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>>486
歴史を勉強しましょう
駐横浜大韓民国総領事館の資料室
韓国史における高句麗:歴史と文化 より
1. 高句麗
a. 建国と拡大
高句麗は韓国の古代王国で、その歴史は東アジアの広大な土地に燦然と輝いた。
391年に即位した広開土王(在位391~413年)は領土拡大を精力的に進め、
高句麗の版図を大幅に拡張した。広開土王の偉大な軍事的功績により韓半島
南東部の新羅は従属国となり、百済、加耶、日本も属国となった。北方で
は、粛真と東扶余を圧倒して属国とし、西方では、高句麗は西遼河の中流か
ら上流に沿って契丹族を征伐し、慕容鮮卑族が建国した後燕を滅ぼした。
日本も属国となった。
日本も属国となった。
日本も属国となった。
当時の高句麗は国際的な秩序を守り、
太陽のもとで最も真正な国としての誇りを持つ偉大な帝国だった。
高句麗は5~6世紀には、遊牧民族国家の北燕、黄河流域に鮮卑族が建国した
北魏、長江流域に漢民族に建国された宋とともに東アジアの4大国家の一角を
占めた。戦争などの混乱で絶え間なく苦しめられた北魏や宋とは異なり、高
句麗は平和を享受しつつ質の高い文化を育むことが可能だった。実際、高句
麗文化は百済、新羅、日本に多大な影響を与えた。