24/05/01 13:42:09.91 mCdSwOUz.net
>>226
お前の方が地図をよく見てみな
韓国が言ってる竹島と日本の領土の竹島は全然違う場所だから
>韓国側には,16世紀以来の朝鮮の地図に竹島が于山島として描かれているとの議論もありますが,
これまでの朝鮮地図に見られる于山島は,いずれも竹島ではありません。
(注)なお,国際法上,地図は,条約の付属のものでもない限り領有権の根拠にはならないものとされていますが,
たとえ条約の付図であっても,条約当事者の意図はあくまで条約の文言によって証明され,地図は補強証拠程度の意味しか持たないとされています。
例えば,『新増東国輿地勝覧』(1531年)に添付されている「八道総図」には鬱陵島と「于山島」の2島が描かれています。
仮に,韓国側が主張するように「于山島」が竹島を示すのであれば,この島は,鬱陵島の東方に,鬱陵島よりもはるかに小さな島として描かれるはずです。
しかし,この地図における「于山島」は,朝鮮半島と鬱陵島の間に位置し,また,鬱陵島とほぼ同じ大きさで描かれています。
したがって,この「八道総図」の于山島は,鬱陵島を2島に描いたものか,または架空の島であって,鬱陵島のはるか東方に位置する竹島ではありません。
18世紀以降の朝鮮地図では鬱陵島の東側に于山島を描くものも現れます。しかし,その于山島も現在の竹島ではありません。
例えば,1711年に行われた朴錫昌(パク・ソクチャン)による鬱陵島巡視に関連する「欝陵島図形」には鬱陵島の東側に「于山島」が描かれていますが,
そこには「所謂(いわゆる)于山島 海長竹田」と記されています。
この「海長竹」とは女竹(笹の一種)のことですが,岩礁島である竹島には一切そのような植物が生えないことから,この于山島は竹島ではありません。
なお,鬱陵島の東約2kmに位置する竹嶼(ちくしょ)(注)には女竹が群生しています。
このことから,「欝陵島図形」における「于山島」は竹嶼のことだと考えられます。
(注)竹嶼(ちくしょ):鬱陵島の東約2kmに位置する小島
韓国の著名な地図作成者である金正浩(キム・ジョンホ)によるとされる「靑邱圖」(せいきゅうず)(1834年)中の「欝陵島図」にも,
鬱陵島の東に「于山」と記した縦長の島が描かれています。
この地図には図の上下左右に目盛(一目盛10朝鮮里,約4km)が付いていることから,距離が分かりますが,
鬱陵島と于山が約2~3kmの距離で描かれていること及び島の形状から,
この于山は,明らかに鬱陵島の東約2kmに位置する竹嶼を指しています(竹島は鬱陵島から約90km離れています)。
つまり,18世紀以降の朝鮮の地図に描かれる于山は,「竹嶼(ちくしょ)」のことと考えられます
鬱陵島の東約2kmにある竹嶼を于山とする地図は,近代になっても作成されています。
大韓帝国の学部編輯局が1899年に出した「大韓全図」は,経度緯度の線が入った近代的な地図ですが,鬱陵島の直近の位置に「于山」を描いています。
この于山も竹嶼であって,現在の竹島ではありません。