スピノザat PHILO
  スピノザ - 暇つぶし2ch473:考える名無しさん
18/12/15 11:18:27.51 O.net
ヘルダーの『神・スピノザをめぐる対話』の新訳を読んだ人いる?
登場人物の対話の中で、神=世界という理解は汎神論的な考えで否定すべきという記述があったけど、
『エチカ』の代名詞と言えば、「神即自然」と言われるくらいだから、読んでいて混乱してきたのだが。

474:考える名無しさん
18/12/16 12:51:38.40 0.net
引用不十分で却下

475:学術
18/12/16 13:28:54.25 0.net
神が一番人気かどうか。

476:a
18/12/19 01:14:14.45 0.net
>>467
②より コナトゥス 変状 欲望 感情
URLリンク(video.twimg.com)
②より 時代背景
URLリンク(video.twimg.com)
③より 自由な意志
URLリンク(video.twimg.com)
URLリンク(youtu.be)

477:考える名無しさん
18/12/21 02:26:01.49 0.net
ニーチェもスピノザを貶すときは貶してるからな
スピノザもところどころは認めてやるって程度だろ

478:考える名無しさん
18/12/21 19:39:53.30 0.net
そりゃ、スピノザは非キリスト教的だけど、きわめてプラトン的だからな
キリスト教だけでなく、プラトンも否定しなければニーチェの立場では認められまい

479:考える名無しさん
18/12/22 17:19:37.23 0.net
ニーチェも己の考えに固執するあまりその行き過ぎた信念が宗教じみてて皮肉な結果となったな

480:考える名無しさん
18/12/22 17:24:35.77 0.net
>>473
存在に<対して>神という概念があれがば汎神論
存在に<対する>神という概念で<なければ>汎神論にはならない

481:学術
18/12/22 17:25:37.61 0.net
悪魔の方が多様で軍勢が多いのではないかな。神魔というカテゴリーをつくろうよ。
女神転生。

482:考える名無しさん
18/12/23 23:44:16.39 0.net
神のうちに世界があるというか
世界とは神の顕現なわけで神と世界は等置されるわけではない

483:a
18/12/25 01:56:58.27 0.net
エチカ④より
デカルトとの比較
URLリンク(video.twimg.com)

484:a
18/12/27 01:23:21.80 0.net
定義における起成原因の重要性に触れなかったことと
疑いつつある、というフレーズを紹介しなかったのが残念

485:考える名無しさん
18/12/28 18:18:08.91 0.net
伊集院が嫌い

486:考える名無しさん
18/12/28 18:50:39.55 0.net
伊集院は上手い例えを生み出す名人だな

487:考える名無しさん
18/12/30 13:51:00.20 0.net
コルベンハイヤー
こるべんはいやー
Erwin Guido Kolbenheyer
(1878―1962)
ドイツの作家、思想家。ブダペスト生まれ。ウィーン大学で哲学、自然科学、心理学を学ぶ。
処女作の戯曲『ジョルダーノ・ブルーノ』(1903)、スピノザを主人公とする長編小説『神を愛す』(1908)、
小説三部作『パラケルスス』(1917~26)など、正統的な思潮に抗する歴史上の異端者の孤独で悲劇的な生涯を題材とする作品が多い。
「民族生物学」なるもののうえに個人と集団の関係を意味づけようとする俗流形而上(けいじじょう)学的体系の書『建築小屋』(1925)にはナチズムとの内的親近性が歴然とみられ、
異端者崇拝と相まって、ナチス時代の代表的な作家とされた。[池田浩士]
『手塚富雄訳『神を愛す』(1953・筑摩書房)』

488:考える名無しさん
19/01/10 02:16:56.78 0.net
>>188
「・・・、ゲーテ、・・・などの文人は、明らかにスピノザ主義の精神を汲み取った人たちである。
・・・特に、ゲーテはスピノザを「最高の有神論者、最高のキリスト者」とみなしているのである」
(工藤喜作著 『スピノザ』 P.204)

489:考える名無しさん
19/01/11 23:22:05.10 0.net
>>458
紹介の例えにはいいかもしれないけど初めからスピノザと同じOSを積んでる人間だってきっと多くいるね
私は逆に、ここで言われる「たくさんの哲学者」を読むほうが困難で仕方ない
恐らく自分のようなタイプ以外の読者に対して配慮して書かれた文章が心底気に食わずにイライラさせられるんだろうけど
スピノザの本にはそんな瞬間が一度も訪れないという幸せがある

490:考える名無しさん
19/01/12 03:38:18.33 0.net
悪魔は存在します

491:考える名無しさん
19/01/12 20:29:17.09 0.net
スピノザはほとんど読んでないな
最近、よく「コナトゥス」とかいう言葉を持ち出してくる人を見かけるけど、
ネットの検索でヒットする説明を読んでもよく分らない。
「コナトゥス」という表現自体は死語になってしまったのだから、
現代の言葉でそれに取って代わった表現があるはずだし、
感覚的に馴染むように現代の日本語で表現したらどういう言葉になるんだろう。

492:考える名無しさん
19/01/12 21:33:12.66 0.net
承認欲求やそれを得ようと必死に動く現代の人たちの努力は、他者に依存したコナトゥスであるかもしれない

493:考える名無しさん
19/01/12 21:51:18.35 0.net
「コナトゥス」という言葉を使ってみたい人がそれなりに沢山いるだけで、
この言葉によってイメージしていることや、意図していることはまるで
ばらばらである可能性も十分にあるわけだ

494:考える名無しさん
19/01/12 23:11:37.36 0.net
スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。
              1実体
               /\
              /無限\
             /_無限定_\
    ________/_2a属性__\________
    \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
     \   悪/___2b様態\_____\善   /  
      \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
       \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
       /\対象/ /_\/_\ \認識/\
     所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
     /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
   神/______\___\/_第三種認識____\自然
            \ 4理性  /   
             \    /
              \_徳_/
               \/
              5自由
文字化けしているかもしれないが、肝心なのは私見では縦の中心線にある、「努力」、「欲望」、「徳」だ。
(コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいるが、内在する力というイメージがなくなるからいい訳語ではない)
逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。法学でいう自然権とも関わる。
ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
國分のドゥルーズ論も一応ドゥルーズの系列的思考に触れていてその点は優秀だ。

495:考える名無しさん
19/01/12 23:14:08.52 0.net
以下は國分NHKテキストより
《コナトゥスを定義した定理が次のものです 。
おのおのの物が自己の有 〔引用者注 :存在 〕に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない 。
(第三部定理七 )
文中の 「有 」という訳語より 、 「存在 」としたほうが分かりやすいでしょう 。ここで 「努力 」と訳されているの
がコナトゥスで 、 「自分の存在を維持しようとする力 」のことです 。大変興味深いのは 、この定理でハッキリと
述べられているように 、ある物が持つコナトゥスという名の力こそが 、その物の 「本質 e s s e n t i a 」であると
スピノザが考えていることです 。》

496:考える名無しさん
19/01/12 23:53:15.58 0.net
>おのおのの物が
「物」という表現で何が想定されているのか不明だな。
その場合、風や光は物なのか?

497:考える名無しさん
19/01/12 23:57:13.43 0.net
>コナトゥスという名の力
力は物なのか?

498:考える名無しさん
19/01/13 00:16:36.81 0.net
おそらく、私の哲学へのアプローチの仕方が、スピノザについて語る大多数の
人々の場合とは異なっているのだろうと思う。スピノザに限らず、誰か特定の
哲学者に共感を覚えるかどうかは、私にとってどうでもいい、というより、
その発言を役立てることができる限りで、発言者である哲学者に私は共感
していると言える。『神学・政治論』にはそういう発言があったような曖昧
な記憶があるが、よく憶えていない。「コナトゥス」の定義を見せられても、
それがどう役に立つのか、今のところ私にはよく分らない。

499:考える名無しさん
19/01/13 00:23:45.27 0.net
「コナトゥス」という表現を用いなければ得られない洞察とはどのようなものなのか?
それが示されないかぎり、「コナトゥス」という表現を用いるべき理由が私には
見当たらない。

500:考える名無しさん
19/01/14 08:15:05.48 0.net
スピノザが「コナトゥス」についてどう論じたのかよく知らないので、定義や
ネットで見かける説明からの印象に過ぎないが、「コナトゥス」という概念が
分りにくいのは、その理路に大きな問題があるからだろうという気がする。

501:考える名無しさん
19/01/20 17:39:27.00 0.net
コナトゥスって躓くようなところじゃないと思うんですが…

502:考える名無しさん
19/01/20 17:40:56.63 0.net
難癖つけたいんだと思う
おそらく國分が嫌いなやつ

503:考える名無しさん
19/01/21 14:14:52.97 0.net
中公の『エティカ』が本当に好きだ
すごく伝わってくる。原典が読めないから、訳者の熱量かスピノザの熱量か判らないけど
畠中訳の『知性改善論』と光文社新訳の『神学政治論』も好きだ
自分は日本のスピノザ翻訳の恩恵をたくさん受けている

504:考える名無しさん
19/01/22 07:08:36.82 O.net
>>503
翻訳者の工藤喜作の『スピノザ哲学研究』もいいよ。
『エティカ』理解の助けになるし。

505:考える名無しさん
19/01/22 09:32:42.46 0.net
>>501-502
じゃあ、「コナトゥス」は日本語の「努力」と理解していいわけですか?
「コナトゥス」は、ラテン語から派生したフランス語、イタリア語、
スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語などでは、どのように継承
されて、またはどのように変容して用いられているのですか?

506:考える名無しさん
19/01/22 09:35:58.99 0.net
>>502
好き嫌いということで言えば、私は、そうやってなんでもかんでも
人物評価や人格の問題にすり替えようとする人間が身の毛もよだつほど嫌いだ。

507:考える名無しさん
19/01/22 10:11:54.00 0.net
あなたのその言い方がすでに人格還元なわけでしょう?
いわゆる「自分の頭で考える」在野幻想が強すぎる御仁とみた

508:考える名無しさん
19/01/22 10:40:14.57 0.net
>あなたのその言い方がすでに人格還元なわけでしょう?
いいえ、匿名の人の行為に対する一般的な発言なのだから、
人格還元ではなく、振舞い還元ですよ?

509:考える名無しさん
19/01/22 15:18:13.12 0.net
スピノザ・スレで「在野幻想」とか、相当に重症だな

510:考える名無しさん
19/01/22 16:06:55.08 0.net
>>505
「そういうわけで、一個の力能の度としての様態の本質は、その様態が存在し始めたときから、コナトゥスとして、いいかえれば存続しようとする努力もしくは傾向として規定されることになる。
傾向とはいっても存在への移行もそれではなく、その存在を維持し確立しようとする傾向である。力能はどこまでも現実態であることをやめるわけではないからだ。」(ドゥルーズ『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳、208頁)
「「努力」というと何かある目標があってその達成に努めるという語感が残るが、スピノザの「努力」は実はどんな目的意図とも無縁である。」(上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ』125頁)
「あたりまえだが、猫Aをかくあらしめている肯定は猫Aの否定を含まない。一般に、事物はみなそれぞれに、それ自身の肯定であり、それをキャンセルしようとする一切に抵抗する。スピノザはこの抵抗力を「コナトゥス」と読んでいる。」(上野修『スピノザの世界』135頁)
「我々の精神の最初にして最主要なもは、我々の身体の存在を肯定する努力である」(スピノザ『エチカ』畠中尚志訳、第3部定理10証明)
フランス語ではポートラ訳だとeffort
コナトゥス概念がなんの役に立つかはネットの解説だけじゃなく自分で本読んで勉強して考えてくれ
少なくともここで教わるようなことじゃない
あと國分功一郎はコナトゥスの定義って言ってるけど厳密にはコナトゥスは定理のなかで証明されて出てくるものであって、スピノザ自身も定義はしていない。
だから「これ!」っていう定義は実はないからそこに拘ると話がややこしくなる。
國分功一郎はわかりやすさ重視して結構重要な議論をはしょったり短絡的な表現を使ったりするから注意が必要。
概ねは正しいんだろうけど。

511:考える名無しさん
19/01/22 16:13:26.03 0.net
>>510
すばらしい、最高
読んでないけどぱっと目で見たその行為に賞賛!

512:考える名無しさん
19/01/22 16:20:58.07 0.net
>>510
ドゥルーズからの引用に誤字があった
×傾向とはいっても存在への移行もそれではなく
◯傾向とはいっても存在への移行のそれではなく

513:考える名無しさん
19/01/22 16:43:09.93 0.net
>>510
その説明を読む限り、やはり理路に大きな問題があるとしか思えない。

514:考える名無しさん
19/01/22 16:47:04.81 0.net
「コナトゥス」という表現が重要であると言うなら、やはり、それが
どのように現在、用いられている言語表現に継承されているのかを説明でき
なければならないだろう。

515:考える名無しさん
19/01/22 16:52:30.88 0.net
それを言い出したら現代の言葉に直接的に影響を与えていない哲学者はほぼ全滅しそうだけど…
あなたが言う「現在、用いられている言語表現に継承されている重要な表現」って例えば何?

