岡潔at PHILO
岡潔 - 暇つぶし2ch179:考える名無しさん
13/11/06 22:54:45.47 0.net
(質問)
いいですか。僕たちが関わっている、マスコミを通じて一般に大学紛争と言われるものは、
セクトに分かれている。そして派閥争いのように言われている。
しかし、僕たちが大学において求めているのは、大学の管理運営やそういうものをより民主化して行く。
そして僕たちの本当に聞きたい講義や、そういうものを聞けるような大学を作って行く。自由化して行く。
そしてまた、先生が奈良女子大学の教授であったように、それを大学で何を求めるのか、
大学で何を人間として作って行くのか。そういうことまで突き詰めて、
僕の場合、教育学部ですけれども、明日の教育を担っている、日本の教育を担っている。
そういう教育者として、本当の教育者として、大学の四年間、短い四年間を生活している訳ですけども、
勉学生活や、そしてクラブ生活や、そういうものを通して僕たちの本当に社会に出て、正しい人間になる。
先生のおっしゃる日本精神ですか、そういうものを自分たちで形作って行く。
人間として当然の権利や、そして義務を遂行して行く。
この世に人間として生まれて来て、その中で自分がどのような役割を果たして行くのか。
そういうものを当然四年間の中で求めるべき。そういうものが大学には少ない条件である。
だから僕たちとしては大学の管理運営やそういうものを民主化して行く。
ですから僕たちの講義が全く詰め込み式で、先生が黄色いノートをそのまま開いている。
そして教育の現場にあっては先生を責めました。

180:考える名無しさん
13/11/06 23:01:37.67 0.net
(岡潔)
もう、その辺でやめ�


181:ネさい!君の言ってることはことごとく意識を通して言ってる! その前に、意識を通さないで言うと分るということがなければ! (質問) あのう、どうも先生、失礼しました。 (岡潔) 君は馬鹿です、完全な!泥吐きして白紙に帰りなさい! 真新しい心、真新しい知情意を持って、君が無自主的、無批判的に詰め込んだ欧米の観念を洗いなさい! 何だ、この、自由だの、権利だのと! (質問) 私は先生に罵倒された! (岡潔) 罵倒じゃない! (質問) しかし、私としての二十一年間の生きて来た人間としての、その人生の中で・・・ (岡潔) あなたは!いや、そんな石地蔵はそのまま死ぬだけだ。



182:考える名無しさん
13/11/11 11:27:46.54 0.net
東西のハーモニー 1969年5月

後頭葉や頭頂葉から前頭葉へ行く道に二つある。
西洋人は中心前回の一次運動野を経由して行く。東洋人は経由しないで行く。
経由する場合は非常に無明が濃いため、流れが地下に潜ったようになる。
このため西洋人は東洋人に比べあまり無明が心に入らないらしいが、
一方で第二の心が存在するということになかなか気づけない。
東洋人でも大学教授なんか長くやってると、西洋人に似てくる。

「俺が俺が」っちゅうように人より自分を先にして生きていると前頭葉にいる。
この時、前頭葉から頭頂葉に戻ろうとすると、一次運動野はなかなか登れなくて非常に苦労する。
で、登れないならどうすれば良いか。降りたら良い。
東洋人は訓練すれば、一次運動野を経由するルートと経由しないルートとを使い分けられるようになる。
東洋人が頭頂葉から前頭葉へ一次運動野を経由して降りれば、途中で登ろうと頑張っている西洋人と握手できる。
そうすりゃあ、西洋と東洋が本当の意味で融合できる。
僕も面白いと思って、それで早速、今日降りたんです。

183:考える名無しさん
13/11/26 00:08:15.98 0.net
世界的数学者 岡潔博士の顕彰碑…和歌山

和歌山県橋本市ゆかりの世界的な数学者、岡潔博士(1901~78年)の功績や教えを後世に伝えようと、
橋本ロータリークラブは同市役所前広場に顕彰碑を建立し、24日、関係者約100人が出席して除幕式を行った。
岡博士は大阪市で生まれ、4歳から父の実家があった紀見村(現橋本市)で育った。
京都帝国大学を卒業後、「多変数函数かんすう論」に関する難問を解決。
戦後は奈良女子大学教授を務め、文化勲章も受章した。
橋本市は市内に岡博士の記念館を建設する計画を進めている。
顕彰碑は黒石製で2基あり、ともに高さ約1・8メートル、幅約80センチ、奥行き約45センチ。
「日本民族は情の民族である。人と人との間によく心が通い合うし、
人と自然との間にもよく心が通い合う」などという岡博士の言葉や業績、似顔絵を彫り込んだ。
除幕式では、同クラブの小西捷治しょうじ会長(70)が
「子どもたちの健全な情緒を高めようという教えを世の中に広めたい」とあいさつ。
岡博士の長男、岡煕哉(おかひろや)さん(77)(奈良市)が
「顕彰碑が青少年に夢や希望を与えるとうれしい」と語った。
(2013年11月25日 読売新聞)

184:考える名無しさん
13/11/26 00:14:50.05 0.net
【数学】世界一の難問「多変数解析関数論」を解いた数学者、岡潔の顕彰碑が完成 和歌山・橋本市
スレリンク(scienceplus板:1-100番)

185:考える名無しさん
13/12/04 19:36:12.24 0.net
日本人は他の星から来たって岡は言ってたな(六十万年前)。この時の日本人は神々とイコール。
移動する際は時がある第11識を使い捨てにして、抜き身を行い魂だけ移ってきたらしい。

ちなみに人は肉体が死ぬ時は7識から浅い部分が無くなり、星を移る時は11識から浅い部分が無くなるらしい。
どんなことがあっても12識から深い部分は残るから、生命は不死なんだそうだ。

四大文明は日本人が創ったもので(三十万年前)、
そのうち情を自分だと思うよう天照大神と天月読尊に育てられ、そういう人間だけ選り抜かれ
日本列島に住むことになったらしい(八万年前)。これが天孫降臨。
最終氷期が終了して日本列島の形が大体今のようになった時が神武天皇の時代(一万年前)。

やがてまた他の星に移らないといけない時が来るが、
その時も自然科学的方法では無理で、上に書いたようなやり方をしないといけないらしい。

先々週発売されたLIGHTNING RETURNS : FINAL FANTASY XIIIのストーリーやエンディングもこういう筋書きだった。

186:考える名無しさん
2014/0


187:1/03(金) 22:48:29.94 0.net



188:考える名無しさん
14/01/03 22:56:34.46 0.net
小林:私はゴッホのことを書いたことがありますが、ゴッホを書いた動機というものは、複製なんですよ。
その複製を見て、感動して書いたのです。
その後、ゴッホの百年祭でアムステルダムに行きまして、その原画を見たのです。
ところが感動しないのですね。複製のほうがいいですわ。
色がたいへん違うのですが、その原画は、あんまりなまなましい。
それが複製されると、ぼんやりしていて落着いてくるのです。
複製のほうが作品として出来がいいのですよ。
このごろ真贋問題とかで世の中が騒ぎますが、てんで見当が違うことだと思いますね。
それは贋物と本物は違うという問題はありますよ。
しかし人間の眼だって、そんなによくできたものではありませんよ。

189:考える名無しさん
14/01/03 22:59:01.92 0.net
岡:実際一人の人というのは不思議なものです。それがわからなければ個人主義もわからないわけです。そういう事実を個人の尊厳と言っているのですね。
利己的な行為が尊厳であるかのように新憲法の前文では読めますが、だれが書いたのですかな。書いた連中には個人の存在の深さはわからない。
個人の存在の底までわかり、従ってその全体像がわかってはじめて、その人の残した一言一句も本当にわかるわけですね。
いまの知識階級のごく少数の人だけでもわかってくれたらよいと思います。
個人主義をごく甘くみてしまっているんです。
そういう個人というものがわからなければ、もののあわれというものも恐らくわからないでしょうし、
もののあわれがわからなければ平和と言ったってむなしい言葉にすぎないでしょう。

190:考える名無しさん
14/01/03 23:11:21.48 0.net
小林:岡さんのお考えは、理論とは言えない、一つのヴィジョンですね。私はたいへん面白いと思います。
お書きになるもので大体わかっていましたが、一つのヴィジョンです。
勿論そのヴィジョンが一番よく現れているのは、やはりあなたの数学のお仕事だろうと思うのです。
もしもあなたの親友の数学者が、あなたのお仕事を見れば、これが情緒だと、指でさせるだろうと思うのだ。
それは数学の言葉が通じているからです。
残念だが、それが私にはできない。
でもそれでいいのです。ヴィジョンの閃きを感じれば、それでいいのです。
あなたのヴィジョンが言葉になるところをつかまえる。それしか出来ない。
たとえばね、あなたは、子供がまず順序数というものをつかむと言う。
それから全身の運動を繰り返して、一という考え方、真情をものにすると言う。
私は児童心理学というようなものには不案内ですが、そんな学問が、今なにを言っていてもいい。
あなたのヴィジョンはたいへん美しくおもしろいと思うのです。

191:考える名無しさん
14/01/03 23:17:33.42 0.net
 
文系は特定の人間持ち上げるからたちワルい

192:考える名無しさん
14/01/03 23:20:49.65 0.net
小林:それからもう一つ、あなたは確信したことばかり書いていらっしゃいますね。
自分の確信したことしか文章に書いていない。
これは不思議なことなんですが、いまの学者は、確信したことなんか一言も書きません。
学説は書きますよ、知識は書きますよ、
しかし私は人間として、人生をこう渡っているということを書いている学者は実に実にまれなのです。
そういうことを当然しなければならない哲学者も、それをしている人がまれなのです。
こういうことをしている人は本当に少いのですよ。
フランスには今度こんな派が現れたとか、それを紹介するとか解説するとか、文章はたくさんあります。
そういう文章は知識としては有益でしょうが、私は文章としてものを読みますからね、
その人の確信が現れていないような文章はおもしろくないのです。
岡さんの文章には確信だけが書いてあるのですよ。

岡:なるほど。

小林:自分はこう思うということばかりを、二度言ったり、三度目だけどまた言うとか、何とかかんとか書いていらっしゃる。
そういう文章を書いている人はいまいないと思ったのです。
それで私は心を動かされたのです。

193:考える名無しさん
14/01/03 23:23:35.30 0.net
>>172
大抵の数学の研究者だって、「偉い先生が始めたプログラムだから」「最近の潮流だから」って理由で研究対象を選んでるよ
権威に頼らない独自の価値観なんて稀

194:考える名無しさん
14/01/05 09:46:09.29 0.net
皆知ってると思うけど>>166の全レス掲載版
スレリンク(scienceplus板)

195:考える名無しさん
14/01/05 12:30:09.47 0.net
香ばしい熱弁を振るう人の多いこと多いこと

196:考える名無しさん
14/01/05 20:42:17.79 0.net
そういう板でしょ。哲学板だもんここ。オカケツが嫌なら来るなよ。

197:考える名無しさん
14/01/05 21:06:10.72 0.net
いや、>>175のリンク先のこと

198:考える名無しさん
14/01/11 09:09:35.57 0.net
情と日本人 1972年3月

※数学者 岡潔思想研究会にも掲載されていますが、最も大事と言ってよい文章なので再掲します。
 大事なことなので二回言いました、ってやつです。再び再びと読むと新しい発見があります。

今日初めて聞かれる方もあるかも知れませんが、その方にとっては関係ないことだけど、そうじゃない方もおられる。
で、そうでない方に対して、今日また同じことを繰り返そうと思う。
どういうことかというと、日本人は「情」の人である。
人としてそれが正しいんです。そうであるということが非常に大事だのに、少しもそれを自覚していない。
日本人は情の人であるということを自覚するということが、
今非常にしなければならないことであると本当に分って、
本当にそう思うようになってもらいたいと思うんです。
つまり、言葉でいえば「日本人は情の人である」だけなんです。
そういえば成程と思う。これは日本人だからだと思いますが、しかし、それから先が進まないんですね。

大阪へ行って淀川を見る。これはひどい、これではいけないと直ぐ公害を思うんだけど、
川が見えなくなるとけろりと忘れてしまう。そんな風な分り方ではさっぱりことは進展しない。
で、そうじゃないようにしようと思う。
そうすると、結局同じことを繰り返し繰り返しいうことになってしまう。
そうする他はない。それで今日も同じことを繰り返していおうと思うんです。

199:考える名無しさん
14/01/11 09:25:49.80 0.net
戦後、幸福ということをよくいう。
世界のはやりに従って、日本はことにアメリカの真似をして、近頃の人は幸福ということをよくいうんですが、
戦前は幸福などといわなかったものです。
幸福とは何が幸福かということですが、これは知、情、意のうち「情」が幸福なんです。
知が幸福だの、意が幸福だの、意味をなさない。
よし意味をなしたところで、そんな幸福どうでも良い。自分の情が幸福と思う、それが幸福なんでしょう。

人は動物ですが、動物の中で割合信頼できます。
なぜ信頼できるかというと、人には人の情というものがあるから信頼できる。
みすみすなことは大抵はしない。それは人には人の情というものがあるからです。
こんなことをしてはいけないんだがなあと情の思うことを、知や意のすすめによってする。
そうするといつまでも心がとがめる。これが情です。漱石の「こころ」もこれを書いている。

そうすると道徳とは人本然の情に従うことである。そういえると思う。
また情というものがなかったら、道徳とは何かという前に、道徳というものが存在し得ないでしょう。
人に情あるが故に道徳というものが存在し得るのです。
道徳とは人本然の情に従うのが道徳です。背くのが不道徳です。ところが古来そういった人は一人もいない。

