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●3世紀の朝鮮半島は倭国の領地だった。
朝鮮半島は倭国の植民地だった。
中国の史書は、倭国が国家の統合度と人口規模でずば抜けた大国であったと記している。
新羅も百済も倭国を大国とみている。優れた品々が多いためで、新羅も百済も倭国を敬仰し、常に使節が往来している。
…中国の正史『隋書』より。
倭人が王となった事を堂々と書く「新羅本紀」には、現代の韓国人が「朝鮮が先進文明を日本にもたらした」と主張するような根拠もない尊大な姿勢はまるで感じられない。
先に、「弁辰」(後の新羅の地を含む)で、倭人が鉄を採掘している、という『韓伝』に記されている。
考古学の世界では、半島では3世紀になっても刀剣は鋳鉄だったが、日本列島では進んだ鍛造品が作られていたことが、明らかになっている。
鋳鉄は、溶解させた鉄を型に流し込んで作るが、伸びが無く、堅くて脆い。鍛造は鉄を叩いて成形する際に、
金属内部の空隙をつぶし強度を高める。後の日本刀の工法である。
また日本独特の墓制である前方後円墳は3世紀頃から日本で作り始められているが、半島西南端の栄山江地域には、5~6世紀に築造された10数基の倭人豪族の前方後円墳が見つかっている。
この頃の半島南端部には、100メートル近い墓を作る倭人の強力な勢力があった。
こうした考古学上の発見と合わせて考えると、半島南端部は倭人が勢力を張り、また新羅地域にも倭人が住んで、鉄の採掘などをしていた。
進んだ技術で「敬仰」されていた倭人の一人が新羅王位を継承したことを、新羅や高麗の人々は自然に受け止めていたのであろう。
稲作文化も中国南方から日本にやってきて寒い朝鮮半島にも広がった。
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