向が提起する存在論的、意識論的問題群にたいして、
 東洋哲学はどのような対応を示すであろうか。”
― 井筒俊彦 「コスモスとアンチコスモス」

791:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 11:04:16.33 0.net
井筒は悪い意味で言っているのではないがね

792:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 11:06:31.89 0.net
『ダーク・ドゥルーズ』 アンドリュー・カルプ (2016)
ドゥルーズは喜びと肯定の哲学ではなく憎しみと破壊の哲学だ。
暗黒のドゥルーズを召喚して世界の破壊を共謀する最も危険な哲学の誕生。
ドゥルージアン4人による応答を併載。

793:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 18:05:10.69 0.net
千葉が力を入れているのは、言語論からの形態論というところ。
芸術論の新たな転回 02 千葉雅也
「洒落と仮固定の制作論 - 千葉雅也『勉強の哲学』をめぐって」
(Interview series by 池田剛介)
URLリンク(realkyoto.jp)
(2017年5月30日収録/9月20日公開)

794:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 18:05:51.45 0.net
こういうのもあった。(再掲)
“何をするかわからない他者たちと共存するために、それらの解釈の諦めを理論的に取り扱う、これが必要だと思います。
 無解釈性を理論に含めている人文学、それを僕は、フランソワ・ラリュエルを背景として「非人文学」と呼んでいます。
 解釈を努力する部分と、解釈をあきらめる部分が、両方ある。
 諦めるといっても、すぐに暴力的なぶつかりあいになるのではなく、ただたんに隣にいることです。
 つまり、ナマコとヤドカリのイメージです。空間的並置とはそういうことだと思います。
 複数の秘密が隣り合って並んでいる状態です。少なくとも僕は、そういう状態について考えたいのです。
 それも、意味を伝える言語だけではなく、非シニフィアン的でフォルム的な言語を駆使して考えたいのです。”
― 千葉雅也「ナマコとヤドカリ」『現代思想の転換2017: 知のエッジをめぐる五つの対話』(2017)

795:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 18:10:57.28 0.net
非シニフィアン(A-signifiant)
“非シニフィアン的記号論。
 これはシニフィアンの記号学とは区別されなければならない。
 ここで問題となるのは要するにポスト・シニフィアン的記号論である。
 非シニフィアンの記号論というのは、たとえば意味作用を生産する使命をおびていない
 数学的記号の機械とか、科学的、音楽的、芸術的といったような類の技術-記号的複合体とか、
 あるいはまた分析的な革命機械といったもののことであるといってよい。”
その他、非記号論的コード化、発生論的コード化、意味形成の記号学、前シニフィアン的記号学
― ドゥルーズ/ガタリ 『政治と精神分析』 (1994)

非シニフィアン的記号論の例に挙げられるのは
・音楽のエクリチュール
・数学のコーパス
・情報科学やロボット工学のシンタックス
など
(ガタリ 『闘走機械』 (1996))

796:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 18:11:54.27 0.net
シニフィアンの記号学
・形式 ○
・実質 ○
・素材 ×
非シニフィアン的記号論
・形式 ○
・実質 ○
・素材 ○

797:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 18:12:27.58 0.net
「分裂分析的哲学 ガタリは何を解放したか」(『現代思想』2013年6月号 特集=フェリックス・ガタリ)
江川隆男×千葉雅也
千葉は、非シニフィアン的記号論の、記号論という形式から離れたところで自由にやりたいのだろう。

798:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 18:13:05.60 0.net
>>765
> 数学のコーパス
メイヤスーの場合

799:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 18:13:34.58 0.net
この辺りからポストポスト構造主義は始まっていた

800:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 18:14:25.19 0.net
ドゥルーズとガタリの両方をやらないと、ドゥルーズ=ガタリの理解は深まらない

801:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 18:14:59.51 0.net
フェリックス・ガタリ 『人はなぜ記号に従属するのか』 杉村昌昭訳 (2014)
訳者あとがき
「ガタリはドゥルーズ/ガタリの一部だったのではなくて、ドゥルーズ/ガタリがガタリの一部だった」

802:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
17/10/22 19:41:02.22 0.net
ポスト構造主義は無節操なだけである、たとえ普遍法則たり得なくとも何らかの規定根拠を前提しなければ
思考はそこから一歩も前へと進まない

803:考える名無しさん
17/10/26 23:26:13.94 0.net
『シェリングと思弁的転回 --グラントのシェリング主義について--』
浅沼光樹 (25-Mar-2017)
URLリンク(repository.kulib.kyoto-u.ac.jp)
> 《思弁的転回》は思惟や言語の相関項にとどまらない実在、要するに《実在そのもの》を志向するものでなければならない。

804:考える名無しさん
17/10/27 22:37:16.88 0.net
>>589>>733-734
最新の西田像を読む2冊
(1)小泉義之×檜垣立哉 「西田から「哲学」を再開するために」 『西田幾多郎 KAWADE道の手帖』 (2005)
(2)檜垣立哉 『西田幾多郎の生命哲学:ベルクソン、ドゥルーズと響き合う思考』 (2005)
最もモダンな読みをしているのは檜垣と小泉。
二人は西田の数理哲学的側面を軸にして、ベルグソンやドゥルーズに通じる生の哲学として紹介している。
檜垣は、高校時代の数学の教師が西田の孫だったという。
1も2も西田の主要な論稿を通じて、鍵概念と思想の変遷を追う内容。
1には、京都学派の理系を代表する下村寅太郎の「西田哲学における弁証法的世界の数学的構造」を収録。

805:考える名無しさん
17/10/28 04:06:54.72 O.net
何で荒らしがわいてんの?

