□ ジャック・デリダ Jacques Derrida 7 □at PHILO
□ ジャック・デリダ Jacques Derrida 7 □ - 暇つぶし2ch2:考える名無しさん
15/01/06 14:31:36.34 0.net
URLリンク(www.youtube.com)

3:考える名無しさん
15/01/06 21:50:21.00 0.net
吉本隆明「どんな書物も100回読めば全員が同じ読みに到達する」

4:考える名無しさん
15/01/16 06:20:29.88 0.net
Workshop ジャック・デリダ『獣と主権者I』を読む
2015年 2月22日(日)
興味あるけど面白くないですかね
URLリンク(www.comp.tmu.ac.jp)

5:考える名無しさん
15/01/18 09:01:24.29 wMskskAD0.net
『時間を与える Donner le temps. 1. La fausse monnaie』(91)って1しか出てないの?

6:考える名無しさん
15/01/18 09:08:32.31 0.net
ですね

7:考える名無しさん
15/01/18 15:20:20.38 0DRoehwe0.net
そうですか

8:考える名無しさん
15/01/18 15:21:05.42 0DRoehwe0.net
ID変わってるけど5です

9:考える名無しさん
15/01/18 16:00:11.75 PTDZvHIe0.net
どうでもいいだろ、そんなこと。

10:考える名無しさん
15/01/20 10:25:29.49 0.net
982 考える名無しさん 2015/01/01(木) 20:47:22.07 0
現代思想 2015年2月臨時増刊号 総特集◎デリダ2015/1/22
ジャック・デリダ、 東浩紀
ムック
¥ 2,376
内容紹介
ジャック・デリダが逝去してから10年となる2014年、
さまざまな関連書が刊行され、また国内外のシンポジウムも開催された。
本特集では日本で開催されたシンポジウムの内容に加え、
デリダ自身の未邦訳テキスト、デリダに近しかった研究者、
そして新世代の研究者による論考など、デリダの全貌に迫る決定版的総特集。

目次予定*
【未邦訳インタビュー】J・デリダ
【インタビュー】東 浩紀
【論考】J-L・ナンシー/C・マラブー/M・ナース/藤本一勇/合田正人
宮﨑裕助/松葉祥一/梶田 裕/増田一夫/守中高明/郷原佳以
立花 史/西山雄二/亀井大輔/長坂真澄
【資料】デリダ著作目録(最新版)…and more
出版社: 青土社 (2015/1/22)

11:考える名無しさん
15/01/20 22:49:12.39 0.net
Quelle voix pédagogique reste-t-il des livres de Jacques Derrida ?
Yuji Nishiyama
03/10/2014
Conférence de Yugi Nishiyama lors du colloque Jacques Derrida à venir, questions ouvertes,
organisé par l'ENS et l'IMEC Jacques Derrida est de ces philosophes qui ont sérieusement
remis en cause les rapports théoriques et pratiques entre la phi...
Catégories : Derrida à venir, questions ouvertes
Mots-clefs: pédagogie, enseignement, éducation, popularité
URLリンク(savoirs.ens.fr)

12:考える名無しさん
15/01/20 22:57:05.97 0.net
デリダ伝2014/12/26 ブノワ ペータース、単行本¥ 10,800
哲学への権利 12014/12/23ジャック・デリダ、単行本¥ 6,048
獣と主権者I 2014/11/28ジャック・デリダ単行本¥ 7,776
動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある (単行本)2014/11/5ジャック・デリダ、単行本¥ 3,456
プシュケー 他なるものの発明(I)2014/6/28ジャック・デリダ、単行本¥ 10,260
デリダと文学 (叢書・エクリチュールの冒険)2014/6/18ニコラス・ロイル単行本¥ 3,024
ジャッキー・デリダの墓2014/4/22鵜飼 哲単行本¥ 3,996
ヴェール2014/3/14エレーヌ・シクスー、 ジャック・デリダ単行本¥ 4,320
エクリチュールと差異 (叢書・ウニベルシタス)2013/12/24ジャック デリダ、単行本¥ 6,048
散種 (叢書・ウニベルシタス)2013/2ジャック デリダ、単行本¥ 6,264

13:考える名無しさん
15/01/22 07:37:45.28 0.net
Glasの翻訳まだか

14:考える名無しさん
15/01/22 10:01:25.95 0.net
鵜飼哲は論文書けないけど翻訳が良いのだからGlasはよ

15:考える名無しさん
15/01/24 08:02:01.28 0.net
現代思想のデリダ増刊号買った

16:考える名無しさん
15/01/27 13:55:58.20 0.net
ed. azertって何者?
本名知ってる人いる?

17:考える名無しさん
15/01/27 14:35:02.84 0.net
インスクリプトの編集者では

18:考える名無しさん
15/01/27 15:34:23.67 0.net
10年前のデリダ追悼号のデリダインタビュー「傷つける真理」今読んでておもろい。
デリダがフランスの悪口ばっか言ってるとことか、反日ならぬ反仏知識人か。
やっぱみんな自国への愛ゆえか自国のことには容赦ない。

19:考える名無しさん
15/01/27 22:12:10.88 0.net
デリダインタビュー「傷つける真理」読み終わった。
なにげに入門書よりもいいかも。いろいろインタビュー探して読んでみよう。

20:考える名無しさん
15/01/28 09:51:07.97 0.net
>>16
中村大吾

21:考える名無しさん
15/01/30 09:12:54.51 0.net
304 考える名無しさん sage 2014/05/25(日) 05:01:02.17 0
Limited Inc.って「有限株式会社」じゃないの?
305 考える名無しさん sage 2014/05/25(日) 05:16:08.01 0
株式会社は有限責任会社の一種
306 考える名無しさん sage 2014/05/25(日) 05:22:31.33 0
>>305
そうだけどLimited Inc.ってデリダの造語でしょ
たんに「有限責任会社」ならInc.かLtd.でいいわけで

22:考える名無しさん
15/01/30 09:43:19.69 0.net
『デリダ伝』どうなの?
pouvoirmagiqueは感想を書かないけど

23:考える名無しさん
15/01/31 12:41:21.94 0.net
「脱構築」という言葉が初出したのってどの著作のどの論文?

24:考える名無しさん
15/01/31 12:47:06.82 0.net
レポートネタ乙
ここは知恵袋じゃないです

25:考える名無しさん
15/02/04 08:42:08.44 0.net
 

26:考える名無しさん
15/02/04 23:56:05.50 0.net
deconstructionってデリダの造語じゃないからね
念の為

27:考える名無しさん
15/02/05 00:11:34.32 0.net
ハイデガーの「破壊」が云々

28:考える名無しさん
15/02/05 06:12:13.07 0.net
千葉雅也 Masaya CHIBA @masayachiba · 2月3日
ツイッターで僕が本質的に関心を寄せるのはツイ廃系のツイートに或る緊迫した意味と無意味のせめぎあいが生じる瞬間や、
孤独な作業を報告してるもので、良識や社会正義で味方なり敵なりに訴えるのには相対的に関心が薄い。ツイ廃のキワのところや孤独な日誌にしか、ツイッター哲学は存在しない。

29:考える名無しさん
15/02/05 17:04:21.75 YMt3I2eo4
>>12
金持ちしか買えないじゃん。

30:考える名無しさん
15/02/08 09:26:25.33 0.net
>>26
誰の造語なの?

31:考える名無しさん
15/02/10 17:13:41.09 0.net
>>30
フランス語に元からある言葉だよ

32:考える名無しさん
15/02/25 09:03:14.16 cF/tiWtyM
デリダのbabelの話は阿呆らしい気もするが?
そもそも、近東においてさえ、言語は各国で同時に発生したのではない。
進んだ国が遅れた国の言語に影響を与えて来たのだ。
近東から離れたアメリカ大陸やアフリカではヨーロッパ人から文字を
もらってるし、中国の漢字にはサンスクリット語の表音文字もある?
日本の漢字も外来だ。
国分のデリダの言う?「翻訳不可能性」については、ドゥルーズらの
多言語多文化主義を対応させるとすれば、これとても現状は各言語の
単語の起原を明確に指摘することは難しい場合が多いとしても、それらの
国際間の単語の対応関係は、段々と分かりつつあり、大雑把な把握としては
神話のサイクルとしてほぼ完成されつつあるのではないか?
まず、世界(近東に限定したw)に言語の混乱を生んだbabelと言う単語を
発したYahwehとは何者なのか、という問題だが、これについては、少なくとも
神としての機能は解明出来たと言っても、恐らく過言ではないだろう。

33:考える名無しさん
15/03/06 22:24:30.51 0.net
東浩紀が「動物化するポストモダン」を書いたのと、デリダが獣、動物を語り始めたのが関係あるのかと思いました。最近、デリダの動物論が翻訳されるのも日本の東人気を意識してるのかなと

34:考える名無しさん
15/04/04 21:25:57.09 0.net
河村書店 ‏@consaba 16時間16時間前
書評・郷原佳以「忠実な読者」による手紙とアーカイヴの思想家の伝記 『デリダ伝』ブノワ・ペータース/著、原宏之、大森晋輔/訳(白水社)|『図書新聞』| URLリンク(www1.e-hon.ne.jp)

35:考える名無しさん
15/04/05 00:09:58.54 0.net
忠実な読者というのはきわめて疑わしい。
著者はどうみても哲学に関心のある人間ではない。
なぜそこまでデリダの著作を読み、伝記的事実を調べ上げようと思ったのか、
その動機が分らない。私にはこの著者がその筋の人間であるように感じられる。

36:考える名無しさん
15/04/05 00:11:29.94 0.net
>>35
その筋ってなに?

37:考える名無しさん
15/04/05 00:43:08.98 0.net
ペータース普通に超インテリだろ

38:考える名無しさん
15/04/05 00:59:01.15 0.net
その基準だと立花隆も超インテリになりそうだな

39:考える名無しさん
15/04/06 00:04:55.86 0.net
デリダの伝記はどうなの?

40:考える名無しさん
15/04/06 00:06:15.87 0.net
いいという結論

41:考える名無しさん
15/04/06 18:32:47.56 0.net
思想家で巨人の吉本隆明先生の御言葉が
哲学板中に貼られている。なんだろう

42:考える名無しさん
15/04/06 18:56:19.00 0.net
時間の有り余った信者のじいさんが貼ってる

43:考える名無しさん
15/04/06 18:56:30.45 0.net
相変わらず盛り上がらないスレだな

44:考える名無しさん
15/04/06 19:09:14.24 0.net
そりゃああれだけ盛大にやらかした以上はね
こいつの所為で哲学者が単なるポエマーで落ちこぼれの学問だと印象付けてしまった

45:考える名無しさん
15/04/06 19:44:01.85 0.net
ミミズガメw

46:考える名無しさん
15/04/07 14:42:03.78 0.net
声と文字についてお聞きしたいのですが。
自分で発する声を自分で聞くことが現前性だとデリダは言うらしいですが、
自分で書く文字を自分で見ることは現前性にはならないのでしょうか。
お願いします。

47:考える名無しさん
15/04/10 09:21:26.69 0.net
yusuke miyazaki @parages · 16時間 16時間前
文庫の解説というものを初めて書きました。今回改めて繙読してみて17年も前の著作ということに驚きでした。
そして自分がいかに本書のデリダ理解に知らずと負っていたかに気づかされた。今でもデリダを読むなら誰もがまずはくぐり抜けるべきスタンダードたる優れた入門書>高橋哲哉『デリダ』

48:考える名無しさん
15/04/10 13:45:09.07 0.net
高橋哲哉は、ギリシャの賠償請求に対するドイツの応答責任について何て言ってるの?

49:考える名無しさん
15/04/10 15:39:47.07 0.net
>>48
その人がなんて言ってるかは知らないけど、ドイツの賠償についてはドイツ国内でも両論あるね。
統一国家が復活した以上、連合国としての扱いが微妙なギリシアには賠償責任は残ってるというべきかな?
似たような状況にあった日本と韓国では、日本が実質的な賠償をすることで合意した。

50:考える名無しさん
15/04/10 17:37:28.17 0.net
デリダ関係ないが

51:考える名無しさん
15/04/10 19:42:33.87 0.net
えっ、だって高橋哲哉、デリダ論のなかで無限応答責任みたいなこと言ってなかったっけ?

52:考える名無しさん
15/04/10 20:20:15.29 0.net
>>49の回答にデリダが関係ないってこと
デリダ読んでて高橋哲哉知らない人はいない

53:考える名無しさん
15/04/11 12:05:12.53 0.net
>>52
デリダだけ読んでちゃいけないの?

54:考える名無しさん
15/04/11 17:10:53.50 0.net
デリダの訳者でしょ?外国語で読んでるの?

55:考える名無しさん
15/04/11 18:05:47.75 0.net
>>53
この人の訳のものは読んだことないな。
なに訳してるの?

56:考える名無しさん
15/04/11 18:49:47.90 0.net
『有限責任会社』

57:考える名無しさん
15/04/11 19:07:28.67 0.net
それだけ?

58:考える名無しさん
15/04/12 09:55:58.94 0.net
『他の岬―ヨーロッパと民主主義』と『ならず者たち』も訳してるけど…それはデリダの真似?

59:考える名無しさん
15/04/13 03:05:59.54 0.net
現代思想のデリダ特集ってどうだった?
読み応えあった?

