18/01/18 18:24:43.63 hN0hanl1.net
朝鮮国の美しくもはかない女性の話は420年前、豊臣秀吉の時代に遡る。
当時の上川口村に小谷与十郎と言う豪族がいた。
小谷与十郎はもとから上川口村にいたわけではなく、
長曾我部元親の命により高知の安芸からやって来た。
豊臣秀吉による朝鮮侵略の文禄慶長の役(1592~1598)に出陣した、
土佐国の大名長曾我部元親に従って、朝鮮国に渡った小谷与十郎は,
帰国にあたって2人の若い機織りの女を連行してきた。
(文禄慶長の役では各国の大名達がすぐれた技術者を大勢連行してきている)
その1人は帰してほしい願いも叶わず船から身を投げて亡くなったいう。
(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)
残された一人は国の親兄弟に思いをはせながらも、
朝鮮の進んだ機織りの技術を教え広めていった。(´・ω・`)(´・ω・`)
その機織技術は上川口周辺はもとより四国一円に広がり、
その評判から技術を習得するため、彼女のもとに習いにやって来たいわれる。
そんな献身的で美しく優しい彼女は土地の人々に愛され慕われたと言い伝えられている。
祖国朝鮮への望郷の念を抱いて寂しく異国の地に果てた機織女は,
上川口村桂蔵寺の小谷家の墓域に葬られた(´・ω・`)(´・ω・`)
可哀想(´・ω・`)(´・ω・`)
朝鮮の技術が優れていたばかりに………