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千葉(>>537)も東(『ゲンロン0』(2017))も、ポスト構造主義終盤の風景として、デリダ、レヴィナスの他者論を挙げていた。
神の彼方性にも例えられる彼らの他者は、
無限な解釈を呼び起こし理解され尽くすことのない存在であったが、
その一方で、現実的で身近な他者はどのように理解されてきたか。
また、他者は理解不可能な存在なのか、理解可能なのか、
あるいはプラグマティックであり得るのか。
この様なところから、次の他者論を考えてみるのもいいだろう。