20/11/21 23:48:34.80 AQohZWJq.net
百済と新羅は日本のパシリでした。
ヒスイ製勾玉が、新羅・百済・任那の旧領で大量に出土
(高句麗の旧領では稀)し、戦前の日本の考古学者は、
倭国の勢力範囲を示すモノと素直に解釈していましたが、
これも朝鮮→日本としたがり、それに迎合した厨房な
サヨク似非学者もいました。朝鮮半島には、ヒスイの
原産地がなく、古代においては東アジア全体でも、
日本の糸魚川周辺にしか、ヒスイ工房は見つからず、
化学組成も調和的で、ぐうの音も出ず。 こう言った
科学的研究や、考古学の編年