200:考える名無しさん
14/01/11 09:26:51.64 0.net
孔子なんか随分道徳について説いた。それが儒教ですね。
ところが儒教はいろんな形式は詳しく説いていますが、内容は説いていない。
儒教の内容は「仁」で


201:す。ところが仁とは何かということいってない。 だから儒教は形式は分っても、内容は分らない。 仁とは何であるかというと、人本然の情、それが仁でしょう。 情の中から不純なものを削り去って、良い所だけを残して、 これを「真情」ということにすると、真情が仁です。ところがそういってない。 真情が仁だといえば誰にでも分る。だから真情に従って行為するように努めるのが儒教の修行になる。 ところが内容が仁であるのが道徳であるというんだから、どうしていいか全く分らない。 それで形式ばかり重んじている。それが儒教でしょう。少しも実があがってない。 情と知と意を比べてみますと、情は自分の体だけど、 知や意はなんか着物のような、そういう感じがするでしょう。 知的や意的に分ったって、本当に膚で分ってないという、そういう気がするでしょう。 今度、赤軍派の学生が無茶をやった。そうすると皆それを非難している。 それで日本は赤軍派の学生のようなものを出したという短所よりも、 ああいうものが出たら皆非難するという長所を現わしたわけです。 つまり赤軍派には情がない、惨酷であるということをひどく非難している。 ああいうものが出たら直ぐそれを非難する。これが日本人の長所です。 短所を恥じるよりも長所を誇った方が良い。しかし、そうであるという自覚がない。 だからそれから先、話が少しも進展しない。 こういうものが出るのは、人の本体は情であるから、教育は何よりも情をつくるべきである。 教育は全く間違えていると、そういう意見は新聞にはひとつもなかった。情が非常に大事だということ、分るでしょう。 情が自分であるという自覚があったら、それを踏み台にして知や意を働かすことができるんだけど、 その自覚がなかったら、何が何だか分らないのですね。



202:考える名無しさん
14/01/11 09:35:03.96 0.net
日本人は誰でも、情が自分だといえば成程そうだと分りますね。
そうすると、情が自分だという自覚がなかったら、どんなにものがうまく運ばないのかということの方を知れば良いでしょうが、
ともかく情が自分だということは、日本人ならいわれたら直ぐ分る。
だが、本当の自分とは情であると、はっきり思った日本人は一人もいないらしい。
何故かといったら、そんなこと誰も書いてない。
誠に不思議なことだけど、情が自分だといった人はありません。
日本人にないんだから、世界にそんな人はありません。
そういう人類は一人もいないということになる。

東洋は情を自分だとは思わないらしい。
心は情、知、意の順に働きますが、その情、知、意と連ねた心というものを自分だと思っているらしい。
これは日本人である私には想像のつかないことです。
どうすればそんなことが思えるのか分らないが、そう思っているに違いない。
その証拠には、中国では知が基だといいますが、仏教も知が基だといっている。
それだったら心が自分だと思っているんでしょう。そうでなければ、そんなこといえる訳がない。

西洋人に至っては、情の中で大脳前頭葉で分る部分、これが感情ですね。これは極く浅い情です。
もっと深い情を西洋ではどういっているかというと、ソール(魂)といっている。これが情です。
西洋人は悪魔に魂を取られはしないかと思って、びくびくしている。
そうすると情というものは大切なものではあるが、自分ではないと思っているんですね。

東洋人はまだしも、心を自分だと思っているから、その中には情も含まれますが、
西洋人に至っては情を自分だと思っていないらしい。
その魂という程の深みの情、これも今の日本人には分りにくいでしょう。
感情などというのは極く浅い情。
もっと深い情とは一口にいって、どんな風なものか。これは一例をあげれば良い。
日本人は情というものを無意識的によく知っている。それで一例をあげれば足りるんです。

203:考える名無しさん
14/01/11 09:39:16.43 0.net
明治になってからの話ですが、お母さんと子供が住んでいた。
子供が13歳になった。そして禅の修行をしたいといい出した。
それで修行の為に家を出ることになって、いよいよ別れるという時になって、お母さんはこういった。
お前の修行がうまくいって、人がちやほやしている間は、お前は私のことを忘れていても良い。
しかし、お前の修行がうまくいかなくなって、人に後指を指されるようになったら、
私を思い出して、私の所へ帰って来ておくれ。そういった。

それから30年程たった。子供は修行がうまくいって、偉い禅師になった。
松島の碧厳寺という大きなお寺の住職をしていた。
その時、郷里から使いが来て、お母さんは年をとって、この頃では寝たきりである。
お母さんは何ともいわないが、私達がお母さんの心を推し量ってお知らせに来た。そういった。

それで禅師はとるものもとりあえず家に帰って、寝ているお母さんの枕辺に座った。
そうするとお母さんは子供の顔を見てこういった。
この30年、私はお前に一度も便りをしなかったが、しかし、お前のことを思わなかった日は一日もなかったのだよ。

私はこの話を最初、杉田お上人から聞いた。その時、涙が流れて止まらなかった。これが情の本体です。

204:考える名無しさん
14/01/11 10:07:12.19 O.net
こういう情というものがあるのだということを西洋人は知らないのでしょう。この情を魂といっている。
人にはこういう情というものがある。それが人の本体です。
幸福は情が幸福なのであって、道徳は情があるが故にあるのである。明白なことです。
ところが、こういうことをいった人類は一人もいない。
私だってこんなこというのは今年になってからです。そうすると七十年かかっている。
一旦分っていってみれば、こんな明白なこと。ところが、それが言葉にいえないらしい。

戦後日本は情というものを非常に粗末にしている。情が非常に濁っている。
多くは自己中心的なもので濁っている。その上ひからびている。
これは改めなければいけない。
これを改めるには、日本人は情の人だけど、その自覚がない。
それを自覚するということが非常に大事です。
自覚するといえば情の目で見極めること。知や意では自覚できない。
大体、「知、知」と知を大事にする。中国人もそうだし、印度人もそうだし、西洋人だってそうです。
今の教育なんかもそうだけど、
知ということについて少し深く考えてみた人、あるだろうか。私はないだろうと思う。

205:考える名無しさん
14/01/11 10:27:42.43 O.net
知の働きは「わかる」ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵「理解する」という。
ところが、わかるということの一番初歩なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかることでしょう。
松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか。全然、理解じゃないでしょう。
理解というのは、その「理」がわかる。
ところが、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは理がわかるんではないでしょう。
何がわかるのかというと、その「趣」がわかるんでしょう。
松は松の趣をしているから松、竹は竹の趣をしているから竹とわかるんでしょう。
趣というのは情の世界のものです。だから、わかるのは最初情的にわかる。
情的にわかるから言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た。

それから先が知ですが、その基となる情でわかるということがなかったら、一切が存在しない。
人は情の中に住んでいる。あなた方は今ひとつの情の状態の中にいる。
その状態は言葉ではいえない。
いえないけれども、こんな風な情の状態だということは銘々わかっている。
言葉ではいえない。教えられたものでもない。
しかし、わかっている。これがわかるということです。
だから知の根底は情にある。知というものも、その根底まで遡ると情の働きです。

206:考える名無しさん
14/01/11 10:35:49.40 0.net
それ、わかるでしょう。これがわかっていないから、知的にいっても今の教育は全然駄目なんです。
上滑りしてしまって、形式しかわからない。本当にわかったんじゃない。
「悟る」というのは本当にわかって自覚する。これは情の目で見極めることです。
芭蕉は「散る花、鳴く鳥、見止め引き止めざれば留まることなし」といっていますが、
見止め聞き止めるのは情の目で見極めるのである。
情の目で見極めるのが「悟る」「自覚する」ということです。そうすれば存在して消えない。
存在を与えているものは情だけです。
これも銘々経験があるでしょう。深い印象とか深い感銘、これは決して消えないでしょう。
生涯消えないでしょう。こんな力を持っているのは情以外にありません。

人の本体は情であると知ることは、非常に大切なことなんです。
大勢の人がそれがわかったら、例えば教育はいっぺんに改められます。
そうすれば余程変わって来る。そうする以外にやりようがない。

207:考える名無しさん
14/01/11 10:41:14.10 0.net
公害という問題が欧米から輸入されて、日本で大分やかましくいわれている。
日本人は、人は情の動物であるということは、自覚なしにだけどよく知っている。
それと共に、もう一つ詰まらないことを思っている。
文化とは外国から入って来るものだと思っている。外国から入って来ないものは文化にあらずと思っている。

それで公害という言葉、これは文化の一種ですね。
外国から入って来て、日本で大分やかましくいわれている。
外国にオリジンがあるから、こんなにジャーナリズムが取り上げたんですよ。
しかし公害、さっぱりうまくいかない。
何故うまくいかないかというと、情の濁りから取り去らないからです。
単に濁りだけじゃありませんが、情からきれいにして行かないからうまく行かない。

これは二つの点でうまく行かないのです。
一つは情が濁っていますから、すぐ自己中心の考えに走る。
それで企業が公害を取り除くことに反対します。
政府だって、やはり産業優先というようないことを考える。一つはそういう害がある。
もう一つは、情が生き生きと働かなかったら、存在というものがない。
それで淀川を見ても、これはひどい濁りだなあと思っても、それが見えなくなったらけろりと忘れる。
だから公害だって、みんなが絶えず心に留って、気に掛かるという風じゃない。
この二つからうまく行かない。それで情をきれいにし、よく働かすようにするより仕方がない。

208:考える名無しさん
14/01/11 10:46:57.71 0.net
日本歴史を昔からずっと見てみますと、応神天皇以前は多分うまく行っていた。
が、応神天皇の時、中国から文化を取り入れた。そうすると、知が人の中心だといっている。
その後、印度から仏教を取り入れた。やはり知が中心だといっている。
ともかく情が大事だといってない。
それで本居宣長の頃になって、「漢意からごころ清く捨てらるべし」、そんな風になって来た。
どんな風にいけなかったかというと、ともかく儒教の修行も仏教の修行も、ひどく陰気くさく見えたんだと思う。
儒教は形式一点張り。だから裃を着て、しゃちほこ張ったようなものになってしまう。
仏教の方は難行、苦行が多い。大体、意志の修行です。だから矢張り暗いものになってしまう。
そうしてうまく行かなかった。
それだけじゃなく、単に濁りを取るということに留めて、情を積極的にはぐくみ育てるということを全然しない。
つまり今でいえば、情操教育ということをしない。
情操教育という言葉ですが、情操教育が大事だっていったら、絵をかかせたり、音楽ひかしたり。
そんな馬鹿な。人本然の情がよく働くようにするのが情操教育です。まるで見当外れをやっている。

209:考える名無しさん
14/01/11 11:10:14.33 O.net
ともかく情を軽んじたんでしょう。だから本居宣長

しきしまの大和心を人問はば

朝日に匂ふ山桜花

情緒というものが大事であると思っているんでしょう。
はっきりそうと分っていませんが、何となくそれが分ったんでしょうね。
それで「からごころ清く捨てらるべし」といったり、
「しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」といったりしたんでしょう。
情が自分だから、情を大事にせよとずばりいえなかったんだが、
あそこでもっと自分を振り返ってみる暇があったら、それの分る日本人も出て来たかも知れない。
あそこでは、ぐずぐずしていたら滅ぼされてしまうという、そういう状態にあったから、大急ぎで明治維新をやった。
それから外国と戦うために兵器を準備した。
兵器を準備しようと思ったら、西洋の学問より仕方がない。
それで西洋の学問を取り入れた。そのうちにすっかり西洋の学問に溺れてしまった。戦後はそれが極端にまで来ている。
こんな風な訳で、日本人はまだ一度も応神天皇以前の日本人がどんな風だったのかということを、
ゆっくり考え自覚する暇がなかった。
それで一人も、日本人は情の人であると、それが人として正しいのである、といった人はいないのです。
が、それが非常に大事です。

※規制回避のため続きは後日。誰か雑談していて下さると助かります。

210:考える名無しさん
14/01/11 13:29:59.25 0.net
test

211:考える名無しさん
14/01/11 13:33:19.25 0.net
道徳がうまく行かないのは、情を重んじないからです。
情のみがこれが道徳か、これが不道徳かを見分けることができる。
これは教えなくても分っている。だから道徳というものが有り得るんです。
ところで、日本人は情の人ですが、今だって意識してはいませんが、情の人の如く行為しているんだけども、
その自覚がないから知や意の働かしようがない。だからそれから後、さっぱり進展がない。
だから情の人であるというのが正しいのである。それが大事である、という自覚をしてもらうことが非常に大事なんです。
その為には一人一人が自分がそうなって隣の人に話し、成程そうだとうなずかして行くのが早いんだけど、
そのきっかけが仲々つかめないらしい。で、同じことを繰り返し繰り返しいう外ないだろうと思う。
同じ一つのことについてだから、同じ話になってしまうんですが、それを繰り返すのはその効果がないからです。
一人になった時、やっぱりそう思っているということもなければ、
新たな人にその話をするということもしないから、ひとつも進展がないんですね。

212:考える名無しさん
14/01/11 13:37:35.68 0.net
一通りその自覚が行き渡ってからでなくては、教育一つも変えられはしません。
今のままの情を粗末にする教育では、赤軍派の学生のようなものがみすみす出るということが分っていても、変えられない。
どう変えればいいかは簡単だけど、大勢の同意がいるんですね。
それには一人一人に自覚してもらうより仕方がない。
で、根気よく繰り返し繰り返しいっている訳なんです。

一つは情がエゴイズムで非常に濁っている。
もう一つは、生気が充分生き生きしていないんです。
情というものだけど、生きるとういうことは情が生き生きすることだと思う。

