岡潔at PHILO
岡潔 - 暇つぶし2ch250:考える名無しさん
14/02/26 19:05:40.40 0.net
いっぱんに数学では問題を出した人のほうが問題を
説いた人より上と思われている。問題にたどり着くには
長大な研究の鎖がいる。

251:考える名無しさん
14/02/26 20:03:33.41 0.net
岡は確か生涯でやりたいと思っていた数学の3分の2はやったと書いていた
その後は思いを継ぐ者は現れず、研究は放置されたままになっている
とすれば唯識論と同じで、最低あと5個は論文として発表できるはず
10番目の論文からイメージがガラッと変わっているから、春雨の曲みたいにそれはそれは壮麗な数学になる
50年越しの後継者の出現に期待したいものだ

252:考える名無しさん
14/03/08 21:15:18.47 0.net
岡潔博士・記念館の建設決定~市議会委託予算可決

世界的な数学者で文化勲章受章者・岡潔(おか・きよし)博士(1901~78)の〝顕彰記念館〟が、
岡博士の故郷、和歌山県橋本市の杉村公園に建設されることが決定した。
市議会最終日の3月6日、顕彰記念館・委託料(基本設計)予算399万8000円が可決され、
2018年開館を目指して、建設されることになった。

岡博士は大阪市生まれだが、4歳の時から父の実家、紀見村(現・橋本市)に居住。
京都帝国大学�


253:イ業後、多変数関数論に出会い、 「世界の数学者が1問解くのに100年かかる」と言われた「世界の三大難問」を1人で解決した天才。 また、「春宵十話」などの数々の著書を表し、「日本人の情を大切に」と強調した卓越した哲学者でもある。 1960年に文化勲章を受賞、61年に橋本市名誉市民になった。 橋本市企画部企画経営室の話によると、顕彰記念館は杉村公園内の松林荘(しょうりんそう)北側に建設。 ここは4月開通予定の国道371号バイパス(京奈和自動車道・橋本インター~同市三石台)に隣接していることから、 記念館を中心にした「道の駅」のような観光拠点にする構想。 記念館わきには観光案内所、トイレ、多目的広場などを建設し、 観光バス約5台、乗用車なら約50台収容の駐車場を設けたい考えだ。



254:考える名無しさん
14/03/08 21:17:56.79 0.net
岡博士の旧宅は、旧・高野街道沿いの閑静な山上にあった築約100年の木造平屋で、約80平方メートルの、こじんまりとしたたたずまい。
旧宅が所有者の事情により、2001年9月に撤去される際、当時の北村翼(よく)市長が、橋本ユネスコ協会や地元市議の要望に応え、
解体後の梁(はり)や鴨居(かもい)などの建築資材は現在、橋本市河南別館倉庫に保存されていて、記念館に活用することになる。

同市内では、長らく岡博士の〝旧宅・復元話〟が途絶えていたが、
2009年、岡博士の偉業を讃え、数学教育を進める「橋本市岡潔数学WAVE」が設立され、記念館の建設が求められていた。
建設費は数千万円規模になる見込みで、同市は「橋本市岡潔顕彰基金」を創設、全国から募った資金と、国の補助金を充てる方針。

木下善之市長は「記念館には、岡博士の著書や愛用品、写真などを展示。できれば〝寺小屋〟のような建物も併設したい。
全国の数学ファンや観光客が立ち寄り、数学好きな子供たちが増えてほしい」と語った。

「橋本市岡潔数学WAVE」理事の奥村浩章(ひろあき)さんは「岡博士が数学に卓越していたことは誰しも認めることですが、
それよりも大事なことは、日本人の情緒を重んじた岡博士の哲学ではないでしょうか。
全国から岡博士の手書き原稿など、膨大な資料が集まっているので、それを保存展示する場所ができることは、うれしい限りです」と語った。
(2014年3月7日 橋本新聞)

255:考える名無しさん
14/03/12 18:29:25.35 0.net
第一の大発見

私は西暦1925年に大学を出て、1929年の春に船でフランスへ向かった。
その途中でシンガポールへ寄ったのである。
私はそのとき二つほど習作はしていたのだが、こんどはライフワークを始めようと思った。
それには数学のどの分野を開拓するかを決めなければならない。
つまり開拓すべき土地が問題なのである。私はそれさえ決めればよいのである。
こんなふうだったのだから、産業界は工業時代から情報産業時代に移ったと聞くとよくわかる。

ソルボンヌ大学(パリ大学)とはどういう所かといえば、授業料は三種類ある。
一つは講義を聞くためのもの、一つは図書館を使うためのもの、一つは学位論文を審査してもらうための手数料である。
人員に制限もなく国籍も問わない。授業料さえ払えばよ


256:い。 アメリカ人はずいぶん来ていた。家庭教師を雇うより留学させたほうが安くつくからである。 数学教室は独立した建物になっていた。ロックフェラーの寄付で建てたのである。 アンリ・ポアンカレ研究所という名がつけてあった。 そこには大きな講義室が二つあった。小さいのはずいぶんあったが、いくつあったか知らない。 大きな部屋にはフランスがほこる大数学者たちの名をとって、 一つをエルミットの部屋、一つをダルブーの部屋といった。図書館がついていた。



257:考える名無しさん
14/03/12 18:43:02.53 0.net
私が着いたときは、もう夏休みに近かった。
この大学の夏休みは非常にながい。一年が三つにわかれていて、特別講義は毎年変わるのだが、その講義は最後の三分の一だけで、
先生たちは初めの三分の一は文献の準備、
次の三分の一の夏休みにだいたいの研究をすませて、
最後の三分の一でそれを講義しながら書き上げているような気がした。
先生のお弟子が講義の速記をする。それを先生が見て直すべきは直して、毎年本にして出す。
要点だけを抜き出して論文も書くというふうにしているようにみえた。
論文は夏休みがすんでから講義が始まるまでの間に書くのかもしれない。

私はその年度はその図書館の閲覧できる授業料だけを払った。それでもうパリ大学の学生である。

パリ市は城のあとである。その南の入り口にモンスーリーという公園があって、その外側に大学都市がある。
まだ城郭の内側だが、ここだけは自治を許されていて、パリ市は関与しない。
そのいわば国際的自治都市の中に日本会館もある。私はその一室を借りていた。
私のすべきことは、この図書館を相談相手に、この学年中にライフワークのための土地を選ぶことである。

そんなこと、日本でしても同じではないかというかもしれないが、
日本にいてはそれができないし、フランスにおれば易々とできるから全く不思議である。
何しろここは、ギリシャに源を発するラテン文化の流れを真向きに受けている国だから、
ただクラゲのようにポカポカ浮いてさえおれば、流れがおのずから着くべき所へ着けてくれるのである。

258:考える名無しさん
14/03/12 19:04:23.70 0.net
これが環境というものである。もちろん地上の影をそう呼んでいるのであって、これは生命のメロディーの影なのである。
彼らはそれを自覚してはいないが、やるのはそれでやっているのである。

論より証拠、だいたいその学年中にはライフワークの土地として、多変数解析函数の分野が見つかった。
それで、次の年には講義を聞くことのための授業料を払った。
そして世話してもらえる先生の家を訪ねた、私はそこで、先生の論文を少なくとも75はもらった。
しかし読んだのは二つだけである。しかもそのうちの一つは、日本で読んでいたのである。
この論文は広島の大学(後に岡が赴任する広島文理科大学、現在の広島大学)の私の部屋の書物棚へ入れておいたのだが、
私がそこを(広島事件等のために)やめた後も、いくら送ってくれといっても送ってくれないのでそのままにしておくと、
原爆で焼けてしまった。
三年目も学位論文の審査のための手数料は払わなかった。習作は日本で二つしていたし、フランスでも二つしたが、
そんなのを審査してもらって学位をもらっても仕方がない。

ではなぜ、留学は二年だのに頼んで三年いたのか、というと、
私はフランス文化をそれほど高く買っていなかったのであるが、これについては後に述べる。
ではなぜかというと、私は芥川の好きな中谷治宇二郎君(「日本先史学序史」の著者)とすっかり気が合ってしまって、
もうしばらく一緒にいたかったからである。
今になってこれが私にたいへん役立ったことがわかる。
私はじっと動かないし、この人はなんだか永遠の旅人という感じである。

259:考える名無しさん
14/03/12 19:22:08.47 0.net
ところでそのラテン文化であるが、私にはなんだか、「高い山から谷底見れば瓜や茄子の花盛り」という気がした。
この土地はいわば高原のようなものであって、その山に上る第一着手は、30年近く誰にもわかっていないのである。
十中八九、私にも見いだせないかもしれない。しかし一、二、可能ではないといい切れないふしもある。
よしやってやろう。私にできるかできないかわからないが、私にもできないのに、フランス人にできるはずがなかろう。
こう思ったから、これをやると決めたのである。
ラテン文化は実際は、私が思ったよりずっと底が深かったのであるが、これも日本に帰ってみて初めてわかった。
これも、というのは、この随想でいったかいわなかったか忘れたが、
私はフランスへ来て、初めて日本のよさがはっきりとわかったのであった。

今や私には問題はしぼられて、第一着手の発見が問題である。
私はパリのあらゆる文化をこの発見に役立てようとした。

私は1932年に日本へ帰って、(京大から厄介払いされて)広島の大学へ勤めた。
ずいぶんこの問題の解決の探求の邪魔になるのだが、
(ドイツでなくフランスに)洋行させてもらって、しかも一年延期してもらったのだから仕方がないのである。
そのうち1934年の暮れになった。

260:考える名無しさん
14/03/12 19:37:28.44 0.net
ドイツのベンケがトゥルレンに手伝わせて多変数解析函数の分野の文献目録のようなものを出してくれた。
私はそれが手にはいったから、翌1935年の一月二日から、それを持って私の部屋に閉じこもった。
これは私には箱庭のように思える。それを二ヵ月かかって丹念に心に描き上げた。今や困難の全貌は明らかである。
問題はその上へ昇る第一着手を発見することである。

私はくる日もくる日も、学校の私の部屋に閉じこもって、いろいろプランを立てては、うまくいきそうかどうかをみた。
日曜など、電気ストーブにスイッチを入れると石綿(アスベスト)がチンチンチンと鳴って赤くなっていく。
それとともに心楽しくなる。きょうは一日近く自分のものだし、
昨日まで一度もうまくいかなかったということは、きょうもまたうまくいかないということにはならない。
そう思って新しいプランを立てる。日が暮れるころまでにはうまくいかないことがわかる。

そんな日々が三月続いた。私には立てるプランがなくなってしまった。
少しも進展していないし、もうやりようがないし。

261:考える名無しさん
14/03/12 20:08:28.10 0.net
私は、これもパリでしばらく非常に親しくしていた中谷宇吉郎さん(理化学研究所所員、人工雪の製作に世界で初めて成功)、
この人は治宇二郎さんの兄さんで寺田先生(物理学者寺田寅彦、東京市生まれ、高知市出身)のお弟子なのであるが、
その人が、北海道へ遊びにこいといってくれたので行った。
そんなことをしている間も、知的にはもうすることがないのであるが、情意は働き続けていたのである。

中谷さんのいる札幌へ着いて、中谷さんの家の裏へ下宿した。
札幌の大学は講師の阿部社長(寺田先生のお弟子で、北海タイムス社長)の部屋を貸してくれた。
私は毎日そこへ行くには行くのであるが、何しろ知的にはもう私にできることはないのだから、
十分もたてば眠くなって、そこのソファに寝てしまう。
そのうわさが北大の理学部中にひろまって、口の悪い吉田洋一さんの奥さんが、嗜眠性脳炎という仇名をつけてしまった。
中谷さんは、「岡さん、札幌は失敗だったね」といった。
この嗜眠性脳炎の時期が、札幌へ来る前から数えて、三月続いた。
そうこうしているうちに九月にはいって、もう広島へ帰らなければならない日が近づいていた。
そうしたある日、中谷さんのお宅で朝食をいただいた後、いつもは一緒に学校へ行くのだが、
その日は妙にじっとしていたくて、一人残って応接室にすわり込


262:んでいた。 二時間近くもそうしていただろうか。 そうするとパッとわかったのである。この種の発見に伴う悦びが、ながく尾を引いた。 疑いは少しも伴わない。私はその後を考えた。これが多変数解析函数についての論文Ⅰになるのであるが、 私には後のⅤまでは大した問題のないことがわかった。 Ⅰを書いたのは翌年の蛙鳴くころである。



263:考える名無しさん
14/03/12 20:39:18.49 0.net
中谷宇吉郎さんを思う

一昨年(1960年)秋、私が文化勲章受賞のため久しぶりに上京したさい、
中谷さんに会い、専攻の低音科学の話になったが、
中谷さんは「自分の仕事はどうも物理学とは認めてもらえないらしい。
雪を作る実験にしても、ぼくがやればでき、ほかの人がやればできないからという理由で、
物理よりも芸術に近いもののようにみられているらしいよ」と話していた。
これがおもしろかったので授賞式当日一緒に受賞者となった吉川英治さん(「宮本武蔵」の連載で知られる小説家)に
この話をしたところ、吉川さんも「日本人にはある方面に他人のまねのできない能力を持っている人が多いが、
正当には評価されないので困るようですね」とほかの実例もあげて同情的に語っていた。

264:考える名無しさん
14/03/12 20:42:55.91 0.net
※低音科学は低温科学に訂正。

265:考える名無しさん
14/03/15 05:42:54.57 0.net
風変わりな憲法>>197-200の続き

URLリンク(www.youtube.com)

集団が団結を作って生き抜くという、その生きる為の知恵は、人類が最初に得た生きる為の知恵です。
人類はこれによって他動物との生存競争に打ち勝って、ようやく今日まで生き延びることができたのです。
そののち人類は少しは利口になりました。それで口先では割合感心なことを言うことができるようになりました。
しかし、まだまだ野蛮であって、それを実行することができない。
だから今、世界の国々は終戦後の日本一国を除いて、ことごとく国という団結を強固にして、
それによって生き続けるということをしようとして必死になっている。
日本だけは決してそういう事をしない。
しないだけじゃない、いやあ、旗も出しゃあしません(祝日に国旗も出そうとしませんの意味)。
それを愛国というのです。愛国といったら変な目で見られる。
一体、どういう国なのかわからない。