60:考える名無しさん
15/04/13 03:10:43.93 0.net
最新動向がわかるという一点で買い

61:考える名無しさん
15/05/02 16:59:05.97 0.net
パピエ・マシンとかおしゃれよね

62:考える名無しさん
15/05/02 20:27:48.66 0.net
 『デリダ 十年目の遺産相続』では冒頭のインタビューがやはり
貴重でしょう。1999年の時点で自身にとってのハイデガーとは何だったか
、長いインタビューに応じている。「絶えず目を光らせる厳格な父」で
自分は「彼が怒るような読みをし、彼ならやらないだろうことばかり
やってる息子」という絶妙な比喩を使う。

63:考える名無しさん
15/05/05 22:14:58.39 0.net
『週刊新潮』1月17日号「福田和也の闘う時評」/「古井由吉『白暗淵』に舌を巻く」
福田が『作家の値うち』で「日本文学史に大きく名前をとどめるべき傑作」と評価し、全対象作中最高の96点を付け、「あとがきにかえて─現代日本文学と
「すでにそこにあるもの」」において「九〇年代の「収穫」」として挙げた『仮往生伝試文』(実際は1989年刊行)をも超える作品として『白暗淵』を絶賛している。
尤も『新潮』2008年1月号の古井×福田対談「平成の文学について」では既に同じ口ぶりで同作を賞賛していたのだが。

64:考える名無しさん
15/05/20 01:03:22.42 0.net
高橋本が文庫化されたね

65:考える名無しさん
15/05/20 01:06:45.43 0.net
解説は宮﨑だったね

66:考える名無しさん
15/06/03 08:44:37.41 0.net
412 名前: 考える名無しさん Mail: 投稿日: 2015/06/02(火) 20:23:18.79 [ 0 ]
赦すこと
赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの
予価:本体1,800円+税ISBN:978-4-624-93263-3
発行日:2015年6月30日判型:四六判上製ページ:140Cコード:C0310
ジャック・デリダ 著
守中高明 訳
〔ポイエーシス叢書63〕
現代最高の哲学者ジャック・デリダの晩年の問題系のひとつでもあった〈赦し〉の可能性 = 不可能性のアポリアを緻密に展開した論考。
現代世界のユダヤ教・キリスト教・イスラーム教をめぐる錯綜する紛争やイデオロギーの争いのなかで、ジャンケレヴィッチの議論やハイデガーのナチズム加担の問題を軸に、赦し得ない罪をそれでも赦し得るのかという究極の問いを論じ抜く。
訳者の力作解説付き。
目次
赦すこと―赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの
 訳者解説 不 - 可能なることの切迫―来たるべき赦しの倫理学のために

67:考える名無しさん
15/06/16 22:10:59.31 0.net
日本でリシャールの存在感が薄いのは何故?

68:考える名無しさん
15/06/16 22:38:47.76 0.net
蓮實が後期リシャールをスルーしてるから。
ミクロレクチュール以後の彼を。

69:考える名無しさん
15/06/16 22:39:58.21 0.net
あとは蓮實はマラルメに興味が薄い、
そしてマラルメ研究者にとって『想像的宇宙』は奇書で扱いにくい代物。

70:考える名無しさん
15/06/16 23:54:36.31 0.net
有難うございます、今「力と意味作用」を読んでいるのですが、ここでデリダが言及しているのは主にジャンルーセなのですが、
リシャールを投影されたルーセという気がして、リシャールとはどういう批評家なのだろうかという疑問がわきました。

71:考える名無しさん
15/06/16 23:59:39.53 0.net
前半ではルーセ像が明確ではなく、後半では専らルーセ自身が批判されていくのですが、分かりにくいです。

72:考える名無しさん
15/06/17 00:09:12.51 0.net
先走りすぎました、ちなみに蓮實のデリダ-リシャール観は知りませんでした。

73:考える名無しさん
15/06/17 00:20:02.24 0.net
「力と意味作用」において、構造主義を歴史の一契機としてみるのではなく、構造主義を構造主義的に考えると言った後に、まず構造の定義をリシャールによって与える。
構造主義についてその内部で考えると言うときには、リシャールのそれをルーセのそれとぶつけるという事になりそう。
ここでルーセとリシャールはどういう風に理解すべきか。

74:考える名無しさん
15/06/17 00:28:49.18 0.net
構造主義について考えるのに、構造主義一般について考えるのでもなく、人に言及するにしてもレヴィストロースでもバルトでもなく、
ルーセとリシャールに言及する。それを主に(一先ず)狭い意味での哲学ではなく、文芸批評を背景にそうする。
難しい。

75:考える名無しさん
15/06/17 00:30:15.19 0.net
その文芸批評は、文芸批評一般ではなく、当時のフランスの殆ど文壇とも言い得そうな具体的で特殊なもの。

76:考える名無しさん
15/06/17 00:31:02.11 0.net
当時の文壇にいる人にはツーカーで分かるような隠語的に書かれてるんじゃ無いかと思う。

77:考える名無しさん
15/06/17 00:32:09.97 0.net
隠語的であるがゆえに、全く別の人には全く別の様にも読めるし、そうすべきでもあるのだろうと思う。

78:考える名無しさん
15/06/17 00:37:33.64 0.net
具体的に言及対象と緊密になっていった結果、ある具体的なものを指すと同時に、言葉が一般性を欠いて自立してしまい語として自立してしまう。

79:考える名無しさん
15/06/17 03:36:30.58 0.net
作品の意味は作品の内にあって、その意味は作者の意図、想像力とは別物で、作品の形式の内にある、
この形式と意味の統一が構造としての作品というのがその批判に先立つルーセだ

80:考える名無しさん
15/06/17 03:38:55.43 0.net
○その批判に先立つデリダのルーセだ

81:考える名無しさん
15/06/17 03:41:29.97 0.net
意味と力=想像力と形式の分離をしてⅡで健投されるべき構造主義的なルーセ像が現れる

82:考える名無しさん
15/06/17 03:56:34.72 0.net
形式を持たないその意味で無としての作者の想像力があり、それが生む形式があり、そこに意味が宿る

83:考える名無しさん
15/06/17 04:19:13.45 0.net
これだとダメなんだよな

84:考える名無しさん
15/06/17 10:50:20.60 0.net
元来は存在しないはずの作品を形あるものとして眼前にもらたすのは作者の持つ想像力で、作品の起源はこの想像力だ
想像力と、形ある記号は別の次元に属し、想像力は記号ではなく、記号からなるのでもない
想像力は非概念的で豊富なものであり、いわば形を持たない想像力の純粋発話に刻印を与え想像的な豊富への固着を破ろうとするときに、書く事になる

85:考える名無しさん
15/06/17 11:27:50.13 0.net
想像の次元で自己の経験と一致した純粋発話の固着から逃れ純粋歴史と接合するときに人は書くことになる
想像的な自己の純粋発話の固着から逃れ純粋歴史への接合を目指すために書く

86:考える名無しさん
15/06/17 11:34:44.70 0.net
文学哲学難しいな

87:考える名無しさん
15/06/17 11:46:30.89 0.net
ゴミクズレベル

88:考える名無しさん
15/06/17 11:52:24.60 0.net
文学作品、哲学作品読むべきなんだろうな

89:考える名無しさん
15/06/17 12:06:19.67 0.net
お試しプレイって感じだな

90:考える名無しさん
15/06/17 12:18:42.64 0.net
やろう

91:考える名無しさん
15/06/17 12:21:29.14 0.net
北村透谷を読んだが彼も自ら亡くなる
三島もそうだし、長くは生きたが川端もそうだ

92:考える名無しさん
15/06/17 13:02:23.36 0.net
連騰規制
89は取り消し

93:考える名無しさん
15/06/17 13:15:08.88 0.net
妙に平穏だ

94:考える名無しさん
15/06/17 13:18:29.76 0.net
代補、サプリメントというのはわかる気がする
文学は余儀だが余儀でない

95:考える名無しさん
15/06/17 13:20:42.87 0.net
教養と意欲がないと文学は楽しめない

96:考える名無しさん
15/06/17 13:21:45.61 0.net
勿論才能はない

97:考える名無しさん
15/06/17 13:25:35.95 0.net
やはり色々読もう

98:考える名無しさん
15/06/17 13:26:50.22 0.net
三島川端は読んでない

99:考える名無しさん
15/06/17 13:31:28.00 0.net
力はない

100:考える名無しさん
15/06/17 13:37:39.60 0.net
頑張ろう

101:考える名無しさん
15/06/17 14:36:17.24 0.net
やる気がわかない

102:考える名無しさん
15/06/17 14:37:45.53 0.net
勿論才能はないがデリダは電車内でしか読めてない
参考文献も読んでない 

103:考える名無しさん
15/06/17 14:40:23.18 0.net
家でも読んでるけど主に風呂と風呂上り
やっても出来ないかもしれないし、出来てもどこにでもあるレベルだろう

104:考える名無しさん
15/06/17 14:43:44.18 0.net
デリダ

105:考える名無しさん
15/06/17 14:49:09.05 0.net
どこにでもあるレベルも無理だろう

106:考える名無しさん
15/06/17 15:00:57.86 0.net
デリダ読んでから落ちた
でも続けてみよう

107:考える名無しさん
15/06/17 16:17:21.54 0.net
無理にでもデリダに取り組まないと無気力から抜けられない気がする
ライフニッツ、カント、ブランショ、リシャールその他もよまないといけない

108:考える名無しさん
15/06/17 23:22:39.99 0.net
すまん2ちゃんはやめたい

109:考える名無しさん
15/06/18 13:06:03.66 0.net
形式と意味の調和によって力は休止状態になる
形式と意味の調和としての構造は、秩序だっていてあらゆるものをそこに取り込む事ができ、他者がいない

110:考える名無しさん
15/06/18 13:07:26.83 0.net
また何もせず吐き出してしまった
我慢が出来ない

111:考える名無しさん
15/06/18 13:12:23.71 0.net
ある発展が描かれていたとしてもそれがある構造の中での発展の場合、そこに力は無い
その発展を規定するものは方向であり意味であり、力ではない

112:考える名無しさん
15/06/18 13:15:10.35 0.net
一応一読した

113:考える名無しさん
15/06/18 13:17:09.68 0.net
ああクズい
ただの風呂上り つまらん

114:考える名無しさん
15/06/18 13:24:19.58 0.net
形式と意味の調和としての構造は恐らくは悪しき意味での形而上学であるというのは分かる

115:考える名無しさん
15/06/18 13:26:43.55 0.net
気力が出ん

116:考える名無しさん
15/06/18 13:31:39.49 0.net
何でこんな事をしてしまうのか
何もしてないし考えてないのに書いてしまう

117:考える名無しさん
15/06/18 13:36:25.33 0.net
これはデリダを読む前から誰でも命題として何となく知ってる事だ
とにかく舞踏=思考を働かせて、それを形式に結晶させたい

118:考える名無しさん
15/06/18 13:37:51.12 0.net
自分はデリダのテクストと、振りだけで全く舞踏してない
それなのに舞踏の感想を書いてしまうから嫌になる

119:考える名無しさん
15/06/18 13:43:56.15 0.net
全然書きたくも無いんだけど、思考に入りかけると書いてしまう

120:考える名無しさん
15/06/18 13:57:27.54 0.net
ライプニッツ的<書物>、マラルメの書かれざる<書物>とかエクリチュールについて、
その他色々ある

121:考える名無しさん
15/06/18 13:59:15.87 0.net
それにカントの想像力、ニーチェの力

122:考える名無しさん
15/06/18 13:59:57.08 0.net
これも全然考えてない、アリバイでしかない
くっそ 

123:考える名無しさん
15/06/18 14:02:56.08 0.net
全部が全部疎遠で疎外感がある

124:考える名無しさん
15/06/18 14:03:31.12 0.net
2ちゃんは止めたい

125:考える名無しさん
15/06/18 14:13:06.09 0.net
俺は能力ないし黙りたい
毎回そう思うんだがでも次回この続きを始めたくなる
始めて無くても
でアリバイ的に書いて虚しくなってという感じ

126:考える名無しさん
15/06/18 14:24:44.79 0.net
全然関係ない工場で作業してる感じ

127:考える名無しさん
15/06/18 14:27:38.12 0.net
でも工場とは違いマニュアルは無く自分でやってるんだけど、自失的に垂れ流してるだけ 
工場は全然良いが、後者は虚しいし嫌になる
ダメだ消えよう 自失から脱したい

128:考える名無しさん
15/06/18 14:37:26.59 0.net
もういい加減止めたい

129:考える名無しさん
15/06/18 14:43:24.57 0.net
全然楽しんでないのに書くことなんてあるわけない

130:考える名無しさん
15/06/18 14:46:18.45 0.net
2ちゃんはやめたい

131:考える名無しさん
15/06/18 15:26:59.62 0.net
頑張りたい

132:考える名無しさん
15/06/18 16:10:39.34 0.net
色々まずは自分で虚しくしているから頑張りたい

133:考える名無しさん
15/06/18 16:17:39.16 0.net
どうでもいいな
書き込みを全消去したい

134:考える名無しさん
15/06/18 20:49:28.08 0.net
ネット止めたい
普通に暮らす

135:一応
15/06/19 00:55:30.71 0.net
形式とそれに内属する意味という構造
この構造には危機がないのだろうか、この構造は永遠、至高の唯一無二のものなのだろうか
そうではない、なぜならば、形式は語からなるが、この語は、構造に先立ち、無方向的な力のもたらす意味=方向に関して「創始的」で創造にして啓示であるエクリチュールだからだ
構造の要素としての語は、構造の内部においてそれを支えるよう意味を担い機能するシニフィエ-シニフィアンとしてある記号ではなく、無としての力から「創始的」に意味=方向を「創造」かつ「啓示」するエクリチュールである
つまり形式と意味の統一体としての構造は、エクリチュールに先立たれており、このエクリチュールは安定した記号ではないために、構造も安定したものではないのである

