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産経新聞 8月31日(水)7時55分配信
【ロンドン=岡部伸】中国の習近平国家主席が昨年10月に訪英し
た際、第二次大戦で「侵略者日本の残虐行為を暴いた」と称賛した
英国人記者が、所属していたとされる英新聞社に在職記録はなく、
中国側が「日本の残虐行為だ」と主張する「南京事件」の現場にも
いなかったことが30日までに明らかになった。
◆英女王に紹介
習氏がエリザベス女王主催の公式晩餐会で取り上げたのは英国人の
ジョージ・ホッグ氏。「第二次大戦の際、記者として侵略者日本の
残虐行為を暴く記事を発表した」と紹介した。
中国は2008年にドイツなどと合作で、ホッグ氏を主人公にした
映画「チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道」を制作
した。この中でホッグ氏は赤十字職員と偽って南京に入り、中国市
民を殺害する日本兵を写真撮影。日本兵に見つかり処刑される寸前
に中国共産党の軍人に助けられる。
しかし、映画の原作となった『オーシャン・デビル』を執筆した英
タイムズ紙記者のジェームズ・マクマナス氏は、「ホッグ氏の中国
入りは1938年2月で彼は南京に行っていない。映画は脚色され
事実ではない」と証言した。
◆在職記録なし
中国側が主張する「南京事件」は日本軍が南京を占領した37年
12月13日から6週間程度。2月に上海入りしたホッグ氏が目撃
するのは不可能だったというわけだ。
ホッグ氏は大学卒業後、英紙マンチェスター・ガーディアンやAP
通信の記者を務めたとされている。ところが、産経新聞が後継紙で
ある英紙ガーディアンに問い合わせたところ、ホッグ氏の署名記事
はもちろん、在職記録もなかった。
AP通信やUPI通信には署名記事はあったが、紀行文などで「日
本軍の虐殺行為を暴いた」という署名記事は見つからなかった。
マクマナス氏の著書などによると、ホッグ氏は上海入りした後、湖
北省黄石市に移り、孤児施設で教師を務めた。中国の国民党政府軍
が孤児たちを徴兵しようとしたため44年11月、孤児60人を連
れてモンゴル国境に近い甘粛省山丹まで移動。戦火から子供たちを
守った「中国版シンドラー」と評されている。
45年8月24日付のマンチェスター・ガーディアンによると、ホ
ッグ氏は同年7月に破傷風で病死した。
ホッグ氏の両親からの依頼で死因を調べた在重慶英国領事館から英
外務省に宛てた46年1月9日付公文書(英国立公文書館所蔵FO
369/3426)は「ホッグ氏が校長を務めた山丹の学校教育が
中国で最も素晴らしい教育の一つで、ホッグ氏が誠実に天職(教師)
に尽くし、協同組合活動の指導者として修練を重ねる極めて良質な
人物」と記している。