266:考える名無しさん
14/03/15 06:02:28.11 0.net
愛国について説明します。日本の明治維新ですが、明治維新はどうしてできたかというと、志士達の活動によってできたんです。
もし明治維新ができていなかったら、日本は滅んでいたに決まっています。
大体、戦争なんか要らないとか何とか言いますけど、今度の大敗のような事を日露戦争頃までにやったら、確実に滅んでいたでしょう。
私、大東亜戦争に突入したと聞いた時、「しまった、日本は滅びた」と思いました。
で、暫くぼんやりしていたんですが、やがて起こる「一億同胞、死なば諸共」の声に励まされて、
成程それも華々しゅうて良かろうと思っておりました。本当に死ぬつもりだったんです。
それが戦争が終わってみると意外にも生きています、今でも。何故、そういう事になったかというと理由は二つある。
一つは天皇陛下が勅命によって戦争をやめよと言われたこと。
もう一つは、今言いました通り、大敗戦の終わった時、その時期が非常に良かった。
もう少し早くだったら滅んでいたに決まっているんです。

猶、ちなみに言って置きますが、日本は今これからお話して行く、チンプンカンプンわからない憲法を受諾しました。
何の事だかわからない、実に滑稽です。が、こういうものを何故、受諾したかというと、
もし憲法を受諾しなかったならば、天皇を戦犯にして処刑すると言われた。
命の恩人を殺すわけには行きませんから、涙を呑んで引き受けた


267:のです。 こういうのを一億の総々意というのですか。社会党、共産党、創価学会、憲法調査会、皆「一億の」といってる。 一億の総意っていって国民投票にさえ問うてないでしょう。 この、日本より半年程前、西独がやはり憲法を変えよと言われた。 その時、進駐軍の治下において国民投票に問うということは、公平な国民の意思を反映することではない。 だから進駐軍治下においては新憲法を作るということは理論上、不可能である。そう言って峻拒したんです。 今、一億国民の総意によって新憲法を受諾したと言っている人達は、事実を曲げるも甚だしいんです!



268:考える名無しさん
14/03/15 06:13:21.85 0.net
で、それはまあよろしい。ともかく日教組、その他の共産主義の先生達のしたことは、
明らかに計画的に国の団結を破壊しようとする行為です。
だから私、こんなの憲法違反に決まってると思ってた。ところが一向、皆そう言わん。
私、あまり変な日本国新憲法の前文を掲げてあったから、馬鹿らしくて憲法を見なかった。
だけど国民の団結ぐらい言ってあるだろうと思って、岩波文庫に世界各国の憲法を書いた本がある、
それを買って来て日本の憲法を見てみた。
どこにも、ただ一言も、国という団結を固めるという意思が書いてない。
おかしなものだなあ、憲法というのはと思って、他の世界各国のを見てみますと、
そうすると各国はことごとく国という団結を固めて生き抜こうという意思を謳っている。
書いてないのは日本一国です!これだけでも国民の総意によるものではない、
(進んで受諾はしたが実質的に見て)押し付けられたものであること明らかです。
ともかく国民が団結を作って生きて行くという意思あって、然る後、憲法があるのです。
ところが日本の憲法だけはそれを書いてないのです。

269:考える名無しさん
14/03/15 06:25:41.59 0.net
ところで西洋人は大抵、無差別智の働き方が前回りで前頭葉へ働く。
そうしますと、実在性と自己性と二つともが混じってしまう。
こんなん有りもしないもの、有ると思うのです。
それで平等性智が邪智になる、邪智型になる。この邪智型平等性智が理性です。
西洋人が理性といってるものは、ことごとくと言って良いほど邪智型平等性智。
それから東洋人の場合は前回りしません、後回りします、概して後回りします。
後回りして平等性智が働きますと真智態の平等性智が働くか、非常に良ければそうなる。
そうでなければ実在性だけを執する。この時も後回り、前を通りませんから。
前を通れば必ず自己性が入る、邪性が入る。
実在性だけを執すると、そうすると分別智になる。盲目性は入るが、邪性は入りません。
そういう平等性智になる、大抵そうなる。そこで!
前頭葉に働く平等性智が邪智態である者を西洋人と定義します。
前頭葉に働く平等性智が妄智型、或いは真智型である者を東洋人と定義します。
それで東洋人、西洋人が出て来ました。日本人は大抵、東洋人です。

270:考える名無しさん
14/03/15 06:44:14.81 0.net
東洋人は大体、どこを使うかということを見ますには、人は生まれて二年五ヵ月、これが童心の季節です。
そこで人の中核できてしまうのです。後は、これに実在性とか自己性とか、これは有りもしないものでしょう。
そういうものを着けて、いわば堅固なガラス瓶へ入れて持って歩く。
で、中核は童心の季節です。この童心の季節で一体、どこを使ってるかと日本人の子供を仔細に見ますと、
使ってるのは頭頂葉、大円鏡智。つまり観念です、メロディーを聞くこと。
それと後頭葉。これは心を形に現し、形によって心を知る。特に形によって心を知る。
つまり、頭頂葉の全メロディーの雰囲気のようなもの、これを使ってます。
しかし、前頭葉は使ってません、側頭葉も使ってません。だから、東洋人は頭頂葉と後頭葉とを主として使う。

それで例えば、行為に至るまではどんな風かと言いますと、例えば共産主義革命をしようとします。
そうすると後頭葉において、その雰囲気を充分作る。つまり世の中の悪いことを散々言うて、嫌悪感を催します。
それから共産主義になれば良いような、いろいろ良さそうなことだけを挙げて、充分共産主義的な雰囲気を育�


271:゙。 これ、小学校からやってるでしょう。共産主義じゃなくても、スパルタ教育の悪い面もそうです。 後頭葉でそれをやる。 しかし頭頂葉は使わない、日本人が無知な理由ですね。 それから側頭葉でメロディーないしは標語に練る。



272:考える名無しさん
14/03/15 06:54:45.68 0.net
それで例えば、共産主義色ですね、それを小学校あたりから骨折って拾った共産主義色を標語に練る。
それはもう誠に簡単です。「いざ革命」といえば良い、標語になってる。
「共産主義革命」とそういえば良い、標語になってる。
そして、じっと満を持して時機を待つ。
ここまでは憲法によりますと、これは宗教、それから思想の範囲ですから、全く関与できないんです。
そして時機が来たと見たら、「いざ革命!」といえばいいんでしょう。
そうすると五一五事件の時の如く、二二六事件の時の如く、
側頭葉が引き金を引いて前頭葉が運動領へ命令すると、
「アッ!」という間に実行に移されて、疾風迅雷、駆けるに暇がない。

273:考える名無しさん
14/03/15 07:10:37.95 0.net
これが東洋的な行為に至る動きです。

初めに何か体操のようなことをして、それをいちいち言葉で言い表して、
一人一人議論して、さあ一緒に行こうといって勧めて、それから行為するのは西洋型の場合です。
これはこれでジョークならともかく、邪智を使うのでタチが悪い。

しかし東洋型も東洋型で、日本だと、
五一五事件の如く、二二六事件の如く行為に移すから恐ろしいんです。
準備は後頭葉で充分謳歌させておいて、側頭葉で標語に練って、
その引き金に手をかけたまま待ってれば良い。
悪い意味でのスパルタ教育は引き金を引く寸前、しかし共産主義は引いてしまう。
こうした大脳生理を忘れた日本民族の愚かさがわかるでしょう。
だから、あのような憲法では、とても日本の安全は守ることはできないのです。

そうしますとねえ、誠に都合悪いと思うのは、あんなもん引き受けて、
二十何年も何の準備もせずにやって来た政治家なんか、あんなものどうしようもない。
だから、ああいう憲法しか日本にないということは、新秩序は実はないということです。
で、私達は、幸い新秩序がないんだから、新秩序を作りましょう。
大事なのは宗教と思想だけど、宗教活動も思想活動も憲法は何も止めておりません。
非常に都合の良い憲法です。お終い。(拍手)

274:考える名無しさん
14/03/15 08:38:42.02 0.net
録音できる目覚まし時計がありんす。朝いちばんに叫ぶ何か面白い言葉を
吹き込みたいけにポマイラかんがえてくれっちんこ

275:考える名無しさん
14/03/20 20:01:08.00 0.net
会津の日新館という藩校に「ならぬことはならぬものです」で締めくくられる掟があるが、
あれは岡の場合は祖父から与えられた「他人(ひと)を先にし自分を後にせよ」だった。
で、これは子供の道徳観としては意味があるというか、必要なものであって、
問答無用である程度押し込んで良い。智で言えば分別智に近い。

ただ、子供は反発するだろうし、ダブルスタンダードの要る大人になってもこれを金科玉条とされては困る。
したがって、大人はできるだけ無差別智的な分別智という形で与えてやらないといけないし、
無駄の無い情すなわち真情が根本だということを大人も子供もなるべく忘れないようにしないといけない。

276:考える名無しさん
14/03/22 00:55:41.29 0.net
台湾が今危ない。退回服貿(ほえほえくまー)。

277:考える名無しさん
14/04/20 05:40:31.30 0.net
高瀬正仁「岡潔―数学の詩人」より 広島事件

広島で不可解な事件が起こり、岡潔の人生に大きな転機が訪れたのは昭和11年(1936年)6月23日のことであった。
この日の夜、岡潔は京都帝大の数学者、園正造(代数学者)の歓迎会に出席したが、
途中で


278:心身の具合が悪くなって帰宅し、それから行方不明になった。 翌朝になって判明したところによれば、岡潔は自宅の近くを流れる二股川の土手を帰宅途中の 修道中学(現 修道中学校・修道高等学校)の夜学生たちを襲い、帽子や書籍、靴、自転車などを没収して、 それから牛田山の笹原に寝そべって一夜を明かしたというのであった。 被害者の中学生の家族が強盗にあったと警察に訴え出たため新聞沙汰になり、一時は騒然とした事態になったが、 ともあれ病気と見なされて入院した。入退院が繰り返されて一夏をすごし、いよいよ最終的に退院したときは9月13日になっていた。



279:考える名無しさん
14/04/20 05:59:21.87 0.net
岡潔の晩年の遺稿『春雨の曲』第三稿には、この時期の心情がこんなふうに回想されている。

1936年の6月にわたしは一晩中、
わたしの家はその頃広島の牛田という、八幡神宮を祭ってある小高い丘の麓にあったのだが、
その丘の、家と反対の側、と云うと北西の方になるのだが、
その丘の北西の斜面の笹原に寝て、星の一群を率いる宵の明星と話をした。

次に挙げるのは『春雨の曲』第七稿からの引用である。

それから1、2日たったよく晴れた夜、わたしは家の後ろの小高い丘の斜面に、
北西の方を向いて、笹原に背をもたせかけたまま、
金星から来た娘の話を聞いていた。
娘はわたしの今生の越し方行く末を詳しく説明してくれたのであるが、
わたしには夢の中の話のようであった。
満天の星斗も水上に乱れ飛ぶ蛍のように見えた。

280:考える名無しさん
14/04/21 12:09:24.77 0.net
個人主義はイコール閉鎖主義でもあるって言ってたな、おかけつ

281:考える名無しさん
14/04/22 00:25:25.76 0.net
第二の大発見

日本の文化の本質を調べてみて、
数学における情操型発見を詳しくお話ししておくことがどのように大切であるかがよくわかって来た。
それで話を少しもとに引きもどしてお話ししよう。

京大数学教室の二年以後の有り様から言おうというのである。
当時の教室の教授は四人で、うち一人は和田先生であったから、残りは三人である。
河合十太郎先生が函数論を、西内貞吉先生が射影幾何学を、園正造先生が代数学及び数論を教えられた。
ほとんどこの先生方の講義しかなかった。
この講義時間数が非常に少なかったということが、この教室らしく教えるには非常に大切なことであった。

私は意識してこの教室に入ったのではない。しかし入ってみるとここも神代の文化を教える所であった。
百花繚乱の花園に遊ぶようである。それでいて私は一日一日目が開けて行くような気がした。
かようにして私は数学研究を始めるための雰囲気を用意してもらったのである。
花が開くためには春の気が必要なのである。

282:考える名無しさん
14/04/22 00:33:10.60 0.net
数学研究の初めの頃は、私はインスピレーション型発見ばかりした。
しかしこれは情操型教育の上でインスピレーションを感じていたのである。

初めは、数学は西洋の学問だから、西洋にやり方を学んだことになって、こうなったのだと思う。
だんだん研究に習熟するとともに、東洋本来の型である情操型発見が出るようになった。

私の多変数解析函数の研究には三つの難関があった。
第一論文で突破したものと、第六論文で突破したものと、第七論文で突破したものとである。
そのうち第一論文はインスピレーション型発見、第六論文は(中間の)梓弓型発見、第七論文は情操型発見である。
これらについてお話ししようというのである。

283:考える名無しさん
14/04/22 00:45:42.16 0.net
第一論文を書いたときから私はこの第六論文の突破法について色々考えていた。これが研究本体であった。
私はゆるゆる書きながら暗中模索を続けたのであるが、少しもわかって来ないうちに第五論文まで書いてしまった。
いよいよこの難関を何とかして通らねばならぬ


284:。 その頃日本は日支事変の最中で、国民精神総動員のやかましく言われている頃であった。 私は広島の大学をやめて郷里の和歌山県で研究していた。 論文で言って、第五までと第六からとは、問題の型が違うのである。 第五まではそうなることを言えというのであり、第六のものはそんな風に作れというのである。 初めのものは函数論的であり、あとのものは解析学的である。 私は解析学におけるものの作り方を一応しらべた。そんな作り方は何もない。 それで思った。 今の数学の進歩の状態でこの問題を解けというのは、まるで歩いて海を渡れと言うようなものである。 そう思うと急に実際それがやってみたくなった。それでちょうど台風の襲来が予報されていたから、 (広島事件同様家族に無断で)台風下の鳴門の渦を乗り切ってやろうと思った。



