19/09/12 06:34:49.49 dr1jl/qE.net
>>858
こうしたインフラ整備は、もっぱら鉄道敷設や道路建設に傾注された。
併合当時、朝鮮の鉄道はすでに一〇〇〇キロメートルを越えていたが、一九年には一八五五.九キロメートルまで延長された。
また道路も〇七~一〇年に一九九三キロメートルの幹線が作られていたが、併合後は一四年までに一万七〇〇〇キロメートルの道路が修築・拡張された。
道路はもっぱら軍用道路で、道幅は、最大の砲車がすれ違える程度にしなければならないという寺内正毅の提案で決められた。
道路は憲兵や官吏が机上で計画したので、俗に「鉛筆道路」といわれ、そこに人家が集住していれば、容赦なく立ち退きさせられた。