スピノザat PHILO
  スピノザ - 暇つぶし2ch350:考える名無しさん
18/10/25 21:32:59.46 0.net
精神世界と物質世界は、同時平行で進行している
両方とも、神が持つ2つの性質の表れ

351:考える名無しさん
18/10/25 21:36:43.53 0.net
「自然」が物質世界だけを指しているのなら、わざわざ「神」という必要はない
そこには精神世界、つまり、人間の心の中の観念も含まれる

352:考える名無しさん
18/10/25 22:08:24.39 0.net
カントを先に読んでいたんだが
カントとはア・プリオリの使い方が違っていて混乱した思い出がある
もっともスピノザの特別な用語の使い方じゃなくてデカルトもそうだったんだけど

353:考える名無しさん
18/10/26 06:50:48.43 0.net
スピノザのいう「自然」は、現代人が「自然」と聞いてイメージするものとは、だいぶ異なる(そもそも、訳語だし)
起源は古代ローマのストア派哲学なので、それを知っとくと意味が分かってくる

354:コピペ
18/10/26 06:57:16.69 0.net
ストア派の哲学は、古代ギリシャのゼノンという人物による思想で、「禁欲主義」と呼ばれています。
ちなみに、「ストイック」という言葉はこのストア派に由来します。
そのことからもわかるように、ストア派の哲学では理性(ロゴス)によって感情(パトス)に打ち勝つことを目指します。
そして、それによって感情に負けない心(アパテイア=不動心)という究極の境地に到達することが幸福だと考えます。
財産や地位など外的なものを欲する感情に打ち勝ち、理性による自己鍛錬で徳を高めていこうというわけです。
それこそが幸福の道だと。

355:コピペ
18/10/26 06:57:58.19 0.net
ゼノンは「自然に従って生きよ」とも主張しました。
何も文明を捨てて自然の中で暮らせとか、食品添加物は食べるなとか言っているわけではありません。
全宇宙を貫く自然の法則は、全てが必然で合理的なものであるから、「人間もその秩序に従って生きるべきだ」という意味。
富や名誉といった人間の欲望や感情に起因する物事に縛られていることこそ不自然であり自然の摂理に合致していないというわけです。
だから、そういった人間のちっぽけな欲望や感情に理性をもって打ち勝ち、自然に従って生きよ、というのがストア派の哲学。
人間の欲望や快楽に飲み込まれることなく、宇宙の秩序と法則に従い自然の全体と一致して生きれば、心の安らぎが得られると説いたわけです。
現在一般的に使われる「ストイック」という言葉のイメージとは少し違いますね。
ストア派の哲学は、どちらかというと修行僧のようなイメージに近いかもしれません。

356:ウィキペディア
18/10/26 06:59:13.48 0.net
ストア派(希: Στωικισμός)はヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めにキティオンのゼノンによって始められた。
破壊的な衝動は判断の誤りから生まれるが、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人はこの種の衝動に苛まされることはない、と説いた。
ストア派が関心を抱いていたのは、宇宙論的決定論と人間の自由意思との関係や、自然と一致する意志(プロハイレーシスと呼ばれる)を維持することが道徳的なことであるという教説である。
このため、ストア派は自らの哲学を生活の方法として表し、個々人の哲学を最もよく示すものは発言内容よりも行動内容であると考えた。

357:ウィキペディア
18/10/26 07:01:12.42 0.net
ストア倫理学では決定論が支持される。ストア的な徳を欠いた人間に関して、邪悪な人間は「車にくくり付けられた犬のようなもので、車の進む方向へどこにでも行かされる」とクレアンテスは考えた。
対照的に、ストア派の徳は人間の意志を世界と一致するものへと修正し、エピクテトスの言うところによれば、「病むときも幸福で、危機の内に在るときも幸福で、
死を迎える時にも幸福で、追放されたときにも幸福で、恥辱を受けた時にも幸福[7]」であらしめるために、「完全に自立的な」個人の意志と同時に「厳密に決定論的な統一体」である世界を断定する。
この思想は後に「古典的汎神論」と呼ばれ(、オランダの哲学者バールーフ・デ・スピノザに採用され)た[9]。

358:ウィキペディア
18/10/26 07:02:29.87 0.net
ストア派によれば、世界は物質的で、神あるいは自然として知られている理性的な実体であり、能動的・受動的の二種類に分けられる。受動的な実体は物質であり、「何にでも使える実体だが不活性で、何者かによって運動を加えられないと動かないままでいる[17]」
運命あるいは普遍的な理性(ロゴス)と呼ばれる能動的な実体は知的なエーテルつまり原初の炎であり、受動的な物質に働きかける:

359:考える名無しさん
18/10/26 07:03:56.76 0.net
世界それ自体が神であり、世界が自身の霊魂を流出する;
それは同じ世界を導く原理であり、物の一般的本性やあらゆる物質を包含する全体性とともに心や理性の中で働く;
運命づけられた力と未来の必然性; それにエーテルの炎と原理;
さらに水、大地、空気のような本来の状態が流動的・遷移的な諸元素;
それから太陽、月、星々;
これらと、全てのものが内包されるような普遍的存在が含まれる
—クリュシッポス,キケロ『神々の本性について』第I巻より

360:考える名無しさん
18/10/26 07:06:12.47 0.net
「読書百遍、意おのずから通ず」というけど
エチカを百回よんだって、スピノザの言ってることは理解不能
でも、古代ローマのストア派哲学を予備知識として知っとくと、急に分かってくる

361:考える名無しさん
18/10/26 07:12:18.37 0.net
ニーチェやハイデガーもそうだけど、キリスト教のドグマに異論を唱える人が拠り所にするのは、やっぱり、ギリシャ・ローマの古代思想
要するに、「キリスト教が普及する以前に還れ」ということになる

362:考える名無しさん
18/10/26 07:26:33.08 0.net
柄谷行人『哲学の起源』第四章2でスピノザの先行者として言及されたクセノファネスに
関しては、URLリンク(happy.ap.teacup.com)
URLリンク(www005.upp.so-net.ne.jp)等を参照。

「しかしもし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら/
 あるいは手によって絵をかき/
 人間たちと同じような作品をつくりえたとしたら/
 馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿をえがき/
 それぞれ自分たちの持つ姿と同じような身体をつくることだろう」
(クセノファネス断片15)
参考:
「もし三角形が話す能力を持つとしたら、三角形は同様に、神は優越的に三角形であると
言うでしょうし、また円は円で、神的本性は優越的意味において円形であると言うでしょう。
そして、このようにして各人は、自己の諸属性を神に帰し、自己を神と類似のものとし、その
他のものは彼には醜く思われるでありましょう。」
書簡56(スピノザからボクセルへ)『スピノザ書簡集』岩波文庫261頁より 
ただしスピノザは定義に起成原因を求めている点が優れている
例えば円の定義には円を作図する方法が含まれるべきなのだ
(参考『探究2』柄谷行人) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63)


363:学術
18/10/26 08:02:54.98 0.net
思い返して秩序に従ってもかぶるじゃん。

364:学術
18/10/26 08:03:52.55 0.net
思い返して秩序に従ってもかぶるじゃん。

365:学術
18/10/26 08:03:53.83 0.net
思い返して秩序に従ってもかぶるじゃん。

366:学術
18/10/26 08:04:26.47 0.net
思い返して秩序に従ってもかぶるじゃん。

367:学術
18/10/26 08:04:45.71 0.net
思い返して秩序に従ってもかぶるじゃん。

368:考える名無しさん
18/10/26 08:07:21.70 0.net
新プラトン主義的でもあるとも言える
デカルトは必須として
結局いろいろ読まないと理解出来ないというのは確か

369:考える名無しさん
18/10/26 13:11:12.38 0.net
まあ、論語も孟子も知らずに、荻生徂徠や伊藤仁斎を理解しようというようなものだからな
無理がある

370:考える名無しさん
18/10/26 16:32:26.94 0.net
小林秀雄の『本居宣長』
孔子はともかくそういった人びとについてまったく知識がなく挫折した
今も読んでない俺を叱ってくれ

371:考える名無しさん
18/10/26 18:52:19.85 0.net
本当にダメな奴

372:考える名無しさん
18/10/26 21:33:31.35 0.net
そもそもそんな書を読む必要はないでしょ
もう少し言うと
「エチカ」も読みづらくてつまらないから読む必要はないと思う
さらに言うと
読み了えた所で、どうせ死んでしまうし

373:考える名無しさん
18/10/26 22:09:05.00 0.net
そうだね
プロテインだね

374:考える名無しさん
18/10/26 23:34:41.93 0.net
惑星ソラリスとスターウォーズを見ればエチカがわかる
逆にエチカを読めば上の映画をもっと楽しめる

375:考える名無しさん
18/10/26 23:38:58.85 0.net
 《スピノザの哲学は (「人間」的なものの籠絡からの)静かなデタッチメントの哲学だ。
すなわち、われわれの身体が物質宇宙の一部分であるように、われわれの思考も無限な
思考宇宙 の一部分である。われわれに思考があるのにわれわれがその部分である自然
に思考がないとするのは不自然である。われわれの中で事物自身が事物自身について
肯定したり否定したりするようになったとき、われわれの精神は「自動機械」となって、自分
のいる場所(自然)がずっと「神」であったとわかる。カメラが引いていくと、帰還した地球の
故郷が実は惑星ソラリスの変様部分であるのが判明するあのタルコ フスキー監督の「惑星
ソラリス」のラストシーンを思い出す。》
(上野修、講談社『本』5月号「スピノザから見える不思議な光景」より)

376:考える名無しさん
18/10/26 23:48:19.39 0.net
>>375
そういうことでしょうな。
「物質世界と精神世界が、並行して同時進行している」というのが、スピノザの世界観の核心
われわれ人間の身体は、あきらかに物質世界の一部として存在している
であれば、われわれ人間の精神もまた、同じように精神世界の一部であるはずだ

377:考える名無しさん
18/10/27 00:04:36.82 0.net
物質世界も精神世界もともに、自然=神の表れた姿

378:クリスチャン
18/10/27 04:04:18.67 0.net
お前ら、死後は地獄行き~

379:さび抜きで
18/10/27 07:00:20.30 0.net
山葵(わ・さび)≒"diminutive+さび"でしょうか
ちょっと寂びを感じるんでしょうね

380:考える名無しさん
18/10/27 08:48:37.30 0.net
古代ローマ哲学を、デカルト風に書いたのがスピノザ
古代インド哲学を、カント風に書いたのがショーペンハウアー

381:考える名無しさん
18/10/27 08:59:32.73 0.net
肉体的快楽を全否定せずに凡庸な快楽主義からいかに脱するか?

382:考える名無しさん
18/10/27 09:23:26.15 0.net
エピクロス派の哲学を再検討したらいいのでわ

383:学術
18/10/27 09:25:11.44 0.net
隠れて生きよ。か。アナトールフランスのテクストも日本翻訳ですら、質が高い。

384:考える名無しさん
18/10/27 10:57:40.38 0.net
スピノザ哲学の要点は
デカルトが
精神
身体

確立させたヒエラルキーを

身体ー精神

並行に捉えたということ

これはデカルト哲学の根本的な読み直しでかつ
デカルトへの最大評価でもある
歴史的な第一歩で
人類にとって不可逆的な進歩なのだ

385:考える名無しさん
18/10/27 11:39:32.24 0.net
>>384
デカルトくらい、殆どの哲学者が論破してるのに、デカルトごときで、何の自慢があるのやら

386:考える名無しさん
18/10/27 14:35:53.40 0.net
さすがにそれはデカルトを見損ない過ぎ
例えば学校で見てきたx軸とy軸の直交座標系はデカルトがもたらしたもの
彼が「整理した」(心身二元論的思考は古代ギリシャはもちろん東洋にもあったといえばあった)心身二元論もビックリするほど現代に影響を与えている
他にもたくさんあって枚挙の暇がない
デカルト自身の形而上学がそのまま採用されることはほぼなくなったとはいえ
デカルトを抜きにして現代のあらゆる思想は語れない
明白な間違いが彼の思想にはあったのだろうが
それゆえにこそ我々が乗り越えるべき地盤を作った人でもある

387:考える名無しさん
18/10/27 17:22:51.23 0.net
おれはなぜいまここでスピノザなのかを聞きたいんだよなあ

388:考える名無しさん
18/10/27 17:42:00.33 0.net
延長的世界観に支配されたといっていい現代社会において
その世界観がそもそもどこに由来するのだろうかと考えるとだいたいデカルトに行き着く
しかしスピノザを見るとデカルトに大きな影響を受けつつも思惟(精神)を自然から放逐してはいない
デカルトとは別の、そして今日とは別の形而上学体系を構築している
それはいったいいかなる考え方なのだろうか
スピノザの思想は今現在生きているわれわれの生の問題に現代諸科学とは別の側面から、というか別の次元からアプローチ出来るようにさせてくれるのではないか
とか考えろ
逆に現代の科学信仰にまったく違和感を覚えておらず人生も充実しているなら
多分読む時間が無駄になるから自分のお仕事や研究に邁進してどうぞ

389:考える名無しさん
18/10/27 22:02:23.08 0.net
>>387
プラトン的なものとアリストテレス的なものが、手を変え、品を変え、違う形で何度でも再登場するのが、哲学の歴史
今は、新プラトン主義が復活しているのではないか?