516:考える名無しさん
19/01/22 16:55:38.31 0.net
習慣

517:考える名無しさん
19/01/22 16:55:53.15 0.net
コモンセンス

518:考える名無しさん
19/01/22 16:59:59.80 0.net
コナトゥスという言葉自体で見れば、そりゃ何百年も前の哲学用語なんだから現代は使われていないし、現代の言葉に対応するものを見つけようとしても「その言葉がコナトゥスを継承しているか」は文献学的な証明が必要なわけで、相当な苦労を要する
とは言ってもスピノザの哲学が現代に至るまで様々な哲学者や思想家に多大な影響を与え続けているのは事実なわけだし、言葉そのものが「現代に継承されていない」というだけで理路に問題があるはかなり乱暴な議論かと
古代哲学やスコラ学なんてもう今は見なくなった哲学用語だらけなわけだし

519:考える名無しさん
19/01/22 17:07:41.06 0.net
>現代の言葉に直接的に影響を与えていない哲学者はほぼ全滅しそうだけど…
その考え方が完全に狂っている。哲学者は、自らが生きた時代と先人の言語表現を
借りているのであり、問題は、哲学者が借りた言語表現がどのように(変容を
受けながらでも)受け継がれているのか、どのように派生させられているのかだ。

520:考える名無しさん
19/01/22 17:09:07.83 0.net
それが分らない限り、「よく分らない表現だ」と言うほかない。

521:考える名無しさん
19/01/22 17:12:43.34 0.net
>>519
狂っていると言われましても、あなたの考え方に乗っかればそういうことになるんじゃないかという指摘です

522:考える名無しさん
19/01/22 19:13:42.80 0.net
四日間洗ってないとか言われましても

523:考える名無しさん
19/01/22 19:29:31.78 0.net
四日間洗ってないって、前に洗った日を含めて四日目ということ、
それとも前に洗った翌日から数えて四日経過して五日目に入っているってこと?

524:考える名無しさん
19/01/22 19:30:32.51 0.net
同じ日本語を使っていても、分っているようで実はよく分っていない表現は沢山ある。

525:考える名無しさん
19/01/24 02:04:03.84 0.net
努力とはいうがそこはスピノザ、
自由意志ではありえません

526:考える名無しさん
19/01/26 10:06:49.88 0.net
スピノザの用いる「コナトゥス」という表現と、アリストテレスによって
表明される次の考え方とは、どのような関係にあると考えればよいのでしょうか?
「すると、消滅するものはどんなものでも、同一で数的に一つのまま存続
することはできないから、持続的に永遠的なものと神聖なものにあずかる
ことは不可能だという理由で、それぞれに可能な仕方で多少ともあずかる
のであって、つまり、そのものが存続するのではなく、類似したもの、
すなわち、数的に一つのものではなく種において一つのものが存続するの
である。」 アリストテレス、「心とはなにか」、p.88

527:考える名無しさん
19/01/26 10:14:42.45 0.net
コナトスって何だ?
粉末にすることか?

528:考える名無しさん
19/01/26 11:02:02.59 0.net
「コナトゥス」という表現の用法の歴史から見て、「コナトゥス」
という表現によって何が意図されているかよく分るなんて主張する
人間は、それをよく分る日本語の表現に言い換えることができない
限り、嘘をついているとしてか思えないね。
URLリンク(en.wiktionary.org)
Etymology
From Proto-Italic *kōnāō, from Proto-Indo-European *kona, from
root *ken- (“to set oneself in motion”).
URLリンク(en.wikipedia.org)
The history of the term conatus is that of a series of subtle tweaks
in meaning and clarifications of scope developed over the course of
two and a half millennia. Successive philosophers to adopt the term
put their own personal twist on the concept, each developing the term
differently. [...] Today, conatus is rarely used in the technical
sense, since modern physics uses concepts such as inertia and
conservation of momentum that have superseded it.

529:考える名無しさん
19/01/26 11:07:34.22 0.net
哲学と哲学学の違いはそこにある

530:考える名無しさん
19/01/26 11:26:40.99 0.net
URLリンク(ja.wiktionary.org)いきおい
いきおい【勢い】(歴史的仮名遣い: いきほひ)
1. 発動しようとする力。ものが運動する際に生じる力。
3. 弾み。成り行き

531:考える名無しさん
19/01/26 11:32:25.54 0.net
>modern physics uses concepts such as inertia and
>conservation of momentum that have superseded it
発動しようとする力≒momentum、成り行き≒inertiaで考えれば、
だいたい合ってるよね。きっかけは提供したので、次の方どうぞ↓

532:考える名無しさん
19/01/27 02:40:13.07 0.net
>>503
中公の『エティカ』、注文しました
書評がすごく伝わってきました

533:考える名無しさん
19/01/27 11:02:43.86 0.net
「短論文」読み始めた
自分には「エチカ」よりこっちのほうがいいかもしれない

534:考える名無しさん
19/01/27 11:12:03.48 0.net
エチカは普通の読み物じゃないから、よほどの動機がないと最後まで読めないな

535:考える名無しさん
19/01/27 13:32:14.61 0.net
>「悪であるようなあることをしようと努力する」?
これってどういう文脈で言っているのだろう。畠中尚志訳の
「エチカ」は、ざっと目を通したことがある気がするけど、まるで
憶えていないな。

536:a
19/01/27 13:50:26.26 0.net
>>535
参考:
エチカ第4部
 定理四五 憎しみは決して善ではありえない。
 証明 我々は我々の憎む相手を滅ぼそうと努める(第三部定理三九により)。言いかえれば
我々はそれによって(この部の定理三七により)悪であるようなあることをしようと努める。…
岩波文庫版より

537:考える名無しさん
19/01/27 17:27:57.98 0.net
ドゥルーズの言う通り『エチカ』は定理証明という流れと独立的に備考という流れがあるから、ひとつひとつの定理の証明を追うのがしんどい人は序文定義備考付録だけ追って読んでもいいかもしれない
多分専門的なスピノザ研究者以外の人はほとんどそうしてる

538:学術
19/01/27 19:12:27.56 0.net
定理はいいものだよ。しかし数学的自信がないな。寄稿しとくよ。

539:考える名無しさん
19/01/27 20:31:26.13 0.net
目を通したのが「エチカ」だったのかどうか不確かだけど、
定理と証明の形式で書かれていたことは記憶している。
随分、考えが青いなという印象受けたけど、「エチカ」は
後期の著作なんだね。

540:考える名無しさん
19/01/27 21:35:36.21 0.net
>>539
ぼくちゃん5ちゃんねるで何いってんのw

541:考える名無しさん
19/01/27 23:08:00.85 0.net
工藤喜作、上野修、國分功一郎のスピノザ論をそれぞれ読んだけど国内だと上野修が頭一つ抜きん出てると感じ
工藤喜作はちょっと古すぎかて、目新しいものがない
國分功一郎はほぼドゥルーズのコピーでドゥルーズのスピノザ解釈入門といった感じ
上野修だけがドゥルーズを参照しつつも独自性を打ち出してるように感じた
いまだ國分のスピノザ解釈ではなく上野のスピノザ解釈がスタンダードなのも頷ける

542:考える名無しさん
19/01/28 21:11:56.35 0.net
スピノザ『エチカ』講義: 批判と創造の思考のために 単行本 – 2019/2/26
江川 隆男 (著)
単行本 ¥ 5,400
内容紹介
誰もが知る『エチカ』は、その重要さと同じくらい難解さでも知られている。
本書は、全五部のうち、多くの人が躓いてきた第一部と第二部をあとにまわし、第三部の経験論的な場面から出発することで、この稀代の書の読破を実現する。
そこに立ち現れるのは、過去に蔵された古典作品である以上に、現代に生きる人々が生きる上での指針の書の姿にほかならない。
強い推進力で一気に読ませる著者待望のスピノザ論!
著者について
1958年生まれ。東京都立大学大学院博士課程満期退学。立教大学現代心理学部教授。専門は西洋近現代哲学。
著書に『存在と差異―ドゥルーズの超越論的経験論』(知泉書館、2003年)、
『超人の倫理―〈哲学すること〉入門』(河出書房新社、2013年)、
『アンチ・モラリア―〈器官なき身体〉の哲学』(河出書房新社、2014年)などがある。
登録情報
単行本: 406ページ
出版社: 法政大学出版局 (2019/2/26)
言語: 日本語
ISBN-10: 4588150987
ISBN-13: 978-4588150982
発売日: 2019/2/26

543:考える名無しさん
19/01/29 09:22:03.30 0.net
>>542
100分de名著本に出ている國分功一郎の読み方に共通しているな
第一部と第二部は確実に後回しにされている

544:考える名無しさん
19/01/30 12:19:05.63 0.net
でもあれスピノザ的には第一部や第二部を通して思考を矯正する意図があるんじゃなかろうか
だから第一部からごりごり読まないとダメなのではないか
……と思ったけど哲学に慣れていない初学者は
第三部から読んで哲学的思考に慣れた後で第一部からまた読み直せばいいのか

545:考える名無しさん
19/01/30 12:30:41.72 O.net
>>542
何にせよ、発売日が待ち遠しいな。『エティカ』理解に役立つのか、立ち読みしてから購入検討するつもりだ。

546:考える名無しさん
19/01/30 12:51:38.66 0.net
ゲルーの一部二部の注釈本の翻訳がほしい

547:考える名無しさん
19/01/30 13:13:12.65 0.net
スピノザが使っている、17世紀頃のラテン語を学べる良い本ありますか?

548:考える名無しさん
19/01/30 20:20:30.36 0.net
17世紀にはラテン語は日常言語ではなくて
神と学問のためにもっぱら使われていたんじゃないの

549:考える名無しさん
19/01/30 21:55:07.72 0.net
普通にその辺の参考書で十分だよ
スピノザのラテン語はかなりシンプルだし
思うにスピノザはラテン語がデカルトやホッブズほど得意ではなくて、自分の哲学を上手くラテン語にできなかったんじゃないかという節もある

550:考える名無しさん
19/01/30 23:26:15.38 0.net
天理教入る

551:考える名無しさん
19/01/31 00:39:35.67 0.net
天照によるEnlightenmentですか?

552:考える名無しさん
19/01/31 09:29:23.16 0.net
古典ギリシャ語やラテン語はちょっとやって基本語彙とその変化を学ぶだけでも
英独仏らへんの本がだいぶ読みやすくなる

553:考える名無しさん
19/01/31 13:08:18.69 0.net
ありがとうございます
有田潤の初級ラテン語入門を読んでみようと思います

554:考える名無しさん
19/01/31 18:14:46.15 0.net
若い人なら『基本から学ぶラテン語』が一番現代的な構成(最近の英語の参考書みたい)になってていいかも
『ラテン語四週間』はあまりおすすめ出来ない

555:a
19/01/31 19:49:30.96 0.net
ラテン語勉強は会話を楽しむことがないし
主要な古典は邦訳されているので長続きしない
そこで副読本に勧めるのは
オウィディウスでラテン語を読む 著者 風間喜代三
さらに順序は逆だが同著者による
ラテン語・その形と心
オウィディウスはエチカを読むものには特別な存在のはずだ
数箇所だが引用は異例
肝心のエチカもラテン語はネットにある
URLリンク(users.telenet.be)
ラテン語と対照させると中公より岩波文庫の方がしっくりくることがわかる
気分転換にグレゴリオ聖歌もおすすめ
youtubeでかなり聴ける
Ut queant laxis 聖ヨハネ賛歌
URLリンク(youtu.be)
Ut queant laxis リラックスできるように
Resonare fibris 響かせ
Mira gestorum 貴方の行いの奇跡を
Famuli tuorum 貴方のしもべ(親族)に
Solve polluti 罪を溶かして下さい
Labii reatum 穢れた唇から
Sancte Johannes 聖ヨハネ様
チコちゃん
URLリンク(video.twimg.com)

556:考える名無しさん
19/02/03 14:28:57.85 0.net
>>555
すごい早口で言ってそう
それが透けてみえるんだから、まだ勉強が足りないね

557:考える名無しさん
19/02/03 19:02:14.55 0.net
スピノザって本は全部ラテン語で書いてんの? 不得意なら他の言語で書いたものは残ってないんか

558:考える名無しさん
19/02/03 19:06:50.86 0.net
オランダ語とヘブライ語がある

559:考える名無しさん
19/02/04 08:22:49.89 0.net
哲学板にしてはマトモなスレだな。
去年の國分功一郎のNHKの番組がなかなか好評だったからのようだ。
コナトゥスという言葉の意味が問題になっている。
俺の思考OSでは、神性と獣性の狭間で葛藤しつつなんとか神性の方へ向かおうとする人間だけが持つ志向と理解した。
欲望や恐怖といった弱さの葛藤が存在しない神や動物ではコナトゥスは問題にならない。
恐らく東洋的な概念でもないだろう。

560:考える名無しさん
19/02/04 09:04:39.02 0.net
そう言えば、ラテン語は日本語に近いところがあると誰かに聞いたことがある。
動詞の主語が省略されることが多く、誰の行動なのかはっきりしないことがままある。
動詞の格変化で誰の行動なのか推測することが多い。
昔の言語は何でもだいたいそういうものだったのかも知れない。
近代に向かって人間が主体性を確立するにしたがって主語をはっきり言うようになった。
日本語はまだまだだ。

561:考える名無しさん
19/02/04 09:25:10.98 0.net
動詞の格変化?