285:考える名無しさん
14/04/22 00:59:24.91 0.net
それで大阪港から船に乗ったのだが、台風はそれて、まるで春のような海を見せてもらっただけである。

読む本もないままに年が変わって蛍の季節が来た。
当時、もと紀見峠の上にあった私の家は軍用道路になってしまったために、
私は峠を南に下りた麓の所に家を借りて、家内と子どもたち三人とで住んでいたのだが、
毎夜一家総出で蛍を取って来ては裏のコスモスの茂みに放してやり、
昼は毎日(近所の子どもたちにからかわれながら)土に木の枝でかいて、
解析学の諸々の作り方を、もう一度、きちきち調べ直してみた。
そうしているうちにだんだん要求されている作り方の性格がわかってきた。

それで、フレッドホルム型積分方程式論の冒頭の二頁ほどを残して残りを切り捨ててみた。
この切り捨てるという操作がこの際絶対に必要なのである。

そうすると何だか使えるかも知れない、一つのものの作り方が出て来そうに思えたからそうしてみたのであるが、
それを実地に使ってみると果たしてうまく使えた。
難関は突破されたのである。

286:考える名無しさん
14/05/08 20:45:46.64 0.net
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 開戦

こうして研究一本槍の毎日を送っていた潔であったが、1940(昭和15年)の10月に京大から理学博士号を受けた。
これは、金銭的なプラスにはならないが、それまでの研究(第一論文から第五論文まで)が認められたということである。
しかし潔は学位には関心がなく(フランス留学中の時にもそうであった)、もらうことを強く拒否したが、
周りから説得されてしぶしぶ受けたのであった。

287:考える名無しさん
14/05/08 21:08:55.22 0.net
第三の大発見

第七論文に移る。私は中谷宇吉郎さんの御厚意で北大理学部から「理学部研究補助を嘱託す」という
変わった辞令をもらって札幌市に下宿して、何をしてよいかわからないから、
功力教室の人たちに詰将棋を詰めさせたり、ピアノを聞かせたりしていた。

冬の初めだったかと思うが、石炭ストーブのよく燃えている下宿の一室で十時頃まで寝ていると、
下宿のおかみさんにあわただしく起こされた。行ってみるとラジオが真珠湾攻撃を放送していた。
私は、しまった、日本は亡びたと思った。

そして茫然自失していた。
当時の私の心境を、次のある無名女流作家(横井栄子という歌人)の歌がぴったり言い表している。

窓の灯に うつりて淡く 降る雪を 思ひとだえて われは見ており

しかし、やがて一億同胞死なば諸共の声に励まされて、
それもよかろうと思って、数学の研究の中に閉じこもった。
そしてある時期から後は、もっぱら次のテーマに没頭した。
多変数解析函数の分野における不定域イデアルの研究。このテーマに関して、
アンリー・カルタンが一つ非常に重要な結果を出している。しかしほかに誰も研究したことを聞かない。

この研究は非常に


288:面白かった。しかし、どうしても完成できないままで終戦になった。 予想通り完敗したが、意外にも亡びなかったのである。 これは一つはキリスト教のお陰であって、今一つは陛下のお陰である。



289:考える名無しさん
14/05/08 21:26:54.00 0.net
終戦になると、それまで死なば諸共と言っていた同胞が、こともあろうに食糧の奪い合いを始めた。
私は生きていることも死ぬことも出来なくなった。
それで存在の地を仏道に求めた。

(戦中から紀見峠に戻っていたが)終戦後第三年目の五月頃、私は光明主義のお別時(別時念仏)に就いた。
五日泊り込みで修行するのである。これが終わってあとの有り様は前に書いたが、最も大切な点であるからもう一度繰り返す。

帰りの京都の市内電車は非常な雑踏であった。私はズック靴をはいて腰掛けていたのだが、
前の、立って下駄をはいている人に下駄で足を踏まれた。
しかし私は、二つの足が重なり合ったな、くらいにしか思わなかった。
お別時まではこの情景を見て、生きるに生きられず死ぬに死なれなかったのである。

日本人は、何となく外界は自分の心の現われと知っているのが本来の型であるから、
心をお掃除すれば外の情景が全く変わるのである。

これが情操型研究のよって来る所である。

私は家に帰ると、また研究を始めて、毎日一時間ほどお念仏しながら、
心の中に描いておいた不定域イデアルの姿を詳細に見直していった。
私の、自分の心の中を見る目は、驚くほどよく見えるようになっている。

そのうち、一次方程式の形式解の局地的存在を言う問題の所に目が留まった。
前にはこの一区画を本当に見極めてはいない。

よく見ると、すぐにこの存在が言えた。証明は二頁くらいである。
そうすると解きたいと思っていた問題は皆完全に解けた。研究は完成したのである。

私はあくまでも「是心是仏」派らしい。

290:考える名無しさん
14/05/08 21:47:31.85 0.net
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 高木貞治との交流

さて、こうして数学的に見れば歴史に名が残るような偉業を成し遂げた潔であったが、
その生活は日増しに苦しくなる一方だった。潔は後にある数学者に、
「自分は数学の研究に打ち込んだので(生活の中で数学したのではなく数学の中で生活したので)、
まず田畑がなくなり、次に着る物がなくなり、次に住む家がなくなり、しまいには食う物もなくなった」
と言ったことがあるというが、その「食う物もなくなった」という状態になってきたのである。

それで潔が考えたのは、奨学金のようなものをもらうことであった。
生徒や学生ではないから奨学金というよりも「研究補助」と言う方が当たっているかもしれない。
要するに、潔が1941年から42年にかけて北海道帝国大学に行っていたようなシステムということである。

潔はそれを、当時すでに日本数学会の第一人者であり、世界的にもその名を知られていた高木貞治(1875~1960)に託したのであった。

高木貞治は、その名著『解析概論』とともに多くの理系の人間にその名を知られている。
そして(ドイツ数学を呑み込んでしまった)類体論の創始者として世界中から注目された数学者である
(今、日本を代表する数学者を二人上げろと言われたら、百人中百人が高木貞治と岡潔の名を上げるだろう)。

291:考える名無しさん
14/05/08 22:14:02.56 0.net
昭和22年の4月18日という日付をもつ高木宛の手紙は非常に重要である。
その中に、前年までの研究で解明されていない問題が二つあることが書かれているからである。
それは、次の二つである。

Prob.E―(局所的に)Riemann面を


292:抽象的に与えて、それを生む正則函数を求めること。 Prob.H―任意のRiemann面を(R)とし、その上の任意の点をP0とする時、 (R)はP0の近傍において、もしそれらを生む正則函数をもつならば必然的性質H'をもつか。 そして、潔はこう言う。 所で、先生に申し上げたいのは、其の本質的な部分は解いて了ったと思った(今でもそう信じて居ますが) 其の瞬間に、正確には翌朝目が覚めました時、何だか自分の一部分が死んで了ったやうな気がして、 洞然として秋を感じました。それが其の延長の重要部分が、上に申しました様に、 まだ解決されて居ず用意には解けそうもない、と云ふことが分って来ますと、 何だか死んだ児が生き返って呉れた様な気がして参りました。 本当に情緒の世界と云ふものは分け入れば分け入る程不思議なものであって、ポアンカレの言葉を借りて申しますと、 理智の世界よりは、或は遙に次元が高いのではないかとさへ思はれます。 又此の二つでは主観と客観とが入れ変って居るのではないかとも思はれます。 物と物との結びつき方も全く違っていますし、ともかく一方だけを使ふのは、片足で歩く様なものではないかと思ひます。



293:考える名無しさん
14/05/08 22:32:02.78 0.net
これほど研究に対する情熱と自信がほとばしり出ている言葉があるだろうか。
これだけのことを成し遂げたというのに、潔の研究はまだまだ続くのである。

この手紙が書かれた翌年の1948(昭和23)年、潔は第七論文をフランスの学術誌
「Bulletin de la Societe Mathematique de France」に送り、受理された。
これは、新たな研究の端緒を拓いたということを
(高木への手紙にあるように、まだ解明しなければならない点は残っているけれども)
フランスに報告したいという潔の気持ちの表われであろう。
そもそも潔が論文をフランス語で書くというのも、その問題をフランスで発見したからであるが、
その潔がついにその問題を解決してフランスに凱旋したのである
(なお、潔は日本語については、「日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、
簡潔にいい切ろうとすると、世界でこれほどいいことばはない」と言っている)。

こうして、潔が断行した「勤めをやめて研究に専念する」という生活は確実に実を結んだ。
しかし、経済的には完全に行き詰っていた。
もはや(ニート生活のままでは)自活の道はなく、
(パンのために泣きながら)潔はそれまでかたくなに拒んでいた(奈良女子大学教授という)勤めを始めなければならなくなったのである。

294:考える名無しさん
14/05/11 13:20:46.42 0.net
春風夏雨 1965年6月

ところで、今の世相は、芸術家は美を知らず、学者は真を知らずというありさまだが、
そんなふうにさせてしまっているその本体こそ、無明というものではないか。
そして無明の働きに対して、全く警戒を忘れているのが現状ではなかろうか。
それどころではなく、無明を働かせるのが生きるということだと思っている人すら多い。
私の研究室の人たちでも、私の考えはかなりよく知ってくれているはずなのに、そんなふうに考えているのが多いらしい。
そうではない。無明をしりぞけながら進むのが「生きる」ということなのだ。
生命力は無明から来ているのではなく、むしろ無明によって邪魔されているのである。
昔から仏教では、無明を自分と思うなと教えて来たのだが、今なら無明を生命と思うなと教えた方がよさそうだ。

295:考える名無しさん
14/05/11 13:44:31.14 0.net
私はこれまで、ものの欠点を探すという意味での「批判」はきらいだといって来たが、
欠点を探してはいけないなどといわずに、文化の現状を正視して、いけないところを指摘し、消し去るのは、
非常に大切なことではないかと近


296:ごろ思っている。その気になれば私はもともとその方は得意なのである。 悪いものをみつけて指摘するだんになると 「大将師直いずくにか。彼のこうべを取らずんば、再び生きて還るまじ」と勇気りんりんとしてくる。 「徹底的につきとめてやるぞ」という気持である。だから(美と無明を同居させる)ピカソを見てもすぐにわかったのだと思う。 それなら、(自分の果たすべき役割として)慈悲の菩薩よりも不動明王をかって出た方がよさそうである。 禅の方で「是心是仏」という言葉がある。これはいいかえれば 「真善美はみな君の心の中にある。それを求めて向上せよ」ということである。 しかし、人の顔の中の無明が見えない現状では、向上などといってもわかりはしない。 真善美のわからない者に向上せよといっても、向上のしようがない。 なまじっか真善美がわかると思って、その道を進むのがいちばんいけないので、 たとえば、ある程度絵がわかるばかりに、それ以上のレベルの絵がわからなくなる。 浪花節がわかるという程度で安心しておれば、 (第二の心特に真情の水の流れに気づかず依存しているのに、第一の心特に末那識における世間智を誤って主体にしてしまい) 人情大臣以上には出ない。これでは向上とは逆の結果になってしまう。



297:考える名無しさん
14/05/16 23:27:09.66 0.net
正法眼蔵

私が『正法眼蔵』を買ったのは満州事変が終わって日支事変がまだ始まっていない頃である。
そしてこれを十数年座右に置いた。そうすると終戦後二年くらいになった。
私は『正法眼蔵』の扉は「心不可得」だと思った。その扉を開く鍵は「生死去来」だと思った。
この鍵ならば私はもう持っている。過去世が懐かしくて仕方がないのである。

ある日私はじっと座って思いをこの「生死去来」の四字に凝し続けていた。
時はどんどん流れていっただろう。
と、突然私は僧たちにかつぎ込まれた。
見るとそこは禅寺の一室、中央に一人の禅師が立ち、左右に僧が列立している。
私はその人が道元禅師であることが直覚的にわかった。

畳を踏んで禅師に近づくと、まるで打たれるような威儀でしばらく顔が上げられなかった。
顔を上げると禅師は私に無言の御説法をして下さった。
無言の御説法というのは不思議なものでそれが続いているうちは私は絶えず不思議な圧力を感じ続けていた。

やがてまた畳を踏んで退き、僧たちにかつぎ出された。
われに返ると私は部屋の畳に座り続けていたのだが、足の裏にはまだ寺院の畳をふんだ感触が残っていた。

以後私は『正法眼蔵』はどこを開いても手に取るようにわかる。
しかしこれは言葉には言えない(絵のような本であるため)。
このことは今日に到っても少しも変わらない。

298:考える名無しさん
14/05/16 23:45:32.31 0.net
高瀬正仁「岡潔―数学の詩人」より 奈良女子大学

プリンストンの高等学術研究所で岡潔の研究成果を講義したカール・ルートヴィヒ・ジーゲルは、20世紀を生きた数学者だが、
前世紀、すなわち「理想を追い求める心」が偏在していた19世紀のドイツの数学の魂を継承する偉大な数学者である。
(第一次世界大戦もそうだが)第二次世界大戦あたりを境にして数学の潮流は大きく変り、
理想を追い求めるというロマンチシズムよりもむしろ抽象性を尊ぶという方向に傾斜したが、
ジーゲルはこれが不満で、抽象的な数学を「空集合の理論」と呼んで軽蔑した。

フランス生まれのアメリカの数学者サージ・ラングが『ディオファントス幾何学』(1962年)という
数論幾何の本を出したときのことである。
この本にはかつてジーゲルが証明した定理なども紹介されていたのだが、
ジーゲルはこの書物の�


299:L述様式を慨嘆し、イギリスの数学者モーデルに宛てて手紙(1964年3月3日付)を書いて、 「ラグランジュやガウスなど、数論の偉大な師匠たちが開いた数論の花園に闖入(ちんにゅう)した一匹の豚のようだ」などと酷評した。 「一匹の豚」というのはこの本のことのようでもあり、著者のラングのことのようでもある。 ひたすら抽象に向かおうとする数学の新傾向は、数学者の世界にも大きな亀裂を生み出したのである。



300:考える名無しさん
14/05/16 23:53:11.97 0.net
昭和33年(1958年)の春、来日したジーゲルは岡潔との面会を強く望み、奈良に岡潔を訪ねていった。
『春雨の曲』に書き留められた回想によると、ジーゲルは「おお、オカ」と言って抱きついて、
「近ごろの数学をどう思うか」と、いきなり尋ねてきたという。
ジーゲルは論文を通じて岡潔を知り、同じ数学の心が共有されている様子を目の当たりにして、
心から共感し、共鳴していたのである。

301:考える名無しさん
14/05/17 00:05:11.03 0.net
第十論文

この序文では技術上の細部には立ち入らずに、
私がこの論文を書き終えて感じていることを説明するために、
遠い昔から日本民族に固有の感情である季節感に訴えたいと思う。
今日の数学の進展には抽象に向かう傾向が見られる。
われわれの研究分野においてさえも、諸定理はますます一般的になり、
それらのうちのいくつかは複素変数の空間から離れてしまった。
私はこれは冬だと感じた。
私は長い間、もう一度春がめぐってくるのを待ち続けた。
そうして春の気配を感じさせてくれる研究をしたいと思った。
この論文は一番はじめに摘まれた果実である。

302:考える名無しさん
14/05/17 00:17:43.15 0.net
春宵十話 1963年2月

数学の世界で第二次大戦の五、六年前から出てきた傾向は「抽象化」で、
内容の細かい点は抜く代わりに一般性を持つのが喜ばれた。
それは戦後さらに著しくなっている。
風景でいえば冬の野の感じで、からっとしており、雪も降り風も吹く。
こういうところもいいが、人の住めるところではない。
そこで私は一つ季節を回してやろうと思って、
早春の花園のような感じのものを二、三続けて書こうと思い立った。

303:考える名無しさん
14/05/17 00:55:11.86 0.net
>>264訂正 偏在→遍在

304:考える名無しさん
14/06/03 04:11:49.44 0.net
小林秀雄「学生との対話」

小林:僕は教育者じゃないから、教師としては人の前に現れません。
そんな資格を僕が持っているとは思わない。
僕はまあ、隠居だな(笑)。
横丁の隠居でいたほうが、何かをすることができるのではないかと自分で思っています。
いろんな人にいろんな素質がありますよ。

305:考える名無しさん
14/06/03 04:14:33.29 0.net
小林:自分は死んでもこのほうが正しいと思うと、人を殺すね。
僕はそういうことも考えたこともある。
正しくないやつを殺さなきゃならんでしょう。
自分が死のうと覚悟したときに、やっぱり人を殺す覚悟をしますな。
そうじゃないですか。

306:考える名無しさん
14/06/03 18:37:20.58 0.net
小林:僕ばかりにしゃべらさないで、諸君と少し対話しようじゃないか。
僕は学校の先生をしていたことがあって、「質問は?」とよく学生に訊いたものです。
すると誰かが質問するね。「何だ、おまえ、なぜそんな質問をするか」と怒ったりした(笑)。
そういう覚えがあります。実際、質問するというのは難しいことです。
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。
僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。
僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。
ただ、正しく訊くことはできる。

307:考える名無しさん
14/06/16 01:21:35.30 0.net
学生:私は大学で自然科学の勉強をしています。
自然科学は、「事実の解明」ということが最大の目的ですが、
そういう学問の性格と、私自身が信念を持って生きていくということは、どのように関わりあうものでしょうか。

小林:あなたは、信念と知識が対立することに不安を持っているのですね。
孔子は「知る者は好む者に如かず。好む者は楽しむ者に如かず」と言っています。
知るというだけでは、大したことはないのです。
知ることが楽しみにならなければ、つまり、喜びにならなければ、知ってもしようがない。
信念があるとは、喜びがあるということです。

僕が若い人の質問を受けて一番困るのは、「好む」とか「喜ぶ」とかが基とならないで、
ただ「知る」ということから質問されることです。
偉い人の仕事を見ると、まず初めに仕事を好むことが土台になっている。
その仕事に没頭できるか、できないかが、最初の問題です。
科学の仕事は物事をはっきりと知ることにあるが、
その知識を我がものとする喜びを感じていなければ、知識が信念に育つ事はあるまいし、
逆にこの喜びがいつも実感できていれば、科学者はその信念に生きるでしょう。

308:考える名無しさん
14/06/16 01:38:36.99 0.net
小林:ソクラテスの「無知の知」と孔子の「知らざるを知らずとせよ。これ知るなり」とは同じ意味だと考えてもいいでしょう。
偉い人の言葉はみな同じようなことになるのは不思議です。
そしてみな大変やさしいことをいっています。

本当にいい音楽とか、いい絵とかには、何か非常にやさしい、当り前なものがあります。
真理というものも、ほんとうは大変やさしく、単純なものではないでしょうか。
現代の絵や音楽には、その単純なものが抜け落ちています。
そしてそれは現代人の知恵にも抜けていることを、私は強く感じます。
たとえばデカルトには、何か近代人の及びもつかない単純性がある。
明るくて、建設的なものがあり、陰気なものは影も形もないのです。
けれども、現代の思想には、憂鬱、皮肉、裏面、女々しさが倒錯して第一義にあるかのようです。
デカルトには実に男性的なものがあって、そこに私はひかれます。

徳川の勃興期の儒学などにも、明るさと単純さがありますよ。
本居宣長もそうです。大変明るくて、皮肉とか陰気とかいうものがまったくない。自分の仕事を信じきっているのです。
現代に欠けている一番重大なものは、そういうものではないかと思っています。

309:考える名無しさん
14/06/16 01:48:06.01 0.net
胡蘭成「岡潔集 第5巻しおり」

私は岡潔先生に叱られたことがある。
去る秋、和歌山の座談会で、私は学生の質問に答えるに、
アインシュタインの相対論がニュートンの力学より複雑、進歩であったと言った途端に、
これは俗説、口のすべりだったなと自ら気にするが早いか、岡先生の怒鳴に遇った。
『バカ、何がアインシュタインの相対論はニュートンの力学より進歩した、何が進歩して複雑になるもんか、進歩しては単純になるのだ』と叱った。

※本当の進歩とは、>>2のように、無限に捨てることで無限に自ずと向上していくということです。
 唯識論であれば、…、10、9、8、7、…と行くのではなく、…、7、8、9、10、…と行くのです。

310:考える名無しさん
14/06/18 21:31:53.46 0.net
人は極端になにかをやれば、必ず好きになる。好きにならないのがむしろ不思議だ。って岡は言ってるもんな。

311:考える名無しさん
14/06/19 01:29:17.69 0.net
例えば2chとかねw

312:考える名無しさん
14/06/19 04:04:53.76 0.net
戦後、日本酒の個性が無くなって甘くなったし不味くなったって小林秀雄が言っとったわ
ワインやウイスキーは良くなったけど

313:考える名無しさん
14/06/19 04:08:49.03 0.net
物を生かすのを忘れて、技術的につくりだす方ばかりをやりだしたから日本酒が不味くなったんやろうな

314:考える名無しさん
14/06/19 06:23:11.35 0.net
小林秀雄「学生との対話」

女子学生:先生のお仕事は非常に多岐にわたっておられて、
初期はフランス文学、そののち近代文学の評論とか音楽や美術などについて書かれ、
そして最近は本居宣長という古典のご研究をされたわけですが、
そのお仕事の中にはやはり一貫して流れているものがあるのだと思います。
先生が、こう言っては失礼かもしれませんが、人生の秋を迎えられた時、
宣長という人物の研究をせざるをえなかった、その由縁、いきさつをお伺いしたいのです。

小林:これは非常に簡単なことでしてね、自分の一生というものを振り返ってみますと、僕は計画が立たない男です。
計画を立てて何かをしたということは、まずないんですよ。
その場その場に解決していったものの積み重なりが、いつの間にか宣長さんにまで向いていったのです。
僕の仕事は、何か一つの感動とか、ある直覚とか、そんなものがいつでも先にあるのです。
はじめに、漠然としたものかもしれないけれども、明瞭な感動があるんです。
そういう感動に次、次、次とこう連なって出会ってきた。
これは計画ではないですね。僕はついに計画が立たなかったな。

315:考える名無しさん
14/06/19 06:32:34.42 0.net
女子学生:その計画のなさというなかにも、振り返ってみられて、
一筋通っている道というものを先生は意識されておられませんか。

小林:行き当たりばったり、というのが人生というものではないかな。僕はそんなふうに思うんです。
ただ、計画的な学問というのはありますよ。学問を究めるために一生、ある道を計画的に進んでいく例はたくさんありますが、
僕みたいな生き方のほうが普通なんじゃないですかね。どうもそんなふうに思えます。
どうしてこんなふうに生きてきたのか振り返った時に、自分がこうなった原因がどこかにあったような気がするだけではないのですかね。
よく僕は、お前のやってきたことを書けと言われるのですが、困ってしまうのです。
無計画にやってきて、その結果こんなふうになっただけだから、うまく書けないんですね。

316:考える名無しさん
14/06/19 06:54:06.04 0.net
小林:だから、どうして宣長までたどり着いたか、確かなことは言えません。
ただ、感動から始めたということだけは間違いない。
感動というものは、いつでも統一されているものです。分裂した感動なんてありません。
感動する時には、世界はなくなるものです。
感動した時には、どんな莫迦でも、いつも自分自身になるのです。
これは天与の知恵だね。人間というのは、そういう生まれつきのものなのだな。
感動しなければ、人間はいつでも分裂しています。
だけど、感動している時には、世界はなくなって、自分自身と一つになれる。
自分自身になるというのは、完全なものです。
莫迦は莫迦なりに、利口は利口なりに、その人なりに完全なものになるのです。
つまり、感動している正体こそが個性ということですよ。

僕の書くものはいつでも感動から始めました。
だから、書いたものの中にいつの間にか僕というものが出てくる。
感動の結果として主観が出てくる。
感動がどこかからやってきたのです。
ですから、あなたのご質問のように、なぜこういうふうになったかという筋道を辿ることはできないのだね。

女子学生:読む側としては、先生の作品一つ一つを丁寧に読んでいけば、
そこに先生のご一生がある、ご生涯を辿ることができると思いながら読むことにします。

小林:�


317:「や、そうお褒めに与かっちゃあ、恐縮しちゃいますがね(笑)。



318:考える名無しさん
14/07/17 17:10:16.62 0.net
新社会主義

※旧社会党の解党時にできた新社会党の政策とは似て非なる政策です。

社会主義の本義は日本から労働者階級というものを雲散霧消させて、
すべての国民が生きがいを感じて生きることができるようにするための衆生済度の菩薩道であるべきである。
これをしなければ民主主義とは言えない。
しかるに自民党屋はそれをせず、社会党屋は逆に労働者階級というものを固執して、
日本国を霧消するため、もっぱら闘争をこれ事としている。「新社会党」の生まれざるを得ないゆえんである。

あなた方は日露戦争前、広瀬中佐の喜びに満ちた生活を露都で見たロシア娘が、
これがほんとうのよろこびというものかとすっかり慕うようになって、
中佐戦死の報を聞いて後一年間ぐらいは亡き人を慕う心をおさえることができなかったという話しを知っていますか。
わかりやすく言えばロシア娘がべたぼれにほれたのである。日本でも江戸時代は恋わずらいで死んだ娘が何人もいる。
ロシア娘の話しは石原慎太郎氏によって知った。
真の喜びは必ず心の安定と生き生きとした生きがいとを伴うものなのである。菩薩道だからそうなるのである。
娘はそれにひかれたのである。

319:考える名無しさん
14/07/17 17:23:02.61 0.net
終戦後は物質主義から生まれた個人主義(閉鎖主義)、
さらにそこから生まれた積極的・消極的利己主義を文章に書いて日本国憲法の原文とし、
それによって憲法法律を作っただけではなく、米人デューイの思想で裏打ちして、
社会通念を作り、新学制を作ったのである。

この方針の教育で京都や博多の日教組の先生たちに教えさせると、「にこりともしない娘」を作ってしまう。
こんな娘に、真の女性の幸福が欲しければ感覚の世界に住んではいけない、情緒の世界に住みなさいと教えてもわかるだろうか。

今の日本は散々にもつれた糸巻きのようなものである。まちがっているところを指摘しようと思えばいくらでもある。
しかしそれをしても無意味であろう。

問題はどこから解きほぐすとうまく全体がほぐれるかということである。
私は前にちょっと言ったように社会主義を新社会主義に変えるところから手をつけていくとよいということを最近やっと発見したのである。
もう一度言うと、日本における新社会主義の真義は日本という国から労働者階級というものを雲散霧消させるにある。
これが「新社会主義」である。

なぜ私は日本ではそれができるに違いないと思っているかというと、それが「神道」だからである。

320:考える名無しさん
14/07/17 17:46:13.28 0.net
新社会主義から実践して行けば、もつれてしまった糸巻きの糸のようなこの国の人の心がうまく解きほぐされよう。

日本が神国だと信じることができた軍国主義の戦前が、ばかだったと思いながらも、懐かしい人たちに言いたい。
内宮さまがほんとうにお望みになっていたのは、この民主主義の本義である。
日本が神国であるというのは、内宮さまのこのお望みを国が実行しようとすれば、
八百万の神々が必ず力を貸すということである。この望みが達成せられないわけはないのである。
私は日本民族の歴史を精しく(くわしく)しらべて、今では確かにそうだと言い切ることができる。