390:考える名無しさん
18/10/27 22:35:16.80 0.net
>>387
>おれはなぜいまここでスピノザなのかを聞きたいんだよなあ
オレも、なぜいまここでスピノザの哲学が必要とされるのか、
自分の人生にスピノザの哲学が「なくてはならないもの」なのかが聞きたい
それこそが本質論だろう

391:考える名無しさん
18/10/27 22:45:36.06 0.net
それこそ自分で読んでみて「なくてはならないもの」と見極める問題では……
ほかの哲学でも科学でも宗教でもなんだったらスポーツとか芸術とかそういうのでもいいだろ

392:考える名無しさん
18/10/28 02:02:47.96 0.net
デカルトもそうだしスピノザも、本人は思いっきり新プラトン主義にハマっているのだが、後世から見ると「脱・宗教」の先駆者

393:考える名無しさん
18/10/28 02:04:11.32 0.net
デカルトにはアウグスティヌス、スピノザにはゼノンの影響が顕著であることが、たびたび指摘されている
両方とも、古代ローマ帝国期の人だ

394:考える名無しさん
18/10/28 02:07:27.68 0.net
日本では、デカルトとカントについては、高校の倫理の授業のおかげで、世間の一般人も普通は知っている
スピノザだと、普通の人はまず知らない

395:考える名無しさん
18/10/28 02:10:27.16 0.net
現代人にとっては、汎神論や決定論よりも、言論の自由や、思想の自由を唱えたという、社会思想史上の意義のほうが大きいように思われる

396:考える名無しさん
18/10/28 02:24:55.89 0.net
誰でも、という時代だものね
中島義道のチラ見した本で「現代では哲学の門はすべての人に開かれている。カントも百姓や大工に読まれるとは考えなかっただろう」という意見を書いてた
限定された知識階層で回してきたものが、下から這い上がってきた素材と努力の善く結合した人間に思いきりひっくり返されることがよく起こると思う
そうなると、汎神論というのがついに現実に姿を表したという風に私は見る

397:考える名無しさん
18/10/28 07:51:29.80 0.net
新プラトン派ないし新プラトン主義(neoplatonism、ネオプラトニズム)とは、西暦205年~270年ごろに生きていたギリシアの哲学者であるプロティノス(Plotinos)を創始者とする哲学思想の潮流であり、
新プラトン派においては、プラトンのイデア論の思想に基づいて、現実の世界における具体的な事物の背後には、真なる実在としてのイデア(idea)が存在する観念の世界であるイデア界があるとされ、
そうした真なる実在としてのイデアが存在する知性的世界(イデア界)と、現実の世界における具体的な事物が存在している感覚的世界(現象界)という二世界論において世界の構造がとらえられていくことになります。

398:考える名無しさん
18/10/28 07:53:07.96 0.net
認識においては、自分自身の魂の探求から、自らの始原である知性、そして、さらにその大本にある究極の根本原理である一者へと到達し、
自らの存在の根源にある一者へと帰一することが哲学的探究の究極の目標であるとされることになります。
そして、
こうした新プラトン派の認識論においては、エピクロス派における認識の区分と同様に、知性による認識のあり方は、
部分から部分へと論証を積み重ねて真理へと迫っていく論理的思考と、事物のあり方全体を一挙に把握する直観的把握という二つの認識のあり方に分けて捉えられることになるのですが、
人間の魂自身は、論理的思考しか行えないため、部分から部分へと論証をつなげていく際に、その思考の過程に誤りが生じてしまうという不完全な認識にとどまるのに対して、
直観的把握の方は、全体を一挙に把握するため誤りが生じ得ない完全な認識であるとされ、
そうした完全な認識のあり方である直観的把握は、魂がその始原である知性へと純化していくことによって得られる純粋な知性の働きによってもたらされると説かれることになります。

399:考える名無しさん
18/10/28 07:53:23.49 0.net
つまり、
人間の精神がその究極の原理である一者の認識へと到達するためには、哲学的探究と自分自身の魂の内省を経て、その精神を知性へと純化して高めていくことが必要であり、
そうした一者に対する究極の認識は、自己自身を含むすべての存在をその根拠から一挙に捉えるという純粋な知性の働きに基づく直観的認識によってもたらされるとされることになるのです。

400:考える名無しさん
18/10/28 07:54:52.63 0.net
・・・という具合に、新プラトン主義の存在論や認識論を見ていくと、そのまんま、スピノザ哲学そのものだってことが分かる。
スピノザ哲学というのは、新プラトン主義の一種だと言える。

401:考える名無しさん
18/10/28 08:03:29.35 0.net
ルネサンス期のイタリアでは、フィチーノやピコ・デッラ・ミランドーラといった人々が出て新プラトン主義を創始し、古代ギリシャ・ローマの哲学を復興した。
デカルトとスピノザは、古代ギリシャ人・ローマ人の思想を直に学んだというよりは、こういうルネサンス期の新プラトン主義から強い影響を受けたと考えられる。
さらに、当時はまだ哲学といえば中世のスコラ哲学だったため、彼らもスコラ哲学をしっかりと学んでいた。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」、「すべてを疑う」という元ネタは、聖アウグスティヌスだと言われている。

402:考える名無しさん
18/10/28 08:08:20.06 0.net
ここはスピノザスレなので、新プラトン主義については別スレを立てた
URLリンク(itest.5ch.net)

403:考える名無しさん
18/10/28 08:10:14.47 0.net
結局、浅田彰がなんで「スピノザというのがよく分からない」なのかというと、彼は20世紀の唯物思想からこの道に入ったため、新プラトン主義の素養がないからであろう。

404:学術
18/10/28 08:10:50.15 0.net
本だけ読んで哲学を頭に詰めるだけも汚い生き方だろう。
哲学者 若手の課題。

405:学術
18/10/28 08:11:59.98 0.net
イデアと違う世界の構成の相手に世界を善意で押し付けるきらいがあるな。
もっとよく考えてみなければならないところだ。

406:考える名無しさん
18/10/28 08:39:23.05 0.net
浅田彰は誰よりもスピノザを理解している
ただし浅田彰自身はライプニッツ的多元論の人だからスピノザを
理解しているとしたらスピノザを批判せざるを得なくなる
だから理解できないということにしているのだろう

《ジル・ドゥルーズのわかりやすい言葉でいえば、この現実のほかにいろんな可能性があるという
ことではなく、ほかならぬこの現実が潜在性においていかに多層的で豊かであるかを発見するこ
とが重要なんだ、と。そこのところを、そのあとで出てきたSFやアニメやコンピュータ・ゲームの類
は全部間違えている。(略)本当はこの現実しかない、言い換えればメタロジックなんてものはな
いんだから。》浅田彰
「オウムとは何だったのか」 『諸君! 1995年8月号』(文藝春秋)所収
『「オウム事件」をどう読むか』 (文藝春秋)再録

この浅田の発言に呼応するものとして、以下の言説がある。
《クリプキが現実社会から出発して可能世界を考えるとき、その現実社会とは、素朴な経験的世
界ではなく、すでに可能性から見られた現実性の世界である。ここに一種の循環がある。クリプ
キの批判者はこの論理的循環を衝く。しかし、この循環は、「現実性」が「可能性」なしに考えられ
ないということにすぎない。最初にのべた多数世界論に欠けているのは、この現実性なのであ
る。》(柄谷行人『探究2』(単行本版p52)

407:考える名無しさん
18/10/28 08:41:03.25 0.net
新スレたてたが、すでにあった
URLリンク(itest.5ch.net)

408:考える名無しさん
18/10/28 08:41:49.47 0.net
>>406
そりゃそうだろうな
あれだけジル・ドゥルーズに傾倒したんだから、ドゥルーズを通じてスピノザにも慣れ親しんだであろう

409:考える名無しさん
18/10/28 08:42:17.78 0.net
スピノザ研究は、ドゥルーズのライフワークと言ってよい

410:考える名無しさん
18/10/28 08:45:10.86 0.net
しかし、現代の唯物論者たちは、スピノザを「無神論の祖」として評価している
スピノザ本人にとっては、心外なことであろう

411:考える名無しさん
18/10/28 08:45:44.54 0.net
スピノザとライプニッツの調停法は一つしかない。
可能世界のない世界が可能世界的に一つだけあるということだ。

412:考える名無しさん
18/10/28 09:11:54.30 0.net
プロティノスをはじめとする新プラトン主義の哲学者とライプニッツの関連が問題になるが、これについては、かなり明瞭なつながりが認められているようだ。
たとえばドゥルーズ「襞----ライプニッツとバロック」には、ライプニッツのモナドという言葉は、新プラトン主義の哲学者の用語に由来すると書いてある。

413:考える名無しさん
18/10/28 09:12:32.43 0.net
スピノザと同じく、ライプニッツの哲学も、思いっきり新プラトン主義っぽい

414:考える名無しさん
18/10/28 09:17:49.07 0.net
プラトン主義の根は深い

415:考える名無しさん
18/10/28 09:20:55.84 0.net
スピノザにおける「本当の」存在は神だからね
この世の事物はその派生物に過ぎない
勝義の実在を身近な事物ではない何かに見出すのは本当にプラトン的というか宗教的というか

416:考える名無しさん
18/10/28 09:22:10.92 0.net
スピノザとライプニッツ
どこが、どう違うのか?

417:考える名無しさん
18/10/28 09:22:26.79 0.net
似たような思想に思えるが

418:学術
18/10/28 11:09:20.59 0.net
おおきみ おおかみ?

419:考える名無しさん
18/10/28 13:16:20.34 0.net
一なるものが多なるものをうちに含むということを強調するか
多なるものが一なるものをかたちづくるということを強調するか
この違い

420:美魔女
18/10/28 13:49:37.48 0.net
スピノザに目をつけるとは
哲学板で、初めてマトモな人を見た気がしましたわ😃👯

421:考える名無しさん
18/10/28 13:53:26.74 0.net
>>419
なるほど
一者からの流出がスピノザ
多者による綜合がライプニッツってとこか

422:考える名無しさん
18/10/28 14:05:12.40 0.net
それと神様が外にいるか内にいるかという違いもある
あの時代に内にいると言うといろいろな所から怒られる

423:考える名無しさん
18/10/28 17:26:28.38 0.net
スピノザが盛り上がるねえ嬉しいけど不思議だよ

424:考える名無しさん
18/10/28 17:35:59.17 0.net
神について言及しても「宗教じゃんそれ」って言われないからねぇ
他の哲学者のスレだと形而上学的話題に踏み込むだけでアレルギー反応を示す人も多い
あとドゥルーズのお気に入りなのも大きいか

425:学術
18/10/28 18:07:27.38 0.net
定理 は 確かに日本翻訳ですらよくできていたよ。
存在証明なんだろうなビジネスライクな神の人を介した。

426:学術
18/10/28 18:08:12.85 0.net
読後感は繊細で堅い哲学だなあと。切り崩していってたけど。

427:考える名無しさん
18/10/28 19:22:12.86 0.net
よしあなたたちの見解を信じて見る気になったぞ
なので一冊でわかる新プラトン主義入門的な書籍を紹介してくれたまえ
目的はあくまでスピノザ理解なのでその一助になるかも程度のやつで結構です

428:考える名無しさん
18/10/28 19:52:25.34 0.net
中央公論社の哲学の歴史第二巻
プロティノスのほかにストア派やエピクテトス等ヘレニズム期の他の思想の解説もあってオススメ

429:考える名無しさん
18/10/28 21:22:17.06 0.net
>>428
ありがとうございますググってみたら良さそうですね
年内には読みたいと思います

