24/01/06 01:44:50.88 YQxv2MlB.net
セウォル号の船長の事を悪しざまにいっとるけど、船長は特段悪人と言うわけでもないぞ。
朝鮮ではトップから真っ先に逃げる「先逃」が伝統だからな。
・・・ただ朝鮮人が機長や船長の乗り物には絶対乗りたくないわ~w
<輝かしい朝鮮の先逃の歴史>
<檀君>
シナから箕子が来たため隠遁。彼、神じゃなかったっけ?
<扶余豊璋>
百済が滅んだため急遽百済に帰還。
大和朝廷の援護を得るも復興の忠臣鬼室福信を疑いSATSUGAIする。
大和朝廷との連合軍は唐に負けて扶余豊璋は北に逃げて行方不明。
<高麗王顕宗>
10世紀末から11世紀前半、契丹の遼が侵入したとき南の羅州まで逃げた。
<高麗王高宗>
13世紀六回にわたってモンゴルの攻撃を受け、江華島に先逃。
息子の元宗は元の人質となったが帰国して国王になると江華島に引きこもった。
<高麗恭愍王>
1361年に紅巾賊の侵略で安東まで逃げたが水遊びをしているところを民に見つかり
「牛(外寇)はほえ、龍(国王)は海を離れ、浅水(湖)の青波を弄ぶ(水遊びしている)」
と俗謡で罵られる。
<李朝宣祖>
秀吉軍に攻められソウルから開城まで逃げたが民衆に石をぶつけられ、
さらに平壌まで逃げて国境沿いの義州まで落ち延びて明に助けを求める。
日本の城下町は治安が落ち着いていたため農民が大挙住み込み城下町ができた。
<李朝仁祖>
満洲族の侵入(胡乱)の際に江華島に逃げこむが逃亡用の王宮は満洲族に寝返った将によりすでに露見。
満州軍は船で追いかけ王を囲むと固まった王に「お前は何だ、泥の人形か」というと
「満州に逆らったのは余のせいではない、臣下のせいだ」と言い訳。
<李承晩・金日成>
朝鮮戦争の際にまずは李承晩が逃げ、アメリカが参戦すると今度は金日成が中国の通化まで逃げた。
金日成があまりにふがいなかったので中国義勇軍の彭徳懐にぶん殴られる。