日本民族三十万年の歴史は、前半二十万年ほどは神々はかような内宮さま、外宮さまを生み出すことに努力している。
後半十万年はその内宮さま、外宮さまの御光が遍くこの国の人たちに届くようにと実に苦心している。
日本歴史をそのつもりで見れば、四次元の絵にたとえると、神々の運筆の霊妙さにただただ驚くばかりである。今度の敗戦もそうである。

あなた方は日本が神国だという意味が少しおわかりになったでしょうか。

もしそれを実証したければ、政治の目標をしばらくこの新社会主義の実現にしぼって下さい。
人々の心がさらりと解けていきますから。それが証拠です。
そしたらやはり日本は神国だという気がしてきます。
もっと確かな証拠が欲しいとお思いでしょうが、神々はそれを欲しないのです。

日本が神国だと知ってもらうと新社会主義を心から実践できる。
日本はやはり神国であったかと知るためにはともかく新社会主義を実践してみて欲しい。
私はそう言っているのである。

321:考える名無しさん
14/07/17 18:08:37.66 0.net
国を良くする基

武士道の多くの人たちが命を捨て、高知の坂本龍馬といった解脱した人たちも働いて、
もちろん働いたのは龍馬一人ではないでしょうが、
解脱した人の足跡はわかりにくく、はっきりしているのは龍馬一人だからあげるのですが、
ともかくそういう人たちが働いて明治維新ができます。
つまり、憲法が発布され議会も開かれ、それが今日に至っているわけです。

ところが、前に言ったように明治以降、文学的にみても大いなる喜びというのがない。
なぜこんなにおかしなことになってしまったのだろうか。

江戸時代には明確な階級制がありました。
この階級制度というのは、家康が自分の子孫が長く幕府をやっていられるようにというので考案したものです。
この関係は、単にそれが全体にあっただけでなしに、各藩内でもそれが厳しくあった。
土佐、山内藩にはことにそれがひどかった。
なぜかというと、あそこは掛川一万石から一躍二十万石余りになったのだが、
土佐藩にはそれまで長曽我部の家来だった郷士と、山内家の家来だった上士という二つの系列があって、
この郷士と上士の差別が実に徹底していたということです。

坂本龍馬は郷士の家に生まれていますが、
彼は「アメリカでは女中のはしばしまでが大統領を選ぶ権利があるのだというが、ええのう」と、こう言っている。
本当に良い政治を実現するには、女中のはしばしまで龍馬のような心を持たせなければいけないわけです。
つまり、制度と心の両方あってはじめて「ええのう」になるのです。

322:考える名無しさん
14/07/17 18:31:16.92 0.net
龍馬は、みんな人は自分のような心だと思った。
ただ、政治形態が日本、とりわけ土佐藩になくてアメリカにあったから―これは勝海舟かなんかに話を聞いたのでしょう。
それで「ええのう」と言ったのです。
しかし明治以降、長い間にこの龍馬の憧れは実現してきている。
つまり、半分だけは明治維新はできたわけです。ですが、残り半分が残っています。

今、日本の政治の形式では、一人一人が一票を持っている。
とすれば政治的に日本の国を良くするのは何かというと、
一番影響を与えるのはつまるところ、各人の道徳的価値判断になるわけです。
一票をどう入れるかということで一番変わる。

従ってこの政治形態をそのまま守り抜くなら、
国を良くするも悪くするも一番関係するのは道徳的価値判断ということです。
これが最も大切で、理想としては龍馬のような解脱した人にもっていくべきです。
だから目標に少しでも善い人を善い人をというのが国のうまくいく所以でしょう。
政治形態を変えればこれが易々とできると考えたところに、
龍馬ら、その後をずっと続いてきた人たちの大変大きな誤りがある。

日本民族というのはどういう心の色彩りの民族なのか、我々は川の流れるままに流れてここに来ています。
日本は儒教、仏教と千三百年真剣にやってきて、しかし小我を抑えることはうまくいかなかった。
これは非常に難しい。
けれどそうする以外に、つまり小我を抑える以外にはこのままの政治形態で国を良くする方法がない。
それを知っていただきたいと思います。

323:考える名無しさん
14/07/20 20:04:12.34 0.net
コーヒー、まだ来ない?

(岡潔)
あなた、懐かしさありますか。
精神分裂症(統合失調症)っていうのがあるでしょう。ボヤーッとする!(笑)
懐かしさが足りない。前世に利己的過ぎる。ただボヤーッとする!
それが懐かしさです。だから利己主義であっちゃあ駄目なんです。
懐かしさが足りなくなる。分かりますか。
精神分裂病なんて、症状だけ良くなっても、本心からは治らないですよ、あんな者ちょっと。
前世でひどく利己的だった。それで初めから、粘土でいえばサクサクした粘土。それで、ある所へ来て破綻が出る。
そしたらボヤーッとする。まとまらない。
懐かしさって言葉でいったって内容分からんでしょう。それを知らなきゃいかん。
人は一個の有機体と普通言ってますが、一つの「もの」でしょう。
何故、一つの「もの」にまとまってるのかと思わないといけない。
懐かしさです。足りないと精神が分裂する。

※精神疾患についてはごくごく大雑把に言うと、
 自他対立するのが統合失調症、自他対立しないのが躁うつ病、
 阿頼耶識にいる幽霊に憑依されてしまうのがてんかんとなります。

324:考える名無しさん
14/07/20 20:16:29.52 0.net
(質問)
先生は今までの長い人生の中で、一番自分の弱さというものを感じたことがおありですか。

(岡潔)
ありません。私は日本が滅びなければ良い!それ以外、何も考えてやしない。
弱さも強さもない!だから偉さもない!大体、「自分の」ってものがない!

自己を見い出すなんちゅうのは意識通してるでしょう。
意識を通さんていう分り方ができるのが分らんていう人は、六十日ぐらいの赤ん坊を見てごらんなさい。
自己を見い出すなんていうのはもう前頭葉なん!懐かしくて仕方がないんです。
そこに主宰性はあっても、自己なんてものはない!
自己を見い出すなんていうのは最もいかん!そう教えるから困る!
それは前頭葉、だから意識を通さんといってる。赤ん坊は自己を見い出してますか!
あなたは前頭葉しか知らん!容易に治りません。(爆笑)
徹底的に分らん!意識って何か分らんでしょう。というのは無意識になったことないんだから。

325:考える名無しさん
14/07/20 20:36:20.33 0.net
(岡潔)
本当に大切なことは言葉では言い表せないという、それを知りなさい。

君、実感て何かわかってんのか。

(質問)
はい。やっぱり、あのう、先生、どういうんですか、悲しいと思った時に涙が出るとか。

(岡潔)
そんなの実感じゃない!全然、わかってないんだから。

(質問)
わかってないと思いますか。

(岡潔)
それは感情だ。あのう、わかってやせんのにわかったと思うのが一番いけない。
僕の本をわかってないとこをわかってないとして読みなさい。そしたら、わかって来ることもあるから。
季節感は実感です!だから僕は「秋風が吹けば、もの悲しい」と書いたんです。
あれは実感です、私(わたくし)の入れようがない。涙はうれしい時に出るんです!
これが頭頂葉。悲しい時に出れば前頭葉。それで見分けたらいい。

326:考える名無しさん
14/07/24 21:45:38.48 0.net
松岡正剛の千夜千冊 947夜

情緒を問題にするにあたって、厄介なのは「自分」ということであろう。
日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。
こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。

「自分」がでしゃばってくると、本当にわかるということと、わからないということがごちゃごちゃになってくる。
そして「自分」に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。
これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。
こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。

仏教では、この「わからない」という知覚の一レベルのことを「無明」(むみょう)というけれど、
この無明を連発するようになるようなら、その人もその人が所属する社会も、混乱するか、自分主義の社会になる。
たんに「わからない」と言わないで、「無明」に謙虚にむきあって「無明の明」を知るべきだ。

327:考える名無しさん
14/07/24 21:47:48.84 0.net
※947夜は春宵十話についてでしたが、別な岡の著書についても触れられていました。

328:考える名無しさん
14/08/17 22:25:02.84 0.net
逸品!「岡潔博士みやげ作品」企画展~JR橋本駅

和歌山県橋本市の名誉市民で世界的な数学者・岡潔(おか・きよし)博士(1901~78年)直筆の
俳句・短歌・金言を記した木工芸品を紹介する、
第1回特別企画展「岡潔博士のみやげ作品展」が、同市古佐田のJR橋本駅改札口前のショーケースで開かれている。
制作者の橋本市岡潔数学WAVE役員・奥村浩章(おくむら・ひろあき)さんは
「日本人の情(じょう)を最も大切にした、岡博士の思想を、ぜひ、作品から感じてほしい」と言っている。
9月20日(土)まで。観賞無料。




329:W示されているのは、岡博士の顔のイラストや、直筆の俳句・短歌・金言などを記した額(がく)や団扇(うちわ)、 風鈴短冊(ふうりんたんざく)、栞(しおり)など約40点で、 南部(なんぶ)風鈴以外は高野杉を使用、奥村さん独自の特許技術で、優雅に仕上げられている。



330:考える名無しさん
14/08/17 22:25:39.24 0.net
木工作品に記された俳句は、例えば「めぐり来て梅懐かしき匂ひかな」「秋来ぬとひとり蛙を聞く夜かな」、
短歌は「かす漬の海豚にビールや夏の風」など、そこには自然感や季節感があふれている。

金言は「私が初めて道徳教育を受けたのは、数え年五つの時だった。
これは祖父から受けたもので、一口にいえば『ひとを先にして、自分をあとにせよ』という教育だった」と、
人間にとっての大切な生き方、心がけを簡潔明瞭に説いている。

これらは、岡博士の著書「春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)」「春風夏雨(しゅんぷうかう)」などから抜粋、
岡家の承諾を得たうえで、直筆を作品に生かした。
また、地元の童話作家・佐藤律子(さとう・りつこ)さん著の伝記絵本「岡潔博士ってだーれ?」も展示されている。
この橋本駅改札口前のショーケースは、橋本市観光協会がJR西日本の協力を得て、
いわば「常設展」として、国の伝統的工芸品・紀州へら竿や、地場産業・高野口のパイル織物などを展示してきたが、
「今後はもっと郷土自慢の品々を見てもらおう」と、今回から「特別企画展」に変更した。

奥村さんは「岡博士は数学の世界的な難問を見事解決し、文化勲章受の章者ですが、
それとともに岡博士は人類の正しい生き方を説き、日本人にしか持ち合わせていない〝情の世界〟を最も評価された先哲です」と強調。
「橋本駅に来られた際は、ぜひ、木工作品をご覧になり、岡博士の思想に触れてほしい」と言っている。
(2014年8月15日 橋本新聞)

331:考える名無しさん
14/08/17 23:04:29.22 0.net
結婚式での、碁の話で盛り上がるエピソード好き。

332:考える名無しさん
14/08/21 12:39:30.98 0.net
>>293
岡博士の「情の世界」を、哲学的論理として、もう少し具体的に
説明を願います。

333:考える名無しさん
14/09/04 21:39:05.84 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識下層の文例(其の一)

「我嫌悪ス、故ニ我有リ」
経済学部二年 男子学生

朝起きる。カーテンのすき間から差し込む陽の中に細菌のようなホコリが舞っている。
めざめればめざめるで混乱と汚濁の波が押し寄せて来る。「お早う醜い世界よ人生よ」
求めるのは明晰と云う快楽なのに、現実はどうにもならない雑音と絶望的にまとまりのない雑多なモノ、物、者、つまり……「死刑」だ。
電話をしなければならない。電話ボックスをさがす。マーケットの地下の赤電話。
めざす電話のまわりに、これはどうしたことか中年の女が十数人群れている。
グループで旅行か、妙にウキウキとペチャペチャとけたたましい会話である。地獄でもパック旅行へ行きやがれ。
とうていそこで電話などする気になれず、人工的なナマアタタカイ陽の中をなるべく汚い空気を吸わないように街を歩いて行く。
なんだか顔中に


334:クモの巣がかかったような不快な気分だったのである。



335:考える名無しさん
14/09/04 21:57:22.09 0.net
電話をみつける。番号を書いたノートがカバンの中からなかなか出てこない。
「ウニー、引きちぎってやるか、このズタブクロ」やっと取り出してペラペラページをめくっていると、
はさんであった、たった一通のラブレターらしきものが地面に落ちる。「ほんとかよ、神様!」
人生はどうしてこうドジなのだ。地に落ちた物を拾う人間のみじめさよ。
たかが電話をかけるだけで人間はこんな業苦を味わわなければならないのです。
「あーもしもし」。舌がもつれてうまくしゃべれない。声帯がやぶれた笛みたいに不安定で不快だ。
ド ド ドモル。「馬鹿にするな、本当に」
ノート、ノート、ノート。学生にはノートは絶対必要。
ノート、ノート、ペン、ペン!あーあ、かかえていたカバンの上から上着がズリ落ちる。
「クソー、殺セーッ!」心臓はドクドクドクと不愉快をそのまゝのオフビートで打つし、体中の血管がヒクヒクとあえぎ、
たかが電話するだけで、油汗たらしてこのしまつだ。
考えてみると電話というものは更に便利だけど、またその便利さを知っているが故の不便さもある。
とかく文明の利器とやらはそういうものであろう。
自宅に電話がない場合にはいちいち外に出掛けていかなければならないし、雨降りの時などは億劫でしようがない。
ましてや十円玉がない時など、タバコの自動販売機でハイライトを二つ三つ買って、その釣銭を集めねばならない。
ハイライト党ならともかく、他の党の人達はどうなることやら。
それも百円玉が昔なら一枚、今なら二枚も使わなければならず、
百円玉もない場合は夜更けの暗闇にひとり青白く光っている女神様のような公衆電話ボックスを恨みがましく思い描かねばならない。
なければないですむのだけど、思いたったときしか、また電話などめんどうくさいもの。