情がどうして生き生きしているのかということですが、今の自然科学の先端は素粒子論ですね。
これも繰り返しいっているんだけど、その素粒子論はどういっているかというと、
物質とか質量のない光とか電気とかも、みな素粒子によって構成されている。
素粒子には種類が多い。しかし、これを安定な素粒子群と不安定な素粒子群とに大別することができる。

213:考える名無しさん
14/01/11 13:42:21.88 0.net
その不安定な素粒子群は寿命が非常に短く、普通は百億分の一秒くらい。
こんなに短命だけれど、非常に速く走っているから、生涯の間には一億個の電子を歴訪する。
電子は安定な素粒子の代表的なものです。こういっている。

それで考えてみますに、安定な素粒子だけど、例えば電子の側から見ますと、
電子は絶えず不安定な素粒子の訪問を受けている。
そうすると安定しているのは位置だけであって、内容は多分絶えず変っている。そう想像される。
いわば、不安定な素粒子がバケツに水を入れて、
それを安定な位置に運ぶ役割のようなことをしているんではなかろうか。そう想像される。
バケツの水に相当するものは何であろうか。私はそれが情緒だと思う。
やはり情緒が情緒として決まっているのは、いわばその位置だけであって、
内容は絶えず変わっているのである。
人の本体は情である。その情は水の如くただ溜まったものではなく、
湧き上る泉の如く絶えず新しいものと変っているんだろうと思う。それが自分だろうと思う。
これが情緒が生き生きしている理由だと思う。生きているということだろうと思う。
自分がそうであるように、他(ひと)も皆そうである。
人類がそうであるように、生物も皆そうである。
大宇宙は一つの物ではなく、その本体は情だと思う。
情の中には時間も空間もない。だから人の本体も大宇宙の本体にも時間も空間もない。そういうものだと思うんです。

214:考える名無しさん
14/01/11 13:47:38.37 0.net
ともかく、生きるということは生き生きすることです。
それがどういうことであるか見たければ幼な児を見れば良い。
情は濁ってはいけない。また情緒は豊かでなければいけない。
教育はそれを第一の目標とすべきです。でなければ知はよく働かない。意志も有り得ない。
意志というのは知が描いた地図の上に、この道を歩こうと決めるようなものだから、
地図がぼんやりしていれば意志もぼんやりしてしまう。だから情、知、意の順にうまく行かないのです。その基は情です。

情はエゴイズムで濁ってはいけない。生き生きしていなければいけない。
また、宣長が歌に詠んだように、諸情緒が絢爛と華やかでなければいけない。教育はこれを目標とすべきです。

今の日本は情が濁ってひからびてしまっている。
これを早く変えなければ大変なことになってしまう。そう思うのです。
充分に膚で分ってほしいですね。
なんか私がいっている間だけ、なんとなくそういう気がするが、済んでしまったら忘れてしまうんでしょう。
そういうものなんです。

人類というのは音楽が割合よく分るんですが、情が流れているとそれを感じるんでしょう。
流れが止むとそれを覚えていないんでしょうね。見極めないから存在までいかないのでしょうね。
見極めるには自分で情を働かさなければ。
人の動かすのをただ情的に感知するに留めておくから、その人の情の動きがなくなると一切がなくなってしまう。
自分の情を動かす。自分で見極めなければいけない。それをやってほしい。
これが知性の教育なんです。知が大事だっていうなら、学校はこれをやらさなければいけないのです。
自分で情を動かして、情の目で見極めるということを充分やらさなければいけないのです。
どんなにやらしても、やらし過ぎるということはない。

215:考える名無しさん
14/01/11 13:53:03.94 0.net
何しろ難しい問題です。松とか竹とかが分るのは知だといって放ってあるでしょう。
これが世界の人の目です。はなはだここは見にくい。
よく見てみると情が分るからです。松の趣というものが情で分るから、それで松とか竹とかが教えられるんですね。

情が働かなかったら教えようがない。盲に自然を教えようとするようなもの。
知の地図の上に描くのが意志であり、情あるが故に言葉も有り得る、そして形式も有り得る。それが知。
根本は情だということを充分自覚してもらわなければいけない。

人本然の情に従うのが道徳である、といった人が一人もいないというくらい人類は馬鹿なんです。
それで世界がうまく治まる訳がない。だけど一人もいませんよ。
儒教なんか見てみますと、仁が基だといっているのに、その仁が情だとはいっていないんだから、余程わからないのですね。
仏教の修行を見てご覧なさい。意志で修行しようとする。それで多くは難行、苦行です。大抵そうです。

216:考える名無しさん
14/01/11 14:01:31.00 0.net
情が本体であるということを知って、まっ先に教育を変えなければいけない。
学校教育もですが、家庭教育を変えなければいけない。
赤ん坊の時は情の中に住んでいますが、生まれて3ヶ月は「懐しさと喜びの世界」ですが、
これがずっと続けば良い。成年ぐらいまで続けば良い。
成年ぐらいまでずっと「懐しさと喜びの世界」に住むようにするのが家庭教育です。
そして、これさえできていれば、あとの教育は簡単なものです。
こんなこと直ぐできる。気付かないのですね。だから、みんな知っていただきたい。

みんながそうなる為には、一人一人が先ずわかってもらいたい。
わかる為には自分の情の目で見ることですが、いちいち見て成程とわかったら、まだわかってない人にいう。
そのやり方なら初めは極く少しの人ですが、直ぐ広がる。そうしてもらいたいと思う。

世界を救う道は日本人ほどやり易くはないだろうけど、結局は情が人であると教えることです。
ヒューマニティーが道徳に一番近い。
それだのにカントは「実践理性批判」、理性というようなものが道徳に近いという。見当違いです。
赤ん坊は理性など働かしはしません。こころの世界に住んでいる。
むしろ、あんなものを働かさないから、こころの世界に住んでいる。
真情の命じるままですね。
それが道徳であり、それが幸福なんです。

※以上になりますが、岡の示唆は不器用に繰り返し繰り返し読まないと本体が見えてこないようになっています。
 講演当時はさらに文献も無い時代でしたので、ちんぷんかんぷんさに拍車がかかっていたようです。
 しかし、大事なのは文字や言葉ではなく情。「日本人は情の人である」をよくわかってもらうことが岡の願いでした。

217:考える名無しさん
14/01/16 13:25:28.00 0.net
風変わりな憲法 1969年5月

※九段会館で講演が行われました。靖国神社近くに位置し、二・二六事件で戒厳司令部が置かれた建物ですが、
 東日本大震災のため現在は閉館しています。
URLリンク(www.youtube.com)

218:考える名無しさん
14/01/16 13:35:12.82 0.net
このような風変わりな、敢えて憲法とは言いません、文章を、私あまり読んだことがない。(割れんばかりの拍手)

新日本国憲法の前文というのが中学校の社会科の教科書の、
多分中級、二年位と思いますが、後に付いてた。読んでみた。
そうしますとね、あそこに何と書いてあるかというと
「利己主義で悪かったな、利己主義のどこが悪いのだ」と書いてある。
いくら何でも、そりゃあ日本とアメリカと違いますが、どうせアメリカから示唆受けたんでしょう。
いくらアメリカ人でも「利己主義のどこが悪い」っていうのは如何にも変だから、
それで段々様子を聞いたんですが、これはイギリスに向かっての独立宣言の時の文章がお手本になっています。
だから植民地アメリカの人達が、英本国のあまりの仕方に腹を立てて
「利己主義のどこが悪いんだ」とそういう啖呵を切った。これでやっとわかった。

219:考える名無しさん
14/01/16 13:43:58.92 0.net
それとそっくり内容的には取って来て、そして日本国新憲法の前文としたんです。
この、日本は千三百年、仏教の理屈でやって来ました。
それ以前は、大体、日本民族になってから三十万年、そういう理屈なしにやってました。
明治までは、その中に自然を浮かべ、人の世を浮かべている広々とした心が自分だと、
はっきりこうなってたんです。明治以後、それが大分乱れ始めましたが、
五尺の体が自分だとはっきり書いてあるのは日本国新憲法の前文が初めてです。
真の自分といえば、その中に自然を浮かべ、人の世を浮かべてる広々とした心です。
だから自然が喜んでおれば自分は嬉しい、人の世が喜んでおれば自分は嬉しい、
一人でもひどく悲しんでいる者があれば自分はひどく悲しい。
これが真の個人という意味です。

220:考える名無しさん
14/01/16 13:52:14.94 0.net
で、真の個人というものを諭しても人はまたしても迷って、五尺の体を自分と思いがちだから、
それは迷いであると骨折って教えたのが仏教です。
明治まで千三百年そう教えたのですが、明治以後はあまり言わなくなっている。
この、欧米人は物質主義、個人主義ですから。
言わなくなったけれども、それでも善い行いというのは終戦までは、人の為にする行いが善い行いであって、
自分の為にする行いは利己主義、利己主義は唾棄すべきものだとなっていたんです。
それを全然ひっくり返して言ったのが日本国新憲法の前文です。(拍手)
風変わりはわかってる、一番始めからしてそんな風だから。

221:考える名無しさん
14/01/16 14:15:30.06 0.net
奈良女を卒業したねーちゃんがいつもいっていた。肉やの前で
ド近眼のオッサーンがじっとはかりをみつめていた。それが
おかけつだったと。

222:考える名無しさん
14/01/28 01:19:01.95 0.net
葦牙

(岡潔)
お孫さんがかわいいでしょうって言われたら、私目に角を立てます。
縁あって絶えず一緒に住んでいる。
大切にはしますが、だけどそれだけ。
舞台が終われば、また離れてしまう。
暫くの間しか一緒におられないのだからというので、特別に大切にはしますが、
自分の孫だからかわいいんじゃない。

(質問)
子供を見ておりますと、みなどの子供もかわいい。
と言いますのは、近所の小さな子供がおりますね、
子供は自分の家も他の家も全然区別がないですね。
ところが、大人はどうしてもそういうのをおさえたがる。

(岡潔)
大人が間違っている。

223:考える名無しさん
14/01/28 01:26:37.21 0.net
(質問)
それがいけないわけですね。

(岡潔)
ええ。日本なら日本、まあ、日本だけにしないと、他国は遅れていますから。
日本の国が一つの懐かしさと喜びの世界、
そうなるようにと思っていろいろ考えていきゃ、なんにもむつかしいことはない。
政治も教育も。懐かしさと喜びの世界に住んでいるということを物質的に表現する。
そうすりゃあよい。子供が正しい。

(質問)
そういう意味ったらおかしいですが、そういうことで私、
女性の方、出来るだけ早く結婚したらいいと思ってたんです。

(岡潔)
そりゃ大変結構です。(笑)日本人はそんなふうなんです。

224:考える名無しさん
14/01/28 01:45:03.71 0.net
(質問)
小さい時の教育を誤ると大きくなってからではちょっと方法が無いということですが、
昔のように国が規制するということも無い現代において、
人間が個々別々で自己本位になっていく現状は、なんとかしなければいけないわけですが、
当面、差し当たって何か一つ指針のようなものがあれば、お示し戴きとうございます。

(岡潔)
第一の心がいけないんですね。
自己中心が一番いけないし、それから、理屈もあまり言っちゃいけない。
第二の心の一番基本的な働きは、心と心が合一することだと言いましたが、
情緒としては、懐かしさという情緒が一番基本になるのです。
第二の心が働かないと、人が懐かしかったり、自然が懐かしかったりしないんですね。
そういう外界が総て懐かしいという、その基本的な働きが著しく弱くなっているんです。
根本を放っておいて、枝葉末節をいろいろやったところで、とても直りはしない。

225:考える名無しさん
14/01/28 02:00:31.49 0.net
(岡潔)
ともかく、欧米は間違っている。その真似を止めなきゃいけない。
これを自覚することですね。アメリカの真似をするからいけない。ソビエトの真似だっていけません。
大体、そういう基本的な評価が間違っていてはどうしようもない。

(質問)
そのどうしようもない状態におきまして、葦牙会の指導方針と言いますか、
何か具体的なものはどういうところにあるんでしょうか。

(岡潔)
今日本は間違ってる。欧米の真似は止めなきゃいけないと言っても、なかなか聞きませんね。
なかなか聞かなくても、まあ、ここへ来て下さる方は、聞いてやろうという稀な方ですから、
まあ細々と話でもしていかなきゃ。
三島由紀夫さんのような思い切ったことやっても、感銘は与えるでしょうが、それ以上の効果はないでしょうしね。
全く日本はどうなっていくのかと思いますが......