562:考える名無しさん
19/02/04 09:38:55.64 0.net
スマン。
動詞の活用だ。

563:考える名無しさん
19/02/04 09:52:12.41 0.net
どの言語でもよく知れば日本語に近いところが見つかる
英語にも、ドイツ語にも日本語と瓜二つの表現が見つかる

564:考える名無しさん
19/02/04 09:56:59.21 0.net
相手を敬う場合に、相手を主体として特定することを避けようとする場合が多くある。

565:考える名無しさん
19/02/04 09:58:34.00 0.net
相手の命令によってやらされるのではなく、相手の意向に沿って自主的に
やることによって、相手があらかじめ責任を免れる。

566:考える名無しさん
19/02/04 10:00:45.29 0.net
「させていただく」、"with your permission"
相手は、「させる」こと、使役することができるだけ身分が高いが、
相手が「させる」のではなく、自分がそうすることを「相手が許す」のである。

567:考える名無しさん
19/02/04 12:22:59.55 0.net
>>559
コナトゥスは存在者であればすべてが備えている本質
それに神性とか獣性はいかにも価値評価的で全然スピノザ的ではない言い方

568:考える名無しさん
19/02/04 13:24:28.20 0.net
あらゆる存在は神の可能性の表現という意味で等価なのではと思ってる

569:考える名無しさん
19/02/04 13:41:10.84 0.net
>>558
スピノザ研究者は全部読めなきゃいけないんか 大変やな

570:考える名無しさん
19/02/04 15:04:42.27 0.net
オランダ語は、ドイツ語と英語を学んでいれば楽勝という気がする
ヘブライ語がどのような言語なのか知らないが、まずは文字を覚えるのが
面倒くさそう。

571:考える名無しさん
19/02/04 15:09:48.17 0.net
読めなくてもエチカだけならなんとかなるけど神学政治論ちゃんとやるならヘブライ語文法綱要も踏まえた方が良いのは言うまでもない

572:考える名無しさん
19/02/04 15:13:44.83 0.net
読めなくてもエッチかだけならなんとかなるけど神学蛇論ちゃんとやるなら
クリフトブライ語文法綱要も押さえてドラクエIVを1章からという

573:学術
19/02/04 15:29:20.57 0.net
ネットエッチカット。

574:考える名無しさん
19/02/04 15:39:25.57 0.net
スピノザ研究に没頭したいという動機が働かない
ユダヤ教に関心があるわけでもないので、ヘブライ語を勉強する
時間があったら、その時間を、5ちゃんねるへの書き込みとか
他のことに使うだろう

575:考える名無しさん
19/02/04 18:19:21.55 0.net
スピノザの神学政治論はユダヤ教批判の古典だから、むしろユダヤ教苦手な人が読むとよい。
とはいっても内在批判だが

576:考える名無しさん
19/02/04 18:45:24.66 0.net
スピノザの神学政治論を読むのはいいんだが、というか、ラテン語版を
所持している(読んではいない)が、その読解のためにわざわざヘブライ語
を勉強しようという気にはならないな。

577:考える名無しさん
19/02/04 21:12:51.00 0.net
神学政治論ではヘブライ語はスピノザ自身がラテン語に訳してるからね
スピノザ自体の研究であれば読める必要はそんなにないと思う
畠中尚志も工藤喜作も上野修も國分功一郎も読めないんじゃないかな確か
ユダヤ学としてスピノザを読むなら別だろうけどね
合田正人とかは読めるんだろうか

578:考える名無しさん
19/02/04 21:32:59.61 0.net
ユダヤ教なんて日本に全然関係ないしな
少なくとも聖書が日常に登場する機会のある国ならスピノザ以外の動機でも文脈を遡ろうとする気が湧くだろうけど

579:考える名無しさん
19/02/04 22:56:19.67 0.net
スピノザの神って物自体ですか?

580:考える名無しさん
19/02/04 23:36:40.55 0.net
>>579
そういった疑問を持ってる時点でカント的な枠組みに囚われている
スピノザは近代哲学の常識で捉えているうちは理解出来ない

581:考える名無しさん
19/02/05 10:06:43.62 0.net
ある意味そうだよ
というか現象もカテゴリーさえもその存在のレベルにおいて神の顕れだよ

582:考える名無しさん
19/02/05 12:23:46.86 0.net
カントの体系とスピノザの体系をそれぞれ絶対視せずに比較検討し
明白な差異や接点を見つけるお仕事
言うは易し行うは難し……

583:考える名無しさん
19/02/05 20:18:00.86 0.net
存在を名詞的に捉えないところ好き

584:考える名無しさん
19/02/05 23:40:04.26 0.net
そもそもスピノザはデカルトやカント的な認識主体や認識対象みたいな認識論ではないから、物自体という言葉自体がそぐわない
上野さんや國分さんの本を読めばなんとなくわかると思うが、我々は神の思考の一部なんだよ

585:考える名無しさん
19/02/06 08:16:58.01 0.net
認識と存在が一致した神という概念を議論の出発点としているから
存在論と区別された認識論を論じる余地がないんだね

586:考える名無しさん
19/02/06 09:39:56.96 0.net
苦しいデカルトのせいだ

587:考える名無しさん
19/02/06 14:47:50.24 0.net
でもやってるだろ?
誰もやらずに放置されてるってことはさすがに現代ではないんだろ?

588:考える名無しさん
19/02/09 09:46:05.20 0.net
変状と様態って同じようなもん?
ラテン語だとどういうふうに使い分けされてるの?

589:考える名無しさん
19/02/22 12:28:12.96 0.net
>>582
スピノザの言う思惟と延長に対してそれ以外の未確認の属性
この二分法を取ればカントの批判哲学と繋げられるはず
ただカント体系は記述順に負いすぎる
思索の経験論として偉大だし嘘はないが
誰もピラミッドをスケッチするときひとつひとつの石から描き始めないのに…
原理論と方法論の区別が先だ
フィードバック装置としてはわかりにくい
より厳密にはスピノザに多々言及しているカントの遺稿を読むべきだろう
(カントの遺稿は岩波全集には収録されなかったので中公哲学の歴史シリーズ*を読む必要がある)

『哲学の歴史 07 理性の劇場』 加藤尚武編 (中央公論新社). 理性の劇場
にコンパクトな福谷茂によるカント遺稿関連の論考が載っている
英訳を読む方がはやいかも

590:学術
19/02/22 12:38:11.54 0.net
定理は使えるがほかの文脈にはなじまないだろう。天災の書だが他人行儀さがない。

591:学術
19/02/22 12:38:28.16 0.net
天才

592:セルム
19/02/22 18:15:03.40 0.net
ごめんくさい

593:考える名無しさん
19/02/22 22:46:07.37 0.net
>>579
それだと汎神論じゃなくなる

594:考える名無しさん
19/02/23 09:51:59.69 0.net
神よりも大きいものはない
ここで、神の他に、なにか別のものが存在すると仮定する
そうすると、「神+別のもの」は、「神」よりも大きいということになる
それは、「神より大きいものはない」ことと矛盾する
ゆえに、神でないものは存在しない

595:考える名無しさん
19/02/23 09:54:23.72 0.net
「物自体」は存在のすべてではない
だから、スピノザの神ではない

596:考える名無しさん
19/02/23 09:56:01.53 0.net
なにを神とするか
どうでも良すぎる定義だな

597:考える名無しさん
19/02/23 13:37:40.51 0.net
別のものがマイナスだったら

598:セルム
19/02/23 16:30:20.72 0.net
世界各地では殆ど進化論支持です。
君達遅れてるね。

599:考える名無しさん
19/02/25 13:12:43.17 0.net
神=自然、宇宙
と読み替えれば『エチカ』は現代人にも読解可能だが
しかし現代人には
「結局、3行程度で言える内容だよね、それ」
で済まされて終わる

600:考える名無しさん
19/02/25 18:58:52.92 O.net
世界を貧しい禁欲主義的小市民的な去勢された内面化として捉える
神がいて有限な人間は神には届かないから子羊として定言命法に従属する
スピノザの全てはそういう認識論の否定だ
スピノザはカント的な認識論、近代的主体性に基づく、
実はキリスト教的な神学的知の欺瞞を暴いているところが凄いわけで
自然とか唯物論とか宇宙とかどうでもいい
唯物論だとしてもカント的な布地の中で考えているなら
下らない鼻くそみたいなもんだ
実際マルクス主義も分析哲学の物理主義もその手の
去勢された倒錯した神学に過ぎない

601:考える名無しさん
19/02/25 19:23:56.36 O.net
カントは神じゃない人間はアンチノミーにさらされるから無限はわからないと言った
そうやっておっかなびっくり周りの目を気にしながら他人を傷付けてないか
心配しながら正しい道徳に従属しよう
そんな道徳=哲学をスピノザは嘲笑う
神に叩きつけられて衝動の中で選択もくそもない他人を気にしている余裕はない
スピノザには偽善も欺瞞もない
それがスピノザの神=自然=世界=宇宙
そんな中で何がなしうるかそれを問うのがスピノザの哲学=倫理
道徳と倫理は真っ向から背反する
スピノザの衝動を自然を無視した欺瞞の中に成立するのが
カントの道徳論でありヘーゲルの絶対精神でありドイツ観念論

602:考える名無しさん
19/02/28 18:01:09.67 0.net
道徳的であるとき人は自由である。つまり、自由意志が無ければ道徳的であることはできないから
選択もクソもあるってカントは言ってるんだろ

603:考える名無しさん
19/03/01 08:16:17.30 0.net
ポストモダンで流行ったスピノザのニーチェ的な解釈だね

604:考える名無しさん
19/03/02 22:04:52.77 0.net
現代思想2019年3月臨時増刊号 総特集=ジュディス・バトラー
T i t l e : T h i s L i f e , T h i s T h e o r y
J u d i t h B u t l e r

この生、この理論
ジュディス・バトラー/坂本邦暢訳
 私はここにいることを大変光栄に思っており、東京、そしてとりわけ明治大学への訪問を可能にしてくれた
すべての人に感謝いたします。私は自分の哲学上の歩みについて話せないかと頼まれました。私は回想録や
自叙伝を書こうと思ったことは一度もありません。なぜなら、私の自己は、私にとって最も不透明なものか
もしれないからです。私の自己が、著者として語る私の声にたいしてもっている関係は、少なく見積もっても
大変にぎこちないものなのです。…
…スピノザいわく、人間の場合、人間の精神(神の属性と考えられています)の観念は、なにか存在する
ものとリンクしていなければならず、その存在するものと独立にあるということはないのです。このことが
スピノザを二つの重要で驚くべき定理に導きます。第一に、人間の精神の観念は、必然的に身体について
の観念であるという定理です。身体は、人間の精神に対応して存在しているのです。第二の定理は、精神の
観、精神の観念というのは、触発される過程で形づくられるというものです(これは、神によって触発さ
れることだと考えられるでしょう。これが観念をもたらすのです)。さらに、人間の精神が別の個体を
触発できるのは、精神に対応して存在しているもの、すなわち身体を通してだけだということがいえます。
スピノザは精神と身体を区別して話していますが、それらがダイナミックな統一体をなしていることは、
はっきりさせています。人間の身体は、私たちが知覚するようにそれが存在している限りで、精神の対象です。
しかし人間の身体というのは、精神が現実的に存在するあり方でもあるのです。…
訳註
[1]スピノザ 『エチカ 』第二部公理二、三、岩波文庫、2011年改版、上巻、113ページ(訳語を変更した)。
[2]スピノザ 『エチカ 』第二部要請五、141ページ 。
[3]スピノザ 『エチカ 』第二部要請四、141~141ページ 。
[4]スピノザ 『エチカ 』第三部定理七、214ページ 。
[5]スピノザ 『エチカ 』第三部定理一九、229ページ。

605:考える名無しさん
19/03/02 22:13:28.47 0.net
*この記事は 、二〇一八年一二月六日 、明治大学にて行われた講演会の発表原稿を載録したものです 。
チラシ
URLリンク(www.meiji.ac.jp)

606:考える名無しさん
19/03/02 22:17:41.29 0.net
イエスキリストを信じなさい

607:考える名無しさん
19/03/02 23:52:38.98 0.net
「死者に死者を葬らせよ」
マタイ8章22節(ルカ9章60節)

608:考える名無しさん
19/03/03 05:20:16.41 0.net
エチカ第2部より
定理一三 人間精神を構成する観念の対象は身体である、あるいは現実に存在するある延長の
様態である、そしてそれ以外の何ものでもない。
定理二三 精神は身体の変状〔刺激状態〕の観念を知覚する限りにおいてのみ自分自身を認識する。

609:考える名無しさん
19/03/04 01:09:35.42 0.net
エチカ 第2部より
定理二六 人間精神は自己の身体の変状(アフェクトゥス)〔刺激状態〕の観念によってのみ
外部の物体を現実に存在するものとして知覚する

610:考える名無しさん
19/04/15 08:13:38.31 0.net
スピノザみたいな心身並行論だと、思考はどうなっちゃうの?
お腹すいたなあ とか この世界は夢かもしれないなあ とか
そういう漂う思考は身体に基盤を持っていない気がするんだが