336:考える名無しさん
14/09/04 22:13:05.82 0.net
ダイヤルを廻す。すると呼び出し音が聞こえ、相手が出て来る。もしもし……。
ぼくの声は相手のすぐ耳許で聞こえるだろう。たぶんすぐ隣りで話しかけるよりもよく聞えるだろう。
ぼくの声は、その音波に応じた電流に変られ、電話線にのり、近くの電信柱の碍子(がいし)を横切り、
途中どこかの街を通り、見知らぬ家々を飛びこえ、相手の受話器にほんの数秒でとどく。
もしできることなら、その電流の通った電線の上をどこまでも歩いていきたい。きっと素晴らしい旅になると思う。
そんな夢に反して、もう心はズタズタだ。
汚い街よ、汚い人間よ、其の中を歩いて行くだけだって立派な冒険小説が千本も書けるのに。
太平洋一人ぼっち。大都会全部ぼっち。
駅の階段をのぼる。「おい、ぶつかるな、触るなオレに。ナマ温い醜い体温こそ、最悪のブルースリーだ。」
人間の有史以来、ラッシュの駅の階段程、みじめで薄ぎたなく苦痛な空間はない。
あわれな階段、はずかしめられた階段、階段よ反乱を起こせ。起って人間をコンクリートにたたきつぶせ。
醜い人間だが、大量の血だけがかろうじて許せる美をもつ。
電車にのる。妙な位置に立っている奴がいるので肩がぶつかり落着きがわるい。
中があいているので入ってしまおうとするが、新聞を拡げて立ちふさがっている。濡


337:れた傘を無神経にぶっつけてくる。



338:考える名無しさん
14/09/04 22:23:06.29 0.net
衝突せよ。ダンプにだろうが、なんだろうが。
まわたで首をしめられる不快よりは、ポーンとあっさり一丁あがりのほうが親切というものです。
それにしても周囲を見わたしてみると、みんな素知らぬ顔をして平然としている。
さて、今日もこれから一日が始まるのです。
「モーターボートの収益金は明るい国づくり、豊かな暮しのために役立っています」。
まずはともかく、やり切れぬ現実と「ひと目会うその日から、殺意の花咲くこともあるが」、へたに刺せば刃物が腐る。

そして十代や二十代の人ばかりでなく、三十代四十代でいまだにグレている人間がいるから気をつけましょう。
また世の中をスネた考えばかりでなく、人とは美しいものである。これを考えて見る必要があるのではなかろうか。

339:考える名無しさん
14/09/04 22:47:28.34 0.net
以下(「春雨の曲」の)著者の言。
人の「こころ」には三種類ある。真心、第一種マナ識、第二種マナ識。
真心は造化の心即ち「こころそのものと其の上のいのちそのもの」の末流であって、
生物が生きているのはそのためである。人の場合はこのこころは植物性神経系を使っている。

第二種マナ識とはこれとは全く異質のこころであって、動きもすれば彼らなりに雰囲気もわかるが、
生きているわけでもなければ、人のこころがわかるわけでもない。
わたしは且つてα₁⁰にこんな白昼夢を見せて貰ったことがある。

わたしの部屋のテーブルが自分の上に、わたしの好みのコーヒーと角砂糖とミルクとを載せて、
足も動かさないで滑るように動いてわたしの前へ来た。
このテーブルの主人公が第二種マナ識である。天上ではこの心を使って、スマートな機械を造っている。

造化は主としてこの心を使って人の「からだ」(第七識中、下層)を作ったのであって、
前五識即ち眼、耳、鼻、舌、身はこれに属する。

人が第七識下層にいるとは、この心が其の人の主人公になっていると云う意味である。

スポーツを奨励し過ぎたり、衝動判断を奨励したり、善悪を快不快によって判断させたりしていると、
人はこの第二種マナ識の国へ行ってしまうだろう。新学制を根本から改めなければならぬ所以である。

340:考える名無しさん
14/09/04 23:06:15.87 0.net
日本民族の人は然し、西洋型無明に冒されているために第七識下層にいるのだから時が来れば目が覚める。
現に此の文の筆者には、文の末段に自覚の曙光が仄かに見える。

一般に云って其の人の大脳前頭葉と云うフィルムで造化の放送する無相の情景をテレビ写真に撮れば、
此の人の場合にはこんな文章となって現像されるのである。

この文の描いている情景は(携帯電話やスマートフォンの無い時代に)朝起きて電話を掛けに行ったと云うごく簡単な出来事である。
読んで見ると中々文才があるが、悲願が支離滅裂である。この人はビールス型無明(ウイルス型無明)に冒されているのである。

(帰郷してからの言葉。本当はこの文章は造化の無相の二尊T-Aがお撮りになったテレビ写真の現像です。
造化のお使いになっている有相のフィルムは、第十五識、第十四識、第十二識、第十一識、第九識、第七識(純即ち上層)の五種類です。
これは「朝の電話」とでも題すべき情景でビールス型無明の患者の典型です。一々言いませんが以下の文例はすべてそうです。)

341:考える名無しさん
14/09/04 23:24:18.83 0.net
「ここから何時も」より ガン

前頭葉(第1の心)なしにはガンは起こらん。これが本質的なことです。
無理にこしらえることはできる。


342:が、自然発生のガンは前頭葉を持たない動物にはない。欲界です、これは。(省略) 頭頂葉(第2の心)なんかが肉体を支配するのが正しい。私はそうなってるとガンは起こらないと思います。 少なくとも頭頂葉が体を支配してたら、無闇に背が伸びたり、おかしな顔つきになったり、そういうことは決して起こらない。 頭頂葉が支配しないから、前頭葉がいろんなこと言いだすんです。欲界の心がね、ここは欲界なんです。 ※前頭葉が暴走して植物神経系(自律神経系)のうち交感神経優位になると、  細菌と比べてのウイルスの相対的増加、リンパ球と比べての顆粒球の相対的増加、便秘などに繋がり、発癌に直結します。



343:考える名無しさん
14/09/15 04:22:45.96 O.net
「マガジン9 みんなのこえvol294」より 養老孟司氏に進言する。

最近、『アエラ』に発表された解剖学者養老孟司氏の福島原発事故に関する文章を読んだ。
彼はこの中で、原発推進派も原発反対派も喧嘩両成敗であるかのような主旨のことを書いている。

こんな養老氏に比べれば、今回の事故をきっかけに、
原発賛成派から反対派に転じた「つくる会」の創設者の一人であった西尾幹二氏の方がずっと潔い。
養老氏には自分の間違いを認める勇気がないらしい。

私はこの文章を読んで、かつて歴史学者の羽仁五郎が文化勲章受賞の数学者岡潔を評して
「数学の世界ではどれほどの権威か知らないが、こと世の中のこと、
社会のことになるとまるで田舎の巡査みたいなことを言い出す」と言っていたのを思い出した。
この羽仁五郎の言葉はそのまま養老孟司氏に当てはまる。

養老孟司氏よ、『バカの壁』のような愚書を出したり、
今回のような妄言を書くくらいなら解剖学に専念するか、
虫でも追いかけていた方がずっと世のため人のためになると進言したい。

344:考える名無しさん
14/09/15 04:42:19.08 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識下層の文例(其の二)(第8稿では第五識)

「日本の農奴制」
経済学部二年 男子学生

紀元前二世紀頃から日本に於て文化の歴史が開始された。
そして世界と同じように、日本に於ても最初の文化人は農民だったのである。
そしてこれらの古代日本の人民、農民の残した土器の美しさにも表わされている彼等の生活の美しさははるかに遅れながらも、
世界の人民原始農民のそれにつらなっていた。
当時の日本人民も世界の原始社会に於て推定された生活をしていたと推定される。
その氏族社会としての性格、その原始共産社会としての性格、分業は既に始まっていたが、
支配者と支配されるものとの階級の差別はなく、氏族のメンバーとしての総ての男女が原始的な自由平等友愛に於て、
絶えず会議をして、その原始社会を運営していた状態が未だ不完全だが学問的に推定されつつあり、
今後、さらに詳細に推定されるだろう。

世界の人類の原始氏族社会が、そこに於ける生産力発達につれて崩壊して、
そこに少数の支配者が人民の多数を奴隷として所有し使役する古代奴隷社会が現われたように、日本に於ても魏志倭人伝によれば、
紀元一世紀頃から人民の多数が少数の支配者によって所有され使役されるに到ったことが知られる。
日本の古代奴隷社会は、その特色を持っている。
そして、この特色をもって、日本の古代に奴隷はいたが、人民の多数が奴隷として支配されていたのではなく、
したがって日本古代を奴隷社会として規定することはむつかしい、とする研究者達の説がある。
が、これらの説はちがっているとみられる。

345:考える名無しさん
14/09/15 04:58:24.36 0.net
第一に古代の日本に於て、人民の男女が公然と奴隷として公認され、売買され所有され、
当時の主要の生産としての農業にこれらの奴隷が使役されていた証拠がある。

第二に、これらの奴隷の数が、人口の総数に比べて、むしろ多数ではなく、
古代ギリシャに於ては全人口の九割内外が奴隷であったのに比べて
古代日本に於ては全人口の二割内外が奴隷であったに過ぎなかったことは事実であるが、
それと同時に、見落してはならないことは、日本の場合には奴隷が極めて少数の特権的支配者の手に集中的に所有され、
即ち全国民の生産又は富の程度は非常に低く貧しかったのに、その程度の生産が特権階級の手に集中的に所有され、
全人口的には数の多くない奴隷が極めて少数の特権階級、
天皇及び其の周囲の貴族又地方の豪族などの手には実に大量に数十または数百、数千人というように集中させていた事実である。

そして第三に、特権階級の支配としての古代日本天皇制の下に、
日本人民の大多数は実質的に奴隷として又は奴隷に近い状態として、いわゆる部民として世襲的に支配されていたのである。

ゆえに、日本の古代社会がまぎれもない奴隷社会であり、しかも非常に残酷な性格を持っていた奴隷社会であったことがはっきりわかるのである。

346:考える名無しさん
14/09/15 05:26:37.63 0.net
日本の古代の社会の奴隷制も日本の原始的な氏族社会の崩壊のあとに、新たに成立したものであったが、
そこに氏族社会末期の社会関係の残存または癒着が外被として利用され、ここに日本のいわゆる氏族制度というものが形成されていた。
従来の日本の歴史家がこの氏族制度を氏族社会と混同していた理由もここにあった。
氏族社会は原始的平等を本質としたものであったが、氏族制度は階級制度を本質とし、
氏族社会の崩壊後に発生した奴隷制を基礎とした社会であった。
ところが日本に於ては、そこに氏族社会の残存がヨーロッパの古代に於けるように完全に清掃されずその残存の癒着の外被の下に、
氏姓階級という支配階級が形成され、その下に、当時の日本の人民の大多数が、あるいは純然たる奴隷として、
いわゆる氏上すなわち氏及び姓という特権的位階を持つ階級に直接隷属して労役に服し、
売買はされないが贈与されることはあった部民すなわち実質的の奴隷に近い隷属民として、
又はこの部民と同等の社会的地位に置かれたいわゆる戸すなわち半奴隷的な人民として支配されたのであった。

その間に、日本の人民がこうして氏族制特権階級のために奴隷として支配されることに対し、
しきりに反抗反乱するに到った事実は、古事記や日本書紀などにも表われているが、
これ等の奴隷反乱に対し、貴族豪族は個々別々ではそれらの奴隷反乱としての人民の反抗を圧服出来なくなるとともに、
ついにこれらの貴族豪族が連合して、この日本人民の奴隷反乱を圧倒しようとした。
この日本人民の反抗としての奴隷反乱の弾圧のための豪族連合、
ここに日本武尊の東征とか四道将軍とかのいわゆる諸国平定の物語りは、
歴史的記事ではなく、天皇の支配を恒久かつ強力に見せかけようとした製作であったが、
そこにも奴隷反乱弾圧の体系の中心としての天皇制の起源と本質とが表わされた。

347:考える名無しさん
14/09/15 05:39:54.60 0.net
古事記、日本書紀にしばしば天皇が恐ろしい人物として残虐極まりない行為をもって記されていることについて従来の研究者の説明は正確でない。
これらの記事は、古事記・日本書紀が客観的な歴史叙述であることを示している。などといった説は馬鹿気ている。
正しい解釈は次のように考える外あるまい。
即ち、日本人民が奴隷として支配される生活に反抗し反乱するようなことをすれば、いかに恐ろしい目にあわなければならないか、
このことを日本人民に対して威嚇するために、
日本天皇は充分に恐ろしい残虐な専制支配者として示される必要があり、
又そうした事実があっただろう。

348:考える名無しさん
14/09/15 06:00:50.80 0.net
ヨーロッパの古代の社会は、奴隷制に基礎しつつ、農業及び商工業の高まりにより、
氏族社会未明の残存を完全に清掃し、貴族王朝の交替又は更に進んで共和制の実現に到達したが、
日本に於ては�


349:熾狽フ経済的発達と周囲経済的との相互作用の加速度がヨーロッパのように高まることが出来ないが、 アジア的停滞凝固のもとに、氏族社会末期の崩壊の残存癒着が外被として作用されながら、 奴隷所有者階級の集中から奴隷制国家の君主としての天皇制が成立し存続し、 そこに、そのとき既に大陸に中国に於て封建支配の社会が発達していた影響を受けて、 日本の古代奴隷社会はヨーロッパの古典古代のような発達の階段への到達を実現することなく、 原始的な階級支配としての奴隷に原始的な階級支配としての農奴制がまじった 云わば半奴隷的半農奴的段階から封建制農奴社会に移って行ってしまった。 日本にヨーロッパの古典古代のような時代が実現されたことがなかったことが、 近代に於けるヒューマニズムの問題に影響していることをここに附言して置こう。 ヨーロッパの近代のヒューマニズムは中世の封建的支配が残酷な抑圧となった時、 これに対して近代的な人間的な欲求を主張するために、 古典古代の共和制的な自由平等が愛の人間的文化の教養に助けられることができた。 しかし、日本に於てはヒューマニズムがヨーロッパに於けるように、 中世の封建的支配をハッキリと批判するに到ることができなかったし、 又その際、古典古代の共和制的な人間的文化教養に助けられるというような古典古代がなかった。 参考文献、「日本人民の歴史」、羽仁五郎著、岩波新書版。