第二の心が神ですね。もし神々が働いてくれなかったら、日本は滅びるでしょう。
肉体を持ってない第二の心やそれに目覚めた人を神と言ってるんですが、
それ以外だけでは、ここまで悪くなった日本を元へ戻すことは、到底出来ないでしょう。
それくらい悪いんです。

226:考える名無しさん
14/01/28 02:14:40.73 0.net
(岡潔)
第二の心の世界というのは、それが欠けると、それを知っている人の目には非常によくわかるんです。
が、それが欠けてる本人の目にはちっともわからんのです。
だからいくら言ったって、聞きやしない。
これに対して、良い方法って、思い当たりませんね。
いろいろ言うんだけど、今日もここで言ったこと、皆さんはどれだけ聞いて下さったか、甚だ疑わしい。
余程日本人の中ではよくわかる方々でしょうが、それでも、どれだけ聞いて下さったかは甚だ疑わしい。
それくらいわかりにくいんです。
年長者の素行見てたり京産大生の作文読んでたりしたら、まるでしょうがないなあ、ちっともわかってないなあと思うんですが、
それをみんな思ったら、もっとやかましく言うでしょうが、思わんのでしょう。

227:考える名無しさん
14/01/31 22:46:58.94 0.net
「情、知、意」の知とは、「理性」のことであり、この「理性」は西洋哲学の中心にある概念です。
しかし、「情」は「思いやりの心、なさけ、主観的な意識などのことですが、この説明では漠然としている。

岡潔の「情」は、物事の根底にあって最も“重要”なものであるが、現代の社会、科学の種々の理論、主義に
対して、同じ「土俵」の上で“改革と創造”を進めて行かなければ、“情”という言葉だけの記憶として人々の
心に残るだけであり、 そして…それはいつしか人々から忘れさられてしまう。

「情」という概念(心性)が、人々に理解されるには、「理性」のように一定の“論理”が必要となる。
つまり、「情」の“思考プロセス”が必要となる。それは、どう言うことかというと、西洋哲学の「理性」は、“方法的懐疑”
によって「超越論的主観性(理性)」という不動の論理を構築している。今日の科学、社会システムがこの「理性」を基盤として
発展しているのであり、「情」がこの「理性」と対等の位置にあるのであれば、「情」も不動の論理を構築する必要
がある。

私は、「情」と「理性」は車の“両輪”であり、両者は互いに助け合い、協調することの相関関係にあると考えており、その
バランスが崩れてきているのが、今日の文明社会であると解釈している。


同じ「土俵」で

228:考える名無しさん
14/02/05 17:42:25.47 0.net
【新・関西笑談】独立研究者・森田真生さん(産経新聞)

東大を卒業後、大学に所属せず、京都を拠点に在野で数学を研究する28歳がいる。独立研究者、森田真生さん。
講演では脳科学や哲学の世界も行き交いながら、「数学の美しい風景」を語る。
なぜ京都なのか、どうして数学は脳科学、哲学とからまり合うのか。
難解な話をユーモアも交え、分かりやすく「翻訳」してくれる森田さんを訪ねた。(聞き手 徳永潔)

【プロフイル】

もりた・まさお 昭和60年、東京生まれ。2歳から10歳まで米・シカゴで過ごす。
東京大学の工学部、理学部数学科を卒業後、独立。
平成22年に福岡県糸島市で数学道場「懐庵」を開き、
「数学の演奏会」


229:「大人のための数学講座」などユニークな講演活動を各地で展開し、 思想家の内田樹(たつる)氏や人類学者の中沢新一氏らとも対談。 24年春に京都に拠点を構えた。



230:考える名無しさん
14/02/05 17:50:04.03 0.net
--起業ですか

森田 当時すごく盛り上がっていた米国のシリコンバレーに行き、
あちこちの会社に連絡して「とにかく今すぐ社長に会わせてくれ」みたいなことを言っていたら、
現地のジェトロ(日本貿易振興機構)のスタッフが「最近迷惑な東大生がいると聞いたがお前のことか。それなら案内してやるよ」と言われて、
あちこち連れて行ってくださったんです。

--うれしい援軍ですね

森田 その中の一人の投資会社の方が、鈴木健さんという人がおもしろい会社を作ろうとしているからと言って紹介してくれた。
鈴木さんは「なめらかな社会とその敵」という本を書いて話題になった人ですが、
実際に会ってみるととにかくものすごい人で、会社の立ち上げを手伝うことになったんです。
その会社のメンバーがみんないわゆる「理系」の世界の人たちで、数学とか物理をやる人は頭でっかちだと思っていたのに、
話をしてみるとイメージと全然違う。
身体性の起源を物理学的に考えたいと言ったり、縄張りの始まりはどういうものかを数学的に研究しているとか言って、
何か面白い。もっと知りたいという思いがどんどん強くなって、工学部に転部したんです。
そこで研究をしていくうちに、どんどん数学そのものへの関心が膨らんできて、
そのときに数学者の岡潔(1901~78)の著作に出合って衝撃を受けた。
数学にこんな世界があったのか。これは人生を懸けるに足るという感じがしたんです。

231:考える名無しさん
14/02/05 17:53:39.80 0.net
--数学者の岡潔が研究に没頭した和歌山県紀見村(現橋本市)を訪ねていますね

森田 岡は「数学は情緒の表現だ」と言っていますが、情緒はこの環境で育まれたんだなと実感しました。
大阪から和歌山に入る紀見峠の高台に立つと、正面の遠くに高野山を見晴らすことができる。
山並みや虫の鳴く声、すばらしい景色、環境に囲まれています。
岡は「計算も論理もない数学をしたい」といって周囲を驚かせたのですが、
この山中でまさに計算も論理も超越した数学の喜びに浸っていたのかもしれません。

--岡が言う情緒とは何なのでしょうか

森田 岡は「自然数の1が何であるか数学は何も知らない」と著書で繰り返し書いています。
数学の始まりの数である「1」が何であるのかは議論しなくても、脳の中でありありと分かる。
逆に「1は何か」を数学的には定義できないし、
「1」を説明しようとするあらゆる試みは「1」の直感を頼りにしてしまっています。
だから数学は数学自身によって支えられているのではない。
計算や論理に先だって数学を支えているもの、それは実感であり、情緒であると言っているのです。

232:考える名無しさん
14/02/05 17:59:42.95 0.net
--数の感覚はどこから来るのでしょうか

森田 脳が「数覚」をどうやって生み出しているのかという研究があります。
ここに1本のペンがある。1本のペンだとすぐ分かる。
2本なら2本、3本なら3本ということを瞬間に分かる能力を認知科学でスービタイゼイションと言いますが、
この能力は3か4で止まってしまう。
だから数字は、漢字の「一」では横棒1本で、「二」は横棒2本、「三」は横棒3本だが、「四」は横棒4本でない。
横棒が4本になると数えなければ分からなくなる�


233:ゥらです。 回転すし屋さんでお皿3枚はぱっと見て分かるが、4枚ぐらいになるととたんにあやしくなる。 人間の認知限界はだいたいこの辺にあります。 --おもしろいですね 森田 脳は数学をするために進化してきたわけではないんです。 38億年の生命史のなかで、「36×73」なんて計算をすることはなかった。 いきなり計算をしろといわれて、脳はどうしたかというと、計算するためではない部位を使う。 その結果、情報が混在して、例えば5という数字を思い浮かべるつもりでありながら、 5という数字に伴う空間感覚や時間感覚、 あらゆる具体的感覚が一緒に到来してしまって数字に具体的な質感を感じてしまう。 人間が数字に向いていないことによる副作用でもあるのですが、 逆に言えば、それが岡が言う「数学が実感に支えられている」ということになります。



234:考える名無しさん
14/02/05 18:00:45.89 0.net
--岡の研究スタイルは

森田 海外では「Oka」といえば、数学者集団だと信じていた人がいるぐらい、壮大な数学的風景を作り出しました。
岡は生涯で3つの大きな発見をしたと回想していますが、その前に必ず行き詰まったと語っています。
1年、2年ではなく、6、7年も行き詰まった。
さすがに6、7年行き詰まると頭ではやることがなくなるんです。
計算でできることはたかがしれている。理論的にやれることもやり尽くしている。
「やるのは情意であって、知は働きようがない」と岡は言います。
そうすると頭でないどこかが動き出してくる。
岡の数学日記を読むと山に登って花を観察したり、スケッチをしたり、自分の脳よりも大きなところで数学をしている。
数学は脳で閉じていない身体的な行為なのです。

235:考える名無しさん
14/02/05 18:55:17.87 0.net
言語は、意識的に表面に現れるものと、無意識的に創出するものとの“二重性”を
持っていますが、数字の概念も記号として視覚的に捉えられるものと、情緒という無意識層
との連関としての“二重性”があると言うのは、非常に奥の深いものを感じている。

236:考える名無しさん
14/02/13 22:52:29.77 0.net
春雨の曲のコピーってどこで手に入るの?
あと岡潔研究会っていうサイトがあるけどこのサイトって
春雨の曲の内容も含めた岡潔の思想がまとめられていると見ていいの?

237:考える名無しさん
14/02/13 23:27:14.36 0.net
春雨のコピーは正直、ほとんど手に入らん。
ネットにあるものも個人のブログによるほんの少しの抜粋がほとんど。
分量が多すぎて用意できないんだろうな。

春雨は、おかけつの人生の回顧録的な内容も結構ある。
回顧録と言っても、既刊に無い初見の内容が多々あってそれはそれで面白い。
が、回顧録にしろそうでないにしろ春雨を全部読んでどうのこうのなるかと言うと、難しい。
報道関係者なら、急いで読んで損は無い。

研究会は晩年中期が主体で、春雨はほぼスルーしてる。一番読み応えがあるからね。
ただ、春雨に反しない解説になってるよちゃんと。
芥川龍之介なんかが典型だね。インスピレーション型の人が芥川龍之介で、情操型の人が夏目漱石。
芭蕉の解釈を誤ったことを理由に、おかけつは一時期芥川を批判するんだよ。
でも天照大神を非常に慕っていたことを理由に、春雨では再評価に至るんだ。
>>206の京産大の学生の作文も読んでいてね、11識から15識にいるらしい学生も結構発見するんだよ。

238:考える名無しさん
14/02/14 16:46:45.38 0.net
春雨の曲を手に入れられるコネ


239: ・和歌山県橋本市図書館(たぶんある) ・御遺族(岡嫌いの人間には会いたがらない) ・横山賢二氏(晩年中期の資料はタダでくれるが相当に勉強していないと春雨はもらえない) ・帯金充利氏(岡の本の復刻の中心人物) ・高瀬正仁氏(同じく復刻を担当するも、数学的業績の発掘が主体) 高瀬氏は数学の伝記が主体だから思想については他の方に比べてあんまりわかってないっぽい。 でもそのぶん一番早く確実にコピーをくれる方は高瀬氏だろね。



240:考える名無しさん
14/02/17 23:22:54.01 0.net
>>215>>216
回答サンクス!!
自分はまだ春宵しか読んだことが無いが
これから岡の著書を発刊された年代順に読み
最後に春雨の曲にたどり着けたらいいと思ってる

241:考える名無しさん
14/02/18 22:33:06.07 0.net
岡潔botより
URLリンク(twitter.com)

私の論文などいつもケアレス・ミスが多く、わざわざ訂正文を送らねばならぬくらいである。
しかし、ケアレス・ミスが多いことと、本質的なミスがないこととは対応し合うものらしく、
これに反して、ケアレス・ミスの全くない論文にたまにミスがあれば、
それは致命的なものであって、全体が思い違いだとさえいえるくらいである。

私の論文はいつもケアレス・ミステイクが多いのだが特段何もなければ別に訂正もしていない。
どうせわかる人にはわかり、わからない人にはわからないからである。

242:考える名無しさん
14/02/18 22:36:43.37 0.net
 
岡はまだまだ数学の研究をずっとしたかった 問題はそこなんだよ

243:考える名無しさん
14/02/18 22:46:15.48 0.net
>>219
どうだろうね。随筆を書き始めた当初こそそういう平穏な数学研究生活を望んでいたが、
情緒の方向には本人も面白がって入っていった部分もあるしね。
数学をあまりやらなくなっていったのもそうだが、
戦後自分にとって必要になった仏教すら70年頃を境に嫌い出すからね。
浄土宗の弁栄上人が創始した光明主義の杉田上人が居る中、
公衆の面前で「仏教は間違いだ」って喋ったエピソードもあるし。
あまりそういうのは大した問題じゃないと思うな。

244:考える名無しさん
14/02/18 23:28:48.33 0.net
人間の建設で岡潔と対話した小林秀雄の肉声が収録された音源から抜粋
URLリンク(www.youtube.com)

信じるってことは責任をとることです。
僕は間違って信じるかもしれませんよ。
万人のごとく考えないんだからね僕は。僕流に考えるんですから勿論僕は間違います。
でも責任はとります。それが信ずることなんです。
だから信ずるという力を失うと、人間は責任をとらなくなるんです。 
そうすると人間は、集団的になるんです。
会がほしくなるんです。自分でペンを操ることが、信じられなくなるからペンクラブがほしくなるんです。
ペンクラブは、自分流に信じることはできないです。クラブ流に信じるんです。
んなこたないですよ。クラブ流に信ずるからイデオロギーってもんがあるんじゃないか。そうだろ?
自分流に信じないからイデオロギーってもんが幅をきかせるんです。
だからイデオロギーは匿名ですよ常に。責任をとりませんよ。

左翼だとか右翼だとか、みんなあれイデオロギーですよ。
あんなもんに「私」なんてありゃしませんよ。信念なんてありゃしませんよ。
どうしてああ徒党を組むんですか?日本を愛するなら。
日本を愛する会なんてすぐこさえたくなるんですよ。馬鹿ですよ。
日本てのは僕の心の中にあるんですよ。諸君の心の中にみんなあるんですよ。気がつかないだけだよ。
こんな古い歴史を持った国民がね、自分の魂の中に日本を持っていないはずがないですよ。

245:考える名無しさん
14/02/21 18:43:19.1


246:7 0.net



247:考える名無しさん
14/02/25 14:13:31.99 0.net
岡って原発に賛成反対以前に自然科学そのものに好感持ってなかったな。
しかも今更将来を心配するのは馬鹿だし手遅れだと。

248:考える名無しさん
14/02/25 19:09:47.44 0.net
昔、数学板でおかけつの仕事がそんなに偉大なら、
三行で述べてくれといったら、なんたらかんたら、業界用語
の説明に手間がかかるから出来ぬだとよ。念仏でも唱えて
理解したつもりになるよりないかww」

249:考える名無しさん
14/02/25 20:02:26.52 0.net
上空移行の原理(第一論文)(インスピレーション型)
二関数を積分方程式に帰着させ融合させる方法(第六論文)(梓弓型)
不定域イデアルの理論(第七論文)(情操型)

