【韓食】 私たちのソウルフード、キムパプのすべて…日本由来説は明確な根拠がないだけでなく、論理的にもかなり無理がある[05/24] [LingLing★]at NEWS4PLUS
【韓食】 私たちのソウルフード、キムパプのすべて…日本由来説は明確な根拠がないだけでなく、論理的にもかなり無理がある[05/24] [LingLing★] - 暇つぶし2ch4:LingLing ★
22/05/24 21:37:12.49 CAP_USER.net
-はるかに進んだキムと融複合された紙の製造技術から類推できる
韓国の海苔製造技術
私たちが現在食べている紙形の薄いキムは遠い昔からではなかった。SEAWEEDと呼ばれ、数多くの海藻の一つであるこの黒い海の苔から紙を作るということは、当時の状況で大革新的な思考と融合的な技術の変化が必要だったたことから、紙のキムを作ることは大変難しかっただろう。ところが、文献に16世紀初め、中宗頃にキムを混ぜて作る紙があった。「苔紙」という韓紙のうちの一つだが、字がよく書けて、特に強度が高く丈夫で当時最高級紙だったという。このような記録から見ても、キムの製造技術はそれよりも前に開発された可能性もあって、単純な紙のキムはそれより早く誕生した可能性もある。キムバル(※まきすのこと)の簾のような細い枠に、細かく粉砕した原料を載せて薄く漉く紙製造技術は、キムを作る技術と非常に似ているという観点と、製造技術的な面からキムの製造方法に大きな影響を与えた可能性が高い。
-文献で検証されたずば抜けて進んだ大韓民国のキムの歴史
キムパプが韓国固有の食品だという主張は、キムの歴史からその根拠を見つけることができる。1985年発刊された日本のオオフサツヨシ博士が著した「海野菜」という本で、日本は江戸時代(徳川時代)の享保初期からキムを食べたと記録している。18世紀初めから半ばにかけてキムを採取したり、養殖してキムを利用した食品を作ったと推測できる。
これに反して韓国でキムが文献上で初めて登場した最初の史料は、1281年高麗忠烈王の時、一然僧侶が編纂した「三国遺事」に新羅時代から「キム」を食べたと伝えられている。
1424年に慶南監司の河演が編纂した地理本である「慶尚道地理誌」でも、キム養殖の起源が現れるが、その内容を見ると、「河東(ハドン)地域の伝来によれば、約260年前に一人のおばあさんが蟾津江(ソムジンガン)河口で貝類を採取していたところ、キムがたくさん着生した木片が流れてくるのを発見し、それに付いているキムを取って食べたら、味が非常に良かった。その後、竹木を水中に立て、人工的にキムを着生させた場所から始まった」と書かれている。
1429年「世宗実録」には、朝鮮時代の明国に送る進上品のうちの一つとして海衣(キム)が記録されており、1481年に完成した地理書である「東国輿地勝覧」には、全羅南道光陽郡(クァンヤングン)太仁島(テインド)の特産物として採取したという記録が残っている。
1578年には中国明の南京で完成し、1596年(万暦23年)、イ・シジンによって編纂された薬草学の研究書であり、博物辞典でもある「本草綱目」を見ると、「新羅の深い海の中で採取するが、腰に縄を縛って深い海の中に入って採って来る。4月以降は、大魚が現れて邪魔するから採取できない」とキムについて伝えている。
1650年頃、茶山チョン・ヤギョンが著した「経世遺表」という古書から光陽(クァンヤン)でもキムを採取したという記録が見られる。19世紀末の朝鮮末期に編纂された料理本、「是議全書」にはキムパプに似たキムサム(※サムは「包む」。)について、「キムを手でこすってかすを取る。手入れしたキムを膳の上に広げておき、キジの羽で油を塗って塩をパラパラ振りかけて置いた後、焼く。 四角く切って、真ん中に串を刺す」と調理法が記されている。
1924年の「朝鮮之水産第2号河東海苔養殖沿革の記録」には「今から300年ほど前に観察士がこの地を巡視する時、太仁島東側の葛島の人々が観察士随行員からその養殖および製造方法を伝授されたと伝える。」となっている。
このような、韓日間に存在する多様な歴史的記録を照らしてみると、キムが日本から始まったという根拠は、そのどこにも見当たらないので、キムが韓国が元祖だということで強い誇りを持ってもよさそうだ。


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