20/06/23 07:50:48.81 CAP_USER.net
>>1のつづき
<チョン・ヘギョン(日帝強制動員&平和研究会研究委員)>
「この方の場合、職場内で管理職だったり、炭鉱の場合では熟練した鉱員として生活していた方です。そのため居住環境自体が強制動員された人々とは異なります」
このような事実は、鈴木氏のインタビューでも分かります。
『父が伍長だった』と話していることから、徴用よりも前に来て一種の昇進をした中間管理者だったことが分かります。
特に、鈴木氏の家族の居住地は、強制動員者の宿所ではなく職員舎宅、日本初のコンクリートアパートでした。
太平洋戦争の真っ只中だった1943年、日帝は軍需物資を得るために朝鮮人の強制動員に傾倒し、過度な採掘と暴力が蔓延し始めた炭鉱で死亡事故が相次ぐと、鈴木氏の家族は軍艦島から離れます。
<カン・ソンチュン(長崎民団団長)
「島から市内に行ける船がありますが、その時に出て行って帰ってこなかったという話を(鈴木文雄さんから)聞きました」
日本が軍艦島の真実の歴史と言いながら見せるインタビュー映像。
断片的な事実を誇張して総体的な真実を曇らせる、歴史歪曲の試みが隠されています。
YTN、コ・ハンソクでした。