430:考える名無しさん
18/10/29 02:42:59.44 0.net
世界思想社からその名も『新プラトン主義を学ぶ人のために』
が出てたな

431:考える名無しさん
18/10/29 05:16:47.89 0.net
現代の分析哲学においてしばしば用いられる「可能世界論」は、可能性と現実性についてのライプニッツの主張から始まっている。
ライプニッツは我々のこの世界を最善の世界であるとしたのは、神がそうなるように選択したからという根拠に基づくものだった。
しかし可能性においては、神はこの世界とは違った世界を作ることもできたはずであるが、「現実」に神が創造したのは我々のこの世界なのである。
つまりあらゆる可能的世界において、神が「この世界」を選択して創造したのだから、この世界は最善の世界であるとするのが、オプティミズムである。
このライプニッツの思想は、スピノザの思想への反論でもある。
スピノザはそうした可能性を認めず、この世界は神の必然的な決定によって出てきたのであり、これ以外の仕方は考えられないとするからである(『エチカ』第一部定理28)。
スピノザの考えでは、神における知性と意志とは区別されない。神は全能であるゆえに、神に何らかの思惟(可能性)が生じたなら、それはすべて現実化されるはずだと考える。
従って神の知性と意志とを区別する必要もなくなるわけである。

432:考える名無しさん
18/10/29 07:44:18.78 0.net
説明の理路が不明で何を言いたいかよく分らない

433:考える名無しさん
18/10/29 08:12:50.31 0.net
この世界は善く・悪く創造された云々についてはプラトンやストア派や新プラトン派等でも話題にされていたとだけ言っておく

434:考える名無しさん
18/10/29 08:27:08.06 0.net
>>432
要するに、この宇宙は無数のモナドの集合であり、あらゆる可能性の中から、予定調和によって最善の均衡へと向かう・・・というのが、ライプニッツの説

435:考える名無しさん
18/10/29 21:49:43.05 0.net
ざっと過去のレス眺めて思ったのは
物理学的対象としての「自然」の哲学だと思ってスピノザを学びはじめて
実はスピノザの自然がそういう「自然」と違っていて困惑する人が多いんだなあということ

436:考える名無しさん
18/10/29 22:01:11.04 0.net
>>435
いやいや、そこに気づいて困惑する人より、気づかない人のほうが多い

437:考える名無しさん
18/10/29 22:10:42.82 0.net
ていうか、むしろ、そこに気づかない人はスピノザの言ってることが意味不明に見えて困惑する

438:考える名無しさん
18/10/29 22:27:50.31 0.net
そもそも、それは「自然」という日本語の訳語の語感によるものが大きい
日本人には「八百万の神々」という古代の自然信仰の伝統が残っているので、どうしてもそこにバイアスがかかる

439:考える名無しさん
18/10/29 22:32:36.68 0.net
早い話が、哲学マニアを除く普通の日本人が、スピノザの汎神論の話を聞くと、「八百万の神々」というような自然信仰のイメージがパッと浮かぶ
でも、スピノザの汎神論は、そういうものではない

440:考える名無しさん
18/10/29 22:44:43.56 0.net
あーなるほど
物理学的対象としての「自然」について語られているのだろう
「汎神論」なる言葉から日本の八百万の神のようなもののについて書かれているんだろう
といった風にスピノザを読む前にスピノザについて書かれたものからちょろっとワードだけ引き抜いてそれらを前提にして読んでしまうと大混乱大会になっちゃうのか

441:考える名無しさん
18/10/29 23:13:34.71 0.net
とか言いつつもはじめて読んだ時に混乱した人
正直に手を挙げなさい
はい

442:考える名無しさん
18/10/30 11:59:10.81 0.net
訳語だと「自然」と「本性」が違うもののように見えるけども
ラテン語だとnaturaだし
「本質」(essentia)という訳語も
英語でいうところのbe動詞の派生語であることがわかりにくくなるという問題がある
これらも日本語での読解の障害になると思われる

443:考える名無しさん
18/10/30 18:40:48.53 0.net
ちょっと前で話題になってた『新プラトン主義を学ぶ人のために』を図書館で借りてみたんだけど
新プラトン主義の思想の流れを概観出来てかなり便利だね

444:考える名無しさん
18/10/30 18:42:36.25 0.net
>>443
それは良さそうだ!

445:学術
18/10/30 19:34:21.60 0.net
ライフ ミッツ

446:考える名無しさん
18/10/30 21:58:10.14 0.net
>>442
最近みすずから出た抄訳版では「自然の性」と訳している。
でも、かえってわかりにくい。あなたの書き込みを見て
ああ「natura」をこう訳しているんだなと思ったけど、
平凡に「本性」と訳してくれた方がよかった。。。

447:考える名無しさん
18/10/30 22:12:24.99 0.net
>>446
確かにそれは逆にわかりにくいですね……

448:考える名無しさん
18/11/01 18:23:15.90 0.net
たとえば神にデウスというようにいちいちルビをふってくれればよかったのに翻訳

449:考える名無しさん
18/11/01 19:15:51.18 0.net
もう訳として定着しちゃった以上
ルビふるなり訳注で説明するなりするのがベターか

450:考える名無しさん
18/11/02 03:17:39.03 0.net
スピノザのお気に入り愛読書は、古代ローマのセネカ
デカルトと並んで、ストア派に決定的な影響を受けた

451:考える名無しさん
18/11/03 02:18:51.57 0.net
「生の短さについて」最近借りたとこだったわ

452:考える名無しさん
18/11/03 09:08:45.22 0.net
現代人にとってスピノザの世界観はなんとも摩訶不思議なものに思えるのだが、セネカを読めば分かってくる
やはり、思想家を理解する早道は、そいつの愛読書を読むこと

453:学術
18/11/03 09:40:50.53 0.net
セネカ 人生の短さについて、の版だよ。日吉にあったのは。
岩波じゃないけどプラトンからスピノザに行くといいと思うよ。
スピノザの神の構成構造とは私は違うから、ひかれあって存在するんだろう。

454:考える名無しさん
18/12/03 22:30:30.53 0.net
NHK教育を見て56492倍賢くスピノザ
スレリンク(liveetv板)

455:考える名無しさん
18/12/03 22:40:37.32 O.net
「100分de名著」でスピノザのエチカを放送中。

456:考える名無しさん
18/12/04 01:55:06.22 0.net
概ね好評
再放送は水曜日朝と昼
スレリンク(liveetv板)
NHKオンデマンドは4日から
テキスト
URLリンク(www.amazon.co.jp)

457:考える名無しさん
18/12/04 02:08:09.37 0.net
URLリンク(2chlog.com)

458:考える名無しさん
18/12/04 04:53:13.24 0.net
100分de名著 スピノザ エチカ
URLリンク(www.nhk.or.jp)
URLリンク(nhks-vh.akamaihd.net) 1分30秒
URLリンク(www.amazon.co.jp)
 私はスピノザ哲学を講じる際 、学生に向けて 、よくこんなたとえ話をします 。
 ─ ─たくさんの哲学者がいて 、たくさんの哲学がある 。それらをそれぞれ 、スマホや
パソコンのアプリ (アプリケ ーション )として考えることができる 。ある哲学を勉強して理解
すれば 、すなわち 、そのアプリをあなたたちの頭の中に入れれば 、それが動いていろいろ
なことを教えてくれる 。ところが 、スピノザ哲学の場合はうまくそうならない 。なぜかというと 、
スピノザの場合 、 O S (オペレ ーション ・システム )が違うからだ 。頭の中でスピノザ哲学を
作動させるためには 、思考の O S自体を入れ替えなければならない … … 。

459:考える名無しさん
18/12/04 05:24:52.71 0.net
現代でこそ哲学史上の名著とされる「エチカ」ですが、出版当初は無神論者による冒涜の書として黙殺されました。
その理由は、常識を覆すあまりにも革新的なスピノザの思考法にありました。
この世界のすべてのものは神のあらわれであり、神は世界に偏在しており、神と自然は一体であるという「汎神論」。
それをベースとして、「自由意志の否定」「人間の本質を力だと考える人間観」「活動能力による善悪の再定義」など、常識とは全く異なる考え方が導かれていきます。

460:考える名無しさん
18/12/04 07:27:22.06 0.net
>「人間の本質を力だと考える人間観」
マジか!?
それは知らんかった
それは、ショーペンハウアーやニーチェその他、後世への影響があまりにも大きいな

461:考える名無しさん
18/12/04 07:29:36.31 0.net
ライプニッツの「欲求」がカントの「物自体」になり、それがショーペンハウアーの「生きんとする盲目的な意志」となり、さらにはニーチェの「権力への意志」となった・・・
というのが、よく言われる哲学思想の流れだが
言い出しっぺはスピノザだったか?

462:考える名無しさん
18/12/04 07:32:04.81 0.net
>>458
それは、ユダヤ人なのでキリスト教の影響が小さいからですな

463:考える名無しさん
18/12/04 09:27:30.04 0.net
キリスト教掘り下げまくりだっつうの
神学政治論が生前の主著みたいなもの

464:考える名無しさん
18/12/04 10:46:35.99 0.net
参考:
「我思う、故に我あり(cogito ergo sum. 正確には、ego cogito , ergo sum .)」
  デカルト(1596-1650『方法序説』『哲学原理』他)
「疑いつつ在る(我は思惟しつつ存在する Ego sum cogitans)」
  スピノザ( 『デカルトの哲学原理』)
「私は思惟する事物である 」
  ライプニッツ(『人間知性新論』4:2 みすず368頁 )
《スピノザは、石がある衝撃によって空中を飛ぶとき、石に意識があれば、自分自身の意志で飛んで
いるのだと考えるだろう、と言っている[書簡六十二]。わたしはこれにさらにつけ加えて、石の考え
ていることは正しいとだけ言っておく。》ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」第24節より
《僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ! 僕には先駆者がいるのだ、なんという先駆者
だろう! 僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザをもとめたというのは、ひとつの
「本能的な行為」であったのだ。彼の傾向がすべて、―認識をもっとも力づよい情熱とする―僕の
傾向にそっくりというだけではない。彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿をみたのだ。この最も異質
な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近い、―彼は意志の自由を否定する、目的を、道徳的
世界秩序を、非利己的なものを、そして悪を否定する。………つまりだね、高い高い山に登った時の
ように、ときどき僕の息を詰まらせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、少なくともいまは、
二人連れの孤独なのだ―ふしぎだね!》
(ニーチェ。1881年7月30日、オーヴァーベック宛て書簡。ちくま文庫ニーチェ全集別巻1上500頁より)

465:考える名無しさん
18/12/04 11:20:12.21 0.net
たしかコレ孤独がEinsamkeitで「二人連れの孤独」がZweisamkeitなんだが
「前はひとりぼっちだったが、今はふたりぼっちだ」と訳した人がいてうまいと思った

466:学術
18/12/04 17:57:49.87 0.net
エチカは書物だけじゃない 定理でも厳しい読み手に向けてはね。

467:考える名無しさん
18/12/05 20:53:46.20 0.net
URLリンク(video.twimg.com)

468:考える名無しさん
18/12/07 02:36:22.58 0.net
國分先生かぁ
上野先生のほうがうれしかったなぁ

469:考える名無しさん
18/12/12 14:16:29.44 O.net
佐藤優が國分との対談で、スピノザの汎神論は汎悪魔論に転化する云々語っていて、
國分はその発言に対して何も語っていないように見受けられたけど、
エチカのどこを読んでそんな解釈が成り立つのかと。
佐藤はかつて自著のブックガイドでエチカを挙げていたけど、本当に読み通したのか怪しいもんだ。

470:考える名無しさん
18/12/12 14:19:56.34 0.net
シェリングあたりの時期のドイツ観念論では、スピノザをそういう方向で捉えてキリスト教のスタンスから再批判する人がいたから、クリスチャンならそうなる

471:考える名無しさん
18/12/15 02:51:41.30 0.net
>>460
>>461
ニーチェ自身、『人間的な、余りに人間的な』の著書の中で、霊界でスピノザとよく精神的
交流をしているといったようなことを言っているそうだ。
『善悪の彼岸』『悦ばしき知識』(理想社)の人名索引でも、スピノザとの関連ページが多い。
スピノザの「神への知的な愛」について、ニーチェが何度か論じていた。

472:考える名無しさん
18/12/15 06:06:24.02 0.net
スピノザもニーチェも、「哲学史上、最も過激な思想家」として、よく名前があがる

473:考える名無しさん
18/12/15 11:18:27.51 O.net
ヘルダーの『神・スピノザをめぐる対話』の新訳を読んだ人いる?
登場人物の対話の中で、神=世界という理解は汎神論的な考えで否定すべきという記述があったけど、
『エチカ』の代名詞と言えば、「神即自然」と言われるくらいだから、読んでいて混乱してきたのだが。

474:考える名無しさん
18/12/16 12:51:38.40 0.net
引用不十分で却下

475:学術
18/12/16 13:28:54.25 0.net
神が一番人気かどうか。

476:a
18/12/19 01:14:14.45 0.net
>>467
②より コナトゥス 変状 欲望 感情
URLリンク(video.twimg.com)
②より 時代背景
URLリンク(video.twimg.com)
③より 自由な意志
URLリンク(video.twimg.com)
URLリンク(youtu.be)