806:考える名無しさん
17/10/28 11:43:51.12 0.net
「宇宙における人間の存在」 ローマ法王、ISS飛行士と哲学問答
URLリンク(www.afpbb.com)
【10月27日 AFP】ローマ・カトリック教会のフランシスコ(Francis)法王が26日、
国際宇宙ステーション(ISS)に滞在中の宇宙飛行士6人と映像中継で交信し、「宇宙における人間の存在」など哲学的な問答を行った。
 アルゼンチン出身のフランシスコ法王はバチカンの机の前に座り、大きなテレビの画面を通じて青い制服姿の宇宙飛行士らと対面。
「こんにちは……いや、こんばんは、かな。宇宙ステーションでは時間の流れが違うと思うが、合っているだろうか?」と冗談を飛ばした。
「天文学は、われわれに宇宙の無限の境界について考えさせ、『われわれはどこから来て、どこへ行くのか?』といった疑問を抱かせる」と法王が口にすると、
30秒のタイムラグ(時間のずれ)を挟んで米国人3人、ロシア人2人、イタリア人1人の宇宙飛行士らが人生最大の問題について考えをめぐらせる様子が画面に映った。
 イタリアのパオロ・ネスポリ(Paolo Nespoli)飛行士は、「われわれがここにいる目的は知識を広めるためだ。
(しかし)学べば学ぶほど、無知を自覚させられる」と回答。
さらに「あなたや神学者、哲学者、詩人、作家のような人々にこそ、宇宙に来て、宇宙における人間の存在意義を探求していただきたい」と語ると、法王はうなずいて笑顔を見せた。
 一方、ISS船長を務める米国のランディ・ブレスニク(Randy Bresnik)飛行士は、大気圏の薄さを目の当たりにして、地球に生きる命のはかなさを実感すると答えた。
 法王は重ねて、宇宙を動かす愛の力についてどう思うか、ISS滞在中の喜びの源泉は何か、無重力下での生活で世界の見方がどう変わったかなどについて質問。
ブレスニク飛行士は「毎日外を見て、神の創造物を少しばかり神の目線から見ることが一番の喜びだ」と答え、
戦争や飢餓、環境汚染、人間の愚行などから遠く離れた「ここから見るほうが、人類の未来は良く見える」と述べた。(c)AFP/Ella IDE

807:考える名無しさん
17/10/28 11:44:43.75 0.net
テイヤール・ド・シャルダン的風景

808:学術 ディジタル rare shinscake adanei
17/10/28 12:45:43.34 0.net
ティファールと エアシャルダン的高級感。

809:考える名無しさん
17/10/28 13:15:06.78 0.net
>>776
今の我々が愚行とみなしている事は、これからも永遠に
愚行とみなされるのですか?

810:学術
17/10/28 14:25:31.56 0.net
遠近法より乱視だよ。

811:考える名無しさん
17/10/28 23:29:30.36 0.net
>>779
“この世界は、まったくの偶然で、別様の世界に変化しうる。”
― 『有限性の後で』帯

812:考える名無しさん
17/10/28 23:36:06.87 0.net
『ゲンロン6 ロシア現代思想Ⅰ』 (2017/9/22)
“ロシアとはなにか、ヨーロッパとはなにか、
 そして近代の外部が(そこにはむろん日本も含まれる)
 近代を欲望するときなにが起こるのか”
日本の近代~現代~ポスト・ポストモダニズムと重ねて見るロシア。
「ロシアにおけるドゥルーズ、デリダ」など。
ロシア学の新しい形。

813:考える名無しさん
17/10/28 23:36:40.44 0.net
『現代思想』 ロシア革命100年 (2017年10月号)
『情況』 ロシア革命100年 (2017年10月号)
『思想』 宗教改革500年―社会史の視点から (2017年10月号)

814:考える名無しさん
17/10/29 00:34:45.04 O.net
ポスト・ポスト構造主義の話をしようよ
絶滅の思想なんか馬鹿じゃないかとか
マルクス・ガブリエルは幼稚過ぎて恥ずかしくなるとか
今更あんな中味のない議論して頭おかしいんじゃないのかとか
デリダやドゥルーズから何歩後退してんだお前らはとか

815:考える名無しさん
17/10/29 00:38:44.06 O.net
ポスト構造主義を根なし草だから実在論に回帰するとか
何周遅れの恥ずかしい議論なんだ、真面目にそんなこと言ってて正気なのかとか
もっと内容のある話をしようよ

816:考える名無しさん
17/10/29 09:57:53.81 0.net
そもそもデリダやドゥルーズが哲学として論じるに値することを言っているのか
というところから疑わないとね