611:考える名無しさん
19/04/16 01:23:15.93 O.net
スピノザは禁断の木の実を食べることはそれが腹下しをするから体に悪いから避けられると語る
スピノザ往復書簡集
神の掟に従わないから神に罰せられる失墜するなどの過剰な物語、道徳の因果物語は認めない
原罪を神に突き放された人間の贖罪の神話を認めない
んなこと言うからユダヤ社会から追放されキリスト教社会から無神論と呪われ続けた
カントは定言命法、万人にとって普遍的にいついかなる時も変わらない法則を元に理論を作る
個人の欲望離れて誰にとっても妥当する道徳、己を捨てたところに成り立つもの
普遍的な効率良いルール、自分がやられたらうれしいことを人に与えよ
スピノザはカント式の小市民を効率的に支配するそういう畜群道徳を批判する
善悪はない
母親殺しさえオレステスでは褒められネロでは悪行の第一に数え上げられる
行為に予め善悪はない
つねに正しい道徳も反対の悪もなく全ては状況で決まり内部では正しさは決定できない
全ては善悪の彼岸で、それぞれの生の可能性を押し広げるならそれは良いものである、それがスピノザの倫理
人を殺すことも良いことになりうるし、道徳的なことも生を抑圧するものになりえ全ては状況依存だ
善悪の常に成立する状況離れたアフリオリな正しさなどはない
カントとは正反対だが
同一性ではなく差異を秩序や目的ではない欲望や衝動を突きつける
己を殺すのがライプニッツやカント
己を突きつけるのが、己をいかに伸ばすかがエチカ
スピノザの倫理はカント的な普遍的道徳を抹殺するところに成立する
スピノザはニーチェともドゥルーズとも違うがカント的な道徳律の全面批判や
ライプニッツ式目的の予定調和や秩序の批判として成立する、これは揺るがない
そんなのはポストモダンの解釈だ本当のスピノザは違うとか小賢しく言って否定する奴はただ死ね
馬鹿は死ね

612:考える名無しさん
19/04/16 01:32:56.49 O.net
自分を勘定に入れないのがカント
自分の勘定を如何に最大にするのかがスピノザ

613:考える名無しさん
19/04/16 02:43:18.74 0.net
カントでも何でも他を貶めてスピノザを持ち上げることしかできない時点で
ポモにどうしようもなく毒されているんだよ。江川のスピノザ講義も酷かった。

614:考える名無しさん
19/04/16 07:43:54.90 O.net
>>613
カントが自分を無にして万人にとっての道徳律を語ったのに
スピノザは同じことやってもネロとオレステスは違う善悪の彼岸を語った
同じことやっても扱いは違う
普遍的な道徳なんかはない
それにはどう答えるんだ?
スピノザの標的はカント的なものなのにお前は死んだ方がいいよ

615:考える名無しさん
19/04/16 08:06:11.52 0.net
こんな所で誰も読まない長文を投稿している、
という一つの生のあり方には、とても興味を覚える
晒しage

616:考える名無しさん
19/04/16 08:07:10.05 O.net
プラトンはソフィストの批判だしアリストテレスはプラトンへの批判
カントはライプニッツやヒュームへの批判
何を標的に哲学を語っているかそれがわからなきゃ哲学なんかできない
禁断の木の実の話一つ取ってもスピノザが万人にとっての普遍道徳の批判を目的にしていることは明らかで
カントやライプニッツみたいな一般的道徳や秩序信仰が敵なんだよ

617:考える名無しさん
19/04/16 08:10:28.68 O.net
スピノザが普遍道徳を批判しているのは証明さえいらない前提条件だ
著作に明白に書いてある
その上でスピノザは何を語ったか
スピノザの無限、スピノザの公理主義を語らなければならない
そこでははっきりニーチェなんかとは違う

618:考える名無しさん
19/04/16 09:12:47.40 0.net
>>615
ただのヒステリーだろう

619:考える名無しさん
19/05/31 18:46:56.75 0.net
敵/味方という分け方で語る理由がよくわからん

620:考える名無しさん
19/07/10 05:05:50.62 0.net
スピノザは、一切を必然と考えることは、人間に安らぎと最高の幸福を与えると言っているという。
(『スピノザの世界』 上野 修著)

621:考える名無しさん
19/07/10 11:15:09.41 0.net
言ってなさそう
典拠なし

622:考える名無しさん
19/07/12 16:15:45.27 0.net
スピノザってスペルマに似てるよな

623:考える名無しさん
19/07/16 00:10:07.88 0.net
うむ。おどろいたね

624:考える名無しさん
19/07/16 16:25:42.17 0.net
林葉直子の愛人かね?

625:考える名無しさん
19/07/16 17:38:42.56 0.net
世の中の言論はおおむね、沈黙と工作に二分されている

626:考える名無しさん
19/07/16 18:02:06.16 0.net
いつでもこういうものだ。戦争に向かうときでもね。
戦前だろうと戦後だろうと、決して反省などしていない。

627:考える名無しさん
19/07/16 18:22:03.23 0.net
都合が変わったから、それに合わせて表向きの言動が変わっているだけ。
自分に都合がいいように発言するか、さもなければ沈黙している。

628:考える名無しさん
19/07/16 18:28:53.69 0.net
だからこそ、ほとんどの人間はうまくコントロールできる。
どういう言動をすることが自分の不都合になるのか、実力行使または
その可能性を示唆して、示してやればいいだけだから。
自分の都合にすら配慮しない人間は、まともではない変な人間だ。
だからコントロールが効かず、危険である。

629:考える名無しさん
19/07/16 18:57:13.67 0.net
統治にとっての危険は、ご都合主義の沈黙を可視化してしまうこと
において、大方、人々にとっても危険である。それは、人々全体に
とって危険であるというのではなく、そのことで気まずい思いを
させられる各自にとって危険なのだ。ご都合主義が人々全体に
危険を招いたとしても、その危険が皆に共有されていると感じられる
限り、人々は心の安らぎを確保できる。

630:考える名無しさん
19/07/16 19:11:07.00 0.net
社会が人間主体で形作られる限りにおいてご都合主義でないことなど存在しない
誰にとってご都合主義なのか?という違いがあるだけだ

631:考える名無しさん
19/07/16 19:16:32.48 0.net
だから、各自にとって何が不都合であるかを思い知らせてやることが
できるなら、全体にとっての不都合は、それがカタストロフィ的な破滅を
もたらすとしても重要ではなくなる。

632:考える名無しさん
19/07/16 19:48:25.03 0.net
個々人の選好がそれぞれ異なるってる時点で全体に適用できる不都合ってのは限られるんだよ
経済システムがその好例だが、ある人にとって良いことが別の人にとって悪いことになる
誰かが損しなきゃ儲からないってのが経済の本質でありそれが社会の基本構造だろう

633:考える名無しさん
19/07/16 22:00:59.91 0.net
ある充足を求める目的社会では生存以外の権利はほとんど
どうでも良いことと看做されるが
経済社会においてはその生存権すら脅かされるという始末だ
太古のように団らんとか過剰を求めない安定的な暮らしに基礎を置くなら
誰からも奪わず奪われず、奪う対象者がいないので
こうした悲劇は生じてこない

634:考える名無しさん
19/09/04 03:48:56.23 0.net
自分の活動能力を高めてくれるものが「善」であるとスピノザは言っているようだが、スピノ
ザの哲学は、果たして自己の活動能力を高めてくれるものであるのだろうか?
また、スピノザ哲学が自己の活動能力を高めてくれるものであるとしても、それはどの程度
のものであるのか?
例えば、「神即自然」の認識は、どの程度自己の活動能力を高めてくれるものであるのだろ
うか?

635:考える名無しさん
19/10/12 06:56:51.67 0.net
猟奇犯、サディストなんかは他人を傷つけることで性的興奮を満たし活動能力が高まる訳だからな
善というのは個人の活動にのみ還元できる代物ではなく他者との関わりという複合的な要素が
絡んでいるからそんな風に単純化できるものではないだろう

636:
19/10/19 13:16:12 0.net
>>634
コトバンクの神即自然のスピノザよりに書かれている「神」の部分を「何か」に
置き換えて読んでみるのだ。スピノザは説いたと思っていたのかもしれないが
人間精神が完全な能動に達して自由を実現してないから犯罪も紛争も止まないわけで。

637:考える名無しさん
19/10/21 16:40:11 0.net
人間精神が完全に自律的であることなどありえないとスピノザは前提してるんだよ
だから、精神が活発に働くような生き様が善でありそれが善であるとした

638:考える名無しさん
19/10/21 19:11:22 0.net
損得勘定が前提にあるスピノザも人間だもの

639:考える名無しさん
19/11/30 13:00:14.76 0.net
スピノザもデカルトもやっていることは同じ
他者とは意見が異なりうる、視点によって見方は変わる
全ては疑いうる
デカルトの悪霊
しかし、連続関数でどっかに不動点はある
それが神だ
アリストテレス、アンセルムス、トマスなどと同じで個々の事実は疑えても遡って食い違いのない正解は必ずある
それが方法論的懐疑
更に数学とか経験離れたアプリオリな真理も嘘ついちゃ仕方ないから、疑いえない真理に基づく合理論哲学が構築できる
デカルトは天才数学者でもあり、数学を柱に延長を使って哲学を作る
スピノザは、方法論的懐疑の所を無限に置き換える
無限で全てを白日の元にさらせば必ず正解はある
他者との食い違いも、関係ない正しい答えが存在することは証明できる
また、相対的な経験、感覚、内面を排除して、無限の操作で、円に対する正しい観念は得られる
それは主観に関係ない
主観に基づく内面性、弱者の連帯の観念論廃した、唯物論の白馬の騎士、ドゥルーズ型のスピノザの出来上がり

640:考える名無しさん
19/11/30 22:12:20 0.net
作図された円に感覚で接している限り、歪んでいて、半径もこちら側とあちら側で違う
ヒルベルトが言うように公理主義的な点や直線や平面は、経験的な点や直線や平面とは違う
全ては無限の規則の束で、であるが故に主観や感覚や相対性と無縁だ
この無限を通された物は、誰にとっても厳密に妥当し、揺らぎはない、誰にとっても違いはないから
主観主義的観念論、相対性、非厳密性は排除される
主体や内面性、視点の相対性が除外される

ヒルベルトの無限は、
一、全てを目の前に持ち出し何も外部がないこと
二、感覚や相対性超越した無限の厳密性
この二つの意味がある

641:考える名無しさん
19/12/04 18:36:54 0.net
ヒルベルトじゃなくスピノザな

642:考える名無しさん
20/01/07 07:49:43.00 0.net
スピノザ『エチカ』wiki*、ってものを発見したよ。
2007年というから、ずいぶん前からあったんだね。
一見トンデモとおもたよ。なにせ「自己原因」が「ひとり立ち」、
「実体」が「物質」(! それじゃmatterじゃん)、「属性」が「性質」
(それじゃnatureじゃん)、「様態」が「化身」(それじゃ渡辺淳一じゃん)
になっているのだからね。文体もこんなふうに、まあくだけてる。
でもこれがなかなか本格的なんだ。ちゃんとしているみたいなんだ。
ありふれたかぶれじゃないみたいなんだ。いいんだ。じゃ。

643:学術
20/01/07 08:35:02 0.net
経済にももうけ過ぎると浄化作用は必要。

644:学術
20/01/07 08:35:41 0.net
マフィアや暴力団に投資する方が上向く。

645:考える名無しさん
20/01/07 09:08:59.45 0.net
朝から起きてるなら
探せばいいのに
【バイトル】でバイト選び!アルバイト・パートの求人・仕事探しなら ...
URLリンク(www.baitoru.com)
【バイト選びならバイトル】時給1200円以上、短期バイト、日払いのアルバイト等、
人気のバイトルオリジナル求人やハローワーク求人情報が満載。バイトルなら
地図検索で自宅近くの仕事を探したり、動画で職場の雰囲気を知る、さらにバロメータで応募状況も ...

