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満州引揚者が半島でどんな目に遭ったか
終戦(1945年)後、福岡・博多港には、満州(現・中国東北部)や朝鮮半島からの日本人引き揚げ者が数多く降り立った。
女性たちの多くは、目もそむけたくなるほどボロボロの姿をしていた。
引き揚げ者の診療に当たっていた西岡利之氏は『ある戦後史の序章』(西日本図書館コンサルタント協会)の中でこう述べている。
「若い婦人達の多くは断髪し、女性の命ともいうべき顔面などを煤(すす)などで故意に汚し、
胸部は厚く布を巻いて乳房を圧し、ズボン姿の男装がおおく、その脱出の苦労が察せられた」
一体、彼女たちに何があったのだろう。
46年に入ると、1割近い女性がソ連人や朝鮮人に暴行を受けて妊娠したり、性病に冒されて帰国し、先行きを悲観して引き揚げ船から身を投げることも多かった。
そのような女性たちを救うべく、民間組織である在外同胞援護会救療部が、厚生省引揚援護局の協力を得て
「二日市保養所」という施設を福岡県二日市町(現・筑紫野市)に作った。当時、堕胎は罪であったが、厚生省はこの施設に限って超法規的処置として「強姦によって身ごもった女性」の堕胎手術を黙認した。
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