817:考える名無しさん
17/10/29 15:03:11.42 0.net
>>785
ポスト構造主義は物自体の存在を否定しているのではなくて物自体は認識できないという前提で話をしているのに
ソーカルが知識が社会的に構築されたものというのなら高いビルから飛び降りて科学の知見が幻想だと証明してみろという趣旨の発言をしたり
メイヤスーが祖先以前の世界は人間の認識以前の世界だという趣旨の主張をしたり
何よりそれらがポスト構造主義への反論として認識されているという点が不思議でしかたない
まあポスト構造主義が調和は幻想だと言ったはいいがでは無秩序な状態で人は生きていけるのかという問いに明確な答えを与えなかったのは確かで
そこはあえてエポケーの状態にとどめおいてそのうえで秩序を調和をもたらす方法を目指すにはやはり現象学を発展させていくしかないのか

>>786
思考の硬直化を防止する上では重要だと思うよ

818:考える名無しさん
17/10/31 16:40:36.16 O.net
デリダやドゥルーズが有効か有効じゃないかとの議論はまだ意味があるが
それに対抗して実在論とかは全く意味のない下らない議論だからな
認識とは人間の視点による相対的なものだ
→人類が生まれる前や人類が滅んだ後はどうなんだ?
反論に全くなっていない
一事が万事
意味のないタワゴトでしかないポスト・ポスト構造主義

819:考える名無しさん
17/10/31 17:45:05.69 O.net
新しい実在論や唯物論と言ったって、要するに根なし草のポストモダン思想に対して
それらは実在を認めない観念論に過ぎない、こちらは実在に根差し相対主義じゃないと言いたいだけ
頭悪すぎ
真理を遠ざける観念論や相対主義に対抗して実在論やあるいは現象学で絶対的な地盤を作るとか
馬鹿も休み休み言え、死んでくれ
ソフィストの相対主義、機会主義、個のわがままと
プラトンのイデア論、絶対主義、真理による全体主義の抑圧の対立の
何十度目かの変奏、焼直しに過ぎないんだよね
個の視点、わがままのプロタゴラス、ゴルギアスらソフィストの自分の利益立場ありきの
都合の良い弁論、主張が正しいわけもなく
プラトンの経験を越えた人間を離れた絶対的真理が正しいわけもなく
ソクラテスに戻るしかないわけで
それぞれの視点都合利益による正しさ、局所的真理を突き崩して
個の立場を離れた正しさ、もっとましな真理を追及するしかないわけで
それぞれの立場による正しさを乗り越えた大域的な非局所的な真理はあるわけで
ソフィストの相対主義の知に対する無知の知はプラトン的な絶対的な知でもなく
相対的な物を越えた個を越えたましな知だが絶対的な知でもない
全体主義に対して踏みとどまるものだ

820:考える名無しさん
17/10/31 21:21:33.55 0.net
なげー

821:!ninja
17/11/01 13:49:09.44 0.net
いつまでポエムやってんだろうな

822:考える名無しさん
17/11/01 15:42:16.11 0.net
>>791
ポエムに失礼だぞ
ポエムは人に感銘を与えるものだ

823:ポエマー
17/11/01 19:38:47.86 0.net
トロッコ問題などで有名なフィリッパ・フットは絶対的倫理を批判して共同体毎の倫理、徳倫理学を擁護する。
人食い人種のところにとって宣教師が一生懸命宣教する。そして、人食い人種は良いという言葉を覚えるが使い方がちょっと違う。
人の首を狩れる優秀な戦士であることを良いと使う。
良いということは相対的なものだ。
それに対してマイケル.・スミスは人食い人種のそれは同じ言葉を使っても良いではないという。
でも、ちょっと考えれ見れば、今、人食い人種を否定する現代人は後の時代には肉を食っていた、生物を殺して食っていたと批判されるのはわかりきったこと。
ソフィストに立つか。プラトンの絶対的イデアに立つか。
ポストモダンか新しい実在論や新しい唯物論に立つか。
どちらもばかげているのは当たり前で、善は一つではない、その時代、その時代でそれぞれできること頑張れることがある。
ある時代までは滅私奉公でよかったことが次の時代にはパワハラやモラハラになる。
だからといって倫理はばらばらではない。まったく恣意的なものでもない。少しづつ訂正しながら前の時代を受けて発展していく。
個のわがまま、恣意性ではない少しずつの進歩、全体で目指すべき方向はある。
その事実を認めないのは愚かだ。ばかげている。
絶対的な真理はないが目指すべき方向はある。
ポスト・ポスト構造主義とか、新しい実在論はゴミである。
このレスにむかついている奴はゴミの中のゴミだ。

824:考える名無しさん
17/11/01 19:48:19.71 0.net
>>793
> 絶対的な真理はないが目指すべき方向はある。
目指すべき方向とは?

825:学術 ディジタル rare shinscake adanei
17/11/01 19:52:40.68 0.net
死体拾いのスーパー。新旧集まって。のほうが。青空市を超えるかもなあ。
青ノ空市。

826:学術
17/11/01 19:53:39.73 0.net
人食い 動種に食われたいか?垢やら髪やら爪だけでいいよな。

827:学術
17/11/01 19:56:07.30 0.net
あの頃へ 戻れなかったらどうするの?
URLリンク(www.youtube.com)

828:考える名無しさん
17/11/01 20:54:50.78 0.net
>>793
いつもの大ボラか?