350:考える名無しさん
14/09/15 09:03:52.48 0.net
此の文の筆者及び其のオリジナルテキストの「日本人民の歴史」の著者羽仁五郎氏は第二種マナ識の国の大衆の二人である。
真心の国に住む日本民族と常日頃見たり想ったりわかったりしている情景が全く異質のものであることを
此の文とわたしが此の節の冒頭で述べた文とを比較して知って欲しい。

日本の天皇家についてはみなさんに次の書をお読みになることをお勧めする。
「宮中見聞録」木下道雄著 新小説社、明治百年記念出版

また、胡蘭成さんと云う中国人がある。汪兆銘政府の若手のチャキチャキ、法制局長官兼情報局長官をしていて、
この政府が瓦解した時難を日本に逃れ以来最近まで長く日本にいた。
今は台湾の何処かの大学で経済学の講義をしている。
此の人は日本語で多くの著書を出して、日本や中国に西洋思想が東洋に取って如何に恐るべきものであるかを警告しているのだが、
其の中の名著「建国新書」(中日新聞、東京本社出版)でこう云っている。

「日本の政治は「祭政一致」と云い日本固有の宗教を基盤とした政治である(舜の政治がこれに相当する)。
中国の政治は「王道政治」と云い聖賢の道を基盤とした政治である(堯の政治と舜の政治がこれに相当する)。
然るに西洋の政治には全く基盤が無い。
それで古代メソポタミア民族、古代エジプト民族はもと日漢民族と同族であったが、
何しろ西洋の政治にはBedeutungが無いから自ら奴隷制度を作って自ら穢すことによって滅んでしまった。
西洋の奴隷制度はすべて此の二つの先進民族から出ているのであって、日漢民族には奴隷制度は無い。
中国の帝舜の政治も日本の天皇の御政治も皆無所有心を基盤として行われたものである。」

わたしも胡蘭成さんと全く同意見である。

351:考える名無しさん
14/09/15 09:25:50.74 0.net
天皇が奴隷制度や搾取の親玉かどうか日本歴史を辿ってみよう。
崇神天皇は「天が下を敷いて家とすべし」と云っておられる。
これは人本然の心に従って固定された自他の別無く住もうと云う意味である。
大体マナ識には真心の「固定された自他の別を持たない」と云う心境は想像することも出来ないのだろう。

仁徳天皇を時人は「聖の世」と讃えている。

舒明天皇はこう云う名歌をお詠みになっておられる。
夕されば 小倉の山に 鳴く鹿の 今宵は鳴かず 


352:いねにけらしも 元寇の時、亀山上皇は皇祖伊勢神宮に身を以て国難に殉ぜんと祈願を凝らされた。 明治天皇を文人はこう讃えている。 降る雪や 明治は遠く なりにけり(読人不知) 聖天子 上に在る野の 長閑なる(漱石) 武蔵相模 山なき国の 小春かな(漱石) かばかりの めでたき帝 在しける 御世も今日より 古となる(与謝野晶子)



353:考える名無しさん
14/09/15 09:37:01.50 0.net
明治天皇が神去られた(かむさられた)時、わたしは小学六年だったから知っているが、全国民は号泣したものである。

今上陛下が身を捨ててお止めにならなかったら、今度の大戦で日本は滅んでいただろう。

此の文章は感受(感動、感興、感銘)が全く麻痺してしまっていて少しも水々しさが無い。
まるで埃及(エジプト)のミイラのような感触である。
これはユダヤ型無明に冒されているのであって病は前者に比べてずっと古いように感じる。
前者には自覚の曙光が仄かに感じられたが、此の文章は夜の闇が深い。

(帰郷して後のわたしの評。これは造化に対する第一の反逆者のテレビ写真の現像である。
第一蓬来宮は既に討伐の準備をしているだろう。)

354:考える名無しさん
14/09/18 19:57:27.38 0.net
1974年5月3日

日本人は明治以後、西洋人の猿の人真似っていうか、もっと徹底的な真似してる。
だから自分で見える目を持っていて、西洋人が見なきゃ使やしない。だから西洋人の言ってる自然と同じものを見てる。
だからそういう意味に対しては、西洋人はつまりめくらだからどうしようもない。
じゃあ日本人はっていうと、目は見えるんでめくらじゃあない。しかし西洋人の真似をして見ない。
これは目はめくらじゃないんだからっていう点は良いように見えますが、
見える目を持っていながら見ないでめくらの真似をしているんですから、
こういう日本人を何と呼んだら良いでしょう。
いろいろ考えてみたんだけど、名付くるところ無し。

およそ義理にも知などという言葉を口にすることのできない動物です。
かけらも無い!一体、何を知と言ってる!
知とは知を愛するという心がある。それら抽出したものが知です。知を愛するとはどういうことかわかりますか。
今の学生見て、先生見て、わかる筈が無いと思う。

355:考える名無しさん
14/09/18 20:11:11.12 0.net
ベネディクト夫人の「菊と刀」っていうのがあると聞いてる。
そして日本人の道徳の根源は恥である、アメリカ人の道徳の根源が罪であるのと違ってると、そういうこと書いてあるに違いない。
ところがね、読んでませんが、その恥ですが、何を恥じるかということですが、西洋人が恥じるものは人目を恥じるのに決まってる。
ところが日本は、少なくとも明治以前までは、言い伝えになってからも戦前までは、「俯仰天地に恥じず」である。
だから何に恥ずるかが、つまり恥ずかしいと思う心が全然違う。
ところが、このことを言った批評家が一人もいない。
ていうのは「菊と刀」の翻訳、ベストセラーの一つだと聞いてた。
だから、どれっくらい駄目かわかるでしょう、今の日本人は。
こういうのを物真似猿っていうんだけど、名付くるところ無かったけど、何とか名前一つ要るから、物真似猿と付けた、ムーミン物語の。

356:考える名無しさん
14/09/23 05:02:37.53 0.net
前頭葉と癌の関係は?の部分が多そうだけれど

禅僧の生活は、癌の成長が遅くなると見る、転移しにくくなる可能性はある。

機械のボタンを押すのを強制されない生活をすると睡眠の質がよくなる。

357:考える名無しさん
14/09/23 05:10:40.99 0.net
ちなみにタバコの害はそれほど高くない

岡潔当人も、交感神経優位のときと、副交感神経優位の時では
タバコの味が違うとおっしゃってま�


358:オた。



359:考える名無しさん
14/09/23 06:16:06.12 0.net
病は気から、精神・身体の陰陽のバランスを観ながらタバコでも、酒でも。

岡と同じ和歌山出身の南方熊くずだって、自然と戯れながらタバコスパスパ
お酒ゴクゴクですよ。

360:考える名無しさん
14/09/24 06:40:35.98 0.net
英語の義務教育化、小学校からの義務化により日本人ダメになる。

あと、アメリカの心理学では・・って一体なんだろうか?

361:考える名無しさん
14/09/24 21:17:23.03 0.net
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 精神統一

ただ、潔の精神統一の仕方は尋常ではなかった。それは、
「そうだと思ったら何でも本当にやってみることである。徹底してやらねばいけない。
それでこそ理想を描くことができるのであって、社会通念にしたがって生きていこうなどと思っていて理想など描けるものではない」
という理念に基づいているもので、まさに命がけであった。
たとえば、中学三年のある試験のことであるが、あまりにも集中しすぎた潔は、
(副交感神経が極度に働き下痢しそうになるだけでなく)試験が終わって教室から出るや否や食べたものをみな吐いてしまい、
それから二週間ほど食事らしい食事ができなかったということがあった。
誰しも集中し過ぎて気持ちが悪くなるという経験が一度や二度はあるだろうが、潔の場合はそれが徹底していたのである。

当然、そういうことを続けることが体に良くないことは明らかである。
潔も、徹底した精神統一は非常に激しいので、大部分の人間には必要でも、
秀才を夭折させる恐れがある、医者が灸を研究して万一に備えるべきであると言っているほどだ。

362:考える名無しさん
14/09/26 00:27:06.50 0.net
脳の前頭葉の加熱状態で、学生の顔つきがひどくなる。

たえず切れ切れの意思が働くという状態があぶない。

363:考える名無しさん
14/09/26 19:20:55.53 0.net
週刊新潮 平成26年10月2日号 藤原正彦の管見妄語 266
山荘でテレビのチャンネルを回していると、日本人らしき人々が妙な言葉を応酬していた。
まったく聞き取れないのだが、字幕に出た翻訳から、
青森県下に住む津軽弁と南部弁の人達が、互いの言葉がよく分らないまま悪口を言い合っているようだった。方言好きの私は釘付けになった。
青森県は戦国時代に盛岡の南部藩に属していた。ところが十六世紀後半に家臣の一人が謀反を起こし、
しばらく後に弘前藩そして弘前城を作ったため、県の中央を南北に貫く奥羽山脈の東が南部藩、西が弘前藩と二分された。
以来、両藩の間には紛争や政争が絶えず、廃藩置県により合併し青森県となったが、
今日に至るまで必ずしもしっくりとは行っていないらしい。
人間や言葉の混合がさほど進まず、旧藩の境あたりではたった二キロ離れただけで言葉がよく通じなかったりするという。
この番組でも南部側の八戸の男性は、「弘前の人間は裏切ってばかりで信用できない。そもそも新幹線も通らない田舎だ」と見下し、
弘前の若い女性は「八戸なんて魚を食べられるだけの所。外灯も三本位しかない田舎」と笑っていた。
三十年ほど前、私がテニスで腰骨にひびを入らせ入院した時、付添い婦は岩手県のおばさんだったが、
隣りのベッドの付添いである青森県のおばさんの言葉について、「わがらね」としきりにこぼしていた。
津軽と南部の喧嘩は私にとって格別のものだ。
弘前は私が最も愛した歌手奈良光枝さんの生地、従って私の聖地である。
今も彼女のCDを始終聴くし、先年には弘前を訪れ、愛する人を没後三十年も放っておいたことを墓前で詫びた。
一方の八戸近隣は、私の尊敬する「武士道」の著者、新渡戸稲造の祖父と父親とが苦労して開拓した地である。
すなわちこの喧嘩は私にとって愛人と尊師との戦いなのだ。

364:考える名無しさん
14/09/26 19:28:15.02 0.net
方言は交通機関の発達する前に形作られるものだから、アメリカにはほとんど見られず逆にヨーロッパではどの国にも見られる。
二十年余り前にアメリカで、ケンブリッジ大学B教授、ロンドン大学V教授と三人でランチをとっていた。
方言の話題になった時、Bが「イギリスではちょっと離れただけでまるっきり違う英語を話したりするんだ。
誰かがロンドン出身なら僕は半径五マイルくらいの正確さでロンドンのどこか当てられるよ」と豪語した。
二人ともロンドン出身であることを知っていた私が、「では互いにどこの出身か当ててみて」と言うと急に二人は当惑の色を浮かべた。
階級に関係するからだろうが構わず「さあ」と催促すると、互いに口ごもりながら答えた。
一方がロンドン北部の中上流地域で、他方がロンドン東部の貧しい地域だった。
共にドンピシャだった。

365:考える名無しさん
14/09/26 19:45:51.86 0.net
私は方言や郷土自慢を聞くのが大好きだ。
郷土愛は美しいし、郷土自慢は素晴らしいユーモアだ。
私自身、信州の山奥の言葉を大切にしている。毎夏一カ月、母の生家に程近い山荘で過ごすが外ではもちろん内でも方言で話す。
先祖の誇るべき遺産を無知蒙昧な家族に伝えたいからだ。
子供の頃に祖母から教わった方言には自信がある。近年著した自伝「ヒコベエ」では方言を駆使したが、
地元の八十代後半の人から手紙で、「毎年の夏休みだけでよく完璧にマスターしたもの」とほめられた。
中央本線茅野駅から三里ほど山に入った小さな部落の六十年前の言葉だ。
今ではけしからんことに、この部落でも八十歳以上の年寄りしか方言を話さない。
三十以下の若者などは無味乾燥な標準語ばかりだ。
皆、私のくり出す方言は分ってくれるが少し意外といった顔をする。
英国紳士を彷彿とさせる洗練された物腰と風貌の私が、訛りに訛った山奥言葉を話すからだろう。
若い女性などは時々、「わあ、じいちゃんばあちゃんと同じ言葉だ」と感慨深そうに言う。
「父ちゃん母ちゃんと同じ」とは言わない。この時ばかりは私もへこむ。(了)

366:哲学板の鯖がawabiからyomogiに移転したようですので皆さんご注意を
14/10/02 19:54:43.06 0.net
「春雨の曲 第7稿 第2章 旅路の原型」より 第七識中層の文例(第8稿では第六識)

「ルースベネディクト「菊と刀」に関する抜粋及び要約」
経済学部二年 男子学生

この文章はすべてアメリカで生まれ、育ち、そして死んだルース・ベネディクト女史によって書かれたものである。
それ故この研究は特筆に値する。

第一章 研究課題-日本
日本人はアメリカがこれまでに国をあげて戦った敵の中で最も気心の知れない敵であった。
まじめな観察者がある国民について書くとき、その国民が類例のないくらい礼儀正しい国民であるという時、
「しかしまた彼等は不遜で尊大である。」とつけ加えることはない。しかし日本人に関しては例外であった。
こうした


