21/03/02 02:43:52.44 VdFe9yPq.net
>おそらく最も当惑させられるのは、韓国では日本による植民地支配以前も以降も、
>国家主導の下で性的労働が行われていた歴史への認識がほぼ不在であることだ。
ジョセフ・イ(漢陽大学政治学部准教授)、
ジョー・フィリップス(延世大学アンダーウッド国際学部准教授)
別スレから引用だが、これは妓生制度のことだな。 外人は率直な表現をする。www
従軍慰安婦制度は長い歴史を持つ 「朝鮮の公務員制度」 だった。(以下コピペ)
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韓国の民間団体が批判する 「日本軍が行っていた性奴隷制度=従軍慰安婦制度」
を語るには、朝鮮の妓生(kiisen)制度について知らなければなりません。
李氏朝鮮王朝時代には全ての国民は、良民(両班、中人、常人)と賤民(奴婢、白丁)
という階層に分けられていました。そして奴婢の階層の中に、いわゆる妓生の身分が
存在していました。妓生は「奴婢随母法」で規定された身分である「妓籍(kijyo)」に属
する女性達を指し、「妓生庁」という役所で管理されていました。
さらに細かく見ると、妓生は一牌、ニ牌、三牌という三階層に分類されていました。
一牌は官位を与えられる者もいたようですが、三牌にいたっては単なる売春婦でし
た。妓生は世襲される身分であり、母が売春婦なら女の子供も売春婦である、と国家
が戸籍制度で定義していました。つまり、朝鮮では古くより社会制度として世襲される
性奉仕公務員制度を実施していたのです。
妓籍の子供は庶属(sojyoku)と呼ばれ、男子は中人に移籍する事もありましたが、女
子は妓籍から抜ける事は決してありませんでした。さらに庶属の売買は自由であり、
親(または所有者)は売買することで金銭を得ていました。
売春そのものは世界中いつの時代にも存在したし、現在も存在しています。しかし朝
鮮のように国家として性奴隷制度を確立していた社会は稀でしょう。
妓生をその慰安相手の階層で分けると次のようになっていました。
「女妓」=支那使臣の接待専用の売春婦
「官妓」=官吏専属の売春婦
「軍妓」=軍に付属する売春婦
「辺妓」=国境などの辺境に駐在する軍隊の為の売春婦
この「軍妓」、「辺妓」が朝鮮の国策による「従軍慰安婦」でした。
1886年に奴婢身分世襲が禁止されましたが、社会制度、経済制度としての妓籍制度
の根は深く、実際は日本統治時代にも継続していました。戦前の貧しい半島ではこの
ような社会風土もあり、慰安婦募集には多数の応募がありました。また、法的手続き
を踏めば人身売買も認められていました。
日本軍が性病防止のため、また将兵による強姦防止のために慰安所の設営を求め
たのは事実です。戦地の慰安施設ゆえに当然安全面や衛生面の管理は日本軍が行
っていました。しかし慰安婦の募集や施設の運営は民間に委託されており、軍による
慰安婦の強制連行など全く必要ありませんでした。
慰安婦はかなりの高収入で外出や廃業も自由でした。にもかかわらず、韓国の慰安
婦支援団体が彼女らを「性奴隷」と呼ぶのは、「悪辣な日本軍」という宣伝効果を狙っ
たものでしょうが、朝鮮の歴史に長く存在した「妓生」という「公的性奴隷制度」を反映
しての表現でもあるのでしょう。
朝鮮戦争時代には、米軍、韓国軍相手に30万人の慰安婦が存在していたといわれ
ています。また公営の慰安施設が設けられ、公文書として残されています。
朝鮮戦争後は、慰安婦は「キーセン観光」の受け皿となり、外貨獲得の手段とされま
した。韓国で売春が禁止されたのは2004年で、これにより韓国人の海外での売春
行為が増え、新たな問題を生じています。