岡潔at PHILO
岡潔 - 暇つぶし2ch300:考える名無しさん
14/05/16 23:53:11.97 0.net
昭和33年(1958年)の春、来日したジーゲルは岡潔との面会を強く望み、奈良に岡潔を訪ねていった。
『春雨の曲』に書き留められた回想によると、ジーゲルは「おお、オカ」と言って抱きついて、
「近ごろの数学をどう思うか」と、いきなり尋ねてきたという。
ジーゲルは論文を通じて岡潔を知り、同じ数学の心が共有されている様子を目の当たりにして、
心から共感し、共鳴していたのである。

301:考える名無しさん
14/05/17 00:05:11.03 0.net
第十論文

この序文では技術上の細部には立ち入らずに、
私がこの論文を書き終えて感じていることを説明するために、
遠い昔から日本民族に固有の感情である季節感に訴えたいと思う。
今日の数学の進展には抽象に向かう傾向が見られる。
われわれの研究分野においてさえも、諸定理はますます一般的になり、
それらのうちのいくつかは複素変数の空間から離れてしまった。
私はこれは冬だと感じた。
私は長い間、もう一度春がめぐってくるのを待ち続けた。
そうして春の気配を感じさせてくれる研究をしたいと思った。
この論文は一番はじめに摘まれた果実である。

302:考える名無しさん
14/05/17 00:17:43.15 0.net
春宵十話 1963年2月

数学の世界で第二次大戦の五、六年前から出てきた傾向は「抽象化」で、
内容の細かい点は抜く代わりに一般性を持つのが喜ばれた。
それは戦後さらに著しくなっている。
風景でいえば冬の野の感じで、からっとしており、雪も降り風も吹く。
こういうところもいいが、人の住めるところではない。
そこで私は一つ季節を回してやろうと思って、
早春の花園のような感じのものを二、三続けて書こうと思い立った。

303:考える名無しさん
14/05/17 00:55:11.86 0.net
>>264訂正 偏在→遍在

304:考える名無しさん
14/06/03 04:11:49.44 0.net
小林秀雄「学生との対話」

小林:僕は教育者じゃないから、教師としては人の前に現れません。
そんな資格を僕が持っているとは思わない。
僕はまあ、隠居だな(笑)。
横丁の隠居でいたほうが、何かをすることができるのではないかと自分で思っています。
いろんな人にいろんな素質がありますよ。

305:考える名無しさん
14/06/03 04:14:33.29 0.net
小林:自分は死んでもこのほうが正しいと思うと、人を殺すね。
僕はそういうことも考えたこともある。
正しくないやつを殺さなきゃならんでしょう。
自分が死のうと覚悟したときに、やっぱり人を殺す覚悟をしますな。
そうじゃないですか。

306:考える名無しさん
14/06/03 18:37:20.58 0.net
小林:僕ばかりにしゃべらさないで、諸君と少し対話しようじゃないか。
僕は学校の先生をしていたことがあって、「質問は?」とよく学生に訊いたものです。
すると誰かが質問するね。「何だ、おまえ、なぜそんな質問をするか」と怒ったりした(笑)。
そういう覚えがあります。実際、質問するというのは難しいことです。
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。
僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。
僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。
ただ、正しく訊くことはできる。

307:考える名無しさん
14/06/16 01:21:35.30 0.net
学生:私は大学で自然科学の勉強をしています。
自然科学は、「事実の解明」ということが最大の目的ですが、
そういう学問の性格と、私自身が信念を持って生きていくということは、どのように関わりあうものでしょうか。

小林:あなたは、信念と知識が対立することに不安を持っているのですね。
孔子は「知る者は好む者に如かず。好む者は楽しむ者に如かず」と言っています。
知るというだけでは、大したことはないのです。
知ることが楽しみにならなければ、つまり、喜びにならなければ、知ってもしようがない。
信念があるとは、喜びがあるということです。

僕が若い人の質問を受けて一番困るのは、「好む」とか「喜ぶ」とかが基とならないで、
ただ「知る」ということから質問されることです。
偉い人の仕事を見ると、まず初めに仕事を好むことが土台になっている。
その仕事に没頭できるか、できないかが、最初の問題です。
科学の仕事は物事をはっきりと知ることにあるが、
その知識を我がものとする喜びを感じていなければ、知識が信念に育つ事はあるまいし、
逆にこの喜びがいつも実感できていれば、科学者はその信念に生きるでしょう。

308:考える名無しさん
14/06/16 01:38:36.99 0.net
小林:ソクラテスの「無知の知」と孔子の「知らざるを知らずとせよ。これ知るなり」とは同じ意味だと考えてもいいでしょう。
偉い人の言葉はみな同じようなことになるのは不思議です。
そしてみな大変やさしいことをいっています。

本当にいい音楽とか、いい絵とかには、何か非常にやさしい、当り前なものがあります。
真理というものも、ほんとうは大変やさしく、単純なものではないでしょうか。
現代の絵や音楽には、その単純なものが抜け落ちています。
そしてそれは現代人の知恵にも抜けていることを、私は強く感じます。
たとえばデカルトには、何か近代人の及びもつかない単純性がある。
明るくて、建設的なものがあり、陰気なものは影も形もないのです。
けれども、現代の思想には、憂鬱、皮肉、裏面、女々しさが倒錯して第一義にあるかのようです。
デカルトには実に男性的なものがあって、そこに私はひかれます。

徳川の勃興期の儒学などにも、明るさと単純さがありますよ。
本居宣長もそうです。大変明るくて、皮肉とか陰気とかいうものがまったくない。自分の仕事を信じきっているのです。
現代に欠けている一番重大なものは、そういうものではないかと思っています。

309:考える名無しさん
14/06/16 01:48:06.01 0.net
胡蘭成「岡潔集 第5巻しおり」

私は岡潔先生に叱られたことがある。
去る秋、和歌山の座談会で、私は学生の質問に答えるに、
アインシュタインの相対論がニュートンの力学より複雑、進歩であったと言った途端に、
これは俗説、口のすべりだったなと自ら気にするが早いか、岡先生の怒鳴に遇った。
『バカ、何がアインシュタインの相対論はニュートンの力学より進歩した、何が進歩して複雑になるもんか、進歩しては単純になるのだ』と叱った。

※本当の進歩とは、>>2のように、無限に捨てることで無限に自ずと向上していくということです。
 唯識論であれば、…、10、9、8、7、…と行くのではなく、…、7、8、9、10、…と行くのです。

310:考える名無しさん
14/06/18 21:31:53.46 0.net
人は極端になにかをやれば、必ず好きになる。好きにならないのがむしろ不思議だ。って岡は言ってるもんな。

311:考える名無しさん
14/06/19 01:29:17.69 0.net
例えば2chとかねw

312:考える名無しさん
14/06/19 04:04:53.76 0.net
戦後、日本酒の個性が無くなって甘くなったし不味くなったって小林秀雄が言っとったわ
ワインやウイスキーは良くなったけど

313:考える名無しさん
14/06/19 04:08:49.03 0.net
物を生かすのを忘れて、技術的につくりだす方ばかりをやりだしたから日本酒が不味くなったんやろうな

314:考える名無しさん
14/06/19 06:23:11.35 0.net
小林秀雄「学生との対話」

女子学生:先生のお仕事は非常に多岐にわたっておられて、
初期はフランス文学、そののち近代文学の評論とか音楽や美術などについて書かれ、
そして最近は本居宣長という古典のご研究をされたわけですが、
そのお仕事の中にはやはり一貫して流れているものがあるのだと思います。
先生が、こう言っては失礼かもしれませんが、人生の秋を迎えられた時、
宣長という人物の研究をせざるをえなかった、その由縁、いきさつをお伺いしたいのです。

小林:これは非常に簡単なことでしてね、自分の一生というものを振り返ってみますと、僕は計画が立たない男です。
計画を立てて何かをしたということは、まずないんですよ。
その場その場に解決していったものの積み重なりが、いつの間にか宣長さんにまで向いていったのです。
僕の仕事は、何か一つの感動とか、ある直覚とか、そんなものがいつでも先にあるのです。
はじめに、漠然としたものかもしれないけれども、明瞭な感動があるんです。
そういう感動に次、次、次とこう連なって出会ってきた。
これは計画ではないですね。僕はついに計画が立たなかったな。

315:考える名無しさん
14/06/19 06:32:34.42 0.net
女子学生:その計画のなさというなかにも、振り返ってみられて、
一筋通っている道というものを先生は意識されておられませんか。

小林:行き当たりばったり、というのが人生というものではないかな。僕はそんなふうに思うんです。
ただ、計画的な学問というのはありますよ。学問を究めるために一生、ある道を計画的に進んでいく例はたくさんありますが、
僕みたいな生き方のほうが普通なんじゃないですかね。どうもそんなふうに思えます。
どうしてこんなふうに生きてきたのか振り返った時に、自分がこうなった原因がどこかにあったような気がするだけではないのですかね。
よく僕は、お前のやってきたことを書けと言われるのですが、困ってしまうのです。
無計画にやってきて、その結果こんなふうになっただけだから、うまく書けないんですね。

316:考える名無しさん
14/06/19 06:54:06.04 0.net
小林:だから、どうして宣長までたどり着いたか、確かなことは言えません。
ただ、感動から始めたということだけは間違いない。
感動というものは、いつでも統一されているものです。分裂した感動なんてありません。
感動する時には、世界はなくなるものです。
感動した時には、どんな莫迦でも、いつも自分自身になるのです。
これは天与の知恵だね。人間というのは、そういう生まれつきのものなのだな。
感動しなければ、人間はいつでも分裂しています。
だけど、感動している時には、世界はなくなって、自分自身と一つになれる。
自分自身になるというのは、完全なものです。
莫迦は莫迦なりに、利口は利口なりに、その人なりに完全なものになるのです。
つまり、感動している正体こそが個性ということですよ。

僕の書くものはいつでも感動から始めました。
だから、書いたものの中にいつの間にか僕というものが出てくる。
感動の結果として主観が出てくる。
感動がどこかからやってきたのです。
ですから、あなたのご質問のように、なぜこういうふうになったかという筋道を辿ることはできないのだね。

女子学生:読む側としては、先生の作品一つ一つを丁寧に読んでいけば、
そこに先生のご一生がある、ご生涯を辿ることができると思いながら読むことにします。

小林:�


317:「や、そうお褒めに与かっちゃあ、恐縮しちゃいますがね(笑)。



318:考える名無しさん
14/07/17 17:10:16.62 0.net
新社会主義

※旧社会党の解党時にできた新社会党の政策とは似て非なる政策です。

社会主義の本義は日本から労働者階級というものを雲散霧消させて、
すべての国民が生きがいを感じて生きることができるようにするための衆生済度の菩薩道であるべきである。
これをしなければ民主主義とは言えない。
しかるに自民党屋はそれをせず、社会党屋は逆に労働者階級というものを固執して、
日本国を霧消するため、もっぱら闘争をこれ事としている。「新社会党」の生まれざるを得ないゆえんである。

あなた方は日露戦争前、広瀬中佐の喜びに満ちた生活を露都で見たロシア娘が、
これがほんとうのよろこびというものかとすっかり慕うようになって、
中佐戦死の報を聞いて後一年間ぐらいは亡き人を慕う心をおさえることができなかったという話しを知っていますか。
わかりやすく言えばロシア娘がべたぼれにほれたのである。日本でも江戸時代は恋わずらいで死んだ娘が何人もいる。
ロシア娘の話しは石原慎太郎氏によって知った。
真の喜びは必ず心の安定と生き生きとした生きがいとを伴うものなのである。菩薩道だからそうなるのである。
娘はそれにひかれたのである。

319:考える名無しさん
14/07/17 17:23:02.61 0.net
終戦後は物質主義から生まれた個人主義(閉鎖主義)、
さらにそこから生まれた積極的・消極的利己主義を文章に書いて日本国憲法の原文とし、
それによって憲法法律を作っただけではなく、米人デューイの思想で裏打ちして、
社会通念を作り、新学制を作ったのである。

この方針の教育で京都や博多の日教組の先生たちに教えさせると、「にこりともしない娘」を作ってしまう。
こんな娘に、真の女性の幸福が欲しければ感覚の世界に住んではいけない、情緒の世界に住みなさいと教えてもわかるだろうか。

今の日本は散々にもつれた糸巻きのようなものである。まちがっているところを指摘しようと思えばいくらでもある。
しかしそれをしても無意味であろう。

問題はどこから解きほぐすとうまく全体がほぐれるかということである。
私は前にちょっと言ったように社会主義を新社会主義に変えるところから手をつけていくとよいということを最近やっと発見したのである。
もう一度言うと、日本における新社会主義の真義は日本という国から労働者階級というものを雲散霧消させるにある。
これが「新社会主義」である。

なぜ私は日本ではそれができるに違いないと思っているかというと、それが「神道」だからである。

320:考える名無しさん
14/07/17 17:46:13.28 0.net
新社会主義から実践して行けば、もつれてしまった糸巻きの糸のようなこの国の人の心がうまく解きほぐされよう。

日本が神国だと信じることができた軍国主義の戦前が、ばかだったと思いながらも、懐かしい人たちに言いたい。
内宮さまがほんとうにお望みになっていたのは、この民主主義の本義である。
日本が神国であるというのは、内宮さまのこのお望みを国が実行しようとすれば、
八百万の神々が必ず力を貸すということである。この望みが達成せられないわけはないのである。
私は日本民族の歴史を精しく(くわしく)しらべて、今では確かにそうだと言い切ることができる。

日本民族三十万年の歴史は、前半二十万年ほどは神々はかような内宮さま、外宮さまを生み出すことに努力している。
後半十万年はその内宮さま、外宮さまの御光が遍くこの国の人たちに届くようにと実に苦心している。
日本歴史をそのつもりで見れば、四次元の絵にたとえると、神々の運筆の霊妙さにただただ驚くばかりである。今度の敗戦もそうである。

