22/05/31 23:09:13 stlrb6R6.net
BBCも韓国軍による友好地域の民間人に対する虐殺レイプを問題視しているのであって「ライダイハンと
呼ばれる子どもの存在」なんて誰も言ってないのにな。
それをすり替えて正当化しようとか、本当に白馬鹿って卑怯者だよな。
201:キョッポピョ更新班 ◆ZWhnLBuei45X
22/05/31 23:11:38 mLCEfsry.net
シロバカもう終わり?まだ皆待ってるのに。しけっ
202:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/05/31 23:13:46 qrINtFQ+.net
>>170
帰りたいというから帰したら翌日また来たのに、何の罪で通報、立件するんだと
何回も聞いてるのにレスはない。
自分でも何の罪にもならないとわかってて、ただただコピペを繰り返してる。
203:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/05/31 23:14:44 qrINtFQ+.net
>>172
募集:
1942年5月初旬、東南アジアで新たに征服された日本の領土で韓国の少女たちを「慰めの奉仕」に参加させる目的で、日本のエージェントが韓国に到着しました。
この「奉仕」の性質は特定されていませんが、病院で負傷者を訪問し、包帯を巻いて、一般的に兵士を幸せにすることに関連する仕事であると想定されていました。
これらのエージェントが使用した誘因は、たくさんのお金、家族の借金を返済する機会、簡単な仕事、そして新しい土地、シンガポールでの新しい生活の見通しでした。
「これらの虚偽の表明に基づいて」(チョーセンジンがしつこく引用しているのはこの部分のみ)、多くの女の子が海外勤務に参加し、数百円の前払いで報われました。
204:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/05/31 23:15:22 qrINtFQ+.net
>>180
強姦であっても性行為をすれば一定確率で妊娠するんだよ白痴
205:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/05/31 23:24:21 9AEMQcnd.net
>>183
前スレの朝鮮人慰安婦経営の雇われ店長の回答まだ?
朝鮮人の雇われ店長&朝鮮人従業員である帳場人と雑用係がいたんだから「従軍」じゃないじゃん
で?朝鮮人の雇われ店長も従業員もいなかった「従軍」慰安婦がいた慰安所はどの国のどの慰安所?
朝鮮人同胞が慰安婦として働いてたのに助けもしないで雇われ店長や帳場人や雑用係の朝鮮人はそこで働いて金稼いでたんだよね?
206:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/05/31 23:33:59 1SU3SQc0.net
追軍売春婦制度を利用しなかった他国の軍隊。
・ソ連軍…ベルリン陥落時はドイツ娘を、終戦直前の満州では日本娘を集団で強姦。
・イギリス軍…占領地のビルマ王女たちを集団で凌辱したあと、周りのインド兵たちの中に投げ与えた。
またビルマの10代に満たない幼女たちを性奴隷にして、性奉仕させてた。
・ドイツ軍…フランス占領後、フランス娘を強姦。
(戦後、ドイツ兵と関係持ったフランス娘は糾弾され、坊主にされたうえ市中引き回しの刑にされた。)
・ダメリカ連合国軍…パリ奪還後、用意されたフランス娘を売春婦にした売春所に長い列を作って並ぶ。
・ダメリカ軍…戦後、各国の米軍基地周辺の女性に”自由恋愛”の欺瞞で中出し。
兵士は3~4年で配置異動で黙って去り、見捨てられる混血児を抱えた母子家庭(沖縄、横須賀、フィリピン…)
米政府はこの見捨てられた母子家庭に対し、現在でも「兵士の自由恋愛に関与しない。」と冷酷に突き放してる。
・アンダーエベンキランド軍…朝鮮戦争では、同胞のエベンキ娘をドラム缶に詰めて拉致、性奴隷にして米兵相手に性商売。
ベトナム戦争では、ベトナム娘を強制連行してセックススレーブにしたソープランドを開設して、米兵相手に性商売。
それに飽き足らず、ベトナムの村を襲い村民を虐殺。
村娘を強姦して回り、最後は腹を引き裂き、膣に棒を突き刺し、首を切り落とし、証拠隠滅に村中に放火して回る。
の
・・・これが他国の軍隊の姿。
これらに比べると遊郭の遊女や、立ちんぼなどのプロの売春婦を雇用し、一般女性に性被害が出ないように配慮した日本軍が最も優れてる。
追軍売春婦には高給、休日、ショッピング、病気治療、年金制度など福利厚生もあり、お金が貯まるとららなのには足を洗って故郷に戻り豪邸を建てられてた。
日本軍は何も恥じることはない。
207:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/05/31 23:46:08 Rbpj/uQA.net
貧困は関係ない。朝鮮人の血がそうさせる。
208:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 00:18:02.42 g38WolgS.net
「慰安婦は売春婦の一種」なんかじゃなく、
「慰安婦は当時合法だった "成年職業売春婦" そのもの」だからなぁ
「強制連行された性奴隷」というのは全くのデタラメ・・・という事実に
韓国国民はもっとしっかり向き合わないと世界から相手にされないね
209:
22/06/01 00:18:59.48 az9xJ6Lv.net
まずは日韓基本条約を読めよ
210:
22/06/01 00:34:37.27 U71js81V.net
親に売られたり「いい働き先があるニダ」ってチョーセンブローカーに騙されたのをすっ飛ばして
「日本軍兵士に銃剣突きつけられて強制連行されたニダ」だもんな
211:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 00:47:50.44 Az0rLf+y.net
不細工な朝鮮人売春婦を充てがわれた皇軍の皆さんが気の毒で泣けて来るわ><
212:
22/06/01 01:31:43.08 Tm4B4rer.net
>>138
半島民族は創られた歴史で洗脳されている
URLリンク(i.imgur.com)
213:
22/06/01 02:24:22.12 tdSlgiFk.net
ユダヤ人ホロコースト
南京大虐殺
従軍慰安婦
世界3大戦争犯罪のうち2つも日本が占めるとはね
214:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 03:03:28.31 jcUX/IiP.net
>>1
いつも思うんだけど反日種族主義関連の学者さん達の緻密な分析は本当に凄いよなぁ
韓国人の目覚めの切っ掛けになって欲しいもんだわ
215:
22/06/01 05:28:28.03 4/30fzWM.net
>>208
んなバカチョンの妄想なんぞ知らんがな
日本に文明化されたバカチョン
世界で最も多くの人を虐殺し、最も多くの国を侵略し
人種が入れ替わるほどの殺しあいを行った最も残虐な民族なのがシナ人
世界でも最も無能で、最も不細工で
最も独創性がなくて、最も無様な歴史しかない民族が朝鮮人
一方の日本は・・・
五大国入りしアジア唯一の近代国家として
植民地化を免れ、アジア解放に貢献し有色人種に希望を与え、戦後は勅語を学んだ世代が経済大国化に貢献
アジアでは例外的にノーベル賞を量産し、数々のイノベーションを起こし
殺しあいで民族すら入れかわってるシナチョンと違って
最低2000年近く続く皇運に感謝だね
216:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 05:39:08.42 a7L2v+ha.net
>>210
日本自身が植民地を持っていたし、太平洋戦争でも解放でなく乗っ取りをやった
↓
◎殖民地要覧 拓殖局 ※1920年
「我国の殖民地中朝鮮、樺太の如きは本土と陸影相望むの地に在り、台湾稍距れりと雖数日ならずして徃くべし」
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
◎大東亜政略指導大綱 (1943.5.31.御前会議決定)
「マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスは帝国領土と決定し」
217:
22/06/01 05:46:09.84 PUiCCY6h.net
>>211
第二次世界大戦当時、亜細亜は、ほぼ全域、タイと日本を除いて白人の植民地であった。
白人の力が世界を支配し、有色人種に人権が存在しない時代に
大日本帝国は有色人種国家として唯一強大であり、最後の砦だった。
1919年、日本は国連にて「人種的差別撤廃」を世界初提案するが、否決される。
1941年になり、ABCD包囲網を敷かれ、アメリカにハルノートを突きつけられると、 追い詰められた日本は「亜細亜の解放」を大義に掲げ、打って出た。
而して大日本帝国は、イギリス軍、オランダ軍等を打ち破り、
対アメリカ戦と言う戦術レベルでこそ敗れたが、
亜細亜を白人支配から解放するという戦争目的を達成したのである。
結果、欧米列強は持っていた植民地のほぼ全てを失った。
日本が先の大戦を戦わなければ、現代人は白人の奴隷となったであろう。
大日本帝国こそは、亜細亜を解放したのです
■イギリス
◎アーノルド・J・トインビー 歴史学者
「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、
むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」
(1956年10月28日/英紙「オブザーバーL)
■タイ
◎ククリット・プラモード 元首相
日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、 生まれた子供はすくすくと育っている。 今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、日本のお陰です
218:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 05:46:30.68 PUiCCY6h.net
>>211
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」
219:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 05:48:30.00 a7L2v+ha.net
>>212
なぜ日本自身の植民地を解放しなかったのかな?