専門外から見てだが、一つ目の大発見は峻険な山脈を一から登るのを諦めてヘリコプターで登ることで得た発見。
二つ目の大発見は過去の積み重ねを切り捨てて知性を総動員して見つけ出した発見。
三つ目の大発見は牛乳に酸を入れた時のようにいちめんにあったものが固まりになって分かれたことでわかった発見。
特に三つ目は「捨」と「情」により結果としてまったく新しい概念を考案してしまったために、
その後の数学専門書の記述に革命をもたらしたと言って良い。

でも逸話としては第十論文の方が好きかな。厳しい寒さの冬から果実のなる春に移った、岡の最後の論文。
ブルバキ的な厳しさとは無縁の、おまけみたいな論文だから、相手にしない人も多いんだけどね。
掲載された図形の世界観が、第十論文だけは本当に異質で面白い。

長文書いてくれる人は次はこの岡の数学研究回顧・伝記をお願いしたい。
既刊に出てる奴でいいから。

250:考える名無しさん
14/02/26 19:05:40.40 0.net
いっぱんに数学では問題を出した人のほうが問題を
説いた人より上と思われている。問題にたどり着くには
長大な研究の鎖がいる。

251:考える名無しさん
14/02/26 20:03:33.41 0.net
岡は確か生涯でやりたいと思っていた数学の3分の2はやったと書いていた
その後は思いを継ぐ者は現れず、研究は放置されたままになっている
とすれば唯識論と同じで、最低あと5個は論文として発表できるはず
10番目の論文からイメージがガラッと変わっているから、春雨の曲みたいにそれはそれは壮麗な数学になる
50年越しの後継者の出現に期待したいものだ

252:考える名無しさん
14/03/08 21:15:18.47 0.net
岡潔博士・記念館の建設決定~市議会委託予算可決

世界的な数学者で文化勲章受章者・岡潔(おか・きよし)博士(1901~78)の〝顕彰記念館〟が、
岡博士の故郷、和歌山県橋本市の杉村公園に建設されることが決定した。
市議会最終日の3月6日、顕彰記念館・委託料(基本設計)予算399万8000円が可決され、
2018年開館を目指して、建設されることになった。

岡博士は大阪市生まれだが、4歳の時から父の実家、紀見村(現・橋本市)に居住。
京都帝国大学�


253:イ業後、多変数関数論に出会い、 「世界の数学者が1問解くのに100年かかる」と言われた「世界の三大難問」を1人で解決した天才。 また、「春宵十話」などの数々の著書を表し、「日本人の情を大切に」と強調した卓越した哲学者でもある。 1960年に文化勲章を受賞、61年に橋本市名誉市民になった。 橋本市企画部企画経営室の話によると、顕彰記念館は杉村公園内の松林荘(しょうりんそう)北側に建設。 ここは4月開通予定の国道371号バイパス(京奈和自動車道・橋本インター~同市三石台)に隣接していることから、 記念館を中心にした「道の駅」のような観光拠点にする構想。 記念館わきには観光案内所、トイレ、多目的広場などを建設し、 観光バス約5台、乗用車なら約50台収容の駐車場を設けたい考えだ。



254:考える名無しさん
14/03/08 21:17:56.79 0.net
岡博士の旧宅は、旧・高野街道沿いの閑静な山上にあった築約100年の木造平屋で、約80平方メートルの、こじんまりとしたたたずまい。
旧宅が所有者の事情により、2001年9月に撤去される際、当時の北村翼(よく)市長が、橋本ユネスコ協会や地元市議の要望に応え、
解体後の梁(はり)や鴨居(かもい)などの建築資材は現在、橋本市河南別館倉庫に保存されていて、記念館に活用することになる。

同市内では、長らく岡博士の〝旧宅・復元話〟が途絶えていたが、
2009年、岡博士の偉業を讃え、数学教育を進める「橋本市岡潔数学WAVE」が設立され、記念館の建設が求められていた。
建設費は数千万円規模になる見込みで、同市は「橋本市岡潔顕彰基金」を創設、全国から募った資金と、国の補助金を充てる方針。

木下善之市長は「記念館には、岡博士の著書や愛用品、写真などを展示。できれば〝寺小屋〟のような建物も併設したい。
全国の数学ファンや観光客が立ち寄り、数学好きな子供たちが増えてほしい」と語った。

「橋本市岡潔数学WAVE」理事の奥村浩章(ひろあき)さんは「岡博士が数学に卓越していたことは誰しも認めることですが、
それよりも大事なことは、日本人の情緒を重んじた岡博士の哲学ではないでしょうか。
全国から岡博士の手書き原稿など、膨大な資料が集まっているので、それを保存展示する場所ができることは、うれしい限りです」と語った。
(2014年3月7日 橋本新聞)

255:考える名無しさん
14/03/12 18:29:25.35 0.net
第一の大発見

私は西暦1925年に大学を出て、1929年の春に船でフランスへ向かった。
その途中でシンガポールへ寄ったのである。
私はそのとき二つほど習作はしていたのだが、こんどはライフワークを始めようと思った。
それには数学のどの分野を開拓するかを決めなければならない。
つまり開拓すべき土地が問題なのである。私はそれさえ決めればよいのである。
こんなふうだったのだから、産業界は工業時代から情報産業時代に移ったと聞くとよくわかる。

ソルボンヌ大学(パリ大学)とはどういう所かといえば、授業料は三種類ある。
一つは講義を聞くためのもの、一つは図書館を使うためのもの、一つは学位論文を審査してもらうための手数料である。
人員に制限もなく国籍も問わない。授業料さえ払えばよ


256:い。 アメリカ人はずいぶん来ていた。家庭教師を雇うより留学させたほうが安くつくからである。 数学教室は独立した建物になっていた。ロックフェラーの寄付で建てたのである。 アンリ・ポアンカレ研究所という名がつけてあった。 そこには大きな講義室が二つあった。小さいのはずいぶんあったが、いくつあったか知らない。 大きな部屋にはフランスがほこる大数学者たちの名をとって、 一つをエルミットの部屋、一つをダルブーの部屋といった。図書館がついていた。



257:考える名無しさん
14/03/12 18:43:02.53 0.net
私が着いたときは、もう夏休みに近かった。
この大学の夏休みは非常にながい。一年が三つにわかれていて、特別講義は毎年変わるのだが、その講義は最後の三分の一だけで、
先生たちは初めの三分の一は文献の準備、
次の三分の一の夏休みにだいたいの研究をすませて、
最後の三分の一でそれを講義しながら書き上げているような気がした。
先生のお弟子が講義の速記をする。それを先生が見て直すべきは直して、毎年本にして出す。
要点だけを抜き出して論文も書くというふうにしているようにみえた。
論文は夏休みがすんでから講義が始まるまでの間に書くのかもしれない。

私はその年度はその図書館の閲覧できる授業料だけを払った。それでもうパリ大学の学生である。

パリ市は城のあとである。その南の入り口にモンスーリーという公園があって、その外側に大学都市がある。
まだ城郭の内側だが、ここだけは自治を許されていて、パリ市は関与しない。
そのいわば国際的自治都市の中に日本会館もある。私はその一室を借りていた。
私のすべきことは、この図書館を相談相手に、この学年中にライフワークのための土地を選ぶことである。

そんなこと、日本でしても同じではないかというかもしれないが、
日本にいてはそれができないし、フランスにおれば易々とできるから全く不思議である。
何しろここは、ギリシャに源を発するラテン文化の流れを真向きに受けている国だから、
ただクラゲのようにポカポカ浮いてさえおれば、流れがおのずから着くべき所へ着けてくれるのである。

258:考える名無しさん
14/03/12 19:04:23.70 0.net
これが環境というものである。もちろん地上の影をそう呼んでいるのであって、これは生命のメロディーの影なのである。
彼らはそれを自覚してはいないが、やるのはそれでやっているのである。

論より証拠、だいたいその学年中にはライフワークの土地として、多変数解析函数の分野が見つかった。
それで、次の年には講義を聞くことのための授業料を払った。
そして世話してもらえる先生の家を訪ねた、私はそこで、先生の論文を少なくとも75はもらった。
しかし読んだのは二つだけである。しかもそのうちの一つは、日本で読んでいたのである。
この論文は広島の大学(後に岡が赴任する広島文理科大学、現在の広島大学)の私の部屋の書物棚へ入れておいたのだが、
私がそこを(広島事件等のために)やめた後も、いくら送ってくれといっても送ってくれないのでそのままにしておくと、
原爆で焼けてしまった。
三年目も学位論文の審査のための手数料は払わなかった。習作は日本で二つしていたし、フランスでも二つしたが、
そんなのを審査してもらって学位をもらっても仕方がない。

ではなぜ、留学は二年だのに頼んで三年いたのか、というと、
私はフランス文化をそれほど高く買っていなかったのであるが、これについては後に述べる。
ではなぜかというと、私は芥川の好きな中谷治宇二郎君(「日本先史学序史」の著者)とすっかり気が合ってしまって、
もうしばらく一緒にいたかったからである。
今になってこれが私にたいへん役立ったことがわかる。
私はじっと動かないし、この人はなんだか永遠の旅人という感じである。

259:考える名無しさん
14/03/12 19:22:08.47 0.net
ところでそのラテン文化であるが、私にはなんだか、「高い山から谷底見れば瓜や茄子の花盛り」という気がした。
この土地はいわば高原のようなものであって、その山に上る第一着手は、30年近く誰にもわかっていないのである。
十中八九、私にも見いだせないかもしれない。しかし一、二、可能ではないといい切れないふしもある。
よしやってやろう。私にできるかできないかわからないが、私にもできないのに、フランス人にできるはずがなかろう。
こう思ったから、これをやると決めたのである。
ラテン文化は実際は、私が思ったよりずっと底が深かったのであるが、これも日本に帰ってみて初めてわかった。
これも、というのは、この随想でいったかいわなかったか忘れたが、
私はフランスへ来て、初めて日本のよさがはっきりとわかったのであった。

今や私には問題はしぼられて、第一着手の発見が問題である。
私はパリのあらゆる文化をこの発見に役立てようとした。

私は1932年に日本へ帰って、(京大から厄介払いされて)広島の大学へ勤めた。
ずいぶんこの問題の解決の探求の邪魔になるのだが、
(ドイツでなくフランスに)洋行させてもらって、しかも一年延期してもらったのだから仕方がないのである。
そのうち1934年の暮れになった。

260:考える名無しさん
14/03/12 19:37:28.44 0.net
ドイツのベンケがトゥルレンに手伝わせて多変数解析函数の分野の文献目録のようなものを出してくれた。
私はそれが手にはいったから、翌1935年の一月二日から、それを持って私の部屋に閉じこもった。
これは私には箱庭のように思える。それを二ヵ月かかって丹念に心に描き上げた。今や困難の全貌は明らかである。
問題はその上へ昇る第一着手を発見することである。

私はくる日もくる日も、学校の私の部屋に閉じこもって、いろいろプランを立てては、うまくいきそうかどうかをみた。
日曜など、電気ストーブにスイッチを入れると石綿(アスベスト)がチンチンチンと鳴って赤くなっていく。
それとともに心楽しくなる。きょうは一日近く自分のものだし、
昨日まで一度もうまくいかなかったということは、きょうもまたうまくいかないということにはならない。
そう思って新しいプランを立てる。日が暮れるころまでにはうまくいかないことがわかる。

そんな日々が三月続いた。私には立てるプランがなくなってしまった。
少しも進展していないし、もうやりようがないし。

261:考える名無しさん
14/03/12 20:08:28.10 0.net
私は、これもパリでしばらく非常に親しくしていた中谷宇吉郎さん(理化学研究所所員、人工雪の製作に世界で初めて成功)、
この人は治宇二郎さんの兄さんで寺田先生(物理学者寺田寅彦、東京市生まれ、高知市出身)のお弟子なのであるが、
その人が、北海道へ遊びにこいといってくれたので行った。
そんなことをしている間も、知的にはもうすることがないのであるが、情意は働き続けていたのである。

中谷さんのいる札幌へ着いて、中谷さんの家の裏へ下宿した。
札幌の大学は講師の阿部社長(寺田先生のお弟子で、北海タイムス社長)の部屋を貸してくれた。
私は毎日そこへ行くには行くのであるが、何しろ知的にはもう私にできることはないのだから、
十分もたてば眠くなって、そこのソファに寝てしまう。
そのうわさが北大の理学部中にひろまって、口の悪い吉田洋一さんの奥さんが、嗜眠性脳炎という仇名をつけてしまった。
中谷さんは、「岡さん、札幌は失敗だったね」といった。
この嗜眠性脳炎の時期が、札幌へ来る前から数えて、三月続いた。
そうこうしているうちに九月にはいって、もう広島へ帰らなければならない日が近づいていた。
そうしたある日、中谷さんのお宅で朝食をいただいた後、いつもは一緒に学校へ行くのだが、
その日は妙にじっとしていたくて、一人残って応接室にすわり込


262:んでいた。 二時間近くもそうしていただろうか。 そうするとパッとわかったのである。この種の発見に伴う悦びが、ながく尾を引いた。 疑いは少しも伴わない。私はその後を考えた。これが多変数解析函数についての論文Ⅰになるのであるが、 私には後のⅤまでは大した問題のないことがわかった。 Ⅰを書いたのは翌年の蛙鳴くころである。



