◆雑談スレ386◆ かっちゃんが勝手にやっていることだat NEWS4PLUS
◆雑談スレ386◆ かっちゃんが勝手にやっていることだ - 暇つぶし2ch144:例の名無し
18/07/20 00:10:08.51 oaGdfvSl.net
>>133
w 『原罪』なんてモノはない 以上w
あと「逃げる宣言した奴」が他人に「逃げるなよ」とかw 斬新すぎw
 
※以下ロールに対する俺の返答
確かに50~60年代のLIFE誌やPLAYBOY誌で科学記事や短編小説をいくつも掲載していたクラークの名前はMGMにこの企画を通す上で
相当程度、有効だったろうからキューブリックにとっては使い勝手のいい「ガジェット」だったとするのは高確率で正しい。
但しその点について言及するなら、SF映画と言えば流線型の宇宙船と光線銃、そしてモンスターしか出てこない当時のクズ映画に
辟易していたクラークにとっても、「キューブリック+MGM+シネラマ」というパッケージは彼の観たい映像を実現する上で、
極めて使える「ガジェット」だったのだ。実際、この映画が作られるまで「冒険映画」はあっても「SF映画」は不在だった。
そういう意味では、幸運にも同時代に存在した稀代の才能同士の「創作的利益が一致した」稀有な例と言える。
 
で、さてとっ 哲学かー。
 
数年前に同趣旨の記述を映画板で書いた記憶があるが、それを詮議する前提として「2001年宇宙の旅」という映画は極めて寡黙、
と言うより、しばしば「意図的に不親切ですらある」点に留意する必要がある。あの映画は、その寡黙によってある種の観客を
巨視的な哲学的考察に「誘導するように作られている」のだ。これには1960~70年代を席巻、蔓延したドラッグ文化がその背景に
あったりする。
身も蓋もない物言いをするならドラッグの流行が『哲学の民主化~商品化』、そして『ガジェット化』を促したわけだな。
上のほうで何回か書いたが、この映画はとんでもない手間と予算を投入しておきながら、何物も声高には訴えて来ない。
ただ映像体験として『可能性の一つ、あるいはいくつかを示唆する』のみなのだ。
リラダンの「我々の愛もまた科学的ではないと考える理由はないのです」に呼応するかのように見える、キューブリックと
クラークの「我々の神もまた科学的に理解できないと考える理由はない」というテーゼは、ある意味ニーチェの超人思想に通底するが、
同時に別の可能性も示唆している。それは「神を科学的に理解できるなら、ヒトは神を科学的に作り出せるのではないか?」という
少なからず傲慢だが、素朴な『可能性』だ。映画の中ではHAL9000とボーマンとの闘争がその可能性を強く示唆するが、
そのアイデアにおいてこれは哲学ではなく、単純な「想像力の冒険としてのSF」なのだ。(まだ続くw)


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