829:考える名無しさん
17/11/01 22:34:51.56 0.net
>>793
目指すべき方向と言ってしまう時点で目的論に陥っている
同じ穴のムジナだよ
硬直化していく思考に対して意味の拡散を指摘して思考を開いていこうとしたけれど拡散しすぎて迷走した(ように見えた)
この拡散を止めようとして「確かなもの」を見出そうとしている一派と拡散をコントロールしようという一派のどちらになろうとするか
もしくはそれ以外の道を模索するか

830:考える名無しさん
17/11/02 00:45:43.38 0.net
>>789>>793
新しい実在論や唯物論から学ぶべきは、
そういう、感情と衝動に支配された盲目的な相対主義からの脱却なのであって

831:考える名無しさん
17/11/02 12:41:28.96 O.net
ポスト・ポスト構造主義はどう考えても発想がおかしい馬鹿げた思想だから
批判にもまともに反論できない
ただ何となくファッションだからファンがついて意味のないおしゃべりしてスレを伸ばしているだけ

832:考える名無しさん
17/11/02 12:52:01.67 O.net
こんな下らない思想を擁護できる奴なんなの?
何か良いことあるの?
自分でも変だと思わない?

833:考える名無しさん
17/11/02 12:55:42.62 0.net
>>801
>>802
具体的にどこがおかしいのかを書いてね

834:考える名無しさん
17/11/02 12:57:02.34 0.net
くだらないのはポストモダン。

835:考える名無しさん
17/11/04 10:31:35.49 0.net
ラカン 「無意識は言語のように構造化されている」 (Lacan, "L'etourdit", Autres ecrits, Seuil, 2001)

ここで使われている「言語」とはラング(言語)ではなくランガージュ(言語活動)。
(L'inconscient est structure comme un langage)

836:↓↓↓↓↓↓↓
17/11/04 10:34:14.14 0.net
ガタリ 「無意識は言語のように構造化されていない」 (ガタリ 『人はなぜ記号に従属するのか』 (2014))

ガタリは無意識のあり方について、
ラカンがいう「"ひとつの"言語のように構造化されている」のではなく、
「"多様な"記号化の様式として構造化されている」と説明した。

837:考える名無しさん
17/11/04 10:35:00.82 0.net
この辺りもポストポスト構造主義の始まりの一つ。

838:考える名無しさん
17/11/04 10:35:17.95 0.net
ランガージュとは、言語をはじめとする記号をつくり使用する様々な能力、
及び、それによって実現される活動を指し、
人類を他の動物から弁別するものであるとされる。
この能力、活動には、発声、調音などの言語的なものの他、
抽象やカテゴリー化といった論理的なものも含まれる。
記号の規則、文法や語彙が制度化されたものをラングという。

839:考える名無しさん
17/11/04 10:42:17.36 0.net
井筒は、唯識の「アラヤ識」を「言語アラヤ識」と言い直していたが、
ラカンに近いのかもしれない。
デリダの「散種」もこの域。

840:考える名無しさん
17/11/04 10:42:38.73 0.net
“絶対無分節者の存在エネルギーは、言語アラヤ識(「文化的無意識」)の次元で
 第一次的に分節されていろいろな意味分節体となり、
 その中のあるものは「元型」として強力に自己を主張する。
 そして「元型」は次の段階で形象化して「元型」イマージュとなる。”
― 井筒俊彦 「意識と本質」10 

841:考える名無しさん
17/11/04 10:43:11.18 0.net
“ラカン派の精神分析家を東京に招いて開かれたシンポジウムの席上、
 ラカンは東洋の羅漢に通じますと、笑みをたたえていっておられた
 井筒さんの童顔が忘れられないのである。”
― 山折哲雄 (URLリンク(www.keio-up.co.jp)

842:考える名無しさん
17/11/04 10:45:28.07 0.net
>>808
それから、アルファベットの様な表音文字文化と、漢字の様な表意文字文化の差を考えると、
人類(文化)と動物(自然)を分けいては足らない。

843:考える名無しさん
17/11/04 10:46:42.19 0.net
中沢は、文化と自然の二分法の克服するため、
ドゥルーズらのポスト構造主義的記号論を迂回し、
レヴィ=ストロースやラカンらの構造主義的記号過程を
直接発展させた「新構造主義」という言い方もしている。
(中沢新一/石倉敏明 「野生の科学、あるいは新構造主義の時代」 『現代思想』 2014年1月号)

844:考える名無しさん
17/11/04 10:47:19.09 0.net
千葉も、非シニフィアン的記号論の形式から離れたところを目指している。>>767

845:考える名無しさん
17/11/04 11:37:43.87 0.net
>>808
ゲシュタルトを生成する能力と言っていいのかな。
これには生物的な基盤があるでしょ。

846:考える名無しさん
17/11/04 12:40:55.87 0.net
非シニフィアン的記号論というのがよくわからない
例えば数学は単語レベルだと非シニフィアン的かもしれないが物語レベルだとシニフィアンになる
ソーカル事件はまさに数学をシニフィアンとしたという指摘だったわけでしょう

847:学術
17/11/04 13:33:52.40 0.net
何らかの吠え声や鳴き声うなり声が、言語として獲得された、
シンボリックなものになったということに関係がありそう。

848:考える名無しさん
17/11/04 13:52:44.47 0.net
言語自体が、より根源的な生物的なゲシュタルト知覚から由来してるから。
身分けの構造もうそうだし、動物でも霊長類には一定の抽象化能力がある。