477:考える名無しさん
18/12/21 02:26:01.49 0.net
ニーチェもスピノザを貶すときは貶してるからな
スピノザもところどころは認めてやるって程度だろ

478:考える名無しさん
18/12/21 19:39:53.30 0.net
そりゃ、スピノザは非キリスト教的だけど、きわめてプラトン的だからな
キリスト教だけでなく、プラトンも否定しなければニーチェの立場では認められまい

479:考える名無しさん
18/12/22 17:19:37.23 0.net
ニーチェも己の考えに固執するあまりその行き過ぎた信念が宗教じみてて皮肉な結果となったな

480:考える名無しさん
18/12/22 17:24:35.77 0.net
>>473
存在に<対して>神という概念があれがば汎神論
存在に<対する>神という概念で<なければ>汎神論にはならない

481:学術
18/12/22 17:25:37.61 0.net
悪魔の方が多様で軍勢が多いのではないかな。神魔というカテゴリーをつくろうよ。
女神転生。

482:考える名無しさん
18/12/23 23:44:16.39 0.net
神のうちに世界があるというか
世界とは神の顕現なわけで神と世界は等置されるわけではない

483:a
18/12/25 01:56:58.27 0.net
エチカ④より
デカルトとの比較
URLリンク(video.twimg.com)

484:a
18/12/27 01:23:21.80 0.net
定義における起成原因の重要性に触れなかったことと
疑いつつある、というフレーズを紹介しなかったのが残念

485:考える名無しさん
18/12/28 18:18:08.91 0.net
伊集院が嫌い

486:考える名無しさん
18/12/28 18:50:39.55 0.net
伊集院は上手い例えを生み出す名人だな

487:考える名無しさん
18/12/30 13:51:00.20 0.net
コルベンハイヤー
こるべんはいやー
Erwin Guido Kolbenheyer
(1878―1962)
ドイツの作家、思想家。ブダペスト生まれ。ウィーン大学で哲学、自然科学、心理学を学ぶ。
処女作の戯曲『ジョルダーノ・ブルーノ』(1903)、スピノザを主人公とする長編小説『神を愛す』(1908)、
小説三部作『パラケルスス』(1917~26)など、正統的な思潮に抗する歴史上の異端者の孤独で悲劇的な生涯を題材とする作品が多い。
「民族生物学」なるもののうえに個人と集団の関係を意味づけようとする俗流形而上(けいじじょう)学的体系の書『建築小屋』(1925)にはナチズムとの内的親近性が歴然とみられ、
異端者崇拝と相まって、ナチス時代の代表的な作家とされた。[池田浩士]
『手塚富雄訳『神を愛す』(1953・筑摩書房)』

488:考える名無しさん
19/01/10 02:16:56.78 0.net
>>188
「・・・、ゲーテ、・・・などの文人は、明らかにスピノザ主義の精神を汲み取った人たちである。
・・・特に、ゲーテはスピノザを「最高の有神論者、最高のキリスト者」とみなしているのである」
(工藤喜作著 『スピノザ』 P.204)

489:考える名無しさん
19/01/11 23:22:05.10 0.net
>>458
紹介の例えにはいいかもしれないけど初めからスピノザと同じOSを積んでる人間だってきっと多くいるね
私は逆に、ここで言われる「たくさんの哲学者」を読むほうが困難で仕方ない
恐らく自分のようなタイプ以外の読者に対して配慮して書かれた文章が心底気に食わずにイライラさせられるんだろうけど
スピノザの本にはそんな瞬間が一度も訪れないという幸せがある

490:考える名無しさん
19/01/12 03:38:18.33 0.net
悪魔は存在します

491:考える名無しさん
19/01/12 20:29:17.09 0.net
スピノザはほとんど読んでないな
最近、よく「コナトゥス」とかいう言葉を持ち出してくる人を見かけるけど、
ネットの検索でヒットする説明を読んでもよく分らない。
「コナトゥス」という表現自体は死語になってしまったのだから、
現代の言葉でそれに取って代わった表現があるはずだし、
感覚的に馴染むように現代の日本語で表現したらどういう言葉になるんだろう。

492:考える名無しさん
19/01/12 21:33:12.66 0.net
承認欲求やそれを得ようと必死に動く現代の人たちの努力は、他者に依存したコナトゥスであるかもしれない

493:考える名無しさん
19/01/12 21:51:18.35 0.net
「コナトゥス」という言葉を使ってみたい人がそれなりに沢山いるだけで、
この言葉によってイメージしていることや、意図していることはまるで
ばらばらである可能性も十分にあるわけだ

494:考える名無しさん
19/01/12 23:11:37.36 0.net
スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。
              1実体
               /\
              /無限\
             /_無限定_\
    ________/_2a属性__\________
    \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
     \   悪/___2b様態\_____\善   /  
      \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
       \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
       /\対象/ /_\/_\ \認識/\
     所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
     /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
   神/______\___\/_第三種認識____\自然
            \ 4理性  /   
             \    /
              \_徳_/
               \/
              5自由
文字化けしているかもしれないが、肝心なのは私見では縦の中心線にある、「努力」、「欲望」、「徳」だ。
(コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいるが、内在する力というイメージがなくなるからいい訳語ではない)
逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。法学でいう自然権とも関わる。
ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
國分のドゥルーズ論も一応ドゥルーズの系列的思考に触れていてその点は優秀だ。

495:考える名無しさん
19/01/12 23:14:08.52 0.net
以下は國分NHKテキストより
《コナトゥスを定義した定理が次のものです 。
おのおのの物が自己の有 〔引用者注 :存在 〕に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない 。
(第三部定理七 )
文中の 「有 」という訳語より 、 「存在 」としたほうが分かりやすいでしょう 。ここで 「努力 」と訳されているの
がコナトゥスで 、 「自分の存在を維持しようとする力 」のことです 。大変興味深いのは 、この定理でハッキリと
述べられているように 、ある物が持つコナトゥスという名の力こそが 、その物の 「本質 e s s e n t i a 」であると
スピノザが考えていることです 。》

496:考える名無しさん
19/01/12 23:53:15.58 0.net
>おのおのの物が
「物」という表現で何が想定されているのか不明だな。
その場合、風や光は物なのか?

497:考える名無しさん
19/01/12 23:57:13.43 0.net
>コナトゥスという名の力
力は物なのか?

498:考える名無しさん
19/01/13 00:16:36.81 0.net
おそらく、私の哲学へのアプローチの仕方が、スピノザについて語る大多数の
人々の場合とは異なっているのだろうと思う。スピノザに限らず、誰か特定の
哲学者に共感を覚えるかどうかは、私にとってどうでもいい、というより、
その発言を役立てることができる限りで、発言者である哲学者に私は共感
していると言える。『神学・政治論』にはそういう発言があったような曖昧
な記憶があるが、よく憶えていない。「コナトゥス」の定義を見せられても、
それがどう役に立つのか、今のところ私にはよく分らない。

499:考える名無しさん
19/01/13 00:23:45.27 0.net
「コナトゥス」という表現を用いなければ得られない洞察とはどのようなものなのか?
それが示されないかぎり、「コナトゥス」という表現を用いるべき理由が私には
見当たらない。

500:考える名無しさん
19/01/14 08:15:05.48 0.net
スピノザが「コナトゥス」についてどう論じたのかよく知らないので、定義や
ネットで見かける説明からの印象に過ぎないが、「コナトゥス」という概念が
分りにくいのは、その理路に大きな問題があるからだろうという気がする。

501:考える名無しさん
19/01/20 17:39:27.00 0.net
コナトゥスって躓くようなところじゃないと思うんですが…

502:考える名無しさん
19/01/20 17:40:56.63 0.net
難癖つけたいんだと思う
おそらく國分が嫌いなやつ

503:考える名無しさん
19/01/21 14:14:52.97 0.net
中公の『エティカ』が本当に好きだ
すごく伝わってくる。原典が読めないから、訳者の熱量かスピノザの熱量か判らないけど
畠中訳の『知性改善論』と光文社新訳の『神学政治論』も好きだ
自分は日本のスピノザ翻訳の恩恵をたくさん受けている

504:考える名無しさん
19/01/22 07:08:36.82 O.net
>>503
翻訳者の工藤喜作の『スピノザ哲学研究』もいいよ。
『エティカ』理解の助けになるし。

505:考える名無しさん
19/01/22 09:32:42.46 0.net
>>501-502
じゃあ、「コナトゥス」は日本語の「努力」と理解していいわけですか?
「コナトゥス」は、ラテン語から派生したフランス語、イタリア語、
スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語などでは、どのように継承
されて、またはどのように変容して用いられているのですか?

506:考える名無しさん
19/01/22 09:35:58.99 0.net
>>502
好き嫌いということで言えば、私は、そうやってなんでもかんでも
人物評価や人格の問題にすり替えようとする人間が身の毛もよだつほど嫌いだ。

507:考える名無しさん
19/01/22 10:11:54.00 0.net
あなたのその言い方がすでに人格還元なわけでしょう?
いわゆる「自分の頭で考える」在野幻想が強すぎる御仁とみた

508:考える名無しさん
19/01/22 10:40:14.57 0.net
>あなたのその言い方がすでに人格還元なわけでしょう?
いいえ、匿名の人の行為に対する一般的な発言なのだから、
人格還元ではなく、振舞い還元ですよ?

509:考える名無しさん
19/01/22 15:18:13.12 0.net
スピノザ・スレで「在野幻想」とか、相当に重症だな

510:考える名無しさん
19/01/22 16:06:55.08 0.net
>>505
「そういうわけで、一個の力能の度としての様態の本質は、その様態が存在し始めたときから、コナトゥスとして、いいかえれば存続しようとする努力もしくは傾向として規定されることになる。
傾向とはいっても存在への移行もそれではなく、その存在を維持し確立しようとする傾向である。力能はどこまでも現実態であることをやめるわけではないからだ。」(ドゥルーズ『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳、208頁)
「「努力」というと何かある目標があってその達成に努めるという語感が残るが、スピノザの「努力」は実はどんな目的意図とも無縁である。」(上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ』125頁)
「あたりまえだが、猫Aをかくあらしめている肯定は猫Aの否定を含まない。一般に、事物はみなそれぞれに、それ自身の肯定であり、それをキャンセルしようとする一切に抵抗する。スピノザはこの抵抗力を「コナトゥス」と読んでいる。」(上野修『スピノザの世界』135頁)
「我々の精神の最初にして最主要なもは、我々の身体の存在を肯定する努力である」(スピノザ『エチカ』畠中尚志訳、第3部定理10証明)
フランス語ではポートラ訳だとeffort
コナトゥス概念がなんの役に立つかはネットの解説だけじゃなく自分で本読んで勉強して考えてくれ
少なくともここで教わるようなことじゃない
あと國分功一郎はコナトゥスの定義って言ってるけど厳密にはコナトゥスは定理のなかで証明されて出てくるものであって、スピノザ自身も定義はしていない。
だから「これ!」っていう定義は実はないからそこに拘ると話がややこしくなる。
國分功一郎はわかりやすさ重視して結構重要な議論をはしょったり短絡的な表現を使ったりするから注意が必要。
概ねは正しいんだろうけど。

511:考える名無しさん
19/01/22 16:13:26.03 0.net
>>510
すばらしい、最高
読んでないけどぱっと目で見たその行為に賞賛!

512:考える名無しさん
19/01/22 16:20:58.07 0.net
>>510
ドゥルーズからの引用に誤字があった
×傾向とはいっても存在への移行もそれではなく
◯傾向とはいっても存在への移行のそれではなく

513:考える名無しさん
19/01/22 16:43:09.93 0.net
>>510
その説明を読む限り、やはり理路に大きな問題があるとしか思えない。

514:考える名無しさん
19/01/22 16:47:04.81 0.net
「コナトゥス」という表現が重要であると言うなら、やはり、それが
どのように現在、用いられている言語表現に継承されているのかを説明でき
なければならないだろう。

515:考える名無しさん
19/01/22 16:52:30.88 0.net
それを言い出したら現代の言葉に直接的に影響を与えていない哲学者はほぼ全滅しそうだけど…
あなたが言う「現在、用いられている言語表現に継承されている重要な表現」って例えば何?

