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浅田彰は誰よりもスピノザを理解している
ただし浅田彰自身はライプニッツ的多元論の人だからスピノザを
理解しているとしたらスピノザを批判せざるを得なくなる
だから理解できないということにしているのだろう
《ジル・ドゥルーズのわかりやすい言葉でいえば、この現実のほかにいろんな可能性があるという
ことではなく、ほかならぬこの現実が潜在性においていかに多層的で豊かであるかを発見するこ
とが重要なんだ、と。そこのところを、そのあとで出てきたSFやアニメやコンピュータ・ゲームの類
は全部間違えている。(略)本当はこの現実しかない、言い換えればメタロジックなんてものはな
いんだから。》浅田彰
「オウムとは何だったのか」 『諸君! 1995年8月号』(文藝春秋)所収
『「オウム事件」をどう読むか』 (文藝春秋)再録
この浅田の発言に呼応するものとして、以下の言説がある。
《クリプキが現実社会から出発して可能世界を考えるとき、その現実社会とは、素朴な経験的世
界ではなく、すでに可能性から見られた現実性の世界である。ここに一種の循環がある。クリプ
キの批判者はこの論理的循環を衝く。しかし、この循環は、「現実性」が「可能性」なしに考えられ
ないということにすぎない。最初にのべた多数世界論に欠けているのは、この現実性なのであ
る。》(柄谷行人『探究2』(単行本版p52)