849:考える名無しさん
17/11/05 18:54:57.99 0.net
>>763より
千葉:
『動きすぎてはいけない』第二章の、連合説(アソシエーション)の問題を
解離(ディソシエーション)として読み換えるという部分だね。まさにそうです。
言葉は、ブロック遊びみたいに、パーツを交換したり、順序を変えたりできるわけです。
例えば、「昨日トンカツ食べた」という文は、パーツを交換して「今日トンカツ食べた」に変えられる。
あるいは、極端に音レベルでバラバラにして、「ノキウツカントベタタ」と言うならば、
それは組み替えではあっても、もはや音楽みたいになってしまっている。
それはリズムの形態ですよ。ノキウツカントベタタ、ノキウツカントベタタ、ノキウツカントベタタ…(笑)
「昨日トンカツ食べた」から「今日トンカツ食べた」への変化であれば意味的ですよね。
「ノクツカントベタタ」はいかにもナンセンスです。
しかし僕は、「ノキウツカントベタタ」と「今日トンカツ食べた」
という二つの組み替えは同レベルだと思っている。それはスペクトル的に繋がっている。
つまり、シーケンサーの上で音符のブロックをどんどんグチャグチャにすることで、
元々は普通に聞こえるはずだったものをノイズミュージック
あるいは無調音楽のように書き換えてしまうのと同じように、
我々の言語の並び替え可能性は無調音楽の世界へ繋がっているわけです。

850:考える名無しさん
17/11/05 18:56:03.61 0.net
“When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.”
(ありえないものをすべて消去したのなら、残ったものがどんなにありそうにないものだとしても、それが真実である。)
― シャーロック・ホームズ (『四つの署名』6章)

851:考える名無しさん
17/11/05 18:56:51.24 0.net
× 論理的、倫理的、政治的正しさ、正義/悪、センスいい/ゴミ、あれがいい/これがいい
○ 意味を盛らない、解釈しない、評価しない、比較しない
× 美しい・エレンガントな数学
○ ビッグデータ、乱数
× メロディ
○ 無調音楽

852:考える名無しさん
17/11/05 18:57:15.60 0.net
“非シニフィアン的言語活動においては、何を使ってもよいのである。
 つまり、この言語活動においては、いかなる音声の流れも、文字の流れも、
 身振りの流れも、特権をもたない。この言語活動は、無定形の連続体をなるものである”
― ドゥルーズ=ガタリ 『アンチ・オイディプス』 3、市倉訳 (1986)

853:考える名無しさん
17/11/05 18:57:53.10 0.net
シルヴァーノ・ブソッティ『デヴィッド・チューダーのための五つのピアノ作品』譜面
(ドゥルーズ=ガタリ 『千のプラトー』 序 より)
URLリンク(polology.com)
Sylvano Bussotti - Five Piano Pieces for David Tudor No.3
URLリンク(www.youtube.com)

854:考える名無しさん
17/11/05 18:58:12.70 0.net
メイヤスーに近いのはクセナキスか

855:考える名無しさん
17/11/05 18:58:44.88 0.net
Iannis Xenakis - Pithoprakta (w/ graphical score)
URLリンク(www.youtube.com)
Iannis Xenakis - Electronic Music
URLリンク(www.youtube.com)
Iannis Xenakis - Electro-Acoustic Music
URLリンク(www.youtube.com)

856:考える名無しさん
17/11/05 18:59:15.00 0.net
これらは、自然や人間性を超越する。
仏教はその中でやる。

857:考える名無しさん
17/11/05 18:59:38.87 0.net
雪舟『破墨山水図』
URLリンク(cdn-ak.f.st-hatena.com)
龍安寺石庭
URLリンク(tourjapan.ru)

858:考える名無しさん
17/11/05 19:00:16.94 0.net
無調音楽は今に始まったものではないが、
ジョン・ケージの「チャンス・オペレーション(偶然性の音楽)」は易経や禅の影響を受けていた。
十二音階技法を完成させたシェーンベルクは、「今後百年間ドイツ音楽の優位性を保証するようなものを発見した」言った。
カント的なものを乗り越えるメイヤスーというのも、そういうレベルの話だろう。

859:考える名無しさん
17/11/05 23:36:35.46 0.net
「哲学は音楽と兄弟のような関係にある」アドルノ(『否定弁証法(1966)』邦訳p.135)
 ホ    メ    ー    ロ    ス | 
☆ブルックナー    |           | プラトン 
 バッハ       |(聖書)       | パスカル 
           | シェークスピア   | ライプニッツ 
 モーツァルト    |           |<ヴォルフ>  
          _|_ゲーテ       | スピノザ
(ドンジョバンニ)| |☆カフカ       |☆キルケゴール 
         |_|_イプセン    __|_カント
 ベートーベン__|_|________|  |               
  前期     | |        |__|_ヘーゲル
  後期     |_|*ゴッホ       | 
 シューベルト  |_|☆ゲーテ       | ヘルダー
☆ブラームス   |_|_ヘルダーリン    |☆ハイデッガー   
 ワーグナー     | ボードレール    | ショーペンハウアー 
 マーラー      | プルースト ☆ハイネ| フロイト、ニーチェ 
           |☆ポー、☆ボードレール|
 ドビュッシー    | マラルメ      | ベルグソン 
 ラヴェル      | マラルメ      |
 ストラビンスキー  | ドストエフスキー  | ユング、ニーチェ
 シェーンベルク   | カフカ       | フロイト、マルクス
 ベルク       | ボードレール    | フロイト      
 ヴァーレーズ    |           | A・フロイト
 シュトックハウゼン | ジョイス      |
 ケージ       |*<デュシャン>   | フッサール 
 ウェーベルン    | カフカ、クレー   | フロイト、ベンヤミン     
 アイスラー     |(勝負の終わり)   | アドルノ
 シューマン?    | カフカ、ベケット  |<ドゥルーズ>
*は美術関連。( )内は作品名。☆は大幅に時代が違うので要注意。< >内はアドルノによる直接言及なし。