646:考える名無しさん
20/01/07 18:56:38.42 0.net
バイトも終わったんで、改めてスピノザ『エチカ』wiki*について。
どこのどなたがスピノザになりかわっているのか知らないが、
感謝の気持ちを表明させてもらう。「知性」の解釈など。
で、再開してもらうわけにはゆかんのだろうか。第五部だけでも
っていうのは都合がよすぎるかな。
以下は読み飛ばしてね。
まず、「舗装」のところは何か誤解があるのかな。
それから、スピノザは祈らなかったと思う。往復書簡集の53(岩波文庫では)
の最後のところによれば、「ボクセルさん、あなたのことで神に祈ることは、
私には笑うことなしにはできません」とスピノザは言ったらしい。これは
ボクセルのことがきらいだったからでなく、そもそも自分を含めて
誰のためにも祈らなかったということだと思う。畠中さんもそう見ている。じゃ。

647:学術
20/01/07 19:06:42.57 0.net
定理面白いよなあ。神々。

648:考える名無しさん
20/01/08 06:58:40 0.net
スピノザ『エチカ』wiki*のことで、とりあえず最後に。
考えてみたら、このなりすましさんはもう(ないし以前から)立派な
論文をお書きかも知れないわけで(皮肉じゃないよ)、
その筋の人にはすでに知られているかもね。
いっそ、あいつの名前なんかは省いたり、さすがに「物質」は
やりすぎかもと思ってもらったりした上で、書物にしてみたら?
バルーフさんが草葉のかげで泣くようなものにはならないと
思うんだけどな。じゃ。

649:考える名無しさん
20/04/03 22:27:20.18 0.net
神学・政治論おすすめ
エチカ挫折するやつ多いからなおさら

650:考える名無しさん
20/06/01 06:02:04 0.net
>>649
>エチカ挫折するやつ多いからなおさら

お薦め本:
『スピノザ よく生きるための哲学』 (フレデリック・ルノワール著)

『エチカ』がわからなくても、『エチカ』がゲーテをはじめ物凄い影響力をもち、
人間の生き方を変えてしまう書物だということがよくわかる。

651:考える名無しさん
20/11/05 04:52:42.71 0.net
「エチカ」は衝撃だった

652:考える名無しさん
20/11/20 17:44:32.82 0.net
 エチカは、すごい平面的だ。「素直」に読めば理解できる。ただ、なぜ理解できたかのか(自分では理解できてるつもり)
あんまり疑わずに読んだからである。悪は何とか・・、徳とは何とか・・・そういうのをいちいち反論せず、まあまあで読むと最後に分かるの
である。「お前は本当に理解してるのか」とか言われると、まあ、そうと思う、と言う。スピノザは何を言っている?のか!教えろ!、だとか、言う人がいる。
正解は?と言われる。そういう問いそのものは「還元すれば?、演繹すれば?どうなのか」・・そういう問いと似たものである。5
「エチカ」自身が「還元」の書物なのであるので、エチカを読んでくれ、としか言いようがない。1~3部が、骨であり、4~5部はそれの展開なのである。
これについて何か言え!というなら、
 事実は、1から3部を理解すると、4-5部は驚くほど簡単に理解うるということ。1~3部を読むとき、注釈や前文(訳者による)を読まないで
曖昧なままに読む・・ということ、神、存在、形相、概念、本性・・といったものは、それで、一々引っかかっているのではよくない。デカルト的な感じで
読めば良いと。 ある種の本は「ザーッと」一回読んで、読み飛ばして、もう一回読めば良い。なぜなら、一回目で言われている概念は一回目では
分からないからである。つまり応用されて初めてその概念が分かるからである。大きい概念ならなおさら。例えば「アパッショナータ」と言われれば、
人は思う。ある知識のあるものは、べートーヴェンのピアノソナタ23番のソナタである。ソナタとは1~3部からなる形式。とか、
テーマ、テーマの展開部、テーマに戻る、終局部・・。展開部はテーマが長調なら、短調になる。・・だとか。こういうものは実際に譜面を読むか、聴くかしか
ないのである。
本は2回は読むべきというのはそういうことである。そういう基本的なことである。詩を暗記しろ!というのも、「落葉」を見たことが無い人に、「君はいつか落ち葉を見るだろう」
という、ことを想定しているからである。その他いろんな無駄と思われることも後に役に立つのである。
そうして、なんだかんだ概念を覚え、概念を使い、そして概念は権力だと思うに至り、概念を破壊し、「適切」な概念を構築しようと思うのである。

653:エチカ
20/11/25 15:55:51.97 0.net
 エチカは、倫理である。というと、倫理よ道徳を混同する人がいたが、倫理は「良いー悪い」の基準で会って、善悪のことであはない。
善悪は良い悪いから、発生したのである。「良い悪い」は、痛い、嫌だ、気持ち悪い、」などの身体的反応が原因である。
反応(反動、反射)は、己でコントロールできないのは明らかである。「オレは絶対傷付かないぞ!と言う人は、実際には「グサッと傷つく」。
ボードレールや太宰のように、言葉がナイフのようなし方で傷つく人種がいる。こういう人は、傷つく練習をしてもやはり傷つく。
ディオゲネス(キニク派の、樽の中に住んでた人)は怒られる練習をしていたが、ボードレールがこれをしたらヤバいであろう。
ヘルダリンやクライストが、カントの「批判シリーズ」にショックを受けるようなものだ。ゲーテは「お酒」でしのいでいた。
こういうことから分かるけれど、感覚、イメージは「それ自身内在」していて、ある条件下で意識に上る、それ故、身体の基準である「良いー悪い」
にこそ気を付ければならないということであり、「善悪」などの基準は二の次だという事である。
つまり「道徳」ということはそれが「過度な一般性」を持つ場合には個人にとって有害だということである。
住み慣れた田舎が良いと・・老人は言う・・のは、己の身体と他のもの(環境)との適切な距離を築いたので、都会は嫌だという。
習慣は脳の硬直性であるが、「動き過ぎた脳」はこれは、実験的なものであり、真に「創造者」の領分であるり、柔らかくなり過ぎた脳である。
「こういう「全部」のことに「できるだけ早く」到達すべきと言っているのではないだろうか?。ドゥルーズがいうのは「ゆらぎながら、動くように、
その目安、基準、澪標(みおつくし)が、エチカには存在する。・・。

654:考える名無しさん
21/01/17 15:33:28.74 0.net
エチカというタイトルからしても、スピノザの最大の関心は倫理にあったようだ

655:考える名無しさん
21/01/18 21:52:35.67 0.net
日本人ならば仏教だよ。
エチカはバテレンだな。

656:考える名無しさん
21/01/19 02:33:34.57 0.net
 以下、スピノザ『神学・政治論』 (光文社古典新訳文庫) より
《…キリスト教が禁じられている国に暮らす人は、こうした儀礼を行わないよう
義務付けられる。それでも彼らは幸福に生きられるのだ。この例は日本という王国に
見出せる。》(上巻第五章)
以下、上野修『「無神論者」は宗教を肯定できるか』#4より
《スピノザは自分は教会には行かなかったけれども、下宿のおかみさん家族には
毎週説教を聞くようにすすめていたらしい。そして、ある日おかみさんから、
いまの自分の宗教で幸福になれるだろうかと尋ねられて、こう答えたという。
「あなたの宗教は立派です。あなたは静かに信心深い生活に専念なさりさえすれば、
幸福になるために何も他の宗教を求めるには及びません。」
(リュカス、コレルス『スピノザの生涯と精神』)》

657:考える名無しさん
21/01/21 06:40:39.28 0.net
現代の神は「お金」かもね。

658:考える名無しさん
21/01/23 14:36:18.02 0.net
>>657
それを言うなら、17世紀のオランダだってそうだ

659:社会学の概念?正常性バイアスなどと言っているが・・
21/03/14 12:32:07.68 0.net
「正常性性バイアス」などと言っている。同一性のバイアスである。同一性幻想の存在のこと。
明日も生きているだろう、明日も大丈夫だろう。明日も健康であるだろう・・。
例えば、日本で震度3くらいの地震が起こる。日本人は「まあ、これくらいは大丈夫」と。外国人「ど、どうしよう!」と、パニックを起こす。
これの対応でどちらが相応しいということは言えない。日本人は習慣から、まあ大丈夫、外国人は驚く。
この大丈夫・・という感覚が経験に基づく類推であり「「科学的でない」ので、経験値のバイアス(補正)の存在が示される。原理的(演繹的)、科学的なものは二次的になる。
これ(補正)は哲学的に言えば、抑圧、、「忘却」のことであり、痕跡(トラウマ)の処理方法でもある。人間の恒常性の維持でもある。幻想の維持(しかし幻想は幻想の理由がある・・」。
災害の記憶を「そのまま」伝えるということは「トラウマ」を植え付けることであり、いつも「意識」「覚醒」しろということで、これではノイローゼになるので
人間は「忘却」機能を持つのである。幸福、快楽、はすべて「忘却」を前提している。胃の動きは意識されない。それは脳が抑圧しているからで、
忘却能力が能動的、積極的能力であるからだ。体調がすこぶる良いと、今度はすごく小さい傷、変化にも意識が行く。
話変わって・・・・「孤独」というのは、外部刺激が小さいということを示しており、その結果、おのれ自身へ意識が向く。というか「おのれ」という事態が起こる。孤独への適応方法に悩む人がいるらしい。
自由を得ると困るのかな。
・・コロナ禍における要請・・「もっとステイホームして」、地震、災害において「いつも考えていて!」「避難訓練を本気でやれ」というのは、別の病気へと誘うものである。
「記憶そのものを」人間に押し付けるのは「トラウマ」の伝達であり、限界があり、返ってそれは「虐待」でもある。それは「法」「「システム」に反映されるべkいものである。
「個人の意識」が大事だと言っている人は、悪しき精神論に陥っている。小池知事の「ステイホーム連呼」のように。「がんばれ」の連呼の悪夢で、旧日本陸軍的である。
ニーチェは言った、目的を欲するものは手段も欲しなければならない・・。コロナをどうにかしたければ、その具体的な方法を欲さなければならない・・。

660:自殺は他殺
21/03/19 18:32:09.93 0.net
つまり、自殺はいろいろな刺激がある日常(=行動、習慣、ドーパミン放出など)
が阻止され別の、行動をするように結果である。行動=習慣を変えられ、相対的に
阻止されれば、小さな傷は意識され(拡大されうる)。行動は実は忘却の作業であった
ことが分かる。そして忘却は脳の作業であり、極めて脳の作業である。脳の反響である。
人が行動、ブームであれ、行列に並ぶのであれ、「じっとしているのが苦痛」が
あるからである。それらをくだらないと言ってはダメであろう。それらを「いつも逃げている」
と言うのを「ポジティブ」な意味で理解しなければならない。有機体を保持したいならば。
「脳とじかに触れ合う」ことは、脳と対峙することは、これは有機体の、オルガノンの
そと(外)を発見してしまう。「人間」はある組織化された「有機」化されたつまり、国家
なのであり、常識、共通感覚、・・そういう幻想である。文化が「必要な嘘」であることも
同じ意味である。だが宇宙がそうであるようこと、宇宙が非有機的であることに
反抗している。
 

661:自殺は他殺-2
21/03/19 18:32:48.84 0.net
有機体は崩壊過程であるので、
遅かれ早かれ終わる。関係の崩壊である。関係が崩壊するまえに別の関係を創造するのが
「生殖」と呼ばれている。子供を産むことである。子供を産めば産んだ当事者らが
「不要」になるという・・のは生物学の範囲である。人間は生物学を超えているので、
不要に(生物学にポジシオンするならば)生きるのである。
 「自殺は悪いと言う」のは脳であり、国家でもある。自殺は良いも悪いもないけれど、
必然的に訪れる。「自粛」「ステイホーム」などの要請は、自殺を手助けしている。
自殺は、その前にうつ状態になっている。というか、うつ状態という定義が自殺から
導きだされたようにも見える。苦痛の持続もそれだけで威力があるが、苦痛を考えて
それで、苦痛が「有機体の響き」であることも知るようになる。これは苦痛の意味の変化
であり、即永劫回回帰へ結びつくので、つまり、「苦痛は生命に対する抗議」ではなく、
ニーチェはこれを言っていた。しかし、生命(有機体)には抗議しているのではないかと
思う。抗議というか、この「痛み」自身が我々を流れさせ、忘却させ、一度は克服した
痛みを再び襲うからである。ライプニッツの「沖に行ったと思ったら、岸に戻っていた」
ヤスパースがニーチェについて言っていた「以前考えていたときに戻っていた」
ということ、文言は違うが。
 聞き分けが無い「(差異と反復、ハードカバー版、財津理訳
のP387ページ)」から、常識を知らないから、器官なき身体=他者=自我がそれに
よって作られるそれ、自我を上から見てるヤツ、自我にとって恐怖である「そのヤツ」である。

・・孤独に慣れており、またはそういう上記のような真理を知っている
ものは、孤独は練習、鍛錬の過程だと知っている。しかし、脳が非常に強く、脳が
極めて、常識的、公的、国家的・・すなわちオピニオン(偏狭なモデルの支配下)つまり自我
であることは知られている。苦痛のただなかで「それ=脳」を知る者は
「器官無き身体」の存在を経験で知ることになる。「不眠」「狂気」は器官無き身体の
現存在を示している。自我を「そとから」見るような、本質的に「他」であるもの。経験的に
知られ得る。論理的にも知られ得るだろうが、経験の方が早いと思われる。

662:自殺は他殺-3
21/03/19 18:38:25.29 0.net
この「点」が多くのものを「巻き込む」ので自我が衛星だということが分かる。
あんまり適切ではないけれど、つまり太陽系における地球が自我、地球にとっての月
だとも言える。そしてこの月は物体ではないと思われる。物体が「それによって動かされる
それ」である。だが「それ」は抽象的ではなく、それが働きかけるものの近くにいる。
近場にいる物質どもに関係するものである。dx/dyとドゥルーズは言っていたが、規定
されうるものである。未規定、規定、規定可能性のどれかと言われれば、規定可能性の
存在だと言えるかもしれない。可能性は「現事態の併存の表象」と言われてきたが
「(現事態の併存の表象)の態勢、傾向」の生成過程であると言える。結局「微分」という
概念である・・。速度の平方根(立方根、多面体根?)と言えばいいのかな。
つまり、ある「独立」に関わる・・・他の独立)。
というわけで、自殺は「他者」による行為であり、自殺は他殺といことになり、この
他は「他の秩序」がある。カオスから自我が発生しているので、その反対をたどれば、カオスが「ある秩序」があることは分かる。
さて・・。牽引するそのヤツの正体は・・。??