516:考える名無しさん
19/01/22 16:55:38.31 0.net
習慣

517:考える名無しさん
19/01/22 16:55:53.15 0.net
コモンセンス

518:考える名無しさん
19/01/22 16:59:59.80 0.net
コナトゥスという言葉自体で見れば、そりゃ何百年も前の哲学用語なんだから現代は使われていないし、現代の言葉に対応するものを見つけようとしても「その言葉がコナトゥスを継承しているか」は文献学的な証明が必要なわけで、相当な苦労を要する
とは言ってもスピノザの哲学が現代に至るまで様々な哲学者や思想家に多大な影響を与え続けているのは事実なわけだし、言葉そのものが「現代に継承されていない」というだけで理路に問題があるはかなり乱暴な議論かと
古代哲学やスコラ学なんてもう今は見なくなった哲学用語だらけなわけだし

519:考える名無しさん
19/01/22 17:07:41.06 0.net
>現代の言葉に直接的に影響を与えていない哲学者はほぼ全滅しそうだけど…
その考え方が完全に狂っている。哲学者は、自らが生きた時代と先人の言語表現を
借りているのであり、問題は、哲学者が借りた言語表現がどのように(変容を
受けながらでも)受け継がれているのか、どのように派生させられているのかだ。

520:考える名無しさん
19/01/22 17:09:07.83 0.net
それが分らない限り、「よく分らない表現だ」と言うほかない。

521:考える名無しさん
19/01/22 17:12:43.34 0.net
>>519
狂っていると言われましても、あなたの考え方に乗っかればそういうことになるんじゃないかという指摘です

522:考える名無しさん
19/01/22 19:13:42.80 0.net
四日間洗ってないとか言われましても

523:考える名無しさん
19/01/22 19:29:31.78 0.net
四日間洗ってないって、前に洗った日を含めて四日目ということ、
それとも前に洗った翌日から数えて四日経過して五日目に入っているってこと?

524:考える名無しさん
19/01/22 19:30:32.51 0.net
同じ日本語を使っていても、分っているようで実はよく分っていない表現は沢山ある。

525:考える名無しさん
19/01/24 02:04:03.84 0.net
努力とはいうがそこはスピノザ、
自由意志ではありえません

526:考える名無しさん
19/01/26 10:06:49.88 0.net
スピノザの用いる「コナトゥス」という表現と、アリストテレスによって
表明される次の考え方とは、どのような関係にあると考えればよいのでしょうか?
「すると、消滅するものはどんなものでも、同一で数的に一つのまま存続
することはできないから、持続的に永遠的なものと神聖なものにあずかる
ことは不可能だという理由で、それぞれに可能な仕方で多少ともあずかる
のであって、つまり、そのものが存続するのではなく、類似したもの、
すなわち、数的に一つのものではなく種において一つのものが存続するの
である。」 アリストテレス、「心とはなにか」、p.88

527:考える名無しさん
19/01/26 10:14:42.45 0.net
コナトスって何だ?
粉末にすることか?

528:考える名無しさん
19/01/26 11:02:02.59 0.net
「コナトゥス」という表現の用法の歴史から見て、「コナトゥス」
という表現によって何が意図されているかよく分るなんて主張する
人間は、それをよく分る日本語の表現に言い換えることができない
限り、嘘をついているとしてか思えないね。
URLリンク(en.wiktionary.org)
Etymology
From Proto-Italic *kōnāō, from Proto-Indo-European *kona, from
root *ken- (“to set oneself in motion”).
URLリンク(en.wikipedia.org)
The history of the term conatus is that of a series of subtle tweaks
in meaning and clarifications of scope developed over the course of
two and a half millennia. Successive philosophers to adopt the term
put their own personal twist on the concept, each developing the term
differently. [...] Today, conatus is rarely used in the technical
sense, since modern physics uses concepts such as inertia and
conservation of momentum that have superseded it.

529:考える名無しさん
19/01/26 11:07:34.22 0.net
哲学と哲学学の違いはそこにある

530:考える名無しさん
19/01/26 11:26:40.99 0.net
URLリンク(ja.wiktionary.org)いきおい
いきおい【勢い】(歴史的仮名遣い: いきほひ)
1. 発動しようとする力。ものが運動する際に生じる力。
3. 弾み。成り行き

531:考える名無しさん
19/01/26 11:32:25.54 0.net
>modern physics uses concepts such as inertia and
>conservation of momentum that have superseded it
発動しようとする力≒momentum、成り行き≒inertiaで考えれば、
だいたい合ってるよね。きっかけは提供したので、次の方どうぞ↓

532:考える名無しさん
19/01/27 02:40:13.07 0.net
>>503
中公の『エティカ』、注文しました
書評がすごく伝わってきました

533:考える名無しさん
19/01/27 11:02:43.86 0.net
「短論文」読み始めた
自分には「エチカ」よりこっちのほうがいいかもしれない

534:考える名無しさん
19/01/27 11:12:03.48 0.net
エチカは普通の読み物じゃないから、よほどの動機がないと最後まで読めないな

535:考える名無しさん
19/01/27 13:32:14.61 0.net
>「悪であるようなあることをしようと努力する」?
これってどういう文脈で言っているのだろう。畠中尚志訳の
「エチカ」は、ざっと目を通したことがある気がするけど、まるで
憶えていないな。

536:a
19/01/27 13:50:26.26 0.net
>>535
参考:
エチカ第4部
 定理四五 憎しみは決して善ではありえない。
 証明 我々は我々の憎む相手を滅ぼそうと努める(第三部定理三九により)。言いかえれば
我々はそれによって(この部の定理三七により)悪であるようなあることをしようと努める。…
岩波文庫版より

537:考える名無しさん
19/01/27 17:27:57.98 0.net
ドゥルーズの言う通り『エチカ』は定理証明という流れと独立的に備考という流れがあるから、ひとつひとつの定理の証明を追うのがしんどい人は序文定義備考付録だけ追って読んでもいいかもしれない
多分専門的なスピノザ研究者以外の人はほとんどそうしてる

538:学術
19/01/27 19:12:27.56 0.net
定理はいいものだよ。しかし数学的自信がないな。寄稿しとくよ。

539:考える名無しさん
19/01/27 20:31:26.13 0.net
目を通したのが「エチカ」だったのかどうか不確かだけど、
定理と証明の形式で書かれていたことは記憶している。
随分、考えが青いなという印象受けたけど、「エチカ」は
後期の著作なんだね。

540:考える名無しさん
19/01/27 21:35:36.21 0.net
>>539
ぼくちゃん5ちゃんねるで何いってんのw

541:考える名無しさん
19/01/27 23:08:00.85 0.net
工藤喜作、上野修、國分功一郎のスピノザ論をそれぞれ読んだけど国内だと上野修が頭一つ抜きん出てると感じ
工藤喜作はちょっと古すぎかて、目新しいものがない
國分功一郎はほぼドゥルーズのコピーでドゥルーズのスピノザ解釈入門といった感じ
上野修だけがドゥルーズを参照しつつも独自性を打ち出してるように感じた
いまだ國分のスピノザ解釈ではなく上野のスピノザ解釈がスタンダードなのも頷ける

542:考える名無しさん
19/01/28 21:11:56.35 0.net
スピノザ『エチカ』講義: 批判と創造の思考のために 単行本 – 2019/2/26
江川 隆男 (著)
単行本 ¥ 5,400
内容紹介
誰もが知る『エチカ』は、その重要さと同じくらい難解さでも知られている。
本書は、全五部のうち、多くの人が躓いてきた第一部と第二部をあとにまわし、第三部の経験論的な場面から出発することで、この稀代の書の読破を実現する。
そこに立ち現れるのは、過去に蔵された古典作品である以上に、現代に生きる人々が生きる上での指針の書の姿にほかならない。
強い推進力で一気に読ませる著者待望のスピノザ論!
著者について
1958年生まれ。東京都立大学大学院博士課程満期退学。立教大学現代心理学部教授。専門は西洋近現代哲学。
著書に『存在と差異―ドゥルーズの超越論的経験論』(知泉書館、2003年)、
『超人の倫理―〈哲学すること〉入門』(河出書房新社、2013年)、
『アンチ・モラリア―〈器官なき身体〉の哲学』(河出書房新社、2014年)などがある。
登録情報
単行本: 406ページ
出版社: 法政大学出版局 (2019/2/26)
言語: 日本語
ISBN-10: 4588150987
ISBN-13: 978-4588150982
発売日: 2019/2/26

543:考える名無しさん
19/01/29 09:22:03.30 0.net
>>542
100分de名著本に出ている國分功一郎の読み方に共通しているな
第一部と第二部は確実に後回しにされている

544:考える名無しさん
19/01/30 12:19:05.63 0.net
でもあれスピノザ的には第一部や第二部を通して思考を矯正する意図があるんじゃなかろうか
だから第一部からごりごり読まないとダメなのではないか
……と思ったけど哲学に慣れていない初学者は
第三部から読んで哲学的思考に慣れた後で第一部からまた読み直せばいいのか

545:考える名無しさん
19/01/30 12:30:41.72 O.net
>>542
何にせよ、発売日が待ち遠しいな。『エティカ』理解に役立つのか、立ち読みしてから購入検討するつもりだ。

546:考える名無しさん
19/01/30 12:51:38.66 0.net
ゲルーの一部二部の注釈本の翻訳がほしい

547:考える名無しさん
19/01/30 13:13:12.65 0.net
スピノザが使っている、17世紀頃のラテン語を学べる良い本ありますか?

548:考える名無しさん
19/01/30 20:20:30.36 0.net
17世紀にはラテン語は日常言語ではなくて
神と学問のためにもっぱら使われていたんじゃないの

549:考える名無しさん
19/01/30 21:55:07.72 0.net
普通にその辺の参考書で十分だよ
スピノザのラテン語はかなりシンプルだし
思うにスピノザはラテン語がデカルトやホッブズほど得意ではなくて、自分の哲学を上手くラテン語にできなかったんじゃないかという節もある

550:考える名無しさん
19/01/30 23:26:15.38 0.net
天理教入る

551:考える名無しさん
19/01/31 00:39:35.67 0.net
天照によるEnlightenmentですか?

552:考える名無しさん
19/01/31 09:29:23.16 0.net
古典ギリシャ語やラテン語はちょっとやって基本語彙とその変化を学ぶだけでも
英独仏らへんの本がだいぶ読みやすくなる

553:考える名無しさん
19/01/31 13:08:18.69 0.net
ありがとうございます
有田潤の初級ラテン語入門を読んでみようと思います

554:考える名無しさん
19/01/31 18:14:46.15 0.net
若い人なら『基本から学ぶラテン語』が一番現代的な構成(最近の英語の参考書みたい)になってていいかも
『ラテン語四週間』はあまりおすすめ出来ない

555:a
19/01/31 19:49:30.96 0.net
ラテン語勉強は会話を楽しむことがないし
主要な古典は邦訳されているので長続きしない
そこで副読本に勧めるのは
オウィディウスでラテン語を読む 著者 風間喜代三
さらに順序は逆だが同著者による
ラテン語・その形と心
オウィディウスはエチカを読むものには特別な存在のはずだ
数箇所だが引用は異例
肝心のエチカもラテン語はネットにある
URLリンク(users.telenet.be)
ラテン語と対照させると中公より岩波文庫の方がしっくりくることがわかる
気分転換にグレゴリオ聖歌もおすすめ
youtubeでかなり聴ける
Ut queant laxis 聖ヨハネ賛歌
URLリンク(youtu.be)
Ut queant laxis リラックスできるように
Resonare fibris 響かせ
Mira gestorum 貴方の行いの奇跡を
Famuli tuorum 貴方のしもべ(親族)に
Solve polluti 罪を溶かして下さい
Labii reatum 穢れた唇から
Sancte Johannes 聖ヨハネ様
チコちゃん
URLリンク(video.twimg.com)

556:考える名無しさん
19/02/03 14:28:57.85 0.net
>>555
すごい早口で言ってそう
それが透けてみえるんだから、まだ勉強が足りないね

557:考える名無しさん
19/02/03 19:02:14.55 0.net
スピノザって本は全部ラテン語で書いてんの? 不得意なら他の言語で書いたものは残ってないんか

558:考える名無しさん
19/02/03 19:06:50.86 0.net
オランダ語とヘブライ語がある

559:考える名無しさん
19/02/04 08:22:49.89 0.net
哲学板にしてはマトモなスレだな。
去年の國分功一郎のNHKの番組がなかなか好評だったからのようだ。
コナトゥスという言葉の意味が問題になっている。
俺の思考OSでは、神性と獣性の狭間で葛藤しつつなんとか神性の方へ向かおうとする人間だけが持つ志向と理解した。
欲望や恐怖といった弱さの葛藤が存在しない神や動物ではコナトゥスは問題にならない。
恐らく東洋的な概念でもないだろう。

560:考える名無しさん
19/02/04 09:04:39.02 0.net
そう言えば、ラテン語は日本語に近いところがあると誰かに聞いたことがある。
動詞の主語が省略されることが多く、誰の行動なのかはっきりしないことがままある。
動詞の格変化で誰の行動なのか推測することが多い。
昔の言語は何でもだいたいそういうものだったのかも知れない。
近代に向かって人間が主体性を確立するにしたがって主語をはっきり言うようになった。
日本語はまだまだだ。

561:考える名無しさん
19/02/04 09:25:10.98 0.net
動詞の格変化?

