18/10/06 15:15:15.30 sgBMLjNP.net
>>493
>571つづき
同年九月,井上は公使を辞任し,かわりに就任したのは,外交の初歩も知らない職業軍人で,長州軍閥である三浦梧楼であった。
彼は就任して以来外交活動はなに一つなく,毎日讀経にふけりながら,他国の王妃を殺害する陰謀に終始したのである。
三浦の指令によって,日本守備隊,公使館警察,大陸浪人,日本人の経営する新聞『漢城新報』の連中,日本居留民の行動隊が王宮を襲撃して閔妃を殺したのは,十月八日の白昼であった。
これを総指揮したのは,朝鮮政府の宮内府顧問であった岡本柳之助である。
三浦はこの前代未聞の蛮行を朝鮮人同士の内紛にすりかえるために,閔妃の政敵である大院君をかつぎだし,
当時,日本の息のかかっているということで国王から解散問題が持ち上がっていた訓練隊の幹部である禹範善,李斗璜をそそのかして,訓練隊を動員し,閔妃殺害の補助的役割をさせた。
つまり三浦は,大院君をかついだ訓練隊のクーデターのようにみせかけ,
王宮護衛の侍衛隊(教官はアメリカ人のM.ダイ)との紛争の鎮圧のため,日本守備隊が出動したかのように,見えすいた芝居をしくんだのである。
結局,日本人によって閔妃と宮内大臣李耕植が殺害され,閔妃の腹心であり,侍衛隊長であった洪啓薫は戦死した。
しかも殺した閔妃を,まだ息の根もとまっていないのに,萩原秀次郎警部の指揮のもとに,王宮外の松林に運びだし,薪をつみ上げた上にのせて火葬してしまった。
事件直後,三浦公使は内田領事にたいし,「日本人特ニ公使館員,領事館員並ニ守備隊ノ人々,之レニ関係セシコト公然ト相成候テハ,甚タ面倒ニツキ,飽迄之レヲ隠蔽セサルヘカラス。
依ツテ至急居留民ノ重ナル者ヲ領事館ニ招集シ,今回ノ事件ハ全ク大院君はト王妃派トノ争闘ニシテ日本人ニハ関係ナシ,尤モ守備兵ハ王城内ニ於ケル騒擾ヲ鎮定スル為メ入城セリト弁明シ,
種々ノ風説ニ迷ハサル様諭達シ,尚ホ小官部下ノ官吏ヲ戒メ決シテ之レニ関係セシコトヲ口外セサル様取計フヘシ」(内田領事の報告)と指示した。
つまり,今回の事件が「大院君派ト王妃派トノ争闘」であって日本人は関係なかったと見えすいた嘘をとおすつもりだったのである。
だが,三浦ら一味は,不幸なことに,日本人集団が王宮を襲撃し,閔妃を殺害する現場を,二人の欧米人によって目撃されてしまったのである。
一人は侍衛隊教官のアメリカ人ダイであり,他の一人はロシア人の電気技師サバチンである。
ソウルの各国外交官のあいだには,この二人の証言によって事件の真相が知れわたり,閔妃を殺害した当日,外交官たちは国王を訪問し,また三浦を訪ねて詰問した。
『ニューヨーク・ヘラルド』の特派員コロネル・コッケエリールは,これらの証人の目撃談を記事にして電送しようとしたところを妨害され,外交問題にまで発展した。