18/11/06 16:37:16.16 dnbyWfxj.net
>>459
(上略)
1951年7月9日、ダレス国務長官補は韓国大使との会談で「韓国は日本と戦争状態にあったことはなく、
連合国共同宣言にも署名していない」ことを理由に、韓国は講和条約署名国となれないことを通知した。
この会談で、韓国側は日本の在朝鮮半島資産の韓国政府および米軍政庁への移管、竹島・波浪島の韓国領編入、
マッカーサー・ラインの継続などを記した要望書を提出したうえで「十分な信頼と信任により平和を
愛する世界の国々との機構への日本人の受け入れに反対する」と、日本を国際社会に復帰させようと
する対日講話条約締結に反対した。
これに対しアメリカは1951年8月10日にラスク書簡で最終回答を行い、
在朝鮮半島の日本資産の移管についてのみ認め、韓国のほかの要求を拒否した。←ここ、重要!
しかしこの通知後も韓国は署名国としての地位を要求した。1951年月22日にダレスは韓国大使の
署名要求を再度拒否するとともに、講和会議へのオブザーバー資格での参加も拒否、
非公式の参加は可能と回答した。
(「非公式に代表を送るのであれば宿泊や会場入場等の便宜をはかる」との回答。)
つまり韓国は戦勝国ではないし『自国にある日本資産の接収』以外の賠償は一切認められていないということ