562:考える名無しさん
19/02/04 09:38:55.64 0.net
スマン。
動詞の活用だ。

563:考える名無しさん
19/02/04 09:52:12.41 0.net
どの言語でもよく知れば日本語に近いところが見つかる
英語にも、ドイツ語にも日本語と瓜二つの表現が見つかる

564:考える名無しさん
19/02/04 09:56:59.21 0.net
相手を敬う場合に、相手を主体として特定することを避けようとする場合が多くある。

565:考える名無しさん
19/02/04 09:58:34.00 0.net
相手の命令によってやらされるのではなく、相手の意向に沿って自主的に
やることによって、相手があらかじめ責任を免れる。

566:考える名無しさん
19/02/04 10:00:45.29 0.net
「させていただく」、"with your permission"
相手は、「させる」こと、使役することができるだけ身分が高いが、
相手が「させる」のではなく、自分がそうすることを「相手が許す」のである。

567:考える名無しさん
19/02/04 12:22:59.55 0.net
>>559
コナトゥスは存在者であればすべてが備えている本質
それに神性とか獣性はいかにも価値評価的で全然スピノザ的ではない言い方

568:考える名無しさん
19/02/04 13:24:28.20 0.net
あらゆる存在は神の可能性の表現という意味で等価なのではと思ってる

569:考える名無しさん
19/02/04 13:41:10.84 0.net
>>558
スピノザ研究者は全部読めなきゃいけないんか 大変やな

570:考える名無しさん
19/02/04 15:04:42.27 0.net
オランダ語は、ドイツ語と英語を学んでいれば楽勝という気がする
ヘブライ語がどのような言語なのか知らないが、まずは文字を覚えるのが
面倒くさそう。

571:考える名無しさん
19/02/04 15:09:48.17 0.net
読めなくてもエチカだけならなんとかなるけど神学政治論ちゃんとやるならヘブライ語文法綱要も踏まえた方が良いのは言うまでもない

572:考える名無しさん
19/02/04 15:13:44.83 0.net
読めなくてもエッチかだけならなんとかなるけど神学蛇論ちゃんとやるなら
クリフトブライ語文法綱要も押さえてドラクエIVを1章からという

573:学術
19/02/04 15:29:20.57 0.net
ネットエッチカット。

574:考える名無しさん
19/02/04 15:39:25.57 0.net
スピノザ研究に没頭したいという動機が働かない
ユダヤ教に関心があるわけでもないので、ヘブライ語を勉強する
時間があったら、その時間を、5ちゃんねるへの書き込みとか
他のことに使うだろう

575:考える名無しさん
19/02/04 18:19:21.55 0.net
スピノザの神学政治論はユダヤ教批判の古典だから、むしろユダヤ教苦手な人が読むとよい。
とはいっても内在批判だが

576:考える名無しさん
19/02/04 18:45:24.66 0.net
スピノザの神学政治論を読むのはいいんだが、というか、ラテン語版を
所持している(読んではいない)が、その読解のためにわざわざヘブライ語
を勉強しようという気にはならないな。

577:考える名無しさん
19/02/04 21:12:51.00 0.net
神学政治論ではヘブライ語はスピノザ自身がラテン語に訳してるからね
スピノザ自体の研究であれば読める必要はそんなにないと思う
畠中尚志も工藤喜作も上野修も國分功一郎も読めないんじゃないかな確か
ユダヤ学としてスピノザを読むなら別だろうけどね
合田正人とかは読めるんだろうか

578:考える名無しさん
19/02/04 21:32:59.61 0.net
ユダヤ教なんて日本に全然関係ないしな
少なくとも聖書が日常に登場する機会のある国ならスピノザ以外の動機でも文脈を遡ろうとする気が湧くだろうけど

579:考える名無しさん
19/02/04 22:56:19.67 0.net
スピノザの神って物自体ですか?

580:考える名無しさん
19/02/04 23:36:40.55 0.net
>>579
そういった疑問を持ってる時点でカント的な枠組みに囚われている
スピノザは近代哲学の常識で捉えているうちは理解出来ない

581:考える名無しさん
19/02/05 10:06:43.62 0.net
ある意味そうだよ
というか現象もカテゴリーさえもその存在のレベルにおいて神の顕れだよ

582:考える名無しさん
19/02/05 12:23:46.86 0.net
カントの体系とスピノザの体系をそれぞれ絶対視せずに比較検討し
明白な差異や接点を見つけるお仕事
言うは易し行うは難し……

583:考える名無しさん
19/02/05 20:18:00.86 0.net
存在を名詞的に捉えないところ好き

584:考える名無しさん
19/02/05 23:40:04.26 0.net
そもそもスピノザはデカルトやカント的な認識主体や認識対象みたいな認識論ではないから、物自体という言葉自体がそぐわない
上野さんや國分さんの本を読めばなんとなくわかると思うが、我々は神の思考の一部なんだよ

585:考える名無しさん
19/02/06 08:16:58.01 0.net
認識と存在が一致した神という概念を議論の出発点としているから
存在論と区別された認識論を論じる余地がないんだね

586:考える名無しさん
19/02/06 09:39:56.96 0.net
苦しいデカルトのせいだ

587:考える名無しさん
19/02/06 14:47:50.24 0.net
でもやってるだろ?
誰もやらずに放置されてるってことはさすがに現代ではないんだろ?

588:考える名無しさん
19/02/09 09:46:05.20 0.net
変状と様態って同じようなもん?
ラテン語だとどういうふうに使い分けされてるの?

589:考える名無しさん
19/02/22 12:28:12.96 0.net
>>582
スピノザの言う思惟と延長に対してそれ以外の未確認の属性
この二分法を取ればカントの批判哲学と繋げられるはず
ただカント体系は記述順に負いすぎる
思索の経験論として偉大だし嘘はないが
誰もピラミッドをスケッチするときひとつひとつの石から描き始めないのに…
原理論と方法論の区別が先だ
フィードバック装置としてはわかりにくい
より厳密にはスピノザに多々言及しているカントの遺稿を読むべきだろう
(カントの遺稿は岩波全集には収録されなかったので中公哲学の歴史シリーズ*を読む必要がある)

『哲学の歴史 07 理性の劇場』 加藤尚武編 (中央公論新社). 理性の劇場
にコンパクトな福谷茂によるカント遺稿関連の論考が載っている
英訳を読む方がはやいかも

590:学術
19/02/22 12:38:11.54 0.net
定理は使えるがほかの文脈にはなじまないだろう。天災の書だが他人行儀さがない。

591:学術
19/02/22 12:38:28.16 0.net
天才

592:セルム
19/02/22 18:15:03.40 0.net
ごめんくさい

593:考える名無しさん
19/02/22 22:46:07.37 0.net
>>579
それだと汎神論じゃなくなる

594:考える名無しさん
19/02/23 09:51:59.69 0.net
神よりも大きいものはない
ここで、神の他に、なにか別のものが存在すると仮定する
そうすると、「神+別のもの」は、「神」よりも大きいということになる
それは、「神より大きいものはない」ことと矛盾する
ゆえに、神でないものは存在しない

595:考える名無しさん
19/02/23 09:54:23.72 0.net
「物自体」は存在のすべてではない
だから、スピノザの神ではない

596:考える名無しさん
19/02/23 09:56:01.53 0.net
なにを神とするか
どうでも良すぎる定義だな

597:考える名無しさん
19/02/23 13:37:40.51 0.net
別のものがマイナスだったら

598:セルム
19/02/23 16:30:20.72 0.net
世界各地では殆ど進化論支持です。
君達遅れてるね。

599:考える名無しさん
19/02/25 13:12:43.17 0.net
神=自然、宇宙
と読み替えれば『エチカ』は現代人にも読解可能だが
しかし現代人には
「結局、3行程度で言える内容だよね、それ」
で済まされて終わる

600:考える名無しさん
19/02/25 18:58:52.92 O.net
世界を貧しい禁欲主義的小市民的な去勢された内面化として捉える
神がいて有限な人間は神には届かないから子羊として定言命法に従属する
スピノザの全てはそういう認識論の否定だ
スピノザはカント的な認識論、近代的主体性に基づく、
実はキリスト教的な神学的知の欺瞞を暴いているところが凄いわけで
自然とか唯物論とか宇宙とかどうでもいい
唯物論だとしてもカント的な布地の中で考えているなら
下らない鼻くそみたいなもんだ
実際マルクス主義も分析哲学の物理主義もその手の
去勢された倒錯した神学に過ぎない

601:考える名無しさん
19/02/25 19:23:56.36 O.net
カントは神じゃない人間はアンチノミーにさらされるから無限はわからないと言った
そうやっておっかなびっくり周りの目を気にしながら他人を傷付けてないか
心配しながら正しい道徳に従属しよう
そんな道徳=哲学をスピノザは嘲笑う
神に叩きつけられて衝動の中で選択もくそもない他人を気にしている余裕はない
スピノザには偽善も欺瞞もない
それがスピノザの神=自然=世界=宇宙
そんな中で何がなしうるかそれを問うのがスピノザの哲学=倫理
道徳と倫理は真っ向から背反する
スピノザの衝動を自然を無視した欺瞞の中に成立するのが
カントの道徳論でありヘーゲルの絶対精神でありドイツ観念論

602:考える名無しさん
19/02/28 18:01:09.67 0.net
道徳的であるとき人は自由である。つまり、自由意志が無ければ道徳的であることはできないから
選択もクソもあるってカントは言ってるんだろ

603:考える名無しさん
19/03/01 08:16:17.30 0.net
ポストモダンで流行ったスピノザのニーチェ的な解釈だね

604:考える名無しさん
19/03/02 22:04:52.77 0.net
現代思想2019年3月臨時増刊号 総特集=ジュディス・バトラー
T i t l e : T h i s L i f e , T h i s T h e o r y
J u d i t h B u t l e r

この生、この理論
ジュディス・バトラー/坂本邦暢訳
 私はここにいることを大変光栄に思っており、東京、そしてとりわけ明治大学への訪問を可能にしてくれた
すべての人に感謝いたします。私は自分の哲学上の歩みについて話せないかと頼まれました。私は回想録や
自叙伝を書こうと思ったことは一度もありません。なぜなら、私の自己は、私にとって最も不透明なものか
もしれないからです。私の自己が、著者として語る私の声にたいしてもっている関係は、少なく見積もっても
大変にぎこちないものなのです。…
…スピノザいわく、人間の場合、人間の精神(神の属性と考えられています)の観念は、なにか存在する
ものとリンクしていなければならず、その存在するものと独立にあるということはないのです。このことが
スピノザを二つの重要で驚くべき定理に導きます。第一に、人間の精神の観念は、必然的に身体について
の観念であるという定理です。身体は、人間の精神に対応して存在しているのです。第二の定理は、精神の
観、精神の観念というのは、触発される過程で形づくられるというものです(これは、神によって触発さ
れることだと考えられるでしょう。これが観念をもたらすのです)。さらに、人間の精神が別の個体を
触発できるのは、精神に対応して存在しているもの、すなわち身体を通してだけだということがいえます。
スピノザは精神と身体を区別して話していますが、それらがダイナミックな統一体をなしていることは、
はっきりさせています。人間の身体は、私たちが知覚するようにそれが存在している限りで、精神の対象です。
しかし人間の身体というのは、精神が現実的に存在するあり方でもあるのです。…
訳註
[1]スピノザ 『エチカ 』第二部公理二、三、岩波文庫、2011年改版、上巻、113ページ(訳語を変更した)。
[2]スピノザ 『エチカ 』第二部要請五、141ページ 。
[3]スピノザ 『エチカ 』第二部要請四、141~141ページ 。
[4]スピノザ 『エチカ 』第三部定理七、214ページ 。
[5]スピノザ 『エチカ 』第三部定理一九、229ページ。

605:考える名無しさん
19/03/02 22:13:28.47 0.net
*この記事は 、二〇一八年一二月六日 、明治大学にて行われた講演会の発表原稿を載録したものです 。
チラシ
URLリンク(www.meiji.ac.jp)

606:考える名無しさん
19/03/02 22:17:41.29 0.net
イエスキリストを信じなさい

607:考える名無しさん
19/03/02 23:52:38.98 0.net
「死者に死者を葬らせよ」
マタイ8章22節(ルカ9章60節)

608:考える名無しさん
19/03/03 05:20:16.41 0.net
エチカ第2部より
定理一三 人間精神を構成する観念の対象は身体である、あるいは現実に存在するある延長の
様態である、そしてそれ以外の何ものでもない。
定理二三 精神は身体の変状〔刺激状態〕の観念を知覚する限りにおいてのみ自分自身を認識する。