220:
22/06/01 05:54:48.16 s4BxW1Kg.net
>>214
あれ、おまえコピペ以外もできるのか
なんで戦争中に敵にまた侵略されるのに解放すんの?
日本海軍陸戦隊は日本人居留区域を含む地域の警備に
当たっていたのですから応戦して当然です。
日本本土から援軍(上海派遣軍)が上海へ向かい、
蒋介石軍を追い払いました。
蒋介石は南京に逃げたので、増援の第10軍とともに南京を攻略。
蒋介石が武漢に逃げたので、日本軍は追撃して武漢も攻略。
次に蒋介石は重慶に逃げました。
日本軍は地上軍による重慶攻略を計画しましたが、
重慶が天然の要塞の地であることや兵站の問題もあり、
即時攻略は困難であるという結論に達し、重慶爆撃を行ないました。
中国には条約で欧米人・欧米10ヵ国軍もいたのに、
中国は、同じく条約でいた日本人・日本軍だけを攻撃してきました。
日本側は中国側に何度も和平を打診していたのですが、
アメリカが中国(蒋介石)に資金・武器を支援し続けていたので、
蒋介石は日本からの和平提案を拒否し続けました。
アメリカが蒋介石に武器輸送していた援蒋ルート(蒋介石支援ルート)を、
日本が仏印と条約を結んで日本軍が合法的に仏印に進駐して援蒋ルートを遮断
するとアメリカは、合法側・被害者側の日本に対しては
石油禁輸などの経済制裁を仕掛け、
中国大陸から日本だけ出て行けと、不当な事を言っていました。
日本は石油などの資源がないと国として立ち行かなくなるので、
蘭印の石油を武力で確保する決断をし、
その前にハワイのアメリカ艦隊が来るのを遅らせるために
真珠湾攻撃をして日米戦争となりました。
このように大東亜戦争は日本へのテロ攻撃で始まり、
日本への原爆テロ攻撃で終わりました。
支那事変から日米戦争までを総称して大東亜戦争といいます。
221:
22/06/01 05:54:55.81 s4BxW1Kg.net
>>214
日本は攻撃されたから応戦、反撃したまでで、
攻撃されなかったならば「アジア開放のため」という理由だけで
日本から米英に戦争を仕掛けるはずはありませんでした。
1943年(昭和18年)11月6日の大東亜会議にて採択された
大東亜共同宣言で日本はアジア諸国の独立を承認していますので、
国際法上はアジアを解放したといえますし、同共同宣言において、
それを成すための戦争継続が明記されていますので、
アジア解放戦争で間違いありませんが、
日本からすればアジア開放が第一の目的ではなく、
第二次上海事変や援蒋、対日経済制裁という原因あっての大東亜戦争であり、
第一の目的は自存自衛であって、アジア解放はいわばその手段とも言えます。
(アジア開放で自由貿易できるようにして資源確保で生き延びるという事)
★昭和天皇の【大東亜戦争 開戦の詔勅】
を読んでも同じ認識でいらっしゃる事がわかります。
222:
22/06/01 05:55:08.52 FBJtztki.net
>>214
なんでチョンは誇らしい母国で選挙権行使しないの?
なんでチョンは兵役の義務果たさないの?
なんでチョンはノーベル賞ゼロのパクリしかできない屑民族なの?
なんでチョンは日本様に受けた恩を忘れて被害者面してんの?
なんでチョンは世界一不細工なの?
なんでチョンはハングルも使えないの?
なんでチョンは嫌いな日本人に成りすますの?
なんでチョンは嫌いな日本に就職に来るの?
なんでチョンは売春婦が強制連行されたとウソつくの?
なんでチョンはヒトモドキでアカの他人なのに、日本人の兄弟になりたがるの?
なんでチョンは日本の偉人を在日認定したがるの?
223:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 05:55:38.00 DIdPhcHd.net
>>214
おまえ、なに反論無視してんの?
白バカチョン
224:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 05:56:57.39 a7L2v+ha.net
>>216
日本の侵略>満州事変
日本の数倍の面積を占領した
225:
22/06/01 05:59:28.22 DIdPhcHd.net
>>219
清国が満州内の日露両軍と鉄道守備兵が早く撤退することを希望
↓
日本は応じたいが条件がある
↓
◆ロシア鉄道守備兵の撤兵、
もしくは清露両国間で新たな協定をするなら日本も清国と同様の協定をする。
◆清国が外国人の生命財産を完全保護できるようになったら、
日本はロシアと同時に鉄道守備兵を撤退する。
↓↓↓
「ロシア軍の撤退」と「清国が外国人の生命財産を完全保護できること」
この2つが条件として【わざわざ】明記されています。
たとえロシア軍が撤退したとしても、
「ロシア軍さえ撤退すれば、清国が外国人の生命財産を
完全保護できなくても日本軍は撤退する」
と解釈するのは非常に困難であるうえ、
露国後ソ連は東清鉄道守備隊を常駐させてお�
226:閨A 清軍が安全を保障できる体制にもなっていませんでしたから、 日本が鉄道守備隊を撤退させる理由はありませんでした。 はい、条約違反は中国側で終了でしたっと
227:
22/06/01 05:59:51.42 QDqtOg9i.net
>>219
シナの領土って具体的にどこまでだ?
事情変更の原則はどこいった?真っ先にシナが違反した事実は消せないよなw
九か国条約・・・すでに蒋介石が北伐で違反犯してるし(あれ中華民国も現状変更したらダメという条約)
パール判事もいっていたように事情変更の原則でとっくに無効化
不戦条約・・・自衛戦争は留保してるしなにが自衛かは各国の判断に留保されるというシロモノ
シナ事変に関しては完全に日本が防衛側だし
満州国の遺産で成立したシナ畜w
そりゃ日本様に感謝もするよなw
満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。
日本降伏の6日前に満洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、
本国に持ち帰った。
その金額は約8億9千5百万ドルにのぼると
アメリカ・ボーレー調査団は報告している
228:
22/06/01 06:00:26.89 GbHJUyOI.net
>>219
-日本に併合された後の朝鮮-
・朝鮮が無計画な浪費で返済不能になっていた
莫大な借金(外国からの借金+国債)を日本が肩代わりしてチャラにした。
・日本の国家予算で学校などの教育機関や裁判所、上下水道、公園、
病院、警察署、道路、 水力発電所、農地、鉄道などの文化的生活に必要な施設を作った。
・日本の金で朝鮮全土に5000校もの近代小学校を建設し
近代教育をしてハングルを必修で学ばせた。
・日本の技術と資本により2次産業を9倍も成長させると同時に1次・3次産業も大幅に伸ばした。
・医療と衛生環境を向上させて平均寿命を26歳から42歳にまで飛躍的に延ばした。
・人口を2倍まで増やし、その人口が全員が食べていけるほどの驚異的な食料供給力を与えた。
・世界中のどの国も金を貸したがらない極貧後進国に
貸し倒れも恐れずに世界一安い金利で金を貸し与えた。
・発展のために必要な資金や資材などの「物的支援」だけでなく
「人的支援」「技術支援」も同時に行った。
∧∧
/ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ) < 厳しく躾けて世界最下層の民族だと教え込んだのに・・・
( O ) \______________________
│ │ │
(__)_)
∧∧
/ 支 \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( `ハ´) < 勝手に普通の民族扱いしちゃったのは誰!?
(m9ヴィシ! つ \__________________
.人 Y
レ'(_)
229:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:02:20 a7L2v+ha.net
>>221
1915年の対華21か条要求で日本は中国に「満州の利権をよこせ」と要求した。
満州が中国のものと知ってたからだ
230:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:03:47 uStpj/TG.net
>>223
シナの領土って具体的にどこまでだ?
