【韓食】 私たちのソウルフード、キムパプのすべて…日本由来説は明確な根拠がないだけでなく、論理的にもかなり無理がある[05/24] [LingLing★]at NEWS4PLUS
【韓食】 私たちのソウルフード、キムパプのすべて…日本由来説は明確な根拠がないだけでなく、論理的にもかなり無理がある[05/24] [LingLing★] - 暇つぶし2ch5:LingLing ★
22/05/24 21:37:39.31 CAP_USER.net
―世界最初となる大量のキム養殖を成功した金海金氏のキムヨイク(金汝翼)先生
「キムを初めて養殖して、またキム養殖法を創案した」という事実は、朝鮮時代の「海隠」キムイクギョン(金益慶)の金海金氏の四軍派、監務公派の系統である26世孫の金汝翼(1606~1660)先生の全羅南道光陽に位置する金始殖地にある墓標(全羅南道記念物113号)に書かれた「始殖海衣」と「又発海衣」から知ることができる。つまり、この時、世界最初の大量のキム養殖があった。
1650年頃、全羅南道(チョルラナムド)霊岩郡(ヨンアムグン)西湖面(ソホミョン)の夢海(モンヘ)で生まれ、丙子胡乱で清との屈辱的和議に憤慨して、光陽(クァンヤン)の泰仁島(テインド)に移住、隠遁したキム・ヨイクは実事求是精神が透徹した人物だ。太仁島でキム養殖を初めて始殖する前は天然産の岩キムだけだったが、島の海辺に押し寄せてきた竹にキムがついているのを見て、松と栗の枝を活用する方法で養殖法を考案し、キム養殖を始めた。
朝鮮16代仁祖は、食膳に真っ黒で紙のような飯饌のキムを見て味がとても良くて名前が何なのか尋ねると、人がいなくて一人の臣下が「光陽の地に住むキム某が作った食べ物です」と告げると、王がその席で、今後この「海草」をその人の姓を取って「キム」と呼ぶようにしたのが「キム」の語源だという。
-先祖代々キムと類似した形で好んできたサム文化
このような歴史的記録からも分かるように、古くからキムは存在しており、しかも私たちには昔も今も、韓国の固有の食文化である「サム(※包む)」文化がある。したがって、キムをご飯に包んで食べる文化が自然に存在したことを類推することができる。「ポク(福)を包んで食べる」という意味のポッサムは、小正月に福と豊作を祈る意味で食べる別食だった。
1285年、三国遺事(高麗忠烈王11年)の記録に、ポッサム(ポクリ)と言って、小正月にチュイナムルや白菜の葉、そしてキムにご飯をのせて包んで巻いて食べるのは新羅時代から始まったと記録されている。1819年刊された「洌陽歳時記」と1849年の「東国歳時記」によると、白菜の葉に海苔とご飯を包んだ食べ物が「ポッカ」、「パクジョム」、「ポッサム」という食べ物で存在したと出ている。
田舎では昔、野積サムをたくさん食べてこそ、その年の農作業がうまくいくと信じていたが、キムに包んだポッサムをたくさん食べると稲俵をたくさん食べたとみなし、「稲俵をたくさん食べたので、今年の農作業はうちが最高」と自慢したほどだった。特にこの時、包丁やハサミで切ると稲の首を切って農作業を台無しにすると言って、キムは手で大体切って食べなければならなかったという。全羅北道の高敞(コチャン)では、五穀米を炊いて城主の前や甕台に五穀米をキムに包んで載せる「露積重ね」という風習もある。
「海野菜(※前述、オオフサツヨシ著)」では、18世紀前半からキムを食べ物として活用したと出ている。
これに比べて、我が国は三国時代からキムを食べており、普遍的にキムを活用した朝鮮時代の事実的記録を基盤に判断してみると、我が国がはるかに先立つしかなかったという自然な推論が、果たして筆者のみが可能なのかという観点から、私たちはキムパプに対する日本起源説を考える必要がある。さらに一歩進んで、初期形態の韓国のキムパプが朝鮮時代頃に日本に伝えられた後、日帝期に新しい形態で我が国に逆輸入されたという主張もある。いずれにしても、キムパプの日本由来説は明確な根拠もないだけでなく、論理的にもかなり無理がある。
次号では、世界の舞台で活躍しているキムパプについての話が続きます。
以上


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch