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前原誠司の「直球勝負」(28)
いわゆる従軍慰安婦問題について
第二次世界大戦終了後60年余り経って、また従軍慰安婦の問題が政治・外交の焦点として浮上してきた。
去る1月31日、アメリカ連邦議会の下院外交委員会に、民主党のマイケル・ホンダ下院議員ら超党派の議員らが、
従軍慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める決議案を提出した。決議案の内容は、
(1)日本政府の公式謝罪と歴史認識の受け入れ
(2)謝罪形式は首相の公式謝罪
(3)慰安婦問題に関する教育の強化
などから成っている。
アメリカは、日本社会以上に人権に対して敏感だ。例えば、安倍総理が狭義の強制性、つまり官憲や軍による強制連行はなかったと答えたことについて、
アメリカの新聞各社は一斉に批判を加えている。新聞各社の見出しを列挙してみよう。
「否定が日本の元性奴隷の傷口を再び開く」(ニューヨーク・タイムズ3月8日付)
「日本人にかけているのは、後悔という気持ちである」(ロサンジェルス・タイムズ3月8日付)
「誇り高き国家に恥を招いた安倍首相」(シアトル・タイムズ3月8日付)
私はアメリカの新聞論調がすべて正しいと言っているのではない。正しいか、正しくないかではなく、安倍首相の発言は、
アメリカではこのように捉えられているという認識が必要なのである。私のアメリカの友人はこうも言っていた。
「拉致問題の日本のスタンスを理解し、支持している人ほど、『強制性』を否定しようとする日本の議論に批判的だ」。
つまり、「人権問題」というカテゴリーでは、こだわるポイントは同じだと言うのである。
確かに、私も強制性を狭義か広義かと議論することに、あまり意味を見出すことは出来ない。
官憲や軍による強制連行を裏付ける資料は発見されていないが、多くの女性が甘言や偽りによって慰安所に連れてこられ、
慰安婦として強制的に「仕事」をさせられ、管理下におかれて自由はなかったことは、1990年代初めに防衛研究所で見つかった
膨大な資料が証明している。人間としての尊厳が傷つけられ、一生癒えることのない傷を、心と体に負ったのである。
私は最低限でも「河野談話」は踏襲されるべきだと考える。本来なら、総理の談話として、誠意ある謝罪をすべきであった。
そして、「アジア女性平和基金」というNGOからではなく、戦後処理は終ってはいるが特例として、
日本国政府が直接、見舞金を支払う決断をすべきであったとも考える。
直接ではなく間接的に行っていることが、本当に謝罪をしているのかという疑念を生み出している、あるいは、その疑念を呼び起こす口実を与えている。
今後、慰安婦問題のみならず、南京に関する映画も次々と計画されていると聞く。
狭義の強制性ばかりにこだわるのではなく、今までの謝罪は本物であったことを、謙虚に、そして辛抱強く説き続けることが、求められている。
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