事情変更の原則はどこいった?真っ先にシナが違反した事実は消せないよなw
九か国条約・・・すでに蒋介石が北伐で違反犯してるし(あれ中華民国も現状変更したらダメという条約)
パール判事もいっていたように事情変更の原則でとっくに無効化
不戦条約・・・自衛戦争は留保してるしなにが自衛かは各国の判断に留保されるというシロモノ
シナ事変に関しては完全に日本が防衛側だし
満州国の遺産で成立したシナ畜w
そりゃ日本様に感謝もするよなw
満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。
日本降伏の6日前に満洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、
本国に持ち帰った。
その金額は約8億9千5百万ドルにのぼると
アメリカ・ボーレー調査団は報告している
231:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:04:17 uStpj/TG.net
>>223
中華民国、張作霖・張学良の独裁時代
歳入の大部分は塩税と阿片
歳出の約8割は軍事費
足りない歳出を補ったのは、財産家に対する恐喝・強奪・誘拐
通貨の種類は100前後あったとも、満州各省同士で通用せず、発行しまくりで大インフレ
232:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:04:44 a7L2v+ha.net
>>224
日本は中国領土の満州を侵略したわけだ>満州事変
233:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:04:46 Jn3hGhv5.net
>>223
なに反論から逃げてんの?白バカチョン
234:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:04:58 mA0/z8KO.net
>>226
んなバカチョンの妄想なんぞ知らんがな
日本に文明化されたバカチョン
世界で最も多くの人を虐殺し、最も多くの国を侵略し
人種が入れ替わるほどの殺しあいを行った最も残虐な民族なのがシナ人
世界でも最も無能で、最も不細工で
最も独創性がなくて、最も無様な歴史しかない民族が朝鮮人
一方の日本は・・・
五大国入りしアジア唯一の近代国家として
植民地化を免れ、アジア解放に貢献し有色人種に希望を与え、戦後は勅語を学んだ世代が経済大国化に貢献
アジアでは例外的にノーベル賞を量産し、数々のイノベーションを起こし
殺しあいで民族すら入れかわってるシナチョンと違って
最低2000年近く続く皇運に感謝だね
235:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:06:02 MFJjhjku.net
>>226
チョンは日本に文明化されたとわかればよろしい
-日本に併合された後の朝鮮-
・朝鮮が無計画な浪費で返済不能になっていた
莫大な借金(外国からの借金+国債)を日本が肩代わりしてチャラにした。
・日本の国家予算で学校などの教育機関や裁判所、上下水道、公園、
病院、警察署、道路、 水力発電所、農地、鉄道などの文化的生活に必要な施設を作った。
・日本の金で朝鮮全土に5000校もの近代小学校を建設し
近代教育をしてハングルを必修で学ばせた。
・日本の技術と資本により2次産業を9倍も成長させると同時に1次・3次産業も大幅に伸ばした。
・医療と衛生環境を向上させて平均寿命を26歳から42歳にまで飛躍的に延ばした。
・人口を2倍まで増やし、その人口が全員が食べていけるほどの驚異的な食料供給力を与えた。
・世界中のどの国も金を貸したがらない極貧後進国に
貸し倒れも恐れずに世界一安い金利で金を貸し与えた。
・発展のために必要な資金や資材などの「物的支援」だけでなく
「人的支援」「技術支援」も同時に行った。
∧∧
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( ) < 厳しく躾けて世界最下層の民族だと教え込んだのに・・・
( O ) \______________________
│ │ │
(__)_)
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/ 支 \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( `ハ´) < 勝手に普通の民族扱いしちゃったのは誰!?
(m9ヴィシ! つ \__________________
.人 Y
レ'(_)
236:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:07:38.89 a7L2v+ha.net
>>229
例えば英国はインドにアジア初の鉄道を敷きダムを造り学校を建て、あのパール判事は英国が作ったカルカッタ大学を卒業して弁護士になった。
日本は真似ただけ
◎アジア植民地の大学
1857 カルカッタ大学(英印)
マドラス大学(英印)
ボンベイ大学(英印)
1882 パンジャブ大学(英印)
1887 アラハバッド大学(英印)
1908 フィリピン大学(米領)
1911 香港大学(英領)
1915 バラナス・ヒンドゥー大学(Central Hindu College)(英印)
1916 マイソール大学(英印)
1917 パトナ大学(英印)
ハノイ大学(仏印)
1918 オスマニア大学(英印)
1920 ラングーン大学(英印)
237:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:10:39.85 BuUPBlLk.net
>>230
真似であれなんであれ
「日本にしてもらった事」は理解したんだなw
238:
22/06/01 06:12:25.63 MFJjhjku.net
>>230
反論できない白バカチョン草
比較経済史の観点からみると、
工業化の進展は、欧米の植民地にはない特異なものだった。
とくに、本国にも存在しない巨大水力発電所やそれに依拠する大規模工場群の建設は、
日本の朝鮮統治と欧米の植民地統治の違いを際立たせる。
ここでとりわけ強調すべきは、産業発展に被統治者の朝鮮人が広く関与したことである。
たしかに、産業発展の主導者は統治側の総督府・内地人(企業・個人)だった。
総督府の政策と内地からの資金・技術・知識の注入は、そこで中心的な役割を果たした。
しかし同時に、朝鮮人の側に、外部刺激に対する前向きな反応、
自発的な模倣・学習、さらには創発性・企業家精神が明瞭にみられた。
驚異的な発展は、統治側・被統治側の双方の力が結合して起こったのである。
この見方に立つと、いわゆる植民地隷属論の欠陥が明らかとなる。
隷属論はマルクス主義経済学をベースに展開され、
従来、植民地史に関心をよせる研究者や一般知識人に大きな影響を与えてきた。
それは、宗主国と植民地の支配・被支配、搾取・被搾取関係に関心を集中する。
その結果、現地住民を無力な民の群れとみなし、
経済成長への彼らの積極的貢献を無視する。
今日、マルクス主義は退潮したが、情緒的な加害・被害、贖罪論も加わり、
隷属論の影響はなお根強い。
だが、この立場からは、1910年代~30年代の朝鮮経済の変容は到底説明し得ない。
木村光彦『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』2018
午後9:52 2020年9月26日
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239:
22/06/01 06:13:16.95 MFJjhjku.net
>>230
インドやインドネシアみたいな数百万単位の餓死がいつあったんだ?白バカチョン
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」
240:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:13:18.88 a7L2v+ha.net
>>232
インドのタタ財閥、ビルラ財閥は英領インド時代創業
つまり英国植民地支配下で成り上がるインド人がいたわけだが、「だから英国に感謝しろ」となるだろうか?