あなた方は日本が神国だという意味が少しおわかりになったでしょうか。

もしそれを実証したければ、政治の目標をしばらくこの新社会主義の実現にしぼって下さい。
人々の心がさらりと解けていきますから。それが証拠です。
そしたらやはり日本は神国だという気がしてきます。
もっと確かな証拠が欲しいとお思いでしょうが、神々はそれを欲しないのです。

日本が神国だと知ってもらうと新社会主義を心から実践できる。
日本はやはり神国であったかと知るためにはともかく新社会主義を実践してみて欲しい。
私はそう言っているのである。

321:考える名無しさん
14/07/17 18:08:37.66 0.net
国を良くする基

武士道の多くの人たちが命を捨て、高知の坂本龍馬といった解脱した人たちも働いて、
もちろん働いたのは龍馬一人ではないでしょうが、
解脱した人の足跡はわかりにくく、はっきりしているのは龍馬一人だからあげるのですが、
ともかくそういう人たちが働いて明治維新ができます。
つまり、憲法が発布され議会も開かれ、それが今日に至っているわけです。

ところが、前に言ったように明治以降、文学的にみても大いなる喜びというのがない。
なぜこんなにおかしなことになってしまったのだろうか。

江戸時代には明確な階級制がありました。
この階級制度というのは、家康が自分の子孫が長く幕府をやっていられるようにというので考案したものです。
この関係は、単にそれが全体にあっただけでなしに、各藩内でもそれが厳しくあった。
土佐、山内藩にはことにそれがひどかった。
なぜかというと、あそこは掛川一万石から一躍二十万石余りになったのだが、
土佐藩にはそれまで長曽我部の家来だった郷士と、山内家の家来だった上士という二つの系列があって、
この郷士と上士の差別が実に徹底していたということです。

坂本龍馬は郷士の家に生まれていますが、
彼は「アメリカでは女中のはしばしまでが大統領を選ぶ権利があるのだというが、ええのう」と、こう言っている。
本当に良い政治を実現するには、女中のはしばしまで龍馬のような心を持たせなければいけないわけです。
つまり、制度と心の両方あってはじめて「ええのう」になるのです。

322:考える名無しさん
14/07/17 18:31:16.92 0.net
龍馬は、みんな人は自分のような心だと思った。
ただ、政治形態が日本、とりわけ土佐藩になくてアメリカにあったから―これは勝海舟かなんかに話を聞いたのでしょう。
それで「ええのう」と言ったのです。
しかし明治以降、長い間にこの龍馬の憧れは実現してきている。
つまり、半分だけは明治維新はできたわけです。ですが、残り半分が残っています。

今、日本の政治の形式では、一人一人が一票を持っている。
とすれば政治的に日本の国を良くするのは何かというと、
一番影響を与えるのはつまるところ、各人の道徳的価値判断になるわけです。
一票をどう入れるかということで一番変わる。

従ってこの政治形態をそのまま守り抜くなら、
国を良くするも悪くするも一番関係するのは道徳的価値判断ということです。
これが最も大切で、理想としては龍馬のような解脱した人にもっていくべきです。
だから目標に少しでも善い人を善い人をというのが国のうまくいく所以でしょう。
政治形態を変えればこれが易々とできると考えたところに、
龍馬ら、その後をずっと続いてきた人たちの大変大きな誤りがある。

日本民族というのはどういう心の色彩りの民族なのか、我々は川の流れるままに流れてここに来ています。
日本は儒教、仏教と千三百年真剣にやってきて、しかし小我を抑えることはうまくいかなかった。
これは非常に難しい。
けれどそうする以外に、つまり小我を抑える以外にはこのままの政治形態で国を良くする方法がない。
それを知っていただきたいと思います。

323:考える名無しさん
14/07/20 20:04:12.34 0.net
コーヒー、まだ来ない?

(岡潔)
あなた、懐かしさありますか。
精神分裂症(統合失調症)っていうのがあるでしょう。ボヤーッとする!(笑)
懐かしさが足りない。前世に利己的過ぎる。ただボヤーッとする!
それが懐かしさです。だから利己主義であっちゃあ駄目なんです。
懐かしさが足りなくなる。分かりますか。
精神分裂病なんて、症状だけ良くなっても、本心からは治らないですよ、あんな者ちょっと。
前世でひどく利己的だった。それで初めから、粘土でいえばサクサクした粘土。それで、ある所へ来て破綻が出る。
そしたらボヤーッとする。まとまらない。
懐かしさって言葉でいったって内容分からんでしょう。それを知らなきゃいかん。
人は一個の有機体と普通言ってますが、一つの「もの」でしょう。
何故、一つの「もの」にまとまってるのかと思わないといけない。
懐かしさです。足りないと精神が分裂する。

※精神疾患についてはごくごく大雑把に言うと、
 自他対立するのが統合失調症、自他対立しないのが躁うつ病、
 阿頼耶識にいる幽霊に憑依されてしまうのがてんかんとなります。

324:考える名無しさん
14/07/20 20:16:29.52 0.net
(質問)
先生は今までの長い人生の中で、一番自分の弱さというものを感じたことがおありですか。

(岡潔)
ありません。私は日本が滅びなければ良い!それ以外、何も考えてやしない。
弱さも強さもない!だから偉さもない!大体、「自分の」ってものがない!

自己を見い出すなんちゅうのは意識通してるでしょう。
意識を通さんていう分り方ができるのが分らんていう人は、六十日ぐらいの赤ん坊を見てごらんなさい。
自己を見い出すなんていうのはもう前頭葉なん!懐かしくて仕方がないんです。
そこに主宰性はあっても、自己なんてものはない!
自己を見い出すなんていうのは最もいかん!そう教えるから困る!
それは前頭葉、だから意識を通さんといってる。赤ん坊は自己を見い出してますか!
あなたは前頭葉しか知らん!容易に治りません。(爆笑)
徹底的に分らん!意識って何か分らんでしょう。というのは無意識になったことないんだから。

325:考える名無しさん
14/07/20 20:36:20.33 0.net
(岡潔)
本当に大切なことは言葉では言い表せないという、それを知りなさい。

君、実感て何かわかってんのか。

(質問)
はい。やっぱり、あのう、先生、どういうんですか、悲しいと思った時に涙が出るとか。

(岡潔)
そんなの実感じゃない!全然、わかってないんだから。

(質問)
わかってないと思いますか。

(岡潔)
それは感情だ。あのう、わかってやせんのにわかったと思うのが一番いけない。
僕の本をわかってないとこをわかってないとして読みなさい。そしたら、わかって来ることもあるから。
季節感は実感です!だから僕は「秋風が吹けば、もの悲しい」と書いたんです。
あれは実感です、私(わたくし)の入れようがない。涙はうれしい時に出るんです!
これが頭頂葉。悲しい時に出れば前頭葉。それで見分けたらいい。

326:考える名無しさん
14/07/24 21:45:38.48 0.net
松岡正剛の千夜千冊 947夜

情緒を問題にするにあたって、厄介なのは「自分」ということであろう。
日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。
こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。

「自分」がでしゃばってくると、本当にわかるということと、わからないということがごちゃごちゃになってくる。
そして「自分」に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。
これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。
こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。

仏教では、この「わからない」という知覚の一レベルのことを「無明」(むみょう)というけれど、
この無明を連発するようになるようなら、その人もその人が所属する社会も、混乱するか、自分主義の社会になる。
たんに「わからない」と言わないで、「無明」に謙虚にむきあって「無明の明」を知るべきだ。

327:考える名無しさん
14/07/24 21:47:48.84 0.net
※947夜は春宵十話についてでしたが、別な岡の著書についても触れられていました。

328:考える名無しさん
14/08/17 22:25:02.84 0.net
逸品!「岡潔博士みやげ作品」企画展~JR橋本駅

和歌山県橋本市の名誉市民で世界的な数学者・岡潔(おか・きよし)博士(1901~78年)直筆の
俳句・短歌・金言を記した木工芸品を紹介する、
第1回特別企画展「岡潔博士のみやげ作品展」が、同市古佐田のJR橋本駅改札口前のショーケースで開かれている。
制作者の橋本市岡潔数学WAVE役員・奥村浩章(おくむら・ひろあき)さんは
「日本人の情(じょう)を最も大切にした、岡博士の思想を、ぜひ、作品から感じてほしい」と言っている。
9月20日(土)まで。観賞無料。




329:W示されているのは、岡博士の顔のイラストや、直筆の俳句・短歌・金言などを記した額(がく)や団扇(うちわ)、 風鈴短冊(ふうりんたんざく)、栞(しおり)など約40点で、 南部(なんぶ)風鈴以外は高野杉を使用、奥村さん独自の特許技術で、優雅に仕上げられている。



330:考える名無しさん
14/08/17 22:25:39.24 0.net
木工作品に記された俳句は、例えば「めぐり来て梅懐かしき匂ひかな」「秋来ぬとひとり蛙を聞く夜かな」、
短歌は「かす漬の海豚にビールや夏の風」など、そこには自然感や季節感があふれている。

金言は「私が初めて道徳教育を受けたのは、数え年五つの時だった。
これは祖父から受けたもので、一口にいえば『ひとを先にして、自分をあとにせよ』という教育だった」と、
人間にとっての大切な生き方、心がけを簡潔明瞭に説いている。

これらは、岡博士の著書「春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)」「春風夏雨(しゅんぷうかう)」などから抜粋、
岡家の承諾を得たうえで、直筆を作品に生かした。
また、地元の童話作家・佐藤律子(さとう・りつこ)さん著の伝記絵本「岡潔博士ってだーれ?」も展示されている。
この橋本駅改札口前のショーケースは、橋本市観光協会がJR西日本の協力を得て、
いわば「常設展」として、国の伝統的工芸品・紀州へら竿や、地場産業・高野口のパイル織物などを展示してきたが、
「今後はもっと郷土自慢の品々を見てもらおう」と、今回から「特別企画展」に変更した。

奥村さんは「岡博士は数学の世界的な難問を見事解決し、文化勲章受の章者ですが、
それとともに岡博士は人類の正しい生き方を説き、日本人にしか持ち合わせていない〝情の世界〟を最も評価された先哲です」と強調。
「橋本駅に来られた際は、ぜひ、木工作品をご覧になり、岡博士の思想に触れてほしい」と言っている。
(2014年8月15日 橋本新聞)

331:考える名無しさん
14/08/17 23:04:29.22 0.net
結婚式での、碁の話で盛り上がるエピソード好き。

332:考える名無しさん
14/08/21 12:39:30.98 0.net
>>293
岡博士の「情の世界」を、哲学的論理として、もう少し具体的に
説明を願います。

333:考える名無しさん
14/09/04 21:39:05.84 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識下層の文例(其の一)

「我嫌悪ス、故ニ我有リ」
経済学部二年 男子学生

朝起きる。カーテンのすき間から差し込む陽の中に細菌のようなホコリが舞っている。
めざめればめざめるで混乱と汚濁の波が押し寄せて来る。「お早う醜い世界よ人生よ」
求めるのは明晰と云う快楽なのに、現実はどうにもならない雑音と絶望的にまとまりのない雑多なモノ、物、者、つまり……「死刑」だ。
電話をしなければならない。電話ボックスをさがす。マーケットの地下の赤電話。
めざす電話のまわりに、これはどうしたことか中年の女が十数人群れている。
グループで旅行か、妙にウキウキとペチャペチャとけたたましい会話である。地獄でもパック旅行へ行きやがれ。
とうていそこで電話などする気になれず、人工的なナマアタタカイ陽の中をなるべく汚い空気を吸わないように街を歩いて行く。
なんだか顔中に


334:クモの巣がかかったような不快な気分だったのである。



335:考える名無しさん
14/09/04 21:57:22.09 0.net
電話をみつける。番号を書いたノートがカバンの中からなかなか出てこない。
「ウニー、引きちぎってやるか、このズタブクロ」やっと取り出してペラペラページをめくっていると、
はさんであった、たった一通のラブレターらしきものが地面に落ちる。「ほんとかよ、神様!」
人生はどうしてこうドジなのだ。地に落ちた物を拾う人間のみじめさよ。
たかが電話をかけるだけで人間はこんな業苦を味わわなければならないのです。
「あーもしもし」。舌がもつれてうまくしゃべれない。声帯がやぶれた笛みたいに不安定で不快だ。
ド ド ドモル。「馬鹿にするな、本当に」
ノート、ノート、ノート。学生にはノートは絶対必要。
ノート、ノート、ペン、ペン!あーあ、かかえていたカバンの上から上着がズリ落ちる。
「クソー、殺セーッ!」心臓はドクドクドクと不愉快をそのまゝのオフビートで打つし、体中の血管がヒクヒクとあえぎ、
たかが電話するだけで、油汗たらしてこのしまつだ。
考えてみると電話というものは更に便利だけど、またその便利さを知っているが故の不便さもある。
とかく文明の利器とやらはそういうものであろう。
自宅に電話がない場合にはいちいち外に出掛けていかなければならないし、雨降りの時などは億劫でしようがない。
ましてや十円玉がない時など、タバコの自動販売機でハイライトを二つ三つ買って、その釣銭を集めねばならない。
ハイライト党ならともかく、他の党の人達はどうなることやら。
それも百円玉が昔なら一枚、今なら二枚も使わなければならず、
百円玉もない場合は夜更けの暗闇にひとり青白く光っている女神様のような公衆電話ボックスを恨みがましく思い描かねばならない。
なければないですむのだけど、思いたったときしか、また電話などめんどうくさいもの。