136:一応
15/06/19 01:34:50.17 0.net
しかし危機的を孕むとは言え、作品は形式と意味の統一体として、構造としてある
構造に内属する目的を設定し、それにより構造を組織し、危機を消去する事でそれを永遠化するような行為が「力と意味作用」において批判される「哲学」である
謂わばそれは、人間を純粋歴史を解し展開する神になぞらえる事であると言える
ここで「批評」とは、構造に先立ち、力に基づいて自己のエクリチュールを開始するような行為である
歴史としての構造を引き受け、そこから「開放される事を夢見る」事、「長く(何度も)抵抗するのを夢見」る事だ
それは他者とともに書き、読む事である

137:一応
15/06/19 01:38:00.09 0.net
まだダメ

138:一応
15/06/19 01:40:11.53 0.net
批評とは何かという一番大事なところがスルーされてる

139:一応
15/06/19 01:53:25.99 0.net
これで終わります

140:一応
15/06/19 01:54:22.94 0.net
ていうか全然ダメなんだよ

141:一応
15/06/19 01:57:39.05 0.net
止める

142:考える名無しさん
15/06/19 02:28:58.48 0.net
すまんもう止める

143:考える名無しさん
15/06/19 21:10:18.49 0.net
全然ダメ以下だ

144:考える名無しさん
15/06/20 18:01:25.54 0.net
言うほど悪くもなかった

145:考える名無しさん
15/06/20 18:23:14.41 0.net
ただ浅い

146:考える名無しさん
15/06/20 18:24:58.81 0.net
あるいは単純すぎる
必ずしも他の思想家の概念でなくても良いが、背景となるような多への参照としての思考がない

147:考える名無しさん
15/06/20 18:26:00.75 0.net
背景となるような多への参照としての思考がない
裏にある思考の、他への拡がりがない

148:考える名無しさん
15/06/20 18:26:55.42 0.net
×背景となるような多への参照としての思考がない
○裏にある思考の、他への拡がりがない

149:考える名無しさん
15/06/20 18:29:29.25 0.net
読むにあたってテクストを思考によって開いていくというのがない

150:考える名無しさん
15/06/20 18:36:11.74 0.net
一瞬そんな気がしてレスしてしまった
全消ししたい

151:考える名無しさん
15/06/20 18:41:56.88 0.net
もう止めよう

152:考える名無しさん
15/06/20 20:03:59.06 0.net
文学が字義通りになるとか、これは制度が自然化して権力を持つという事で、フーコーと関連するんだろうけど、それはどうでもいい

153:考える名無しさん
15/06/20 20:34:24.31 0.net
こういうの止めよう

154:考える名無しさん
15/06/20 20:34:24.93 0.net
こういうの止めよう

155:考える名無しさん
15/06/20 20:40:14.35 0.net
作品から構造への転換は隠喩的にしか可能でない
作品は字義通りとしての作品と、その構造論的解釈とは全く別物で、
しかし後者は論理学的な意味作用とそれによる権力を持つ

156:考える名無しさん
15/06/20 20:44:09.47 0.net
そこでの隠喩について感心を持つ事が大事であると
これで終わり

157:考える名無しさん
15/06/20 20:45:02.42 0.net
○「隠喩の歴史」

158:考える名無しさん
15/06/20 21:05:46.45 0.net
俺は2ちゃんやってはいけない気がする
中身無いから 

159:考える名無しさん
15/06/20 21:07:04.59 0.net
デリダも身を入れて読んでるわけでもないし、読んでたら単発でこんなこと書かない

160:考える名無しさん
15/06/20 21:12:49.45 0.net
それなのにかいて混乱しつつ鬱々としてる

161:考える名無しさん
15/06/21 16:54:20.92 0.net
目的論による力の方向=意味をもった運動量への還元、時間の円環化-永遠化というのは分かる
やはり大事な所でリシャールが出てきて、ルーセと並べられる。

162:考える名無しさん
15/06/21 17:06:24.35 0.net
上のような、空間化や、形而上学性が指摘された所でリシャールが出てくる

163:考える名無しさん
15/06/21 17:28:03.09 0.net
作品は他者不在の自己表現ででいいんじゃないかという気もする

164:考える名無しさん
15/06/21 17:40:47.30 0.net
それはロマン主義という事なんだろうけど、リアリズムって何なのか

165:考える名無しさん
15/06/21 17:51:44.32 0.net
でもデリダの言語の中で絶えず言語に抵抗する事を夢見続けるというのはいいなと思う

166:考える名無しさん
15/06/21 18:02:59.04 0.net
またやってしまった
くだらなすぎる・・止めたい

167:考える名無しさん
15/06/21 18:41:15.31 0.net
構造主義は、主体の認識は言語による構造的負可を課せられているという認識からする、言語と自己に対する抵抗であったはずなのだが、
構造主義が批評に関わる事によって、むしろ対象を構造によって論理学的に規定する形而上学に陥ってしまう
それがルーセのコルネイユの諸作品の批評に現れるのだが、それは彼の批評における、力の運動量への還元において見られる 
ここでは登場人物の内面的意図は、それ自身として自立したものではなく、システムに従属したものになる 
構造主義的批評によって力が薄利され、それは構造のテロスにそう運動量に変わり、主体はそれを従属するものになるのである

168:考える名無しさん
15/06/21 18:51:13.22 0.net
止めたい

169:考える名無しさん
15/06/21 18:55:45.20 0.net
やるならちゃんとやりたい

170:考える名無しさん
15/06/21 19:31:53.54 0.net
チラ裏でやってこい

171:考える名無しさん
15/06/22 01:49:04.27 0.net
2ちゃんは止めたい

172:考える名無しさん
15/06/23 09:16:53.64 0.net
デリダの本棚
URLリンク(www.3ammagazine.com)

173:考える名無しさん
15/06/23 18:55:26.03 0.net
Yuji Nishiyama @yuji_nishiyama 5時間5時間前
首都大学東京の紀要「人文学報」(デリダ特集号)発刊。後日ネット上にてPDF公開。冊子体希望の方は返信用封筒に300円を貼って送って下さい。192-0397八王子市南大沢1-1首都大学東京 5号館5階仏文・西山雄二まで。URLリンク(www.comp.tmu.ac.jp)
Yuji Nishiyama @yuji_nishiyama 5時間5時間前
「人文学報」デリダ特集号発刊。後日ネット上でもPDF公開。冊子体希望の方は返信用封筒に300円を貼って送って下さい。192-0397八王子市南大沢1-1首都大学東京 5号館5階仏文・西山雄二まで。
これジュンク堂とかで扱ってくれないのかな 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


174:考える名無しさん
15/06/23 18:57:12.33 0.net
人文学報(フランス文学) 2015年号  目次→PDFデータ
ジャック・デリダ没後10年
はじめに 西山雄二
民主主義の恒常性と一貫性 ジェローム・レーブル(訳=松田智裕、横田祐美子)
デリダとランシエールにおける民主主義と他者の問い 亀井大輔
ドゥルーズとデリダ、両者の運動は同じではない……  ジャン=クレ・マルタン(訳=大江倫子、西山雄二)
「最後のユダヤ人」─デリダ、ユダヤ教とアブラハム的なもの  ジゼル・ベルクマン(訳=佐藤香織)
供儀に捧げられた、動物の二つの身体─ジャック・デリダの哲学における動物‐政治概念についての考察
パトリック・ロレッド(訳=吉松覚)
ジャック・デリダ、動物性の詩学─無人間的なものについて  ジェラール・ベンスーサン(訳=桐谷慧)
猫、眼差し、そして死  ダリン・テネフ(訳=南谷奉良)
ダリン・テネフ「猫、眼差し、そして死」への応答 大杉重男、南谷奉良、山本潤
デリダにおける贈与と交換(Derridative) ダリン・テネフ(訳=横田祐美子、松田智裕、亀井大輔)

175:考える名無しさん
15/06/23 22:33:14.63 0.net
Yuji Nishiyama @yuji_nishiyama 21分21分前
首都大学東京の紀要「人文学報」(デリダ特集号)発刊。全論文をネット上にてPDF公開。
URLリンク(www.repository.lib.tmu.ac.jp)

176:考える名無しさん
15/06/24 23:08:51.38 0.net
>>175
Thanks!

177:考える名無しさん
15/07/02 21:32:09.79 0.net
ジャック・デリダ『コーラ プラトンの場』(守中高明訳、未來社)
そして、それもまた籤引き(kleros,18d-e)なしに行なわれるわけではないので
ある。
受け取ることあるいは受け容れること(預金を、給料を、贈り物を)、迎え入れ
ること、さらには待つこと、たとえば歓待の贈与を、その名宛人となること―
ちょうどここでのソクラテスにとってのケースのように、ある贈与と対抗-贈与
の情景の中で。問題となっているのは、さまざまな言説の贈与あるいは歓待を返
すこと(antapodidomi)である。
われわれは、依然としてある贈与と負債のシステムの内部にいるのである。われ
われがやがてpandekhesとしてのコーラに取り組むとき、あらゆる擬人論の彼方で、われわれはおそらく、ある負債の彼方を垣間見ることになるだろう。

178:考える名無しさん
15/07/02 22:46:10.29 0.net
浅田彰「そもそもブランショの『文学空間』に文学趣味をかきたてられた人はみんな馬鹿なんですよ」

179:考える名無しさん
15/07/03 00:02:59.79 0.net
ポール・ド・マン『盲目と洞察』より
“ブランショが、他者の作品に対するみずからの洞察の大部分を物語的散文作家としての自分自身の経験から
引き出しているということは明らかである”
“おそらくブランショは解釈から生じた洞察を、自身の物語的散文のためにとっておきたかったにちがいない。”

180:考える名無しさん
15/07/05 21:49:04.12 0.net
482ページ レヴィ=ストロース伝      ドニ・ベルトレ
485ページ ミシェル・フーコー伝      ディディエ エリボン
572ページ ロラン・バルト伝        L.J. カルヴェ
588ページ ジャック・ラカン伝       エリザベト ルディネスコ
622ページ ドゥルーズとガタリ 交差的評伝 フランソワ・ドス
623ページ モーリス・ブランショ伝    クリストフ ビダン
757ページ アルチュセール伝       ヤン ムーリエ・ブータン
800ページ デリダ伝            ブノワ・ペータース

181:考える名無しさん
15/07/05 21:52:32.83 0.net
東浩紀
デリダの問題は、シリアスとか無意味だとシリアスに言ってしまうということにあって
(本人はその限界を「散種」「郵便葉書」などで超えようとしていたと思うが)、
しかも晩年は本当にシリアスになってしまったので、
デリダの弟子たちはみんな単にシリアスできまじめな連中になってしまった。
その結果、日本ではいまだに思想誌で「ドゥルーズの時代」とか特集が組まれる始末だ。
國分くんや千葉くんなど派手な新世代が現れているドゥルージアンがうらやましい。
デリディアンはいったいどうなったんだ? 
アカデミズムに閉じこもって正しいことだけ言うのがデリダ的なのか? まったく・・

182:考える名無しさん
15/07/10 00:31:52.14 0.net
猫飛ニャン助 @suga94491396
マルクス主義背景の広義「血債」主義が、今や社会運動の「宗教化」に帰趨しているとの野間易通の危惧は理解できる。
デリダはそれをこえようとしたはずだが、確かに日本のデリダ派は、一部例外除いて宗教的と言われても仕方なかった。
冷戦体制以降の故だろう(『赦し』未来社、守中高明訳・解説参照)。
訂正『赦し』→『赦すこと』。上記で日本のデリダ派というのは、たとえば高橋哲哉など。
野間氏の言う「宗教化」とは「ウザい」ということとほぼ同義かと。しかし、それはマルクス主義(社会主義という幻想)に覆われ
て見えなかった宗教問題が顕在化しただけと言える。

183:考える名無しさん
15/07/14 19:17:59.42 0.net
浮気がバレタ時 赦して呉れと デリダは使えますか?

184:考える名無しさん
15/07/16 10:29:05.96 0.net
普通の人なら使えるが、君の場合は日本語の能力に問題があるから、無理。

185:考える名無しさん
15/07/16 17:36:28.49 0.net
デリダってダリ?とか言われて、バーナーで焼いた懐中時計投げつけられるよ

186:考える名無しさん
15/07/16 20:53:01.74 0.net
>>183
ある日天啓があって《俺は許された》って勝手に思えば、非常勤の首切りだろうがなんだろうが許されます(解説参照)
他者なんか関係ありませんw

187:考える名無しさん
15/07/17 17:13:26.40 0.net
デリダが死んだ時より南部陽一郎が死んだことのほうがショックだわ
差延なんかより自発的対称性の破れのほうが重要だし、厳密だ。
数学や物理学、その他諸科学を学ぼうとしない思想屋はダメだ。

188:考える名無しさん
15/07/17 17:47:23.22 0.net
>>187
思想を学ばない諸科学者は、どうなの?

