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市史編さんこぼれ話No.18 「近世の百姓に苗字はあったのか」
2011年(平成23年)10月17日 作成部署:小平市教育委員会教育部 図書館
近世・江戸時代では、苗字は武士の特権とされ、原則として、
百姓(庶民)が公的な場や武士の面前で苗字を用いることは禁じられていた。
けれども、このことは、当時の百姓が苗字を持っていなかったことを意味するわけではない。
小平市域の近世の百姓が苗字を名乗っていた実例
小川寺(しょうせんじ)の梵鐘(ぼんしょう)
当時の百姓が苗字を名乗っていたことを示す、市内最古の資料が小川寺の梵鐘である。
この梵鐘は、貞享(じょうきょう)3年(1686年)に鋳造され、
小川寺の檀家である小川村の百姓らが寄進したもので、今も同寺の境内で見ることができる。
表面には寄進者名が、いくつかのまとまりに分けて刻まれているが、
それらにはいずれも苗字が付されている。
例えば、「小川次郎兵衛尉量次、武松惣兵衛、浅見仁左衛門」などとなり、
当時の小川村の百姓がどのような苗字を持っていたかを知ることができる。
数が多いため、全ての苗字を示すことはできないが、
最も標準的な層と思われる百姓が用いていた苗字を抜き出すと、次のとおりである。
小川・武松・浅見・増田・藤野・平沢・川久保・中里・宮寺・若林・宮崎・
野村・久下・吉沢・富田・立川・比留間・清水・加藤・向坂・田中・内山・
高木・関口・青木・師岡・原嶋・金子・竹内・尾崎