336:考える名無しさん
14/09/04 22:13:05.82 0.net
ダイヤルを廻す。すると呼び出し音が聞こえ、相手が出て来る。もしもし……。
ぼくの声は相手のすぐ耳許で聞こえるだろう。たぶんすぐ隣りで話しかけるよりもよく聞えるだろう。
ぼくの声は、その音波に応じた電流に変られ、電話線にのり、近くの電信柱の碍子(がいし)を横切り、
途中どこかの街を通り、見知らぬ家々を飛びこえ、相手の受話器にほんの数秒でとどく。
もしできることなら、その電流の通った電線の上をどこまでも歩いていきたい。きっと素晴らしい旅になると思う。
そんな夢に反して、もう心はズタズタだ。
汚い街よ、汚い人間よ、其の中を歩いて行くだけだって立派な冒険小説が千本も書けるのに。
太平洋一人ぼっち。大都会全部ぼっち。
駅の階段をのぼる。「おい、ぶつかるな、触るなオレに。ナマ温い醜い体温こそ、最悪のブルースリーだ。」
人間の有史以来、ラッシュの駅の階段程、みじめで薄ぎたなく苦痛な空間はない。
あわれな階段、はずかしめられた階段、階段よ反乱を起こせ。起って人間をコンクリートにたたきつぶせ。
醜い人間だが、大量の血だけがかろうじて許せる美をもつ。
電車にのる。妙な位置に立っている奴がいるので肩がぶつかり落着きがわるい。
中があいているので入ってしまおうとするが、新聞を拡げて立ちふさがっている。濡


337:れた傘を無神経にぶっつけてくる。



338:考える名無しさん
14/09/04 22:23:06.29 0.net
衝突せよ。ダンプにだろうが、なんだろうが。
まわたで首をしめられる不快よりは、ポーンとあっさり一丁あがりのほうが親切というものです。
それにしても周囲を見わたしてみると、みんな素知らぬ顔をして平然としている。
さて、今日もこれから一日が始まるのです。
「モーターボートの収益金は明るい国づくり、豊かな暮しのために役立っています」。
まずはともかく、やり切れぬ現実と「ひと目会うその日から、殺意の花咲くこともあるが」、へたに刺せば刃物が腐る。

そして十代や二十代の人ばかりでなく、三十代四十代でいまだにグレている人間がいるから気をつけましょう。
また世の中をスネた考えばかりでなく、人とは美しいものである。これを考えて見る必要があるのではなかろうか。

339:考える名無しさん
14/09/04 22:47:28.34 0.net
以下(「春雨の曲」の)著者の言。
人の「こころ」には三種類ある。真心、第一種マナ識、第二種マナ識。
真心は造化の心即ち「こころそのものと其の上のいのちそのもの」の末流であって、
生物が生きているのはそのためである。人の場合はこのこころは植物性神経系を使っている。

第二種マナ識とはこれとは全く異質のこころであって、動きもすれば彼らなりに雰囲気もわかるが、
生きているわけでもなければ、人のこころがわかるわけでもない。
わたしは且つてα₁⁰にこんな白昼夢を見せて貰ったことがある。

わたしの部屋のテーブルが自分の上に、わたしの好みのコーヒーと角砂糖とミルクとを載せて、
足も動かさないで滑るように動いてわたしの前へ来た。
このテーブルの主人公が第二種マナ識である。天上ではこの心を使って、スマートな機械を造っている。

造化は主としてこの心を使って人の「からだ」(第七識中、下層)を作ったのであって、
前五識即ち眼、耳、鼻、舌、身はこれに属する。

人が第七識下層にいるとは、この心が其の人の主人公になっていると云う意味である。

スポーツを奨励し過ぎたり、衝動判断を奨励したり、善悪を快不快によって判断させたりしていると、
人はこの第二種マナ識の国へ行ってしまうだろう。新学制を根本から改めなければならぬ所以である。

340:考える名無しさん
14/09/04 23:06:15.87 0.net
日本民族の人は然し、西洋型無明に冒されているために第七識下層にいるのだから時が来れば目が覚める。
現に此の文の筆者には、文の末段に自覚の曙光が仄かに見える。

一般に云って其の人の大脳前頭葉と云うフィルムで造化の放送する無相の情景をテレビ写真に撮れば、
此の人の場合にはこんな文章となって現像されるのである。

この文の描いている情景は(携帯電話やスマートフォンの無い時代に)朝起きて電話を掛けに行ったと云うごく簡単な出来事である。
読んで見ると中々文才があるが、悲願が支離滅裂である。この人はビールス型無明(ウイルス型無明)に冒されているのである。

(帰郷してからの言葉。本当はこの文章は造化の無相の二尊T-Aがお撮りになったテレビ写真の現像です。
造化のお使いになっている有相のフィルムは、第十五識、第十四識、第十二識、第十一識、第九識、第七識(純即ち上層)の五種類です。
これは「朝の電話」とでも題すべき情景でビールス型無明の患者の典型です。一々言いませんが以下の文例はすべてそうです。)

341:考える名無しさん
14/09/04 23:24:18.83 0.net
「ここから何時も」より ガン

前頭葉(第1の心)なしにはガンは起こらん。これが本質的なことです。
無理にこしらえることはできる。


342:が、自然発生のガンは前頭葉を持たない動物にはない。欲界です、これは。(省略) 頭頂葉(第2の心)なんかが肉体を支配するのが正しい。私はそうなってるとガンは起こらないと思います。 少なくとも頭頂葉が体を支配してたら、無闇に背が伸びたり、おかしな顔つきになったり、そういうことは決して起こらない。 頭頂葉が支配しないから、前頭葉がいろんなこと言いだすんです。欲界の心がね、ここは欲界なんです。 ※前頭葉が暴走して植物神経系(自律神経系)のうち交感神経優位になると、  細菌と比べてのウイルスの相対的増加、リンパ球と比べての顆粒球の相対的増加、便秘などに繋がり、発癌に直結します。



343:考える名無しさん
14/09/15 04:22:45.96 O.net
「マガジン9 みんなのこえvol294」より 養老孟司氏に進言する。

最近、『アエラ』に発表された解剖学者養老孟司氏の福島原発事故に関する文章を読んだ。
彼はこの中で、原発推進派も原発反対派も喧嘩両成敗であるかのような主旨のことを書いている。

こんな養老氏に比べれば、今回の事故をきっかけに、
原発賛成派から反対派に転じた「つくる会」の創設者の一人であった西尾幹二氏の方がずっと潔い。
養老氏には自分の間違いを認める勇気がないらしい。

私はこの文章を読んで、かつて歴史学者の羽仁五郎が文化勲章受賞の数学者岡潔を評して
「数学の世界ではどれほどの権威か知らないが、こと世の中のこと、
社会のことになるとまるで田舎の巡査みたいなことを言い出す」と言っていたのを思い出した。
この羽仁五郎の言葉はそのまま養老孟司氏に当てはまる。

養老孟司氏よ、『バカの壁』のような愚書を出したり、
今回のような妄言を書くくらいなら解剖学に専念するか、
虫でも追いかけていた方がずっと世のため人のためになると進言したい。

344:考える名無しさん
14/09/15 04:42:19.08 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識下層の文例(其の二)(第8稿では第五識)

「日本の農奴制」
経済学部二年 男子学生

紀元前二世紀頃から日本に於て文化の歴史が開始された。
そして世界と同じように、日本に於ても最初の文化人は農民だったのである。
そしてこれらの古代日本の人民、農民の残した土器の美しさにも表わされている彼等の生活の美しさははるかに遅れながらも、
世界の人民原始農民のそれにつらなっていた。
当時の日本人民も世界の原始社会に於て推定された生活をしていたと推定される。
その氏族社会としての性格、その原始共産社会としての性格、分業は既に始まっていたが、
支配者と支配されるものとの階級の差別はなく、氏族のメンバーとしての総ての男女が原始的な自由平等友愛に於て、
絶えず会議をして、その原始社会を運営していた状態が未だ不完全だが学問的に推定されつつあり、
今後、さらに詳細に推定されるだろう。

世界の人類の原始氏族社会が、そこに於ける生産力発達につれて崩壊して、
そこに少数の支配者が人民の多数を奴隷として所有し使役する古代奴隷社会が現われたように、日本に於ても魏志倭人伝によれば、
紀元一世紀頃から人民の多数が少数の支配者によって所有され使役されるに到ったことが知られる。
日本の古代奴隷社会は、その特色を持っている。
そして、この特色をもって、日本の古代に奴隷はいたが、人民の多数が奴隷として支配されていたのではなく、
したがって日本古代を奴隷社会として規定することはむつかしい、とする研究者達の説がある。
が、これらの説はちがっているとみられる。

345:考える名無しさん
14/09/15 04:58:24.36 0.net
第一に古代の日本に於て、人民の男女が公然と奴隷として公認され、売買され所有され、
当時の主要の生産としての農業にこれらの奴隷が使役されていた証拠がある。

第二に、これらの奴隷の数が、人口の総数に比べて、むしろ多数ではなく、
古代ギリシャに於ては全人口の九割内外が奴隷であったのに比べて
古代日本に於ては全人口の二割内外が奴隷であったに過ぎなかったことは事実であるが、
それと同時に、見落してはならないことは、日本の場合には奴隷が極めて少数の特権的支配者の手に集中的に所有され、
即ち全国民の生産又は富の程度は非常に低く貧しかったのに、その程度の生産が特権階級の手に集中的に所有され、
全人口的には数の多くない奴隷が極めて少数の特権階級、
天皇及び其の周囲の貴族又地方の豪族などの手には実に大量に数十または数百、数千人というように集中させていた事実である。

そして第三に、特権階級の支配としての古代日本天皇制の下に、
日本人民の大多数は実質的に奴隷として又は奴隷に近い状態として、いわゆる部民として世襲的に支配されていたのである。

ゆえに、日本の古代社会がまぎれもない奴隷社会であり、しかも非常に残酷な性格を持っていた奴隷社会であったことがはっきりわかるのである。

346:考える名無しさん
14/09/15 05:26:37.63 0.net
日本の古代の社会の奴隷制も日本の原始的な氏族社会の崩壊のあとに、新たに成立したものであったが、
そこに氏族社会末期の社会関係の残存または癒着が外被として利用され、ここに日本のいわゆる氏族制度というものが形成されていた。
従来の日本の歴史家がこの氏族制度を氏族社会と混同していた理由もここにあった。
氏族社会は原始的平等を本質としたものであったが、氏族制度は階級制度を本質とし、
氏族社会の崩壊後に発生した奴隷制を基礎とした社会であった。
ところが日本に於ては、そこに氏族社会の残存がヨーロッパの古代に於けるように完全に清掃されずその残存の癒着の外被の下に、
氏姓階級という支配階級が形成され、その下に、当時の日本の人民の大多数が、あるいは純然たる奴隷として、
いわゆる氏上すなわち氏及び姓という特権的位階を持つ階級に直接隷属して労役に服し、
売買はされないが贈与されることはあった部民すなわち実質的の奴隷に近い隷属民として、
又はこの部民と同等の社会的地位に置かれたいわゆる戸すなわち半奴隷的な人民として支配されたのであった。

その間に、日本の人民がこうして氏族制特権階級のために奴隷として支配されることに対し、
しきりに反抗反乱するに到った事実は、古事記や日本書紀などにも表われているが、
これ等の奴隷反乱に対し、貴族豪族は個々別々ではそれらの奴隷反乱としての人民の反抗を圧服出来なくなるとともに、
ついにこれらの貴族豪族が連合して、この日本人民の奴隷反乱を圧倒しようとした。
この日本人民の反抗としての奴隷反乱の弾圧のための豪族連合、
ここに日本武尊の東征とか四道将軍とかのいわゆる諸国平定の物語りは、
歴史的記事ではなく、天皇の支配を恒久かつ強力に見せかけようとした製作であったが、
そこにも奴隷反乱弾圧の体系の中心としての天皇制の起源と本質とが表わされた。

347:考える名無しさん
14/09/15 05:39:54.60 0.net
古事記、日本書紀にしばしば天皇が恐ろしい人物として残虐極まりない行為をもって記されていることについて従来の研究者の説明は正確でない。
これらの記事は、古事記・日本書紀が客観的な歴史叙述であることを示している。などといった説は馬鹿気ている。
正しい解釈は次のように考える外あるまい。
即ち、日本人民が奴隷として支配される生活に反抗し反乱するようなことをすれば、いかに恐ろしい目にあわなければならないか、
このことを日本人民に対して威嚇するために、
日本天皇は充分に恐ろしい残虐な専制支配者として示される必要があり、
又そうした事実があっただろう。

348:考える名無しさん
14/09/15 06:00:50.80 0.net
ヨーロッパの古代の社会は、奴隷制に基礎しつつ、農業及び商工業の高まりにより、
氏族社会未明の残存を完全に清掃し、貴族王朝の交替又は更に進んで共和制の実現に到達したが、
日本に於ては�


349:熾狽フ経済的発達と周囲経済的との相互作用の加速度がヨーロッパのように高まることが出来ないが、 アジア的停滞凝固のもとに、氏族社会末期の崩壊の残存癒着が外被として作用されながら、 奴隷所有者階級の集中から奴隷制国家の君主としての天皇制が成立し存続し、 そこに、そのとき既に大陸に中国に於て封建支配の社会が発達していた影響を受けて、 日本の古代奴隷社会はヨーロッパの古典古代のような発達の階段への到達を実現することなく、 原始的な階級支配としての奴隷に原始的な階級支配としての農奴制がまじった 云わば半奴隷的半農奴的段階から封建制農奴社会に移って行ってしまった。 日本にヨーロッパの古典古代のような時代が実現されたことがなかったことが、 近代に於けるヒューマニズムの問題に影響していることをここに附言して置こう。 ヨーロッパの近代のヒューマニズムは中世の封建的支配が残酷な抑圧となった時、 これに対して近代的な人間的な欲求を主張するために、 古典古代の共和制的な自由平等が愛の人間的文化の教養に助けられることができた。 しかし、日本に於てはヒューマニズムがヨーロッパに於けるように、 中世の封建的支配をハッキリと批判するに到ることができなかったし、 又その際、古典古代の共和制的な人間的文化教養に助けられるというような古典古代がなかった。 参考文献、「日本人民の歴史」、羽仁五郎著、岩波新書版。



