18/01/04 02:43:09.09 zj4GnNTV.net
日本の良き旧習に関する基礎知識がないカキコが多いので資料を。
Yahoo知恵袋に質問と回答があった。
(以下 コピペ)
夜這いのある(あった)地域の父親は、娘の貞操をどう思っているのだろう?
日本の一部では夜這いの風習が1960年代まで残っていた記録がある。
いまも存在すると言うことも聞く。当事者・体験者、見聞きした人はは今でも大勢
生きているはずだ。父親は、自宅に侵入し娘とセックスする村の男をなぜ黙認
していたのだろうか?仮に娘本人の了解があったとしても、父親として本能的に
不愉快と思い、守ろうとしないのだろうか。まったく理解できない。
生まれた子の運命は、父がわからない子を産んだ娘の将来はどうなるのだろうか?
慄然とする。当該地域の方々の説明を聴きたいです。
ベストアンサーに選ばれた回答
当時は、娘の貞操とか別になんとも思っていませんでした。
貞操感とか言い出したの明治後半以降の事で、江戸時代は基本的にフリー
セックスな社会です。夜這いに限らず、10代前半でもうエッチはしまくっていました。
基本的に村自体が一つの大家族的な考えでした。
なぜなら、今と違うのは古代は多産多死の世の中で、10人くらい子供を生んで
8人くらいは結婚する前に死んでいるような社会です。一人の愛娘を溺愛して、
至れり尽くせりで育てる今の社会とは根本的に考え方が違います。娘に悪い虫が
付かないように目を光らせていたのは武家や大商人くらいで、普通の家ではそん
な事をしてても、8割の可能性で処女うちで死んでしまいます。守ってるなんて意
味がありません。
生まれた子供の運命は?・・・まぁ8割の可能性で死にます。父親の分からない子
を産んだとしても、娘はいづれは結婚しますので、その夫が育てる事になります。
結婚したところで、夫か妻が若くして死ぬ可能性は極めて高く、またすぐ再婚しました。
死別すれば、当然、子供は残される訳で、再婚相手と一緒に住む事になります。
子連れの男、娘、なんてのは普通に大量にいましたし、経済的な問題を除けば結
婚に差し支えるものでもありません。
また実は、江戸時代の離婚率は50%と非常に高く、今のアメリカ社会と同じレベル
ですが、違うのは同時に同じペースで再婚していました。ですんで、家族で父親の
違う兄弟、母親の違う兄弟なんてのは、すごく当たり前でした。簡単に言えば、明治
時代以前の家族の血縁関係は非常に複雑で、もうぐちゃぐちゃだったと言えるでしょう。
その結果、村自体が一つの家族的共同体を形成し、村人はみんな兄弟のような感
覚だった訳です。
ちなみに、武家と大商人が、この大家族的共同体に加わらなかったのは、基本的に
財産問題があったからです。