609:考える名無しさん
19/03/04 01:09:35.42 0.net
エチカ 第2部より
定理二六 人間精神は自己の身体の変状(アフェクトゥス)〔刺激状態〕の観念によってのみ
外部の物体を現実に存在するものとして知覚する

610:考える名無しさん
19/04/15 08:13:38.31 0.net
スピノザみたいな心身並行論だと、思考はどうなっちゃうの?
お腹すいたなあ とか この世界は夢かもしれないなあ とか
そういう漂う思考は身体に基盤を持っていない気がするんだが

611:考える名無しさん
19/04/16 01:23:15.93 O.net
スピノザは禁断の木の実を食べることはそれが腹下しをするから体に悪いから避けられると語る
スピノザ往復書簡集
神の掟に従わないから神に罰せられる失墜するなどの過剰な物語、道徳の因果物語は認めない
原罪を神に突き放された人間の贖罪の神話を認めない
んなこと言うからユダヤ社会から追放されキリスト教社会から無神論と呪われ続けた
カントは定言命法、万人にとって普遍的にいついかなる時も変わらない法則を元に理論を作る
個人の欲望離れて誰にとっても妥当する道徳、己を捨てたところに成り立つもの
普遍的な効率良いルール、自分がやられたらうれしいことを人に与えよ
スピノザはカント式の小市民を効率的に支配するそういう畜群道徳を批判する
善悪はない
母親殺しさえオレステスでは褒められネロでは悪行の第一に数え上げられる
行為に予め善悪はない
つねに正しい道徳も反対の悪もなく全ては状況で決まり内部では正しさは決定できない
全ては善悪の彼岸で、それぞれの生の可能性を押し広げるならそれは良いものである、それがスピノザの倫理
人を殺すことも良いことになりうるし、道徳的なことも生を抑圧するものになりえ全ては状況依存だ
善悪の常に成立する状況離れたアフリオリな正しさなどはない
カントとは正反対だが
同一性ではなく差異を秩序や目的ではない欲望や衝動を突きつける
己を殺すのがライプニッツやカント
己を突きつけるのが、己をいかに伸ばすかがエチカ
スピノザの倫理はカント的な普遍的道徳を抹殺するところに成立する
スピノザはニーチェともドゥルーズとも違うがカント的な道徳律の全面批判や
ライプニッツ式目的の予定調和や秩序の批判として成立する、これは揺るがない
そんなのはポストモダンの解釈だ本当のスピノザは違うとか小賢しく言って否定する奴はただ死ね
馬鹿は死ね

612:考える名無しさん
19/04/16 01:32:56.49 O.net
自分を勘定に入れないのがカント
自分の勘定を如何に最大にするのかがスピノザ

613:考える名無しさん
19/04/16 02:43:18.74 0.net
カントでも何でも他を貶めてスピノザを持ち上げることしかできない時点で
ポモにどうしようもなく毒されているんだよ。江川のスピノザ講義も酷かった。

614:考える名無しさん
19/04/16 07:43:54.90 O.net
>>613
カントが自分を無にして万人にとっての道徳律を語ったのに
スピノザは同じことやってもネロとオレステスは違う善悪の彼岸を語った
同じことやっても扱いは違う
普遍的な道徳なんかはない
それにはどう答えるんだ?
スピノザの標的はカント的なものなのにお前は死んだ方がいいよ

615:考える名無しさん
19/04/16 08:06:11.52 0.net
こんな所で誰も読まない長文を投稿している、
という一つの生のあり方には、とても興味を覚える
晒しage

616:考える名無しさん
19/04/16 08:07:10.05 O.net
プラトンはソフィストの批判だしアリストテレスはプラトンへの批判
カントはライプニッツやヒュームへの批判
何を標的に哲学を語っているかそれがわからなきゃ哲学なんかできない
禁断の木の実の話一つ取ってもスピノザが万人にとっての普遍道徳の批判を目的にしていることは明らかで
カントやライプニッツみたいな一般的道徳や秩序信仰が敵なんだよ

617:考える名無しさん
19/04/16 08:10:28.68 O.net
スピノザが普遍道徳を批判しているのは証明さえいらない前提条件だ
著作に明白に書いてある
その上でスピノザは何を語ったか
スピノザの無限、スピノザの公理主義を語らなければならない
そこでははっきりニーチェなんかとは違う

618:考える名無しさん
19/04/16 09:12:47.40 0.net
>>615
ただのヒステリーだろう

619:考える名無しさん
19/05/31 18:46:56.75 0.net
敵/味方という分け方で語る理由がよくわからん

620:考える名無しさん
19/07/10 05:05:50.62 0.net
スピノザは、一切を必然と考えることは、人間に安らぎと最高の幸福を与えると言っているという。
(『スピノザの世界』 上野 修著)

621:考える名無しさん
19/07/10 11:15:09.41 0.net
言ってなさそう
典拠なし

622:考える名無しさん
19/07/12 16:15:45.27 0.net
スピノザってスペルマに似てるよな

623:考える名無しさん
19/07/16 00:10:07.88 0.net
うむ。おどろいたね

624:考える名無しさん
19/07/16 16:25:42.17 0.net
林葉直子の愛人かね?

625:考える名無しさん
19/07/16 17:38:42.56 0.net
世の中の言論はおおむね、沈黙と工作に二分されている

626:考える名無しさん
19/07/16 18:02:06.16 0.net
いつでもこういうものだ。戦争に向かうときでもね。
戦前だろうと戦後だろうと、決して反省などしていない。

627:考える名無しさん
19/07/16 18:22:03.23 0.net
都合が変わったから、それに合わせて表向きの言動が変わっているだけ。
自分に都合がいいように発言するか、さもなければ沈黙している。

628:考える名無しさん
19/07/16 18:28:53.69 0.net
だからこそ、ほとんどの人間はうまくコントロールできる。
どういう言動をすることが自分の不都合になるのか、実力行使または
その可能性を示唆して、示してやればいいだけだから。
自分の都合にすら配慮しない人間は、まともではない変な人間だ。
だからコントロールが効かず、危険である。

629:考える名無しさん
19/07/16 18:57:13.67 0.net
統治にとっての危険は、ご都合主義の沈黙を可視化してしまうこと
において、大方、人々にとっても危険である。それは、人々全体に
とって危険であるというのではなく、そのことで気まずい思いを
させられる各自にとって危険なのだ。ご都合主義が人々全体に
危険を招いたとしても、その危険が皆に共有されていると感じられる
限り、人々は心の安らぎを確保できる。

630:考える名無しさん
19/07/16 19:11:07.00 0.net
社会が人間主体で形作られる限りにおいてご都合主義でないことなど存在しない
誰にとってご都合主義なのか?という違いがあるだけだ

631:考える名無しさん
19/07/16 19:16:32.48 0.net
だから、各自にとって何が不都合であるかを思い知らせてやることが
できるなら、全体にとっての不都合は、それがカタストロフィ的な破滅を
もたらすとしても重要ではなくなる。

632:考える名無しさん
19/07/16 19:48:25.03 0.net
個々人の選好がそれぞれ異なるってる時点で全体に適用できる不都合ってのは限られるんだよ
経済システムがその好例だが、ある人にとって良いことが別の人にとって悪いことになる
誰かが損しなきゃ儲からないってのが経済の本質でありそれが社会の基本構造だろう

633:考える名無しさん
19/07/16 22:00:59.91 0.net
ある充足を求める目的社会では生存以外の権利はほとんど
どうでも良いことと看做されるが
経済社会においてはその生存権すら脅かされるという始末だ
太古のように団らんとか過剰を求めない安定的な暮らしに基礎を置くなら
誰からも奪わず奪われず、奪う対象者がいないので
こうした悲劇は生じてこない

634:考える名無しさん
19/09/04 03:48:56.23 0.net
自分の活動能力を高めてくれるものが「善」であるとスピノザは言っているようだが、スピノ
ザの哲学は、果たして自己の活動能力を高めてくれるものであるのだろうか?
また、スピノザ哲学が自己の活動能力を高めてくれるものであるとしても、それはどの程度
のものであるのか?
例えば、「神即自然」の認識は、どの程度自己の活動能力を高めてくれるものであるのだろ
うか?

635:考える名無しさん
19/10/12 06:56:51.67 0.net
猟奇犯、サディストなんかは他人を傷つけることで性的興奮を満たし活動能力が高まる訳だからな
善というのは個人の活動にのみ還元できる代物ではなく他者との関わりという複合的な要素が
絡んでいるからそんな風に単純化できるものではないだろう

636:
19/10/19 13:16:12 0.net
>>634
コトバンクの神即自然のスピノザよりに書かれている「神」の部分を「何か」に
置き換えて読んでみるのだ。スピノザは説いたと思っていたのかもしれないが
人間精神が完全な能動に達して自由を実現してないから犯罪も紛争も止まないわけで。

637:考える名無しさん
19/10/21 16:40:11 0.net
人間精神が完全に自律的であることなどありえないとスピノザは前提してるんだよ
だから、精神が活発に働くような生き様が善でありそれが善であるとした

638:考える名無しさん
19/10/21 19:11:22 0.net
損得勘定が前提にあるスピノザも人間だもの

639:考える名無しさん
19/11/30 13:00:14.76 0.net
スピノザもデカルトもやっていることは同じ
他者とは意見が異なりうる、視点によって見方は変わる
全ては疑いうる
デカルトの悪霊
しかし、連続関数でどっかに不動点はある
それが神だ
アリストテレス、アンセルムス、トマスなどと同じで個々の事実は疑えても遡って食い違いのない正解は必ずある
それが方法論的懐疑
更に数学とか経験離れたアプリオリな真理も嘘ついちゃ仕方ないから、疑いえない真理に基づく合理論哲学が構築できる
デカルトは天才数学者でもあり、数学を柱に延長を使って哲学を作る
スピノザは、方法論的懐疑の所を無限に置き換える
無限で全てを白日の元にさらせば必ず正解はある
他者との食い違いも、関係ない正しい答えが存在することは証明できる
また、相対的な経験、感覚、内面を排除して、無限の操作で、円に対する正しい観念は得られる
それは主観に関係ない
主観に基づく内面性、弱者の連帯の観念論廃した、唯物論の白馬の騎士、ドゥルーズ型のスピノザの出来上がり

640:考える名無しさん
19/11/30 22:12:20 0.net
作図された円に感覚で接している限り、歪んでいて、半径もこちら側とあちら側で違う
ヒルベルトが言うように公理主義的な点や直線や平面は、経験的な点や直線や平面とは違う
全ては無限の規則の束で、であるが故に主観や感覚や相対性と無縁だ
この無限を通された物は、誰にとっても厳密に妥当し、揺らぎはない、誰にとっても違いはないから
主観主義的観念論、相対性、非厳密性は排除される
主体や内面性、視点の相対性が除外される

ヒルベルトの無限は、
一、全てを目の前に持ち出し何も外部がないこと
二、感覚や相対性超越した無限の厳密性
この二つの意味がある

641:考える名無しさん
19/12/04 18:36:54 0.net
ヒルベルトじゃなくスピノザな

642:考える名無しさん
20/01/07 07:49:43.00 0.net
スピノザ『エチカ』wiki*、ってものを発見したよ。
2007年というから、ずいぶん前からあったんだね。
一見トンデモとおもたよ。なにせ「自己原因」が「ひとり立ち」、
「実体」が「物質」(! それじゃmatterじゃん)、「属性」が「性質」
(それじゃnatureじゃん)、「様態」が「化身」(それじゃ渡辺淳一じゃん)
になっているのだからね。文体もこんなふうに、まあくだけてる。
でもこれがなかなか本格的なんだ。ちゃんとしているみたいなんだ。
ありふれたかぶれじゃないみたいなんだ。いいんだ。じゃ。

643:学術
20/01/07 08:35:02 0.net
経済にももうけ過ぎると浄化作用は必要。

644:学術
20/01/07 08:35:41 0.net
マフィアや暴力団に投資する方が上向く。

645:考える名無しさん
20/01/07 09:08:59.45 0.net
朝から起きてるなら
探せばいいのに
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646:考える名無しさん
20/01/07 18:56:38.42 0.net
バイトも終わったんで、改めてスピノザ『エチカ』wiki*について。
どこのどなたがスピノザになりかわっているのか知らないが、
感謝の気持ちを表明させてもらう。「知性」の解釈など。
で、再開してもらうわけにはゆかんのだろうか。第五部だけでも
っていうのは都合がよすぎるかな。
以下は読み飛ばしてね。
まず、「舗装」のところは何か誤解があるのかな。
それから、スピノザは祈らなかったと思う。往復書簡集の53(岩波文庫では)
の最後のところによれば、「ボクセルさん、あなたのことで神に祈ることは、
私には笑うことなしにはできません」とスピノザは言ったらしい。これは
ボクセルのことがきらいだったからでなく、そもそも自分を含めて
誰のためにも祈らなかったということだと思う。畠中さんもそう見ている。じゃ。

