22/11/05 13:59:32.79 DTn1FFLO.net
>>72
共催受け入れか、徹底抗戦か
「最後までとことん勝負すべきだ」
そう強く主張したのは川淵だ。この時点での票読みでは、投票に持ち込めば勝てると確信できるまでには至っていない。
南米は「日本支持」で固まっている。「共同開催」の立場を表明しているヨーロッパにしても8人の理事すべてが一致するとは限らない。アフリカとアジアはどう動くか。アフリカはやはりヨーロッパに同調するのか……。
それでも川淵は「勝負」を主張し、小倉もそれに同調した。
長沼は迷っていた。
「どんなにカウントしても11票以上確実にとれるというわけではなかったし、ブラッターがあんなことを言ってきたということは断るとやばいんじゃないか」
ブラッターが共催を打診してきた背景を考えれば、もしもはっきりと拒否してしまうと、共同開催どころかワールドカップそのものが日本から遠ざかってしまうのではないかという懸念である。
事実、「FIFAの提案にNOと言った方には投票をしない」という申し合わせがあったという話を長沼は後になって耳にするのだが、もちろんこの時はまだ知らない。
文書に残しておいた方がいい
何が正しい選択かを決めかねた長沼は、到着したばかりの宮沢にも意見を求めた。
そのときの答えは意外なものだったという。
「これはサッカーの話ですから。決めるのはサッカーのみなさんです。僕のような素人が判断することではない。みなさんが決めたことに私は一切文句は言いません。みなさんを全面的にバックアップします」
この発言には会議に参加していた全員が感服した。政治家の立場からすれば、韓国との関係良化が期待できる共同開催がいいに決まっている。しかし元首相はこの場ではそんな政治的な発言を封印した。
その代わり、こうアドバイスしてくれた。
「ブラッターがそういうことを言ってきたなら、文書にしてもらうべきです。こういうときには文書を残しておいた方がいい」
早速、岡野がブラッターに電話をかける。そして「電話ではなく、正式な文書をもらいたい。日本としてはそれから検討する」と伝えた。
ブラッターのサインが入ったFIFAからのレターはほどなく届いた。
<親愛なる長沼会長
私はFIFA会長の名のもと、この手紙を送ります。
5月15日、FIFA宛の韓国サッカー協会の手紙では、共同開催について、もしFIFA理事会が要求するのであれば考慮します、と述べられています。
そこでFIFAワールドカップ2002の共同開催について、貴協会の考えをFIFAに伝達されることを望みます。
FIFA事務総長 ブラッター>
半分でも日本の子供たちに
その間にも情報は刻々と飛び込んでいた。
アフリカの理事からの電話で「アフリカはヨーロッパと一体となって共催を支持することになった」と伝えられる。
南米連盟の専務理事であるアルゼンチンのデルーカには日本のオフィスまで来てもらい、情勢分析を依頼した。彼は情報通だった。
「大勢は共催に傾いているようだ。ヨーロッパの理事は共催で歯止めをかけられている。アフリカもヨーロッパに追随せざるを得ない。(共同開催を)受け入れざるを得ないのではないか」というのが彼の意見だった。
深夜にはモーリシャスのラム・ルヒー理事が電話をかけてきた。彼は泣いていた。日本を支持していた彼が泣いているということは、共同開催という方向性がますます強まったということだった。
だが、それでもまだ彼らは「投票で雌雄を決したい」という思いを捨てきれないでした。会議室は沈黙が包んだ。
長沼の隣に座っていた釜本邦茂が口を開いたのはそんなときだった。
「そりゃこれまで単独開催でやって来たんだから、共催は心外といえば心外だけど、共催になっても半分の16ヶ国は日本に来ます。ついこの前までワールドカップは16ヶ国でやっていたじゃないですか。日本の子供たちにワールドカップを見せてやりましょう」
長沼はこの言葉に胸を打たれる。
「確かに、半分でもやらんよりはええかもしれん」
その一方で、川淵の「負けてもとことん勝負すべきじゃないか」という勇ましい言葉に奮い立つ思いもあった。
日本は態度を決めかねていた。