18/10/06 15:09:53.46 sgBMLjNP.net
>>493
おいおい。
オマエは無知なのか?
1895年の乙巳事変も,日本側の関わった弾圧である。朝鮮王朝の主要人物の殺害に日本が関わったという事実は,
朝鮮の人たちには限りない衝撃的な出来事として受けとめられたであろうし,現在も受けとめられ続けているであろう。
これが「イケナイこと」でないわけがない。
1895年8月20日 乙巳事変起こる。閔妃が暗殺される。三浦梧楼はこの蛮行を朝鮮人同士の内紛にすりかえるため閔妃の政敵大院君を担ぎ出し,訓練隊の幹部をそそのかして閔妃さつ害の補助的役割をさせたとされる。
これについて,少し詳しい記述の資料があるので提示しておく。
(新日本史 数研出版 小野信二 門脇禎二)
p.342~
▲ 日露の朝鮮侵入
日清戦争後も,日本は朝鮮の従属化を画策したが,それは,常に朝鮮の民族的抵抗,ロシアの朝鮮進出と衝突した。
三国干渉に対する日本の屈従を見た閔妃一派は,1895年クーデターによって,朴泳考らを放逐して反日政権を樹立したが,
これに対して三浦梧楼公使は,日本守備隊・警察・民間人を王宮に乱入させて,閔妃を惨殺した(閔妃殺害事件)。
こうして,日本は,再び大院君を執政とし,その傀儡化をはかったが,この事件は,朝鮮をますます日本から離反させ,各地に反日運動を勃発させる原因となった。
そのため朝鮮国王(李太王)は,1896(明治29)年露国公使館に逃れて館内に新政府を樹立し,親日派を追放してしまった。
こうして,朝鮮においては,日本の孤立化が決定的となり,露の政治的影響力が強化された。
以後,朝鮮をめぐる日露両国の対立は,ますます激しくなっていった。