【AERA/あさひ】慰安婦裁判で敗訴した原告はなぜ「被害感情」を抱いたのか…日本的“被害者論”とは [11/21] [新種のホケモン★]at NEWS4PLUS
【AERA/あさひ】慰安婦裁判で敗訴した原告はなぜ「被害感情」を抱いたのか…日本的“被害者論”とは [11/21] [新種のホケモン★] - 暇つぶし2ch2:新種のホケモン ★
20/11/21 08:58:46.03 CAP_USER.net
 申惠ボン(※ボンは「三」の中央を縦棒「|」が貫く漢字)・青山学院大教授は今年4月に著した『友だちを助けるための国際人権法入門』(影書房)で、国連憲章や世界人権宣言を出発点とする国際人権法は、ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺という経験をへてつくられたとして、こう説く。「国内法による人権保障は完全ではなく、機能不全に陥ることや人権を十分に守らないことも往々にしてあるからこそ、人権は国際法上の問題にもなったのです」
 慰安婦問題もまた、日本の国内法や訴訟で解決できなかった国際的な人権問題だといえる。
 9月出版の『性暴力被害を聴く―「慰安婦」から現代の性搾取へ』(岩波書店)も示唆に富んでいた。日本軍元慰安婦への支援活動を出発点に、敗戦直後に旧満州でソ連兵への「性接待」に差し出された女性や、在韓米軍向け「基地村」で米兵の相手をした女性、さらに現代のアダルトビデオ出演で性暴力被害を受けた女性ら、さまざまな性搾取や性暴力の被害者の声にいかに耳を傾けるかというテーマが全体を貫く本だ。
 とくに印象深かったのは、現代の日本社会で虐待や性搾取の被害に遭った少女の支援を続ける団体「Colabo」の仁藤夢乃代表の一文だ。韓国ソウルで元慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちに会った経験をもとに記した。
「『慰安婦』問題でも、性暴力でも、性搾取でも、問題が明らかになった時の加害者たちの態度は共通するものがある。公的機関や権力者が、自分たちの責任逃れのために、被害者に落ち度があったかのようにして、問題をすり替えようとすることもよくある」
 そして以下のように論じる。
「『慰安婦』ではなく『日本軍』側、性暴力の被害者でなく加害者側、性搾取では『買う側』の責任が問われるべきだ。加害の事実を認めることは被害者の尊厳を取り戻すことにつながり、反省を示すためには、同じ過ちを繰り返さないための努力をし続けることが必要だ」
 この箇所を読んで、1993年に河野洋平官房長官が発表した「河野談話」の一節を思い出した。拙著『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』の結びにも引用した箇所だ。
「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」
(終わり)


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