20/11/10 22:29:11.27 vtHs3Bxt.net
>朝鮮半島東南部の新石器時代の遺跡から,キビやアワが土器圧痕として発見された。
この朝鮮半島南部で穀物栽培が定着し始めたころは,搬入土器や類似土器の分布状況から,
朝鮮半島南部(韓国新石器文化)と西北九州地方(縄文文化)の交流が最も盛んであった頃の一つと考えられている。
これは土器の類似性が単なる情報の伝達による模倣の結果であり,土器を保持した人や集団の移動ではなかったという説に符合する。
>土器文化の上から両地域の交流が盛んであったと考えられているもう一つの時期が,縄文時代前期前葉である。
交流のベクトルに関しては朝鮮半島から北部九州へと向いたものと評価している。
「韓国櫛文土器文化の土器圧痕と初期農耕」(国立歴史民俗博物館 2014)
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
>これは朝鮮半島集団の基層にも、縄文につながる人たちの遺伝子があることを意味している。
このことは縄文人が韓国にまで分布していたと考えるよりは、
初期拡散で大陸沿岸を北上したグループの遺伝子が朝鮮半島にも残っていたと考える方が理解しやすい。
「全ゲノム解析法を用いた縄文人と渡来系弥生人の関係の解明」(国立科学博物館・篠田謙一 2018)
URLリンク(kaken.nii.ac.jp)