189:考える名無しさん
15/07/21 03:22:35.46 0.net
pouvoirmagique @pouvoirmagique 6時間6時間前
『赦すこと』を読了。日本のことも一行だけだが触れられている。戦争における「赦すこと」を考える上でもよい本だし、訳文も読みやすかった。かつて守中の『コーラ』の訳を読んだとき、
分かりにくかったので、今回は意外だった。

190:考える名無しさん
15/07/21 05:53:55.41 0.net
>>187
 数学や物理学で〈この私〉の自意識、生きていく根拠、は見えないでしょ。
尤もデリダの理論でも駄目なんだけど。あれはハイデッガーを怒らせ、
攪乱することが目的で前期は書いてたと後年告白してるし、あそこで底は
割れた感はある。日本の学者がまともにアレをとってたのは半ば冗談に
付き合ってたようなものだと分かったわけだから。
 南部某が偉大なのは彼が新しい発見を為し、受賞したからではない。物
理学の方法へ引き寄せられ自己を同一化していった実存的運命が偉大なのだ。
ハイデッガーならばそう言っただろう。こういうことを言う物理学者は
いないだろう。政治家や教育者や親も勘違いし「偉い学者」とは「新
しい発見する人」「ノーベル賞貰う人」だと屡言いくるめる。そこから
子供の勘違いも始まる。その勘違いの成れの果てが所謂小保方事件じゃない
のかい。実はそんなところに研究者の偉大さなどはない。

191:考える名無しさん
15/07/21 10:42:39.22 0.net
>>190
>物理学の方法へ引き寄せられ自己を同一化していった実存的運命が偉大
普通に、オタクというのはみんなそうだろ?
その人の場合は、たまたま物理学のある分野に関心が引き付けられた、ということに過ぎない。
社会の一定数の人間がそういう資質を持っているが、それを生活の糧にできるかどうかは、社会と個人の状況によるだけだ。

192:考える名無しさん
15/07/21 11:45:33.62 0.net
>>191
 「オタク」と云う場合、ちょっと違ってくるでしょうね。ただ南部某なら
南部某の書物や功績をどれだけテキストとして知っているかを競い。その
南部某の研究室を訪れうっとりしている。ひたすら南部某にかんする知識や
理論やら集めて競っている。それで言えばAKBオタクとそう変わらない。
研究者オタクであって、「アイドル=偶像」というならこれもまた
アイドル・オタクには変わりない。
 「学の方法・概念」に同一化するという場合、それを駆使していく作業
自体、という一連の力動と、自己の内部の時間がピタッと重なって、ほとん
どその「学の方法」と「存在」が同じことになる。つまり己の本来的存在へ
の超越が、学と重なって行く。そこまでの動向までを指していると読める。
 
「オタク」と云う場合、アイドルを賛辞し同好の誼と競ってるイメージ
が強い。もしもある学の方法が、自己の超越と、時熟と同じ、ということに
なれば、在野の研究者ということになるでしょうね。当然南部某を知っては
いても、アイドル化して同好の誼と競争する、というレベルではない。南部某
はその場合アイドルではないのだから。検討の対象になるわけだから。

193:考える名無しさん
15/07/21 14:24:04.41 0.net
>>192
>己の本来的存在への超越が、学と重なって行く
オタクたちと同じだよ。
対象が「学」という国家指定のものであるか、自由な社会現象であるかの違いがあるだけ。
>「オタク」と云う場合、アイドルを賛辞し同好の誼と競ってるイメージ
全然違うよ。
オタクというのは趣味人のこと。
そして、南部某はオタク対象ではなく、南部某がオタクだと指摘してるんだけどね。
趣味の世界では、知られたオタクの業績も、やはり検討の対象となる。

194:考える名無しさん
15/07/24 11:25:23.95 0.net
もうどんな形でもいいので「Glas 弔鐘」を…

195:考える名無しさん
15/07/24 16:04:33.60 0.net
>>193
 趣味人がいかに頑張っても、新しい研究分野の創出、学の更新というところ
までは行かないのじゃないかね。あくまで彼は既成の範疇で知識を集め、資料
を集め、博物化する。それもまたあるステイタスだとは思うが。それはしかし
そこ止まりでしょう。
 既成の範疇を更新していく、概念を創造する、てのは物理法則の発見も
そういうものだと思うが。学の方法に同一化し、そこに留まらず更新するこ
とが学には入ってくる。趣味人にそれがありますかね。それがあるならたし
かにそれは偉大なる趣味人ということにはなるだろうが。その場合、彼は
その分野については孤高に象徴し、支える役割と責任を負うことになる。
 
 世界を発見する、概念を創造する、学の究極はそれで、その発見や創造
が、自己の実存に被さってくる。それが運命てことだね。
 趣味人は博物化に終始するのではないかね。そこは違うと思うが。

196:考える名無しさん
15/07/25 22:54:44.48 0.net
>>195
大半の学者は、そこ止まり、だよ。
学者でもオタクでも、ごくまれに超一流になる人がいる、というだけ。
ノーベル賞を受賞する人は、もちろんその超一流に違いない。
でも、柳田国男も、ただのオタクだったんだよ?

197:考える名無しさん
15/07/25 23:47:54.86 0.net
>>195
あんたも二流をくさすだけで超一流になれそうには思えない

198:考える名無しさん
15/08/30 21:21:28.68 0.net
初期デリダ
¥2,808 幾何学の起源 新装版
¥6,912 フッサール哲学における発生の問題
¥1,404 声と現象
¥4,104 グラマトロジーについて 上
¥4,104 グラマトロジーについて 下
¥6,048 エクリチュールと差異
¥4,104 哲学の余白〈上〉
¥4,104 哲学の余白〈下〉
¥2,592 ポジシオン
¥6,264 散種
     弔鐘

199:考える名無しさん
15/09/18 20:53:41.93 0.net
1962「『幾何学の起源』序」、エドムント・フッサール『幾何学の起源』青土社、1976年。
1963「エトムント・フッサール 「現象学的心理学―一九二五年夏期セミナー序論」」松葉祥一訳、『現代思想』2009年12月臨時増刊号「フッサール」
1964「J・N・モハンティ『エトムント・フッサールの意味の理論』」松葉祥一訳、『現代思想』2009年12月臨時増刊号「フッサール」
1967『エクリチュールと差異』
1967『根源の彼方に─グラマトロジーについて』
1967『声と現象』
1972『散種』
1972『ポジシオン』
1972エドモン・ジャベス「ジャック・デリダへの手紙─『書物の問い』について」木下誠訳、『現代詩手帖』1991年6月号、102–3頁
1973『たわいなさの考古学─コンディヤックを読む』飯野和夫訳、人文書院
1973「哲学とコミュニケーション」廣瀬浩司訳、『現代思想』1988年5月臨時増刊号
1974部分訳「弔鐘」
  鵜飼哲訳、『批評空間』第2期15–20, 22–24号、第3期1–4号、1997–2002年
  庄田常勝・豊崎光一訳、『現代思想』1982年2月臨時増刊号「デリダ読本」
  「性的差異と死」高橋允昭訳、『現代思想』1987年1月号
  白井健三郎訳、『尖筆とエクリチュール』朝日出版社、1979年、74–82頁
1974「マラルメ」豊崎光一訳、『無限』1976年7月号

200:考える名無しさん
15/09/18 21:02:56.73 0.net
1981 「誘惑としてのエクリチュール─絵葉書、翻訳、哲学」(豊崎光一との対談)『海』1981年3月号、中央公論社
1984 「哲学とパフォーマティヴ」(豊崎光一との対談)『海』1984年2月号、中央公論社
1984 「超消費社会と知識人の役割」(浅田彰、柄谷行人との鼎談) 『朝日ジャーナル』1984年5月25日号(『新潮』2005年2月号に再録)
1984 「討論」(日仏文化サミットでの発言)朝日新聞社編『文化の将来』朝日新聞社
1987 「穢れということ」(中上健次との対話)宮林寛訳、『文學界』1987年5月号(再録『中上健次発言集成3─対談Ⅲ』第三文明社、1996年
1992 「哲学にとってはまもるべき謹しみ深さというものはない」(小林康夫・鈴村和成によるインタヴュー)『Représentation』第4号、筑摩書房
1993 「ディコンストラクションとは何か」(浅田彰・磯崎新との鼎談)三浦信孝訳、『批評空間』第1期8号、福武書店(再録:浅田彰・磯崎新編『Anywhere』NTT出版、1994年)

201:考える名無しさん
15/09/18 21:52:53.06 0.net
La carte postale
『絵葉書Ⅰ』若森栄樹・大西雅一郎訳、水声社、2007年
『絵葉書Ⅱ』若森栄樹・大西雅一郎訳、水声社、近刊
「おくることば」豊崎光一訳、『海』1981年3月号、中央公論社
「『葉書』より1~5」丹生谷貴志訳、『InterCommunication』第0・1・2・3・4号、1992-93年、NTT出版
「思弁=投機する―フロイトについて/超えて」大西雅一郎訳(冒頭部分の抄訳)『別冊 水声通信―セクシュアリティ』水声社、2012年
「真実の配達人」清水正・豊崎光一訳、『現代思想』1982年2月臨時増刊号「デリダ読本」

202:考える名無しさん
15/09/18 21:56:04.02 0.net
Psyché.
『プシュケー─他なるものの発明』全二巻、藤本一勇訳、岩波書店、2014年
「隠喩の退‐引」庄田常勝訳、『現代思想』1987年5, 12月号
「バベルの塔」高橋允昭訳、『他者の言語』法政大学出版局、1989年
「ロラン・バルトの複数の死(者)」千葉文夫訳、『GS』第1号、冬樹社、1984年
「地球精神分析」吉田加南子訳、『imago』1994年5月号、青土社
「究極の人種差別」鵜飼哲訳、『アパルトヘイト否!国際美術展カタログ』現代企画室、1988年
「NO APOCALYPSE, NOT NOW─〈地獄の黙示録〉そうではなく、今ではなく」庄田常勝訳、『エピステーメーⅡ』創刊0号、朝日出版社、1984年
「〈解体構築〉DÉCONSTRUCTIONとは何か」丸山圭三郎訳、『思想』1984年4月号
「Geschlecht─性的差異、存在論的差異」高橋允昭訳、『理想』1985年7, 10月号
「ハイデガーの手(ゲシュレヒトⅡ)」藤本一勇訳、『現代思想』1999年5月臨時増刊号「ハイデガーの思想」
「ネルソン・マンデラの感嘆あるいは反省=反射の法則」増田一夫訳、『この男 この国─ネルソン・マンデラに捧げられた14のオマージュ』ユニテ、1989年
「フォリイの点」小林康夫訳、『へるめす』第13号、岩波書店、1987年12月
「なぜピーター・アイゼンマンはこれほど良い本を書くのか」三宅京子訳、『a+u 建築と都市』1988年8月臨時増刊号「ピーター・アイゼンマン」
「INTERPRETATIONS AT WAR─カント、ユダヤ人、ドイツ人」鵜飼哲訳、『現代思想』1993年5, 6, 7, 8月号

203:考える名無しさん
15/09/18 22:01:07.39 0.net
Points de suspension.
「鉤〔括弧〕の中で」松葉祥一・港道隆訳、『現代思想』1986年7月号
「Ja, ou le faux-bond」増田一夫・荻野文隆訳、『現代思想』1986年8, 9月号
「ジャック・デリダ」港道隆訳、『哲学のポスト・モダン』ユニテ、1985年
「不服従者デリダ」浜名優美訳、『現代思想』1983年12月号/「言語」庄田常勝訳、『現代フランス哲学12講』青土社、1986年
「ハイデガー、哲学者たちの魔窟」浜名優美・福田和美訳、『現代思想』1988年3月号
「哲学言語は存在するか?」鵜飼哲訳、『現代思想』1989年8月号
「「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算」鵜飼哲訳、ジャン゠リュック・ナンシー編『主体の後に誰が来るのか?』現代企画室、1996年
「詩とは何か」湯浅博雄・鵜飼哲訳、『総展望フランスの現代詩』思潮社、1990年
「私はまだ生まれていない─デリダ、デリダを語る」鈴木啓二訳、『Représentation』第2号、筑摩書房、1991年
「パサージュ─外傷から約束へ」守中高明訳、『現代思想』1995年1月号

204:考える名無しさん
15/10/05 04:16:15.36 0.net
『法の力』絶版?

205:考える名無しさん
15/10/05 17:56:09.87 0.net
>>204
普通に売ってるみたいだよ?