647:学術
20/01/07 19:06:42.57 0.net
定理面白いよなあ。神々。

648:考える名無しさん
20/01/08 06:58:40 0.net
スピノザ『エチカ』wiki*のことで、とりあえず最後に。
考えてみたら、このなりすましさんはもう(ないし以前から)立派な
論文をお書きかも知れないわけで(皮肉じゃないよ)、
その筋の人にはすでに知られているかもね。
いっそ、あいつの名前なんかは省いたり、さすがに「物質」は
やりすぎかもと思ってもらったりした上で、書物にしてみたら?
バルーフさんが草葉のかげで泣くようなものにはならないと
思うんだけどな。じゃ。

649:考える名無しさん
20/04/03 22:27:20.18 0.net
神学・政治論おすすめ
エチカ挫折するやつ多いからなおさら

650:考える名無しさん
20/06/01 06:02:04 0.net
>>649
>エチカ挫折するやつ多いからなおさら

お薦め本:
『スピノザ よく生きるための哲学』 (フレデリック・ルノワール著)

『エチカ』がわからなくても、『エチカ』がゲーテをはじめ物凄い影響力をもち、
人間の生き方を変えてしまう書物だということがよくわかる。

651:考える名無しさん
20/11/05 04:52:42.71 0.net
「エチカ」は衝撃だった

652:考える名無しさん
20/11/20 17:44:32.82 0.net
 エチカは、すごい平面的だ。「素直」に読めば理解できる。ただ、なぜ理解できたかのか(自分では理解できてるつもり)
あんまり疑わずに読んだからである。悪は何とか・・、徳とは何とか・・・そういうのをいちいち反論せず、まあまあで読むと最後に分かるの
である。「お前は本当に理解してるのか」とか言われると、まあ、そうと思う、と言う。スピノザは何を言っている?のか!教えろ!、だとか、言う人がいる。
正解は?と言われる。そういう問いそのものは「還元すれば?、演繹すれば?どうなのか」・・そういう問いと似たものである。5
「エチカ」自身が「還元」の書物なのであるので、エチカを読んでくれ、としか言いようがない。1~3部が、骨であり、4~5部はそれの展開なのである。
これについて何か言え!というなら、
 事実は、1から3部を理解すると、4-5部は驚くほど簡単に理解うるということ。1~3部を読むとき、注釈や前文(訳者による)を読まないで
曖昧なままに読む・・ということ、神、存在、形相、概念、本性・・といったものは、それで、一々引っかかっているのではよくない。デカルト的な感じで
読めば良いと。 ある種の本は「ザーッと」一回読んで、読み飛ばして、もう一回読めば良い。なぜなら、一回目で言われている概念は一回目では
分からないからである。つまり応用されて初めてその概念が分かるからである。大きい概念ならなおさら。例えば「アパッショナータ」と言われれば、
人は思う。ある知識のあるものは、べートーヴェンのピアノソナタ23番のソナタである。ソナタとは1~3部からなる形式。とか、
テーマ、テーマの展開部、テーマに戻る、終局部・・。展開部はテーマが長調なら、短調になる。・・だとか。こういうものは実際に譜面を読むか、聴くかしか
ないのである。
本は2回は読むべきというのはそういうことである。そういう基本的なことである。詩を暗記しろ!というのも、「落葉」を見たことが無い人に、「君はいつか落ち葉を見るだろう」
という、ことを想定しているからである。その他いろんな無駄と思われることも後に役に立つのである。
そうして、なんだかんだ概念を覚え、概念を使い、そして概念は権力だと思うに至り、概念を破壊し、「適切」な概念を構築しようと思うのである。

653:エチカ
20/11/25 15:55:51.97 0.net
 エチカは、倫理である。というと、倫理よ道徳を混同する人がいたが、倫理は「良いー悪い」の基準で会って、善悪のことであはない。
善悪は良い悪いから、発生したのである。「良い悪い」は、痛い、嫌だ、気持ち悪い、」などの身体的反応が原因である。
反応(反動、反射)は、己でコントロールできないのは明らかである。「オレは絶対傷付かないぞ!と言う人は、実際には「グサッと傷つく」。
ボードレールや太宰のように、言葉がナイフのようなし方で傷つく人種がいる。こういう人は、傷つく練習をしてもやはり傷つく。
ディオゲネス(キニク派の、樽の中に住んでた人)は怒られる練習をしていたが、ボードレールがこれをしたらヤバいであろう。
ヘルダリンやクライストが、カントの「批判シリーズ」にショックを受けるようなものだ。ゲーテは「お酒」でしのいでいた。
こういうことから分かるけれど、感覚、イメージは「それ自身内在」していて、ある条件下で意識に上る、それ故、身体の基準である「良いー悪い」
にこそ気を付ければならないということであり、「善悪」などの基準は二の次だという事である。
つまり「道徳」ということはそれが「過度な一般性」を持つ場合には個人にとって有害だということである。
住み慣れた田舎が良いと・・老人は言う・・のは、己の身体と他のもの(環境)との適切な距離を築いたので、都会は嫌だという。
習慣は脳の硬直性であるが、「動き過ぎた脳」はこれは、実験的なものであり、真に「創造者」の領分であるり、柔らかくなり過ぎた脳である。
「こういう「全部」のことに「できるだけ早く」到達すべきと言っているのではないだろうか?。ドゥルーズがいうのは「ゆらぎながら、動くように、
その目安、基準、澪標(みおつくし)が、エチカには存在する。・・。

654:考える名無しさん
21/01/17 15:33:28.74 0.net
エチカというタイトルからしても、スピノザの最大の関心は倫理にあったようだ

655:考える名無しさん
21/01/18 21:52:35.67 0.net
日本人ならば仏教だよ。
エチカはバテレンだな。

656:考える名無しさん
21/01/19 02:33:34.57 0.net
 以下、スピノザ『神学・政治論』 (光文社古典新訳文庫) より
《…キリスト教が禁じられている国に暮らす人は、こうした儀礼を行わないよう
義務付けられる。それでも彼らは幸福に生きられるのだ。この例は日本という王国に
見出せる。》(上巻第五章)
以下、上野修『「無神論者」は宗教を肯定できるか』#4より
《スピノザは自分は教会には行かなかったけれども、下宿のおかみさん家族には
毎週説教を聞くようにすすめていたらしい。そして、ある日おかみさんから、
いまの自分の宗教で幸福になれるだろうかと尋ねられて、こう答えたという。
「あなたの宗教は立派です。あなたは静かに信心深い生活に専念なさりさえすれば、
幸福になるために何も他の宗教を求めるには及びません。」
(リュカス、コレルス『スピノザの生涯と精神』)》

657:考える名無しさん
21/01/21 06:40:39.28 0.net
現代の神は「お金」かもね。

658:考える名無しさん
21/01/23 14:36:18.02 0.net
>>657
それを言うなら、17世紀のオランダだってそうだ

659:社会学の概念?正常性バイアスなどと言っているが・・
21/03/14 12:32:07.68 0.net
「正常性性バイアス」などと言っている。同一性のバイアスである。同一性幻想の存在のこと。
明日も生きているだろう、明日も大丈夫だろう。明日も健康であるだろう・・。
例えば、日本で震度3くらいの地震が起こる。日本人は「まあ、これくらいは大丈夫」と。外国人「ど、どうしよう!」と、パニックを起こす。
これの対応でどちらが相応しいということは言えない。日本人は習慣から、まあ大丈夫、外国人は驚く。
この大丈夫・・という感覚が経験に基づく類推であり「「科学的でない」ので、経験値のバイアス(補正)の存在が示される。原理的(演繹的)、科学的なものは二次的になる。
これ(補正)は哲学的に言えば、抑圧、、「忘却」のことであり、痕跡(トラウマ)の処理方法でもある。人間の恒常性の維持でもある。幻想の維持(しかし幻想は幻想の理由がある・・」。
災害の記憶を「そのまま」伝えるということは「トラウマ」を植え付けることであり、いつも「意識」「覚醒」しろということで、これではノイローゼになるので
人間は「忘却」機能を持つのである。幸福、快楽、はすべて「忘却」を前提している。胃の動きは意識されない。それは脳が抑圧しているからで、
忘却能力が能動的、積極的能力であるからだ。体調がすこぶる良いと、今度はすごく小さい傷、変化にも意識が行く。
話変わって・・・・「孤独」というのは、外部刺激が小さいということを示しており、その結果、おのれ自身へ意識が向く。というか「おのれ」という事態が起こる。孤独への適応方法に悩む人がいるらしい。
自由を得ると困るのかな。
・・コロナ禍における要請・・「もっとステイホームして」、地震、災害において「いつも考えていて!」「避難訓練を本気でやれ」というのは、別の病気へと誘うものである。
「記憶そのものを」人間に押し付けるのは「トラウマ」の伝達であり、限界があり、返ってそれは「虐待」でもある。それは「法」「「システム」に反映されるべkいものである。
「個人の意識」が大事だと言っている人は、悪しき精神論に陥っている。小池知事の「ステイホーム連呼」のように。「がんばれ」の連呼の悪夢で、旧日本陸軍的である。
ニーチェは言った、目的を欲するものは手段も欲しなければならない・・。コロナをどうにかしたければ、その具体的な方法を欲さなければならない・・。

660:自殺は他殺
21/03/19 18:32:09.93 0.net
つまり、自殺はいろいろな刺激がある日常(=行動、習慣、ドーパミン放出など)
が阻止され別の、行動をするように結果である。行動=習慣を変えられ、相対的に
阻止されれば、小さな傷は意識され(拡大されうる)。行動は実は忘却の作業であった
ことが分かる。そして忘却は脳の作業であり、極めて脳の作業である。脳の反響である。
人が行動、ブームであれ、行列に並ぶのであれ、「じっとしているのが苦痛」が
あるからである。それらをくだらないと言ってはダメであろう。それらを「いつも逃げている」
と言うのを「ポジティブ」な意味で理解しなければならない。有機体を保持したいならば。
「脳とじかに触れ合う」ことは、脳と対峙することは、これは有機体の、オルガノンの
そと(外)を発見してしまう。「人間」はある組織化された「有機」化されたつまり、国家
なのであり、常識、共通感覚、・・そういう幻想である。文化が「必要な嘘」であることも
同じ意味である。だが宇宙がそうであるようこと、宇宙が非有機的であることに
反抗している。
 

661:自殺は他殺-2
21/03/19 18:32:48.84 0.net
有機体は崩壊過程であるので、
遅かれ早かれ終わる。関係の崩壊である。関係が崩壊するまえに別の関係を創造するのが
「生殖」と呼ばれている。子供を産むことである。子供を産めば産んだ当事者らが
「不要」になるという・・のは生物学の範囲である。人間は生物学を超えているので、
不要に(生物学にポジシオンするならば)生きるのである。
 「自殺は悪いと言う」のは脳であり、国家でもある。自殺は良いも悪いもないけれど、
必然的に訪れる。「自粛」「ステイホーム」などの要請は、自殺を手助けしている。
自殺は、その前にうつ状態になっている。というか、うつ状態という定義が自殺から
導きだされたようにも見える。苦痛の持続もそれだけで威力があるが、苦痛を考えて
それで、苦痛が「有機体の響き」であることも知るようになる。これは苦痛の意味の変化
であり、即永劫回回帰へ結びつくので、つまり、「苦痛は生命に対する抗議」ではなく、
ニーチェはこれを言っていた。しかし、生命(有機体)には抗議しているのではないかと
思う。抗議というか、この「痛み」自身が我々を流れさせ、忘却させ、一度は克服した
痛みを再び襲うからである。ライプニッツの「沖に行ったと思ったら、岸に戻っていた」
ヤスパースがニーチェについて言っていた「以前考えていたときに戻っていた」
ということ、文言は違うが。
 聞き分けが無い「(差異と反復、ハードカバー版、財津理訳
のP387ページ)」から、常識を知らないから、器官なき身体=他者=自我がそれに
よって作られるそれ、自我を上から見てるヤツ、自我にとって恐怖である「そのヤツ」である。

・・孤独に慣れており、またはそういう上記のような真理を知っている
ものは、孤独は練習、鍛錬の過程だと知っている。しかし、脳が非常に強く、脳が
極めて、常識的、公的、国家的・・すなわちオピニオン(偏狭なモデルの支配下)つまり自我
であることは知られている。苦痛のただなかで「それ=脳」を知る者は
「器官無き身体」の存在を経験で知ることになる。「不眠」「狂気」は器官無き身体の
現存在を示している。自我を「そとから」見るような、本質的に「他」であるもの。経験的に
知られ得る。論理的にも知られ得るだろうが、経験の方が早いと思われる。


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