350:考える名無しさん
14/09/15 09:03:52.48 0.net
此の文の筆者及び其のオリジナルテキストの「日本人民の歴史」の著者羽仁五郎氏は第二種マナ識の国の大衆の二人である。
真心の国に住む日本民族と常日頃見たり想ったりわかったりしている情景が全く異質のものであることを
此の文とわたしが此の節の冒頭で述べた文とを比較して知って欲しい。

日本の天皇家についてはみなさんに次の書をお読みになることをお勧めする。
「宮中見聞録」木下道雄著 新小説社、明治百年記念出版

また、胡蘭成さんと云う中国人がある。汪兆銘政府の若手のチャキチャキ、法制局長官兼情報局長官をしていて、
この政府が瓦解した時難を日本に逃れ以来最近まで長く日本にいた。
今は台湾の何処かの大学で経済学の講義をしている。
此の人は日本語で多くの著書を出して、日本や中国に西洋思想が東洋に取って如何に恐るべきものであるかを警告しているのだが、
其の中の名著「建国新書」(中日新聞、東京本社出版)でこう云っている。

「日本の政治は「祭政一致」と云い日本固有の宗教を基盤とした政治である(舜の政治がこれに相当する)。
中国の政治は「王道政治」と云い聖賢の道を基盤とした政治である(堯の政治と舜の政治がこれに相当する)。
然るに西洋の政治には全く基盤が無い。
それで古代メソポタミア民族、古代エジプト民族はもと日漢民族と同族であったが、
何しろ西洋の政治にはBedeutungが無いから自ら奴隷制度を作って自ら穢すことによって滅んでしまった。
西洋の奴隷制度はすべて此の二つの先進民族から出ているのであって、日漢民族には奴隷制度は無い。
中国の帝舜の政治も日本の天皇の御政治も皆無所有心を基盤として行われたものである。」

わたしも胡蘭成さんと全く同意見である。

351:考える名無しさん
14/09/15 09:25:50.74 0.net
天皇が奴隷制度や搾取の親玉かどうか日本歴史を辿ってみよう。
崇神天皇は「天が下を敷いて家とすべし」と云っておられる。
これは人本然の心に従って固定された自他の別無く住もうと云う意味である。
大体マナ識には真心の「固定された自他の別を持たない」と云う心境は想像することも出来ないのだろう。

仁徳天皇を時人は「聖の世」と讃えている。

舒明天皇はこう云う名歌をお詠みになっておられる。
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿の 今宵は鳴かず 


352:いねにけらしも 元寇の時、亀山上皇は皇祖伊勢神宮に身を以て国難に殉ぜんと祈願を凝らされた。 明治天皇を文人はこう讃えている。 降る雪や 明治は遠く なりにけり(読人不知) 聖天子 上に在る野の 長閑なる(漱石) 武蔵相模 山なき国の 小春かな(漱石) かばかりの めでたき帝 在しける 御世も今日より 古となる(与謝野晶子)



353:考える名無しさん
14/09/15 09:37:01.50 0.net
明治天皇が神去られた(かむさられた)時、わたしは小学六年だったから知っているが、全国民は号泣したものである。

今上陛下が身を捨ててお止めにならなかったら、今度の大戦で日本は滅んでいただろう。

此の文章は感受(感動、感興、感銘)が全く麻痺してしまっていて少しも水々しさが無い。
まるで埃及(エジプト)のミイラのような感触である。
これはユダヤ型無明に冒されているのであって病は前者に比べてずっと古いように感じる。
前者には自覚の曙光が仄かに感じられたが、此の文章は夜の闇が深い。

(帰郷して後のわたしの評。これは造化に対する第一の反逆者のテレビ写真の現像である。
第一蓬来宮は既に討伐の準備をしているだろう。)

354:考える名無しさん
14/09/18 19:57:27.38 0.net
1974年5月3日

日本人は明治以後、西洋人の猿の人真似っていうか、もっと徹底的な真似してる。
だから自分で見える目を持っていて、西洋人が見なきゃ使やしない。だから西洋人の言ってる自然と同じものを見てる。
だからそういう意味に対しては、西洋人はつまりめくらだからどうしようもない。
じゃあ日本人はっていうと、目は見えるんでめくらじゃあない。しかし西洋人の真似をして見ない。
これは目はめくらじゃないんだからっていう点は良いように見えますが、
見える目を持っていながら見ないでめくらの真似をしているんですから、
こういう日本人を何と呼んだら良いでしょう。
いろいろ考えてみたんだけど、名付くるところ無し。

およそ義理にも知などという言葉を口にすることのできない動物です。
かけらも無い!一体、何を知と言ってる!
知とは知を愛するという心がある。それら抽出したものが知です。知を愛するとはどういうことかわかりますか。
今の学生見て、先生見て、わかる筈が無いと思う。

355:考える名無しさん
14/09/18 20:11:11.12 0.net
ベネディクト夫人の「菊と刀」っていうのがあると聞いてる。
そして日本人の道徳の根源は恥である、アメリカ人の道徳の根源が罪であるのと違ってると、そういうこと書いてあるに違いない。
ところがね、読んでませんが、その恥ですが、何を恥じるかということですが、西洋人が恥じるものは人目を恥じるのに決まってる。
ところが日本は、少なくとも明治以前までは、言い伝えになってからも戦前までは、「俯仰天地に恥じず」である。
だから何に恥ずるかが、つまり恥ずかしいと思う心が全然違う。
ところが、このことを言った批評家が一人もいない。
ていうのは「菊と刀」の翻訳、ベストセラーの一つだと聞いてた。
だから、どれっくらい駄目かわかるでしょう、今の日本人は。
こういうのを物真似猿っていうんだけど、名付くるところ無かったけど、何とか名前一つ要るから、物真似猿と付けた、ムーミン物語の。

356:考える名無しさん
14/09/23 05:02:37.53 0.net
前頭葉と癌の関係は?の部分が多そうだけれど

禅僧の生活は、癌の成長が遅くなると見る、転移しにくくなる可能性はある。

機械のボタンを押すのを強制されない生活をすると睡眠の質がよくなる。

357:考える名無しさん
14/09/23 05:10:40.99 0.net
ちなみにタバコの害はそれほど高くない

岡潔当人も、交感神経優位のときと、副交感神経優位の時では
タバコの味が違うとおっしゃってま�


358:オた。



359:考える名無しさん
14/09/23 06:16:06.12 0.net
病は気から、精神・身体の陰陽のバランスを観ながらタバコでも、酒でも。

岡と同じ和歌山出身の南方熊くずだって、自然と戯れながらタバコスパスパ
お酒ゴクゴクですよ。

360:考える名無しさん
14/09/24 06:40:35.98 0.net
英語の義務教育化、小学校からの義務化により日本人ダメになる。

あと、アメリカの心理学では・・って一体なんだろうか?

361:考える名無しさん
14/09/24 21:17:23.03 0.net
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 精神統一

ただ、潔の精神統一の仕方は尋常ではなかった。それは、
「そうだと思ったら何でも本当にやってみることである。徹底してやらねばいけない。
それでこそ理想を描くことができるのであって、社会通念にしたがって生きていこうなどと思っていて理想など描けるものではない」
という理念に基づいているもので、まさに命がけであった。
たとえば、中学三年のある試験のことであるが、あまりにも集中しすぎた潔は、
(副交感神経が極度に働き下痢しそうになるだけでなく)試験が終わって教室から出るや否や食べたものをみな吐いてしまい、
それから二週間ほど食事らしい食事ができなかったということがあった。
誰しも集中し過ぎて気持ちが悪くなるという経験が一度や二度はあるだろうが、潔の場合はそれが徹底していたのである。

当然、そういうことを続けることが体に良くないことは明らかである。
潔も、徹底した精神統一は非常に激しいので、大部分の人間には必要でも、
秀才を夭折させる恐れがある、医者が灸を研究して万一に備えるべきであると言っているほどだ。

362:考える名無しさん
14/09/26 00:27:06.50 0.net
脳の前頭葉の加熱状態で、学生の顔つきがひどくなる。

たえず切れ切れの意思が働くという状態があぶない。

363:考える名無しさん
14/09/26 19:20:55.53 0.net
週刊新潮 平成26年10月2日号 藤原正彦の管見妄語 266
山荘でテレビのチャンネルを回していると、日本人らしき人々が妙な言葉を応酬していた。
まったく聞き取れないのだが、字幕に出た翻訳から、
青森県下に住む津軽弁と南部弁の人達が、互いの言葉がよく分らないまま悪口を言い合っているようだった。方言好きの私は釘付けになった。
青森県は戦国時代に盛岡の南部藩に属していた。ところが十六世紀後半に家臣の一人が謀反を起こし、
しばらく後に弘前藩そして弘前城を作ったため、県の中央を南北に貫く奥羽山脈の東が南部藩、西が弘前藩と二分された。
以来、両藩の間には紛争や政争が絶えず、廃藩置県により合併し青森県となったが、
今日に至るまで必ずしもしっくりとは行っていないらしい。
人間や言葉の混合がさほど進まず、旧藩の境あたりではたった二キロ離れただけで言葉がよく通じなかったりするという。
この番組でも南部側の八戸の男性は、「弘前の人間は裏切ってばかりで信用できない。そもそも新幹線も通らない田舎だ」と見下し、
弘前の若い女性は「八戸なんて魚を食べられるだけの所。外灯も三本位しかない田舎」と笑っていた。
三十年ほど前、私がテニスで腰骨にひびを入らせ入院した時、付添い婦は岩手県のおばさんだったが、
隣りのベッドの付添いである青森県のおばさんの言葉について、「わがらね」としきりにこぼしていた。
津軽と南部の喧嘩は私にとって格別のものだ。
弘前は私が最も愛した歌手奈良光枝さんの生地、従って私の聖地である。
今も彼女のCDを始終聴くし、先年には弘前を訪れ、愛する人を没後三十年も放っておいたことを墓前で詫びた。
一方の八戸近隣は、私の尊敬する「武士道」の著者、新渡戸稲造の祖父と父親とが苦労して開拓した地である。
すなわちこの喧嘩は私にとって愛人と尊師との戦いなのだ。

364:考える名無しさん
14/09/26 19:28:15.02 0.net
方言は交通機関の発達する前に形作られるものだから、アメリカにはほとんど見られず逆にヨーロッパではどの国にも見られる。
二十年余り前にアメリカで、ケンブリッジ大学B教授、ロンドン大学V教授と三人でランチをとっていた。
方言の話題になった時、Bが「イギリスではちょっと離れただけでまるっきり違う英語を話したりするんだ。
誰かがロンドン出身なら僕は半径五マイルくらいの正確さでロンドンのどこか当てられるよ」と豪語した。
二人ともロンドン出身であることを知っていた私が、「では互いにどこの出身か当ててみて」と言うと急に二人は当惑の色を浮かべた。
階級に関係するからだろうが構わず「さあ」と催促すると、互いに口ごもりながら答えた。
一方がロンドン北部の中上流地域で、他方がロンドン東部の貧しい地域だった。
共にドンピシャだった。

365:考える名無しさん
14/09/26 19:45:51.86 0.net
私は方言や郷土自慢を聞くのが大好きだ。
郷土愛は美しいし、郷土自慢は素晴らしいユーモアだ。
私自身、信州の山奥の言葉を大切にしている。毎夏一カ月、母の生家に程近い山荘で過ごすが外ではもちろん内でも方言で話す。
先祖の誇るべき遺産を無知蒙昧な家族に伝えたいからだ。
子供の頃に祖母から教わった方言には自信がある。近年著した自伝「ヒコベエ」では方言を駆使したが、
地元の八十代後半の人から手紙で、「毎年の夏休みだけでよく完璧にマスターしたもの」とほめられた。
中央本線茅野駅から三里ほど山に入った小さな部落の六十年前の言葉だ。
今ではけしからんことに、この部落でも八十歳以上の年寄りしか方言を話さない。
三十以下の若者などは無味乾燥な標準語ばかりだ。
皆、私のくり出す方言は分ってくれるが少し意外といった顔をする。
英国紳士を彷彿とさせる洗練された物腰と風貌の私が、訛りに訛った山奥言葉を話すからだろう。
若い女性などは時々、「わあ、じいちゃんばあちゃんと同じ言葉だ」と感慨深そうに言う。
「父ちゃん母ちゃんと同じ」とは言わない。この時ばかりは私もへこむ。(了)

366:哲学板の鯖がawabiからyomogiに移転したようですので皆さんご注意を
14/10/02 19:54:43.06 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識中層の文例(第8稿では第六識)

「ルースベネディクト「菊と刀」に関する抜粋及び要約」
経済学部二年 男子学生

この文章はすべてアメリカで生まれ、育ち、そして死んだルース・ベネディクト女史によって書かれたものである。
それ故この研究は特筆に値する。

第一章 研究課題-日本
日本人はアメリカがこれまでに国をあげて戦った敵の中で最も気心の知れない敵であった。
まじめな観察者がある国民について書くとき、その国民が類例のないくらい礼儀正しい国民であるという時、
「しかしまた彼等は不遜で尊大である。」とつけ加えることはない。しかし日本人に関しては例外であった。
こうした


367:矛盾が日本に関する書物の縦系と横系になるのである。 われわれは日本人の思想の感情の習慣とそれ等の習慣がその中に流し込まれる型を理解するように努めねばならない。 わたしが日本人を研究する上で重要な現地調査は両国が交戦中であるためにあきらめねばならなかった。 が、多くの学者の日本人に関する研究資料を受け継ぐことができた。 そして、私は一たびどこが西洋人の仮定と日本人の人生観とが合致しない点であるかということがわかり、 彼等が用いている範疇と象徴とについて多少の理解が得られれば よく西洋人の目に映る日本人の行動の多くの矛盾は最早や矛盾ではなくなる、ということを発見した。 私が日本人といっしょに仕事をしていた時に彼等の使用する語句や観念の多くは最初は不可解に思われたが、 やがてそれは重要な含蓄をもっており、何百年もの歳月を経た感情のこもったものであることがわかってきた。 徳と不徳とは西洋人の考えているものとはまるでちがったものであった。その体系は全く独特のものであった。 それは仏教的でもなく、また儒教的でもなかった。それは日本的であった。-日本の長所も短所も含めて。