206:考える名無しさん
15/10/05 17:59:29.50 0.net
グラの原書がレア化ってまじかよ

207:考える名無しさん
15/10/13 00:43:06.37 0.net
ジャック・デリダ『赦すこと 赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』
(守中高明訳、未來社)
 英語ではto forgive〔赦すこと〕、forgiveness〔赦し〕、asking for
forgiveness〔赦しを乞うこと〕であり、しかもto forgive〔赦すこと〕に対する
to forget〔忘れること〕の中のto give〔与えること〕とto get〔奪うこと、得る
こと〕が対立措定されるだろう(数年間のセミネールを割く必要があるだろう
この英語の尋常ならざる単語)―すなわち、赦すことは忘れることではないの
であり、これはまた別の底なしの問題である。

208:考える名無しさん
15/10/13 20:22:14.93 0.net
デリダの哲学は、時間論が中心となるが、デリダの時間論とフッサ-ルの時間論の違いから述べると、
フッサ-ルの場合は、「現在」を「過去把持-原印象-未来予持」という時間的な幅と拡がりを持ったもの(現前化の経験)
として定義されている。
デリダの場合は、「過去把持」に軸点(=基底とする)を置くことによって、「過去把持」は「現在」を構成する
現前化の経験であるとともに、「過去」を「再想起」する「再現前化(準現前化)」を可能にするものであるから、
「過去把持」を「現在」に取り込むことによって、「現前化」と「再現前化」をへだてる境界が曖昧になってしまう。
それに、「現在」を「過去」からへだてる間隔は、「現在」の内部において、「現印象」を「過去把持」からへだてる
間隔でもあって、この非-現前的な「間隔化」こそが、「現在」に亀裂をいれつつ「現在」を構成していると捉えている。
上記のフッサ-ルとデリダの時間論の大きな違いは、「時間」を基軸(=起点)とする次元が異なるのである。
つまり、フッサ-ルの場合は起点とする次元を「現在(今)」に定立して論理展開をする。それに対して、デリダは
「過去」に定立して論理展開をする。両者は“現象学的還元”による純粋意識の領野において、時間を考察しているので、
時間概念に対する両者の論理は、“定立”の違いによるため、出された結論はどちらも正しい訳である。

209:考える名無しさん
15/10/13 23:29:36.14 0.net
朝日が昇ったら起床する。日が高くなって腹が減ったら飯を食う。
暗くなったら家に帰って飯を食い、眠くなったら寝る、それが時間。

210:考える名無しさん
15/10/14 15:49:12.99 0.net
時間の「現前化」と「再現前化」の捉え方の違いが、論理の違いとなって現れている。

211:哲学マン ◆philoiMDv.v.
16/01/01 20:44:50.58 0.net
昔はデリダの言ってることが正直、まったく意味不明だったし
だから嫌いだったんだけど、インターネットが普及してから
ものすごく言わんとすることが実感できるようになって、好きになった
デリダの時間感覚はネットでイメージするのが
一番分かりやすいと思う
(もちろんそれがすべてではないけど)
フッサールの現象学が支持されてたのって
昔は映画やテレビがメインの時代だったから
感覚がみんなに分かりやすかったんだと思う
その時代はデリダは難解なだけで分かりにくかった
でも今のネットはデリダのほうがかえって分かりやすい
2ちゃんのスレなんかも一日で消費するかと思えば
一年かかっても残ったりしてバラバラの時間で動いてる
これをネット以前の比喩で言うと
手紙が遅れるとかになって
だから葉書とかにこだわるのも分かる気がする

212:哲学マン ◆philoiMDv.v.
16/01/01 20:55:26.34 0.net
フッサールとデリダの違い、あるいは
「現前化」と「再現前化」というのも
テレビ放送とビデオ録画の違い
みたいに考えると分かりやすい
ただメディア論に終始したいのではなくたとえば
テレビという表象が国民国家としての
主体と共同体を形成してきたのに対して
ネットの時間感覚がどう共同体を形成するのか
そしてそれが「帝国」のようなグローバル資本主義に対して
何らかの抵抗力を持ちうるのか、ただ搾取されるのみか、
っていうところに個人的に興味がある
デリダの話だとユダヤ的な共同体や時間感覚が
どうのこうのってなるかもしれない
もしラカンに対するジジェクみたいな
キャッチーな解説者が出てきたら
デリダの思想はもっと世に受け入れられると思う
それをデリダ自身が望むかはともかくとして

213:考える名無しさん
16/01/01 21:53:30.74 0.net
『技術と時間』のベルナール・スティグレールが、
デリダをメディア論に展開した思想といえよう
デリダとの共著『テレビのエコーグラフィー』もある

214:考える名無しさん
16/01/25 21:46:27.76 0.net
デリダの時間論はアウグスティヌス

215:考える名無しさん
16/01/25 22:54:37.94 0.net
今季のジダンは監督

216:考える名無しさん
16/01/25 22:57:24.92 0.net
ロス・ガラクティコス

217:考える名無しさん
16/01/25 23:55:06.71 0.net
そんな時代のデリダ必読書
『Sufism and Deconstruction: A Comparative Study of Derrida and Ibn 'Arabi 』Ian Almond
『Derrida and Indian Philosophy』Harold G. Coward
『Neoplatonism After Derrida』Stephen Gersh
『デリダで読む「千夜一夜」』青柳悦子
『デリダから道元へ』森本 和夫
以下は論文、
『竜樹とデリダの同一性批判』富岡 久美
『講演 禅への橋頭堡としてのデリダ哲学』イルゼ ブルホーフ
『道徳の絶対性について―カント,道元,デリダ』川谷 茂樹
『<古文辞学>と<アルケオロジー>―徂徠,宣長とフーコー,デリダ』森本 和夫

218:考える名無しさん
16/02/17 12:32:41.97 0.net
女はまず、現実の満足と想像の満足の質的差異を認知できるように。

219:考える名無しさん
16/02/17 14:00:58.99 0.net
>>217
電波

220:考える名無しさん
16/02/17 15:27:22.87 0.net
なにが面白くてデリダなんかをまじめに扱おうとするのか、理解できないな。

221:考える名無しさん
16/02/29 20:02:17.51 0.net
ビュワーン ビュワーン 走る
まるいひかりの ボンネット

222:考える名無しさん
16/03/27 00:37:53.35 0.net
『〈ジャック・デリダ〉入門講義』
 仲正昌樹  予価:2,000円(税別)

223:考える名無しさん
16/03/27 01:01:13.77 0.net
『モデルネの葛藤 : ドイツ・ロマン派の<花粉>からデリダの<散種>へ』は、新境地という感じで良かった。

224:考える名無しさん
16/03/27 09:06:21.50 0.net
>>223は仲正

225:423
16/04/12 04:40:29.33 0.net
差延について質問です。差延は聞く自己による話す自己の認識の例で語られる
ことが多いですが、これはすなわち単なる対象的認識においても同様という事
でしょうか?
すなわち記号表象と本来の存在があって、記号表象は存在の物象化したもので
あり、またその記号表象は記号表象群から選び取られたものである以上、
物象化としての遅延と選び取る際の差異があるのであり、こうして認識された
ものは全て差延を通じた過去の痕跡を含む現在でしかない。どうでしょうか?

226:考える名無しさん
16/04/12 05:07:24.70 0.net
差延は聞いた自己による話す自己の認識の例で
語られることが多いです

227:考える名無しさん
16/04/12 07:55:26.60 0.net
話す主体のほうが先で書く主体は後であらわれ
たというが、話す主体は同時に「自分が=語
るのを=聴いている」訳なので、自己の現前へ
の書き込みを(すでに)行っている。。という
理屈だと思うね。言葉はすなわちエクリチュー
ルである。。という事ではないのかな?

228:423
16/04/13 12:07:28.38 0.net
返レス遅れました。ご回答有難うございます。つまり自己による自己自身の
認識におけるものが差延ということでしょうか?ただ同一性の把持は自己以外
にもいえることですし、また遅延はコトとは異なる根源的なモノという構造
から生まれるのなら記号も同様ですし、また差異は記号が別のものでもあり
得ると思うので、そういう意味で単なる記号的対象も差延が起こるのであり、過去の
痕跡を含むのではないかと思いました。

229:考える名無しさん
16/04/13 14:20:01.36 0.net
大学院に行かせろ学費寄越せと強盗殺人まがいの
行為をしたんだろうなと思いました

230:考える名無しさん
16/04/13 17:09:35.54 0.net
そりゃ、親とはいえ、洗脳で人の人生を潰そうとする方が間違ってるのだから、
その代償を払わされたのでしょうね。

231:考える名無しさん
16/04/13 19:48:46.75 0.net
大学院生はまともな職業とは思えないな

232:考える名無しさん
16/04/14 10:56:52.15 0.net
まず、私が考えている事は言葉を使って考えて
いるので、差延作用と呼ぶのだと思う。思考そ
のものが、すくなくとも差延作用の一部をなすという理解をしていますね。

233:考える名無しさん
16/04/14 19:41:38.79 0.net
>>232
考えるときには、言葉しか使わない?

234:xeo ◆topaTViseQ
16/04/14 21:06:17.72 0.net
言葉無しで考えることなんてできるのかいな?

235:考える名無しさん
16/04/14 21:07:25.51 0.net
>>234
少なくとも、音楽家や画家は、言葉なしで考えてるだろ?

236:考える名無しさん
16/04/14 21:23:20.69 0.net
今日もどこかで金寄越せしてるのかい?
大学院生ってのはまるで物乞いだね。

237:考える名無しさん
16/04/14 21:26:24.13 0.net
>>233
すくなくとも、デリダはそう考えていますよね。

238:考える名無しさん
16/04/14 21:29:33.89 0.net
>>237
デリダなんかをまともに扱っても無駄、ということだろ?
西欧哲学全般の欠陥であるかも知れないけど。

239:考える名無しさん
16/04/14 21:35:35.03 0.net
>>235
おっしゃっている事が理解できたとは、思えま
せんが、デリダはそれ(何?)を思考とは呼ば
ないと思いますね。また絵画の事はよく知りま
せんが、音楽には音楽言語のようなものがある
ようには思われますね。もしかしたら絵画には
絵画言語のようなものがあるのかも知れません
よ?

240:考える名無しさん
16/04/14 21:39:41.75 0.net
>>239
それだと言語の定義が無限定に広がるから、言語の意味自体がなくなる。
観念のすべて、といってるのと同じ。

241:考える名無しさん
16/04/14 21:55:30.94 0.net
>>240
私は音楽の演奏もしなければ、画家でもない。
しかしながら、それらの分野にもそれぞれの言
語が存在するかも知れない、とふと、思ったの
ですがね。まあ、はっきり断言しているという
訳ではなく、ひとつの可能性として考えている
訳ですが。

242:考える名無しさん
16/04/14 21:57:59.25 0.net
しかしかなり、面白いテーマのような気がしま
すね。

243:考える名無しさん
16/04/14 22:04:44.07 0.net
絵を描くときは、ある絵画的思考を行っている
という可能性はあると思いますね。そこには、
ある文法が働いている。。と。

244:考える名無しさん
16/04/14 22:10:17.21 0.net
差延作用はかなり広大な概念だと思いますので
単に狭義の言語には限定できないかも知れない
と思いますね。

245:考える名無しさん
16/04/14 22:51:31.73 0.net
>>241
だから、それを言語というなら、精神そのものが言語だといってるだけ。
つまり言葉を言い換えているだけ。
おもしろいおもしろくない以前に、哲学はその精神を考えてきた。
目新しいところは、まったくない。

246:考える名無しさん
16/04/14 22:54:35.15 0.net
>>243-244
それなら、吉本隆明の「了解」の方がもっと明確に精神の時間性を論じている。
デリダの言葉遊びよりは、ずっと根源的だ。
ちなみに、イメージそのものについてはサルトルも十分に論じているし、イメージと言語の関係はフロイトが論じている。

247:考える名無しさん
16/04/14 23:07:53.01 0.net
そうですか? そのひとたちよりデリダが優れ
ていると、私が主張したでしょうか。そのひと
たちが優れた考察をしているとすれば、それは
それで誠に結構な話じゃないでしょうか。賢い
ひとはひとりいるよりたくさんいたほうが望ま
しいとは思いませんか

248:考える名無しさん
16/04/14 23:17:50.00 0.net
>>247
言語も散漫な定義にしたがるし、差延も雲の中に撒き散らしたがる。
君はデリダ的、ということかな?
まあ、なんでも書けばいい、ということなんだろうな。

249:考える名無しさん
16/04/14 23:29:24.75 0.net
私は、デリダの言う差延作用の追究してみた
い訳で、あなたはあなたのいう吉本隆明の了
解を追究したいという訳なので、お互いに無駄
なエネルギーを使う必要がどこにあるのか、まるでわかりませんね。

250:考える名無しさん
16/04/14 23:44:25.12 0.net
>>249
他人の意見を聞きたくてレスしてたんじゃないの?
君が議論したくないなら、はじめから書かなければ良かったんじゃない?

251:考える名無しさん
16/04/15 02:13:18.94 0.net
いろんなスレで吉本さんの話題見かけるけど偉大なのかもしれないな

252:xeo ◆topaTViseQ
16/04/15 02:20:05.46 0.net
>>235
それは考えてるのではなく、感じているのではないか?

253:xeo ◆topaTViseQ
16/04/15 02:21:44.23 0.net
まあ画家が言葉なんて信用しないというのは本当の話であるが。
青という言葉ひとつとっても、受け取りかたは十人十色なわけでね。

254:考える名無しさん
16/04/15 02:52:09.02 0.net
>>251
暇なジジイが色々なスレを荒らしているだけ

255:考える名無しさん
16/04/15 04:20:21.55 0.net
>>250
私は議論しようとして書き込んだ訳ではありませんね。議論をしなければならないというルールなのでしょうか?

256:423
16/04/15 04:38:40.40 0.net
個人的にはとりあえずデリダの意見を知りたいですが、自分は恥ずかしながら
音声のみに限定していました。なるほど思考ということで考えれば思考も自己
を対象化してますね。また言語・自我・時間の同時的成立ということを考えれ
ば、絵画的な思考というのは違和感を感じます。

257:考える名無しさん
16/04/15 05:08:50.40 0.net
>>256
わたしはあなたの言っていることを完全に
理解しているという自信はもちろんありま
せんね。しかしもし、絵画的思考というも
のを考えないとしたら、絵を描いていると
き、そのひとの差延作用はいったいどうな
ってしまうのでしょうか。

258:423
16/04/15 05:26:58.67 0.net
素人なので全然的外れかもしれませんが言います。自己意識と対象意識は違う
と思います。すなわち近代的自我は言語で絵画的対象は記号なのであって、
認識において構造が違うと考えます。自我の時間的把持においてのみ差延が
起こるのではないでしょうか。人は言語を用いることが他の動物との違いであり、
そしてそれゆえに自我と時間が成立しているのですよ。

259:考える名無しさん
16/04/15 05:57:26.11 0.net
『自我の時間的把持においてのみ差延が起こる』という言い方は
よく理解できませんね。あなたのおっしゃっている『自我』とい
う言葉は何を指しているのでしょうか? また『時間的把持』と
いう言葉についても説明をして頂きたいと思っています。

260:考える名無しさん
16/04/15 06:00:21.35 0.net
その後の文章は、ほぼ同意できるとおもいますね。ただし、音楽や
絵画もまた、人間独特の行為なのではありませんか?