663:訂正します
21/03/20 14:25:52.70 0.net
> 『この「痛み」自身が我々を流れさせ、忘却させ、一度は克服した
痛みを再び襲うからである。ライプニッツの「沖に行ったと思ったら、岸に戻っていた」
ヤスパースがニーチェについて言っていた「以前考えていたときに戻っていた」
ということ、文言は違うが。」』
という文章は、分かりにくい、書いたときは、自然に思えた。
 つまり、「痛み」のせいで、今まで学んでいた「考え」「信念」「信条」などを忘れる、それらの思想から離れてしまう、思考、信念、、などが
「無効」になるということである。「痛み」のせいで、賢いものもアホになってしまうということで・・。
 ・・ツゥラトゥストラはこう言った(かく語りき)を読むといろいろ気付く。普通のアホから~高度なアホまでの物語とそれらを俯瞰する
ツゥラトゥストラ自身もそれらの「~」に含まれている。
・・「・・だから信じる・・ということはつまらないことだ」と
ツゥラトゥストラは言っていた。だがどうであろうか?結局、「差異と反復」に翻弄されることを肯定する他ないが、これの意味は
「差異と反復」を肯定するのと、差異と反復を「欲する」ことなのである。そして・・。
スピノザについては、ニーチェとドゥルーズが継承しているように思われる。進化したのか、そうではないのかは分からないけども。
ドゥルーズ氏の「スピノザと表現の問題」の問題点は、コナトゥスの説明のとき「あれ?」と思う。多くの人がそしてオレも気付いたけども
結局分からないのである。「分からない」というのが、「分からない」=「それが答え」と言うのは気取っている感じがするし・・。どうだろろう???表現の問題?

664:痛みは脳である・・
21/03/22 14:54:27.48 0.net
とオレは言っていたけど、痛みそのもの最中で、痛みを捕らえると、痛みそのものの外部
には行ける。痛み自身が続いているのだけれど、659~661氏はまあ自分のことですが・・痛みを脳であるが脳でないかではっきりしていない。
それは、痛みと(脳)と他者が互いに巻き込みあっているからだろうと思う。痛みを俯瞰するものがいる。
 
痛み。の変状。様態としての痛み、は身体の変状の現在である。まあ炎症である。ひざ、こし、舌、胃、咽頭、腸
様々な部位である。自己免疫性疾患であることが
多い。「闘い」「戦いの最中」である。炎症が意識されるか否かで、病的かどうか判断されうる。というのも「病的」という概念が
問題というより、「個人的痛み」が重要である・・・??。上咽頭の療法、これは別のスレッドで盛んに意見が言われている。
上咽頭はこれは、頭部の中心で、縦から横から見ても。刺激することによって様々な部位を即刺激する。
「塩化亜鉛」「ミョウバン」「ヨウ素」などで刺激するらしい。上咽頭の上に脳の重要な部分がある。扁桃体、海馬、など。
まあ。個人的には顔、頭部の骨の配置、筋肉の強さが、第一のみるところで・・。身体、強度。延長、精神。
 ・・コロナで、習慣を変えられたものたちは、それゆえに身体も精神も、延長も強度も変えられうる。
自己免疫性疾患。ストレスを「外部」と捕らえていた人々はその「外部」が無くなるにつれ、外部が
無くなるのではなく、内部の「外部」を気付く。ヘルペス、リュウマチ、アレルギー、鼻炎(咽頭の生理学的炎症,頭痛など、自己免疫性疾患である。
が現れてくる。これは、行動の大きさ、動きの多さ・・、これの平均値が、つまり習慣が変えられることに基づく。スピノザが言う「小さな完全性、大きな完全性」、・・その変動過程の。つまり、
「関係」そのものの解体、再構築なのである。これは類比の破壊であり、これは痛み、傷の生成過程
である。普通の言葉で言えば、「運悪くこの時代に生きていて損だな」と。まあそうなのである。

665:痛みは脳である・・2
21/03/22 14:56:33.52 0.net
だが、こういう事態で「得をしているものがいる」。それらの人は比較的習慣を変えられていない・・はずだ。
そういうもの・・大きな変動を免れていない集団。変動が「最後の方に来る」集団。「庶民」の
苦痛をじかに感じないもの。苦痛が遅れてやってくるだろう集団。政治家、マスコミ。
人が出歩かない→物を買わない→利益が出ない→給料下がる、物を買えない→・・。
消費は生産だというのは、消費は給料だからである。消費が少なければ、給料を上げればよい。
という簡単な話である。ここの「割りあい」を個別、具体的にやれない。さて、利益なのか、ルサンチマンなのかという大きな命題に到達する。というのも、国家というもの組織というものは、庶民、雑多なもの
「真に自由なもの」を嫌い、憎しんでいるからである。小池知事の「命令」がカントの「定言命令法」と
それに「残酷の臭いがすると言ったニーチェ。これは、小池知事「なぜ庶民どもは分からないのか」と思っているだろうが、庶民から
言うと「なぜ国、自治体はアホなのか」という問い・・そういう事態と似ている。

666:痛みは脳である・・3
21/03/22 14:57:19.88 0.net
結局は法は負ける。規定(法)と無規定(法など知らない)な人々では、どちらが多様に振る舞えるか
かである。法は結局、庶民と同等に下りてきて、警察、暴力、を振るうようになる。これで
ドゥルーズーガタリのいう人間は、とりわけ組織は「戦争機械」という意味がなんとなく分かる。
 
 皆は、ミヒャエル・コールハースだということだと。結局、暴力が出現するのは最後の
ほうであるが、賢い、さかしい?人はいきなり暴力だと理性で思うのは、すごい直観か、普通に思考しているか、オレのように「考えて到達する」ということなのである。そして「考える」というのは
「表現」と不可分らしい・・。つまり「観念する」ことらしい。「観念しろ!」というけれど、これは
観念自体が名詞であるというより、観念が動詞に近いことを思わされる。諦めろ、行動を諦めろ、
 そういう意味であるから。小池知事に「観念」「怨念」を感じる・・。古代の暴力・・暴力は
「暴力になる前」に化粧(理性)していないとなれば、スッピンをさらすことになり、おぞましい事態へと生成し、見た目が良くない・・そういうことになる。見た目は実は本質も含んでいる・・というのはスピノザの「変状」と「属性」の関係である。属性の関係の変化が「神」であり、関係の変化は「類比」を
破壊している。比自身が己自身が異なる。どのような同一性の種類の概念(類似、類比、対立)も当てはまらない。類比、類似、対立は「生成における同一性」を指示しており、互いに「参照」している。
空中で仲良くしている。大地にすむものに「関係」なし・・である。
・・・「働いている」ことと「労働すること」の区別は、昔‥特に江戸時代以前は無かった。労働と休息などと言うのは、だらけがちな欧米人の
キリスト教のせいである。労働は様々な意味を持つ、「行動のよる忘却」「行動による思考の停止、または更新」「賃金獲得のための苦行」など・・。
一元的に語れない。例として、テレビに出ているアナウンサーを調べてみよう。とくにフリーか、所属会社があるのかはまあ問わない。どちらも縛られている。

667:痛みは脳である・・4
21/03/22 14:57:56.42 0.net
まず「思ったことを自由に言えない」「ある種のルール、規律、コード、変数、」の掟がある。それを言うと「クビになる」ような事態である。まず一点。
そして、「印象」の掟がある。これは、顔面、服、髪の毛のタイプ・・などの制限がある。本人らが意識かは問わない。今は。言葉の単語、単語の関係、の
ルールがある。・・。お前は何を当たり前のことを言っているんだ!と言われそうだが、・・。
それらは、それらの発言は社風を反映しており、利益、その会社の利益も反映している。大概、それらの団体、それと国家、産業、利益団体、学問的な団体
・・それらはそれぞれの利益を追求し、衝突もしているし、利益があるなら一致もする。メディアスクラムというのもそうであり、同じ情報、情報の発信の方法が
各団体において、それぞれの利益にかなうものになる。

668:痛みは脳である・・5
21/03/22 14:59:27.29 0.net
・・そして、利益のための手段で「ちょこっと」「少し」真実を入れている。読売だろうが朝日だろうが
おんなじ  である。「こういう不要な」人々は、人々への「恐怖」「不安」「の出入り口になっている。またはなろうとする。不要不急の外出云々・・というがテレビは不要不急なのである。
しかし、高齢者どもは中毒になっており、著しく衰えている。ので、習慣性テレビ依存になっている人がいて、それの要求がまた、対象(会社)の利益と近づいている。共依存という関係である。
ステイホーム派か否か・・の二者択一に追いやれている国民。こういう結果、国家が、国民とともに「大本営」へと生成している。歴史は繰り返すというのは正しいらしい・・。
その原因は、明日も同じ、明後日も同じ。明日も飯が食える、明後日も同じ飯が食える・・。そういう単純な理由によるものが大半である。「差異」「チャレンジ」「セロトニン」「安定」「反応」
と聞いて、連想するのは日本である。世界の大事故。。大敗戦、原爆2個、原発爆発、こういう「でっかい出来事のとき」に失敗するのがこの国の運命である・・。というのも
おれがやる前におまえがやれ、おまえがやるならオレもやる、というふうな、古くから言われてきた、護送船団、責任回避、長い文章の連続投稿、すいませんでした。

669:考える名無しさん
21/04/02 09:16:21.35 0.net
最近、スピノザを語る人が出てこない

670:スピノザを語る 思いつくまま
21/04/15 13:57:42.13 0.net
スピノザの言いたいことは、
まず存在(神)、属性(神を構成するもの)
様態(神の様態自体の変状)。
静止と運動の割合は維持される方が良い(コナトゥス)。
割合が変化するというのは、例えば、記憶喪失など
(第4部定理39、備考)。死の概念は個体の割合の変化
のことを言っている。大人になることは子供が死ぬことである。
ある人間が記憶喪失になることは「ある人間」が死ぬことである。
スピノザは迷信的な人を「考慮」して、備考をあんまり展開しない。
 認識する能力が理性である。より多くの刺激を受けうる身体を
優れたものである。これは、テレビがつまらん、楽しみがない、何もすることが
ないというとき、それはその人自身に「受け取る能力」がないのである。
エチカを読んでも「これは!」とか衝撃を受けることが大事である。しかしテレビや新聞がつまらないというのも真実です。
だが、エチカやその他の書物を読みきったり、理解するのには
 多少の苦痛が必要があることもあり、それゆえ苦痛の善である場合の根拠
になっている。ある程度「読んで」「急がなく」していると、途中で「強度」を
迎えるときがくる。そういうことを考えれば、書物は最後まで読むべきで、
なんなら二回も読むほうが良いだろう。エチカについて言えば、彼のその
概念の意味は後になって分かるからで、あらかじめ分かるように努力はしているけれど
どんな著作も複数回読むほうが良い。

671:スピノザを語る 思いつくまま2
21/04/15 13:58:54.80 0.net
 苦痛は、それが快感を過度にしないように、また能力を減少
させない限りにおいて善である。・・とかスピノザについては
いろいろ話せるのだが、結局「エチカ」を読めばよいし、ドゥルーズ
も確かに良いのだが。スピノザの弱点は運動、生成がないということだろうか。
「様態の変状」が「神」と呼ばれるのであり、その逆ではないということ。
類比に縛られてはいないか?という疑問がある。
 コロナ禍において、エンジンをもたない人々、何の能力も開発してこなかった
人々がいる。「退屈」している金持ちだ。そうとは限らないけれど、スピノザの
第4部の備考は、「火山」にあふれている。つまり怒っていたり、凡人や金の
亡者
(生きるためのお金を望む人はそうではない)「第4部、付録、第29項。
第29項は、金融や、お金自体を目的とする人を攻撃している。怒っているようである。
。、手段を目的と考えるもの、過去に生きるもの・・「端正人」じゃない人。
死について考えることが少ない人は」は、オレ個人としては、少し疑問がある。
というのも、思考や理性が受動から生み出され、またそれ故過敏になり、
カオスの牽引を受けるからである。アルコールが引っぱり役になることが多いし、
コロナ禍での、医者、メディア、政府などにうんざりもし、たいして生きる価値あるのか
とは一度は思うだろう。・・。とにかくエチカやその他の偉大な書物に戻るだろう。
ちなみにショーペンハウアーは7割はスピノザであとゲーテと反ヘーゲルでできている。
また、第2部、定理11にオレは躓いていない。

672:スピノザを語る ・・
21/04/15 16:39:21.97 0.net
確か、チルンハウスとかいう、小賢しい青年がいてた。
その人はスピノザの「人間はその本性どうり
生きるのが善である」に何か文句を付けていた。
じゃあ、悪人は悪人の本性で生きるのは正しいのか?というような意味の質問をした。
スピノザの答えは、まあそうだ。ということだ。
悪人、例えば明らかに遺伝的なもののせいが悪人にならざるをえないケース。明らかに遺伝・・とは言えないが
何かしら遺伝が関わり、産まれてきて、親が悪人っぽい、「親自身そのものが殴られて育たれてきた」ケース。

673:スピノザを語る ・・2
21/04/15 16:39:46.51 0.net
 遺伝的、社会的にもマイノリティの世界の中で育てられたもの・・。は本性上、悪、意地悪、暴力を喜びとするもの、
憎しむものが破壊されるのを喜ぶ、・・その人は、「悪、意地悪、暴力を喜ぶこと」をすることが善になる。それが小なるものであっても。
 悪は相対的なのかどうか?つまり8時間労働しないものは怠け者だとして、8時間労働しないやつらを消す。そうすると今度は7時間労働するやつは
相対的に悪となる。そして、おまえ7時間しか労働できないのか?という怠け者のレッテルが張られる。7時間人間は消される。そして今度は6時間人間
が「おまえ7時間働けないのかよって。」言われる。こうして、一体全体、するべき労働時間の幅、や悪を次々消していったところで、「まだましなやつ」が繰り上がるだけである。
以前は犯罪者じゃなかったもののちょっと妖しかったものも、より「悪だったやつら」が消えたせいで、「今度はオレらの番かよ」。そういうふうになる。
で。絶対悪というものはなさそうだ。となる。メジャーかマイナーかの争いになり、グローバルか国家蝟、国家かテロか、警察かヤクザかとなる。しかしお互いが互いに必要としている。
結局パワーバランスとなる。(ニーチェの力への意志が「力関係」だとドゥルーズは言いたいわけで、それは合っているように思われる)。
スピノザもよく似た意地悪な問いをチルンハウスから受けたわけである。 これは各々、自分自身のポジションを守り、エゴイズムを貫くことが正しいのである。
日本人、や集団主義の場合、エゴイズムがいけないというのは、公共性がエゴイズムと重なるからである。スピノザの推奨は、公共性とエゴイズムが近くなる方が良いと
言っていた。エチカ第4部のどこか。エゴイズムと人が言う場合、個人なのか、代理なのか(後から組織から恩恵を受ける)見極める必要がある。

674:考える名無しさん
21/04/20 06:49:02.39 0.net
やっと、スピノザを語れる人が出てきたな?