241:
22/06/01 06:13:38.23 MFJjhjku.net
>>234
インドやインドネシアみたいな数百万単位の餓死がいつあったんだ?白バカチョン
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」
242:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:14:05.14 a7L2v+ha.net
>>233
昭和十五年初頭に於ける朝鮮食料資源に関する一般情勢 ※1940年
昭和一五、一、一六
朝鮮軍司令部
農村の情況に付ては一月十三日山之内参謀の実施視察したる所に依れば旱害地方農家の食糧欠乏は意想外にして
十数名の家族を搖〔ママ〕しながら僅かに粟等数升を貯へあるは寧ろ良好なる向にして全然貯蔵なき農家も亦少からず。
此等の農家は●、ドングリの実桔梗の根、ヒマシの葉等を単独に又は僅かなる粟と交ぜて粥(※原文「米」+「弱」)とし
一日二食を常とし時としては一食場合に依りては全然欠食する向もあるは確実なり
「ドングリの実桔梗の根、ヒマシの葉等を単独に又は僅かなる粟と交ぜて」
243:
22/06/01 06:14:07.02 MFJjhjku.net
>>234
ソースよく見れば?白バカチョン
比較経済史の観点からみると、
工業化の進展は、欧米の植民地にはない特異なものだった。
とくに、本国にも存在しない巨大水力発電所やそれに依拠する大規模工場群の建設は、
日本の朝鮮統治と欧米の植民地統治の違いを際立たせる。
ここでとりわけ強調すべきは、産業発展に被統治者の朝鮮人が広く関与したことである。
たしかに、産業発展の主導者は統治側の総督府・内地人(企業・個人)だった。
総督府の政策と内地からの資金・技術・知識の注入は、そこで中心的な役割を果たした。
しかし同時に、朝鮮人の側に、外部刺激に対する前向きな反応、
自発的な模倣・学習、さらには創発性・企業家精神が明瞭にみられた。
驚異的な発展は、統治側・被統治側の双方の力が結合して起こったのである。
この見方に立つと、いわゆる植民地隷属論の欠陥が明らかとなる。
隷属論はマルクス主義経済学をベースに展開され、
従来、植民地史に関心をよせる研究者や一般知識人に大きな影響を与えてきた。
それは、宗主国と植民地の支配・被支配、搾取・被搾取関係に関心を集中する。
その結果、現地住民を無力な民の群れとみなし、
経済成長への彼らの積極的貢献を無視する。
今日、マルクス主義は退潮したが、情緒的な加害・被害、贖罪論も加わり、
隷属論の影響はなお根強い。
だが、この立場からは、1910年代~30年代の朝鮮経済の変容は到底説明し得ない。
木村光彦『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』2018
午後9:52 2020年9月26日
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244:
22/06/01 06:14:56.43 MFJjhjku.net
>>236
おまえ、それ論破されて逃げたじゃん
チョンの主食は米じゃなかったって
『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)
同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。
「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。
韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。
「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。
同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。ごくごく一部の 抵抗は
あったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。
「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。
誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに強制的に独立させられた
というのが真実だ。
「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。
日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。
これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。
「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。
一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。
併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。
現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。
虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。
このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足し
ている本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。
これが恥でなくてなんであろうか。
咸錫憲(1901~1989): 1919年に平壌高等普通学校の生徒となるが、崇実学校の
咸錫雲ら に影響され、三・一独立運動に連座、反省文を書けば許すという日本人
校長の態度に立腹、 学校を追放される
245:
22/06/01 06:15:37.20 ipHNapDN.net
>>236
【李朝時代末当時の証言】「朝鮮事情(仏人宣教師シャルル・ダレ神父/平凡社東洋文庫)」1874年
『1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲 い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもい た。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮・人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ』
246:
22/06/01 06:16:11.27 ipHNapDN.net
>>236
私が最初に朝鮮を訪れたのは、1909年に日本の産業技術に関する事で意見勧告をするためだった。当時の朝鮮人の暮らしぶりといったら、アジア諸国で目にする限りでも取り分け悲惨なものと言えた。法秩序というものがほとんどない。民衆は栄養不良で衣類も住居も欠乏し家財道具も持ち合わせがない。衛生環境は最悪で、農村部を含めて全ての場所が不潔と不衛生で包まれているようだった。道路はほとんど通行不能、郵便通信の手段もほとんどなく、教育施設もほぼ不在に等しかった。野山は荒れ放題で木々は荒れ野にまばらに生えている程度だった。盗賊と泥棒の跳梁跋扈は野放し状態に思えた。
日本の35年の統治は、朝鮮民衆の暮らしを劇的に変えた。将来の見込みがまるでない低劣な人材の教育から始めて、日本人は社会秩序を確立、港湾、鉄道、道路を建設し、郵便通信制度を整備、優れた公共の建築物を建て、民衆の住環境を著しく向上させた。彼らは衛生管理の制度を打ち立て、より優れた農業のやり方も教えた。彼らは北朝鮮に巨大な肥料工場を作り、それによって食糧供給を増大させて民衆の食生活をまずまずの水準にまで引き上げた。彼らは荒れた野山に植林を施し、一般教育と職業訓練の制度を確立した。それらの施策によって、朝鮮人の着物が薄汚い単調なものから、色彩に溢れた清潔なものに変化したほどだった。
行政や商工業という面では、朝鮮人は日本人に比べて下手である。よって、意図するにせよしないにせよ、自然、日本人は経済および行政の重要な地位を占めるに至った。ために、1948年に朝鮮人が自治政府を勝ち取った時、彼らにはそのための準備が出来ていなかったのである。
(“Freedom Betrayed” by Herbert Hoover, pp.737-738)
247:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:16:36.36 a7L2v+ha.net
>>237
List of dams and reservoirs in India
URLリンク(en.wikipedia.org)
英領インド時代につくられたダムがたくさんある
248:
22/06/01 06:17:18.04 ipHNapDN.net
>>241だからソースよく見れば?白バカチョン
比較経済史の観点からみると、
工業化の進展は、欧米の植民地にはない特異なものだった。
とくに、本国にも存在しない巨大水力発電所やそれに依拠する大規模工場群の建設は、
日本の朝鮮統治と欧米の植民地統治の違いを際立たせる。
ここでとりわけ強調すべきは、産業発展に被統治者の朝鮮人が広く関与したことである。
たしかに、産業発展の主導者は統治側の総督府・内地人(企業・個人)だった。
総督府の政策と内地からの資金・技術・知識の注入は、そこで中心的な役割を果たした。
しかし同時に、朝鮮人の側に、外部刺激に対する前向きな反応、
自発的な模倣・学習、さらには創発性・企業家精神が明瞭にみられた。
驚異的な発展は、統治側・被統治側の双方の力が結合して起こったのである。
この見方に立つと、いわゆる植民地隷属論の欠陥が明らかとなる。
隷属論はマルクス主義経済学をベースに展開され、
従来、植民地史に関心をよせる研究者や一般知識人に大きな影響を与えてきた。
それは、宗主国と植民地の支配・被支配、搾取・被搾取関係に関心を集中する。
その結果、現地住民を無力な民の群れとみなし、
経済成長への彼らの積極的貢献を無視する。
今日、マルクス主義は退潮したが、情緒的な加害・被害、贖罪論も加わり、
隷属論の影響はなお根強い。
だが、この立場からは、1910年代~30年代の朝鮮経済の変容は到底説明し得ない。
木村光彦『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』2018
午後9:52 2020年9月26日
URLリンク(twitter.com)
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249:
22/06/01 06:17:32.92 ipHNapDN.net
>>241
インドやインドネシアみたいな数百万単位の餓死がいつあったんだ?白バカチョン
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」
250:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:17:48.68 a7L2v+ha.net
>>242
インドのタタ財閥、ビルラ財閥は英領インド時代創業
つまり英国植民地支配下で成り上がるインド人がいたわけだが、「だから英国に感謝しろ」となるだろうか?
251:
22/06/01 06:18:28.38 ipHNapDN.net
>>244さっさと答えろや
インドやインドネシアみたいな数百万単位の餓死がいつあったんだ?白バカチョン
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」
252:
22/06/01 06:19:10.85 BC4Ma/Nw.net
>>244
だからソースよく見れば?白バカチョン
比較経済史の観点からみると、
工業化の進展は、欧米の植民地にはない特異なものだった。
とくに、本国にも存在しない巨大水力発電所やそれに依拠する大規模工場群の建設は、
日本の朝鮮統治と欧米の植民地統治の違いを際立たせる。
ここでとりわけ強調すべきは、産業発展に被統治者の朝鮮人が広く関与したことである。
たしかに、産業発展の主導者は統治側の総督府・内地人(企業・個人)だった。
総督府の政策と内地からの資金・技術・知識の注入は、そこで中心的な役割を果たした。
しかし同時に、朝鮮人の側に、外部刺激に対する前向きな反応、
自発的な模倣・学習、さらには創発性・企業家精神が明瞭にみられた。
驚異的な発展は、統治側・被統治側の双方の力が結合して起こったのである。
この見方に立つと、いわゆる植民地隷属論の欠陥が明らかとなる。
隷属論はマルクス主義経済学をベースに展開され、
従来、植民地史に関心をよせる研究者や一般知識人に大きな影響を与えてきた。
それは、宗主国と植民地の支配・被支配、搾取・被搾取関係に関心を集中する。
その結果、現地住民を無力な民の群れとみなし、
経済成長への彼らの積極的貢献を無視する。
今日、マルクス主義は退潮したが、情緒的な加害・被害、贖罪論も加わり、
隷属論の影響はなお根強い。
だが、この立場からは、1910年代~30年代の朝鮮経済の変容は到底説明し得ない。
木村光彦『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』2018
午後9:52 2020年9月26日
URLリンク(twitter.com)
URLリンク(twitter.com) (5ch newer account)
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253:
22/06/01 06:20:08.36 BC4Ma/Nw.net
>>244
日本に統治されなかったらロシアか中国の少数民族だったバカチョン、哀れw
なんでチョンは誇らしい母国で選挙権行使しないの?