261:考える名無しさん
16/04/15 06:06:38.86 0.net
絵画的対象とのみ、あなたはおっしゃっていますが、
わたしは対象のことなど、ひと言も言ってはおりま
せんよ?絵画のことをおっしゃったかたも絵を描く
という行為の事を念頭においていたはずで、いままで
誰も対象という言葉は使っていませんよね?

262:考える名無しさん
16/04/15 06:29:18.42 0.net
423さんは、なにか勘違いをなさっているかも知れませんが、
わたしがこのスレに書き込んだとき、たまたま直前にあなたの
書き込みがあったという訳なんでして、決してあなたの書き込み
に反応したというわけではないんです。偶然ですね。

263:考える名無しさん
16/04/15 07:30:05.38 0.net
もう一度、言い直してみると、人間の行為一般には、動物の場合と異なり間主観的な枠組みの
ようなものがあり、その枠組みに沿って行為し
ているのではないでしょうか。この間主観的な
枠組みによって行為するという人間固有のあり
方をデリダは差延作用と呼んでいる気がします。

264:考える名無しさん
16/04/15 07:42:47.01 0.net
しかしやっぱり間主観的な枠組みというだけで
は充分ではないのだな。デリダにとってはエクリチュールというものに決定的な重要性を与えているわけだからな。
このように自問自答しながら、適切な表現を見
つけて行きたい訳です。つまり、私の言うこと
はなんらかの結論とか主張というよりも、思考
の途上なわけですが。

265:考える名無しさん
16/04/15 08:02:20.12 0.net
もう少し説明するとオオカミやイルカのように
集団で狩りをする動物たちは、間主観的な枠組
みをある程度持っているように見える訳ですね。

266:423
16/04/15 11:34:33.86 0.net
>>260
>音楽や絵画もまた、人間独特の行為なのではありませんか?
認識されるものは独特でも認識それ自体は独特ではないでしょう。
>間主観的な枠組みによって行為するという人間固有のあり方
>をデリダは差延作用と呼んでいる気がします。
人間固有のあり方に差延があり人間固有のあり方が差延である
のではないでしょう。
>オオカミやイルカのように
これは派生的な問題であって今回の問題とは違うと思います。

267:考える名無しさん
16/04/15 11:53:10.50 0.net
>>266
は?だれが認識の話をしているのでしょう。
どうしていきなり認識ということばが飛び
出して来たのか、説明を要求します。
差延作用が人間固有の在りかたであると言う
のがデリダの主張であるというのは、確かだ
と思いますね。ただ、いくつか留保して考え
たほうがいいとは思いますが。
ええ、ですから私自身の262の考え方に対する
ちょっとした反省なので、あなたが派生的な
問題と思われるなら無視して頂いて結構ですよ

ところでわたしはそろそろ落ちますので、いず
れ、また。

268:423
16/04/15 12:00:46.20 0.net
喩えるならコマとコマの間を続いているかのように埋めるのが差延ですから、
記号であれ言語であれ認識の問題にはならないですか?あなたは共同主観性の
連続性を差延といっているのですか?

269:考える名無しさん
16/04/15 12:11:24.57 0.net
>>268
失礼ですが、私はあなたがおっしゃている事を
ほとんど理解することが出来ません。ほとんど
というのは婉曲表現で、じつの所なにをおっしゃっているのか、皆目わかりません。時間があ
りませんので、またいずれ。

270:考える名無しさん
16/04/15 12:55:37.42 0.net
>>255
いや、いいんだ。
ただ、反論されるのが嫌なら、はじめから書き込まない方がいいと思っただけだから。
僕は、君にレスしないようにするから、できればコテつけて書き込んでくれると区別しやすい。

271:考える名無しさん
16/04/15 13:01:33.32 0.net
>>269
自分から話題を投げかけて反論にあうと、話がかみ合ったように見えるのは偶然だと主張する。
変な人だね。
それも2ch的で、いいのかも知れないな。

272:423
16/04/15 13:48:33.90 0.net
>>269
差延とは対象の同一性の時間的把持だとおもうのですが、いかがですか?コト
は志向意識では原理的に捉えることは出来ないので、そう考えると同一性の
把持が担保されるのは物象化においてであり、差延が作用するのは対象的認識
でしょう。時間性における遅延と空間性における差異すなわち差延が、対象
認識におけるAはAであるという同一性を把持する。この様な構制は言語・
自我・時間が同時的に成立するような人間において可能であり、絵画的思考と
いうのは擬人法です。

273:考える名無しさん
16/04/15 14:01:39.80 0.net
私は、あなたような難しいタームを使って考え
るという事をしませんので、あなたが使用され
ているテクニカルタームの定義をすべて説明し
て下さい。

274:考える名無しさん
16/04/15 14:04:36.89 0.net
いまは時間がありませんので、たぶん深夜近く
にレス出来ると思いますので、よろしく。

275:考える名無しさん
16/04/15 14:19:49.62 0.net
あなたは、デリダが認識論を展開していると
思うわけですか。私はそう思いません。

276:423
16/04/15 14:58:41.70 0.net
<差延とはなにか>
世界はモノ(物)で出来ているのではなくコト(事)で出来ています。コトとは意識を
向けずに曖昧な形でなんとなく感じるような存在のことで、例えば音楽をなんとなく
聴くこと、春の陽気をなんとなく感じること、などのコトは意識を向けなくても同時的
に成立しています。しかしそちらに意識を飛ばし集中的に把握することで、対象が
産出され認識されるモノとなる。このモノには2つあって、一方が記号的な例えば
リンゴで、他方が言語的な例えば自我です。リンゴであれ自我であれ、それを根拠
付けるような同一性を持っており、差延とはこの様な同一性が歴史時間性において
それがそれであり続けられるようにすなわちAはAであることを担保する際に作用する
2つの差異のことです。これは一方が時間性における遅延(遅れ)で、他方が空間性
における差異(ずれ)で、併せて差延と呼ばれ、現在に過去の痕跡を残して現在の
欠如を埋めるという構制となり、現在というコマとコマの間を担う形になって、同一性は
時間的に把持されるという理屈です。

277:考える名無しさん
16/04/15 15:28:37.77 0.net
>>276
横だから不愉快だったらレスしなくていいけど、それじゃ、ただの観念論になるんじゃない?
精神があるから世界が存在する、みたいな。
やっぱり、モノはモノとして、そこにあるんだから。
モノが無ければ、関係も生じない。
音楽でも絵画でも、そこに表現されたモノが無ければ対象とすらなり得ない。
自我という概念の設定も、そこにいる人間あっての自我だから。

278:423
16/04/15 16:23:24.84 0.net
>>277
>横だから不愉快だったらレスしなくていいけど
いえ、自分は横レス大歓迎です。気になったらいつでもお願いします。
>やっぱり、モノはモノとして、そこにあるんだから。
それは主体者の意識・前提となる文化を忘れてまるで物だけが自存し
一個の独立した存在と擬制して捉える錯認であり、すなわち人間が意識
するものが物象化の誤謬です。例えば力があるといわれますが、実際は
作用反作用が働いており力は単独では存在できない。つまり力が存在する
とは主観を持った人間が始原であるという主観主義的な擬人法です。蛇口
から水を出すということも、自分でやったと思うかもしれませんがそれも間違い
で、ひねる力も内発的な動機付けも水の河川・降雨・雨雲・蒸発などの系譜
も全ては世界連関態で定立した媒介性に過ぎず、一次的なものなどない。
すなわち何も自存していないのであり、つまりモノはモノとしてあるのではなく、
人が意識を志向する際に文化的にそう規定しているだけです。

279:423
16/04/15 16:59:24.06 0.net
>>277
世界は物的世界ではなくそれは人間の意識の中だけに過ぎません。
世界は事的世界であり人間が直接認識するのは不可能であり、
そうであるがゆえに間接的に理解する、すなわち志向意識によって
コトを対象化することで認識します。しかしその様な認識は物象化
の錯忍であり、歴史時間的なコトのある時期を抜き出したコトすなわち
コトではないモノにすぎない。マンハイムは伝統性を守れというような
反省された伝統は、歴史時間的な伝統性とは関係がないといい、
キルケゴールも実存について、私が実存を思考するならば私は実存を
消失させるといっています。すなわち認識したものは文化被拘束的な
間接性であって、直接的なコトと差異があり、これが差延における
延すなわち遅延といわれるわけです。

280:考える名無しさん
16/04/15 17:59:45.87 0.net
まあ、一読して突っこみどこ満載の文章である
という事をわかっておられるのでしょうかね。
ちょっと問題にならないレベルの文だと言うこ
とを自覚されたほうがよろしいかと存じます。
もう一度、よくよく考えて文章を書いたほうが
いいと思いますね。

281:考える名無しさん
16/04/15 20:22:23.81 0.net
>>278
いや、やっぱりモノはそこにあるよ。
君がいてもいなくても、そこにモノはある。
そういう言い方をしたければ、モノは、自存している。

282:考える名無しさん
16/04/15 20:24:55.78 0.net
>>279
繰り返しになるけど、世界は物的世界があってはじめて存在できる。
妄想は自由だけど、モノの自立性を否定しても、やっぱり明日も日が昇る。
君がいてもいなくても。

283:考える名無しさん
16/04/15 20:39:46.12 O.net
明日って根拠は何だ?
太陽って何だ?昇るって何だ?人間が評価したものだろ。
明日は今日と区別し比較したものにすぎない。

284:考える名無しさん
16/04/15 20:45:49.79 0.net
>>283
陽が沈み、陽が昇る。
地球を軸に見ればそうなる。
評価や区別は人間がやっても、事実は変わらない。

285:考える名無しさん
16/04/15 20:46:14.32 0.net
差延は対象認識における同一性を把持するんだろ?

286:考える名無しさん
16/04/15 20:51:53.40 0.net
同一性を把持って、何?

287:考える名無しさん
16/04/15 21:40:45.29 0.net
お前精神障害者だろ1.4倍の

288:考える名無しさん
16/04/15 21:57:40.29 0.net
同一性の把持の説明をしてください。

289:考える名無しさん
16/04/15 22:02:16.55 0.net
ジャッキー・デリダ

290:考える名無しさん
16/04/15 23:29:04.92 0.net
あ~あ、結局ね、このひとは廣松哲学を理解した気でいてね、
そこから、デリダ哲学を解説しようとしてるんだけどさ、
デリダ哲学どころか、肝心の廣松哲学さえ、生半可な理解しか
していないから、こういうはずかしい結果になってしまう訳だよ。
僕だって、廣松哲学理解しているとは言えないけど、このひとは
頼りなさすぎだから、図書館に行って勉強して、このひとの
代わりに、廣松哲学からみたデリダっていうテーマで解説して
あげるよ。あのね、すぐには無理かも知れないけどね。
なるべく、急いでやってみるよ。

291:考える名無しさん
16/04/15 23:37:17.07 0.net
>>290
それは楽しそう。
待ってるよ。

292:考える名無しさん
16/04/15 23:37:40.85 0.net
ちなみにね、初期の廣松は、物象化錯視ってさかんに
言ってることは確かだけど、その後、物象化という言葉に
変わって、錯視が取れるんだよ。確か。要するに、物象化
しないわけにはいかないんだね。まあ、詳しくは勉強して
からね。

293:考える名無しさん
16/04/16 00:01:23.70 0.net
廣松wwww

294:考える名無しさん
16/04/16 01:06:32.01 0.net
廣松吉本って70年代の人しかろくに読んでないんじゃないか

295:考える名無しさん
16/04/16 01:42:55.54 0.net
デリダだけ読んでちゃいけないの?

296:考える名無しさん
16/04/16 02:21:18.88 0.net
ある意味、似ている点があると思うので。

297:423
16/04/16 03:27:05.65 0.net
>>280
結局あなたは口先だけですね。論拠無しの非難はノーカウントですよ。あなたは
まだ何も語っていない。知りもしないのに尊大に振舞うのは背が低いのに高く
見せる靴を履くようなものです。もっと勉強してから書き込みましょうよ。図書館で
勉強がすむまで何も書き込まないことです。待ってますよ。
>>281
>君がいてもいなくても、そこにモノはある。
例えば全盲者の視覚が回復した時に、手前のリンゴと奥のカーテンは一体化
したようにみえる。離人症患者にとっては自分が不在だし、こことかそこの意味が
分からない。未開の部族には自己の死もなければ未来もない。簡単に言うと人が
当然であるとしているようなものは、擬制であって色眼鏡なんです。
>妄想は自由だけど、モノの自立性を否定しても、やっぱり明日も日が昇る。
次の方が言っているように、明日って根拠はなんですか?人間の評価したもの、
人間の色眼鏡ですよね。

298:423
16/04/16 03:36:14.24 0.net
差延とは何かが全然共有されないことに驚きを隠せません。今差延のwikiを
みましたので一部貼ります。
●論理を簡略に述べれば、同定や自己同一性は、主語になるものと述語になる
ものの二つの項を前提とする。(「AはAである」)そのため、主体や対象は、反復
され得なければならない。「同じである」ということは、二つの項の間の関係であり、
自己同一性においてもその事情は変わらない。自己自身が差異化することによって、
そこで初めてそれが複数の「同じ」であるが「別の」項として二重化しうる。そして、
そうなってはじめて、同定や自己同一性が可能となる。
長くなるので適当に抜き出してみました。ここでは形而上学的に2つのものの同一性
の把持について説明していますが、その後時間的なものに言及しています。すなわち
対象認識における同一性の時間的把持について差延が起きるわけです。

299:考える名無しさん
16/04/16 05:22:51.96 0.net
>>297
論拠はある。あなたの文章それじたいだ。
私は274の文章をみて、あれを書いたのだから
ね。ではいまから274の文章を検討してみましょうか。あなたはあの文に自信を持っておられるみたいだから。あなたは私の言い分を聞いて
私の書きこみを待つ忍耐心すら持ち合わせては
いないのだな。私としては274について語るつ
もりはなかったたのだがな。どうするの。ほん
とにあの文でいいの?