860:考える名無しさん
17/11/05 23:40:25.92 0.net
上の「アドルノ理論における音楽・文学・哲学のアレゴリカルな対応表」は、
下記の指摘を引き継いで試作したもの
《浅田 ただ、ベートーヴェンといい、シェーンベルクやベルクといっても、文学に対応物
を求めることはできるでしょう。第一のピークである後期ベートーヴェンは、アドルノに
とってヘルダーリンとほぼパラレルなんですね。べートーヴェンの中期までの作品は、闘
争を通じての偉大な勝利という正反合の肯定弁証法の図式に則っていて、それがブルジョ
ワ革命と対応する。しかし、後期の作品になると、そのような弁証法が宙吊りにされ、シ
ンボリックな統一が破綻して、アレゴリカルな断片の散乱したような状態になっていくわ
けで、それはナポレオンの敗北以後の状況と対応している。それは、しかし、後期ベート
ーヴェンを通じてでなくとも、ヘルダーリンを通じて捉えられるわけでしょう。そして、
ある意味でそれに対応するもうひとつのピークがシェーンベルクとそれ以後ということに
なるわけだけれども、それは文学で言うとカフカなりベケットなりで代表されるんでしょ
うからね。》
(浅田彰「アドルノのアクチュアリティ」「批評空間」1997.1より)

861:考える名無しさん
17/11/06 05:03:13.82 0.net
人名ばかり並べて文体がキザなだけの


862:単なるタコ



863:考える名無しさん
17/11/06 21:32:56.69 0.net
キミにはタコが似合う

864:考える名無しさん
17/11/06 21:36:26.86 0.net
メイヤスーの「祖先以前性」も、ブラシエの「絶滅論」も、黙示文学(アポカリプス)の一種。
天地創造からノアの大洪水、インデペンデンス・デイまで。
世界の始まりに何があり、終わりに何が残るのか、
創造と破壊、再生、維持のシミュレーション。

865:考える名無しさん
17/11/06 21:36:50.63 0.net
特に、被造物を無に帰すという観想は、一神教によく見られる。
例えば、存在を抹消して痕跡を浮かび上がらせるデリダのビジョンは、
中世イスラムのジュナイドによる「ファナー(消滅)/バカー(持�


866:ア)」と比較された。 (井筒俊彦×ヘルマン・ランドルト 「スーフィズムとミスティシズム 」 (1984))



867:考える名無しさん
17/11/06 21:38:28.29 0.net
>>834
「ジュナイドの「原初の契約」におけるファナーとバカー」
澤井 真(オリエントVol.53 (2010) No.2 p.115-132 )
URLリンク(ci.nii.ac.jp)
> 消滅を意味する「ファナー」の語と存続を意味する「バカー」の語は、
> クルアーンの中で対比的な関係として登場する。
> これらの語は,
> 「地上のあらゆるものは消滅する(fānin),しかし,変わらない(yabqā )のは汝の主の顔,偉大で尊厳の所有者である」(Q55:26-27)
> という節に由来する

868:考える名無しさん
17/11/06 21:39:04.94 0.net
ベーメの場合。
“あなたがあらゆる被造物から脱却して、
 あらゆる自然と被造物に関して無となるならば、わかるようになるだろう。
 そうなれば、あなたは、神そのものである永遠の一者の中にあり、愛の最高の徳を甘受するのである。”
― ヤーコプ・ベーメ 『キリストへの道』 5:27

869:考える名無しさん
17/11/06 21:39:46.93 0.net
レヴィナスもこの種のレトリックを使うし、
そうした西洋哲学を引き受ける波多野>>486の説明においても見られる。
“無限性は要するに一切を無に帰せしめる絶対的実在の威力の別名である。”

870:考える名無しさん
17/11/07 19:34:39.51 0.net
引用ばかりで中身のないタコ

871:考える名無しさん
17/11/07 23:22:17.43 0.net
キミが余りにも前提を知らないからだよ

872:考える名無しさん
17/11/07 23:24:10.00 0.net
>>833-837
こういうのは、一神教的考えに慣れないと、
生きた心地がしない。
どういうことか…
一神教世界(非対称性、外在的超越)
・神は被造物世界の何ものとも異なる
・被造物世界をつくる神は、世界の外部にある
・人≠世界≠神
アニミズム、仏教世界(対称性、内在的超越)
・万物に精神(精霊・仏)が宿る
・主神は複数ある神の中から代表として選ばれる(拝一神教)
・首長は共同体の構成員の中から代表として選ばれる
・人=世界=神(カミ)

873:考える名無しさん
17/11/07 23:25:20.22 0.net
動物が集まる『仏涅槃図』(長谷川等伯)
URLリンク(www.kujhoji.or.jp)
小鳥に説教する『アッシジの聖フランチェスコ』(ジョット)
URLリンク(www.b-family.org)