なんでチョンは兵役の義務果たさないの?
なんでチョンはノーベル賞ゼロのパクリしかできない屑民族なの?
なんでチョンは日本様に受けた恩を忘れて被害者面してんの?
なんでチョンは世界一不細工なの?
なんでチョンはハングルも使えないの?
なんでチョンは嫌いな日本人に成りすますの?
なんでチョンは嫌いな日本に就職に来るの?
なんでチョンは売春婦が強制連行されたとウソつくの?
なんでチョンはヒトモドキでアカの他人なのに、日本人の兄弟になりたがるの?
なんでチョンは日本の偉人を在日認定したがるの?
254:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:20:21.00 a7L2v+ha.net
>>246
List of dams and reservoirs in India
URLリンク(en.wikipedia.org)
英領インド時代につくられたダムがたくさんある
255:
22/06/01 06:20:41.79 BC4Ma/Nw.net
>>248
さっさと答えろや
インドやインドネシアみたいな数百万単位の餓死がいつあったんだ?白バカチョン
256:
22/06/01 06:21:58.63 rGhc4e+d.net
>>248
ベンガル飢饉 (1943年)
この大飢饉により、およそ300万人が死亡した。この飢饉は、インドにおける暗黒の歴史となった[1]。なおこの飢饉の原因は、干ばつや猛暑などではなく、ウィンストン・チャーチル元英首相の政策による影響が大きかったためとされている[2]。チャーチルが、インド人に対し人種的嫌悪感を抱いていたため、飢饉にあえぐインドに援助をせず、多数の人々が餓死したとされている。いわば、人為的に発生した飢饉といえる[3]。
257:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:22:38.39 a7L2v+ha.net
>>250
昭和十五年初頭に於ける朝鮮食料資源に関する一般情勢 ※1940年
昭和一五、一、一六
朝鮮軍司令部
農村の情況に付ては一月十三日山之内参謀の実施視察したる所に依れば旱害地方農家の食糧欠乏は意想外にして
十数名の家族を搖〔ママ〕しながら僅かに粟等数升を貯へあるは寧ろ良好なる向にして全然貯蔵なき農家も亦少からず。
此等の農家は●、ドングリの実桔梗の根、ヒマシの葉等を単独に又は僅かなる粟と交ぜて粥(※原文「米」+「弱」)とし
一日二食を常とし時としては一食場合に依りては全然欠食する向�
258:烽るは確実なり 「ドングリの実桔梗の根、ヒマシの葉等を単独に又は僅かなる粟と交ぜて」
259:
22/06/01 06:23:12.09 rGhc4e+d.net
>>251
さっさと答えろや
インドやインドネシアみたいな数百万単位の餓死がいつあったんだ?白バカチョン
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」
260:
22/06/01 06:25:55.17 p6jUUBCe.net
朝鮮半島における奴隷解放運動として捉えるべきで、それ以外の視点は誤りである
261:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:26:39.66 A0ykcQsx.net
言論の自由がない後進国らしいデタラメ振りだなw
262:
22/06/01 06:26:42.18 rGhc4e+d.net
>>251
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw
263:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:26:42.72 a7L2v+ha.net
>>252
○1944年7月31日付小暮泰用の朝鮮視察報告書
斯る基礎に於て個々の農家の具体的供出量が定められる、そうして此の供出令は文字通り至上命令とされ供出の完遂は勧奨よりも強圧強権を加へて強ひられる場合が極めて多い状態である。
而も朝鮮の農民は純朴従順であって、そこには涙ぐましい数数の実話実情も多い、或は明日の糧まで供出せる者あり或は彼等の何よりも大切なる農牛や家屋や家財道具等を売払って闇買をしてまでも自己の供出割当数量を完遂せる者も居る、従って部落に於て勢力のある者、即ち所謂有力者其の他富豪権力者を除いては出来以外の時に於ける農村の食糧事情は殆んど窮迫の状態にある。従って農業者にして尚朝飯夕粥は良い方で多くは糊口に苦しみ自己の生産物は全部供出に献げ自分は大豆、小豆の葉や草根木皮にて辛じて延命し顔は腫れ上り正に生不如死(生は死に如かず。生きるより死んだ方がまし)の惨状を呈し空腹の為め働く事も出来ず寝て居る者も尠(すくな)くない状態である。
斯の如き朝鮮農村の食糧事情よりして農民は食糧は生産しても自らは喰へない故に農村には増産意欲どころか寧ろ厭農思想が相当濃厚であり生産物を隠匿せんとする傾向が強くなって来た。
そこで供出督励者は農家や農家の周囲を捜索し炊事時に不意打的に踏み込み炊事釜や食物を検査し果ては面、駐在所等に呼出して迅(ママ)問する等全く朝鮮でなくては見ることの出来ない奇異なる現象を彼所此所(かしこここ)に露出して居る、
URLリンク(ekesete1.livedoor.blog)
264:
22/06/01 06:27:12.87 rGhc4e+d.net
>>256
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw
265:
22/06/01 06:27:29.79 5LmJrODU.net
>>256
さっさと答えろや
インドやインドネシアみたいな数百万単位の餓死がいつあったんだ?白バカチョン
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」
266:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:27:57 a7L2v+ha.net
>>255
朝鮮総督府が「朝鮮は不作でやばい」と報告しても、日本本国は「内地第一主義」で米を必ず送れと指示した
URLリンク(ekesete1.livedoor.blog)
267:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:29:00 O4EK6WHB.net
>>259
チョンの主食は米じゃなかった
白バカチョンデマ乙
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw
268:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:30:02 O4EK6WHB.net
>>259
逃げ回る白バカチョン
『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)
同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。
「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。
韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。
「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。
同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。ごくごく一部の 抵抗は
あったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。
「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。
誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに強制的に独立させられた
というのが真実だ。
「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。
日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。
これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。
「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。
一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。
併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。
現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。
虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。
このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足し
ている本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。
これが恥でなくてなんであろうか。
咸錫憲(1901~1989): 1919年に平壌高等普通学校の生徒となるが、崇実学校の
咸錫雲ら に影響され、三・一独立運動に連座、反省文を書けば許すという日本人
校長の態度に立腹、 学校を追放される
269:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:30:05 a7L2v+ha.net
>>260
日本人も雑穀食ってたよな?
270:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:30:47 O4EK6WHB.net
>>262
はあ?米が主食だったけど?