367:矛盾が日本に関する書物の縦系と横系になるのである。 われわれは日本人の思想の感情の習慣とそれ等の習慣がその中に流し込まれる型を理解するように努めねばならない。 わたしが日本人を研究する上で重要な現地調査は両国が交戦中であるためにあきらめねばならなかった。 が、多くの学者の日本人に関する研究資料を受け継ぐことができた。 そして、私は一たびどこが西洋人の仮定と日本人の人生観とが合致しない点であるかということがわかり、 彼等が用いている範疇と象徴とについて多少の理解が得られれば よく西洋人の目に映る日本人の行動の多くの矛盾は最早や矛盾ではなくなる、ということを発見した。 私が日本人といっしょに仕事をしていた時に彼等の使用する語句や観念の多くは最初は不可解に思われたが、 やがてそれは重要な含蓄をもっており、何百年もの歳月を経た感情のこもったものであることがわかってきた。 徳と不徳とは西洋人の考えているものとはまるでちがったものであった。その体系は全く独特のものであった。 それは仏教的でもなく、また儒教的でもなかった。それは日本的であった。-日本の長所も短所も含めて。



368:考える名無しさん
14/10/02 20:14:51.11 0.net
第七章 「義理ほどつらいものはない」
日本の「義理」というものは人類学者が世界の文化のうちに見出す、あらわる風変りな道徳的義務の範疇の中でも最も珍しいものの一つである。
それは特に日本的なものである。それは日本独特の範疇であって、
「義理」を考慮に入れなければ日本人の行動方針を理解することは不可能である。
日本人はすべて行為の動機や名声やその本国において人々の遭遇する色々のジレンマについて語る時には、必ず常に「義理」を口にする。
また日本人はしばしば、「私達は義理のために正義を行うことが出来なかった」と言う。
また、義理の規則は隣人を自分と同じように愛するということ(キリスト教でいう隣人愛)とも何の関係ももたない。
日本人は自分が真心から自発的に寛大な行為をすることを要求しない。
彼等は人が義理を果たさなければならないのは、「もしそうしなければ人々から恥をかくことになるからである。」と言う。
「義理」にどうしても従わなければならないのは、世間の取沙汰が恐ろしいからである。
事実、「世間に対する義理」はしばしば英語では「世論に従うこと」と釈される。
また辞書には「世間への義理だからいたし方がない」が、「世人はこれ以外のやり方を承認しないであろう」と釈されている。

369:考える名無しさん
14/10/02 20:41:35.02 0.net
第九章 人情の世界
日本人は妻に属する領域と性的享楽に属する領域との間に垣を設けて明確に区別する。
この二つの領域はともにひとしく公然と認められている。両者の区別はアメリカ人の生活におけるが如く、
一方は世人に対して公然と自認するが、他方は人目を忍んでこっそり足を踏み入れるという事実にもとづいてなされるのではない。
両者が区別されるのは、一方が人間の主要な義務の世界に属するのに対して、他方は些細な気晴らしの世界に属するからである。
このようにおのおのの領域の「ふさわしい位置」を定める習慣が家庭の理想的な父親にも粋人にもひとしく、
この二つの領域を別な世界と観ぜしめている。

日本の戦争映画は分列式や軍楽隊や艦隊の演習や巨砲の誇らしげな偉容を景気よく描きだすことはしない。
日露戦争を扱ったものにしろ、中国事変を扱ったものにしろ、それらが執拗にくりひろげる情景は、
あいもかわらず単調な泥濘の中の行軍、みすぼらしい戦闘の苦痛、勝敗の定まらない作戦である。
幕切れのシーンは勝利でもなければ、“バンザイの突撃”ですらない。
それは何の変哲もない、深く泥中に埋もれた中国のどこかの町での宿営の情景である。
あるいはまた三度の戦争の生存者で、それぞれ不具、びっこ、盲目になった親子三代の日本人を写し出す。
あるいはまた兵士が戦死した後、銃後にあるその家族が夫であり、一家のかせぎ手だった人の死をとむらい、
勇気をふるい起こしてなんとか彼なしに暮らして行く姿を写し出す。
日本人の観衆だからこそ、これ等の映画の後援者たちは日本の観衆はそれを見ても決して反戦思想を抱くようにはならない、
ということを心得ていた。

370:考える名無しさん
14/10/02 21:06:40.60 0.net
第十三章 降服後の日本人
戦後、日本が連合国に対して敵対の態度を示すのではという危惧は必要なかった。
その理由は敗戦国民ないし敗戦国の政治経済に関する普遍的真理にあるというよりむしろ、日本の特異な文化の中に存在した。
日本以外の国民であったならば、おそらくこのような信義にもとづく政策はこれほどの成績を収めることはできなかったであろう。
日本人の目から見ると、この政策は敗戦という冷厳な事実から屈辱の表象を取り除き、彼等に新しい国策の実施を促すものであった。
そして彼等がその新しい政策を受け入れることのできた理由はまさしく特異な文化によって形づくられた日本人の特異な性格にほかならなかった。

日本の文化においては、はなはだしい強権主義ということは問題にはならない。
子供がごく幼いころの父親と接した経験によって学んだものが、日本の社会のあらゆる面に通ずる一つの型となる。
その階層的地位の故に最高の敵意を寄せられる人々でさえ、自らほしいまゝに権力をふるうことがなく、
階層制の首脳を占める官吏が実権を行使することがないと云うことが日本の特異性である。
また、天皇制の保存は非常に重大な意義があった。それは巧みに処理された。
最初に天皇の方からマッカーサー元帥を訪問したのであって、マッカーサー元帥が天皇を訪問したのではない。
そしてこのことは日本人にとっては、西洋人には理解しがたい大きな効果を収めた実物教育であった。

371:考える名無しさん
14/10/02 21:16:06.26 0.net
日本人は侵略戦争を「誤謬」とみなし、敗れた主張とみなすことによって、社会的変革への最初の大きな一歩を踏み出した。
彼等は何とかして再び平和な国々の間で尊敬される地位を回復したいと希望している。
がそのためには世界平和が実現されなければならない。
若しロシアとアメリカとが今後数年間を攻撃のための軍備拡充の中にすごすならば、日本はその軍事知識を利用してその戦争に参加するであろう。
だがしかし、そのような確実性を認めるからといって、
私は決して日本が本来、平和国家となる可能性をもっているということに対して疑いを抱いているのではない。
日本の行動の動機は機会主義的である。
日本は若し事実が許せば平和な世界の中にその位置を求めるであろう。
もしそうでなければ武装した陣営として組織された世界の中に、その位置を求めるであろう。

372:考える名無しさん
14/10/02 21:34:45.67 0.net
「春雨の曲」の著者の言
正しく真心を伝うる日本民族の人の世が、ベネディクト女史にはこんな索々として砂を噛むようなものに映るらしい。
アメリカ合衆国と云う第二種マナ識の世界の人の世の情景のように、色どりも輝きもない灰色のものに映るのだろうかと、
予想はしていたものの目の当り見て全く驚く。

一つ彼女の眼をよく調べてみよう。
それには「自他の別の固定度」をしらべるのが速い。よみ直してみよう。
彼女の智力は五感の下にある。

一口に西洋人と云っても、真心の人もあれば(例、ファーブル、サン=テグジュペリ)、
第一種マナ識(即ち自我)の人もおれば(例、数学者アンリー=ポアンカレー、カント)、
第二種マナ識(即ち生きようとする盲目的意志)の人もいる。此の第三種類の人は、智力は五感や意識の下位にある
(尚、この文の筆者である男子学生は第一種マナ識であり、そこから第二種マナ識を見て書いているため、第七識中層の文例となる)。

373:考える名無しさん
14/10/02 21:49:13.19 0.net
人のレシーバーには第十一識、第九識、第七識(上層)、第一種マナ識、第二種マナ識の五つがあって、
日本人の認識者は第十一識のレシーバーを最も主要なものとしているが、
無明のために昼は第二種マナ識にいて、夜に第十一識にいる人が大半である。

女史はそんなことは想像することも出来ないのである。
か様に女史は第二種マナ識人であるが、教養もあれば研究心も強い。此の点は買ってやらなければならぬ。
然し此の人が見ると日本民族の人の世は固有の幽遠な色どりがすっかり消えて、まるで灰色一色に見えるらしい。
私の旅路と比べて欲しい。

(帰郷して見て、其処まで云うようでは、造化に対する反逆と見る他ないのではなかろうか。―アメリカ型無明)

374:∴ヴォルデモート卿
14/10/02 23:14:27.94 0.net
漢字が多くて読みたくない。

375:考える名無しさん
14/10/02 23:25:23.49 0.net
オカケツは春宵十話と春雨の曲で同じことを書いている。
しかし、短期間で結果を出さなければならない科学者や法学者にありがちだが、
飛ばし読みされると汲み取る意味合いが違ってきてしまう。
言い換えれば、そういうタイプの人は大衆ということだ。
オカケツは最期までそれを嘆いてたな。

376:もみじ
14/10/07 22:57:17.09 0.net
>>331 短時間で結果をと出すことの弊害といえば
今の日本の早期教育、英才教育。

自然を楽しむ時間を削って、ペーパーの文字の暗記
計算ばかり、これでは顔つきが貧相になる。

377:もみじ
14/10/09 18:08:50.69 0.net
登下校する、小学生、中学生、高校生
だれも英語でおしゃべりしてない、日本の国際化は難しい。

10代で、喜怒哀楽のないペーパーテストばかりでは厳しい、
ますますひきこもりが増えるから、

感情表現のない英語を密室で学ばせるのはやめて
虫取りをさせたほうが良いのではないか?

378:考える名無しさん
14/10/11 18:48:46.06 0.net
「嬰児に学ぶ」より 真心

(岡潔)
人は懐かしいと思い、懐かしい人に親切にすることを嬉しいと思い、そうやってりゃ頭頂葉は発育する。
赤ん坊に見習うておれば頭頂葉はよく発育する。
創造するから嬉しいんじゃない、嬉しいから創造するんです。
それから見たって共産主義や日教組の先生の教え方、悪いのは分るでしょう。(拍手)

もう一度言いますが、後頭葉から、嫌なアメリカ色や共産主義色を科戸の如く一掃して、日本の心の大空を綺麗にしましょう。
そのあと、人類を滅亡から救い、滅び行く西洋文明の代わりに、日本文明をつくろうじゃありませんか。
そういうことに真心を傾け尽くして生きるということは、男子一生の快事である。
女性もまた、これに対して拍手することを惜しまない。(拍手)

379:考える名無しさん
2014/10/


380:11(土) 18:51:05.74 0.net



381:考える名無しさん
14/10/11 20:42:55.89 0.net
安部公房は受賞寸前だった…ノーベル委員長語る

【ストックホルム=待田晋哉】ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーのノーベル委員会の
ペール・ベストベリー委員長(78)が21日午前(日本時間同日夕)、読売新聞の取材に応じ、
1993年に死去した作家・安部公房が同賞の受賞寸前だったことを明らかにした。

ストックホルム市内の自宅でインタビューに応じたベストベリー委員長は、
安部公房について「急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」と強調した。

さらに、「三島由紀夫は、それ(安部)ほど高い位置まで近づいていなかった。
井上靖が、非常に真剣に討論されていた」などと他の日本人作家についても、過去の選考の経緯を語った。
近年、受賞の可能性があるとされる村上春樹さんについては、「生きている作家については答えられない」と明言を避けた。

アジアでの受賞者が少ないことについては、「作家がどこの国の出身かは見ない。その文学を見るのです」と断ったうえで、
「数多くの優れた人がいる。私たちは何人かに目をつけている」と述べた。

また、候補者の小説が、アカデミーの会員内で読めない言語で書かれている場合、
専門家に翻訳を依頼したり、助言を受けたりする試みを続けていることも明らかにした。
(2012年3月23日15時21分 読売新聞)

382:考える名無しさん
14/10/11 21:02:10.65 0.net
「薬師寺講演」より ノーベル賞

井上靖さんは誠によく知ってる、時代が下がる程悪くなって、どう仕様もないと。
しかし、そういうことはよく知ってて偉いもんですが、外国ばかり勉強して日本は大急ぎでやったんで、家持を褒めてる。
あれは威張らせん、もうちょっと日本語勉強しろと、お前の言ってる原理だけは認めるが。
しかしね、今ノーベル賞を僕にやらしたら井上靖。川端康成のようなのは白痴美ともいう。(笑)

要するに―言ってる間がないかもしれない。
つまりね、文明というものがあって、時間が経つほど良くなって、それで何だろうな。
文明というものがあって、良いものであって、時間が経つ程良くなって、と決めてるでしょう。
だからこれをイズムというんです。人の造ってる魔物。
この魔物の魔力が恐ろしくて、このまま行けば人は間もなく化石すると言ってる。その通り。
例えば「夜の声」。

ああ、大急ぎで、こんなことしてたら遅れっちまう。
あのう、ノーベル賞くれるというのは、あんな奴等にもわかるという意味ですよ。(笑)
もう、あれまたよそへ行かんように。
だけど、白痴美も美に違いありません。(笑)
例えば谷崎潤一郎は美じゃない。

383:考える名無しさん
14/10/11 21:10:09.56 0.net
>>337訂正 白痴美も美に→白痴美も美には

384:考える名無しさん
14/10/12 08:36:21.53 0.net
「建国新書」


385:より 序文 わが中国の歴史から見れば、政治制度のことはおほよそ二千年を一期としてゐる。 夏殷周三代を合せて約一千八百年、経済は井田制、政治は尊王の諸侯制。 秦漢から清朝まで約二千年、経済は私有制とは言へ、均田の精神を保つてゐた。産業の全面的調和をも保つてゐた。 政治は尊王の郡県制。この二期の共通点は祭政一致、即ち礼楽之冶であつた。 私の研究では、今から先の二千年を一期とすれば、経済は機械工業(原子力工業を含めて)と手工業と農業との共存制、 即ち機械工業で欠乏の憂目をなくし、それで手工業と農業を本位として、ますます発展させる。 数学では算術、代数、幾何などを組合せて解析幾何学とする、 といふが如く、機械工業、手工業、農業を統一調和して新しい産業体質が出現するはずである。 政治は中国と日本と印度と相互に賓主の礼を以て協同体を結ぶ。そして孟子のいふ王天下を達成する。 なほ政治の最高原理である古来一貫の祭政一致は改めることはない。憲法や代議制度を当然廃すべきである。




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