368:考える名無しさん
14/10/02 20:14:51.11 0.net
第七章 「義理ほどつらいものはない」
日本の「義理」というものは人類学者が世界の文化のうちに見出す、あらわる風変りな道徳的義務の範疇の中でも最も珍しいものの一つである。
それは特に日本的なものである。それは日本独特の範疇であって、
「義理」を考慮に入れなければ日本人の行動方針を理解することは不可能である。
日本人はすべて行為の動機や名声やその本国において人々の遭遇する色々のジレンマについて語る時には、必ず常に「義理」を口にする。
また日本人はしばしば、「私達は義理のために正義を行うことが出来なかった」と言う。
また、義理の規則は隣人を自分と同じように愛するということ(キリスト教でいう隣人愛)とも何の関係ももたない。
日本人は自分が真心から自発的に寛大な行為をすることを要求しない。
彼等は人が義理を果たさなければならないのは、「もしそうしなければ人々から恥をかくことになるからである。」と言う。
「義理」にどうしても従わなければならないのは、世間の取沙汰が恐ろしいからである。
事実、「世間に対する義理」はしばしば英語では「世論に従うこと」と釈される。
また辞書には「世間への義理だからいたし方がない」が、「世人はこれ以外のやり方を承認しないであろう」と釈されている。

369:考える名無しさん
14/10/02 20:41:35.02 0.net
第九章 人情の世界
日本人は妻に属する領域と性的享楽に属する領域との間に垣を設けて明確に区別する。
この二つの領域はともにひとしく公然と認められている。両者の区別はアメリカ人の生活におけるが如く、
一方は世人に対して公然と自認するが、他方は人目を忍んでこっそり足を踏み入れるという事実にもとづいてなされるのではない。
両者が区別されるのは、一方が人間の主要な義務の世界に属するのに対して、他方は些細な気晴らしの世界に属するからである。
このようにおのおのの領域の「ふさわしい位置」を定める習慣が家庭の理想的な父親にも粋人にもひとしく、
この二つの領域を別な世界と観ぜしめている。

日本の戦争映画は分列式や軍楽隊や艦隊の演習や巨砲の誇らしげな偉容を景気よく描きだすことはしない。
日露戦争を扱ったものにしろ、中国事変を扱ったものにしろ、それらが執拗にくりひろげる情景は、
あいもかわらず単調な泥濘の中の行軍、みすぼらしい戦闘の苦痛、勝敗の定まらない作戦である。
幕切れのシーンは勝利でもなければ、“バンザイの突撃”ですらない。
それは何の変哲もない、深く泥中に埋もれた中国のどこかの町での宿営の情景である。
あるいはまた三度の戦争の生存者で、それぞれ不具、びっこ、盲目になった親子三代の日本人を写し出す。
あるいはまた兵士が戦死した後、銃後にあるその家族が夫であり、一家のかせぎ手だった人の死をとむらい、
勇気をふるい起こしてなんとか彼なしに暮らして行く姿を写し出す。
日本人の観衆だからこそ、これ等の映画の後援者たちは日本の観衆はそれを見ても決して反戦思想を抱くようにはならない、
ということを心得ていた。

370:考える名無しさん
14/10/02 21:06:40.60 0.net
第十三章 降服後の日本人
戦後、日本が連合国に対して敵対の態度を示すのではという危惧は必要なかった。
その理由は敗戦国民ないし敗戦国の政治経済に関する普遍的真理にあるというよりむしろ、日本の特異な文化の中に存在した。
日本以外の国民であったならば、おそらくこのような信義にもとづく政策はこれほどの成績を収めることはできなかったであろう。
日本人の目から見ると、この政策は敗戦という冷厳な事実から屈辱の表象を取り除き、彼等に新しい国策の実施を促すものであった。
そして彼等がその新しい政策を受け入れることのできた理由はまさしく特異な文化によって形づくられた日本人の特異な性格にほかならなかった。

日本の文化においては、はなはだしい強権主義ということは問題にはならない。
子供がごく幼いころの父親と接した経験によって学んだものが、日本の社会のあらゆる面に通ずる一つの型となる。
その階層的地位の故に最高の敵意を寄せられる人々でさえ、自らほしいまゝに権力をふるうことがなく、
階層制の首脳を占める官吏が実権を行使することがないと云うことが日本の特異性である。
また、天皇制の保存は非常に重大な意義があった。それは巧みに処理された。
最初に天皇の方からマッカーサー元帥を訪問したのであって、マッカーサー元帥が天皇を訪問したのではない。
そしてこのことは日本人にとっては、西洋人には理解しがたい大きな効果を収めた実物教育であった。

371:考える名無しさん
14/10/02 21:16:06.26 0.net
日本人は侵略戦争を「誤謬」とみなし、敗れた主張とみなすことによって、社会的変革への最初の大きな一歩を踏み出した。
彼等は何とかして再び平和な国々の間で尊敬される地位を回復したいと希望している。
がそのためには世界平和が実現されなければならない。
若しロシアとアメリカとが今後数年間を攻撃のための軍備拡充の中にすごすならば、日本はその軍事知識を利用してその戦争に参加するであろう。
だがしかし、そのような確実性を認めるからといって、
私は決して日本が本来、平和国家となる可能性をもっているということに対して疑いを抱いているのではない。
日本の行動の動機は機会主義的である。
日本は若し事実が許せば平和な世界の中にその位置を求めるであろう。
もしそうでなければ武装した陣営として組織された世界の中に、その位置を求めるであろう。

372:考える名無しさん
14/10/02 21:34:45.67 0.net
「春雨の曲」の著者の言
正しく真心を伝うる日本民族の人の世が、ベネディクト女史にはこんな索々として砂を噛むようなものに映るらしい。
アメリカ合衆国と云う第二種マナ識の世界の人の世の情景のように、色どりも輝きもない灰色のものに映るのだろうかと、
予想はしていたものの目の当り見て全く驚く。

一つ彼女の眼をよく調べてみよう。
それには「自他の別の固定度」をしらべるのが速い。よみ直してみよう。
彼女の智力は五感の下にある。

一口に西洋人と云っても、真心の人もあれば(例、ファーブル、サン=テグジュペリ)、
第一種マナ識(即ち自我)の人もおれば(例、数学者アンリー=ポアンカレー、カント)、
第二種マナ識(即ち生きようとする盲目的意志)の人もいる。此の第三種類の人は、智力は五感や意識の下位にある
(尚、この文の筆者である男子学生は第一種マナ識であり、そこから第二種マナ識を見て書いているため、第七識中層の文例となる)。

373:考える名無しさん
14/10/02 21:49:13.19 0.net
人のレシーバーには第十一識、第九識、第七識(上層)、第一種マナ識、第二種マナ識の五つがあって、
日本人の認識者は第十一識のレシーバーを最も主要なものとしているが、
無明のために昼は第二種マナ識にいて、夜に第十一識にいる人が大半である。

女史はそんなことは想像することも出来ないのである。
か様に女史は第二種マナ識人であるが、教養もあれば研究心も強い。此の点は買ってやらなければならぬ。
然し此の人が見ると日本民族の人の世は固有の幽遠な色どりがすっかり消えて、まるで灰色一色に見えるらしい。
私の旅路と比べて欲しい。

(帰郷して見て、其処まで云うようでは、造化に対する反逆と見る他ないのではなかろうか。―アメリカ型無明)

374:∴ヴォルデモート卿
14/10/02 23:14:27.94 0.net
漢字が多くて読みたくない。

375:考える名無しさん
14/10/02 23:25:23.49 0.net
オカケツは春宵十話と春雨の曲で同じことを書いている。
しかし、短期間で結果を出さなければならない科学者や法学者にありがちだが、
飛ばし読みされると汲み取る意味合いが違ってきてしまう。
言い換えれば、そういうタイプの人は大衆ということだ。
オカケツは最期までそれを嘆いてたな。

376:もみじ
14/10/07 22:57:17.09 0.net
>>331 短時間で結果をと出すことの弊害といえば
今の日本の早期教育、英才教育。

自然を楽しむ時間を削って、ペーパーの文字の暗記
計算ばかり、これでは顔つきが貧相になる。

377:もみじ
14/10/09 18:08:50.69 0.net
登下校する、小学生、中学生、高校生
だれも英語でおしゃべりしてない、日本の国際化は難しい。

10代で、喜怒哀楽のないペーパーテストばかりでは厳しい、
ますますひきこもりが増えるから、

感情表現のない英語を密室で学ばせるのはやめて
虫取りをさせたほうが良いのではないか?

378:考える名無しさん
14/10/11 18:48:46.06 0.net
「嬰児に学ぶ」より 真心

(岡潔)
人は懐かしいと思い、懐かしい人に親切にすることを嬉しいと思い、そうやってりゃ頭頂葉は発育する。
赤ん坊に見習うておれば頭頂葉はよく発育する。
創造するから嬉しいんじゃない、嬉しいから創造するんです。
それから見たって共産主義や日教組の先生の教え方、悪いのは分るでしょう。(拍手)

もう一度言いますが、後頭葉から、嫌なアメリカ色や共産主義色を科戸の如く一掃して、日本の心の大空を綺麗にしましょう。
そのあと、人類を滅亡から救い、滅び行く西洋文明の代わりに、日本文明をつくろうじゃありませんか。
そういうことに真心を傾け尽くして生きるということは、男子一生の快事である。
女性もまた、これに対して拍手することを惜しまない。(拍手)

379:考える名無しさん
2014/10/


380:11(土) 18:51:05.74 0.net



381:考える名無しさん
14/10/11 20:42:55.89 0.net
安部公房は受賞寸前だった…ノーベル委員長語る

【ストックホルム=待田晋哉】ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーのノーベル委員会の
ペール・ベストベリー委員長(78)が21日午前(日本時間同日夕)、読売新聞の取材に応じ、
1993年に死去した作家・安部公房が同賞の受賞寸前だったことを明らかにした。

ストックホルム市内の自宅でインタビューに応じたベストベリー委員長は、
安部公房について「急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」と強調した。

さらに、「三島由紀夫は、それ(安部)ほど高い位置まで近づいていなかった。
井上靖が、非常に真剣に討論されていた」などと他の日本人作家についても、過去の選考の経緯を語った。
近年、受賞の可能性があるとされる村上春樹さんについては、「生きている作家については答えられない」と明言を避けた。

アジアでの受賞者が少ないことについては、「作家がどこの国の出身かは見ない。その文学を見るのです」と断ったうえで、
「数多くの優れた人がいる。私たちは何人かに目をつけている」と述べた。

また、候補者の小説が、アカデミーの会員内で読めない言語で書かれている場合、
専門家に翻訳を依頼したり、助言を受けたりする試みを続けていることも明らかにした。
(2012年3月23日15時21分 読売新聞)

382:考える名無しさん
14/10/11 21:02:10.65 0.net
「薬師寺講演」より ノーベル賞

井上靖さんは誠によく知ってる、時代が下がる程悪くなって、どう仕様もないと。
しかし、そういうことはよく知ってて偉いもんですが、外国ばかり勉強して日本は大急ぎでやったんで、家持を褒めてる。
あれは威張らせん、もうちょっと日本語勉強しろと、お前の言ってる原理だけは認めるが。
しかしね、今ノーベル賞を僕にやらしたら井上靖。川端康成のようなのは白痴美ともいう。(笑)

要するに―言ってる間がないかもしれない。
つまりね、文明というものがあって、時間が経つほど良くなって、それで何だろうな。
文明というものがあって、良いものであって、時間が経つ程良くなって、と決めてるでしょう。
だからこれをイズムというんです。人の造ってる魔物。
この魔物の魔力が恐ろしくて、このまま行けば人は間もなく化石すると言ってる。その通り。
例えば「夜の声」。

ああ、大急ぎで、こんなことしてたら遅れっちまう。
あのう、ノーベル賞くれるというのは、あんな奴等にもわかるという意味ですよ。(笑)
もう、あれまたよそへ行かんように。
だけど、白痴美も美に違いありません。(笑)
例えば谷崎潤一郎は美じゃない。

383:考える名無しさん
14/10/11 21:10:09.56 0.net
>>337訂正 白痴美も美に→白痴美も美には

384:考える名無しさん
14/10/12 08:36:21.53 0.net
「建国新書」


385:より 序文 わが中国の歴史から見れば、政治制度のことはおほよそ二千年を一期としてゐる。 夏殷周三代を合せて約一千八百年、経済は井田制、政治は尊王の諸侯制。 秦漢から清朝まで約二千年、経済は私有制とは言へ、均田の精神を保つてゐた。産業の全面的調和をも保つてゐた。 政治は尊王の郡県制。この二期の共通点は祭政一致、即ち礼楽之冶であつた。 私の研究では、今から先の二千年を一期とすれば、経済は機械工業(原子力工業を含めて)と手工業と農業との共存制、 即ち機械工業で欠乏の憂目をなくし、それで手工業と農業を本位として、ますます発展させる。 数学では算術、代数、幾何などを組合せて解析幾何学とする、 といふが如く、機械工業、手工業、農業を統一調和して新しい産業体質が出現するはずである。 政治は中国と日本と印度と相互に賓主の礼を以て協同体を結ぶ。そして孟子のいふ王天下を達成する。 なほ政治の最高原理である古来一貫の祭政一致は改めることはない。憲法や代議制度を当然廃すべきである。



386:考える名無しさん
14/10/12 08:55:35.35 0.net
私が日本に来たことは幸せである。わが中国ではなほもいま西洋の科学や産業にひるむと共に、
西洋の政治制度や美術に対する気持も複雑で、澄み切つた見識は知識人に殆どないのである。
しかし、日本では明治維新以来の業績をみると、西洋に対して怯気を持つていない。
私はむしろ日本の神道や祭政一致に因つてわが黄老を知り、礼楽之治を知つた。
しかも私は、今日、日本人である世界最高級の数学者や理論物理学者の見識に接し、私の考へ方に心強いものを得た。
日本で所謂福祉国家が文明に加へたなまなましい傷は殊に顕著であり、しかも世界中最も良識清明の一人の民主評論家が日本に在り、
私にとつて非常に幸せな勉強の環境となり、為に私は所謂民主に対する何の心のこりもないのである。
かうして私は当今、諸方面の最善の思想を政治や経済の新制度の発想にまとめることができたのである。