675:考える名無しさん
21/04/20 07:53:33.44 0.net
ドイツで緑の党が高い人気を得ているのは、地元の政治で利害を代表するか、
国政において政権をとっていない限りにおいてだよ。フランスで政権をとるまで、
マクロンの「共和国前進(REM)」が圧倒的に人気を得たのと同じ。
「環境の正義」が「神の座」につくことができるには、人々が神の名において
血で血を洗う抗争を繰り広げたように、対立する利害を代表する人々が
「環境の正義」の名の下で互いに鋭く対立できるような状況になることが
要件となる。でなければ、与党の座につくことができたとしても、いままで
の与党と同等か、それを上回るグダグダの状況をもたらすことになるだろう。

676:考える名無しさん
21/04/20 07:58:13.03 0.net
皆が「環境の正義」に依りかかることができるようになれば、健康食品や
ダイエットなんかと同じように、それを信じていようといまいと、多数の
人々が活発にそれを商売として積極的に利用しようとすることになるが、
いまのところ、人々は、その「商売」が大部分、政府と大企業に独占され
ていると感じている。

677:スピノザ エチカのこと
21/04/23 02:38:57.50 0.net
なぜ、第二部、定理11につまずく・・とスピノノザは言うのだろう
 それは、神の本性を人間によって「説明」も表現しうるからである。
神の本性は「それ自身必然的」なので、あれか?これか?を選択することはないからである。
人間(神である限りの)と人間(人間である限りの)が区別されている。。。
これはスピノザを読むものは理解できるであろう、、。
これは人間というものが「非妥当的」に知覚、観念もしうることを言っている。
またこれらは弟2部、定理7が根拠になっている。
「なぜ、第二部、定理11につまずく・・と言うのだろう」のは、
繰り返し言えば、それは「人間が嘘をついたり、虚栄をはる・・」そういうことを行い得るからで、いろいろな身体の変状を多く知ること
によって、それらは正される、(どの属性でもよい)、
。つまり多く知るものは、必然性も知る。つまり、一応経験論の過程もあればよいかなって言っている。だが経験論は間違いうることも言っているのだろう、
 ちなみに、第2部、定理13、公理1と公理2は矛盾していないのかなぁて戻ってしまう・。。「変状を考えずにそれ自体で考察すれば」、それは分かる。
そして第1部定理1に向かわせる。。「実体は本性上アフェクティオ=変状)」に先立つ・・?そして
定義3に行く。。そうして、第1部定理1が証明になっているのかどうか?と思う。ここらへんだな、この天才・・
違うぜ、アフェクティオが先なのだよ。というのは、そんなに難しくがない。彼(スピノザ)はどんな苦労をしたのだろう。彼の知性は苦悩が見えるが
彼は、苦悩l、苦痛、・・それらは良くないものだ。そう言うだろう。そういうものを経ずに到達できる思想があるのだと。

678:考える名無しさん
21/05/02 23:54:35.64 0.net
>>676
そうなのだ。環境、sdgs(持続可能な開発目標)だとか、何やかんや言うている。ふざけているにもほどがある。
これらは、「それらの概念を用いて金儲け」する新たな手段の概念で、5年ごとくらいに出てくる。
お金以上の目的はない。そうすれば、中国のウイグル問題、香港、など武力で解決できるであろう。
日本の「コロナの水際問題」も解決できるであろう。中国に生産工場があるから・・人権はできない・・そういうことである。
結局、問題は経済しかなく、コロナ問題も「経済を悪くする限り」において問題で、そうでなければ、2番目の問題である。
「問題」はいつも経済でしかない。他の理由「温暖化、sdgs、フェアトレード、人権、地球に優しい、再生的商売・・」は経済の手段である。
人間は地球をリサイクルできないし、地球を「やさしく使う、過剰に」使う・・そういう判断の権限はない。地球そのものがわかっていないのだから。
わかっているのは、地球が冷える(惑星として)、隕石のブツカリで出来た火の玉の地球・・恒星ではない、なので冷える・
、太陽もいずれ膨張する。 いずれにしても「人間ごときが」あれこれ言ってもたいしたことではない。人間ごときが地球に物を
言っているのがバカバカシい。それなら、「自由に人間をやれ」。何が持続?誰が持続・・?極めて小さな問題・・プラスティック問題?
。んな問題は「科学存在しない」。どいつもこいつも小さな政治問題だ。プラスティック?使えばいい。二酸化炭素減らす?植物を殺したいのか?

679:考える名無しさん
21/05/03 20:05:00.51 0.net
ちなみにコロナのこと、茶番のことは、人口削減、高齢者削減のように思う。

680:スピノザを語る ・・ランボー7
21/05/04 13:21:51.15 0.net
 コロナ(初期、→中期(行動できない、中期2?→自分のイメージを越えなければ
ならないのに超えれれない)、コロナが終わるか、知事が変身する(発狂して)
終わるか、同終わるか分からない。 時はまだ来ていない、中間休止が
 
来ない、「徴(ツゥラトゥストラ)。 どちらも「同一性の叫び」であり、過去に生きていて、
彼らには「行動するには大きすぎる」これは、都知事、行政側のことを言っている。
 彼らオイディプスやハムレットのように今だ行為するに及ばない、。行動と等しくなる
というのは、オイディプスの場合は「預言者テイレシアス」の預言(予言ではない)
ハムレットの場合は、ポローニアスを殺すところではなく(それはある、欠如よる
 行動、オイディプスがまだ預言を聞いていないときである。ハムレットの後半は
恐らくレアティーズを殺してからだろうか。つまり、オイディプスとハムレット、アンティゴネー
ツゥラトゥストラは形式的に同じであり、ツゥラトゥストラは後半の悲劇が書かれていない。
(書くはずだったにちがいないとドゥルーズはいう)。つまり、前半の反復が何か出来事を
起こし後半へと反復するのだけれど、動物そのものを背負い(人間以外の形態、形相そのものとなり、行動するということなのである。
これら行動(過去のなかで)、中間休止=自我の破壊=行動に等しくなる。行動する。
こういうことをヘルダーリンは、オイディプス王とアンティゴネーにおいて発見したのである。
それと中間休止のこと、ニーチェの真夜中・・というのは何だろう。偶像(表象、宗教)
の黄昏であろうか。差異と反復(p.147~)

681:スピノザ1
21/05/08 00:29:05.71 0.net
観念→運動はない。 これはスピノザを理解しているかどうかの試金石でもある。
ドゥルーズも水泳のことについて、学習についてで語っている。
つまり「泳げ!」といっても泳げるようにはならない。観念→運動は存在しない。ただ観念=運動の平行があるだけである。
がんばれ!と言ってひとが「頑張る人」がいるとき、観念属性に働きかけており、その働きは働きかけられた人がその観
念に反応する場合に限りにおいて同時に延長(筋肉だとか)「に影響する。
これは、属性は他の属性に影響できないという当然のことである。だから属性が「神」でないのである。
これは、例えば、ある人がある人に「右足を上げて」というと命令されたその人が右足を上げた場合にも、これは観念が
延長に影響されたのではない。
観念が観念に働きかけたからである。そして「右足を上げる」運動を「すでにやったことがある場合に限る。
耳の聞こえない人を想像すると良いかもしれない。平泳ぎせよ・・と言って、いくら説明しても、平泳ぎできるようにはならない。
平泳ぎと平泳ぎの観念は平行であり、比例、類比は存在しない。運動としての平泳ぎと観念としての平泳ぎは一致することがない。 
そもそも「一致」という概念と概念なき運動は、「一致」というものが考えることができない。運動は「考え」ではないからである。
こういう風に考えるとデカルトの松果体という結論にいたる。つまり脳のことである。デカルトの松果体は本質をついて
いる、そして依然我々も同じ困難に陥っている。
。脳は精神系の物質を運動系の物質に伝えている・・というのでは物質のことしか語っていない。アドレナリンが出て「
興奮」「免疫力がおちる」
と「言う」のはトートロジーみたいなもので、「何も説明していない」。精神系の物質?物質の精神?

682:考える名無しさん
21/05/08 00:44:11.75 0.net
そもそも何が間違っているのか?それは、精神を物質で説明し、物質を精神で説明することから来ている。
・・スピノザの言うことが分かるだろう・・・。精神は物質を認識することだけで、それだけである。ひたすら認識である。
そして、物質に名前をつけ、区別し、精神(観念)の因果関係の必然性を追及することに尽きる。「自由」の観念が精神が物質を
動かす・・ような事態に陥っている。「自由」の概念は、「必然性」とか「運命」の概念と重なっている。自由の概念が本質をとらえるとき
それはまた「体」のメカニズムをとらえたときであり、マシンのマシンを捕らえたときであろう。メカニズムには「組織」の概念が不可欠だが
メカニズムを捕らえたければ「マシン」の認識が必要であろう。

683:考える名無しさん
21/05/08 01:18:02.19 0.net
で、習慣的に、とか「くせ」などはいちいち「意識」はいないであろう・・という。
それは、表象と観念を混同していることが原因である。ライプニッツの「微少表象」を
考えればわかるであろう。身体の何か、各々の部分は「各自に」指令しているのである。表象してなくとも(脳にあげなくても)
勝手に「観念」し、「動いている」のである。
つまり、身体の各部分は「脳がなくとも」考えているのである。それは当たり前だと、無意識の運動、はあるだろうよ・・と。
無意識とは、繰り返された運動であり、動物のものである。人間とは動物の「はみ出た」ところである。
人間という「形相」は動物の形相も背負っている。「超人」とは動物ごと変化することであるが、我々は「動物」も知らなさ過ぎるし、
細胞の心も知らないし、医学がいろいろ解明してはいるが、。本当に何にも知らないで、道徳的におしゃべりしているのに唖然とする・・。

684:考える名無しさん
21/05/30 02:01:47.80 0.net
スピノザの汎神論は、古代ローマのストア派哲学

685:イエス・キリスト
21/05/30 04:33:26.03 0.net
つまり自由と運命の概念、能動的と反動、意志と抵抗する意志・・これらが「偽りの対立」なのである。
というのも。
自由とは深く調べると必然性の認識でしかないからである。自由の概念はそもそも無条件で何でもし得る・・その「感情状態」を言っている・。自由の意識とそれが事実であることはことなる。・
 話し変わってオレは・・。?はて。、「父と子と精霊の御名において」・・。この認識はイエス・キリストの奇怪、ある人にとってはわかりやすいらしい。
自由=子供 。子=「世界に入り」 。父=世「界に入った」、。精霊=「せかいに入る感情」
 ニーチェはこれらを「掌のように分かる」と言っていた。これは難しい、要するにこれを手に取るように分かる・・。
オレもちょっと分からない。どういうことなのだろう。?
簡単だと、。そのような感情を認識するニーチェを理解するのは・・我々には難しい・・いったい何の話か。論理的に解明できなさそうだ・・。
そのイエスの感情をやはり理解できなく、やはり弟子らしく誤解するらしい・(弟子の慣例)・。即時的に幸福(快感ではない)に成ったイエス。あれこれ論理を考える弟子ども。
弟子は大体歪曲する。・・・・。
そしてまたその幸福状態の条件をひねくって考える弟子たち。(要するにイエスと同じ経験をしていないので分からない)、イエスの成立条件を、イエス自身と同じ体験をしていない?・、

