【日韓国民】 「今後も日韓関係は変わらない」、慰安婦問題で考えの違いくっきり [07/05]at NEWS4PLUS
【日韓国民】 「今後も日韓関係は変わらない」、慰安婦問題で考えの違いくっきり [07/05] - 暇つぶし2ch375:
18/07/05 18:19:04.34 nmuhn6R1.net
現在韓国女性家族部のサイトに載っている金学順の証言は以下の通り。
>北京に着いて食堂でお昼を食べていたら、日本の軍人たちがやってきて義父のことを呼んだ。その中、星二つを付けた将校が、義父に、
>「朝鮮人か?」と訊いた。義父が「中国に出稼ぎに来た朝鮮人」だと言ったら、将校は、金稼ぎなら朝鮮でやるべきじゃないかと、
>どうして中国に来たのかと咎め、義父にスパイの疑いをかけてどこかに連れて行ってしまった。
これは後の脚色だと思っていたが、最近の櫻井よしこ氏が関わった裁判でひとつクローズアップされた事実がある。
それはジャーナリスト臼杵敬子氏による金学順さんインタビュー記事(月刊「宝石」1992年2月号)である。
金学順が裁判に訴えたのは1991年12月である。このインタビューは提訴からすぐになされたことになる。
そのインタビューでは、金学順はこのように言っている。
>〈着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父との間で
>喧嘩が始まり「おかしいな」と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです。
今も韓国女性家族部のサイトに掲載されていることとあまり変わりはない。金学順は当時からそう証言していたのだ。
そしてもう一つの事実はこれだ。wikiによれば、
・挺対協
1990年11月16日 - 韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会等16団体が参加して結成。初代代表は尹貞玉。
1990年12月 - 日本キリスト教婦人矯風会が尹貞玉を日本に招聘し、協力関係を構築した[10]。
1992年12月 - 東京で開かれた「『従軍慰安婦』等国際公聴会」で朝鮮日本軍性的奴隷及び強制連行被害者補償対策委員会と合流し、
「慰安婦」を「性奴隷」と位置づける政治宣伝工作に着手した
挺対協が宣伝工作を始めたのは1992年12月だというのだ。金学順の証言が月刊「宝石」に掲載されたのが1992年2月号であるという事実をどう考えるべきだろうか?
もし挺対協によるプロパガンダ工作より前から、金学順がそうした証言をしていたならば、それはどう考えればいいのであろうか?


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch