21/09/14 21:31:18.34 dC1hrPIS.net
60年代前半のことだったという。当時、京都府町村会会長を務めていた。京都出身の戦没者慰霊塔を建設するため、野中氏は初めて沖縄を訪ねた。
沖縄戦の激戦地だった嘉数の丘にタクシーで向かった。宜野湾の街に入ったところで、タクシーの運転手がぽつりと漏らした。
「このあたりで私の妹が殺されたんです」
運転手は泣いていた。
タクシーをそこで停めてもらい、野中氏は手を合わせた。沖縄戦の傷跡を間近で目にしたことで言葉を失い、ただ手を合わせ、祈ることしかできなかったという。
「そのとき運転手さんが話してくれたんです。妹さんを死に至らしめたのは米軍ではなく、実は日本軍だったと」
運転手はうなだれていた。その悲しげな表情が「いつまでも頭から離れない」と野中氏は話した。それこそが野中氏にとっての沖縄の原風景、原体験である。
だから国会議員になってからも沖縄通いを続けた。政治的な立場を超えて、様々な人から話を聞いた。米軍が何か問題を起こしたときには、頭を下げて回った。
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