24/10/27 16:38:41.12 SbVMs+vH.net
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しかし、先日開催されたBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5カ国)サミットを見ても、19世紀の西欧社会による支配が再びアジアの支配に移りつつあることは、否定しがたいであろう。
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振り返って今日本のことを思うとき、皮肉だが、福澤諭吉のような西欧化が正しかったのかという疑問も出てくる。それは、西欧化することに対する疑問ではなく、西欧化することは自国に続いた長い歴史のある文化との戦いであったことをどれほど理解していたかということである。
もとより、福澤諭吉は、それを十分理解していたのだ。彼の脱亜入欧論には、こうした文章がある。
「英国の士人が海外所轄の地に上陸し、または支那、その他の地方においても権威をもっぱらにして、土人を御する状況は傍若無人ほとんど同等の人類に接するものと思われず」(「東洋の攻略果たして如何せん」『福澤諭吉著作集』慶應義塾大学出版会、第8巻、2003年、130ページ)
イギリス人のアジア人に対する態度のひどさに驚いて、義憤を抱いているのだ。しかし、福澤はできたらイギリス人のようになりたいものだと思う点で、イギリス人と、同様アジア人を差別しているのである。
その意味で、福澤は現在まで続く日本人のアジア蔑視論の淵源に属するといってよい。しかしながら、福澤が、アジア人に文明を学び西欧人に抗する気概を持ってほしいと願う点で、たんなるアジア蔑視論者ではない。
西欧人への怒りが、アジア人への共感ではなく、アジア人蔑視として昇華していく過程は、日本人独特のものかもしれない。アジア人の多くは、安易に西欧化せず、抵抗して西欧化を自分のものにしたともいえるからだ。
だから近代化が遅れたのである。それは、中国崇拝から西欧崇拝へと気軽に変貌するような気軽な精神とは違う、息の長い文明精神というものを感じさせる。こうした自らの過去の伝統の上で、西欧化した国は、たんに西欧を模写したのではなく、乗り越えているところがあるからだ。
昨今のアジアの隆盛は、けっして日本に遅れて西欧化が今やっと成功したからではない。自分のものとしてそれを理解するのに時間がかかったからだと、私は理解している。
■西欧化で西欧を乗り越えられなくなった
だからアジア蔑視と西欧への追従というものがそこには存在せず、自らに自信を持っているように見える。日本はそのなかで孤立しているが、一方で西欧に対しても孤立しているのである。要領のいい西欧化は、西欧を乗り越えることを不可能にしたように思える。
世界史は、西欧史ではなく、もちろんアジア史でもなく、世界史にはさまざまな歴史があるということかもしれない。それにしても、韓国や中国を批判することに奔走し、彼らが何を新しく成し遂げたかについてまったく関心を抱かなくなっている日本人は、悲しいかな時代の変化に鈍感となっているといえる。
歴史がアジアに戻ってくるなら、もともとアジアに位置していた日本にとって、それは好都合なはずである。アメリカのお先棒を担ぐことに終始せず、もっと新しい発想で近隣アジアと付き合い、彼らから学ぶべきである。
今は、まるで幕末期に起こったこととちょうど逆転した現象が起きているのかもしれない。脱亜入欧、近代化に当時の多くが憤怒の念を持ったように、今脱欧入亜に対して憤怒の念を持っているように見える。日本にも1980年代から1990年代にアジアへ接近しようとした時代があったのだ。
しかしいつのまにか、不幸なことに日本は、それをアジア憎悪に変えてしまったといえる。
的場 昭弘 :神奈川大学 名誉教授
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