18/01/11 11:24:12.44 vSO5e8yP.net
靖康の変で宋は華北を失っている。1126年のこと。
茶を持ちかえったとされる栄西は南宋に留学している。
一度目は1168年。二度目は1187年。
この二度目の入宋からの帰国時に茶の原木を持ちかえったとされる。
南宋への渡航ルートは大宰府から、南宋の明州(寧波)への直接のルート。
南宋は日本との貿易を行うために、明州を開港している。
そもそも華北を失ってから、半島を経由した黄海ルートが使えない。
済州島を経由するルートもあるが、その場合明州ではない港に行くので遠回りになる。
渡航費の問題からしてこちらも考えづらいと言える。
結論、茶を飲む習慣は中国から来たものだが、半島は一切関係ない。