私が、ここに政治や経済の制度についていふことは、すべての最も真実のもの、最も美しいものと相通ずる。
百世以前の聖人も百世以後の聖人も、私と同じことをいふほかはない。それほど絶対的なものである。
しかもこれは中国だけのためでなく、同じく日本のためでもある。
私がここに言つてゐる政治制度などは、世界的の数学や物理学の如く、西洋もこれに逆ふべからざるものである。
唐君毅教授は私のこの著が世間から認められることの必要を云云したが、私は天下起兵を経て之を実行すると答へた。
以前は黄帝の征伐を経て礼楽政治を啓き、なは秦漢の天下起兵を経て制度の新型を創造した。
いま私の著にある新制度の発想は、辛亥起義、国民革命軍北伐、人民解放軍等の行動を経て、
なほこれから先、中共を亡ぼす軍事行動を経て、之を認め、実現するわけである。

387:考える名無しさん
14/10/12 08:56:59.95 0.net
※文中の数学者は岡潔であり、理論物理学者は湯川秀樹を指します。
 湯川秀樹と朝永振一郎は岡の京大講師時代(京大卒業後からフランス留学まで)の教え子であり、
 二人とも岡を非常に尊敬していた逸話が残されています。
 また祭政一致は岡によると王道政治より一段上であり、世界最高の政治形態であるとのことです。
 但し実現には百年以上必要であるとされています。
 実際に祭政一致が成功した例は過去に日本には無�


388:ュ、中国ですら舜の時代しかありません。  胡蘭成は以下のような発言もしています。  「『天下英雄会』は天照大神の神魂である御鏡を拝し、建国新書を伝習し、  祭政一致の新制度の樹立と日華印三国平和同盟の結束を期す」



389:考える名無しさん
14/10/15 20:35:05.91 O.net
「ここから何時も」より プロ野球

(質問)
長時間に渡り、先生にお話戴きました。どうもありがとうございました。(拍手)

(岡潔)
えーと、これ、今、六時半?五時半。そしたら、あのねえ、七時から巨人-広島戦がある。(笑)
今、一番強いの広島です。その次、巨人じゃあるまいかと思う。
その前、広島、十一連敗している。それを阪神が強チームに変えてくれてある。(笑)
今が一番強いでしょう。僕、巨人ファンだから言うけれど、一緒にデータ積もってる。

(司会)
それじゃ拍手でお送り下さい。(拍手)

390:考える名無しさん
14/10/15 20:50:29.19 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識上層の文例

「人間は何故に生きるか」
理学部二年 女子学生

私はある友人から、こう質問されたことがある。
「何故、あなたは生きているのか。」
実に難しい質問であった。急なことで返答に困り、ただおろおろするばかりであった。
全く予期していないことであっただけに考えようにも考えがまとまらなかった。

その日、一人になって考えてみても考えれば考えるほど頭の中が混乱してきて、自分なりのはっきりした解答は得られなかった。

私は人間としては失格であろうか。そうかもしれない。目先のことばかり考えていて人間として生まれてきて、
何故に生きるかという大事なことを考えていないようであるならば、確かに失格であるかも知れない。
こう考えていくと人間は全て、この最も重要な事を真剣に考え、自分としての解答をもっているのだろうかと詮索したくなる。
これは、私のひがみ根性かもしれない。自分が結論を導き出せないために、他人も同じであろうと考えるこの安易な考え、
その反面、私以外の人は全て解答を得ているような気がして、自分だけがとり残されたと感じる気持ち、
矢張りこんなことを考えていること自体、人間として失格なのかも知れない。

391:考える名無しさん
14/10/15 21:08:26.66 0.net
私達がこの問題を考え、そしてその得られた解答が良しにつけ、悪しにつけ、これは絶対に考えなければならないことである。
他の動物に比べ、より進んだ考えるという能力があるのだから。
したがって、自分なりの解答をもっている人には私は心から尊敬をする。
いつなんどきこういう質問が発せられないとも限らないのだから、解答を持っていることは肝要であるかと思う。

人間として生まれたからには、何故に生きるかと云うことを自分なりにはっきりして置く必要があるのではないだろうか。
この世に生存する最も有能な人間が、何故に生きるかということを知らずにいては人間としての確立はない。

人間は全て孤独であるのだから、人それぞれの考えに生きて行くことが妥当であるかもしれない。
だからといって、社会集団の一員である私たちは自分本位な考えで行動してはいけない。
たとえ、それが自分の欲求を満たしてくれるものであって、その目標のために生きているのであっても。
だから、自分本位な考えはゆるされるべきものではないのである。

この観点に立っていうならば、人間は道徳性に基づき、
人間らしさをもって自己の目標に向かってまい進し、人間として生まれて本当によかったと思う心を得ることにあると思う。
そこに人間の価値があるように思われる。これは虚言でもなければ虚構でもない。人間はこうあるべきものであると思う。

392:考える名無しさん
14/10/15 21:22:56.13 0.net
私は人間の偉大さを信じている。人々は人間の偉大さを信じているだろうか。
金銭で何もかも処理される現代では人間の偉大さというものもわからないであろうか。
これは何も偉くなるとか、裕福になるとか、そういう一般的なことではなく、
何か神�


393:ケなるものが、人間の中に生まれながらにして潜在しているように思われるのである。 そんなことはない。夢を見ているのさ、と言う人がいるかもしれないが、私はそう思いたくはない。 人間ってそんなちっぽけなものではない。もし、そういう人がいるなら言ってやりたい。あなたはもうおしまいだと。 人間というものは、こういう問題を時として考え、ふと忘れ去る。 そういう繰り返しが続いているのではないだろうか。 私たちは人生の苦しみを味わい、堕落した精神を鍛え直し、平凡でもいい、とにかく自分の道を素直に歩むことが必要であり、 そのためには今までの私たちのおろかさ、はかなさを早く悟り、自覚し、人間らしさの方向へと進まねばならない。 そこに、人間としての価値があり、真の姿がある。 そして、険しい山を登るように一歩一歩着実に進まねば人間の確立はない。 それは限りのないものであって、これで足りるというものではない。 こう切り詰めていくと、人間は何故に生きるかというと究極的には目標は人間の確立にあるのではないだろうか。 しかしこういう難しい問題は簡単に結論を出せるべきものではないのかもしれない。



394:考える名無しさん
14/10/15 21:44:09.94 0.net
筆者はこう云っているのである。
この女子学生は第七識上層にいる。何故かというと、この作文は「自我の世界」について書いているのであるが、
この世界を上から見て書いている。だから低くとも「法我の世界」にいる。

以下は著者が云うのである。

此の女子学生は非常に質がよい。忘我の境に直ぐ入れる所が殊によい。二尊の秘蔵っ子なのだろう。
それで「物真似猿型無明」(後天的西洋型無明の一種)の土をかぶせて、この種をそっと活けて置かれたのだろう。

今年びっくりする程に沢山日本の国のこころの野に新芽が出た。
これは造化が後天的西洋型無明と云う発芽に恐らく良質の土を使って、よい種を撰んで発芽をさせになったのではあるまいか。
去年の十月の初旬から同じ月の二十七、八日までかゝって造化は西洋型無明と云う反逆者を討征なさった。
このことが種にかぶせてあった土を取り除いたことになっていそうに思う。
この女性の如きを「立志」と云うのである。

(帰郷して、この辺からを芽生えに数えてよい、識には拘らぬ)

395:考える名無しさん
14/10/15 21:55:30.16 0.net
第七識下層の人が第七識中層に行くにはどうすればよいか。
第七識中層のから第七識上層に上るには何が枢機か。
第七識上層は方に「志を立てるべき秋」であるが、それにはどうすればよいのか。
問題は此の三つである。

此の三界の人々は何を自分と思っているかと云うと、第七識下層の人は第二種マナ識(第五識)を自分だと思っている。
思い方は一度もそれを疑った経験がない。

第七識中層の人は第一種マナ識(第六識)である自我を自分と思っている。
その思い方はそれを疑うことまでは出来ないが、他人のことも考慮する。
だから諭して戒律を守らせることが出来る。戒律はたとえばわたしの祖父の、
「他(ひと)を先にして自分を後にせよ」。

396:考える名無しさん
14/10/15 22:14:44.67 0.net
第一種マナ識人は、つまり第二種マナ識人の棟梁の材なのである。だからこれが可能なのである。

今一度、第二種マナ識人にもどって、どうすればよいかを考えよう。
これは若しアメリカ人のように先天的の第二種マナ識人は到底短時間ではどうにもならないと思う。
(直観的にであるが治療には二十万年位かゝると思う)

それで日本民族に限ろう。
日本民族は度々云うように認識者(即ち夜の意識)は低くとも第十一識にいて、
第十一識は造化が昼夜の別なく外来の無明を払拭している世界だから、
日本民族の人々の夜の意識は今日でも健在である。
だから江戸城明け渡しの時のように「信を腹中に置いて説け」ば必ずわかる。

それで残る問題は第七識上層の人に志を立てさせるには?
男性に向っては直下に造化の悲願を説くのがよく、
女性に向っては夫の悲願を感受して、それを助ける日々の楽しさを具体例を以て説くのがよい。
大和島根には、大和撫子に説く実例にことかかない。たとえば「神風連血涙史」。

397:考える名無しさん
14/10/29 07:21:42.78 O.net
あげ

398:考える名無しさん
14/10/29 19:51:03.84 0.net
大学の教養で岡潔学ってやるのはどうかな?

399:考える名無しさん
14/10/29 19:53:20.32 0.net
1 通史・真善美妙・無明・精神統一法・邪智型平等性智(世間智型意)1-2 16
2 歌で読み解く日本歴史・小我と準中核と中核3
3 唯識論>>33・秋が来ると紅葉(二つの心)99-105
4 昭和への遺書・日本民族(新社会主義)・市民大学東京校72-74 283-287
5 曙・ここから何時も・何も知らないのに83-85
6 葦牙会発足質問編111-113・嬰児に学ぶ114 335-336・1969年10月26日161-163・京都産業大学講義録144-145
7 風変わりな憲法(大脳生理)197-200 238-244
8 情と日本人179-196
9 春雨の曲(第十一識以降の旅路)95-98
10 試験(春雨の曲に倣って作文)
11 予備(大学によっては講義)
12 予備(大学によっては講義)
13 予備(大学によっては講義)
14 予備(大学によっては講義)
15 予備(大学によっては講義)

400:考える名無しさん
14/10/29 19:56:40.31 0.net
アンカー消してるのはサーバーエラーを防ぐため。>>33ってあるのは消し忘れ。

岡の時代は旧制中学5年、旧制高校3年、旧帝国大学3年で最短23歳まで学生でいる必要があった。
四年制大学の場合は最短22歳で終了だから、いかに滅茶苦茶な教育に変わってしまっているかがわかる。

20歳頃に人間が一通り出来上がるのに、教養教育については現在では1年しかやらない大学が増えているため、
こうなったら思い切って既存の教養教育を半期に圧縮・削減し、残り半期は岡潔学のみにしたらいいと思う。

岡自身、講義は長時間やらず、1回の授業時間につき最低でも10分以上余らせる性格だったし(最初の5分しか授業しない日もあった)、
京大教育学部生指導時は三角法を15回の講義のうち3回しか行わなかった(しかも3日間の集中講義にしてしまった)。

ただし、現在では出席しない場合が考えられるので欠席の度に400字以上の作文を宿題にする。

旧制高校期にあたる教養教育期は時間の余裕を持つことが何よりも重要であると岡も言っているため、
岡潔学も10回で終わらせ、後は週休7日制なり自動車学校に行くなりさせた方がいい。
岡によるとアルバイトはあまり推奨しないとのこと。

本当は高校でも5教科以外の授業時間を少し流用して岡潔学をやった方が良いと思うが、
高校のカリキュラム編成はある意味大学以上に難しいため、ここでは触れない。

401:考える名無しさん
14/11/02 02:52:55.83 0.net
猫ひろし!
猫ひろし!
猫ひろし!
岡潔!
猫ひろし!
猫ひろし!
猫ひろし!