300:考える名無しさん
16/04/16 05:38:07.30 0.net
>>297
差延作用についてのWikiの記述だけが絶対とは
限らないさ。数学なんかと違って哲学ではおお
いに書き手の解釈が入ってしまうだろうから。
私はあの言い方もよくわからないな。

301:考える名無しさん
16/04/16 05:51:36.26 0.net
>>297
その証拠には、差延(近頃は作用を略すのが
主流なのかな)を検索するとWiki以外の記述
もいろいろ出てくるが一本にまとまっている
訳ではけっしてないね?
私としては、274についてはあまり語りたくな
い気分なのだが、きみがどうしてもと言うなら
語らせてもらいますがね?

302:考える名無しさん
16/04/16 06:05:24.46 0.net
きみが423となのるなら、私は225だな。それ以前のレスは
まだよく読んでいない。さてでは、274について検討してみ
る事に423は同意かな? またその周辺のきみの文でもいい
訳だが。

303:225
16/04/16 06:26:48.62 0.net
念のために、225以降の私の書き込みを同定して
置きましょう。たいへん長くなってしまいますが。
225=230=237=239=240=241
=242=245=247=253=255=257
=258=259=260=261=262=263
=265=267=271=272=273=278
=284=286=288=290 以下は自明なので略す
以上です。

304:考える名無しさん
16/04/16 06:54:53.37 0.net
231に私の考え方がかいてありますね。すなわち、
わたしの思考、わたしが言葉で考えていること自体が差延作用
の一部だ、という記述ですね。

305:225
16/04/16 06:59:34.72 0.net
230の間違い。では、423からの返事を待ちます。

306:考える名無しさん
16/04/16 07:14:19.79 O.net
>>284
だから、陽は沈み陽は昇るだって解釈だろ。
客観的な事実なんか存在しない。
原子だって、法則だって解釈だ。
それを言うなら人間の思う通りには事実は存在しないとは言えても、
事実とは人間の都合やりようするための区別、解釈離れてなんか、
全く実在しないよ。
ある物が先とか前とか人間が解釈して存在するもので非生物にとっては、
明日も今日も太陽が昇るも沈むもない。
時間の順序も系列も太陽と地球の区別もない。
太陽がまた東から昇ると準備しとかないと生活に困る存在にとってのみ、
太陽が昇ったり沈んだりする事実は実在する。
無論その存在にとって思いのままになる形では事実は実在しないが、
だからといって存在にとっての思い離れて事実なんかない。
過去と今と未来の順序も区別もその区別によって利益得る存在の、
解釈離れてない。
AがAとかはその同一性は解釈者の利益や都合離れてあり得ず、
全体と切り離せない、局所的なフィクションだ。
原子だって法則だって。そう解釈することで都合いいから存在する。

307:考える名無しさん
16/04/16 07:39:40.84 O.net
ある太陽と一時間後の別な太陽、ある人物と一時間後の別な人物との、
同一性なんか存在しない。客観的な同一性なんか存在しない。
同一性は解釈する側がそう解釈することで利益ある場合のみ与えられるもの。
原子も法則も同じ。
太陽が何であるかは他の物、総体との関係の差異の網の目の中で、
他と区別しといた方が、あるいは一緒にくくった方が、
便利だということでしかない。
何かが何かであること。私が私であることはそういった必要性、
便利さの効果でしかない。
そういった区別、解釈、必要性離れて何かと何かが同一とか、
存在するわけない。
余りに議論がナィーブ過ぎる。

308:225
16/04/16 08:04:52.87 0.net
423さんの返答を待っているんだが、423さんは
いらっしゃらないのかな。私だって無制限に待っては
いられないよ。私は、274の書き込みをナンセンス
と感じたから批判したら、423さんからの抗議が来た
訳だが。この問題はどうなったのかな。274について
論じるのか、論じないかどちらですか。

309:225
16/04/16 08:22:37.30 0.net
もし、274の文に自信が持てなくなったなら、
そう言ってくれれば、この件はなしとしようよ。
誰だって、筆がすべることぐらい幾らでもある訳
だからさ。

310:225
16/04/16 08:44:17.10 0.net
いるんだろ。無視かよ。失礼だよな? もう行くから
またね。

311:423
16/04/16 09:38:37.37 0.net
>>310
>いるんだろ。無視かよ。失礼だよな?
今きました。申し訳ないけどあなたは病気です。あなたと絡むのではなかった。
図書館も嘘、無内容なレスを粘着的に書き込む、論拠は私の文て意味が分から
ない。274の文を反論するような論拠なのに。何故か自分のレスを列挙したり、
いるんだろ?と断定したり、反論してといってるのに2ちゃんのレスに筆が
すべることもあると異常に気遣いを見せたり、またこのレスに連続投稿するん
でしょうね・・・。

312:考える名無しさん
16/04/16 11:18:42.28 0.net
まあどちらが病気かは第三者が判定してくれる
だろうさ。負け犬の遠吠えとしかきこえないね


313:考える名無しさん
16/04/16 11:23:33.24 0.net
へぇー。何が嘘だ。これから図書館に行きますけど
なにか?きみこそ、絶対に自分の非を認めようとし
ない病気だろ。

314:考える名無しさん
16/04/16 11:28:48.52 0.net
自分のレスを列挙したのは、どれが私の発言かわかり
やすいようにと思ったからですけど?
矛盾でいっぱいなのはあなたのほうだろ?

315:○○
16/04/16 12:21:34.64 0.net
>>297
君は客観的な存在を認めないんだね。
自分が目を閉じたら見ていたものはなくなっていると信じてる。
でもね、君が例にあげたのは、その人や事実を客観的な現象と認めていることなんだよ?
本や論文も、物理的に存在しているから、君はそれを読むことができたわけだ。
それとも、その例も「色眼鏡」で作り上げた「擬制」なのかな?
明日というのは地球の自転による地球と太陽の位置を、言葉にしたもの。
言葉もまた、君がいなくても、存在していると思うよ。
君が、言葉の理解が苦手にしているとしても、だ。
君自身の知覚(主観)と実在する物(客観)をはっきり区別することが必要だと思うよ。
知覚の在り方が様々だからといって、対象自体の在り方が様々になるわけではないんだ。

316:○○
16/04/16 12:25:46.82 0.net
>>306>>307
君の精神は、そこにある物によって揺れ動くが、そこにある物は、君の精神によって変化することはない。

317:423
16/04/16 14:51:28.73 0.net
>>315
差延について語ろうと来たら誰も差延をしらず、では教えようとしたら差延では
なくその前提に対して反論されている。まあスレ違いなので申し訳ないと思い
つつ、差延を教える前提作業だと理解していただこう。間違っているとレッテル
を貼るだけで論拠を述べないよりはいい。
>君は客観的な存在を認めないんだね。
客観的という言葉は既に物象化の誤謬だが、私が立ち会うことでしか成立しない
コト的な世界は、私が不在でも可能性としてあることは推測できる。
>本や論文も、物理的に存在しているから、君はそれを読むことができたわけだ。
刺激の源泉と人間の感性の間に対象が産出されるんですよ。本も論文も恣意的な
世界解釈でしょう。だから擬制です。
>君自身の知覚(主観)と実在する物(客観)をはっきり区別することが必要だと
>思うよ。
ヨーロッパの哲学に洗脳されてますね。対象の産出は主観を無視して成立できず、
そしてそれは必然的に擬制になる。人は意識を志向してコトを捉えることは無理
なんです。あなたのいう客観的存在とやらが物理的に自存するのは不可能です。

318:考える名無しさん
16/04/16 15:21:21.48 0.net
差延を教えるとは、畏れいったな。
そんなに差延の権威なら2chあたりでウロチョロしていないで
本として出版すればいいだろ?

319:423
16/04/16 15:40:08.25 0.net
差延について語り合うということは、差延を教える側面もあれば、差延を教えて
もらう側面もあるわけで、自分は本を出版できる知識があるとは思ってない。
皆で各々の差延を持ち込むということです。

320:考える名無しさん
16/04/16 16:24:54.36 0.net
そうですか

321:○○
16/04/16 19:25:51.66 0.net
>>317
>客観的という言葉は既に物象化の誤謬
>客観的存在とやらが物理的に自存するのは不可能
君の「物象化」は、まるで間違ってるよ。
広松の「物象化論」は、あくまでも人と物との関係の在り方の、人の受容の在り方について述べられているんだよ。
「客観的存在」を否定したら、そもそも、広松物象化論の根源である『ドイツ・イデオロギー』も『資本論』も成立してない。
それとも、物象化論がマルクス由来だということを知らなかったの?
>本も論文も恣意的な世界解釈でしょう。だから擬制です。
それなら君があげた例も、もちろん君が教えたがってる差延も、擬制だから君は書いてもしょうがないね。
>ヨーロッパの哲学に洗脳されてますね。
差延を語りたい人がいうことかね。
広松だって「ヨーロッパの哲学」を十分に検討した上での中国好き、毛沢東好きなんだよ。
個人の精神と客観性とを混同してるから、君のレスの内容は支離滅裂になっちゃうんだよ。

322:225
16/04/16 20:20:01.16 0.net
はは、どうやら廣松派○○さんのきびしいチェックが
入っているようですね。まあ、私の事を言えば確かに
5時間くらい図書館に滞在し、廣松渉著作集(1)の
「存在と意味(上)」をながめるぐらいの事はして来
ましたよ。でもねぇ、ほかにもチェックすべき本が山
ほどあったし、そんなに充分読めるわけないですよね。

323:225
16/04/16 20:27:02.04 0.net
だから、まああれを買って読むしかないと思うんです。
でも、私の買いたい本もすでに待ち行列をなしてまして
来月、買えるともいまのところは断言は出来ないんですよね。
まあ、さ来月には買えると思いますけど。だから、廣松
哲学をわかるようになるまで少なくとも6ヶ月ぐらいは
かかると思いますね。ええ。残念ながら、すぐにという
のは、無理ですね。

324:225
16/04/16 20:34:03.68 0.net
広松(もうめんどくさいので、これで行きますね)と
デリダという発想じたいは、僕はなくはない。。と思って
いますよ。読んでませんけど、デリダもマルクスをテーマ
にした本を2冊出していますからね。広松とデリダの
邂逅というテーマじたいは悪くはなかった。ただあなたの
広松理解がどうも、いまいち弱かった訳です。

325:225
16/04/16 20:42:43.50 0.net
そこで広松派であるらしい○○氏にいろいろ教えて
もらえたらいいな。と思うわけですが。広松哲学が
言うところの、物的世界観から事的世界観への転換
とは、いったいどういう事を指して言っているのか、
という事を僕たちアマチュアに教えてはもらえない
でしょうか? ○○さんにもいろいろと言いたい事が
おありでしょう。すくなくとも、423や僕は熱心な
聞き手になりますよ。非常に熱心な聞き手です。

326:225
16/04/16 20:44:19.33 0.net
ああ、広松渉著作集(15)の間違いですね。

327:225
16/04/16 21:05:24.77 0.net
つまり下世話な話、われわれ全員、カネというものが必要な
訳ですよ。カネがなかったら働いて、カネをもらわねば、
食ったり、寝たり、住んだりもできない訳です。まあ世の中
には、後者ふたつをはぶいてしまういわゆるホームレスな
かたもいる訳ですが、なにしろ食ったり飲んだりをはぶくと
いう訳にはまいらない訳です。

328:225
16/04/16 21:11:24.25 0.net
つまり最低限でも食べ物をはぶくという訳にはいかない。
これこそ究極の「モノ」とは言えるでしょう。これは極端
な例でふつうはみな労働してお金をもらい、いろいろな不可欠
とは言えないようなものまで買い込むわけです。スマホとか
ゲームとか本ですね。まさにこの世には商品という「モノ」で
あふれかえっていると言っても過言ではないでしょう。まさに
商品という「モノ」の大洪水だ。

329:225
16/04/16 21:15:09.26 0.net
モノ・モノ・モノ。。では、物的世界観で大正解というわけでは
ないでしょうか。どこに、事的世界観などというものがはいり込む
隙があると言うのでしょうか?