263:考える名無しさん
14/03/12 20:39:18.49 0.net
中谷宇吉郎さんを思う

一昨年(1960年)秋、私が文化勲章受賞のため久しぶりに上京したさい、
中谷さんに会い、専攻の低音科学の話になったが、
中谷さんは「自分の仕事はどうも物理学とは認めてもらえないらしい。
雪を作る実験にしても、ぼくがやればでき、ほかの人がやればできないからという理由で、
物理よりも芸術に近いもののようにみられているらしいよ」と話していた。
これがおもしろかったので授賞式当日一緒に受賞者となった吉川英治さん(「宮本武蔵」の連載で知られる小説家)に
この話をしたところ、吉川さんも「日本人にはある方面に他人のまねのできない能力を持っている人が多いが、
正当には評価されないので困るようですね」とほかの実例もあげて同情的に語っていた。

264:考える名無しさん
14/03/12 20:42:55.91 0.net
※低音科学は低温科学に訂正。

265:考える名無しさん
14/03/15 05:42:54.57 0.net
風変わりな憲法>>197-200の続き

URLリンク(www.youtube.com)

集団が団結を作って生き抜くという、その生きる為の知恵は、人類が最初に得た生きる為の知恵です。
人類はこれによって他動物との生存競争に打ち勝って、ようやく今日まで生き延びることができたのです。
そののち人類は少しは利口になりました。それで口先では割合感心なことを言うことができるようになりました。
しかし、まだまだ野蛮であって、それを実行することができない。
だから今、世界の国々は終戦後の日本一国を除いて、ことごとく国という団結を強固にして、
それによって生き続けるということをしようとして必死になっている。
日本だけは決してそういう事をしない。
しないだけじゃない、いやあ、旗も出しゃあしません(祝日に国旗も出そうとしませんの意味)。
それを愛国というのです。愛国といったら変な目で見られる。
一体、どういう国なのかわからない。

266:考える名無しさん
14/03/15 06:02:28.11 0.net
愛国について説明します。日本の明治維新ですが、明治維新はどうしてできたかというと、志士達の活動によってできたんです。
もし明治維新ができていなかったら、日本は滅んでいたに決まっています。
大体、戦争なんか要らないとか何とか言いますけど、今度の大敗のような事を日露戦争頃までにやったら、確実に滅んでいたでしょう。
私、大東亜戦争に突入したと聞いた時、「しまった、日本は滅びた」と思いました。
で、暫くぼんやりしていたんですが、やがて起こる「一億同胞、死なば諸共」の声に励まされて、
成程それも華々しゅうて良かろうと思っておりました。本当に死ぬつもりだったんです。
それが戦争が終わってみると意外にも生きています、今でも。何故、そういう事になったかというと理由は二つある。
一つは天皇陛下が勅命によって戦争をやめよと言われたこと。
もう一つは、今言いました通り、大敗戦の終わった時、その時期が非常に良かった。
もう少し早くだったら滅んでいたに決まっているんです。

猶、ちなみに言って置きますが、日本は今これからお話して行く、チンプンカンプンわからない憲法を受諾しました。
何の事だかわからない、実に滑稽です。が、こういうものを何故、受諾したかというと、
もし憲法を受諾しなかったならば、天皇を戦犯にして処刑すると言われた。
命の恩人を殺すわけには行きませんから、涙を呑んで引き受けた


267:のです。 こういうのを一億の総々意というのですか。社会党、共産党、創価学会、憲法調査会、皆「一億の」といってる。 一億の総意っていって国民投票にさえ問うてないでしょう。 この、日本より半年程前、西独がやはり憲法を変えよと言われた。 その時、進駐軍の治下において国民投票に問うということは、公平な国民の意思を反映することではない。 だから進駐軍治下においては新憲法を作るということは理論上、不可能である。そう言って峻拒したんです。 今、一億国民の総意によって新憲法を受諾したと言っている人達は、事実を曲げるも甚だしいんです!



268:考える名無しさん
14/03/15 06:13:21.85 0.net
で、それはまあよろしい。ともかく日教組、その他の共産主義の先生達のしたことは、
明らかに計画的に国の団結を破壊しようとする行為です。
だから私、こんなの憲法違反に決まってると思ってた。ところが一向、皆そう言わん。
私、あまり変な日本国新憲法の前文を掲げてあったから、馬鹿らしくて憲法を見なかった。
だけど国民の団結ぐらい言ってあるだろうと思って、岩波文庫に世界各国の憲法を書いた本がある、
それを買って来て日本の憲法を見てみた。
どこにも、ただ一言も、国という団結を固めるという意思が書いてない。
おかしなものだなあ、憲法というのはと思って、他の世界各国のを見てみますと、
そうすると各国はことごとく国という団結を固めて生き抜こうという意思を謳っている。
書いてないのは日本一国です!これだけでも国民の総意によるものではない、
(進んで受諾はしたが実質的に見て)押し付けられたものであること明らかです。
ともかく国民が団結を作って生きて行くという意思あって、然る後、憲法があるのです。
ところが日本の憲法だけはそれを書いてないのです。

269:考える名無しさん
14/03/15 06:25:41.59 0.net
ところで西洋人は大抵、無差別智の働き方が前回りで前頭葉へ働く。
そうしますと、実在性と自己性と二つともが混じってしまう。
こんなん有りもしないもの、有ると思うのです。
それで平等性智が邪智になる、邪智型になる。この邪智型平等性智が理性です。
西洋人が理性といってるものは、ことごとくと言って良いほど邪智型平等性智。
それから東洋人の場合は前回りしません、後回りします、概して後回りします。
後回りして平等性智が働きますと真智態の平等性智が働くか、非常に良ければそうなる。
そうでなければ実在性だけを執する。この時も後回り、前を通りませんから。
前を通れば必ず自己性が入る、邪性が入る。
実在性だけを執すると、そうすると分別智になる。盲目性は入るが、邪性は入りません。
そういう平等性智になる、大抵そうなる。そこで!
前頭葉に働く平等性智が邪智態である者を西洋人と定義します。
前頭葉に働く平等性智が妄智型、或いは真智型である者を東洋人と定義します。
それで東洋人、西洋人が出て来ました。日本人は大抵、東洋人です。

270:考える名無しさん
14/03/15 06:44:14.81 0.net
東洋人は大体、どこを使うかということを見ますには、人は生まれて二年五ヵ月、これが童心の季節です。
そこで人の中核できてしまうのです。後は、これに実在性とか自己性とか、これは有りもしないものでしょう。
そういうものを着けて、いわば堅固なガラス瓶へ入れて持って歩く。
で、中核は童心の季節です。この童心の季節で一体、どこを使ってるかと日本人の子供を仔細に見ますと、
使ってるのは頭頂葉、大円鏡智。つまり観念です、メロディーを聞くこと。
それと後頭葉。これは心を形に現し、形によって心を知る。特に形によって心を知る。
つまり、頭頂葉の全メロディーの雰囲気のようなもの、これを使ってます。
しかし、前頭葉は使ってません、側頭葉も使ってません。だから、東洋人は頭頂葉と後頭葉とを主として使う。

それで例えば、行為に至るまではどんな風かと言いますと、例えば共産主義革命をしようとします。
そうすると後頭葉において、その雰囲気を充分作る。つまり世の中の悪いことを散々言うて、嫌悪感を催します。
それから共産主義になれば良いような、いろいろ良さそうなことだけを挙げて、充分共産主義的な雰囲気を育�


271:゙。 これ、小学校からやってるでしょう。共産主義じゃなくても、スパルタ教育の悪い面もそうです。 後頭葉でそれをやる。 しかし頭頂葉は使わない、日本人が無知な理由ですね。 それから側頭葉でメロディーないしは標語に練る。



272:考える名無しさん
14/03/15 06:54:45.68 0.net
それで例えば、共産主義色ですね、それを小学校あたりから骨折って拾った共産主義色を標語に練る。
それはもう誠に簡単です。「いざ革命」といえば良い、標語になってる。
「共産主義革命」とそういえば良い、標語になってる。
そして、じっと満を持して時機を待つ。
ここまでは憲法によりますと、これは宗教、それから思想の範囲ですから、全く関与できないんです。
そして時機が来たと見たら、「いざ革命!」といえばいいんでしょう。
そうすると五一五事件の時の如く、二二六事件の時の如く、
側頭葉が引き金を引いて前頭葉が運動領へ命令すると、
「アッ!」という間に実行に移されて、疾風迅雷、駆けるに暇がない。

273:考える名無しさん
14/03/15 07:10:37.95 0.net
これが東洋的な行為に至る動きです。

初めに何か体操のようなことをして、それをいちいち言葉で言い表して、
一人一人議論して、さあ一緒に行こうといって勧めて、それから行為するのは西洋型の場合です。
これはこれでジョークならともかく、邪智を使うのでタチが悪い。

しかし東洋型も東洋型で、日本だと、
五一五事件の如く、二二六事件の如く行為に移すから恐ろしいんです。
準備は後頭葉で充分謳歌させておいて、側頭葉で標語に練って、
その引き金に手をかけたまま待ってれば良い。
悪い意味でのスパルタ教育は引き金を引く寸前、しかし共産主義は引いてしまう。
こうした大脳生理を忘れた日本民族の愚かさがわかるでしょう。
だから、あのような憲法では、とても日本の安全は守ることはできないのです。

そうしますとねえ、誠に都合悪いと思うのは、あんなもん引き受けて、
二十何年も何の準備もせずにやって来た政治家なんか、あんなものどうしようもない。
だから、ああいう憲法しか日本にないということは、新秩序は実はないということです。
で、私達は、幸い新秩序がないんだから、新秩序を作りましょう。
大事なのは宗教と思想だけど、宗教活動も思想活動も憲法は何も止めておりません。
非常に都合の良い憲法です。お終い。(拍手)

274:考える名無しさん
14/03/15 08:38:42.02 0.net
録音できる目覚まし時計がありんす。朝いちばんに叫ぶ何か面白い言葉を
吹き込みたいけにポマイラかんがえてくれっちんこ

275:考える名無しさん
14/03/20 20:01:08.00 0.net
会津の日新館という藩校に「ならぬことはならぬものです」で締めくくられる掟があるが、
あれは岡の場合は祖父から与えられた「他人(ひと)を先にし自分を後にせよ」だった。
で、これは子供の道徳観としては意味があるというか、必要なものであって、
問答無用である程度押し込んで良い。智で言えば分別智に近い。

ただ、子供は反発するだろうし、ダブルスタンダードの要る大人になってもこれを金科玉条とされては困る。
したがって、大人はできるだけ無差別智的な分別智という形で与えてやらないといけないし、
無駄の無い情すなわち真情が根本だということを大人も子供もなるべく忘れないようにしないといけない。

276:考える名無しさん
14/03/22 00:55:41.29 0.net
台湾が今危ない。退回服貿(ほえほえくまー)。

277:考える名無しさん
14/04/20 05:40:31.30 0.net
高瀬正仁「岡潔―数学の詩人」より 広島事件

広島で不可解な事件が起こり、岡潔の人生に大きな転機が訪れたのは昭和11年(1936年)6月23日のことであった。
この日の夜、岡潔は京都帝大の数学者、園正造(代数学者)の歓迎会に出席したが、
途中で


278:心身の具合が悪くなって帰宅し、それから行方不明になった。 翌朝になって判明したところによれば、岡潔は自宅の近くを流れる二股川の土手を帰宅途中の 修道中学(現 修道中学校・修道高等学校)の夜学生たちを襲い、帽子や書籍、靴、自転車などを没収して、 それから牛田山の笹原に寝そべって一夜を明かしたというのであった。 被害者の中学生の家族が強盗にあったと警察に訴え出たため新聞沙汰になり、一時は騒然とした事態になったが、 ともあれ病気と見なされて入院した。入退院が繰り返されて一夏をすごし、いよいよ最終的に退院したときは9月13日になっていた。



279:考える名無しさん
14/04/20 05:59:21.87 0.net
岡潔の晩年の遺稿『春雨の曲』第三稿には、この時期の心情がこんなふうに回想されている。

1936年の6月にわたしは一晩中、
わたしの家はその頃広島の牛田という、八幡神宮を祭ってある小高い丘の麓にあったのだが、
その丘の、家と反対の側、と云うと北西の方になるのだが、
その丘の北西の斜面の笹原に寝て、星の一群を率いる宵の明星と話をした。

次に挙げるのは『春雨の曲』第七稿からの引用である。

それから1、2日たったよく晴れた夜、わたしは家の後ろの小高い丘の斜面に、
北西の方を向いて、笹原に背をもたせかけたまま、
金星から来た娘の話を聞いていた。
娘はわたしの今生の越し方行く末を詳しく説明してくれたのであるが、
わたしには夢の中の話のようであった。
満天の星斗も水上に乱れ飛ぶ蛍のように見えた。

280:考える名無しさん
14/04/21 12:09:24.77 0.net
個人主義はイコール閉鎖主義でもあるって言ってたな、おかけつ

281:考える名無しさん
14/04/22 00:25:25.76 0.net
第二の大発見

日本の文化の本質を調べてみて、
数学における情操型発見を詳しくお話ししておくことがどのように大切であるかがよくわかって来た。
それで話を少しもとに引きもどしてお話ししよう。

京大数学教室の二年以後の有り様から言おうというのである。
当時の教室の教授は四人で、うち一人は和田先生であったから、残りは三人である。
河合十太郎先生が函数論を、西内貞吉先生が射影幾何学を、園正造先生が代数学及び数論を教えられた。
ほとんどこの先生方の講義しかなかった。
この講義時間数が非常に少なかったということが、この教室らしく教えるには非常に大切なことであった。

私は意識してこの教室に入ったのではない。しかし入ってみるとここも神代の文化を教える所であった。
百花繚乱の花園に遊ぶようである。それでいて私は一日一日目が開けて行くような気がした。
かようにして私は数学研究を始めるための雰囲気を用意してもらったのである。
花が開くためには春の気が必要なのである。

282:考える名無しさん
14/04/22 00:33:10.60 0.net
数学研究の初めの頃は、私はインスピレーション型発見ばかりした。
しかしこれは情操型教育の上でインスピレーションを感じていたのである。

初めは、数学は西洋の学問だから、西洋にやり方を学んだことになって、こうなったのだと思う。
だんだん研究に習熟するとともに、東洋本来の型である情操型発見が出るようになった。

私の多変数解析函数の研究には三つの難関があった。
第一論文で突破したものと、第六論文で突破したものと、第七論文で突破したものとである。
そのうち第一論文はインスピレーション型発見、第六論文は(中間の)梓弓型発見、第七論文は情操型発見である。
これらについてお話ししようというのである。

283:考える名無しさん
14/04/22 00:45:42.16 0.net
第一論文を書いたときから私はこの第六論文の突破法について色々考えていた。これが研究本体であった。
私はゆるゆる書きながら暗中模索を続けたのであるが、少しもわかって来ないうちに第五論文まで書いてしまった。
いよいよこの難関を何とかして通らねばならぬ


284:。 その頃日本は日支事変の最中で、国民精神総動員のやかましく言われている頃であった。 私は広島の大学をやめて郷里の和歌山県で研究していた。 論文で言って、第五までと第六からとは、問題の型が違うのである。 第五まではそうなることを言えというのであり、第六のものはそんな風に作れというのである。 初めのものは函数論的であり、あとのものは解析学的である。 私は解析学におけるものの作り方を一応しらべた。そんな作り方は何もない。 それで思った。 今の数学の進歩の状態でこの問題を解けというのは、まるで歩いて海を渡れと言うようなものである。 そう思うと急に実際それがやってみたくなった。それでちょうど台風の襲来が予報されていたから、 (広島事件同様家族に無断で)台風下の鳴門の渦を乗り切ってやろうと思った。



285:考える名無しさん
14/04/22 00:59:24.91 0.net
それで大阪港から船に乗ったのだが、台風はそれて、まるで春のような海を見せてもらっただけである。

読む本もないままに年が変わって蛍の季節が来た。
当時、もと紀見峠の上にあった私の家は軍用道路になってしまったために、
私は峠を南に下りた麓の所に家を借りて、家内と子どもたち三人とで住んでいたのだが、
毎夜一家総出で蛍を取って来ては裏のコスモスの茂みに放してやり、
昼は毎日(近所の子どもたちにからかわれながら)土に木の枝でかいて、
解析学の諸々の作り方を、もう一度、きちきち調べ直してみた。
そうしているうちにだんだん要求されている作り方の性格がわかってきた。

それで、フレッドホルム型積分方程式論の冒頭の二頁ほどを残して残りを切り捨ててみた。
この切り捨てるという操作がこの際絶対に必要なのである。

そうすると何だか使えるかも知れない、一つのものの作り方が出て来そうに思えたからそうしてみたのであるが、
それを実地に使ってみると果たしてうまく使えた。
難関は突破されたのである。

286:考える名無しさん
14/05/08 20:45:46.64 0.net
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 開戦

こうして研究一本槍の毎日を送っていた潔であったが、1940(昭和15年)の10月に京大から理学博士号を受けた。
これは、金銭的なプラスにはならないが、それまでの研究(第一論文から第五論文まで)が認められたということである。
しかし潔は学位には関心がなく(フランス留学中の時にもそうであった)、もらうことを強く拒否したが、
周りから説得されてしぶしぶ受けたのであった。

287:考える名無しさん
14/05/08 21:08:55.22 0.net
第三の大発見

第七論文に移る。私は中谷宇吉郎さんの御厚意で北大理学部から「理学部研究補助を嘱託す」という
変わった辞令をもらって札幌市に下宿して、何をしてよいかわからないから、
功力教室の人たちに詰将棋を詰めさせたり、ピアノを聞かせたりしていた。

冬の初めだったかと思うが、石炭ストーブのよく燃えている下宿の一室で十時頃まで寝ていると、
下宿のおかみさんにあわただしく起こされた。行ってみるとラジオが真珠湾攻撃を放送していた。
私は、しまった、日本は亡びたと思った。

そして茫然自失していた。
当時の私の心境を、次のある無名女流作家(横井栄子という歌人)の歌がぴったり言い表している。

窓の灯に うつりて淡く 降る雪を 思ひとだえて われは見ており

しかし、やがて一億同胞死なば諸共の声に励まされて、
それもよかろうと思って、数学の研究の中に閉じこもった。
そしてある時期から後は、もっぱら次のテーマに没頭した。
多変数解析函数の分野における不定域イデアルの研究。このテーマに関して、
アンリー・カルタンが一つ非常に重要な結果を出している。しかしほかに誰も研究したことを聞かない。

この研究は非常に


288:面白かった。しかし、どうしても完成できないままで終戦になった。 予想通り完敗したが、意外にも亡びなかったのである。 これは一つはキリスト教のお陰であって、今一つは陛下のお陰である。



289:考える名無しさん
14/05/08 21:26:54.00 0.net
終戦になると、それまで死なば諸共と言っていた同胞が、こともあろうに食糧の奪い合いを始めた。
私は生きていることも死ぬことも出来なくなった。
それで存在の地を仏道に求めた。

(戦中から紀見峠に戻っていたが)終戦後第三年目の五月頃、私は光明主義のお別時(別時念仏)に就いた。
五日泊り込みで修行するのである。これが終わってあとの有り様は前に書いたが、最も大切な点であるからもう一度繰り返す。

帰りの京都の市内電車は非常な雑踏であった。私はズック靴をはいて腰掛けていたのだが、
前の、立って下駄をはいている人に下駄で足を踏まれた。
しかし私は、二つの足が重なり合ったな、くらいにしか思わなかった。
お別時まではこの情景を見て、生きるに生きられず死ぬに死なれなかったのである。

日本人は、何となく外界は自分の心の現われと知っているのが本来の型であるから、
心をお掃除すれば外の情景が全く変わるのである。

これが情操型研究のよって来る所である。

私は家に帰ると、また研究を始めて、毎日一時間ほどお念仏しながら、
心の中に描いておいた不定域イデアルの姿を詳細に見直していった。
私の、自分の心の中を見る目は、驚くほどよく見えるようになっている。

そのうち、一次方程式の形式解の局地的存在を言う問題の所に目が留まった。
前にはこの一区画を本当に見極めてはいない。

よく見ると、すぐにこの存在が言えた。証明は二頁くらいである。
そうすると解きたいと思っていた問題は皆完全に解けた。研究は完成したのである。

私はあくまでも「是心是仏」派らしい。

290:考える名無しさん
14/05/08 21:47:31.85 0.net
帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 高木貞治との交流

さて、こうして数学的に見れば歴史に名が残るような偉業を成し遂げた潔であったが、
その生活は日増しに苦しくなる一方だった。潔は後にある数学者に、
「自分は数学の研究に打ち込んだので(生活の中で数学したのではなく数学の中で生活したので)、
まず田畑がなくなり、次に着る物がなくなり、次に住む家がなくなり、しまいには食う物もなくなった」
と言ったことがあるというが、その「食う物もなくなった」という状態になってきたのである。

それで潔が考えたのは、奨学金のようなものをもらうことであった。
生徒や学生ではないから奨学金というよりも「研究補助」と言う方が当たっているかもしれない。
要するに、潔が1941年から42年にかけて北海道帝国大学に行っていたようなシステムということである。

潔はそれを、当時すでに日本数学会の第一人者であり、世界的にもその名を知られていた高木貞治(1875~1960)に託したのであった。

高木貞治は、その名著『解析概論』とともに多くの理系の人間にその名を知られている。
そして(ドイツ数学を呑み込んでしまった)類体論の創始者として世界中から注目された数学者である
(今、日本を代表する数学者を二人上げろと言われたら、百人中百人が高木貞治と岡潔の名を上げるだろう)。

291:考える名無しさん
14/05/08 22:14:02.56 0.net
昭和22年の4月18日という日付をもつ高木宛の手紙は非常に重要である。
その中に、前年までの研究で解明されていない問題が二つあることが書かれているからである。
それは、次の二つである。

Prob.E―(局所的に)Riemann面を


292:抽象的に与えて、それを生む正則函数を求めること。 Prob.H―任意のRiemann面を(R)とし、その上の任意の点をP0とする時、 (R)はP0の近傍において、もしそれらを生む正則函数をもつならば必然的性質H'をもつか。 そして、潔はこう言う。 所で、先生に申し上げたいのは、其の本質的な部分は解いて了ったと思った(今でもそう信じて居ますが) 其の瞬間に、正確には翌朝目が覚めました時、何だか自分の一部分が死んで了ったやうな気がして、 洞然として秋を感じました。それが其の延長の重要部分が、上に申しました様に、 まだ解決されて居ず用意には解けそうもない、と云ふことが分って来ますと、 何だか死んだ児が生き返って呉れた様な気がして参りました。 本当に情緒の世界と云ふものは分け入れば分け入る程不思議なものであって、ポアンカレの言葉を借りて申しますと、 理智の世界よりは、或は遙に次元が高いのではないかとさへ思はれます。 又此の二つでは主観と客観とが入れ変って居るのではないかとも思はれます。 物と物との結びつき方も全く違っていますし、ともかく一方だけを使ふのは、片足で歩く様なものではないかと思ひます。



293:考える名無しさん
14/05/08 22:32:02.78 0.net
これほど研究に対する情熱と自信がほとばしり出ている言葉があるだろうか。
これだけのことを成し遂げたというのに、潔の研究はまだまだ続くのである。

この手紙が書かれた翌年の1948(昭和23)年、潔は第七論文をフランスの学術誌
「Bulletin de la Societe Mathematique de France」に送り、受理された。
これは、新たな研究の端緒を拓いたということを
(高木への手紙にあるように、まだ解明しなければならない点は残っているけれども)
フランスに報告したいという潔の気持ちの表われであろう。
そもそも潔が論文をフランス語で書くというのも、その問題をフランスで発見したからであるが、
その潔がついにその問題を解決してフランスに凱旋したのである
(なお、潔は日本語については、「日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、
簡潔にいい切ろうとすると、世界でこれほどいいことばはない」と言っている)。

こうして、潔が断行した「勤めをやめて研究に専念する」という生活は確実に実を結んだ。
しかし、経済的には完全に行き詰っていた。
もはや(ニート生活のままでは)自活の道はなく、
(パンのために泣きながら)潔はそれまでかたくなに拒んでいた(奈良女子大学教授という)勤めを始めなければならなくなったのである。

294:考える名無しさん
14/05/11 13:20:46.42 0.net
春風夏雨 1965年6月

ところで、今の世相は、芸術家は美を知らず、学者は真を知らずというありさまだが、
そんなふうにさせてしまっているその本体こそ、無明というものではないか。
そして無明の働きに対して、全く警戒を忘れているのが現状ではなかろうか。
それどころではなく、無明を働かせるのが生きるということだと思っている人すら多い。
私の研究室の人たちでも、私の考えはかなりよく知ってくれているはずなのに、そんなふうに考えているのが多いらしい。
そうではない。無明をしりぞけながら進むのが「生きる」ということなのだ。
生命力は無明から来ているのではなく、むしろ無明によって邪魔されているのである。
昔から仏教では、無明を自分と思うなと教えて来たのだが、今なら無明を生命と思うなと教えた方がよさそうだ。

295:考える名無しさん
14/05/11 13:44:31.14 0.net
私はこれまで、ものの欠点を探すという意味での「批判」はきらいだといって来たが、
欠点を探してはいけないなどといわずに、文化の現状を正視して、いけないところを指摘し、消し去るのは、
非常に大切なことではないかと近


296:ごろ思っている。その気になれば私はもともとその方は得意なのである。 悪いものをみつけて指摘するだんになると 「大将師直いずくにか。彼のこうべを取らずんば、再び生きて還るまじ」と勇気りんりんとしてくる。 「徹底的につきとめてやるぞ」という気持である。だから(美と無明を同居させる)ピカソを見てもすぐにわかったのだと思う。 それなら、(自分の果たすべき役割として)慈悲の菩薩よりも不動明王をかって出た方がよさそうである。 禅の方で「是心是仏」という言葉がある。これはいいかえれば 「真善美はみな君の心の中にある。それを求めて向上せよ」ということである。 しかし、人の顔の中の無明が見えない現状では、向上などといってもわかりはしない。 真善美のわからない者に向上せよといっても、向上のしようがない。 なまじっか真善美がわかると思って、その道を進むのがいちばんいけないので、 たとえば、ある程度絵がわかるばかりに、それ以上のレベルの絵がわからなくなる。 浪花節がわかるという程度で安心しておれば、 (第二の心特に真情の水の流れに気づかず依存しているのに、第一の心特に末那識における世間智を誤って主体にしてしまい) 人情大臣以上には出ない。これでは向上とは逆の結果になってしまう。



297:考える名無しさん
14/05/16 23:27:09.66 0.net
正法眼蔵

私が『正法眼蔵』を買ったのは満州事変が終わって日支事変がまだ始まっていない頃である。
そしてこれを十数年座右に置いた。そうすると終戦後二年くらいになった。
私は『正法眼蔵』の扉は「心不可得」だと思った。その扉を開く鍵は「生死去来」だと思った。
この鍵ならば私はもう持っている。過去世が懐かしくて仕方がないのである。

ある日私はじっと座って思いをこの「生死去来」の四字に凝し続けていた。
時はどんどん流れていっただろう。
と、突然私は僧たちにかつぎ込まれた。
見るとそこは禅寺の一室、中央に一人の禅師が立ち、左右に僧が列立している。
私はその人が道元禅師であることが直覚的にわかった。