874:考える名無しさん
17/11/07 23:26:13.74 0.net
>>840
「対称性・非対称性」とは、ラトゥールや中沢の見方。

875:考える名無しさん
17/11/07 23:27:18.66 0.net
“フランスの社会学者ブリュノ・ラトゥールの著作『私たちはまだモダンではない』を知ったときに、
 一気に明確な形をとりはじめた。その本の副題には「対称性人類学の試み」とあった。
 この言葉を見て、私は自分の求めていたものの「名前」を知ったのである。” 
― 中沢新一 『対称性人類学:カイエソバージュⅤ』 (2004)

(1)Bruno Latour "Nous n'avons jamais ete modernes. Essai d'anthropologie symetrique" (1991) (英訳1993)
(2)ブルーノ・ラトゥール 『虚構の「近代」:科学人類学は警告する』 (邦訳2008)
「対称性」という語の由来は、2の訳者解題で説明されている。

876:考える名無しさん
17/11/07 23:27:58.45 0.net
ラトゥールは、ポストポスト構造主義のきっかけを作った最重要人物の一人。

877:考える名無しさん
17/11/07 23:28:39.46 0.net
千葉の説明でも、日本は思弁的実在論の導入に遅れを取ったという話があったが、
ポスト構造主義からポストポストへの変化については、中沢が早い時期から反応していた。

878:考える名無しさん
17/11/07 23:29:22.94 0.net
最近のものでは、清水による解説が分かりやすい。
『ミシェル・セール: 普遍学からアクター・ネットワークまで』 清水高志 (2013)
セールの「準-客体論」 → ラトゥールの「アクター・ネットワーク」 → デスコーラ、メイヤスー、ハーマンまで。
この流れの理解は必須。

879:考える名無しさん
17/11/07 23:30:05.83 0.net
>>789>>793氏には、特に、身近に感じてもらえるのではないだろうか。
“相対主義者はすべての文化を対等に扱おうとした。
 ただ、共同体どうしが相手を支配しようとする試みについては注意を向けなかった。”
― ブルーノ・ラトゥール 『虚構の「近代」:科学人類学は警告する』4 (2008)

880:考える名無しさん
17/11/07 23:34:17.83 0.net
少し難しくなるが、次の井上の論文では、
>>840に加えて、「西洋的二元論」と「東洋的一元論」という見立てもしている。
整理するとこうなる。
[西洋] 一神教世界(非対称性、外在的超越、西洋的二元論) … 言語>>808、 芸術>>823-825、 宗教>>833-837
[東洋] アニミズム、仏教世界(対称性、内在的超越、東洋的一元論 )… 言語>>812-813、 芸術>>827、 宗教>>841

881:考える名無しさん
17/11/07 23:34:37.13 0.net
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
 ―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』
井上克人 (2009)
I 明治期アカデミー哲学の形成―「現象即実在論」
井上哲次郎や井上円了らに代表される明治期アカデミー哲学の特質が「現象即実在論」
にあることは夙に知られている。現象の奥に真の「実在」、すなわち形而上学的絶対者を認
め、しかも「実在」は現象の背後にあるのではなく、その只中に内在するという考えであ
る。これは大乗仏教思想の根幹をなす「本体的一元論」、すなわち外に超越者を想定しない
思考様式である。じつは、この発想の淵源は、『大乗起信論』のいわゆる「万法是真如真如
是万法」という定式にある。東京大学で初めて開設され、原坦山が担当した「仏書講義」
のテキストに選ばれたのが、この『起信論』であった。彼らはその本体的一元論に啓発さ
れ、西洋に対抗して日本独自の「哲学」を提唱しようと企図したのである。
ところで西洋における思考様式は、神と人間、近世以降では認識主観と客観的世界とい
った二項対立的な二元論をその特質としてもつ。それに対し、本体的一元論に立つ『起信
論』は、自体清浄なる「心真如」が自らの清浄心を失うことなく心生滅へと転成していく
「真如随縁」の発想をもつ。妄念にまみれた現象的世界は、一方では「真如」の本然性か
らの逸脱でありながら、同時にそれは「真如」そのものの自己展開に他ならず、真如と妄
念とは「非一非異」の関係にあって、「現象」がそのまま「真実在」なのである。

882:考える名無しさん
17/11/07 23:34:47.96 0.net
敷衍して言えば、「真如」は、それ自身我々の思惟や言説を絶する〈空・無〉、すなわち
絶対的覆蔵態に他ならないのだが、同時にそれは個々の存在者をあるがままに顕現せしめ
る〈開け〉であって、現象せる個々の存在者の形而上的本体として、それらの根底に伏在
し、あらゆるものを自らの内に摂収しつつ、同時にそれらを本然的にあるがままに開放す
るのである。換言すれば、現象せる個々の存在者は、どこまでも自らを顕現せしめた真如
のうちに在り、逆に、個々のものの存在原因たる真如は、どこまでもそれらの本体として
超越的に自己自身のうちに蔵身しつつ、同時に自ら顕現せしめたすべてのものの中に内在
するのである。これこそ東洋的思惟に共通して見られる〈本体的一元論〉である。つまり
言詮を絶する覆蔵的・超越的に一なる原理がその超越性をどこまでも維持しながら、自己
内発的に自己展開し、万物の中に自らを内在化させていく論理、一なる本体とそれが起動
展開する派生態、つまり「体と用」(本体とその作用)の論理であり、「内在と超越」の論
理であった。したがって、超越といっても、「外」に超越したものではなく、「内在的超越」
という構造をもち、これこそ西洋的二元論の思考様式とは異なる「東洋的一元論」なので
あって、いわゆる京都学派の哲学も、この系譜を引くものなのである。

