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ー前略ー
ヤマト政権の勢力範囲はこんなに広がった! ひと目でわかるチャートはこちら
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■中国の史書から日本の記録が途絶えてしまった4世紀
日本の古代史には「空白の4世紀」や「謎の4世紀」と呼ばれる時期がある。
周知のように、弥生時代には文字資料がなく、国内の出来事は『漢書』地理志や『魏志』倭人伝といった中国の史書に拠るほかない。
しかし、266年に邪馬台国の女王・壱与(台与とも)が晋(西晋)に使者を遣わしたのを最後に、およそ150年間、中国の史書から
日本の記録が完全に途絶えてしまうのだ。これを一般的に「空白の4世紀(謎の4世紀)」と称している。
ー中略ー
■4世紀を記録した数少ない文字史料の一つとは?
ヤマト政権が強大化する「空白の4世紀」だが、まったく文字資料がないわけではない。
たとえば、奈良県の石いその上かみ神宮に伝わる七支刀とうである。刀身には61字の銘文が刻まれており、それによると、
この刀は369年に百済(朝鮮半島の一国家)で製作され、百済王の世子(後継者)がヤマト政権の王(倭王)に贈ったものとある。
七支刀は、刀身の左右にそれぞれ3本の枝刀が付く不思議な形状をしているが、これまで日本や朝鮮では同形の刀は見つかっていない。
銘文には、「七支刀は武器による負傷を避けることができ、百済の技量を後世に伝えるためにつくった」と刻まれている。
なぜ百済は、七支刀をヤマト政権に贈ったのか。
じつは当時、百済は強大な高句麗(中国東北部から朝鮮北部にわたる国家)から侵攻を受けており、滅亡の危機を脱するべく
ヤマト政権の支援を求めようとしたのだといわれている。
中国の統一王朝・晋は、4世紀になると匈奴(北方民族)によって華北を奪われ、のちに華北には五胡十六国が乱立する。
晋もやがて弱体化して滅亡。江南では宋、斉、梁など南朝が興亡する。世にいう南北朝時代である。
このため朝鮮半島における中国王朝の影響力が弱まり、朝鮮北部の高句麗が強大化して313年に楽浪郡を滅ぼし、半島南部に勢力を
伸ばしていったのだ。
この頃のヤマト政権は、国内に勢力を拡大するにあたって、鉄の武器や農具を大量に必要としていた。ただ、日本では鉄鉱石は
採れず、朝鮮半島の加か耶や諸国(朝鮮南部の小国連合)などから手に入れる必要があった。つまり、ヤマト政権は喉から手が出るほど
鉄が欲しかったのである。それを知っていたので、百済は技術の粋を集めた七支刀(鉄剣)を贈り、「朝鮮の豊富な鉄資源で、
こんなスゴい刀がつくれるのだ」ということを誇示し、ヤマト政権から助力を引きだそうとしたのだろう。
その作戦が成功したのか、4世紀後半からヤマト政権は大軍を朝鮮半島へ送り、たびたび高句麗と鉾を交えるようになった。
両国の戦いの様子は、高句麗の長寿王が父・好太王の偉業を称えるため建てた顕彰碑(高句麗好太王碑)に詳しく記されている。
391年から404年にかけて、ヤマト政権はたびたび半島に兵を渡海させ、高句麗と激しい戦いを繰り広げたとある。
表現に誇張はあるだろうが、4世紀末のヤマト政権は海外に大軍を派遣できるほどの力を持っていたわけで、それはすなわち、
国内の大半を掌握していた証拠といえよう。
この4世紀後半からの戦乱を避けるため、百済や新羅などから多くの渡来人が日本に移り、土木技術や製鉄技術、馬具や機織、
須恵器(硬質な土器)、漢字などをもたらしたとされる。ヤマト政権は彼らを陶作部や鞍作部といった技術者集団に編成し、
品物の製造にあたらせたり、渡来した知識人に政府の書類や外交文書の作成を担わせたりした。
ー後略ー
■監修・文/河合 敦
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6/3(水) 11:30配信
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