【経団連会長】 韓国提案の基金 「民間がお金を使うことはない」 [11/26]at NEWS4PLUS
【経団連会長】 韓国提案の基金 「民間がお金を使うことはない」 [11/26] - 暇つぶし2ch439:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
19/11/26 02:34:29 e+Yuy6ua.net
新日鉄住金徴用工事件再上告審判決(大法院
2018年10月30 日判決
(3)旧日本製鉄は1943年頃平壌で大阪製鉄所の工員募集広告を出したが、
その広告には大阪製鉄所で2年間訓練を受ければ技術を習得でき、
訓練終了後には韓半島の製鉄所で技術者として就職できると記載されていた。
亡訴外人と原告2は1943年9月頃上記広告を見て、技術を習得して我が国で就職できるという点にひかれて応募し、
旧日本製鉄の募集担当者と面接して合格し、上記担当者の引率下に旧日本製鉄大阪製鉄所に行き、
訓練工として労役に従事した。亡訴外人と原告2は大阪製鉄所で1日8時間の3交代制で働き、
ひと月に1、2次程度外出を許可され、ひと月に2、3円程度の小遣を支給されたのみで、
旧日本製鉄は賃金全額を支給すれば浪費する恐れがあるという理由をあげ、
亡訴外人と原告2の同意を得ないまま彼ら名義の口座に賃金の大部分を一方的に入金し、
その貯金通帳と印鑑を寄宿舎の舎監に保管させた。
亡訴外人と原告2は火炉に石炭を入れて砕いて混ぜたり、鉄パイプの中に入って石炭の燃え滓をとり除くなど、
火傷の危険があり技術習得とは何ら関係がない非常につらい労役に従事したが、提供される食事の量は非常に少なかった。
また、警察官がしばしば立ち寄り、彼らに「逃亡しても直ぐに捕まえることができる」と言い、寄宿舎にも監視者がいたため、
逃亡を企てることもできず、原告2は逃亡したいと言ったことが発覚し、寄宿舎の舎監から殴打され、体罰を受けたこともある。
そのような中で日本は1944年2月頃から訓練工たちを強制的に徴用し、それ以後は亡訴外人と原告2に何らの対価も支給しなくなった。
大阪製鉄所の工場は1945年3月頃にアメリカ合衆国軍隊の空襲で破壊され、
この時訓練工らのうちの一部は死亡し、亡訴外人と原告2を含む他の訓練工らは1945年6月頃、
咸鏡道清津に建設中の製鉄所に配置されて清津に移動した。
亡訴外人と原告2は寄宿舎の舎監に日本で働いた賃金が入金された貯金通帳と印鑑を引渡せと要求したが、
舎監は清津到着後も通帳と印鑑を返さず、清津で一日に12時間もの間工場建設のための土木工事に従事したにもかかわらず
賃金は全く支給されなかった。
亡訴外人と原告2は1945年8月頃、清津工場がソ連軍の攻撃により破壊されると、ソ連軍を避けてソウルに逃げ、
ようやく日帝から解放された事実を知った。

てけとーにググってみたがコレの事か?


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