402:スネ夫
14/11/02 20:28:57.50 0.net
技術→7識
えぐい音・編曲・高速爆演→8識
ピッチ・ブレンド・クリアさ→9識
品格・まとまり・基礎基本→10識

403:考える名無しさん
14/11/02 20:38:43.53 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第八識の文例

「おなかのすいた世界」
外国語学部二年 女子学生

「おきさき様、人民はパンがなくて飢えております。」「なぜお菓子を食べないのかしら。」
これは仏ルイ王朝の栄華をきわめて、革命


404:のギロチンで生涯を終えることになったマリーアントワネットの逸話だとされています。 この話を思い出したのは、スリランカ(セイロン)の女性首相であるバンダラナイケさんが 「ケーキづくりはやめて、パン増産につとめるべきである。」という命令を国中のパン製造業者に出したからです。 この国の慢性的な食糧不足は、今年はとりわけ深刻で、首相みずからが畑でクワをふるって家庭菜園には国が補助金を出しているということです。 「山イモや木の実を食べよう」と政府が訴えているということを聞いて、思わず戦時中の日本のことを連想してしまいました。



405:考える名無しさん
14/11/02 20:52:09.47 0.net
お隣りのインドも二年つづきの大干ばつになりそうだし、バングラディシュでは食糧不足のところに国土の四分の一が洪水にあって、
米作半減とまでいわれて、天の無情に泣いているということです。

人々は木の葉まで食べて飢えをしのいでいるというけれども、六百万人に今、刻一刻と餓死が迫っているそうで、
家畜はバタバタと倒れて、象の群れは水を求めて餓死し砂漠で大移動をはじめたといわれています。

この世界的な食糧不足の原因はというと、異常気象、人口増加などいろいろなことが言われていますが、
中には地球がゆっくりと氷河期にはいりつつあるためだ、などというような不気味な説までがあげられています。
氷河期が来るというようなわけではなくて、これは永い冬、そして冷たい夏の傾向が強くなるだろうという仮説なんだそうです。

406:考える名無しさん
14/11/02 21:03:57.19 0.net
とにかく、今年の世界の米作はというと、東南アジアの軒並みな減産がひびいて昨年の生産高の5%減というところになっていて、
ソ連の小麦は大凶作、そして中国の米作も雨不足でもって、この十年来はじめて前年の水準を下回るともいわれています。
食べすぎ、飲みすぎに悩んでいる私たち日本人が現在増えていると聞くのに、
海の外では人類の三分の二が毎年のように飢えに苦しんでいるということです。

日本人はこのような世界の現状を知っているのだろうか。
もっと現実の世界を見極めるべきではないだろうか。

407:考える名無しさん
14/11/02 21:17:07.23 0.net
此の作文の筆者は第八識にいる。
何故かと云うと、此の作文は世界の食糧不足のことを、女性らしく気の毒だと云う動機で書いたのであって、
だからこの作文が描かれている世界は第七識上層である。
かき方は実感がこもっている。
また結びの言葉は「現実の世界を見極めるべきだ」と云うのであるが、これは認識せよと云うことである。
実感がこもっているのも一々認識してかいているからである。認識するには一つ上の世界にいなければならない。
だから筆者は低くとも第八識にいる。
また若し第九識にいるならば「認識せよ」で文を終わる筈がない。だから第八識にいるのである。

前の第七識上層の文例と比較すると、云うことがハッキリしてるでしょう。これが認識です。

408:考える名無しさん
14/11/07 19:57:19.17 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第九識の文例

「日本人の原点」
外国語学部二年 女子学生

約二千年を通じて出来あがった日本文化は外来技術の複雑なからみあいの上につくられたものである。
私たちがいま毎日生きている日常生活の場において私たちが使っている衣服、家具、住居、公共施設から文字、食事に至るまでは
ほとんどすべてが中国、ヨーロッパ、アメリカの技術を利用したものばかりである。
まさに〈雑種文化〉とよぶのにふさわしい。

409:考える名無しさん
14/11/07 20:04:05.75 0.net
しかし、私たちが取り入れ、使っているのはあくまで技術なのである。
文化のかたちとしては中国風、ヨーロッパ風、アメリカ風なのかもしれないが、
かたちの内容―すなわち私たち自身はどんな時代においても、あくまで日本人であった。

これは思想的状況においても同じではないだろうか。
日本人は技術とともに紹介される中国思想、仏教思想、ヨーロッパ思想、アメリカ思想を
すべて生きるための技術、考えるための技術としてのみ取り上げ、思想のかたちを身につけた。
技術は生きる方便であり、かたちは存在の形式でしかなかった。
新しい技術をつぎつぎ取り入れながら技術を使う主体としての人間、
日本人ほど歴史的に単一性を守り続けてきた民族はめずらしい。

410:考える名無しさん
14/11/07 20:16:59.46 0.net
ヨーロッパ人は、おのおの他民族の血をまじえている。だから国境を越えれば多民族の中にまぎれ込んでしまう。
いくつもの国語をもつ多民族国家もあるし、混血は日常茶飯事である。
だから政治亡命も可能だし、国境を越える者も迎える者も、国境や民族をそれほど神経質に考えない。
しかし、おのおのの文化は芸術から生活に至るまで実に厳と存在する。
政治的に犯されても我慢できるが、文化的に犯されることは許されない。

この文化と民族の矛盾した二重構造をとおして見ないと、私たちは私たち自身を理解することができない。
文化の雑種性だけ取り出すのもまちがいだし、民族の単一性だけを強調しても日本人を本当にとらえたことにはならない。
そして文化と民族の矛盾した二重構造をつなげるものが日本人の技術主義なのである。
技術を軸として、雑多な文化が取り入れられ、それが単一な民族によって操作される。

411:考える名無しさん
14/11/07 20:26:26.31 0.net
しかし、技術は本質的に情緒や感覚を否定するものであり、人間の本質を根本的にゆり動かす要素をもっている。
技術を使うのは、人間という主体であり、その主体によって営まれるのが文化である。
ということは、これらは相互に一本の線でつながり、技術が雑種の文化と単一の民族を結び、両者のバランスをとるということは成り立たない。

日本人の技術に対する感覚は、基本的に農耕生活から生まれたもので、受身の技術である。
とらえる技術ではなく、こなす技術であり、闘う技術ではなく、利用する技術である。

しかし、最も重要なことは地理的・生産的諸条件の中にあって、
それらの諸条件を生きぬいた日本人自身、技術を使う主体のあり方ではないだろうか。
日本人は外国からさまざまな技術を取り入れ、一つの時代から一つの時代へ一八〇度の転換を行ってきた。
だが、日本人という主体は少しも変わっていない。

412:考える名無しさん
14/11/07 20:40:03.83 0.net
日本人はしぶとい日本的主体性をもっていて、
新しいものに命をかけようとする真剣さもなければ、古いものを命がけで守ろうとする情熱もない。
新しいもの、古いものは自分の命ではなく、自分はすでに日本人として明白に生きている……あらためて命を問い直す必要はない。
これが日本人の心の底に定着している生き方ではないだろうか。
どんなに足を踏みはずしても、右から左へ、左から右へ急旋回しても、日本人であることへのある種の安心感があるのである。

すなわち、日本人の原点は技術でも思想でもなく、ごく単純な事実、
自分はなによりも日本人であり、日本人以外の何ものでもない、という点であろう。
そしてもう少しつけ加えるなら日本人の原点は日本人の体質の中に、そして体質を形成している意識の中に、
意識を具体的に示すイメージの展開に見られるのである。

413:考える名無しさん
14/11/07 20:47:04.10 0.net
作文はここまでです。

これは日本人と云うもの(第七識上層)を対象にしてよく其の本質を把んでいます。そしてこう云っています。

「日本人の原点はごく単純な事実、自分は何よりも日本人であり、日本人以外の何ものでもないと云う点であろう」

名言です。この文章は自覚の典型です。

414:考える名無しさん
14/11/07 21:20:22.16 0.net
然し第十識ではありません。若し第十識だったら本質を確認します
(第七識上層で体験即ち初覚、第八識で認識、第九識で自覚、第十識で自覚の確認即ち自覚の捨そして天上界の体験即ち初覚)。
認識者がですが、日本人とは云わず語らずの中に
「真情」だけがエッセンシャル、(最大の不�


415:ヵィである技術を始めとして)他は皆トゥリビアルと思っている人達のことであるとわかります。 ここでは前の文章及び此の文章を筆者がどんな風な書き方で書くと、こう云う文章が現像(写真の言葉)されるかと云うその仕方を云ったのですが、 そうして現像された絵を見ますと、前者は第十識の遠景、これは中景になっています。 この見分け方の方、本当は速いのですが、みなさんは遠景、中景が充分よくわかっておいでにならないかも知れませんから、 逆にこの好個の二例によって遠景、中景とはどう云う意味かを知って下さい。 第八識から第九識に行くには認識(遠景的なもの――カス)を捨てればよいのです。 第九識から第十識に行くには自覚(中景的なもの)を捨てればよいのです。 今現にそこにおれば、自覚なんかいらないでしょう。 認識が何故カスかと云えば、言葉で一々あれは富士山だと云っているようなものだからです。 エッセンシャルは生きて流れていますから言葉では云えません。 川床は云えても流れそのものは云えないようなものです。 (帰郷してみて。これはまぎれもなく感受(α₁⁰の分身)の芽生えである。)



416:考える名無しさん
14/11/14 22:05:19.93 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十識の文例

「最大の愛」
経済学部一年 男子学生

人類を救うものは、お金でも宗教でもない。それは愛である。ぼくは其の愛を母に見た。

三歳の時母はぼくの家に来た。つまり義母である。
最初に母に言った言葉は、今でもよく覚えているが、おふろに入る前にぼくの裸に触った時の冷たいと言った言葉であった。
母の手はあまりにも冷た過ぎた。
ある日小学校から帰ってくると母は泣いていた。
どうやら父と喧嘩をしたらしかった。其の原因がわからないまゝ時は流れた。
両親の喧嘩は母が父と結婚した三日目からであった。時には毎日のようにやっていたこともあった。

417:考える名無しさん
14/11/14 22:25:49.75 0.net
一度大きな喧嘩をしたことがあった。ぼくが学校から帰ると母は頭に手をのせていた。
其の時の白い包帯がいやに不気味に見えた。
母はくやしそうと言うか、寂しそうのほうがあたっているかもしれないが、そんな顔をして泣いていた。
ぼくは母のひざの上にひかれた。ぼくには暴力をふるっている父のほうが絶対悪いと思った。
しかし以前からのこんなにもひどい喧嘩の理由はぼくには全くわからなかった。
それはあまりの単純さと非人間的な所にあるのだったから、ぼくたち三人兄弟(姉二人)もきっとそうだったに違いないからだ。
父ばかりが悪かったのではない。ぼくも母にはずいぶん迷惑をかけた。すべての面であった。
今から思えばどうしてあんなにまで母に対して、種々言わねばならなかったのか自分でも不思議でたまらない。

今は特に母に対しては父もぼくも深く反省しなければいけない。
ぼくは反省し母にはどのように御詫びしたらよいか、たいへん悩んでいる。
父は反省などしたことがない。
今でも喧嘩は続いている。もう既に十七年になるのに、父は自分勝手なことばかりしている。

我が家は農業だから特に母は父を仕事に出した後仕事に追われる毎日だった。町にもほとんど母は出られなかった。
たまに外出する時は母はいつも僕を連れて歩いた。
だからこそ餘計に母の愛がぼくのからだに伝わった。言葉ではなく膚と膚のふれ合いがあった。
でも子供を連れると用事もそれだけ多くなるのに!
母は自分の汚名をぼくにわからせたかったのだ、きっと心では泣いていたのだ。

418:考える名無しさん
14/11/14 22:52:52.70 0.net
何故こんなにしてまでも母は離婚しなかったのか。母はまず第一に子供のことを考えたからであった。
まだ僕は小さかったからせめて一人前になるまではと考えた。
これが愛と云うものである。
親子だからと人は言うかもしれないが実の母でもこうは出来なか


419:った。 今の母は実の母以上の最高の母である。 キッドと云う映画の中でチャップリンが言いたかったことは、実の親でなくともりっぱに親以上になることが出来るのだ、がテーマであった。 ぼくも其の通りだと思う。 愛は決して楽しいものではない。 愛は非常な苦しみや、痛みを必ず伴う。 其れのない愛は愛ではない。 今の世の中は言葉で氾濫し過ぎている。愛は報酬を望まないの言葉がぴったりである。



420:考える名無しさん
14/11/14 23:13:59.33 0.net
最も美しい愛を母に見た。これが人類を救う最良の策だと思う。これしかないと思う。
そんな家庭にもかゝわらず、小さく弱い人間であるぼくだけど、ここまで育ててくれた母、根本は母の愛にあった。
母は今ぼくを頼りにしている。
思えば母に初めて出会ったあの日の冷たい手というものが口では言えないくらいの愛を暗示していたのかもしれない。

母と云う人を又其の愛を小さいながら何かの形で残したかった。それだけである。

421:考える名無しさん
14/11/21 05:42:03.36 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十一識の文例

「詩の心と絵の心」
経済学部一年 女子学生

詩は言うまでもなく言葉の芸術である。
私はここで現代詩だけでなく、和歌や俳句さらに散文にひそむ広い意味での「詩の心」を考えている。
ところで絵はデッサンと色彩の芸術である。
だから詩と絵とはまったく別の世界といっていいが、しかし絵のなかにも「詩の心」を感ずる場合はいくらでもあるだろう。
画家自身もそうだ。言葉は直接使わないにしても、心の中には必ず「つぶやき」というものをもっているに違いない。
自分にはこれこれの感情、あるいは思想を訴えたいことを心の中で「つぶやいて」いる訳で、
それは言葉とはならず、色彩やデッサンとなってあらわれるけれど、
私にはその「つぶやき」を詩の心と呼びたいのである。

422:考える名無しさん
14/11/21 06:01:53.87 0.net
私はいま与謝蕪村のことを思い出している。
芭蕉とならんで江戸時代の有名な俳人だが、両者の間には八十九年ほどの開きがある。
時代の差だけでなく、芭蕉と蕪村の作品のあいだにも、本質的と言ってもいいほどの風格の差がある。
蕪村は俳人であるとともに画家であり、そのどちらにも流れている「詩の心」を語りたい。
蕪村の代表作「普我追悼曲」と題する一編で、
蕪村が貧しい漂泊の旅を続けていた青年時代に親しかった早見普我の死を悼んで作った作品である。
これは俳句ではない。しかし彼の名を伏せてこのまま出したら、西欧の詩の影響を受けた明治の新体詩と思う人が多いだろう。
今から二百数十年も前に、こんな新しい作品を生んだのは不思議なことだ。
こうした作品はこれ一編だけだが、蕪村の感覚がどんなにみずみずしく、また豊かで多面的な才能を持っていたかがわかるであろう。
芭蕉の句を読んだ人は、そこに求道の強いきびしい生き方を真っ先に感ずるに違いない。また言葉の洗練度や風格においても実に高雅である。
蕪村は一生の間芭蕉を尊敬していたが、彼の句を見ると、はるかに「遊び」が多く、気軽に即興的に歌い捨てたと言ったものが多い。
こうした境地はむろん芭蕉にもあるけれど、蕪村になると、「俗」の中にのんびりとあぐらをかいたというふうで、
そこに苦しさとか、芸術上の権威めいたものは感じさせない。
「とかく句は磊落なるを好しとす」(新花摘)と自分で言っているように、句の態度は芭蕉に比べると、ずっとざっくばらんである。

