23/11/22 16:31:04.83 kuUmiArH.net
戦争に負けた日本人を心底軽蔑した朝鮮人は警察署への襲撃を繰り返し何人もの警官を殺害した。
彼ら(朝鮮人のこと)は闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と
焦土の神戸の街を闊歩していた。通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬと
いっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で見境なく集団で婦女子に
いたずらする。善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。
(中略)警官が掛けつけても手も足もでない。
「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国民の日本人がなにをいうか」
警官は小突きまわされ、サーベルはへし曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。
昭和二十一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が彼らに拉致されて暴行殺害され、
同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり彼らの手によって射殺された。
(中略)彼ら三百余人は兵庫警察署を襲撃し、署長はじめ幹部署員たちを人質とし
て電話交換室を占拠したのである。さらに彼らは水上警察署を急襲して留置され
ていた同胞全員を釈放し、水上署の全監房は彼らの手によって解放されるという
事態にまで発展した。
(中略)警察は私に助っ人の依頼を申し入れてきたのである。
飯干晃一 著
「山口組三代目 田岡一雄自伝」(1971年初版 徳間書店)