686:責任の概念
21/05/30 04:34:45.54 0.net
 この「いつわりの」概念は、自我の概念からきている。
ある少年が才能があっても、母親が耳が聞こえなく、父親が酒飲みだとする。その少年はその才能が開花されないだろう。
しかし、本当に「聡明」には育たない・・とする。しかし、そういう状況ながら「聡明」になって、生い立ちの条件が
「己の育ちに影響した」そう思うだろう。それは両親にも言えることだ・・そういうことを知るだろう。その両親の親にも同じことが言えるだろう・・
そういう全部のことを聡明な少年は知るだろう。そして、少年自身も「まともな親」になるのに「必要なこと」は学べなかった・・。そういうだろう・。
そして己自身も、親も、誰も責任がないことを知るだろう。
・・・・そして「まともな親」「正常な親」というのが、ある社会の「要請」であることを知るだろう。その概念が「いつわり」だと知るだろう・
そして、もっと学んだ少年は「正常な」という嘘の概念が社会に必要なのか?と思うだろう。自由意志というのは無いことも知るだろう。
でも、自由意志が「存在」するがごとくに振るまうしかないことを知るだろう。「王様は裸」だとは言えない、ご立派な衣装です・・そういい続けねば
ならない、そういい続ける・・それが「社会」だとしるだろう。ホントウのことを言えば社会はつぶれる・・。嘘ばかり言い、舌先三寸で「生きてる」ものも
必要なのか?と問うようになるだろう。「正常よりの嘘」をいうことを「常識をしる」ことだと知るだろう。医者が我々を助けるのではなく、我々が医者を助けている
そういうことを知るだろう。そういう事態があちこちであることに気づくだろう。もっと考えると「媒体業」がもっとも薄汚れていることに気づくであろう。
「銀行」「人材派遣」「テレビ」これらは、自らは仕事しないで儲ける職業だと気づくであろう。富豪が自ら働かず、金を与えて働かすだろう。
これらの職業は、己たちは「中立」「公平」という嘘で、「他人に意見」を言わし、いつまでも自分たちは「透明」だというだろう。何にも労働してないのだから。
彼らは「自らが滅びない限りにおいて」「その程度に至らない限り人々に優しい」だろう。そしてこれらの対立が、遠くに見えたユダヤ人問題だということに気づくであろう。

687:スピノザ、ドゥルーズ
21/05/30 04:43:08.74 0.net
 ジル・ドゥルーズ氏の「差異と反復」の結論あたりの文章で、スピノザが「ただひとつ間違えた」というのは。という文言がでてくる。
 それは差異が差異であることは、精神、延長の概念にだけに還元できないということである。同じ平面を有しない差異なのでそれらは
多義性と、差異といわれるのであって
比較(比例、類比)が不可能であるからこそ差異と呼ばれるのである。
差異の多様性は「本当のデコボコ、凸凹であって」、その差異を「属性」に還元する、演繹するのは間違い」であって、
「差異の即時」」を「己以外」によって説明するからである。 スピノザ・・エチカは、は「属性の多様性」を言いながら、二元論的な解釈も許す
ことができうる・・・・ように見える・・。ただ我々はスピノザは「他の属性」の存在を主張していたことは知っている。精神、物質。属性は二種類だけだという理由はない。
「?」属性があり、それを我らが「思惟、精神」属性によって「認識」できうるかどうかはわからないのである。
「差異が存在する」というのは、一義的には言われない。一義的であるというのは「比較」」「類比」を意味しているからだ。
「永劫回帰」は一義的の反対であり、「反復の即時、独自」である。「義」とういう概念が分かりにくいのは、義が延長概念の上下、精神の概念の優劣
を含むのを思わせる。差異が「対立」「矛盾」と何の関係もないことを考えればわかるけれど、。

688:スピノザ、政治
21/05/30 05:01:19.79 0.net
 文化、法体系、常識、これらは全部「偽りの概念の」もとに運用されている。我々が嘘の世界で生きれるのは、、
我々の感覚が元になっている。
  自由の概念はほぼ笑いたいほどウソで満ちている。我々は条件付けられているのは明らかで、感覚も「ウソの生産」で必死であり(生物自身の思考がサキドリする)、それを前提とする思考なども
二重に間違えている。ベルクソンが言うように知覚そのものが類似の原型を作っている。
 そういうデタラメ、科学もそうだが・・、。デタラメな思考の人をよく目にする(要するにコチラから見ればある公準に従ってものを言っている人)。
無規定で、自由で、根拠を持ってる人・・・・これらの人々は「奴隷」である。この原因は条件付けられた人が、その条件を害する理由がなかったということに元ずく。なので金持ちに多い。
なぜなら、「障害物」に出会いもしないし、己を
拘束され、規定され、自由などウソくさいと、パントマイムよろしく透明の壁の存在を察する人・・は逆に「自由人に生成できうるであろう」?か。


689:自由
21/05/30 05:03:36.28 0.net
 ドゥルーズが哲学とは何か?と問われたとき「真の自由の概念」の認識
だと答えた。「偽の自由の概念」の「意思の自由」これらが、人々を愚かにしている。政治を変えるのは「選挙」だという人の言い分が一見合理的だが。大概頭が悪い人だ。これらの推論の根拠は法が
正しい・・からきている。 法の成立根拠や、法のベクトルを何にも考えようとしない。「責任」というむかつく偽りの概念などといえば、
その人は年齢に関わらず「老害者」のレッテルを貼り付けるべきだろう。
 攻撃を「絶対的に忌避」するものは、時と場合によって「馬鹿者」である。それは、法による暴力もありえるし、ありえるどころか法はいつでも「有無を言わさず」襲ってきて、反論を許さない大きなハンマーであるから。
ときおり、ゆるく、優しいのはこの大きなハンマーの土台を固めるためである。攻撃をしらない人を時折みかける・・。反撃もできない??そういう人が存在する・・。飼いならされすぎたか、幼児なのか?
そのような存在でいて、いられたということ。反論できないので反論を演じる・・。
観念ができなければ、・・行為もできない・・。
関係ないけれど、ニーチェが「おのれがダイナマイト」だというとき、比喩ではなくダイナマイトなのである、ハンマーで哲学するというときも同じで、暴力の行使であり、怒りなのである。

690:考える名無しさん
21/05/30 09:11:07.43 0.net
清貧な感じだよ

691:考える名無しさん
21/06/01 12:45:25.02 0.net
印象批評では物足りない

692:考える名無しさん
21/06/07 11:25:36.43 0.net
 ニーチェが「おのれがダイナマイト」だというとき、比喩ではなくダイナマイトなのである・・ という「。
これは「発破」に使う(「物理的なダイナマイト)・・の概念を、概念自体が変形している。
。というときダイナマイトの概念が変形する。これはニーチェ自身も知らない。我々はいつも我々を表現した際h表現」を行為しているのである。
 
 大事なことは、ドゥルーズも言っていたが、概念を疑うことなのである。「法」「正義」「科学」などの概念が「ふんわり成立」しているもの、
「ふんわり成立し、で生成できない」概念であるということだ。キルケゴールがヘーゲルに対して言っていることは「対立」「矛盾」の概念が
運動に関わらないこと、概念の変化を受け入れるのには抽象的で大きすぎるということだ。
 これはドゥルーズがハイデガーの「存在」に対して
言っているのと同じである。運動を抽象的概念に回収しても、その概念が運動に関わらないということである。ハイデガーは

 存在」がその「由来」するものに基づかない・・って言っても。つまり「差異と反復」のドゥルーズのハイデガー批判のことである。
これは、ハイデガーが執拗に「存在」に固執して、意図せずとも・・「差異」を同一性に「回収」するからである。
だから、概念を運動させねばいけない、ということである。ニーチェが「体系家」を信じないというのは、そういう者は運動を抽象的に
整理するだけで、何にも生成に関わらないように見えるからである。
で、皆がいう哲学はつまらん・・屁理屈だとかいういわれの原因になっている。そんなことは「知っている」というものは浅い。
己らが「何をしている」の一端を我々は捕らえた。

693:節制のこと
21/06/15 12:32:36.46 0.net
快 楽が手段であって、その逆ではない。「快感原則の彼岸」とは、快感は「それの」手段であり、快感は「向こう」へ行こうと生成する。「快感」は己のなした
ことによって、己が変化する。「快感を目的」にしているように見えるが、「快感自身」の変異を「行っている。快楽は手段なのである。そういう予感は
自我をも壊しかねない。でも進むのである。恒常性の破壊の印を見せる。また快楽の条件が外部にたくさんある。こういうことで、節制は出会いにも制限を設ける。
 すなわち、恒常性、同一性を破壊しにくることと同じなので
己を折りたたみ理性として・・・例えば性行為のときにある種の破壊、
精神におけるパニック障害におけるパニックが怖い」のは差異が自立して「己の」行きたいところに行くという。・・それらを避けるために「己の世界を」せまくする必要がある。
それが節制なのである。

694:面白いこと
21/06/15 12:38:53.81 0.net
 古代ギリシアで・・へクトールは馬車で引きずられた。パトロクロスも引き回された。
こういうことは理解できうる。しかし、アポロンがプラトンとアスクレピオスを産んだ・・・という。
。。こういう「神」と「人間」の同一平面?どう理解すべきなのだろう?
トロイア戦争にゼウスやら神が参加している。神々と人間が「普通の関係」をしていたり、
神々が人間にあきれていて、いつも注意するし、・・大概人間に怒っている神々・・。
そして罪や罰は神々のせいである・・。キリスト教と違って、神は人々の罪、罰を引き受けるのである
ギリシアの世界に我々は入れていない気がする。どういう世界だったのか?「二千年もたつのに神が生れないとは」
とハイデガーは言った。こハイデガーは古代ギリシアに行こうとして、ナチスに行ってしまった。まことに古代ギリシアに行くことは難しい。
古代ギリシアとはソクラテス以前、まだまだ神々が本当に生きていた時代だ。

695:自分自身に書く
21/06/23 20:37:04.12 0.net
>>689
 の発言はオレなのだが、いろいろ誤りがある。責任の概念は強者の由来であるし、虚構の概念の中でも存在しなければ
ならない概念でもある。ただ、強者、弱者の概念もそのように「責任」の「概念」自身が誰でも運用できるので
すなわち我々の世界に巻き込まれて機能しているので、「偽り」とか要っても仕方がない。
「老害者」とか言っていたが、それは、ちと言い過ぎた。もっとも無力感を感じているのは、若者も老人も同じで、
ある。レッテルを貼るべきとか言う狂暴な発言もだめだ。恥ずかしい限りだ。オレとしたことが・・。
まあ、一応。。

696:一義性、多義性
21/07/03 17:48:35.26 0.net
欲望、快楽、それ自身はよい。欲望という概念が「怪しい」。大きすぎる。欲望と「生」という概念が」同じすぎる。
欲望以外の「何か」が存在するかのようだ。やはり「欲望」の概念が大きすぎる。
「ある人と話したい、肌に触れたい、嫌な感じの人に接触されたくない、ある人を殴りたい、ある人と性的関係を望む意」・・
それらが全部「欲望」の名で「一緒くた」にされている。欲望は「ヴァリエーション」に満ちている・・。といっても
相変わらず「欲望」の多様性であって、「欲望自身は「変化の元」であると認識されている。
欲望というで多様な「欲望」をまとめて」しまう。それは「欲望」の一義性のことである。欲望を「存在」と言い換えても同じようだ。
で、多義性、多義的というのは、「欲望」の一犠牲の破壊である。例えば、あるタイプの女性とセックスしたい。女性の着衣の状態が
良い。え・・・パンツを集めたい・・。俺は細い男性が好きだ。・・そういう多様性が「そのまま」の表現で、性欲、欲望ではなく・・、変態」というが「そのまま正常
というふうに」言われたならば、それは欲望の多義性で、「欲望」観念の破壊である。だけれども便宜上は使われるけど。
性的行為、登山したい、人を殴りたい、・・側溝に寝て女性を下からみる、これらは変態の種類であり、であるから、「同じ」だといえる。「差異が同じ」というのはこういう意味で言われる。
数的に区別されうるが、つまり「正常、異常」は数的区別だというまあ普通の結論に至る。そして言いたかったことは・・人間のあらゆる行為は「それ自身」で非難されない。
つまり「恥ずかしい行為」は無い。存在しない。「恥ずかしい」は「メジャーの人がお前がマイナーだと言う」・・、でマイナーの人も「メジャーの考え」に成っている限りにおいて成立する。
ニーチェが「「偶像の黄昏」において、「達成された自由の印は己自身に恥じないこと」といっていた。それこの人を見よ」で、恥ずかしげも無く「私はなぜこんなにも賢いのか」
ということなどを書いた。思想が実行されている。・・。で「偶像の黄昏」で、「一番悪いこと」は・・「人を辱しめること」だと。

697:ニーチェが間違っていると思う。
21/07/03 18:00:06.90 0.net
 ショーペンハウアーやプラトンは、「美において生殖活動はされる」と言う意味のことを言っている。
そういうことを「偶像の黄昏」で言っているニーチェ。
これは、として女性を性的対象と見る場合に、美人過ぎると「どうもなあ」とか、整いすぎて「どうもなあ」
という事実があるので、ショーペンハウアーやプラトンの言うこともわかるのである。
というわけでニーチェ氏は、ちと「あんまり分かってない言葉なあ」。そういうことです。
美と魅力(引き付ける力)には差異が存在するということだろうと思う。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch