20/06/14 15:50:59 i1cxKMo3.net
>韓半島系遺物の集中度などから韓半島からの渡航集団の中に、
九州本島を最終目的地とする集団が現われるという状況に変化したものと考えられる。
(東京大学考古学研究室 2014年)
>弥生時代の前期末から中期前半には,日本列島各地での国の形成に伴って,朝鮮半島南部との相互交流が本格的に始まる。
渡来した後期無文土器人集団は,拠点集落の周縁にありながら中心を制御する形で国づくりを促進した。
(国立歴史民俗博物館 2009年)
>弥生文化の農耕における網羅型は,縄文文化の系譜を引いたものだったのだろうか。
その答えは,菜畑遺跡の農耕文化の故地である朝鮮半島南部における農耕のあり方のなかにある。
(国立歴史民俗博物館 2014年)
>アイヌ人を縄文人の子孫、大陸のアジア人(中国の漢族と韓国人)を渡来人の子孫と仮定するモデルを用いると、
日本列島本土人における縄文人の遺伝的割合はおよそ20%と推定されました。
(国立遺伝学研究所 2015年)
>弥生時代になると北東アジアに居住していた人々が渡来してきた。
この人々は,日本列島に水田稲作農業を導入し、先住民である縄文人の子孫との混血をくりかえした。
弥生時代以降の渡来人は、朝鮮半島や山東半島などの地域に居住していた人々の一派だと考えられる
(国立遺伝学研究所 2018年)