18/10/06 15:12:23.32 sgBMLjNP.net
>>493
こんな資料もあるぞ。
朝鮮近代史 姜在彦 平凡社選書90
p.121~
Ⅲ 閔妃虐殺事件とその波紋
日本は,清国との戦争目的を「朝鮮ノ自主独立」を擁護することにあるのだ,と世界に公言しておきながら,ますます侵略的意図をあらわにし,内政干渉をつよめた。
たとえば,朝鮮政府の内閣各衙門に日本顧問官の雇用を強要し,また従来の「暫定合同条款」の改定をせまり,
鉄道敷設・電信架設・鉱山開発などの利権,鎮南浦や木浦の新規開港,仁川やソウルの日本人居留地の拡張などを要求した。
金弘集内閣は「暫定合同条款」の改定を拒否し,ソウル市内の日本人居留地の拡張については,朴泳考らがまっさきに反対した。
日清戦争に勝利した日本は,下関条約において清国から二億両(日本貨三億円)の賠償金のほかに,台湾および澎湖島,旅順および大連を含む遼東半島をきりとった。
ところが,下関条約が批准された三日目に,ロシアが主導するフランス,ドイツの三国が,日本にたいして遼東半島を放棄するよう強力な勧告をおこなった。
世にいう「三国干渉」である。
日本はその回答をひきのばしながら,イギリス,アメリカをうごかして勧告を撤回させようとしたが成功せず,
遼東半島を清国に返し,その代償として三〇〇〇万両(日本貨四五〇〇万円)を得た。
日本は清国からの賠償金と国民からの重税をもって,ロシアとの戦争準備に拍車をかけた。
日本の対抗勢力として現れたロシアの登場は,日本の内政干渉と金弘集内閣による内政改革をこころよくおもわぬ勢力を,ロシアに接近させる結果となった。
従来,親清的であった閔妃もしだいにロシアに接近したが,その影響によって,国王高宗も「引俄拒倭」(ロシアに接近し,日本を拒む)の傾向をつよめていった。
日本公使井上馨は,実現不可能な三〇〇万円の借款供与をちらつかせながら,王室のロシアへの接近を防ごうと躍起になったが,効果はなかった。
朴泳考は国王のロシアへの接近を防ぐために,日本人教官によって訓練された訓練隊をもって王宮護衛をさせようとしたが,国王の拒否で失敗し,
ついには謀反を計画したとの口実で逮捕される寸前,一八九五年七月,日本に亡命した。