チョンの主食は米じゃなかった
白バカチョンデマ乙
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw
271:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:32:18 pFdJlYoc.net
駄目だよ、韓国では真実、事実、史実は朝鮮民族国家の劇薬、毒薬。
嘘でも皆で信じれば真実、史実、事実にできる民族国家なんだから。
272:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:35:39 a7L2v+ha.net
>>263
矢津昌永「朝鮮西伯利紀行」1894年 ※明治27年
今序に韓人の食物を記すべし、朝鮮は米食人にして、米を以て重もなる食物とし、間々大豆、小豆、麦を混するものあり、
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
273:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:37:36 4elBK/J7.net
>>265
米が主食なんてどこにも書いてないし
米食えるようになったのは日本統治からな
チョンの主食は米じゃなかった
白バカチョンデマ乙
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw
274:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:38:46 a7L2v+ha.net
>>266
中央朝鮮協会「朝鮮産米の増殖計画」1926年
一、朝鮮は本来米産地である
朝鮮は日本内地と同じく昔からの米産地であって、産業の基礎は農業、農産の大宗は米国である。(19頁)
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
275:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:39:40 4elBK/J7.net
>>267
米が主食なんてどこにも書いてないし
米食えるようになったのは日本統治からな
チョンの主食は米じゃなかった
白バカチョンデマ乙
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw
276:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:40:46 4elBK/J7.net
>>267
水田は併合前の84万町歩が1920年は155万町歩になり、1928年には162万町歩となり、1942年には177万町歩となるとともに、面積あたりの収穫量も1910年の1反あたり0.796石から1937年には1.635石へと倍増した。
このように農地が新たに開墾され、水利事業によって生産能率が向上したことにより、食糧生産は年々増加し、併合前の1909年には746万石であった収穫高は、1918年には1529万石と2倍以上に、更に1942年には2489万石なった、米の多くが日本(内地)に輸出されたため朝鮮人1人当たりの米の消費量は1919年~1921年の平均0.68石(米1石は約150kg)に対して、
1932年から1936年にかけては0.40石まで減少した[95]。この状況を指して、「飢餓輸出」と呼ぶ研究者もいる[96]が、逆に全相仁らの研究によると日本時代の米の消費量は平均0.58石の水準を保ち、後半期にはむしろ消費量が若干増加している。また朝鮮経済全体で見た場合、米以外の雑穀が大量に輸入されており、高価な米を売った代金で安い雑穀をより多く購入することで増加する人口を養っていたと考えられている。
277:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:40:47 a7L2v+ha.net
>>268
陸軍参謀局「朝鮮近况紀聞」187?年
五穀は稲米最多し。豊饒の地方は南道を以て第一とす。就中忠清全羅慶尚三道の生穀は稲米を多とす。麦に至ては八道有らざるなし。而て京畿慶尚全羅忠清黄海五道の民は都鄙貧富を論ぜず皆白米を吃ふ。平安江原両道山に依るの民及び咸鏡道茂山鎮より慶興府に至る六鎮の民は共に粟飯を吃ふ。
URLリンク(dl.ndl.go.jp)
278:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:41:19 a7L2v+ha.net
>>269
朝鮮で米を作らせて内地で食うという国策「産米増殖計画」
↓
京城日報 1922.8.25 (大正11)
鮮米増産と食糧問題
総督府農務課長 篠原談
総督府の産米増殖計画の原案は未開墾地八十万町歩の中四十万町歩を以後十五年内に開墾し九百万石増収を実現させ内移出数量も年々一千二三百万石に達せしめ度いと云う考えであるが此計画が実現されたあとでも尚四十万町武の未開墾地があるから更にそれに手をつければ内地の食糧問題も当分の解決が出来るつもりである。
URLリンク(www.lib.kobe-u.ac.jp)
279:
22/06/01 06:41:49.10 4elBK/J7.net
>>271
総督府は土地所有者の調査を実施し、所有者のいない土地は接収して東洋拓殖に買い取らせ、日本人移住者や朝鮮人有力者に分配した。総督府が接収した農地は全耕作地の3.26%ほどである[92]。李朝末期の朝鮮は道路、農地、山、河川、港湾などが荒廃しており、民衆は官吏・地主・両班に高利貸(トンノリ)による収奪を受けていた。そのため日本が朝鮮の農地にて、水防工事や水利工事をし、金融組合もつくったことで、農民は安い金利で融資を受けることができるようになり、朝鮮人農民に多大な利益をもたらすようになった。また、水利組合の設立により安心して農耕ができるようになった[93]。大地主である朝鮮人は、生産性が上がり日本へ米を輸出できるようになったことで多額の利益を得ていた。その代表的な人物がサムスングループの創始者である李秉喆である。彼は慶尚南道の大地主の次男として生まれ、米の輸出で得た多額の資金を元手に1938年に大邱にて三星商事を設立し、これがのちのサムスングループに発展していった[94]。
280:
22/06/01 06:42:07.89 4elBK/J7.net
>>270
チョンの主食は米じゃなかった
白バカチョンデマ乙
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw
281:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:43:01.59 a7L2v+ha.net
>>273
京畿慶尚全羅忠清黄海五道の民は都鄙貧富を論ぜず皆白米を吃ふ>>270
282:
22/06/01 06:44:15.69 ogNLOrnL.net
>>274
そいつらだけだし、皆食うと言っても食えたかは別
チョンの主食は米じゃなかった
白バカチョンデマ乙
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw
283:
22/06/01 06:44:49.23 ogNLOrnL.net
>>274
さっさと答えろや
インドやインドネシアみたいな数百万単位の餓死がいつあったんだ?白バカチョン
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」
284:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:45:34.11 a7L2v+ha.net
>>275
朝鮮八道のうち五道で米食えば十分だろ
285:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:46:12.05 /V+64DM9.net
証拠もなく「強制連行」という方が名誉毀損だろ
286:
22/06/01 06:46:15.99 ogNLOrnL.net
>>277
反論になってなくて草
そいつらだけだし、皆食うと言っても食えたかは別
チョンの主食は米じゃなかった
白バカチョンデマ乙
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw
287:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:46:18.78 erIwZi7t.net
実際朴正煕のお陰だと思うが朴正煕がちゃんと教育をうけた軍人で
大統領となって統治されていたという事実を利用していきなり近代国家にできるだけ
日本から金引っ張ったんだもん韓国からすればこいつ一人でやったこととしては最大級の英雄でしょ
朴正煕が日本の習性をしってるから出来た事
それにくらべたら後の大統領はそれをただ食いつぶしてるだけの愚か者
288:
22/06/01 06:46:55.77 ogNLOrnL.net
>>277
なんで反論しないの?白バカチョン
『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)
同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。
「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。
韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。
「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。
同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。ごくごく一部の 抵抗は
あったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。
「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。
誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに強制的に独立させられた
というのが真実だ。
「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。
日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。
これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。
「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。
一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。
併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。
現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。
虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。
このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足し
ている本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。
これが恥でなくてなんであろうか。
咸錫憲(1901~1989): 1919年に平壌高等普通学校の生徒となるが、崇実学校の
咸錫雲ら に影響され、三・一独立運動に連座、反省文を書けば許すという日本人
校長の態度に立腹、 学校を追放される
289:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:47:18.44 a7L2v+ha.net
>>279
朝鮮は米食人にして、米を以て重もなる食物とし>>265
290:
22/06/01 06:48:08.68 ogNLOrnL.net
>>282
米が主食なんてどこにも書いてないし
米食えるようになったのは日本統治からな
チョンの主食は米じゃなかった
白バカチョンデマ乙
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw
291:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:49:17.24 a7L2v+ha.net
>>283
京城日報 1923.5.16-1923.5.28 (大正12)
朝鮮の産業と交通 (一?九)
殖産局長 西村保吉
米は古来朝鮮人の主要食料品でありまして、始政当時既に一千万石の生産がありましたが、
URLリンク(www.lib.kobe-u.ac.jp)
292:
22/06/01 06:50:37.50 ogNLOrnL.net
>>284
そいつが言ってるだけ
主食じゃないしまともに食えなかったから大量餓死
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」
293:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:51:46.50 a7L2v+ha.net
>>285
・朝鮮は米食人にして、米を以て重もなる食物とし>>265
・京畿慶尚全羅忠清黄海五道の民は都鄙貧富を論ぜず皆白米を吃ふ>>270
・米は古来朝鮮人の主要食料品でありまして>>284
294:
22/06/01 06:51:55.31 ogNLOrnL.net
>>286
水田は併合前の84万町歩が1920年は155万町歩になり、1928年には162万町歩となり、1942年には177万町歩となるとともに、面積あたりの収穫量も1910年の1反あたり0.796石から1937年には1.635石へと倍増した。
このように農地が新たに開墾され、水利事業によって生産能率が向上したことにより、食糧生産は年々増加し、併合前の1909年には746万石であった収穫高は、1918年には1529万石と2倍以上に、更に1942年には2489万石なった、米の多くが日本(内地)に輸出されたため朝鮮人1人当たりの米の消費量は1919年~1921年の平均0.68石(米1石は約150kg)に対して、
1932年から1936年にかけては0.40石まで減少した[95]。この状況を指して、「飢餓輸出」と呼ぶ研究者もいる[96]が、逆に全相仁らの研究によると日本時代の米の消費量は平均0.58石の水準を保ち、後半期にはむしろ消費量が若干増加している。また朝鮮経済全体で見た場合、米以外の雑穀が大量に輸入されており、高価な米を売った代金で安い雑穀をより多く購入することで増加する人口を養っていたと考えられている。
295:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:52:14.56 NRWYOKSV.net
親に売り飛ばされてるのに未だに日本のせいにするBBAども
親や年寄が無条件で偉いとする儒教の精神というのはここまで人間を腐らせるんだな
それともウリスト教と一緒で彼らが関与するから全て腐るんだろうか
相手の精神や思想すら腐敗させるとかミダス王よりすげえ民族だわ
ウンコ食ってるだけのことはある
296:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:52:26.75 erIwZi7t.net
識字率6%じゃ国運営もできないし反映も出来る訳ないのよ
韓国が日本の隣になければ未だに発展途上国だよ
隣に日本が有ったという事実はアジア各国からすりゃ羨ましい程の幸運だもの
アジア人なら交換できるのなら喜んで国の場所交換してくれと言うよ
297:
22/06/01 06:52:42.50 ogNLOrnL.net
>>286
主食とは書いてないし、皆食えなかったから大量餓死
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」
298:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:53:09.98 a7L2v+ha.net
>>287
それは内地で食うために朝鮮で米を作らせた
299:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:53:34.62 BzZ/LdWi.net
売春が何故存在するかの根本は貧しさで…
10年以上前から2ちゃんで同じ事言い続けてるからな
朝鮮が人間社会で有るのなら、洋の東西時代や文明に違えず
全く同じように売春婦と女衒は存在する
それだけで終了
目新しさの欠片さえ無いわw
300:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:53:34.86 a7L2v+ha.net
>>290
日本でも飢饉は何度もあった
301:
22/06/01 06:53:41.34 Py1I5Y3J.net
>>1
日本にとってこういう事実を冷静に考える輩が1番厄介
きっちり反日して断交しよーぜ
302:
22/06/01 06:54:26.34 ogNLOrnL.net
>>291
それでチョンも豊かになったわけだ
水田は併合前の84万町歩が1920年は155万町歩になり、1928年には162万町歩となり、1942年には177万町歩となるとともに、面積あたりの収穫量も1910年の1反あたり0.796石から1937年には1.635石へと倍増した。
このように農地が新たに開墾され、水利事業によって生産能率が向上したことにより、食糧生産は年々増加し、併合前の1909年には746万石であった収穫高は、1918年には1529万石と2倍以上に、更に1942年には2489万石なった、米の多くが日本(内地)に輸出されたため朝鮮人1人当たりの米の消費量は1919年~1921年の平均0.68石(米1石は約150kg)に対して、
1932年から1936年にかけては0.40石まで減少した[95]。この状況を指して、「飢餓輸出」と呼ぶ研究者もいる[96]が、逆に全相仁らの研究によると日本時代の米の消費量は平均0.58石の水準を保ち、後半期にはむしろ消費量が若干増加している。また朝鮮経済全体で見た場合、米以外の雑穀が大量に輸入されており、高価な米を売った代金で安い雑穀をより多く購入することで増加する人口を養っていたと考えられている。
303:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:54:39.22 a7L2v+ha.net
>>292 戦前日本で流行っていた>女性をだまして海外に連れ出し売春させる ↓ 1893年2月3日 外務省訓令 近来不良の徒各地を徘徊し甘言を以て海外の事情に疎き婦女を誘惑し、 遂に種々の方法に因りて海外に渡航せしめ、 渡航の後は正業に就かしむることを為さず却て之を強迫して醜業を営まして、 ・・・ 明治二十六年二月三日 外務大臣 陸奥宗光 従軍慰安婦もこれ
305:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:55:08.73 a7L2v+ha.net
>>295
昭和十五年初頭に於ける朝鮮食料資源に関する一般情勢 ※1940年
昭和一五、一、一六
朝鮮軍司令部
農村の情況に付ては一月十三日山之内参謀の実施視察したる所に依れば旱害地方農家の食糧欠乏は意想外にして
十数名の家族を搖〔ママ〕しながら僅かに粟等数升を貯へあるは寧ろ良好なる向にして全然貯蔵なき農家も亦少からず。
此等の農家は●、ドングリの実桔梗の根、ヒマシの葉等を単独に又は僅かなる粟と交ぜて粥(※原文「米」+「弱」)とし
一日二食を常とし時としては一食場合に依りては全然欠食する向もあるは確実なり
「ドングリの実桔梗の根、ヒマシの葉等を単独に又は僅かなる粟と交ぜて」
306:
22/06/01 06:55:19.38 ogNLOrnL.net
>>293
十万単位は江戸時代にしかねえよ、白バカチョン
規模が桁違いやわw
307:
22/06/01 06:55:39.35 ogNLOrnL.net
>>297
さっさと答えろや
インドやインドネシアみたいな数百万単位の餓死がいつあったんだ?白バカチョン
国民の半数が餓死w
基地外朝鮮政府w
それを文明化したのが日本様w
「代理公使朝鮮日記/2 明治10年9月9日から明治10年11月30日」p34)
11月26日、月曜日 晴、9時に伴接官 礼曹参判洪祐昌が来る。公使及び属員が迎えて茶菓をもって接待する。話が昨年の飢饉のことに及ぶ。
洪「昨年来、国民が餓死すること殆ど半分に及び、わずかが麦の熟するのにありつけた。今年は幸いに大いに実りやや肩を緩めるを得る。」
花房「自分が経過する郡村に累々たる餓死の惨状を聞き、深くこれを痛む。しかしなお信じられなかったが、貴殿の言葉を聞いて確と信じられた。
去る冬に自分は貴殿と面会し(花房は外務大丞として9年11月にも朝鮮に行っている。)、
幸いに本年は我が国に於いては国内諸穀物豊穣なので余米も少なからず、もし貴国に於いて救援を要するならば、自分は我が政府に言って周旋尽力すべきにより、
貴殿には貴政府へ具申し人民の活路を開かんことを勧め、その後近藤管理官もまたその事を再三貴殿に切言す。
しかるに数百万の人民飢え且つ死するを座視し、貴政府は一言もその件に触れなかったのは、貴殿から政府に言わなかったのか。また具申しても政府はこれを用いなかったのか。
ああ、なんと数百万の民餓死し政府はそれを座視してこれを救う道を求めずとは。もしこの時に隣国は米穀を出して救援する国であると知るなら国民はどちらに服しようか。
朝鮮に来てから貴政府が各地で自分を接待するに毎食数十品を下らず。
その厚遇感謝に堪えずといえども、食膳に向かうごとに飢餓民の事を思い味もなく喉も下らず、これによって毎回接待を辞退せり。しかるに地方官は上の命令であるからとこれを強いて、撤しなかった。
以後は改めて固くこれを辞退する。願わくは接待されるな。」
308:
22/06/01 06:56:08.59 YYcpra5C.net
>>296
売春モンスターのチョンがなんだって?
-日本に併合された後の朝鮮-
・朝鮮が無計画な浪費で返済不能になっていた
莫大な借金(外国からの借金+国債)を日本が肩代わりしてチャラにした。
・日本の国家予算で学校などの教育機関や裁判所、上下水道、公園、
病院、警察署、道路、 水力発電所、農地、鉄道などの文化的生活に必要な施設を作った。
・日本の金で朝鮮全土に5000校もの近代小学校を建設し
近代教育をしてハングルを必修で学ばせた。
・日本の技術と資本により2次産業を9倍も成長させると同時に1次・3次産業も大幅に伸ばした。
・医療と衛生環境を向上させて平均寿命を26歳から42歳にまで飛躍的に延ばした。
・人口を2倍まで増やし、その人口が全員が食べていけるほどの驚異的な食料供給力を与えた。
・世界中のどの国も金を貸したがらない極貧後進国に
貸し倒れも恐れずに世界一安い金利で金を貸し与えた。
・発展のために必要な資金や資材などの「物的支援」だけでなく
「人的支援」「技術支援」も同時に行った。
∧∧
/ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ) < 厳しく躾けて世界最下層の民族だと教え込んだのに・・・
( O ) \______________________
│ │ │
(__)_)
∧∧
/ 支 \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( `ハ´) < 勝手に普通の民族扱いしちゃったのは誰!?
(m9ヴィシ! つ \__________________
.人 Y
レ'(_)
309:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:56:26.94 a7L2v+ha.net
>>299
○1944年7月31日付小暮泰用の朝鮮視察報告書
斯る基礎に於て個々の農家の具体的供出量が定められる、そうして此の供出令は文字通り至上命令とされ供出の完遂は勧奨よりも強圧強権を加へて強ひられる場合が極めて多い状態である。
而も朝鮮の農民は純朴従順であって、そこには涙ぐましい数数の実話実情も多い、或は明日の糧まで供出せる者あり或は彼等の何よりも大切なる農牛や家屋や家財道具等を売払って闇買をしてまでも自己の供出割当数量を完遂せる者も居る、従って部落に於て勢力のある者、即ち所謂有力者其の他富豪権力者を除いては出来以外の時に於ける農村の食糧事情は殆んど窮迫の状態にある。従って農業者にして尚朝飯夕粥は良い方で多くは糊口に苦しみ自己の生産物は全部供出に献げ自分は大豆、小豆の葉や草根木皮にて辛じて延命し顔は腫れ上り正に生不如死(生は死に如かず。生きるより死んだ方がまし)の惨状を呈し空腹の為め働く事も出来ず寝て居る者も尠(すくな)くない状態である。
斯の如き朝鮮農村の食糧事情よりして農民は食糧は生産しても自らは喰へない故に農村には増産意欲どころか寧ろ厭農思想が相当濃厚であり生産物を隠匿せんとする傾向が強くなって来た。
そこで供出督励者は農家や農家の周囲を捜索し炊事時に不意打的に踏み込み炊事釜や食物を検査し果ては面、駐在所等に呼出して迅(ママ)問する等全く朝鮮でなくては見ることの出来ない奇異なる現象を彼所此所(かしこここ)に露出して居る、
URLリンク(ekesete1.livedoor.blog)
310:
22/06/01 06:56:29.98 PwEQuDyJ.net
>>297
反論は?
『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)
同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。
「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。
韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。
「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。
同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。ごくごく一部の 抵抗は
あったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。
「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。
誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに強制的に独立させられた
というのが真実だ。
「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。
日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。
これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。
「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。
一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。
併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。
現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。
虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。
このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足し
ている本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。
これが恥でなくてなんであろうか。
咸錫憲(1901~1989): 1919年に平壌高等普通学校の生徒となるが、崇実学校の
咸錫雲ら に影響され、三・一独立運動に連座、反省文を書けば許すという日本人
校長の態度に立腹、 学校を追放される
311:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:56:59.78 a7L2v+ha.net
>>300
例えば英国はインドにアジア初の鉄道を敷きダムを造り学校を建て、あのパール判事は英国が作ったカルカッタ大学を卒業して弁護士になった。
日本は真似ただけ
◎アジア植民地の大学
1857 カルカッタ大学(英印)
マドラス大学(英印)
ボンベイ大学(英印)
1882 パンジャブ大学(英印)
1887 アラハバッド大学(英印)
1908 フィリピン大学(米領)
1911 香港大学(英領)
1915 バラナス・ヒンドゥー大学(Central Hindu College)(英印)
1916 マイソール大学(英印)
1917 パトナ大学(英印)
ハノイ大学(仏印)
1918 オスマニア大学(英印)
1920 ラングーン大学(英印)
・・・
312:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:57:00.97 erIwZi7t.net
>>286
統治時代に米を輸出しがったのは農民だよ
市場にだすより日本本土に売った方が高値になるから挙って売ってた
だから朝鮮総督府と協議して日本政府が朝鮮からの輸出量を制限しなければ成らなくなった
朝鮮の方が物価低いんだものすでに近代化してる日本と比べてどうするの
313:
22/06/01 06:57:01.05 PwEQuDyJ.net
>>301
米が主食なんてどこにも書いてないし
米食えるようになったのは日本統治からな
チョンの主食は米じゃなかった
白バカチョンデマ乙
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw
314:
22/06/01 06:57:13.59 mkkxBo0u.net
>>5
軍が展開、なんてどうとでも取れる表現で逃げるな。
まず慰安婦制度なんて制度はなかった。売春婦を慰安婦と婉曲に表現していただけ。
慰安所は民間の経営。軍はそれを奨励していただけ。自衛隊員向けの傷害保険みたいなもんだね。慰安所の奨励が悪いというなら、売春を公然と認めていた社会、世界全体が悪いということになる。
315:
22/06/01 06:57:42.31 PwEQuDyJ.net
>>303
さっさと答えろや
インドやインドネシアみたいな数百万単位の餓死がいつあったんだ?白バカチョン
316:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:57:50.11 a7L2v+ha.net
>>304
○1944年7月31日付小暮泰用の朝鮮視察報告書
斯る基礎に於て個々の農家の具体的供出量が定められる、そうして此の供出令は文字通り至上命令とされ供出の完遂は勧奨よりも強圧強権を加へて強ひられる場合が極めて多い状態である。
而も朝鮮の農民は純朴従順であって、そこには涙ぐましい数数の実話実情も多い、或は明日の糧まで供出せる者あり或は彼等の何よりも大切なる農牛や家屋や家財道具等を売払って闇買をしてまでも自己の供出割当数量を完遂せる者も居る、従って部落に於て勢力のある者、即ち所謂有力者其の他富豪権力者を除いては出来以外の時に於ける農村の食糧事情は殆んど窮迫の状態にある。従って農業者にして尚朝飯夕粥は良い方で多くは糊口に苦しみ自己の生産物は全部供出に献げ自分は大豆、小豆の葉や草根木皮にて辛じて延命し顔は腫れ上り正に生不如死(生は死に如かず。生きるより死んだ方がまし)の惨状を呈し空腹の為め働く事も出来ず寝て居る者も尠(すくな)くない状態である。
斯の如き朝鮮農村の食糧事情よりして農民は食糧は生産しても自らは喰へない故に農村には増産意欲どころか寧ろ厭農思想が相当濃厚であり生産物を隠匿せんとする傾向が強くなって来た。
そこで供出督励者は農家や農家の周囲を捜索し炊事時に不意打的に踏み込み炊事釜や食物を検査し果ては面、駐在所等に呼出して迅(ママ)問する等全く朝鮮でなくては見ることの出来ない奇異なる現象を彼所此所(かしこここ)に露出して居る、
URLリンク(ekesete1.livedoor.blog)
317:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:58:08.52 a7L2v+ha.net
>>305
・朝鮮は米食人にして、米を以て重もなる食物とし>>265
・京畿慶尚全羅忠清黄海五道の民は都鄙貧富を論ぜず皆白米を吃ふ>>270
・米は古来朝鮮人の主要食料品でありまして>>284
318:
22/06/01 06:58:24.00 PwEQuDyJ.net
>>308
>>271
総督府は土地所有者の調査を実施し、所有者のいない土地は接収して東洋拓殖に買い取らせ、日本人移住者や朝鮮人有力者に分配した。総督府が接収した農地は全耕作地の3.26%ほどである[92]。李朝末期の朝鮮は道路、農地、山、河川、港湾などが荒廃しており、民衆は官吏・地主・両班に高利貸(トンノリ)による収奪を受けていた。そのため日本が朝鮮の農地にて、水防工事や水利工事をし、金融組合もつくったことで、農民は安い金利で融資を受けることができるようになり、朝鮮人農民に多大な利益をもたらすようになった。また、水利組合の設立により安心して農耕ができるようになった[93]。大地主である朝鮮人は、生産性が上がり日本へ米を輸出できるようになったことで多額の利益を得ていた。その代表的な人物がサムスングループの創始者である李秉喆である。彼は慶尚南道の大地主の次男として生まれ、米の輸出で得た多額の資金を元手に1938年に大邱にて三星商事を設立し、これがのちのサムスングループに発展していった[94]。
319:(´・ω・`)(`ハ´ )さん
22/06/01 06:58:32.61 a7L2v+ha.net
>>306
軍公文書で慰安所「経営」明記>
独立攻城重砲兵第2大隊本部 昭和12年陣中日誌
慰安設備は兵站の経営するもの及軍直部隊の経営するもののニヶ所ありて定日に幹部引率の許に概ね一隊約一時間の配当なり
320:
22/06/01 06:58:39.47 PwEQuDyJ.net
>>309
米が主食なんてどこにも書いてないし
米食えるようになったのは日本統治からな
チョンの主食は米じゃなかった
白バカチョンデマ乙
日本政府が問題視して、朝鮮司令部が救おうとして大袈裟に訴えた
一方、朝鮮政府は国民の半数が餓死してるのに援助も求めなかった
>>252
この違い
白バカチョンw