883:考える名無しさん
17/11/07 23:35:01.94 0.net
II ハイデガーにおける「神学の由来」と西田哲学に伏在する如来蔵思想
さて、以上のような形而上学的一元論の発想は、新プラトン主義の流出論ときわめて類
似した考えであって、それはヘレニズム化したキリスト教、すなわち東方正教会の淵源と
なったものである。それにひきかえ、ラテン的西方教会は、むしろユダヤ・ヘブライ的二
元論の伝統に立脚し、神はどこまでも「隠れたる神」であって、契約で結ばれた神と人間
との間には深い断絶がある。他方、東方正教会の基本的特質は神の顕現(現前性)の強調
と「人間の神化(テオーシス)」にあり、神と人間とは一つに結びついていて、
これは「一切衆生、悉有仏性」を標榜する大乗仏教と通底している。
ところでハイデガーは、自らの「神学的由来」である「新約的」キリスト教の立場から、
同じ西方でありながら新プラトン主義化したアウグスティヌスのキリスト教を論難し、延
いては西洋の形而上学全体にわたってそれを「存在忘却」に基づく「存在-神-論」とみ
なし、その超克を企図したが、彼のいう「存在-神-論的体制」は、東方正教会にこそそ
の最たるものがあるのであって、ハイデガー自身、存在を問うという極めてギリシア・ヘ
レニズム的な思考を展開させながら、存在そのものがもつ覆蔵性に基づき形而上学を超克
しようとする彼の思索の淵源には、ザラデルが指摘しているように、彼自身それに気付く
ことのなかったユダヤ・ヘブライ的発想が根深くあったように思われる。それは現前性の
底に顕現せざる超越的他者を想定するという、非ギリシア的発想なのである。
一方、『起信論』が説く本覚思想を「現象即実在論」として哲学的に開陳したアカデミー
哲学の本体的一元論の「形而上学」の系譜を引きながら、それを乗り越えるかたちで、同
じくその如来蔵思想に見る「真如」のいわば覆蔵性がもつ〈超越的他者性〉を「逆対応」
という発想によって論理化しようとした点に西田哲学の優れた特質がある。
西田とハイデガーとは、ともに「顕現せざるもの」への着眼によって形而上学を超克する
ところに共通点があるといえよう。
URLリンク(heideggerforum.main.jp)

884:考える名無しさん
17/11/08 13:13:06.83 0.net
>>834
ジュナイドのファナー(消滅)には、更に「ファナーのファナー」、
つまり自我意識を消滅させる意識そのものの消滅という事態が起こる。
仏教の場合は龍樹の「空亦復空(くうやくぶくう)」。
空に達したところで、その空観もまた空ぜられねばならない。
二重の自己否定とでもいったらいいだろうか。
内在的超越の更なる超越。
東洋的二元論という話にもなる。
だから、「解体」や「破壊」という場合にも、
そうした意識の解体・破壊という審級が設け�


885:轤黷驍ラきだろう。



886:考える名無しさん
17/11/08 13:15:14.74 0.net
デリダの脱構築の元はハイデガーの解体だし、その前はルター。
デリダの脱構築(déconstruction)→ハイデガーの解体(Destruktion)→ルターの解体(destruere)
ハイデガーやルターの解体とは、自己の歴史の解体であるし、
デリダの脱構築は、ハイデガーの解体がただの破壊ではなく、
解体し構築するものであることを注意深く付け加えた。

887:考える名無しさん
17/11/08 13:17:33.36 0.net
デリダについては、訳書や解説書を合わせると100冊以上もの本が出ているのに、
トレードマークである"脱構築"を説明した『プシュケー』が未完訳のままとなっている。
オリジナルは、デリダが井筒に宛てた書簡。
Jacques Derrida, "Lettre à un ami japonais", Psyché:Inventions de l'autre, 1987
(デリダ「日本の友人への手紙」『プシュケー』(未完訳))
邦訳は「〈解体構築〉DÉCONSTRUCTIONとは何か」(丸山圭三郎/訳)の題で、
・『井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』 〈KAWADE道の手帖〉 (2014年)
・『思想』1984年4月号
にそれぞれ所収。

888:考える名無しさん
17/11/08 13:46:51.76 0.net
二重の解体
めったに見れない高層ビルを建築する大型クレーンが小型クレーンに解体されるシーン
URLリンク(www.youtube.com)

889:考える名無しさん
17/11/08 14:29:52.04 0.net
引用しかできないタコ

890:考える名無しさん
17/11/08 19:25:28.99 0.net
いつまでポエムやったら気が済むの

891:考える名無しさん
17/11/08 19:28:11.74 0.net
>>857
ポエムをなめるな

892:考える名無しさん
17/11/08 20:11:12.15 0.net
ポエムというか自問自答をして自己完結してる変態、わざわざここでやる意味が分からない


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