畳を踏んで禅師に近づくと、まるで打たれるような威儀でしばらく顔が上げられなかった。
顔を上げると禅師は私に無言の御説法をして下さった。
無言の御説法というのは不思議なものでそれが続いているうちは私は絶えず不思議な圧力を感じ続けていた。

やがてまた畳を踏んで退き、僧たちにかつぎ出された。
われに返ると私は部屋の畳に座り続けていたのだが、足の裏にはまだ寺院の畳をふんだ感触が残っていた。

以後私は『正法眼蔵』はどこを開いても手に取るようにわかる。
しかしこれは言葉には言えない(絵のような本であるため)。
このことは今日に到っても少しも変わらない。

298:考える名無しさん
14/05/16 23:45:32.31 0.net
高瀬正仁「岡潔―数学の詩人」より 奈良女子大学

プリンストンの高等学術研究所で岡潔の研究成果を講義したカール・ルートヴィヒ・ジーゲルは、20世紀を生きた数学者だが、
前世紀、すなわち「理想を追い求める心」が偏在していた19世紀のドイツの数学の魂を継承する偉大な数学者である。
(第一次世界大戦もそうだが)第二次世界大戦あたりを境にして数学の潮流は大きく変り、
理想を追い求めるというロマンチシズムよりもむしろ抽象性を尊ぶという方向に傾斜したが、
ジーゲルはこれが不満で、抽象的な数学を「空集合の理論」と呼んで軽蔑した。

フランス生まれのアメリカの数学者サージ・ラングが『ディオファントス幾何学』(1962年)という
数論幾何の本を出したときのことである。
この本にはかつてジーゲルが証明した定理なども紹介されていたのだが、
ジーゲルはこの書物の�


299:L述様式を慨嘆し、イギリスの数学者モーデルに宛てて手紙(1964年3月3日付)を書いて、 「ラグランジュやガウスなど、数論の偉大な師匠たちが開いた数論の花園に闖入(ちんにゅう)した一匹の豚のようだ」などと酷評した。 「一匹の豚」というのはこの本のことのようでもあり、著者のラングのことのようでもある。 ひたすら抽象に向かおうとする数学の新傾向は、数学者の世界にも大きな亀裂を生み出したのである。



300:考える名無しさん
14/05/16 23:53:11.97 0.net
昭和33年(1958年)の春、来日したジーゲルは岡潔との面会を強く望み、奈良に岡潔を訪ねていった。
『春雨の曲』に書き留められた回想によると、ジーゲルは「おお、オカ」と言って抱きついて、
「近ごろの数学をどう思うか」と、いきなり尋ねてきたという。
ジーゲルは論文を通じて岡潔を知り、同じ数学の心が共有されている様子を目の当たりにして、
心から共感し、共鳴していたのである。

301:考える名無しさん
14/05/17 00:05:11.03 0.net
第十論文

この序文では技術上の細部には立ち入らずに、
私がこの論文を書き終えて感じていることを説明するために、
遠い昔から日本民族に固有の感情である季節感に訴えたいと思う。
今日の数学の進展には抽象に向かう傾向が見られる。
われわれの研究分野においてさえも、諸定理はますます一般的になり、
それらのうちのいくつかは複素変数の空間から離れてしまった。
私はこれは冬だと感じた。
私は長い間、もう一度春がめぐってくるのを待ち続けた。
そうして春の気配を感じさせてくれる研究をしたいと思った。
この論文は一番はじめに摘まれた果実である。

302:考える名無しさん
14/05/17 00:17:43.15 0.net
春宵十話 1963年2月

数学の世界で第二次大戦の五、六年前から出てきた傾向は「抽象化」で、
内容の細かい点は抜く代わりに一般性を持つのが喜ばれた。
それは戦後さらに著しくなっている。
風景でいえば冬の野の感じで、からっとしており、雪も降り風も吹く。
こういうところもいいが、人の住めるところではない。
そこで私は一つ季節を回してやろうと思って、
早春の花園のような感じのものを二、三続けて書こうと思い立った。

303:考える名無しさん
14/05/17 00:55:11.86 0.net
>>264訂正 偏在→遍在

304:考える名無しさん
14/06/03 04:11:49.44 0.net
小林秀雄「学生との対話」

小林:僕は教育者じゃないから、教師としては人の前に現れません。
そんな資格を僕が持っているとは思わない。
僕はまあ、隠居だな(笑)。
横丁の隠居でいたほうが、何かをすることができるのではないかと自分で思っています。
いろんな人にいろんな素質がありますよ。

305:考える名無しさん
14/06/03 04:14:33.29 0.net
小林:自分は死んでもこのほうが正しいと思うと、人を殺すね。
僕はそういうことも考えたこともある。
正しくないやつを殺さなきゃならんでしょう。
自分が死のうと覚悟したときに、やっぱり人を殺す覚悟をしますな。
そうじゃないですか。

306:考える名無しさん
14/06/03 18:37:20.58 0.net
小林:僕ばかりにしゃべらさないで、諸君と少し対話しようじゃないか。
僕は学校の先生をしていたことがあって、「質問は?」とよく学生に訊いたものです。
すると誰かが質問するね。「何だ、おまえ、なぜそんな質問をするか」と怒ったりした(笑)。
そういう覚えがあります。実際、質問するというのは難しいことです。
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。
僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。
僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。
ただ、正しく訊くことはできる。

307:考える名無しさん
14/06/16 01:21:35.30 0.net
学生:私は大学で自然科学の勉強をしています。
自然科学は、「事実の解明」ということが最大の目的ですが、
そういう学問の性格と、私自身が信念を持って生きていくということは、どのように関わりあうものでしょうか。

小林:あなたは、信念と知識が対立することに不安を持っているのですね。
孔子は「知る者は好む者に如かず。好む者は楽しむ者に如かず」と言っています。
知るというだけでは、大したことはないのです。
知ることが楽しみにならなければ、つまり、喜びにならなければ、知ってもしようがない。
信念があるとは、喜びがあるということです。

僕が若い人の質問を受けて一番困るのは、「好む」とか「喜ぶ」とかが基とならないで、
ただ「知る」ということから質問されることです。
偉い人の仕事を見ると、まず初めに仕事を好むことが土台になっている。
その仕事に没頭できるか、できないかが、最初の問題です。
科学の仕事は物事をはっきりと知ることにあるが、
その知識を我がものとする喜びを感じていなければ、知識が信念に育つ事はあるまいし、
逆にこの喜びがいつも実感できていれば、科学者はその信念に生きるでしょう。

308:考える名無しさん
14/06/16 01:38:36.99 0.net
小林:ソクラテスの「無知の知」と孔子の「知らざるを知らずとせよ。これ知るなり」とは同じ意味だと考えてもいいでしょう。
偉い人の言葉はみな同じようなことになるのは不思議です。
そしてみな大変やさしいことをいっています。

本当にいい音楽とか、いい絵とかには、何か非常にやさしい、当り前なものがあります。
真理というものも、ほんとうは大変やさしく、単純なものではないでしょうか。
現代の絵や音楽には、その単純なものが抜け落ちています。
そしてそれは現代人の知恵にも抜けていることを、私は強く感じます。
たとえばデカルトには、何か近代人の及びもつかない単純性がある。
明るくて、建設的なものがあり、陰気なものは影も形もないのです。
けれども、現代の思想には、憂鬱、皮肉、裏面、女々しさが倒錯して第一義にあるかのようです。
デカルトには実に男性的なものがあって、そこに私はひかれます。

徳川の勃興期の儒学などにも、明るさと単純さがありますよ。
本居宣長もそうです。大変明るくて、皮肉とか陰気とかいうものがまったくない。自分の仕事を信じきっているのです。
現代に欠けている一番重大なものは、そういうものではないかと思っています。

309:考える名無しさん
14/06/16 01:48:06.01 0.net
胡蘭成「岡潔集 第5巻しおり」

私は岡潔先生に叱られたことがある。
去る秋、和歌山の座談会で、私は学生の質問に答えるに、
アインシュタインの相対論がニュートンの力学より複雑、進歩であったと言った途端に、
これは俗説、口のすべりだったなと自ら気にするが早いか、岡先生の怒鳴に遇った。
『バカ、何がアインシュタインの相対論はニュートンの力学より進歩した、何が進歩して複雑になるもんか、進歩しては単純になるのだ』と叱った。

※本当の進歩とは、>>2のように、無限に捨てることで無限に自ずと向上していくということです。
 唯識論であれば、…、10、9、8、7、…と行くのではなく、…、7、8、9、10、…と行くのです。

310:考える名無しさん
14/06/18 21:31:53.46 0.net
人は極端になにかをやれば、必ず好きになる。好きにならないのがむしろ不思議だ。って岡は言ってるもんな。

311:考える名無しさん
14/06/19 01:29:17.69 0.net
例えば2chとかねw

312:考える名無しさん
14/06/19 04:04:53.76 0.net
戦後、日本酒の個性が無くなって甘くなったし不味くなったって小林秀雄が言っとったわ
ワインやウイスキーは良くなったけど

313:考える名無しさん
14/06/19 04:08:49.03 0.net
物を生かすのを忘れて、技術的につくりだす方ばかりをやりだしたから日本酒が不味くなったんやろうな

314:考える名無しさん
14/06/19 06:23:11.35 0.net
小林秀雄「学生との対話」

女子学生:先生のお仕事は非常に多岐にわたっておられて、
初期はフランス文学、そののち近代文学の評論とか音楽や美術などについて書かれ、
そして最近は本居宣長という古典のご研究をされたわけですが、
そのお仕事の中にはやはり一貫して流れているものがあるのだと思います。
先生が、こう言っては失礼かもしれませんが、人生の秋を迎えられた時、
宣長という人物の研究をせざるをえなかった、その由縁、いきさつをお伺いしたいのです。

小林:これは非常に簡単なことでしてね、自分の一生というものを振り返ってみますと、僕は計画が立たない男です。
計画を立てて何かをしたということは、まずないんですよ。
その場その場に解決していったものの積み重なりが、いつの間にか宣長さんにまで向いていったのです。
僕の仕事は、何か一つの感動とか、ある直覚とか、そんなものがいつでも先にあるのです。
はじめに、漠然としたものかもしれないけれども、明瞭な感動があるんです。
そういう感動に次、次、次とこう連なって出会ってきた。
これは計画ではないですね。僕はついに計画が立たなかったな。

315:考える名無しさん
14/06/19 06:32:34.42 0.net
女子学生:その計画のなさというなかにも、振り返ってみられて、
一筋通っている道というものを先生は意識されておられませんか。

小林:行き当たりばったり、というのが人生というものではないかな。僕はそんなふうに思うんです。
ただ、計画的な学問というのはありますよ。学問を究めるために一生、ある道を計画的に進んでいく例はたくさんありますが、
僕みたいな生き方のほうが普通なんじゃないですかね。どうもそんなふうに思えます。
どうしてこんなふうに生きてきたのか振り返った時に、自分がこうなった原因がどこかにあったような気がするだけではないのですかね。
よく僕は、お前のやってきたことを書けと言われるのですが、困ってしまうのです。
無計画にやってきて、その結果こんなふうになっただけだから、うまく書けないんですね。

316:考える名無しさん
14/06/19 06:54:06.04 0.net
小林:だから、どうして宣長までたどり着いたか、確かなことは言えません。
ただ、感動から始めたということだけは間違いない。
感動というものは、いつでも統一されているものです。分裂した感動なんてありません。
感動する時には、世界はなくなるものです。
感動した時には、どんな莫迦でも、いつも自分自身になるのです。
これは天与の知恵だね。人間というのは、そういう生まれつきのものなのだな。
感動しなければ、人間はいつでも分裂しています。
だけど、感動している時には、世界はなくなって、自分自身と一つになれる。
自分自身になるというのは、完全なものです。
莫迦は莫迦なりに、利口は利口なりに、その人なりに完全なものになるのです。
つまり、感動している正体こそが個性ということですよ。

僕の書くものはいつでも感動から始めました。
だから、書いたものの中にいつの間にか僕というものが出てくる。
感動の結果として主観が出てくる。
感動がどこかからやってきたのです。
ですから、あなたのご質問のように、なぜこういうふうになったかという筋道を辿ることはできないのだね。

女子学生:読む側としては、先生の作品一つ一つを丁寧に読んでいけば、
そこに先生のご一生がある、ご生涯を辿ることができると思いながら読むことにします。

小林:�


317:「や、そうお褒めに与かっちゃあ、恐縮しちゃいますがね(笑)。



318:考える名無しさん
14/07/17 17:10:16.62 0.net
新社会主義

※旧社会党の解党時にできた新社会党の政策とは似て非なる政策です。

社会主義の本義は日本から労働者階級というものを雲散霧消させて、
すべての国民が生きがいを感じて生きることができるようにするための衆生済度の菩薩道であるべきである。
これをしなければ民主主義とは言えない。
しかるに自民党屋はそれをせず、社会党屋は逆に労働者階級というものを固執して、
日本国を霧消するため、もっぱら闘争をこれ事としている。「新社会党」の生まれざるを得ないゆえんである。

あなた方は日露戦争前、広瀬中佐の喜びに満ちた生活を露都で見たロシア娘が、
これがほんとうのよろこびというものかとすっかり慕うようになって、
中佐戦死の報を聞いて後一年間ぐらいは亡き人を慕う心をおさえることができなかったという話しを知っていますか。
わかりやすく言えばロシア娘がべたぼれにほれたのである。日本でも江戸時代は恋わずらいで死んだ娘が何人もいる。
ロシア娘の話しは石原慎太郎氏によって知った。
真の喜びは必ず心の安定と生き生きとした生きがいとを伴うものなのである。菩薩道だからそうなるのである。
娘はそれにひかれたのである。


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