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1944年11月に徴用され、東洋工業(現在のマツダ)で徴用生活をしていた
鄭忠海が書いた「朝鮮人徴用工の手記」
徴用施設は、労務管理が整備された事業所のみが、審査を経て指定されていた。
日本人と同額の給与も法律で定められていた。
徴用された人だけでなく、その家族にも法律で補償が定められていた。
徴用工は、新たに建てられた寮で生活しており、良い寝具で寝て、食事も戦時状況でも十分に提供された。
当時としては、破格の140円の給料も受けていたため、
終戦後は、もう働けないのかと去るのを惜しんだという。
危険な職場ではさらに待遇が良かった。
九州の炭鉱では、月給150~180円で、
勤務成績が良い徴用工には200~300円支払われた。
日本人も朝鮮人も、すべて同じ額の給料を受け、
体力的に優れていた朝鮮人たちが、日本人たちよりも多く金を稼ぐこともあったという。
この高い賃金に憧れて、自分からわざわざ働きに来る人もいた。
それでも強制連行強制徴用で奴隷として無給不眠で劣悪な環境で日本人の暴行を受け
働かされた。仲間には自殺したものも日本人に殺された者も沢山いた。
映画の軍艦島を観れば分かる
ハリウッドの大スターのアンジョリーナ・ジョリーなどなど
世界中が日本人の残虐さを認めている
ニダ