423:考える名無しさん
14/11/21 06:27:39.12 0.net
蕪村は生きていたころ、俳人としてより画家として有名であったと云われるが、しかし私は俳画のなかの代表作をあげてみたい。
「又平」という作品である。この絵の上方に、「又平に逢うや御室の花ざかり」という一句がしるしてある。
京都の御室(おむろ)の桜は有名だが、その花見で酒に酔いながらふらふら歩いているうちに、又平に出会ったという平凡な句だが、
この場合は句と絵とが実に見事にとけあっている。詩の心と絵の心のざっくばらんなつきあいと言ってもいいだろう。
これが蕪村のおもしろさである。赤い頭巾をずれ落ちそうにかぶり、片肌をぬいで右足をあげ、実に人が好さそうに、気持ち良く酔った姿である。
酒を入れたひょうたんは道の上にころがっている。
赤頭巾の赤い色と衣服の黒さと、どちらも単純な色彩だが、それがうまく調和し、また又平の酔い姿と、ひょうたんの位地もほどよくバランスが取れている。
即興的に歌い、即興的に描いたものだが、俳画の特徴を典型的に示した作品である。
この即興にはむろん画家としての年期が入っている。軽妙でなんとなくハイカラである。そして気品もある。
決して悪ふざけてはいない。しかも、これ程誰にでも親しみ深く訴えかける絵は少ないだろう。
つまり「人なつこさ」がここにもあるということだ。

424:考える名無しさん
14/11/21 06:59:30.26 0.net
もう一つ私が心ひかれる、「雪夜万家」と題する絵がある。場所は京都であろう。
背景の山々も人家の屋根も、一面雪におおわれて真っ白である。
人家の所々に灯が見える。空は一面の暗黒で、そこから雪が降って来る有様が描かれている。
此の空の描き方が実に素晴らしい。水墨を大胆にたらしこみ、暗黒の空の重苦しい感じを深く出している。
全体として沈んだような、憂鬱な作品だがここに蕪村の見逃しえない特徴がある。
彼の句は気軽で即興的だと云ったが、其の底に生涯に渡って憂鬱な詩心を持続させたことを忘れてはなるまい。
父母の名も家柄も不明、早く両親と財産を失い、十八~九才のころから江戸に出て画と俳句を学んだと推測されているだけである。
若い時から放浪者であった。
だからこそ萩原朔太郎が「郷愁の詩人」と呼んだように、自分の故郷への思慕を常に歌った人であった。
放浪しながら彼は幻のふるさとを探し求めていたと言ってよかろう。
こうした心情を念頭に置いてこの絵をみると、どこかに底知れぬ寂しさの漂っていることに気付く。
家々は深い雪の下にひっそりとしている。所々に灯は見えるが、それが一層雪の夜更けの寂しさを云えているようだ。
雪の夜道をおそらく旅人としての蕪村はあてもなくさまよい歩いたのかもしれない。
実際の写生というよりも、そのときの孤独な心の告白といったほうが良さそうだ。
同時に、同じ心からさきの「又平」のような、「賑やか」もあらわれたのではなかろうか。
「冬の部」の中に、「雪夜万家」に関係のあるような句がある。
その俳句がこの絵に直接関係があるかどうかわからないが、
この句の心を、あとで描いたのかもしれないし、あるいは逆に絵のあとで、ふとうかんだ一句かもしれない。

425:考える名無しさん
14/11/24 14:21:11.22 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第十二識の文例

「御所人形哀話」
法学部一年 女子学生

京都には現在五十余の尼寺が各地に散在していると聞きます。
そして、誰もが想像している通り、そこで暮らす尼僧たちは俗世がどう変わろうと、喧噪を離れた小さな世界の中で、
朝な夕なに経を読み、庭の掃除に精出し、托鉢(たくはつ)に励むという、つつましやかな生活を几帳面に守り通しているのです。
この寂寥とした雰囲気の中に潜む尼僧の生活のすがすがしさに魅かれて京の尼寺を訪れる人は後を絶


426:ちません。 しかし私たちの尼僧に対する想像が確かであったと納得した後で、 私たちは、その境内を流れる清楚な空気の中に、一条の悲しさを感じてしまうのです。 特にそれが尼寺の中でも「比丘尼御所」と呼ばれる門跡寺であったならば、その感慨もひとしおのように思われます。 一体この悲しさは何なのでしょうか。 ほかの尼寺に比べ一段と格式が高いように思われる比丘尼御所とは、どのような物語を秘めた尼寺なのでしょうか。



427:考える名無しさん
14/11/24 14:36:10.68 0.net
足利幕府以来明治維新に至るまで、将軍家は一貫して皇位継承者以外の皇族はすべて寺に入れるという強行政策を採って来ましたから、
皇女たちは生まれながらにして全員尼僧になるという悲劇の宿命を背負わされていたのです。
この将軍家の措置により御所のある京都には皇女たちの入寺だけを目的とした尼寺が必要となりました。
一般庶民の信仰のための寺院とは区別され、特別の意味を持って建立(こんりゅう)された寺が、今も比丘尼御所と呼ばれる尼寺だったのです。
昔の話ですが、皇室など高貴な身分の家では、自分の子供を手許に置いて育てるということがなかったらしいのです。
その意味では育つ場所が御所であろうと尼寺であろうと、皇女たちには同じことであったかもしれません。
彼女たちは何人もの付き人が付き、大袈裟に言うと、箸のあげおろしまであれやこれやと世話を焼いてもらっていたのですから、
入寺した皇女たちが生活に困るというようなことはなかったはずと考えられます。

428:考える名無しさん
14/11/24 14:51:48.08 0.net
しかし尼になるということは、女を捨てることです。
皇女たちは、女として成長する以前に、最早女を捨てなければならない運命だったのです。
彼女等は悟りを開いて、あるいは世の無常なるを知って、尼僧の道を歩き始めたわけではなかったのです。
生活の苦労がないということは、逆に見れば生きる喜びがないということです。
彼女たちには、「なぜ自分は今ここにいるのか、これから自分はどうなっていくだろう?」
という疑問を持つ餘裕さえ与えられていなかったのではないでしょうか。
美しく仕上げられているにもかかわらず、どこかに寂しさをたたえた庭園や薄暗い回廊などといった小さな世界だけが、
彼女たちにゆるされた生涯を生きる場所だったのです。
比丘尼御所の澄んだ空気の中に、ある種の気怠さのようなものが潜んでいるとしたら、
きっとそれは皇女たちがフッともらしたであろう溜息のせいかもしれません。
どんなに世の中にきらびやかな物があろうとも、入寺した皇女たちにとって、それは手の届かない別世界のものだったのです。
例えそれが四方を囲む一枚の薄い土壁によって隔てられただけのものであっても。

429:考える名無しさん
14/11/24 15:00:35.85 0.net
では皇女たちには全く楽しみがなかったのでしょうか。いいえ、そうではありません。
彼女たちには、あるささやかな楽しみがあったのです。
それは、幼い皇女のために雛祭りの度に御所から送られてくる人形でした。
幼くして仏門に入らなければならなかった娘たちを忍んで、彼女等の親は可憐な人形を贈ったのです。
これが御所人形といわれるもので、江戸時代はこのような贈り物が頻繁に行われていたようです。
親たちは人形を贈るということに、娘たちに対する一種の「罪滅ぼし」の念を込めていたのかもしれません。

430:考える名無しさん
14/11/24 15:08:10.93 0.net
贈られて来た人形たちは、あるときは皇女の愛くるしい顔にまねて、あるときは遊び相手として幼い男子の顔にまねて作られていたのです。
周囲が大人ばかりの尼寺にあって、この人形たちが皇女等にとって真の友達になっていったのは言うまでもないことです。

ほかに楽しみのない閉ざされた小世界の中にあって、皇女たちの人形に対する愛情は時として異常と思われるものがあったそうです。
朝起きてから夜寝るまで、彼女たちは片時もこの人形を放すことなく、あたかも己の分身であるかのように慈しんだのです。

431:考える名無しさん
14/11/24 15:18:28.02 0.net
人形と話をしたり、着物を着替えさせたりということはたわいないままごとといえばそれまでですが、
生涯を通して人形を人形としてではなく、命ある人間のようにして遊ばねばならなかったという話に痛切な「哀」を感じてしまうのです。
人形たちが愛らしければ愛らしいほど、手垢ですすけた古い御所人形の顔から、皇女たちの孤独を思ってしまうのです。

432:考える名無しさん
14/11/24 15:47:06.83 0.net
天上界の三識を比べてみますと、第十識は天上界の体験即ち初覚、第十一識は認識、第十二識は自覚です。
初覚は脊髄神経系を使い、認識は脳神経系を使い、自覚と確認とは共に植物神経系を使うのですが、
自覚は第十一識と第十二識との境界上の世界から第十識を見、確認は第十二識から第十識を見るのです。
前者を「悟」と云い後者を「覚」と云います。
向上するには得たる所を捨てることです。
初覚を捨てるとは認識したもの以外はまだ知らぬとするのです。
からだでわかり、からだで憶え込ませたものを皆捨てるのです。

初覚を捨て、認識を捨て、悟を捨てると実相界(第十三識以上)へ行けます。

此の女性の文は第十一識と第十二識との境界上の世界―これが日本文化の世界ですが、
ここに籠って書いたものです。春の泉の揮々と湧き出て流れてやまぬ趣があります。
一寸平家物語のようです。楽器ならば琵琶。

(帰郷して、地上界は物質的、天上界は眼が二重の薄膜で蔽われている。実相界は尚一重の薄膜、無相界即ち第十六識以上とは相が無いのではない。
相は眼の曇りであると知って、眼をぬぐってじかに見ることである。)

433:考える名無しさん
14/11/28 21:53:34.27 0.net
「岡潔集 第1巻」より 対話/全か無か(石原慎太郎)

石原:私は科学というものが非常に幼稚なものだと常々思ってましたが、
現代数学のああいうものの捕え方、考え方は、ある意味では宗教の一番かんじんなところに触れていると思いました。

岡:地上(第七識上層)に数学があって法界(第九識)にその実体があるからです。
実体を見て(第十識)私たち日本人は胡蘭成氏の言う悟り識でやっているのですが、
西洋人は潜在識でやるから、影しか見えない。
それで複雑なものを取り扱うほど偉いと思うらしい。
ところが、ものの複雑さの処理法における、人の知の限界は、きわめて低い。
それで次々に行き詰まらせていくのです。
何度もそうしながら生き延びてきたのですが、今度こそ全面的に行き詰まらせてしまったらしい。
もう西洋人だけではやれないでしょう。
西洋の文化は、インスピレーション型であり一年生の草花のように一度花咲けばそれきりなのです。
西洋文化の季節はもう過ぎたのです。

434:考える名無しさん
14/11/28 22:09:02.09 0.net
石原:そうでしょうね。どうもそのときに東洋人というのは、
非常に行き詰まった西洋の合理主義、科学全般に大きな示唆を与え得るといわれておりますが、
日本人の場合には、ついにいまや西洋主義の私生児みたいになってしまっておりませんか。

岡:ほんとうですよ。西洋文明とはどういうものかを明治のころまでの日本人はよく知ってたけど、
その第一感を百年の間にけろっと忘れてしまったらしい。
どうしてこんなことになるんだろうと思って考えました。
日本はこれまで有形の文化に接したことが四回あります。
支那の文化。もうちょっと遅れてインド文化。それからヨーロッパ文化。そしてアメリカ文化。
日本の文化は無形の文化です。四度とも、初めて接した有形の文化をいともやすやすと取り入れている。
これは、各人がきわめて的確にその中核を把握することができるからです。これが情操判断(情的純粋直観)です。
日本人は情操判断がよくできるから、取り入れるときはよいのですが、しばらくその文化のなかにいるうちに、
すっかりだらしがなくなってまねのためのまねしかしなくなる。
これはなぜかといいますと、西洋の文明は内容は感情です。そ�


435:フ感情に溺れてしまう。 そうしたら、もう情操は働かないのです。なぜかというと、感情を入れると純粋な情操ではなくなるからです。 感情の色どりというのは、必ずなにがしかの意味で自分というものを入れるから、強い色どりになる。 だから、それにひかれるわけです。 しかし、純粋な情操は自分というものの入れられないものです。 だから感情の水のなかでは情操判断は働かないのです。



436:考える名無しさん
14/11/28 22:17:10.59 0.net
岡:理性といってますが、感情のはいらんような理性判断をやってごらんなさい。
できません。これも広義の感情判断です。
ところで欧米人は自分の感情のなかにいるのですけれど、日本人はたとえばいまはアメリカ人の感情のなかにいるのです。
アメリカ生まれのマイホーム主義に迷い込んでいるのです。
だからいちいちまねをする以外には身動きもできないのです。

石原:そういう一方的に受け身な文明の態度というものは、どうも日本人の習慣になってしまいましたね。

岡:だから、日本人は男のようなもので、有形の文化は女のようなもので、すぐ女に溺れてしまうのです。
少し慎まなければいけませんね。今度こそはね。

437:考える名無しさん
14/11/28 22:35:55.83 0.net
岡:石原さんは、近ごろ、生死の問題を考えておられますね。

石原:考えますね。

岡:人からのヒントはおきらいですか。

石原:そんなことないですよ。

岡:これ、ヒントじゃありません。あなたは当然、信長がお好きです。
それだったら、信長の死生観をご存知でしょう。
信長はいつも先頭に立って“死ねや、死ねや”といって攻めたのです。
そうやられたら相手はかなわぬ。
だから、自分は最初からNothingなのです。残っているのは、Allかどうかということだけなのです。
そんなやり方でしたね。

石原:私自身の卑俗な話になりますが、今年、選挙に出ましたが(1968年参院選、初陣で当選)、
その準備にかかったときに、生まれて初めて大病をしました。

岡:肝炎ですか。

石原:はい。


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