24/03/10 09:32:15.42 qDhVmwjQ.net
米国ワシントンには、スミソニアン国立博物館が分野別に幾つもあります。少し前には、スミソニアンの国立自然史博物館に行ってきました。
スミソニアンが出版している歴史の本を買って読みました。20・21世紀の両世紀にわたるパクス・アメリカーナが世界史をどのように整理したのか、見てみたかったのです。
華麗な歴史グラフィックや遺物の写真を見ていて、一晩たったのにも気付きませんでした。そうした中、困惑してしまう間違いを見つけました。
スミソニアンの『歴史年表(Timelines of History)』の94ページは、このようになっていました。
「西暦370年、日本の侵略軍は韓半島南部の任那に植民地を作った(c. 370 Japanese invading force establishes a colony at Mimana in southern Korea)」
日本でも根拠のないものだと判明した「任那日本府説」を、歴史的事実であるかのようにそのまま記していました。
95ページは「393年、日本の大和政権が韓半島の新羅と百済を急速に制圧していった(The Yamato of Japan overrun Silla a Paekche, Korea)」となっていました。
一部の西側の歴史学者は韓国史について専門性が不足しているのではないか-という考えを抱きました。英国の代表的な出版社の一つでスミソニアンの本も出版しているDKが、英国で2022年に出版した歴史書も、見てみるとやはり多くの問題がありました。
DKの『世界史年表(Timelines of World History)』67ページ、西暦4-5世紀の部分を見ると「西暦404年、広開土、韓半島の新羅の支配者、日本の大和政権の侵略を撃破する(404CE Gwanggaeto, ruler of the Korean state of Silla, defeats an invasion from Yamato Japan)」と書いてありました。
ご存じの通り、広開土王は高句麗の支配者であって新羅の支配者ではありませんでした。しかも404年は、百済と倭による新羅への連合攻撃でした。倭の単独侵略ではありませんでした。
さらにページを繰っていくと、88ページに紹介してある高麗の太祖の御影が、かなり見慣れないものでした。調べてみたところ、スミソニアンが「高麗の太祖」だとして本に載せていた人物画は、高麗の太祖・王建の画像ではありませんでした。高麗の顕宗代の武官、姜民瞻(カン・ミンチョム)将軍=963-1021=でした。高麗契丹戦争のとき姜邯賛(カン・ガムチャン)と共に戦場へ赴き、亀州の戦いを勝利に導いた主役です。
韓国語で簡単な資料検索をするだけでも確認できることでした。
残念なことでした。このように韓国史について誤って記述した内容が、米国立博物館の書籍のみならず国際的な出版社の本を通して伝えられているからです。これらの本は市中の書店で、またオンラインの電子書籍として手軽に購入できます。広開土王を新羅の人物と書くというのは、やってはならない誤りではありますが、単純なミスだと理解することもできるでしょう。
しかし任那日本府説は、西暦4-6世紀に日本が韓半島南部を支配していたという根拠のない主張であって、日本の代表的な歴史歪曲(わいきょく)だと指摘されてきました。今では、日本の学界ですら破棄された学説です。
こうした問題は、既に中国でも起きていました。中国の大学の世界史教材として最も広く読まれている人民出版社本の『世界通史』には「大和国家はかなり早い時期から隣国朝鮮を侵略した。4世紀中盤、朝鮮半島南端の弁韓伽耶国から任那を奪取し、北に向けて侵略を継続する拠点とした」と書いてあったのです。
歴史は、守らなければ失われてしまい、歪曲されてしまいやすいものです。スミソニアンの本にちょっと間違ったことが書いてあるからといってそれが何か大変な問題なのか、と思う人がいるかもしれません。ですが、こうしたことが繰り返されると、後々収拾をつけるのが困難になりかねないのです。
韓国政府や国家機関は、こうした問題点を積極的に見つけ出し訂正する努力に、一層力を注がねばならないように思います。
ワシントン=盧錫祚(ノ・ソクチョ)記者・ジョージタウン訪問研究員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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