330:423
16/04/16 21:45:21.88 0.net
>>321
>「客観的存在」を否定したら
私は客観的存在を肯定するが客観的存在を否定する。肯定とは解釈されるような存在
として承認するということであり、否定とは媒介性を直接性として客観的存在として祭り
上げることを承認しない。客観的存在という謂いである以上承認できないが、解釈可能性
としての世界の存在を憶測することは出来る。
>それなら君があげた例も、もちろん君が教えたがってる差延も、擬制だから君は書いて
>もしょうがないね。
私は擬制である事を前提にしているが、あなたは擬制を前提にせずに物が自存すると
いうから非難している。だから差延を語ることはしょうがなくないし、逆にあなたの語ること
はしょうがない。
>差延を語りたい人がいうことかね。
主観主義的な西洋独我論を輸入して洗脳されているんですよ。
>個人の精神と客観性とを混同してるから、君のレスの内容は支離滅裂になっちゃうんだよ。
一切ごっちゃになどなっていません。あなたが前提に無自覚で洗脳されていることに無自覚
なだけです。

331:225
16/04/16 21:53:04.21 0.net
423さん、困っちゃうなあ。私が先に質問して
るんですから。

332:考える名無しさん
16/04/16 21:57:17.56 0.net
それに423さんの言ってる事もわかりずらいから。
あなたは今日は何も食べてはいませんか? それ
はモノではないんでしょうか。

333:225
16/04/16 22:19:06.95 0.net
承認しようがしまいが、あなたはなにか「モノ」を
食べてはいませんか? 息をしていませんか?

334:○○
16/04/16 22:45:10.40 0.net
>>330
君に対しては、>>332>>333の指摘がもっとも適切でもっとも根源的な答えだと思うな。
君が差延を語ることが擬制だと自覚していると言うなら、君はただ自分は嘘をつく、と宣言してるのと同じだよ。
それを自家撞着というんだ。
今回君は、「物象化」や「コト的な世界」について触れてないけど、もう放棄したということでいいんだね。

335:○○
16/04/16 22:59:03.03 0.net
>>325
僕みたいなお調子者にそんなレスして、僕がその気になって語り始めたらどうするんだよw
冗談はさておき、僕は広松が好きなわけじゃないんだ。
むしろ嫌い。
好きな人は廣松と書くらしいw
広松の「コト」というのは、マルクスでは交通、心理学ではゲシュタルト、現代思想では構造という言い方になる。
吉本隆明は関係という言葉を使っている。

336:225
16/04/16 23:14:58.32 0.net
そんなに簡単に割り切った言い方でいいのか、はなはだ疑問ですね。
ただあなたは、嫌いであっても広松(単にパソコンの変換の問題)
の事的世界観というものを説明する責任があると思うな。一度、
発言した以上はね。

337:○○
16/04/16 23:23:37.01 0.net
>>336
厳しいねw
でも僕は、広松について語る気はない。
コテ423に対するレスもこれ以上しない。
おかげで楽しかった。

338:423
16/04/17 05:02:42.69 0.net
>>334
>君が差延を語ることが擬制だと自覚していると言うなら、君はただ
>自分は嘘をつく、と宣言してるのと同じだよ。
人間の解釈は人間による解釈であって相対的に見れば偽りという言い
方も出来るけど、人間にとってはそれが偽りであろうともそれを真実として
生きている。生きることに意味がなくても意味を見出そうとするし、なぜ人を
傷つけてはいけないのかと思っても傷つけないようにしようとする。人間に
とってはその偽りこそが真実性を持っている。相対性の事実を自覚しつつ
その様な偽りの世界における世直しをするという構造なんだ。
>今回君は、「物象化」や「コト的な世界」について触れてないけど、もう
>放棄したということでいいんだね。
私は何一つ放棄してない。毎回それを併記しろというのかな。そもそも
あなたはこちらの指摘に何も答えていない。前提の話も無視しているが、
それは放棄したのかな。
>コテ423に対するレスもこれ以上しない。
結局すべて論破されて何も出来ずに自尊心だけ温存してリタイアすると
いうことですか。そういう態度はルールとしては問題ないですが、そういう
態度が定着するとあなたの人生はどうなるのか心配です。

339:考える名無しさん
16/04/17 06:30:59.76 O.net
今の太陽と一時間前の太陽が同じものであるか、
あるいは同じにくくらねばならず、一時間前の太陽と、
日向ぼっこしてる猫が同一でないという根拠はない。
あなたがあなたであること。私が私であること。それも便利や都合であって、実在しない。
ただの土くれや空気は一まとまりに扱わない。人間も大差ない。
人物を一まとまりに扱わないといけない根拠はない。
ある人物を次の瞬間の道路のアスファルトと同一視しない根拠はない。
全てが人間なり何なりの都合や必要性に応じる。
今や一時間自体がそういう物で、客観的にそれ自体としては、
実在などしていない。
全体の中の差異の網の目としてしか存在しない。
区別しある仕方で一まとまりに扱う方が役に立つ状況だから、
そう扱うということでしかなく、それ以外に何かは実在しない。
そうくくり、そう扱った方が便利だと言うこと以外に、
何かが何かである根拠などない。
素朴過ぎて論じるまでもない下らない実在論はこのスレで語るなよ。
死ね。

340:考える名無しさん
16/04/17 06:45:18.27 O.net
何かが何かであるかは予め存在なんかせず、
そう扱う方が得だからそう扱うということがもたらす、効果だろ。
その効果離れて何も実在しない。
同一性は後から派生するフィクションに過ぎない。
差異こそが本質で同一性や何かが何かであるは虚構にすぎない。
生の全体、差異の網の目の中からそう扱うといいと生み出されたもので、
その比較照合前に何かが何かであるなどない。
太陽も猫も私も今も一分前も他との差異の網の目からくくられた、
とりあえずのフィクションに過ぎない。
別のくくり、別の結びつけかたはいくらでもある。
猫の半分と太陽の半分を8時15分時点のあなたと、
同一に扱って何が悪いわけでもない。
こんなことはデリダだろうが廣松だろうが関係ない、
哲学を語る上で、ごく当たり前の初歩の入門の手ほどき。

341:考える名無しさん
16/04/17 06:53:31.72 0.net
まあ、あのひとがぶざまに逃走したってことは
確かですけど、あなたも相変わらず「同一性」
にこだわりますねえ。あなたの考えている事と
私の考えている事は同じはずですよね。つまり
あなたも私も事的世界観を説明しようとしてい
る事には間違いないですよね。とこらがあなた
はあくまでも認識対象の同一性という点にこだ
わっている事はわかるけれども、私はそういう
言葉で考えた事はまったくないな。

342:考える名無しさん
16/04/17 07:05:42.87 0.net
ではどういう考えなのだ。。とあなたは聞くだ
ろうけど、私はまだ廣松哲学を学びはじめたば
かりなので、ここで不用意な発言をするという
気はありません。私が信じているのは、廣松氏がデタラメを述べたわけではなかろう。。とい
う信用がひとつ。もうひとつはあなたの説明で
はよくわからない。。というこの2点ですね。
したがって、わたしが説明するには半年ほど
待ってください。それまでには私は存在と意味
の少なくとも上巻を読み、廣松の事的世界観を
説明できるよう努力するつもりですから。

343:考える名無しさん
16/04/17 07:12:12.83 0.net
あなたの言い方はいまひとつ理解できないけど
それは私が廣松哲学をよく理解出来ていないか
らに過ぎないからかも知れないですよね。半年
後には私はあなたの言い方に同意しているかも
わかりませんよね。と言う訳で、私は時間が欲
しいのだという事を理解して頂けたかと思いま
す。

344:225
16/04/17 08:16:31.44 0.net
423さんがおっしゃている差異が「事」にあた
るという訳ですね?

345:考える名無しさん
16/04/17 09:03:24.30 0.net
差異が「こと」であると。そして「対象認識の同一性」というものは
「あとで」派生したものにすぎない。。と。そしてこの「差異」からの
「対象認識の同一性」の「派生」こそが物象化というものである、と?

346:考える名無しさん
16/04/17 14:28:30.57 O.net
廣松もデリダも事とか差延とかいまだに、
同一性自体のとっかかりはあることを前提にしてるのがな。
明らかに間違い。
物にしろ、事にしろ、差延にしろ、
そんなものは錯覚のでたらめにすぎないのは明らかなのに。
生きるためにどうすればいいのかでこう取り扱った方がいいとの、
効果ででっち上げたもの以外の何物でもないわけで、
物も事も存在なんかしない。
こう取り扱った方がいい。これはこうあるものとした方がいいと、
事後的に派生するものの前に何も実在しない。何も存在しない。
時間も遡って捏造されたもので、差延も物象化もくそもない。
全体との関係とこうするしかないの実践の前に何も存在しない。
非局所的なこうした方がいいの全体から離れて局所的な何も存在しない。
何かが何かであるなどない。
非局所的な全体が根源的で切り離された個々の真実なんかない。

347:考える名無しさん
16/04/17 16:50:26.58 0.net
344はスルーで。

348:考える名無しさん
16/04/17 17:40:18.92 0.net
>>347
なんで?

349:考える名無しさん
16/04/17 18:55:47.89 0.net
単に言葉を言い換えているに過ぎず、それなら
あなたより廣松やデリダのほうが100万倍ほ
ど芸の違いがあるのでね。今後、廣松やデリダ
の研究を妨害しようとするあなたの発言をすべ
てスルーする事にします。

350:考える名無しさん
16/04/17 19:42:28.55 0.net
>>346
それでも「生きる」という事実や「実践」や、それらの手段なるものは存在していると信じているんだ

351:423
16/04/17 23:00:18.93 0.net
私は前からスルーしてます。一切論拠を示さずに断定したり馬鹿にしたり、
根拠のない自信だけ振りかざしている。

352:考える名無しさん
16/04/17 23:36:49.67 0.net
>>351
横から見てると、同類に見えるけどねぇ

353:225
16/04/18 05:44:48.07 0.net
では、スルー決定ということで。350は同類と言ってますが
デリダスレでデリダを全否定して自説を述べはじめるあたり
完全にスレ違いと言えますね。私も自説を述べてるじゃないか
と言われそうですが、私はデリダ哲学を解釈しようとしている
だけで、頭から全否定しているひとと同類扱いは心外ですな。

354:考える名無しさん
16/04/18 07:19:27.91 0.net
おまえ女だろ

355:考える名無しさん
16/04/18 12:41:27.48 0.net
なぜ、そう思うの?

356:423
16/04/18 17:21:12.79 0.net
対象における記号もしくは言語において、その時間的把持を可能にする2つの
差異であり、第1が時間的差異である遅延である。これは記号や言語において
何かしら意味が生じる時に、それはモノでありコトの代理物に過ぎない間接性
であって、すなわち本来の直接性としての存在が不在のまま認識されている。
つまりサルトルの「それがそれで在らぬ所の物であり、それで在る所の物で
あらぬ」という同一の非同一の差異である。このような差異は必然とまず直接
性その後間接性による媒介というオクレ(遅延)という差異に至る。第2が
空間的差異である差異である。これは記号や対象において何かしら意味が
生じる時に、記号的な切り取りや言語の参照枠組みからの選択が必然に起こる
のであり、全体を相対的に捉えた上でのズレ(差異)に至る。

357:考える名無しさん
16/04/18 17:41:07.55 0.net
>それがそれで在らぬ所の物であり、それで在る所の物で
あらぬ
日本語になってないぞ大丈夫か?

358:423
16/04/18 17:52:18.67 0.net
志向意識に基づくコトの対象化は、コトからの刺激と受容者の共同主観性を
通じ記号や言語としての対象を算出する。この様な記号や言語の同一性が時間
的に把持されるのは差延が起きるからである。すなわち現在は間接的に過去に
汚染されるのであり、現在は不可避的に過去を含まざるを得ない。しかしこの
様な過去は元々の過去ではなく、現在に包摂された過去の痕跡であって、現在
における当の過去は不在である。すなわち現在は、時間性の中で自己欠如と
しての側面を帯びるのであって独立して存在することが出来ない。外部の過去
との関係が必要なのであって、この様な現在と過去は根源性が一つであるが
ゆえに対立するのではなく過去は抹消された痕跡である。空間的差異、時間的
遅延すなわち差延は、自己が自己自身である可能性において不可避的に起こる。
この様に、形而上学的な直接性すなわち透明であるがゆえに遅延も差異もない
関係というのは幻想である。

359:考える名無しさん
16/04/18 21:28:40.78 0.net
>>356>>358
やっぱり>>346と同類だよ

360:225
16/04/19 09:07:06.86 0.net
423さん、けっしてスルーしている訳ではない
んですが、僕も反射的に応答できるほど、固まっている訳ではないので。デリダを読んだのは
ずいぶん昔のことなので、復習しないといけな
うし、また、廣松哲学勉強もこれからはじめる所ですので、この度の423さんの書き込みに対
するレスはかなり遅延するものと考えてくだ
さい。

361:225
16/04/19 09:12:59.39 0.net
その代わり、僕がいままでにこのスレに書き込
んだ文について、批判して頂くことはおおいに結構ですよ。以上の点について理解のほどを
お願いしておきます。

362:考える名無しさん
16/04/29 11:11:50.87 0.net
〈ジャック・デリダ〉入門講義
仲正 昌樹 (著)
出版社: 作品社 (2016/4/26)
他の岬 [新装版]: ヨーロッパと民主主義
ジャック・デリダ (著), 國分功一郎 (解説), 高橋哲哉 (翻訳), 鵜飼哲 (翻訳)
出版社: みすず書房 (2016/5/26)
精神分析のとまどい―至高の残酷さの彼方の不可能なもの
ジャック・デリダ (著), 西宮 かおり (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2016/5/26)
獣と主権者II (ジャック・デリダ講義録)
ジャック・デリダ (著), 西山 雄二 (翻訳), 亀井 大輔 (翻訳), 荒金 直人 (翻訳), 佐藤 嘉幸 (翻訳)
出版社: 白水社 (2016/6/8)

363:考える名無しさん
16/04/29 14:32:19.76 0.net
差延については
・「自分が語るのを-聞く」ことについて『声と現象』
・『哲学の余白』所収の「差延」


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